古碁、すなわち江戸時代の碁は、現代と違って持ち時間が無制限でした。
従ってファンの皆さんとしては、「何日もかけて一局を打っている」という「ものすごく時間の長い勝負」をイメージするかもしれません。
しかし実際はそれほどでもなく、1日で決着がついている碁が大半と言っていいでしょう。それどころか「早く終わってしまったから、もう一局」とばかりに、1日で二局打っていることも、決して珍しくありません。
本因坊秀策などは長考派として知られていますが、無駄に長く考えているのではなく、きちんと意味のある所で長いのです。そして時間を使っただけあって、実際に「う~ん」とうならされる素晴らしい作品となっています。
また時間に制限がないということで言えば、「出来上がった棋譜が美しい」という大きな利点があります。
どういうことかと言いますと、現代の碁は秒読みの中で、時間つなぎという必然性のない着手を打たざるを得ず、それが棋譜に残ってしまうのです。
さらに相手に時間がないからこそ、間違いを期待する勝負手を放つわけですが、これも見方によっては「棋譜を汚している行為」と言えなくもありません。時間があれば間違いも期待できないので、今の人だってゴチャゴチャをやるわけもないのですから…。
決して今の秒読み制度を否定しているわけではありませんが、現代の碁が一部で「時間がないから間違える可能性がある→だから相手もそこを期待してしまう」という傾向にあることは事実でしょう。
ファンの方と古碁に関する話をしていると必ず尋ねられるのが「歴代の名人で一番強いのは誰だと思いますか?」という質問です。
どの世界においても「最強者論議」は盛んなようで、囲碁界もその例にもれないわけですが、実は私は、こうした議論にほとんど興味がありません。というより「時代の異なる人を比較しても仕方がない」と思っているのです。
そもそも囲碁というゲームは、時代とともに進歩するものなのか――。現代の音楽がモーツァルトやベートーベンを超えているとは言えないように、囲碁もまた現代が過去にまさっているとは言い切れないでしょう。
仮に現代の囲碁が進歩しているとしても、だからといって「古い時代の碁は価値がない」というものではありません。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた水泳の古橋広之進さんの記録を現代に当てはめると、女子選手よりも遅くなってしまいますが、だからといって古橋さんの偉大さが損なわれるものではないのと、まったく同じ理屈です。
どんな時代でも、その時代におけるナンバーワンは偉大なのです。誰もが全身全霊をかけて頂点を目指しているのですから、その中で第一人者になったという事実に、後世の人間は敬意を払わなければならないと考えます。
そうした理由で私は「誰が実力ナンバーワンか?」という問いには返答しかねるのですが、意図を変えて「誰を最も尊敬するか?」という質問なら、明確に「本因坊道悦」と答えることができます。
次回は、この道悦についてお話ししましょう。
本因坊道悦と聞いてピンとくる囲碁ファンは少ないと思いますが、私は個人的にこの道悦を最も尊敬しています。
史上最強の呼び声も高い本因坊道策の師匠だからというだけではなく、「道悦こそが囲碁史上で、最も碁打ちとしての気骨を示した人物」だという認識があるからです。
寛文8年(1668年)、幕府から安井算知に名人の認可が下りたのですが、道悦はこれに対し「納得できない」と、猛烈な異議申し立てを行ったのです。
これだけだと、単なる碁打ちの権力争いと受け止められてしまうかもしれません。しかし当時の社会の仕組みを考えると、これは「お上に盾突く」とんでもない行為なのです。道悦としては、幕府を相手取ってのけんかであり、遠島も覚悟した命がけの異議申し立てなのでした。
道悦の剣幕と熱情に押されたのでしょうか。幕府から算知との争碁の許可が下りました。そしてこの争碁は、やがて「利あらず」と見た算知が名人を返上し引退するという結末に終わりました。
命がけの抗議が実を結んだわけですが、道悦の真のカッコよさはこの後です。「お上を騒がせた」責任をとって自らもまた、弟子の道策に家督を譲って引退したのです。
以降、江戸時代の囲碁界には「身命を賭して名人を争う」という精神が脈々と受け継がれていくことになり、この精神が日本の囲碁レベルを飛躍的に押し上げました。
現代の棋士が碁で食べていけるのも、すべては道悦のおかげであり、私は「囲碁史上最大の恩人の一人」と思っているのです。
(囲碁棋士九段)(おわり)