将棋のマスク不着用反則負け考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).10.29日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「将棋のマスク不着用反則負け考」をものしておく。

 2013.8.28日 囲碁吉拝


【将棋のマスク不着用反則負け考】
 2022.10.28日、東京都渋谷区の将棋会館で指された第81期将棋名人戦・A級順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)4回戦で、永瀬拓矢王座(30)戦に臨んだ佐藤天彦九段(34)が、対局中にマスクを一定時間着用しない違反行為により反則負けとなった。

  日本将棋連盟は、新型コロナウイルスの流行を受け、今年の1月に制定し2.1日から実施した「臨時対局規定」で、健康上やむを得ない理由がありあらかじめ届け出て認められた場合を除いて、「対局中は、一時的な場合を除き、マスク(原則として不織布)を着用しなければならない」、「違反した場合は立会人の判定により反則負けとする」と定めている。

 佐藤九段は、午前10時に始まった永瀬王座との対局の当初はマスクを着用していたが、午後11時ごろ、夜間の終盤戦に入り、佐藤九段は112手目を指した後にマスクを片耳に掛けて考え始めた。30分ほど経った時点で、永瀬王座が「反則ではないか」と関係者に指摘。会館内に立会人がいなかったため、連絡を受けた日本将棋連盟の鈴木大介常務理事(48)が急きょ駆け付け、佐藤康光会長(53)と協議し、佐藤九段の反則負けを決定した。マスクの着用違反で棋士が反則負けになるのは初めて。

 鈴木常務理事から反則負けを告げられた佐藤九段は「以前は、マスク着用の注意を受けていたケースもあった。今回は注意も受けていない」と反論したが、判定は覆らなかった。規定には判定に不服の場合は「1週間以内に、常務会に提訴することができる」とあり、佐藤九段は提訴することも検討する意思を示した。
 日本将棋連盟が2022年1月26日に定めた「臨時対局規定」は以下の通り。
 現状のコロナ禍に鑑み、本連盟会員規程第8条第1項の対局規程として、本来の対局規定に加えて、臨時に、以下のとおり定める。
 第1条 対局者は、対局中は、一時的な場合を除き、マスク(原則として不織布)を着用しなければならない。但し、健康上やむを得ない理由があり、かつ、予め届け出て、常務会の承認を得た場合は、この限りではない。
 第2条 対局者は、対局場所たる建物内においては、対局以外の場合においても、できるかぎりマスクを着用しなければならない。
 第3条 対局者が第1条の規定に反したときは、対局規定第3章第8条冒頭各号の違反行為に準じる反則負けとする。但し、この反則負けには、同条第1項及び第3項は適用しない。
 第4条 前条の反則負けの判定は立会人が行い、立会人がいない対局においては、対局規定第3章第9条第4項の順序に従い、立会人の任を代行するものが行う。この判定に不服がある対局者は、対局規定第3章第8条第6項に準じて、判定後1週間以内に、その内容を常務会に提訴することができる。
 第5条 対局者が第2条の規定に反したときは、会員規程第8条第1項、第9項に基づき懲戒を行うことがある。

 2022.10.29日、毎日新聞【丸山進】「佐藤天彦九段、マスク不着用「一発レッド」 条文に詳細記載なく疑問も」。
 将棋の名人への挑戦権を懸け、トップ棋士がしのぎを削る対局で「マスクを長時間外した」という理由で勝負が決まった。28日に行われた第81期名人戦A級順位戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)の佐藤天彦九段(34)―永瀬拓矢王座(30)戦は、日本将棋連盟が新型コロナウイルス対策で設けた臨時規定を根拠に佐藤九段の反則負けとなった。だが規定違反となる基準や判定の体制の不備に、棋士やファンから疑問の声も上がっている。

 【マスク着用について書かれている臨時対局規定】  

 問題が起きたのは、28日深夜。佐藤九段が長考中、30分以上マスクを外したままでいることを、対局相手の永瀬王座が問題視。連盟理事が急きょ駆け付け、連絡を受けた佐藤康光会長と協議して判定を下した。規定では、反則の判定は「立会人」が行うことになっていたが、通常、深夜に立会人はいないため、永瀬王座の指摘から判定が下されるまで約1時間ほどがかかった。今年1月にこの規定が設けられて以来、適用は初めてのケースだった。規定が設けられる以前は、対局時のマスク着用は「推奨」にとどまっていた。しかし、終盤になると棋士が息苦しさからマスクを外して盤に向き合う場面も頻繁に見られた。対局相手が長時間マスクを外すことを嫌う棋士も出始めたことから、着用が義務化された経緯がある。  

 ◇囲碁では警告後に反則負け

 「隣の世界」と言われる囲碁界ではどうか。日本棋院では、対局中にマスクを着けていない棋士に対して、立会人の棋士がマスク着用を求めて警告を発し、従わない場合は反則負けにする決まりとなっている。立会人はその日の全対局が終わるまで棋院内に待機し、対局室内の映像でマスクを外している棋士がいると注意することもたびたび起きているが、反則負けは出ていない。これに対して将棋連盟の規定には、どのくらいマスクを外していたら反則に当たるかや注意喚起に関する条文がない。そのため、今回のように、棋士はいきなり「一発レッドカード」を突きつけられることになる。ツイッターでは「これはおかしい」と判定を疑問視する棋士も複数いる。また、「永瀬王座が124手で佐藤九段に勝ちました」と淡々と結果を伝えた将棋連盟のツイートに対しては、「警告とかで済ませられなかったんでしょうか。規定とはいえ残念」、「連盟からの説明を求めます」などのファンからの意見も殺到している。

 2022.11.3日、週刊現代(講談社)「「佐藤天彦マスク問題」の裏側にあるもの…「軍曹」を悩ませた「将棋界の常識は世間の非常識」」。
 元名人の佐藤天彦九段が前代未聞の「マスク未着用による反則負け」となった、A級順位戦。厳格なことで知られる対戦相手の永瀬拓矢王座は、世間の非難がまさか自分に向くとは思いも寄らなかった。棋界でジョークのように言われる「千駄ヶ谷の常識は世間の非常識」はどうやらホントもあるようで…。

 「反則負けにしてください」と5回要求

 10月31日夜、レジェンドの勝利に将棋ファンは沸き立った。52歳の羽生善治九段が、永瀬拓矢王座に勝ち、王将戦挑戦者決定リーグ5連勝となって1位確定となったのだ。暫定2位の豊島将之九段にもプレーオフの目があるとはいえ、通算100期の大一番をかけて、羽生九段が藤井聡太五冠と激突する可能性が非常に高くなった。〈一番苦手としていた永瀬さんを、ここで倒すなんて凄い!〉〈羽生先生と藤井先生のタイトル戦、想像するだけで胸が熱くなる〉といった書き込みが続出する中、〈やっぱり永瀬先生には佐藤天彦戦の影響があったんだな〉という感想があった。

 永瀬拓矢は、藤井の研究パートナーとしても知られるタイトルホルダー。ストイックな姿勢と勝負に辛い棋風から、将棋界では「軍曹」の愛称で知られる。その永瀬が負けた心理的影響とは、3日前に発生した「マスク反則」騒動だった。将棋連盟は今年2月より、健康上の理由がある場合や飲食など一時的な場合を除き、対局時にマスクを外した場合、反則負けになるという規定を定めている。ところが10月28日に行われたA級順位戦、永瀬vs.佐藤戦の終盤、盤面に集中する中で佐藤九段がマスクを外したまま思考の海に沈んでしまったのだ。激戦は深夜に及んでおり、立会人もいなかった。当事者以外に将棋会館に残っているのは、数名の観戦記者と連盟関係者のみだった。当日の様子を知る将棋連盟関係者が言う。「永瀬先生は、佐藤先生がマスクを外してから、5回も記者室にやってきて『反則負けにしてください』と要求しました。ただ、記者としても自分たちで勝負を決めるわけにはいかないので、渉外担当理事だった鈴木大介九段に連絡して、裁定を受けるため時間がかかっていたんです」。

 中断時の局面の形勢は、将棋ソフトの評価値で言えば500点程度、後手番の佐藤がやや有利な局面だった。その後、佐藤の反則負けが決定し、一般ニュースで報じられた際、朝日新聞が「ちなみに囲碁の場合は、マスク着用を促す注意がなされ、それに従わなければ失格となる」と報じたことも手伝い、「なぜ一言、本人に注意してからの反則負けにしなかったのか」という意見がSNSなどにさかんに投稿された。さらにはホリエモンが「永瀬、せこい」という書き込みをしたこともあり、将棋界は久々の“炎上”に襲われてしまったのである。


 千駄ヶ谷の常識は世間の非常識? 

 「千駄ヶ谷の常識は世間の非常識と言われるでしょう。私たちが言うと、なかなか世間の人に納得してもらえないので言いにくいのですが、今回の件は、天彦の負けで仕方ないです。もちろん将棋界でもいろいろな意見がありますが、永瀬の行動は正しいですよ」 。あるトップ棋士は、こう言う。「永瀬とすれば、このまま秒読みに入ってしまったら、(注意をうながすため)席を立つこともできなくなるので、その前に裁定を出してもらう必要があった。自分が不利だから、反則負けを主張するなんていうことはありえない。そもそも永瀬と天彦とは仲がよく、遺恨があったわけでもありません。天彦が将棋以外のことを永瀬に考えさせていた、100%盤上に集中させなかったという時点で、棋士の感覚としては、もうアウトなんです。注意といいますが、注意されるまでOKというルールではない。マスクに関する臨時対局規定に事前注意に関することが書いてないということは、一時的という表現を常識的に解釈すれば3分でも5分でもマスクを外したら負けとされても仕方がない。鈴木理事、佐藤康光会長の判断は正しかったと思います」。


 マスク外しは反則負け、というこのルールの施行は、前述の通り今年2月。このルールが適用される以前には、かなりの棋士が対局途中にマスクを外していたという。藤井聡太五冠も一時的にマスクを外していた対局があったが、それに対して誰も何も言わなかった。「2月からルールとして適用されたのですが、天彦先生は遅刻が多いことでも知られるように、規定を守ることにややルーズなところもある。もしかしたらルールを知らなかったかもしれません。しかし、それは本人の責任だとしかいえませんね」(将棋観戦記者)。

 「マスク外し」は「二歩」と同じ

 将棋界では、そもそも対局する相手に、直接何かを働きかけるということは不文律として禁じられているのだという。たとえば、昔は地方から遠征してきた棋士が将棋会館に宿泊したものの、翌朝の対局時間になっても起きてこないということが稀にあった。こういうときに、誰かが起こしたり、呼びにいったりすることはできないし、してはならないとされていた。 「助言はもちろんのこと、互いの利害に関係することで、本人以外の人間の助力があってはならないというのがこの世界の暗黙のルールなのです。対局者はもちろん、第三者でも、直接“注意する”ということ自体、相当なことがない限りしません。ただ、そうした慣習は一般に知られていない。世間から『なぜ注意しなかったのか』と非難されることに、棋士たちはショックを受けているかもしれません」(将棋連盟関係者)。注意の時点でルール上は負けなので、「佐藤さんマスクしてもらえませんか」、「分かりました」で済む問題ではないと彼らは言う。たしかに将棋には「二歩」(自分の歩がある筋に持ち駒の歩を打ってしまうこと)、「二手指し」「王手放置」などのうっかりミスによる反則があり、これらは、誰も注意などせず即、自動的に負けとなる。いってみれば、佐藤の「マスク負け」は「二歩」と同じということだ。「マスク外しは盤上のルールとは別のものですが、臨時対局規定に入っているわけですから、あいまいなものではないんです。これで“注意”などしたら、むしろマスクをしている棋士にとって公平性の意味でおかしいし、規定の意味がなくなってしまう。だから永瀬のしたことは正しいし、連盟の下した判断も間違っていません。  ただ、このマスクのルールは悪法だと思っています。ルールはルールなので、これは守らなければいけませんが、現状の対局状況を見れば、お互いが会話を交わす感想戦の時だけマスクをすること、という規定で十分だと思う」(前出・棋士)。

 天才たちも人の子だった

 このマスク反則負けルールは、「さすがにこれだけ警告すればマスクを外す人はいるまい」という性善説によって導入されたという。ところがトップリーグであるA級順位戦でまさかの反則負けが出て、将棋界が激震してしまったというわけだ。佐藤九段は11月1日、将棋連盟に裁定の取り消しと対局のやり直しなどを求める不服申し立てを行い、自らのSNSで申立書を公表した。前出の棋士が語る。「自らの行為については反省、お詫びを表明してはいるのですが、法的な相当性、公平性にまで言及して反則負けの取り消しを求めているため、連盟の執行部としても、弁護士を入れた協議が必要になるでしょう。正直、裁定が覆るとは思いませんが、佐藤康光会長は天彦と同じA級で残留争いを演じている利害関係の当事者。将棋界に禍根を残すことにならなければ良いのですが……」。今回の「事件」は、その一部始終が映像で中継されており、対局時の模様をファンが確認できる状態にあった。有力棋戦の多くがネット中継される今日、今回の「マスク問題」は現場にも甚大な影響を与えると見られている。「飲食のタイミングなどを除き、少しでもマスクを外せば、将棋ファンから『反則負けではないか』との指摘が出ることが予想されます。進行中の竜王戦をはじめ、カメラの前で対局する棋士は、これまで以上に”息苦しい”対局を余儀なくされるでしょう」(前出・連盟関係者)。名人3期の実績を持ち、「貴族」と呼ばれる実力者が起こした「天彦の乱」。将棋連盟はどのような結論を出すのだろうか。

 2022.11.1日、「反則負け「規定解釈を誤って適用」 佐藤天彦九段申し立て書全文」。将棋の佐藤天彦九段が日本将棋連盟常務会に提出し、ツイッターに公表した「不服申立書」の全文は以下の通り。
 ◇不服申立書
 日本将棋連盟常務会御中  

 私、日本将棋連盟所属棋士佐藤天彦は、2022年10月28日のA級順位戦の対局において、日本将棋連盟が2022年1月26日に定めた臨時対局規定に則(のっと)り、反則負けという判定(以下「本件判定」といいます。)を受けました。本件判定に対し、私は、臨時対局規定第4条が準用する対局規定第3章第8条第6項に基づき、不服申立てを提訴いたします。

  1 はじめに  

 はじめに、当該対局をご観覧くださっていたファンの皆様、スポンサーの皆様、また対局を整えていただきました関係各位の皆様に、最後まで対局を行えない事態となってしまい、大変申し訳なく感じております。本意ではございませんでしたが、このような事態となりましたことを深くお詫(わ)びいたします。  

 対局中、深い思考に入っていく中で、盤面に集中するあまり、盤面以外に関して意識が及ばず、ある一定の時間マスクを着用できていなかったことは事実でございます。マスク不着用の状況が続いたことにより、結果として対局相手の集中力を削(そ)ぐような影響があったとすれば、大変遺憾であり、対局相手であった永瀬拓矢王座にもご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。

 しかしながら、本件判定は、臨時対局規定の解釈を誤って適用されたものであり、かつ、著しく相当性・公平性を欠いたものであると考えているため、本件の不服申立てをいたしました。  以下、不服申立ての理由を説明いたします。

 2 状況の説明  

 私は、2022年10月28日のA級順位戦の対局において、終盤の局面に差し当たって、盤面に集中するあまり、盤面以外に関して意識が及ばず、ある一定の時間(合計約1時間に亘(わた)り)マスクを着用できておりませんでした。そのこと自体は事実であり、深く反省いたします。 しかしながら、その行為は故意によるものではなく、盤面に集中することによる失念・過失によるものでした。今まで私は、対局において長時間マスクを着用しなかったことはなく、今回、初めてマスク着用を長時間失念してしまいました。本件のマスク不着用が、故意によるもの、すなわちマスク着用を拒否する意思を表したり、対局相手に対する何らかの効果を期待して行ったものではないことをご理解いただきたく、ここに改めて申し述べます。

 3 本件判定の問題点

(1)臨時対局規定の解釈を誤っていること  本件判定は、対局中、一時的な場合を除き、マスク(原則として不織布)を着用しなければならず(臨時対局規定第1条)、対局者がその規定に反したとき、対局規定第3章第8条冒頭各号の違反行為に準じる反則負けとする(同第3条)という規定が適用された結果下されたものです。しかし、上記規定は、故意による規定違反だけでなく、過失による規定違反も含むのかについて明文化されていません。日本国の法律(刑法、道路交通法等)において、過失犯を処罰する場合には、明文を置くこととなっているように、規定に過失犯についての明文がない場合には、原則として故意犯のみを処罰する趣旨であると解釈されるべきです。なお、対局規定第3章第8条冒頭各号の反則行為(二歩など)は、過失について明文化されておりませんが、将棋のルールの性質上、それらの反則行為は当然過失によるものを念頭においているため、あえて明文化する必要がないのであって、将棋のルールと関連性のない臨時対局規定のマスク着用ルールを、他の反則行為と同様に、過失によるものを当然に含む規定と解釈することはできません。

 臨時対局規定が制定された経緯として、新型コロナウイルス感染症が蔓延(まんえん)したことにより、日本将棋連盟が棋士に対してマスク着用を推奨することとなり、大多数の棋士がマスクを着用して対局をしていましたが、一部の棋士があえて(故意に)マスクを着用しないで対局に臨むといった事態が生じていたため、マスク着用をルール上義務付けたという経緯があります。したがって、臨時対局規定の趣旨は、あえてマスクを着用しないという事態を防止するものであって、故意による違反を制限する規定であり、過失による違反を含まない規定であると解釈されるべきです。そして、マスク不着用が故意によるものであるのか、過失によるものであるのかの判定については、一度マスク不着用を指摘し着用を促せば、その後のマスク不着用は故意によるものだと推認できるため、その後に反則負けと判定すればよいはずです。よって、過失によるマスク不着用に対して、即時に反則負けを判定した本件判定は、遺憾ながら、臨時対局規定の解釈を誤った処分であるといわざるを得ません。

(2)相当性を欠く判定であること  

 一般的に企業等において、懲戒処分の内容が、違反行為の性質・態様、処分対象者の情状等の事情に照らして重いと判断される場合には、仮に文言上懲戒事由に該当したとしても、懲戒権の濫用(らんよう)と判断されて懲戒処分は無効となるのであり、これは相当性の原則として広く認識されているものです。失念によるマスク不着用によって、棋士にとって何よりも重要な、対局を継続する権利を奪われ、マスク着用を促されることもなく、直ちに反則負けとした本件判定は、失うものの大きさと違反行為の内容との間のバランスを著しく欠くものであったと考えております。通常の対局もさることながら、順位戦の対局の重要性と一局の重みは棋士であれば誰しもが理解するところであると思います。そのように重要な対局の権利の剥奪を行う場合は、状況を慎重に考慮してなされるべきであり、本件判定が、故意か過失かを問わず、かつ状況の改善が可能であるにも関わらず何らの注意も一度もなされないままで下されたのは、あまりに酷であり、この規定の本来のあり方(感染拡大防止のための牽制(けんせい)的な条項)と乖離(かいり)していると認識しております。

 また、現在、日本国政府においては、感染防止のためのマスク着用について、その扱いを緩和している最中であり、本人の意に反してマスクの着脱を無理強いすることにならないよう、丁寧な周知をすべきである、といった方針を取っています(厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部「マスクの着用に関するリーフレットについて(更なる周知のお願い)」)。公益社団法人たる日本将棋連盟が、その方針に反して、強制力をもってマスクの着用を強く義務付けるような本件判定は、相当性を欠く処分であり裁量を逸脱し無効であると判断されるべきです。臨時対局規定は抑制的に使われなければならず、注意・警告をしたにもかかわらずあえてマスクを着用しない場合等に適用されるべき規定と考えます。

 4 臨時対局規定そのものの問題点 (1)基準が不明確で、公平性が担保されていないこと

 臨時対局規定は、他の反則行為(二歩など)と異なり、反則負けとなる基準が明確なものではありません。マスク不着用が一時的なものか否か、その不着用の理由、故意の有無など、事実の評価を要する判断を重ねた結果適用されるべきものです。そして、判断権者は、原則として立会人が担当しますが、立会人が存在しない対局(本件もこれにあたります。)の場合、棋戦運営部担当理事や他の業務執行理事がその任を代行することになります(臨時対局規定第4条、対局規定第3章第9条第4項)。したがって、日本将棋連盟が2022年10月31日付で発出した「順位戦における裁定について」でも触れられているとおり、本規定は、判断権者が対局者と師弟関係にあったり、同じ順位戦のなかで順位を争っている者となる可能性を制度上内包しているものです。また、師弟関係でなくとも、対局者と判断権者が、個人的に交流が深いなどの事情も含めれば、判断権者としての公平性が疑われる場合は枚挙に暇(いとま)がありません。よって、判断権者による判断内容によっては、外部から見て恣意(しい)性が疑われる危険性があるため、本規定の基準自体をより明確なものに修正し、恣意性を排除する必要があると考えております。

 明確な基準として、例えば、マスク不着用の合計時間、注意をする回数タイミング等を定めることが考えられますし、反則負けとすべきかの即時の判断が困難である場合に備えて、対局自体は終局まで行った上で事後的に反則負けの存否を判断するなどの規定を定めることも検討されるべきと考えます。

 (2)規定の本来の目的との乖離が生じていること

 臨時対局規定の趣旨は、コロナ禍において、リスク管理を行いながら、滞りなく対局が行われるよう、一定の感染抑制効果があるマスクの着用を義務付けるものであると理解しております。そうであるならば、マスク不着用で一定時間経過した場合には、まず第1に直ちに着用を促し、いたずらに感染が広がることを防ぐこととなるような規定であるべきです。しかしながら、本規定は、マスク不着用のまま一定時間の経過があった場合、対局相手はそのまま時間を経過させれば、規定により自らの勝ちとなる可能性が高くなるため、勝敗がかかっている対局者心理からして、着用を促さない方が得であるというインセンティブが働く結果、コロナ感染を広げるリスクがあるといった、非常に危険な規定になっていると感じます。 したがって、本規定の趣旨に適(かな)うルールとするためにも、マスク不着用を指摘しマスク着用を促すルールとなるよう、規定の改善を望みます。また、本規定の本来の目的であるコロナ感染防止に重きをおくのであれば、そもそも、マスク不着用と対局の勝敗を直接的に結びつけるということが正しいのか、本来の目的に沿った形で、滞りなく対局を進められる方法や枠組みも含めて広く検討がなされるべきであると考えます。

 (3)臨時対局規定の改廃基準が示されていないこと

 現在の日本国においては、法律上マスク着用を強制されるものではなく、マスク着用に関する政府方針も時期とともに変化している状況ではありますが、感染拡大防止の観点から、一定の自由を制限する規定が必要であることは理解しており、何ら反対するものではなく、可能な限りルールを遵守(じゅんしゅ)したいと考えております。 しかしながら、今後も政府の方針が変更されることが予想される中、「臨時」対局規定にも関わらず、適用期限に明確な定めがなく、半年ごとに見直す、政府の方針にしたがって柔軟に協議する、等の補則がなく、規定改廃の基準が示されていないように見受けられます。一定の自由を規定にて制限する場合には、その制限が必要最小限であるかどうか、現状の社会の状況を鑑みて適切な運用かどうかを適宜判断することが必要であると考えます。  そのため、社会状況に併せて適宜判断の機会を設けるよう、臨時対局規定を改正いただきたく存じます。

 5 常務会に求める裁定

 以上に述べた理由により、下記裁定を常務会に求めます。
 記
(1)反則負け判定の取り消し
(2)対局のやり直し
(3)臨時対局規定の適用基準の明確化、規定の趣旨に反するルールの修正
(4)臨時対局規定の改廃時期・条件の明確化

 6 おわりに  

 私は棋士として、その時出せる最善の努力と決意を持って対局に臨んで参りました。  ファンの皆様、スポンサーの皆様、関係各位の皆様に、たとえ結果が伴わなくとも、力のこもった将棋を見せたいと思い、また、自分自身の目標のためにも、一手一手に心血を注いで指してきたことについては全く一点の曇りもございません。本対局において、自らの失念により対局相手に対して不安を抱かせるに至ったのであれば、私自身の注意不足、その至らなさ、配慮不足を痛感するところでございます。しかしながら、一棋士として、ただ盤面のみに全ての神経を集中させ、それ以外のことに意識が及ばないほどに懸命に盤に向き合ったこと、それ自体に関しては、どうしてもそれが間違っていることとは思えません。日々多くの棋士がそのような矜持(きょうじ)で対局に臨んでいるものと思われ、それこそが我々棋士が皆様に示すことができる姿勢であり、その結果をもって楽しんでいただければ、それが何よりの喜びであり、やり甲斐(がい)であると感じております。その点からしても、本対局を最後まで皆様にお見せすることができなかったことが非常に悔やまれてなりません。また私自身としてもこの対局を最後まで指させてもらいたかったというのが偽らざる正直な気持ちであり、途中で対局の権利を剥奪されたことは、深い悲しみを持って受け止めております。

 棋士であれば、深い思考に入っている時にどのくらい時間がたったか、時間感覚を失うほど集中してしまった経験が誰しもあると思います。その行為が、臨時対局規定により直ちに反則負けとなることは、どうしても正しい解釈・運用のあり方とは思えません。  失った対局は戻ってきませんが、現状のままでは、本来の棋士のあるべき姿勢を萎縮させ、自分自身を含む多くの棋士が、深い熟考に入ることに躊躇(ちゅうちょ)や恐れを感じてしまうのではないかと考え、本規定を本来の棋士の使命を果たすことを妨げない形で、公共の福祉にも適うものに改善していただきたく、提訴を行うことを決意いたしました。  対局の権利を剥奪されるということが我々棋士にとってどんなに重いものか、常務会の皆様、理事の皆様は重々承知であるかと存じますが、今一度、全ての棋士が曇りない気持ちで盤に臨み、ただただ良い将棋を指したいという気持ちを萎縮させることなく、最大限棋士の実力を発揮できるような規定とその解釈・運用がどのようなものであるのか、賢明なご判断をいただきますよう何卒(なにとぞ)よろしくお願い申し上げます。

 2022年11月1日 日本将棋連盟所属棋士 佐藤天彦




(私論.私見)