囲碁吉の天下六段の道、囲碁哲学編 |
更新日/2018(平成30).9.3日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで、「囲碁吉の天下六段の道、囲碁哲学編」を書きつけておく。 2018(平成30).9.3日 囲碁吉拝 |
【囲碁から学ぶ自由とは何か論】 |
囲碁を通して哲学的な「自由とは何か」を悟ることができる。ここで得た自由論物差しで世間市井の自由論と比較対照させておくのも一興と心得、書き付けておく。 囲碁自由論は、19路×19路の盤上のどこに打っても自由なのかどうかの可否判断から入る。結論は、囲碁ルール的には自由であり、序盤における一線、二線着手は禁止されてはいない。よって打つことができる。但し、序盤における一線、二線着手が見かけられないのは、石の効率を求める棋理において、これに反するからである。大体において三線、四線辺りが相場とされている。但し、五線、六線打ちは排除されていない。少なくとも一線、二線打ちよりは有望であり、今後の研究が待たれていると云えよう。以上より結論的に言えば、囲碁に於ける自由とは、棋理に叶うという縛りの下での着手自由であることが分かる。このことを的確に知っておくことが肝要である。 ところで、世間市井の自由論の中には、囲碁自由論的縛りを外した状態での得手勝手し放題自由の礼賛傾向が見られる。囲碁自由論から言えば、そういう無基準な恣意的放縦的自由はありえない。これを哲学的な自由論として論ずれば、そういうことが囲碁を通して分かることになっている。囲碁が社会的に有用な所以がここでも認められると思う。 2015.08.27日再編集 囲碁吉拝 |
(私論.私見)