日本女子プロ将棋協会考

 更新日/2017(平成29).12.8日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ふと、日本女子プロ将棋協会問題を確認したくなった。表に出てくる情報は他愛もないものばかりである。追々に検証していこうと思う。目下わかるのは以下の通りである。

 2013.8.28日 囲碁吉拝


【日本女子プロ将棋協会考その1】
  「ウィキペディア日本女子プロ将棋協会」、「公益社団法人 日本女子プロ将棋協会」、「日本女子プロ将棋協会 LPSA 」、「LPSAの経営の苦しさ、将棋連盟との軋轢、経営破たんについて」その他を参照する。
 2007年、公益社団法人日本女子プロ将棋協会( The Ladies Professional Shogi-players' Association of Japan 。略称は「LPSA」あるいは「女子プロ将棋協会」 。以下、単に「女子プロ」と記す)が、日本将棋連盟から独立する形で有限責任中間法人団体として設立された。設立時点での女流棋士は引退したものも含めて56名であったが、39名が連盟への残留を希望したため残る17名で独立を果たした。こうして女流棋士の所属団体が分裂する形となった。事務局は東京都港区芝浦3-15-6-2F。2013年現在の所属女流棋士は16名(うち現役11名)。
 「女流棋士独立問題」と云われる「女子プロ」が生まれた経緯がはっきりしない。うすうす判明するのは、米長、西村、田中(寅)の佐瀬一門の横暴である。将棋連盟の米長会長と「女子プロ」との間で様々なバトルが展開された。米長には林葉直子事件の前歴があり「林葉氏の一件のときから米長氏の狭量さに辟易」との評がある。いずれにせよ囲碁界に比べてお粗末な話しではある。米長亡き後、未だにしこりを残しているのは芸がない。これを確認するのに既に2006.2月の時点で事件化しているようである。

 2006.2.22日、「女流棋士独立問題 準備委員会、連盟理事会の応酬」が知らされている。2.24日付けのブログ「米長邦雄の家」は次のように書いている。
 「1.独立して別団体(友好的な)とする。対局の権利は当然女流棋士が有し、契約、手合・広報等々自らが行う。普及の仕事等は普及部と話し合い、職員の仕事がダブらないようにしてゆく。経理・会計は女流が責任を持って行う」。

 3.5日、女流棋士約30名と島、森下両理事を交えての話し合いがされている。5時半から米長も出席。約2時間居た。「独立は米長会長の指導というのは本当ですか」の問いに次のように答えている。
 「大変重要な質問です。理事会は独立、自立ということは良いことであり応援するつもりでいました。しかし12月1日の独立のための準備委員会設置まで、私を含めた理事は誰一人として相談されたことはありません。いきなり12月1日の夕方に女流棋士総会の決議を聞かされた次第です。その後も相談も何もなく、将棋指しの常識では全く何も知らなかったとお答えするよりありません。法律的にはどうかは私にはわかりません。藤森君、大体において米長の指導を仰いだというが、いつ、誰に、どのような内容だったか言ってくれ。それからその指導内容通りにしたのかはっきりさせてくれないか。ひどい迷惑である」。

 スポーツ報知が3月10日付けの記事「女流棋士独立に日本将棋連盟理事会が『待った』」。将棋連盟に文書撤回の要請書提出…女流棋士独立問題」を報じている。それによると、この日、連盟側は中原誠副会長、西村一義理事が文書を送った経緯を説明。中原副会長は「外部の人や将棋界を分からない人が弁護士を前面に立て、親心の気持ちでいたいのに仲間内の話じゃなくなった」とし、女流棋士の分裂もやむを得ない見解を示した。一方、準備委員会の委員長を務める中井広恵女流6段は「分裂は避けたい。女流棋士一丸となって新法人へ行く方向は変えたくない」と話した。準備委員会は、10日に男性棋士、16日には女流棋士に説明会を開く予定、とある。
 2006.11月、女流棋士会が日本将棋連盟から独立する動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないことなどの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころかむしろ独立を促すような言動があったとされている。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野に入れて体制改革への意見集約が進められていた。

 2006.12.1日、 日本将棋連盟女流棋士会は臨時総会を開き、新法人設立の準備委員会設置を賛成多数で可決した。しかし、「これで独立が決まった」と解釈する者と「単に設立準備委員会の設置のみが決まった」と解釈する者とがいた。独立に至る過程で準備委員会と連盟理事会との間の交渉が難航し、また女流棋士の中の意見も一つにまとまらなかったため、結果的に56名(引退女流棋士を含む)中39名の女流棋士が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。
 2007.2.1日、 女流棋士新法人設立準備委員会が新法人当初運営資金の寄付金募集を開始。同年2.21日、日本将棋連盟が、独立する女流棋士の連盟主催棋戦への参加を認めない可能性を示唆する理事会の見解文書を女流棋士に送付した。

 同年2.21日、日本将棋連盟が、独立する女流棋士の連盟主催棋戦への参加を認めない可能性を示唆する理事会の見解文書を女流棋士に送付

 同年4.24日、 日本将棋連盟の米長邦雄会長、西村一義専務理事、田中寅彦常務理事が経緯説明の記者会見を開いた。正式な説明と発表がなされ、連盟に残留する女流棋士39名が発表された。清水市代や里見香奈といった看板強豪女流棋士が連盟への残留を表明した。「独立するんだったらウチの女流棋戦には参加させないからな!」と連盟が女流棋士を脅したために多くの女流棋士が残留を選択したという事情があったと云われている。矢内理絵子は当時独立準備委員でLPSAの公式ファンクラブMinervaの勧誘を行っていたが連盟に残留した。連盟としては脅しが効いた形になった。ちなみに、現在矢内はタレント事務所に所属し連盟の広告塔として活躍している。

【日本女子プロ将棋協会考その2】
 2007年5.30日、 連盟への残留を希望しない女流棋士17名によって、有限責任中間法人「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立された(2013年現在は公益社団法人)。その後、記者会見が開かれ、公募により決定された団体の名称が発表された。設立総会には、日本将棋連盟から西村一義専務理事、田中寅彦常務理事が出席。日本将棋連盟と友好的な関係を維持することで合意した。これにより、日本将棋連盟が公認する棋戦(4大タイトル戦)について、2007年度は従来どおり参加できることが確定した。2008年度以降については、その都度話し合いによって決定するとした。

  「有限責任中間法人 日本女子プロ将棋協会」設立時のメンバーは、代表理事に
中井広恵(女流6段、総務、事業担当)、理事に藤森奈津子(女流3段、総務担当)と石橋幸緒(女流4段、渉外広報担当)、相談役に蛸島彰子(女流5段)がそれぞれ就いた。独立に際して事務局の仕事に専念するため現役を引退していた大庭美夏()は経営戦略室の担当となった(段級位はいずれも設立当時のもの)。所属女流棋士17名、うち現役14名、サロン・事務局場所:東京都北区中里。
 設立時の代表理事には中井広恵女流六段(総務、事業担当)が就任した。また他の社員(女流棋士)のうち、理事に藤森奈津子女流3段(総務担当)と石橋幸緒女流4段(渉外広報担当)が、相談役に蛸島彰子女流5段がそれぞれ就いた。独立に際して事務局の仕事に専念するため現役を引退していた大庭美夏女流1級は経営戦略室の担当となった(段級位はいずれも設立当時のもの)。

【日本女子プロ将棋協会考その3】
 2007年6.7日、 LPSA所属の女流棋士が日本将棋連盟へ移籍届を提出し、女流棋士会からも退会した。7.28日、設立記念パーティー開催。これにより「日本将棋連盟女流棋士会」と 「日本女子プロ将棋協会(LPSA)の並立となった。

 同年11.5日、石橋幸緒が第18期女流王位戦で清水市代に勝利し、タイトル獲得。LPSAへ初のタイトルをもたらした。
 2008.7.1日、日本将棋連盟を退会した船戸陽子がLPSAに移籍した。

 同年12.1日、公益法人制度改革関連3法の施行に伴い、一般社団法人となる。法人名も同日付で「一般社団法人日本女子プロ将棋協会」に変更する。
 2009.3.6日、「LPSA公認プロ制度概要と応募要項」発表。3.7-8日、 受験者一般公募に先駆けてGSP中井塾生を対象としたツアーライセンス取得試験実施。

 同年3.31日、 神田真由美が規定により引退。


 同年4.1日、日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな棋士会を創設した。これに伴い女流棋士会は連盟棋士会の中の組織とされ、女流棋士会の役員会は発展的に解消された。

 同年4.1日、 ツアーライセンス取得試験に合格しGSPで既に研修を受けていた渡部愛が理事会の最終的な承認を受けLPSA初のツアー女子プロに登録される。

 同年5.31日、 北尾まどかが退会届を提出し「フリーの女流棋士」となった(退会日は6.15日)。LPSAからの初の退会者となる。その後、日本将棋連盟の「客員女流棋士」を経て2011.4.1日付で連盟に復帰する。「フリーの女流棋士」と「客員女流棋士」は、いずれも北尾が唯一の事例である。詳細は「北尾まどか棋歴」を参照。連盟またはLPSAを退会し、同時に女流棋士としての身分を完全に放棄した「元女流棋士」は、連盟退会者が5名、LPSA退会者が1名存在する。
 2010.3.31日、藤森奈津子が規定により引退。藤田麻衣子が一身上の都合により引退し、同時にLPSAを退会した。

 同年5.27日、石橋幸緒が代表理事に就任。

 同年10月、LPSAサロン・事務局が東京都港区芝浦に移転。
 2011.1.26日、 日本女子プロ将棋協会設立記念日にあたる5月30日を「女子将棋の日」と制定することを発表した。
 2012.3.31日、山下カズ子が規定により引退、ツアー女子プロに転向した。

 同年7.1日、 公益社団法人となる。法人名も同日付で「公益社団法人 日本女子プロ将棋協会」に変更。公益社団法人認定に伴い、LPSA独自の新たな『棋士規程』が制定され、渡部愛ツアー女子プロが規定により女流プロ棋士3級に昇級した。
理事役員一覧(2012年7月01日現在)
役職 名前 段位・称号、経歴
代表理事、渉外 石橋幸緒 女流4段
名誉理事長 錦織淳 元衆議院議員、弁護士
業務執行理事、渉外、総務 庄田育夫
業務執行理事、事業、広報 大庭美夏 女流1級
理事、総務 山下カズ子 女流5段
監事 大泉紘一
監事 大野博幸
最高顧問 渋谷守生 第37代東京都議会議長、日本アマチュア将棋連盟会長、東京アマチュア将棋連盟会長、日本将棋道場連合会最高顧問
顧問 松村正一
エグゼクティブアドバイザー 中井広恵 女流6段
相談役 蛸島彰子 女流5段
相談役 藤森奈津子 女流4段
 2013(平成25)年、「女子プロ」と日本将棋連盟(以下「連盟」)との間での紛争が明るみになり、一部棋戦のボイコットにまで発展している。「女子プロ」側の主張によれば、2012年7月に「女子プロ」所属プロとなった渡部愛の処遇(具体的には連盟主催の棋戦への出場資格)を巡り、プロ棋士としての処遇を求める「女子プロ」とそれを認めないとする連盟(並びに各棋戦のスポンサー各社)との対立が2012年末に深刻化したとしている。一方で連盟は、連盟が開催している研修会でC1クラスになった者を女流3級と認めていて、「女子プロ」もその基準に従うべきと主張している。

 その結果、「女子プロ」は2013年1月28日付でマイナビ・連盟の両者に対し、マイナビ女子オープンの現行契約の解除を通知。第7期以降の同棋戦に「女子プロ」所属棋士が参加しないのみならず、当時進行中であった第6期についても以後の参加を打ち切るとし、翌1月29日に行われた里見香奈女流4冠-石橋幸緒女流4段戦において、「女子プロ」所属の石橋が対局をボイコットした。(1.30日、マイナビ女子オープンの契約問題及び、渡部愛のプロ認定問題を巡り、代表理事である石橋幸緒が第6期マイナビ女子オープン準決勝里見香奈戦をボイコット)

 これに対し連盟側は、2月22日に記者会見を開き「女子プロ及び石橋がマイナビへの謝罪を行い、さらに女流棋士認定基準について協議に応じるなら渡部への特例を認める」という妥協案を提示したものの拒否されたことを明らかにした上で、今後について「「女子プロ」とは新規の棋戦契約を行わない」、「石橋については連盟主催の棋戦への出場を最低1年間禁止する」等の方針を発表した。なお石橋以外の「女子プロ」所属棋士の連盟主催棋戦への出場については「今後個別に交渉する」、「女子プロ所属のままでも構わない」としている。但し、「女子プロ」はこの会見内容に対しても反発しており、対立は泥沼化しつつあった。しかし、6月19日に「株式会社マイナビ様への謝罪」という文章をサイトに掲載し、「女子プロ」に一定の非があることを認めた。


 なお連盟が関与する他の棋戦に関し今後「女子プロ」がどのような対応を執るかについて、「女子プロ」は態度を明確にしていない。ただ、2月3日に開催予定だった第6回女流最強戦・石橋 - 中村真梨花女流2段戦の対局が延期されるなど(結局2月24日に開催された)、既に他の棋戦にも影響は及んでいる。2013年度の女流王将戦においては石橋・渡部の2名が予選組み合わせから除外されたが、「女子プロ」側は「公益事業活動への暴力・パワーハラスメント行為」であるとしてこれを不当なものだと主張している。(「LPSAによる一方的な契約解除通知と、石橋女流四段の マイナビ女子オープン対局放棄についての記者会見」参照)

 3.14日、田丸昇の「と金横歩き」のブログ「今年1月に起きた女流棋士の対局放棄による不戦敗問題の背景」を転載しておく。

 「石橋幸緒女流四段の対局放棄(1月30日のマイナビ女子オープン準決勝・里見香奈女流四冠戦で対局場に現れず不戦敗)によって、日本将棋連盟とLPSA(日本女子プロ将棋協会)の関係が再び注目を集めていますが、LPSA設立までの経緯はお互いの説明に食い違いがあって、将棋ファンとしてはわかりにくいところです」という内容のコメント(3月2日)は《香落ち》さん。

 LPSA代表理事の石橋女流四段が里見女流四冠との対局で、前日に対局放棄を発表して不戦敗した問題は、連盟とLPSAとの関係が悪くなるだけでなく、棋戦主催者も巻き込んで複雑な事態となっています。その後、当事者と関係者とで何度か話し合いがされましたが、まだ決着していません。連盟は2月22日に記者会見を開き、これまでの経過を説明するとともに、LPSAと所属する女流棋士たちへの処遇を発表しました(具体的な事項は連盟のホームページに載っています)。

 私を含めた大方の将棋関係者は、連盟が執った措置は穏便な内容であるとの見解を持っています。とくに今回の不戦敗問題の背景となっている女流棋士認定(LPSAは昨年、所属するアマの渡部愛さんを女流棋士と認定して女流棋戦への参加を要望した)については、連盟が提示した「一定の条件」をLPSAが満たせば、特例を適用するとしています。8年前に特例のプロ編入試験で棋士となった瀬川晶司五段の例とは状況が違いますが、渡部さんに女流棋戦参加への道を開いたことは、連盟が柔軟に対応して歩み寄ったといえます。ただ「一定の条件」はまだ実施されておらず、今後の成り行きは流動的です。

 棋士にとって、公式戦の対局は最大の公務です。その対局を不戦敗した例は、病気や負傷のほかに、台風や地震の天災で交通機関がストップ、対局日を間違える、遅刻して時間切れなどがあり、それらの中にはやむをえない事由もあります。

 石橋女流四段のように、対局前日に記者会見を開いて対局放棄を発表したのは前代未聞のことでした。しかしどんな事情があるにせよ、将棋を生業にする棋士が故意に不戦敗するのは絶対にあってはならないことで、棋戦主催者や将棋ファンの理解も得られません。

 5年ほど前に17人の女流棋士(当時は全女流棋士の約3割)が連盟を離脱し、LPSAという新団体を設立しました。それに至った経緯については、将棋ファンの《香落ち》さんだけでなく、私たち棋士もよくわからないところがあります。「女流棋士たちは待遇改善を連盟に求めたが、受け入れられず独立した」「連盟は離脱を懸命に引き止めた」「連盟から追い出された」「連盟は女流棋士たちの動きを分断させた」など、様々な風評が流れたものです。いずれにしても、当時の連盟会長・米長邦雄永世棋聖の意向や判断が少なからず影響したようです。

 LPSAの設立は、大企業の女子社員たちが退職してベンチャー企業を立ち上げたようなものです。支持者からは「勇気ある行動」と讃えられたそうです。連盟とは違った独自の形態で活動し、ひいては女流棋界が活性化したり将棋ファンが増えていくのが理想的な展開です。実際にLPSAの活動の中には、評価したいものがあります。ただ連盟と協力し合って、女流棋士全体で活動すればもっと盛り上がると思います。

 「○○△△銀行」という社名が示すように、同業他社同士が合併して資本の増強を図り、厳しい経済状況に対応していくのが現代社会です。そんな時代において、経済規模が極めて小さい将棋界の中で、少数派の女流棋士が分裂している事態に疑問を抱いている将棋ファンは多いのではないでしょうか。私個人としては、いつの日か「雨降って地固まる」になればいいなと思っています。

 61年前の1952年(昭和27年)、第1期王将戦(木村義雄王将―升田幸三八段)でも升田が対局放棄する事態が起きました。世にいう「陣屋事件」です。次回は、その経過と真相をテーマとします。

 同年4.8日、公益社団法人日本女子プロ将棋協会「日本将棋連盟による女流棋戦からの排除行為について」。   

 先ごろ発表された第35期霧島酒造杯女流王将戦の予選組合せで、当協会所属棋士のうち石橋幸緒四段と渡部愛3級の2名が排除されました。日本古来の文化振興を標榜する公益社団法人日本将棋連盟(以下、「連盟」とする)が、同業の公益法人である当協会に対して、永くに渡り陰湿ないじめ・業務妨害行為を繰り返していることは、プロ棋士をはじめスポンサーや報道機関関係者を含めて将棋界に接点のある多くの関係者は認識していることと思われます。両団体共に、世間一般からは文化普及団体との認識を持たれています。しかしながら、実態として「男性主体の歴史ある大組織」(年間事業費約26億円*平成23年度正味財産増減計算書参照)が「女性のみの新参小組織」(年間事業費約0.2億円*平成24年度正味財産増減計算書参照。その差130倍)を潰すための「公益事業活動への暴力・パワーハラスメント行為」が繰り返し行われているのです。

 すでに報道されている女子柔道界の暴力・パワーハラスメント問題は、肉体的暴力と選考差別等が主な問題ですが、本質的には歴史的に伝統文化を継承してきた古典的伝統社会特有の共通した問題であり、女子将棋界の問題も同種の事象であるということを、是非とも国民の皆さんに認識して頂きたく本稿を記します。

 永く男性主体で運営されてきた連盟から、女性ばかり僅か十数名で6年前に分離・独立した法人が、現在の公益社団法人日本女子プロ将棋協会です。この小さな団体は、内閣府から公益認定を受け、前公益認定等委員会委員長池田守男氏の言によれば「民による公益活動並びに事業規模の大小に関わらない公益活動の重要性」の認識の下、当協会のような運営規模の小さな弱小法人でも全国規模で活動出来ることを実証しています。
 
 本件に於ける表面事象は、去る1月のマイナビ女子オープン準決勝戦の前日に当協会所属棋士・石橋幸緒四段が対局断念を発表したことに連盟が反応したことによるものです。しかし本質と実態はその1局の対局の問題ではありません。過去からの業務妨害行為、名誉棄損行為、強要、脅迫、自治権侵害等、数え切れないほどの連盟側の不当行為があったうえで、苦渋の決断として先般の事象発生があるのです。結果として、現在に至ってもファンの皆様には大変なご心配をお掛けしておりますことを、申し訳ないと同時に大変心苦しく思っております。しかしながら、当協会として、この事態に至った連盟の数々の不当行為を容認することはできません。
 
 過去から現在も協会は抗議して参りました。スポンサーや報道機関に対しても訴えて来ました。しかし、関わる報道機関やスポンサーの多くも、これら連盟の不当行為を知りながら「見て見ぬふり」の姿勢であります。そこには、スポンサーや報道機関に対しても様々な圧力が働いてのことと考えられますが、結果としてこの体質が連盟の横暴を許してきたと言わざるをえません。

 前記の女子柔道界問題でも被害者が所属機関に訴えたが叶わず、その上部団体に直訴して、かつオリンピック誘致に差しさわりが出るに及んで、初めて事態は改善に動き出したかに見えます。学校のイジメ問題もまたしかりです。被害者が学校に訴えても見て見ぬふり。教育委員会に言っても同じ。最後に警察権力が動き出してはじめて事態改善に動き出す有様です。繰り返しになりますが女子将棋界の問題も、これらと全く同じ構図なのです。

 私たちは、このような不条理極まりない数々の連盟の愚行には屈しません。女性十数名の弱小団体ではありますが、男女二百数十名を擁する連盟におもねることは致しません。先進国と言われる法治国家の公益法人として、正しく真っすぐに進んで参ります。

 当協会は、不当な差別・みせしめ的行為を即刻止めるよう連盟に断固抗議します。我が国の公益法人が、同じ公益法人に対して行う行為でない事は明らかです。また、これら問題については既に公的機関の察知するところとなって現在調査が進んでいると聞き及んでおります。将棋界の健全な発展のため、スポンサー各位ならびに報道機関各位には賢明なるご判断を心よりお願い申し上げます。なお、今後の具体的な行動につきましては別途公表の予定ですが、取り急ぎ今回の事象についての事実関係と背景等をご報告させて頂きました。 今後とも皆様のご理解とご支援を切にお願い申し上げます。以上

 同年7.12、日本将棋連盟渉外部「LPSA、渡部愛さんへの対応について」。   

 日本女子プロ将棋協会及び渡部愛さんに対する将棋連盟の対応
 日本将棋連盟渉外部/青野照市専務理事、島朗常務理事

 最初に、今回の問題の端緒である石橋幸緒女流四段(日本女子プロ将棋協会所属)の対局放棄問題につきまして、長期間にわたり本案件を収束できず、女流棋戦各主催者、御懸念されていたファンの皆様に対し、将棋連盟として深くお詫びを申し上げます。先日、日本女子プロ将棋協会が謝罪文を提出、またそれを公開し、ホームページ上に何ヶ月も放置したままの非礼な文面削除をしましたが、このことのみで総てが和解したというには名誉棄損と恥辱の重大さを見れば解決には到底至らないと弊連盟は認識しています。しかし、少なくとも渡部愛さんの女流プロ認定問題に限って言えば、上記の行動を最低条件とした上で協議の段階に応ずる用意ありとの立場を以前から示しておりました。弊連盟は渡部さんに関してはこれ以上時期を延ばすことなく、あくまで今回限りの特例として今年2月の谷川提案にあったものを生かし、女流3級と同等の対応とすることを平成25年7月1日付で認可したいと考えております。これにより、次に始まる予定の「第25期女流王位戦」より渡部さんが出場となります。 また、女流棋士3級の資格を得る条件として現状の研修会C1クラス到達のほか、女流プロ公式戦でアマチュアが規定の成績をおさめた場合にもその資格を認めることを検討しており、近々発表の予定です。

 なお、2月22日記者会見で発表いたしました、◎連盟は、石橋幸緒女流四段を、連盟の主催する棋戦における出場者として一切の推薦をしません。の項目に関しては発表通り1年間の処分を継続。なお、対局放棄の再発防止策を講じないなど、今回の件に対し、日本女子プロ将棋協会の誠意ある行動が認められない場合、さらなる期間延長を致します。 将棋連盟としましては、今後いかなる問題が生じたとしても棋戦継続を大前提にし、主催者のご意向に沿うべく、そして女流棋界を盛り立てるべく臨みたいと考えております。今後とも、ファンの皆様にはご支援をよろしくお願い申し上げます。


 同年10.2日、日本将棋連盟が「女子プロ」と今後一切の契約や交渉をしないと発表し、事実上の“絶縁状”を突き付けた。今年1月、「女子プロ」の石橋幸緒代表理事が新人のプロ認定が認められないことを不満として、 スポンサーを批判するとともに対局を放棄し、関係が悪化していた。( 「」)
 2014.1.23日、中井広恵が「女子プロ」に退会届を提出し協会側が受理した。退会の理由について、中井は「協会及び所属女流棋士との方向性の違いに思い悩み、前代表としての責任を痛感した。スポンサーや関係者へ迷惑をかけている現状はあまりに忍びなく、退会を決断した」と、「女子プロ」ホームページ上で退会理由を説明している。

 同年1月28日、代表理事の石橋幸緒が1.31日付で引退し、2月25日の理事任期満了をもって退会することが発表された。同日、多田佳子が退会届を提出。1.31日に退会となった。

 同年2.25日、中倉宏美が代表理事(3代目)に就任。この時の役員改選で旧執行部がほぼ総退陣し役員が一新された。
理事役員一覧(2014年2月26日現在)
役職 名前 段位・称号、経歴 担当
代表理事 中倉宏美 女流2段
業務執行理事 大庭美樹 女流初段
業務執行理事 林逸子
理事 鹿野圭生 女流2段
理事 島井咲緒里 女流2段
監事 大泉紘一
監事 川上和秀
監事 西下重雄
最高顧問 渋谷守生 第37代東京都議会議長、日本アマチュア将棋連盟会長、東京アマチュア将棋連盟会長、日本将棋道場連合会最高顧問
顧問 松村正一
特別相談役 蛸島彰子 女流5段
相談役 藤森奈津子 女流4段
 同年5.20日、所属棋士規程を改定。LPSA独自棋戦による昇段規定を廃止。

 同年7.1日、事務局を東京都港区芝へ移転。
 2015.3.31日、中倉彰子が規定により引退。

 同年4.13日、ツアー女子プロ制度を廃止し、新たにLPSAプロ制度を設立。ツアー女子プロであった山下カズ子と引退した中倉彰子がLPSAプロとなった。


【所属女流棋士一覧】(2015.4.13更新)
 あいうえお順はこちらから→http://www.joshi-shogi.com/prof/

 【現役女流棋士】

蛸島彰子女流五段 鹿野圭生女流二段 大庭美樹女流初段
蛸島彰子(たこじまあきこ) 鹿野圭生(かのたまお) 大庭美樹(おおばみき)
中倉宏美女流二段 島井咲緒里女流二段 上川香織女流二段
中倉宏美(なかくらひろみ) 島井咲緒里(しまいさおり)
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船戸陽子女流二段 渡部愛女流初段
船戸陽子(ふなとようこ) 渡部愛(わたなべまな)

 【LPSAプロ】

山下カズ子女流五段 中倉彰子女流初段
山下カズ子 (やましたかずこ) 中倉彰子(なかくらあきこ)

 【引退女流棋士】

寺下紀子女流四段 藤森奈津子女流四段 神田真由美女流二段
寺下紀子(てらしたのりこ) 藤森奈津子(ふじもりなつこ) 神田真由美(かんだまゆみ)
大庭美夏女流1級
大庭美夏(おおばみか)

 外部リンク

【将棋の初代女流名人・蛸島彰子(たこじま・あきこ)女流六段が今期限りで現役を引退】
 2017(平成29).12.7日、将棋の初代女流名人・蛸島彰子(たこじま・あきこ)女流六段が今期限りで現役を引退することが7日、分かった。1967年に史上初の女流棋士となったレジェンドが今年6月に同じく現役引退した男性棋士界のレジェンド「ひふみん」こと加藤一二三九段(77)に続いて盤上を去ることになった。蛸島氏は、報知新聞社が主催し、74年にスタートした初の女流棋戦「女流名人位戦(現・女流名人戦)」で第1期から3連覇するなど活躍した。獲得タイトルは女流名人4期、女流王将3期の通算7期を誇る。年齢による衰えと、通算勝率5割(657戦331勝326敗、7日現在)を守ったままで退くことを考慮して引退を決めた。今月から始まる第45期岡田美術館杯女流名人戦予選と女流王将戦予選に参加し、共に敗れた時点で引退となる。8日にも所属する日本女子プロ将棋協会(LPSA)から正式発表される見込みだ。

 東京都杉並区出身。まだ女性が将棋を指すことが一般的ではなかった幼少期から盤上の世界に魅了され、1961年、15歳の時に日本将棋連盟の棋士養成機関「奨励会」入会。「指し分け(5割)以上」という特例を受けながらも、初段まで昇段した。女性として初めて注目を集める存在となり、66年に退会した。翌67年に女流二段として女流棋士制度の発足に尽力し、74年の女流名人位戦スタートとともに活躍を始めた。兼ねそろえた美貌も手伝い、一躍人気者に。「NHK杯テレビ将棋トーナメント」の記録係も長年にわたって務め、ファンにとって憧れの存在だった。日本将棋連盟で女流棋士会長を務めた後、2007年に連盟から分離独立して発足したLPSAに移籍し、対局のみならず普及にも尽力してきた。今後はLPSAの特別相談役として引き続き普及活動を行う他、公式戦以外の一部の大会には出場の意欲も示している。




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