「秀策の碁」論/考

 (最新見直し2013.05.22日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「秀策の碁論/考」をものしておく。

 2005.6.4日 2013.6.04日再編集 囲碁吉拝


 「席亭の囲碁日記」の2005/03/26付けブログ「本因坊秀策」。
 久々長文を書いてみる。私の好きな棋士についてあれこれを書くシリーズです。

 言わずと知れた棋聖本因坊秀策。私が秀策を並べたのは高校生のとき。日本棋院から出ている『秀麗秀策』でした。その後大学に入ってから、日本囲碁体系『秀策』、秀策全集(旧版、全4巻)、秀策全集(最新版、全5巻)と並べました。どの本でも少なくとも2,3回は並べているので、著名局だったらかなりの回数を並べこんでいます。

 秀策は、江戸碁の完成者であり、その後棋聖とたたえられ多くの日本の棋士の教本となりました。日本の碁の伝統に大きい影響を与えた棋士といえるでしょう。秀策の碁のすばらしさは一言でいえば「完成された美」です。初手から結局に至るまで、本手本手で押していきそのまま自然な形で押し切ります。貪るとか力むとか誤魔化すとかといった部分が皆無で、普通に打ち普通に勝ちます。これは奇跡的なことです。秀栄名人が「1局に1回くらいは打ちにくい手を打たないと勝てない」という意味のことを言っていますが、そういう部分がほとんどないのです。(もっとも秀策の碁の基本は先番必勝で、秀栄のように白番でこなすという要素が少ないからかもしれないですが)

 あまりに端正な碁なので人間臭さがなく、それだけにその後の歴史の中で神格化されやすかったとも言えるでしょう。並べてみればわかることですが、秀策の碁から感じられるのは「個性」というよりも「適切さ」というようなものなのです。すさまじい勝利への執念を感じさせる丈和や、変幻自在の秀和などとは対照的です。


 ということで秀策は棋譜並べ入門によい素材なのでお薦めします。スタンダード、オーソドックスといった言葉が良く似合う秀策ですから、棋譜並べのよき水先案内人になってくれるでしょう。秀策で基本線を身につければ、他の棋士の個性がよりよく見えてくるでしょう。秀策の碁を並べる上での楽しみ方を幾つか。

 やはり本格的に並べるなら全集です。秀策に限らず、一人の棋士の誕生から死までを伴走してみるといろいろな発見があります。秀策もまた然りです。秀策は非常に慎重で、また経験を大事にします。ある布石の型で失敗すると以降同じ形をほとんど選びません。逆に勝ちやすい布石を見つけると繰り返し使います。所謂秀策流です。秀策流は7手目のコスミが有名ですが、そのほかいろいろなパターンがあり全集で並べるとよくわかります。秀策流はシステム布石の第一号といえるかもしれません。修行時代の秀策は必ずしも布石が上手くなくて、全集で並べていくと一局一局、一手一手秀策が自らを磨きあげてゆく過程が見えて面白いです。

 囲碁の天才には2種類あり、早見えで才気走った「創造の天才」と、無限の囲碁の変化に黙々と立ち向かい続ける忍耐力を持った「熟慮の天才」(やや言葉のすわりが悪い)があります。「創造の天才」には道策、秀和、秀栄、呉清源などが挙げられ、「熟慮の天才」には秀策、木谷実、李昌鎬などが挙げられます。

 秀策が秀策らしく勝った名局もいいのですが、ときには劣勢に陥ってクソ粘りしている碁なども並べてみると面白いです。秀策の苦戦の碁としては、御城碁での松和戦が有名ですが他にも数局あります。そういった碁で見せる「腕力」には凄まじいものがあります。逆にいうとこれだけの力を持ちながら、それを抑制し全局に調和を持たせていることに神秘的なものを感じてしまうくらいです。書いているうちに久しぶりに全集を並べたくなってきました。
 「席亭の囲碁日記」の2007/07/16秀策の布石」。
 最近周辺のブログで本因坊秀策の話題が多いので。

 最古のシステム布石といっていい秀策流布石。これは秀策が練りに練った布石案で、実戦で繰り返し使用しながら「最善手順」を追求していってできたものなんですね。よくない手だなと思うと2度と打たないのね、秀策先生。そして別の工夫をする。秀策全集を通しで並べるといろいろ面白いですね。

 有名な御城碁、秀策の白のなかでも五指に入る名局と思われます。御城碁譜の瀬越憲作評は「白の手段は理詰めで一点の隙も無い。好局といってよいだろう」。ただこの碁は相手が天保四傑の一人坂口仙得に対する白番ということもあって、勝つのに苦労した碁でもあります。なかなか先着の効が消えず、大寄せの段階で黒が決め手を欠いたので逆転できたという感じの碁です。秀策先生、この布石には不満があったみたい。

 前図の御城碁から一月後、弟弟子の三五郎との一局。三五郎は、村瀬弥吉(のちの秀甫)と「ポスト秀策」を争った逸材でしたが夭逝します。秀策先生、7の掛けに手抜きするという工夫に出ます。当時、この7の掛けは多用されていた手法で、掛けられた方も決まり手のように一間に跳んで受けていました。(図1参照)これを手抜きして先を急ぎつつも、捨てた4の白一子の動き出しを含みにして動こうという趣向です。こうしたほうが変化が難しくなり先着の効を崩しやすいと考えたのでしょう。

 ただしこの碁は秀策の拙局。白16から黒模様に臨みましたが、黒19、21が厳しく、さらに黒29の痛打を食らって結局9目負け。この碁は三五郎の代表作といえますが、このように力感スピード感あふれる打ち手でした。

 2年経過して、秀策最晩年のハイライト、対秀甫十番碁の第6局です。これも秀策白の名局。この碁では前図の対三五郎戦をさらに修正しています。黒7の掛けに手抜きは同じ趣向も、その先手を白8と左辺わりうちに向けています。三五郎戦では左辺が模様化し、そのサバキに苦しみましたから、ここを早期に処理したほうがいいという判断。そしてシマリよりも白12を重視している点も注目。これは白20以下の動き出しに備えた手です。

 この3枚の棋譜を見るだけでも、秀策が実戦例(経験)を研究して工夫を重ねていたのがわかります。もちろん誰でもすることではありますが、こういうことを誰よりも徹底的に行なっていたのが秀策なのです。秀策は堅実で穏健的な手法が多いので工夫が見えにくいのですが、実はコツコツと細かい点を改良しているのです。秀策流布石が「黒番必勝の布石」という評価を得たのもこうした地味な改良を重ねた結果なんですね。
 「席亭の囲碁日記」2007/07/24秀策 (3)」。
 「秀策のお話」を読みましたが、面白かったです。

 私の秀策観を一言で言うと、
1)小さい頃から滅茶苦茶強かった。とにかく負けない碁だった。
2)勝つため(負けないため)の努力工夫を人一倍する人だった。

ということです。当たり前のようなことだけど、秀策ってそういう人だと思います。

 秀策は、全盛期の碁しか知らないとそう感じませんが、幼いときは結構感覚的に暗いところがあったんですね。秀策が12才のときの碁で、秀和はこのとき既に一流の域に達し、この年の秋には対幻庵争碁が始まります。この黒1なんか感覚的にはかなり問題がありそうで、すごく違和感があります。案の定、このあと秀和にどんどんこなされていきます。年齢棋力を考えれば仕方ないのかもしれませんが。

 ただそのあとが「秀策」なのです。もうほとんど追いつかれたというところから一歩も引かないんですね。中終盤の力が異常(本当に異常)で、後半はとても三子の下手とは思えないつっぱりよう。秀策の「強さ」というのは非常に地味だけど、この部分なんだと思います。

 才能のきらめきという点では、むしろ秀和、秀甫のほうが華々しい。秀甫などは戦いに持ち込んで文字通り圧倒するという感じで、非常に強い。「勝つ」強さです。秀策は逆で、「負けない」強さなんですね。(もちろん圧倒して勝つことも多いですがね)

 「耳赤」で有名な幻庵との大阪シリーズで、秀策(当時四段)は先番をすべて勝ちました。(打ち掛け含む)幻庵は後に「秀策は既に上手(七段)の域に達していた」とコメントしています。しかし幻庵を圧倒していたかというとそうでもありません。中押し勝ちの碁はともかく、作り碁になった対局はかなり苦労して勝っています。むしろ白番の幻庵の妙技に拍手を送る人が多いかも。ただし負けなかった。本当に秀策の「負けない力」というのは異常で神秘的ですらあります。

 秀策は天才なのでしょうが、その才能は実は非常に地味な分野で発揮されるものだったと思います。




(私論.私見)