道策論

 (最新見直し2013.05.22日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで道策の生涯履歴を確認する。

 2005.6.4日 2013.6.04日再編集 囲碁吉拝


【諸氏の道策評】
 本因坊道策(1645~1702)は、「前に古人なく、後に来者なし。古今独歩の名人、碁聖」と讃えられる。秀策は御城碁で19戦19連勝無敗の記録を遺しているが、道策も黒を持ったら全勝無敗である。秀策の無敗神話は彼が御城碁の成績に拘り、2子局を拒否したりしたことによる。 
 本因坊丈和のコメント

 江戸後期の名人、道策と同じく棋聖と呼ばれた本因坊丈和は、道策と打てば最初の十戦は研究が進んでいるため五勝五敗だが、その十戦で手の内は読まれるため以後は一勝もできないだろうと答えている。
 呉清源九段のコメント

 棋力13段といわれる碁聖道策師は、いまその譜を並べ直してみても、敬服に値する棋士であることを、痛感いたします。当時の古風な力碁に対して合理的な思考を打ち出して、近代的感覚の第1歩を踏み出した功績は偉大なものというべきでしょう。道策師は合理的布石を創案し、手割による考え方から、相手を凝り形にする手法を好んで用いました。また、たとえ、手割上は損でも、大場に先鞭出来る場合は、平気で石を捨てて打つ、つまり、述語で言う「打ち越し」を実行しているのでその点学ぶべきものがあります。石を外まわりに導き、石をいっぱいに働かせて打っています。道策の打ち碁の中から特色のある34譜を選抜しました。この34局によって、碁聖道策師の優れた碁の考え方をご自分のものとして、一段と碁を進められることを希望いたします。
 酒井猛九段のコメント

 道策の碁には、碁のあらゆるものがある。強烈無比の攻め、鮮やかな凌ぎ、雄大極まりない大作戦、そして時にはものすごい地のからさ、それが次の瞬間には全く別の方向に転換したりもする。必要な時に必要な手がおのずと湧いてくるという観があり、盤上に響き渡る一手一手は、何度並べても感動を呼ぶのである。それはまさに天来の妙音でもあった。
 「玄妙道策」 酒井猛九段 日本棋院 1991年

 酒井猛九段が日本棋院の役員を退いて間もなく、縁あって、芝浦の料亭「牡丹」で酒井猛九段と同席する機会があった。そのおり、酒井猛九段からこの「玄妙道策」を頂いた。いつか紹介しようと思っていたが、この本はわたしには手強すぎて、どう紹介したらいいのか迷っていた。なにしろまだ眺めただけで読み終わったとはとてもいえない。紹介された13局、一度は並べたいと思っていたが、できずにいるのだ。忸怩たる思いがする(ところで忸怩ってどんな意味?)。

 第一章では道策の特徴を解説している。たとえば手順の妙、普通に見える手でも手順を変えると妙手になる。なぜここでこの手をと、プロが見ても打ちすぎと思っていると、何手か進んでみて、その手が生きてきて、ようやく意味が判る。それを打たれた時は気がつかない。

 その辺りを読んでいてある外交官の話を思い出した。イギリスの外交官と普通に何気ない話をしている。帰りの自動車のなかで、いきなり冷や汗が出てくる。相手の言葉の本当の意味を、その時になって気がついたのだ。道策の相手はそんな気分ではなかろうか。

 酒井猛九段でさえ、棋譜の間違いではないかと思うことがあるそうだ。一見すると損だと思えるが、よくよく考えると実は得だった。そんな手を道策は実戦で打つのだ。序盤の十数手は確かに古いと思えるところもあるが、その後の碁の本質的な部分は驚嘆する、という。

 わたしが酒井猛の名を知ったのは大手合い改革案だった。三十年ほど前、タイトル戦全盛の時代に大手合だけで段位を決める矛盾が問題となった。当時改革案を公表した人がいた。それが酒井猛だった。その改革案は論理的・合理的であったが採用されず、検討されたのかどうかも知らないが、今では大手合そのものがなくなってしまった。

 わたしは囲碁界にこれだけ合理的に考える人がいるのにびっくりした。囲碁界というのは天才の集まりであるが、それは囲碁の能力に限られる。世間知も天才とはいかない。歌の天才は歌がうまい。料理の天才は料理がうまい。囲碁の天才は碁が強い。一般的に碁界の天才には、その他にも長ける人が多いと思う。中山典之の筆のように。酒井猛は大手合いの改革をも考えられる人だった。
 壊すことは誰でもできる。わたしも某首相も。だが再建することができない。そして再建を考えられる人が能力のある人なのだ。

 この本の内容についてもなんとか紹介しようと思ったが、わたしの手に余る。そこで今回は、文字通り本の紹介だけで、終わりにさせて頂く。なお著者酒井猛となっているが、実際にペンを手にしたのは中山典之である。この本は書き直しに次ぐ書き直しで、いつもの10冊分ほどの労力を使うことになったという。

 謫仙(たくせん)(2008.9.5)


【福井正明氏の道悦、道策評】
 「岡目八目」の「福井正明 (1)道策全集で古碁のとりこに」(寄稿連載 2010/03/30読売新聞掲載)。
 「古碁」という言葉をご存じでしょうか。

 読んで字のごとく「古い碁」のことで、具体的には江戸時代から明治・大正期までの碁を指します。

 そして私が古碁に興味を持ったのは、もうかれこれ50年ほど前になりますか。プロ棋士になるべく修業をしていた10代の頃、院生時代にさかのぼります。

 碁好きだった親父(おやじ)が買ったのでしょう。家に「本因坊道策全集」があり、それを手に取ったことが、古碁との出会いとなりました。値段が10円だったということを、なぜか鮮明に憶(おぼ)えています。

 和綴(と)じ本の美しさにも魅了されました。ほのかに和紙のにおいが漂ってきて、何とも言えぬ格調の高さのようなものを感じたのです。よほど興味を持ったようで、私は紙にキリで穴を開けて束ね、そこに糸を通して手製の和綴じ本を作ったりもしました。もちろん出来上がった物は、とても「本」と呼べるような代物ではなかったのですが…。

 さて本因坊道策ですが、古碁になじみのなかった当時の私でも、さすがにこの大棋士の名前は知っていました。

 とはいえ初めはやはり「大名人と言っても、しょせんは300年も前の碁だろ」と侮る意識があったのですが、いざ全集を並べ始めるや、瞬く間にその奥深さのとりことなってしまったのです。

 収められている棋譜のすべてが、完璧(かんぺき)としか言いようのない芸術作品。囲碁という遊戯の究極の姿が、そこにはありました。

 この時の感動が50年を経た今も、私を古碁の世界にひき付けているのです。

 古碁、すなわち江戸時代の碁は、現代と違って持ち時間が無制限でした。

 従ってファンの皆さんとしては、「何日もかけて一局を打っている」という「ものすごく時間の長い勝負」をイメージするかもしれません。

 しかし実際はそれほどでもなく、1日で決着がついている碁が大半と言っていいでしょう。それどころか「早く終わってしまったから、もう一局」とばかりに、1日で二局打っていることも、決して珍しくありません。

 本因坊秀策などは長考派として知られていますが、無駄に長く考えているのではなく、きちんと意味のある所で長いのです。そして時間を使っただけあって、実際に「う~ん」とうならされる素晴らしい作品となっています。

 また時間に制限がないということで言えば、「出来上がった棋譜が美しい」という大きな利点があります。

 どういうことかと言いますと、現代の碁は秒読みの中で、時間つなぎという必然性のない着手を打たざるを得ず、それが棋譜に残ってしまうのです。

 さらに相手に時間がないからこそ、間違いを期待する勝負手を放つわけですが、これも見方によっては「棋譜を汚している行為」と言えなくもありません。時間があれば間違いも期待できないので、今の人だってゴチャゴチャをやるわけもないのですから…。

 決して今の秒読み制度を否定しているわけではありませんが、現代の碁が一部で「時間がないから間違える可能性がある→だから相手もそこを期待してしまう」という傾向にあることは事実でしょう。

 ファンの方と古碁に関する話をしていると必ず尋ねられるのが「歴代の名人で一番強いのは誰だと思いますか?」という質問です。

 どの世界においても「最強者論議」は盛んなようで、囲碁界もその例にもれないわけですが、実は私は、こうした議論にほとんど興味がありません。というより「時代の異なる人を比較しても仕方がない」と思っているのです。

 そもそも囲碁というゲームは、時代とともに進歩するものなのか――。現代の音楽がモーツァルトやベートーベンを超えているとは言えないように、囲碁もまた現代が過去にまさっているとは言い切れないでしょう。

 仮に現代の囲碁が進歩しているとしても、だからといって「古い時代の碁は価値がない」というものではありません。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた水泳の古橋広之進さんの記録を現代に当てはめると、女子選手よりも遅くなってしまいますが、だからといって古橋さんの偉大さが損なわれるものではないのと、まったく同じ理屈です。

 どんな時代でも、その時代におけるナンバーワンは偉大なのです。誰もが全身全霊をかけて頂点を目指しているのですから、その中で第一人者になったという事実に、後世の人間は敬意を払わなければならないと考えます。

 そうした理由で私は「誰が実力ナンバーワンか?」という問いには返答しかねるのですが、意図を変えて「誰を最も尊敬するか?」という質問なら、明確に「本因坊道悦」と答えることができます。

 次回は、この道悦についてお話ししましょう。

 本因坊道悦と聞いてピンとくる囲碁ファンは少ないと思いますが、私は個人的にこの道悦を最も尊敬しています。

 史上最強の呼び声も高い本因坊道策の師匠だからというだけではなく、「道悦こそが囲碁史上で、最も碁打ちとしての気骨を示した人物」だという認識があるからです。

 寛文8年(1668年)、幕府から安井算知に名人の認可が下りたのですが、道悦はこれに対し「納得できない」と、猛烈な異議申し立てを行ったのです。

 これだけだと、単なる碁打ちの権力争いと受け止められてしまうかもしれません。しかし当時の社会の仕組みを考えると、これは「お上に盾突く」とんでもない行為なのです。道悦としては、幕府を相手取ってのけんかであり、遠島も覚悟した命がけの異議申し立てなのでした。

 道悦の剣幕と熱情に押されたのでしょうか。幕府から算知との争碁の許可が下りました。そしてこの争碁は、やがて「利あらず」と見た算知が名人を返上し引退するという結末に終わりました。

 命がけの抗議が実を結んだわけですが、道悦の真のカッコよさはこの後です。「お上を騒がせた」責任をとって自らもまた、弟子の道策に家督を譲って引退したのです。

 以降、江戸時代の囲碁界には「身命を賭して名人を争う」という精神が脈々と受け継がれていくことになり、この精神が日本の囲碁レベルを飛躍的に押し上げました。

 現代の棋士が碁で食べていけるのも、すべては道悦のおかげであり、私は「囲碁史上最大の恩人の一人」と思っているのです。

 (囲碁棋士九段)(おわり)






(私論.私見)