生涯履歴 |
(最新見直し2013.05.22日)
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ここで道策の生涯履歴を確認する。 2005.6.4日 2013.6.04日再編集 囲碁吉拝 |
囲碁史会会報第36号(平成25年3月)掲載「棟方志功の「棊聖道策」について」
島根県浜田市で発行されていた新聞/石見タイムズに「棊聖道策」という連載があり、その挿絵を棟方志功が担当した。石見タイムズは、島根県浜田市で1946年7月1日創刊の旬刊紙/・田新聞を前身に、1947年7月1日に週刊紙となったことにともなって改題された地方新聞で1972年まで続いた。満州日々新聞で活躍していた小島清友が社長、息子の小島清文が主筆として、地域に根づいた話題やニュースを報じるとともに、地域文化の興隆のためにさまざまな連載やイベントを積極的に企画した地方新聞だった。その石見タイムズは1956年11月3日号より「棊聖道策」の連載を開始している。作者は此木喬とあるが、これは筆名で、元商工省の水谷良一のことである。水谷は1901年に愛知県西枇杷町に生まれ、一高、東大法学部を卒業後、1924年に内閣統計局に入局、1938年に商工省に転じ、1943年に東京鉱山監督局長就任、1944年に退官後は日本時計協会理事長など通商産業省の外郭団体の役員を歴任し、1959年4月に58歳で死去したとある。一般的には水谷良一は棟方志功の理解者として知られており、棟方志功が文化的、宗教的な関心を持ち、作品制作に深みを増してゆく背景に大きな影響を及ぼした人物である。この連載も、小島清友と縁のある水谷良一が、棟方志功を誘って実現した企画だろう。此木喬(水谷良一)の連載内容の簡単な概要および棟方志功の挿絵について一話ごとに確認しておく。
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(私論.私見)