石好み、囲碁に学ぶ大局観(足立敏夫「囲碁と経営」研究家)

 (最新見直し2016.1.23日)

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 ここにサイト「囲碁に学ぶ大局観(足立敏夫「囲碁と経営」研究家)」を転載しておく。

 2016.1.23日 囲碁吉拝


【囲碁に学ぶ大局観第1回、底知れぬ囲碁の深さ】
 「囲碁に学ぶ大局観第1回、底知れぬ囲碁の深さ」。足立敏夫「囲碁と経営」研究家(元・羽衣国際大学教授)
 出所:株式会社キャリアクリエイツ月刊誌「LDノート」4月号(2011 年)
 囲碁(棊とも書く)の起源は、中国最古の王朝・夏時代(紀元前2070~1600 年頃)に遡るとされています。確たる物証(碁盤、碁石など)は発見されていませんが、傍証や伝承などから推測された定説となっています。物証としての世界最古の碁盤は、西暦182 年に中国・河北の古墳から副葬品として出土したものしかありません。中国以外にインド起源説、中近東説などもあります。当初は、17 路×17 路の289 の交点を持つ格子模様を小宇宙に見立て、占いが行われていたようです。当時、1 年の日数は289日と考えられていたのでしょう。盤中央を太陽(天元)とし、それを囲む8つの星を配し、4隅を四季、4辺を東西南北、交点数を年間日数と定め、白・黒の石でそれぞれ陽・陰を表すことにより、色々な占いを行ったと考えられています。春秋戦国時代(紀元前8~3世紀)になって、格子数が現代と同じ19 路×19 路の361 交点に変化しています。おそらく天文に関する知識の発達が変えたのであろうと思われます(下図参照)。諸々の占いと並行する形で、囲碁の原型としてのボードゲームが派生し、春秋戦国時代に至って現代にも通じる囲碁の基礎が築かれたと考えられています。この時代は、諸子百家(老子、孔子、荘子、墨子、孟子、荀子、孫子など)争鳴の時代であり、中国における思想、哲学、兵法の揺籃期です。特に、囲碁が教える宇宙観、大局観、戦略性は、孫子兵法などの武経七書の奥義に生かされ、さらにそれ以降の進化は、戦争理論に止まらずあらゆる組織(営利・非営利を問わず)の経営にまで影響を及ぼし続けています。
 さて、ゲームとしての囲碁のルールは極めてシンプルです。二人のプレイヤーが黒と白の円い石を交互にそして任意に盤上の交点に置き、互いの囲みの大きさを競い合います。では、なぜこの単純なゲームが数千年を経た今日まで愛され続け、広範な分野に影響を与えてきたのでしょうか? 囲碁の理論上のゲーム数は、1ゲームの平均着手を150 手とし、また明らかに無意味な着手を排除しても、10/180以上はあり得ると計算されています。無限に近い、途方もない数です。ちなみに、全宇宙に存在する素粒子の数が10/80程度とされていることからすれば、その多さに愕然とします。そして、その深淵さが故に易学に用いられたことも容易に頷けます。昨今のコンピュータ(ハードとソフト双方)の急速な発達で、囲碁、将棋、チェスなどの分野で、人間とコンピュータとの智力比べが話題になっています。中でも。1996年に世界的に話題となりましたのが、チェスの人間対コンピュータ対決です。IBMソフトとチェス世界チャンピオン・カスパロフとが対戦し、コンピュータの1勝2 敗2 引き分けであったというニュースが世界を驚かせました。コンピュータが史上初めて人間に勝ったのです。IBMの威信をかけた公開試合でもありました。チェスは8路×8路盤であり、その理論ゲーム数は多くて最大10/64です。これは囲碁に比べれば桁はずれに少なく、将棋の10/81(9路×9路)と比べても少ないこと分かります。このようにゲームソフトの開発競争は、囲碁や将棋の世界でも熾烈を極めています。今日現在の将棋ソフトの実力は、アマチュア県代表クラス位までは来ており、終盤の読み競争になるとプロ棋士もたじたじのレベルのようです。方や囲碁ソフトの実力は、未だアマチュアの3~5段がやっとであり、プロ棋士には遠く及ばないレベルです。それは、囲碁の10/180というとてつもない理論変化数にあると考えられます。さすがのスーパーコンピュータも人間・プロ棋士には遠く及ばず、追いつくためにはハード・ソフト開発における発想の転換がなければ不可能に近いのではと思われます。人間の頭脳(左脳と右脳の相乗作用)の凄さそして神秘性を改めて感じます。 

 囲碁のプロ棋士九段の允許状には、”貴殿夙(つと)に棋道の蘊奥(うんのう)を究め、手段超凡技霊妙にして、将に神域に達す・・・・“と記載されています。大げさではないように思えます。このように奥深い囲碁に関し、時代はかなり下りますが、中国・南宋時代(1127~1279 年:日本の鎌倉時代)に成書となった『玄玄碁経』があります。これはつとに囲碁哲学・本質を著した不朽の名著とされています。この中に、現代にも通じる囲碁理論、大局観、戦略性の真髄が書かれていますので、以下にその一部を紹介します:
 名人上手は、守りには分をわきまえ、争いに際しては堂々と義をもって立ち向かい、礼を失するような打ち方はせず、形勢判断にあっては智をもって的確に処置する。
 まさに碁に言う布石や戦略、どう攻めどう守るかと云うようなことは、国が政令を施行する時機のつかみ方や軍事行動を取る作戦と似ており、碁を習うことは、取りも直さず平安な世にあっても乱世に処する志を常に忘れぬ戒めともなるもの。・・・・
 碁は充分な計画の基に正しく布陣することによって優勢を占める様心掛け、権謀策略を存分に用いて相手を制することが肝心。心の内で充分計画を練ってこそ良い成果を収める。・・・・
何事にも物事には骨格・規範がある。碁ではそれが初めに置く石の配置である。碁は初めに正しく布陣することが肝要であり、勝つためには奇策、術策を用いること。敵を良く知る者は強く、相手を軽く見る者は敗ける。・・・・・・

 このように囲碁は、分析力の向上、発想の柔軟性、直観・洞察力の涵養、そして集中力の強化、に効果があるといわれます。即ち、左脳(論理)と右脳(感性)のいずれをもフルに使って、物事の本質を捉える思考プロセスの大切さを教えてくれます。<以上>

【囲碁に学ぶ大局観第2回、3つの目】
 「囲碁に学ぶ大局観第2回、3つの目」。足立敏夫「囲碁と経営」研究家(元・羽衣国際大学教授)
 出所:株式会社キャリアクリエイツ月刊誌「LDノート」5月号(2011 年)
 囲碁に学ぶ大局観とは、局所的な争いに惑わされず、常に盤面全体を眺めて自陣の形勢を総合的に判断することです。その上で次の一手をどこにするかを決断します。高い棋力を身につけるには、若年ほど有利とされています。その理由は、頭脳の働きが柔軟な年齢で覚え、継続することで右脳(感性・直感力・パターン認識力)と左脳(論理力)の相乗機能が発達しやすいとされています。しかし、齢を重ねても諦める必要は全くありません。老若男女を問わず、囲碁を楽しみながら打つことで棋力(特に、大局観・推理力・読む力)は着実に向上します。しかも、囲碁以外の分野に必要な諸々の脳機能が同時に刺激されることで、集中力や思考力の向上はもとよりボケ防止にも有効という研究報告があります。
 さて、今月のテーマ、囲碁によって習得する“3つの目”に戻りますが、人生であれ、いかなる組織であれその経営にあたって心掛けるべき要諦があります。1つは、羅針盤(自らを制約すべき条件)としての理念・信条を確認すること、2つには、向かうべき方向を示すビジョン(=具体的目標)を描くこと、3つには、ビジョン達成の行く手を阻む外部環境の変化を適時・適確に予見し、精査することです。そして第4には、目標達成のために必要な“戦略”(=方策)を練り上げて行くことです。さらに、第5として、内外の諸事情の変化によって想定シナリオから大きくずれた場合に備え、何らかの対応策を用意しておくことも忘れてはなりません。これら5つの要諦を網羅し、成功の確率を高めるために不可欠なツールとして、巷間いわれる“3つの目”(鳥の目、魚の目、虫の目:下記)を使う習慣をつけることも大切です。このことも、囲碁ゲームを楽しみながら身につくメリットです。
 国難である今回の東北大震災の復興マネジメントにあたっても、政府はこれら要諦を踏まえた計画・工程表をつくり、それを強力なリーダーシップによって確実に実行されむことを期待するものです。囲碁においては、相手の“想定外”の着手に対し正しい応手が打てなければたちまち苦境に立たされます。醜い局後の言い訳は通用しませんし、人生・組織経営においては取り返しのつかない命運につながりかねません。
 囲碁の別称に“坐隠”があります。プロの囲碁対局に際し、先手番の棋士が第1手を打つ前に、沈思黙考している姿をよく見かけます。盤上に未だ何もない段階で何を考えているのだろうと思います。まさに“神域”に達したトップ・プロは、対局相手との過去の対戦棋譜などを想い出しながら、今日の対局の構想を描き、初手を選択しているのでしょう。いざ対局が始まりますと、無意識の内に先の要諦を“3つの目”を通して、各局面での最善手を模索・決断していると思われます。一般的に言えることは、棋力の高い人ほど、対局中常に全局を広く見渡す“鳥の目”を常時用いていることが伺えます。相手の石音や着手に囚われず、盤上全体を視野に入れつつ次の一手を確認しているようです。“鳥の目”とは、「囲碁十訣」(下記)第1に、「不得貪勝(むさぼれば勝を得ず)とありますように、盤上の彼我の石群の強弱のバランスを考えながら打てという意味。即ち、対局中常に“鳥の目”を以って大局を見ることの大切さを教えています。“木を見て森を見ず”という格言がありますが、囲碁においても、「木(相手の打つ石音、局所)」に目を奪われず、「森(=全局)」を見ることを忘れるべからずとの戒め。“虫の目”とは、「囲碁十訣」第8のいう「動須相応(動かばすべからく相応ずべし)」。即ち、相手の着意を察し、それを上回る着手に心掛けよとの教え。局面の適確な読みと決断のために不可欠の目。“魚の目”とは、「囲碁十訣」第7のいう「慎勿軽速(慎んで軽速なるなかれ)」が示す原則。即ち、軽挙妄動を慎み、常に冷静沈着であれとの諭し。自らを取り巻く環境の変化(潮目)を読み、羅針盤(理念・信条)に照らし、目標に向けての方向性を間違わぬために必要な目。
 <囲碁十訣>  中国・唐代(8世紀ごろ)の囲碁の名手・王積新の作とされる。
不得貪勝 (むさぼれば勝を得ず) 彼我の石の強弱バランスに留意せよ。
入界宜緩 (界に入りてはよろしく緩やかなるべし) 相手陣地に限界以上踏み込むな。
攻彼顧我 (彼を攻めるには我を顧みよ) 自分の弱点を補いつつ攻めよ。
棄子争先 (子を捨てて先を争う) 石を捨てて先手を取れ。
捨小就大 (小を捨てて大に就け) 着手の大小を考えつつ冷静に打て。
逢危須棄 (危うきに逢えばすべからく棄つべし) 積極的に捨て石作戦を取れ。
慎勿軽速 (慎んで軽速なるなかれ) 常に新しい目で冷静に全局を見直せ。
動須相応 (動かばすべからく相応ずべし) 相手の着意を察し、それを上回る着手に心掛けよ。
彼強自保 (彼強ければ自ら保て) 相手の強い場所では、まず自陣の整形を考えよ。
10 勢孤取和 (勢い孤なれば和を取れ) 自陣の弱い場所で戦いを起こすな。

 これら“3つの目“を十二分に機能させ、失敗を恐れず矜恃を以って臨むことこそ、何においても成功するためのカギとなります。(下図参照)形勢 目標 “勝つ” 囲碁が教える”3つの目” 序盤中盤終局 優勢 “鳥の目” 魚の目 虫の目。加えて、もう1つ忘れてはならない目として“第4の目“があります。それは、天保年間の『百鬼夜行絵巻』にある「手目坊主」という妖怪の持つ”手の目“です。この目は、小生流に解釈すれば、囲碁で言う”ハメ手 (罠のようなトリック手)“やごまかし手を使わず、正道を踏み外さないための目です。いかなる経営においても肝に銘ずべき鉄則でしょう。
 最近話題のベストセラーに、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海氏著)という本があります。若者の心をしっかり捉え、チ-ムがその目標達成を勝ち取るための指南書となっています。“経営学”の創始者・P・ドラッカーの組織経営の哲学をベースにした名著です。ドラッカーは、“3つの目”に加え、“耳”の重要性も強調しています。即ち、如何なる組織にあっても、その経営の目的は対象とすべき相手(=顧客)が何を求めているかを知り、それを満たすことと教えています。そのためには“耳”を研ぎ澄ますことが肝心。ドラッカー自身囲碁をたしなんだかどうかは分かりませんが、日本の伝統文化に心酔し、日本人の心に敬意を抱いていたことはよく知られています。つまり、“耳”を通して対局相手の強み・弱み(=人となり、考え方、癖など)を事前に知ることで、結果としてゲームを有利に導くことを囲碁は教えてくれます。<以上>

【囲碁に学ぶ大局観第3回、礼節】
 「囲碁に学ぶ大局観第3回、礼節」。足立敏夫「囲碁と経営」研究家(元・羽衣国際大学教授)
 出所:株式会社キャリアクリエイツ月刊誌「LDノート」6 月号(2011 年)
 日本人の「礼節」について、古代中国(日本の飛鳥時代)の史書「隋書倭国伝」に、“・・・とても物静かで、争いごとも少なく、盗みも少ない。性質は素直で雅風がある・・・。”と記されているようです。外国人が感じた日本人像に関する最古の記述でしょう。さて、東日本を襲った未曽有の複合災害の実態が次第に明らかになると同時に、歩み始めた復興には世界中の目が注がれています。そこで今回は、必死に復興に立ち向かう被災者の方々及びそれを支援する人々の行動を、囲碁に学ぶ「礼節」という切り口で考えてみたいと思います。震災直後パニック状態にあった全ての世代の被災者の皆様の冷静沈着で礼儀正しく秩序ある行動に対し、海外メディアが一斉に敬意と賛辞を伝えたことに誇らしく感じた日本人は多かったのではないでしょうか。また、各国政府が東日本に在住の自国民に対し退避勧告を出している中、ニューヨーク在住のコロンビア大学名誉教授で文化勲章受章者でもある88 歳のドナルド・キーン氏が、逆に日本に帰化し日本の友人と共にいたいとの希望を表明されたとのニュースに触れ、アメリカ人の心根にも大変感動しました。平時にはあまり意識しない「品格」「秩序」「高潔」という言葉が、人種や宗教を問わずいかに人々の胸を打つものかも知りました。しかし一方、政府や東電経営陣の軽い言動が、そうした世界の賛辞を相殺してしまっている現実には憤りを感じます。国難にあえぐ日本は、今こそ見識と礼節を持った真のリーダーシップを必要としています。そのリーダーシップによって、放射能漏出の一刻も早い収束と被災地の基盤インフラの再構築に向けたより明確な意思を示した上で、復興後のビジョン(将来像)を描き、そしてそれに向けた諸施策や関連立法の速効が求められています。菅総理殿、ネット碁にはまっていらっしゃるとのこと、坐隠して“先手必勝”の策を熟慮なさっていることを祈るばかりです。平成23 年4月21 日の読売新聞「編集手帳」に紹介された、俳人・長谷川櫂氏の「震災歌集」の一句“顔見せぬ管宰相はかなしけれ 1 億2 千万人のみなし子”を噛みしめて頂きたい。また他方で、自らは安全サイドに身をおきながら、被災者の気持ちを逆なでするような憶測や誤った情報をネット上に流すことで、意識的ではないにせよ結果として被災者に甚大な精神的苦痛と経済的打撃を与えるという心無い傍観者がいることも事実。加えて、ビジネス・ライバルが意図的に被災企業の放射能汚染を誇大に吹聴するケースなどは、「礼節」とは真逆の恥ずべき行為でしょう。
 このような風評被害を耳にして思い起こすのは、碁盤の“血だまり”の言い伝えです。「血だまり」とは、足付き碁盤の裏側の中央部分に彫られたへこみ(へそ)の別称で、本来木材の乾燥による歪みや割れ防止と盤上の打ち石の響きを良くするために彫られたもののようです。これを“血だまり”と呼ぶのは、囲碁という真剣勝負をしている対局者に他人が口を挟むなという戒めになったとされています。つまり、口を挟んだ人は首を刎ねられ、その首をこのへこみに乗せられると警告しています。また、碁盤の脚は、クチナシの実の形を模しており、対局中の他人の“口無し”を掛けているそうです。今回の震災に乗じた“流言”“風評”こそ、要らざる他人の口出しで、斬首に値すると言えましょう。(写真1参照)「礼節」は、本来すべての人間が生まれながらにして持ち合わせている良識であり、価値観であると思います。しかし、それは年齢を重ねるにつれ、他の価値観に押されて心の中の相対的位置づけが低くなったり、歪められたりしてしまうのかも知れません。その性善の良識を生涯高く保ち続けている人は、その後の人生環境によって容易には崩れない“何か”を持っているような気がします。“三つ子の魂百までも“の格言のように、その“何か”を幼少年期に植えつけられた人ほど終生変わらぬ価値観・信条として保持されていくように感じます。その“何か”を遊びながら自然に植えつけてくれる良きツールが囲碁であります。幼少年期の教育の場で真正面から取り組む以前に、囲碁に限らず、スポーツ、レジャーなどあらゆる場において楽しみながら自然に、その“何か”が身につく環境や仕組みをつくることも世の大人やリーダーたちの責務でしょう。日常の社会生活における「礼節」の乱れをいわれて既に久しいですが、戦後教育の申し子「偏差値教育」がもたらした“想定外”の結果だったのでしょうか? 残念ながら礼節とか道義という価値観は、世の中を支えるすべての精神的基盤であるにもかかわらず、人々の心の隅っこに追いやられてしまった感があります。
 そうした重要な使命を担う囲碁の普及活動の一例として、関西の「ライフこども囲碁クラブ」という囲碁教室をご紹介したく思います。このクラブは平成16 年に創設されて以来、関西一円の21 地域に設けられた教室におよそ750 名の子どもたちが参加し、240 余名のボランティア指導者によって毎週土曜日に開講されています。子どもの知育、徳育を目的とし、“豊かな心と夢を持ち、21 世紀を担える子どもたちを育みたい……”との願いから創設された活動です。この教室では、囲碁の技術指導よりも礼儀作法やマナーの教育、また囲碁というゲームを介した“豊かなこころ”を持つ子どもを育む環境づくりに主眼をおいています。このような地道な活動は全国他地域でも数多く展開されており、子供たちの将来に希望、勇気そして自信をもたらす成果につながっています。現場を取材しますと、受講生と指導者の年齢差が大きく、おじいちゃんと孫の関係に似て、得も言われぬ和やかな雰囲気の中にも規律の正しさに心が温まります。(写真2参照)ライフ子供囲碁教室風景
 現代の企業経営について産業社会学者・梅澤正氏は、短期的経済価値を追求するあまり、普遍的価値である“経営理念・信条”を軽視乃至は空念仏化する傾向にあると指摘しています。このことが、近年多発している企業不祥事(=経営の醜さ)の根源的理由になっているのではと疑念を抱かざるを得ません。東電の経営者の皆様には、如何なる経営理念であれバックボーンとなるべき「礼節」を死守することに矜持を持って経営にあたって頂きたいと願うばかりです。それこそが、信頼回復と称賛に変わるための唯一の道でしょう。紀元前5~6世紀の古代中国に生まれた儒家思想は、“己が欲せざる事を人にするなかれ”という「仁」の大切さ説いています。これも、2,500 年という歳月を経ると、進化ではなく陳腐化してしまうものでしょうか?<以上>

【囲碁に学ぶ大局観第4回、先見性】
 「囲碁に学ぶ大局観第4回、先見性」。2011年7月9日 足立敏夫「囲碁と経営」研究家
 囲碁は、盤上全体を俯瞰し、相手の応手を予測しつつ“先を読む力“を争うゲームとも言えるでしょう。また、棋力の向上につれてその“読む力”が深まり、囲碁以外の事象についても将来を見通す能力(=先見性)を高める効用があります。先を読むことに関し、古代中国の知恵書『論語』の一節に、“子張問う、十世知るべき也。子曰く、殷は夏の禮に因る、損益する所、知るべき也。周は殷の禮に因る、損益する所、知るべき也。その周に継ぐ者は、百世と雖(いえど)も知るべき也”があります。貝塚茂樹氏によれば、その意味するところは、“十世代の先を予知できるでしょうか”という弟子の問いに対し孔子は、“・・・各代の王朝は過去の王朝を継承発展させたものに違いないから、将来の王朝の禮(=社会の仕組みや行動様式)がどうなるか、大凡のことは察しがつくのではないか・・・”と答えたとあります。つまり、過去の事象を丁寧に評価することで将来予測が可能になると言う解釈ができます。現代の経営学の祖・ドラッカーも同様のことを説いています。
 このたびの東日本大震災の後、“想定外”と言う言葉にこれほど社会が関心を持たされたことは未だかつて無かったのではと思います。それは、その言葉が自らの先見性否定以外の何物でもないにも拘わらず、司々の責任ある人たちの“言い訳”や“責任逃れ”として発せられていると察知し、怒りを覚えたからでしょう。一部の国内外の研究者によって早くから指摘されていた「貞観地震」{平安時代前期( 869 年 7 月 9 日 )の巨大地震と津波:901年刊行の『日本三代実録』に記載}、即ち過去の教訓を“まさか”で片付けていたのかも知れません。或いは、震災と原発の相乗リスクについて、少数の賢者の必死の主張に聞く耳を持たず、むしろその声を無視した大勢の一人であったことを国民の多くが悔い始めたからでしょうか。
 さて、日本史上の節目節目には必ず、先見性や洞察力或いは予測能力に優れた強力なリーダーの存在がありました。そして、囲碁との相関性や棋力はともかく彼らが囲碁に大変執着したことは事実です。幾つかの記録を拾って見ますと;

 平安時代
 1 菅原道真:囲碁愛好家として知られ囲碁の詩・四篇を残しています。学問の神様と称され深く広い学識と「先見性」を持ち、文章大臣に任じられた学者であり、同時に政治家としても右大臣まで昇りつめました。
 2 後白河天皇:歴代天皇の中でも最強の棋力を持つとされています。平清盛との連携を重視したことこそ先見性に優れ、ビジョンを描いていた証と見る研究者がいます。
 鎌倉時代後期
 北条時頼(鎌倉幕府第5代執権で北条時宗の父):『吾妻鏡』(第三十九:1248年8月)に“一日乙亥 左親衛(時頼)、甲斐前司(長井泰秀)が亭に渡御す。下野前司(宇都宮)泰綱・出羽(二階堂)前司行義等参会す。囲碁の勝負を決せらる云々”と記されていることからも囲碁に執着したことが伺えます。独裁的性向はあったようですが、政策遂行に当たり強い政治力を発揮したことは良く知られています。

 戦国時代
 1 織田信長:日蓮宗僧侶(日海)の碁を観て「名人」と称えたとされることからも、相当な打ち手であったことが推察できます。天下統一を目指し、先見性、判断力、決断力や合理性に卓越した指導者であったことは論を待たないでしょう。
 2 豊臣秀吉:同じ日海に碁の役職(=官賜碁所)を与えたことからも囲碁の実力は相当高かったと思われます。天下人(信長)の継承者としての地位を確立し、統一を成就しました。
 3 徳川家康:日海が駿河に赴き碁を連日連夜打った記録があり、浅野長政、伊達正宗、古田織部が碁敵であったとされています。秀吉の死後は名実ともに天下の覇者となり、長期政権を確立し300年、15代にわたる徳川幕府の礎を築きました。

 幕末~ 明治時代
 1 大隈重信:囲碁好きで引越先を探す際、囲碁を持ち歩いて空き家が見つかると上がり込み、一日中仲間と烏鷺(囲碁の別称で、黒石と白石から来ている)を争っていたという話が伝わっています。武士、政治家、教育者(早稲田大学を建学)。政治家としては、外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣、内務大臣などを歴任したことからもその指導者としての資質は明らかです。
 2 大久保利通:伊藤博文・五代友厚・黒田清隆・松方正義等が碁敵で、昭和43年日本棋院から名誉7段の免状が与えられている程です。積極的開国派に転じ、明治維新を成就させた指導者の一人です。
 3 坂本龍馬:少年時代に田中良助{田中家は、坂本家所有の山(坂本山)の管理人}と将棋や囲碁を楽しんだことは有名。日本の将来を見据えた大局観には定評があります。指導者としての資質(決断力と行動力)にも優れ、“人たらし”と言われる人間的魅力は卓抜しています。
 4 岩崎弥太郎:囲碁好きは有名。彼の名言の一つ“自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し、得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ”からも指導者としての力量を感じさせます。事業経営の要諦である“選択と集中”を徹底遂行し、企画―>実践―>成功の流れを作った維新後初の名経営者と言えましょう。
 平成23年5月9日付の日経新聞の「春秋」欄に、東日本大震災被災地の復興計画に関連して“・・・東京丸の内にできた煉瓦造りのオフィス街・・・丸の内開発を率いたのは三菱財閥2代目の岩崎弥之助と大番頭・荘田平五郎・・・街づくりの新しい試みだった。・・・どうすれば時代の先を行き、人々をひきつける街になるかと、知恵を絞ったことだろう。・・・今回の被災地は、丸の内の比ではない広さの土地と向き合う国家プロジェクトだ。にもかかわらず、地域をどのように生まれ変わらせるかが、国のリーダーから聞こえてこない。リーダーに構想がなければ、事業の前途ははなはだこころもとない。・・・草ぼうぼうだった丸の内では、先進気鋭の建築家が技量を競った。・・・西洋に引けを取らない街づくりという方針があったから、建物の設計を決めることができた。専門家の力を引き出すのもリーダーの方向付けにかかっている”とありました。
 天才勝負師といわれるプロ棋士・(故)藤沢秀行氏の色紙に、“愚者は成事に暗く 智者は未形(みぎょう)に見る”と書かれています。これは古代中国の書「戦国策」の中の“愚者闇於成事、智者見於未萌“{愚者は成事に闇く、智者は未萌(未形と同義)に見る}を引用したものと思われます。”成事に闇い“とはものごとが形になって現れてきても、まだそれに気づかないことを意味し、”未萌“とはものごとが形になって現れてくる前の段階を指し、まさに先見の大切さを説く哲学です。囲碁は、“未萌に見る”脳力を磨く格好のツールです。また、想像力を高めて“想定外”などという過ちを犯さないための訓練の場でもあります。様々な局面において適確な着手を選択する際に、対戦相手の次の応手を想定し、その後の展開局面を想い描いて決断します。プロ棋士といえども“想定外”に遭遇することは“常住坐臥”のことでしょうが、まさに“深謀遠慮”の読みによって難局を克服して行きます。そして局後に、自らの“想定外”への対応を反省はしても、読み間違いを他者に転嫁するなどという醜態は演じません。むしろ失敗から学ぶことによって、同じ愚を繰り返さないためにはどうすれば良いかを、同僚棋士たちと共に徹底検証し棋力の向上につなげています。これはアマチュア棋士にとっても肝に銘ずべき教訓でしょう。
 脳医学の観点からのプロ棋士の“未萌に見る”能力について、彼らの“次の一手”は小脳に記録されている過去の打ち碁の無数のパターンの中からTPOに応じて瞬時に飛び出してくるようだと説明されています。その際、大脳の前頭前野(脳の司令塔)はあまり働いていないとも評価されています。このことは、PE T法(Positron Emission Tomography)という科学的手法を用い、脳内の神経伝達物質アセチルコリンの分解酵素の活性度を測定した結果から推測されています。興味深いのは、アマチュアの場合プロとは逆に小脳よりむしろ前頭前野が猛烈に働くことでその場の最善手をひねり出すと見られています。この違いこそ、天分の才能に加え、幼少年期からの猛烈学習の継続経験者であるプロ棋士とアマチュアの決定的な壁と言えます。
 さて、組織経営における先見性についても、P・ドラッカーの「すでに起こった未来」(ダイヤモンド社刊、上田惇夫他訳)の中で紹介されていますように、国や組織のリーダーは、目指す将来像に向けて、社会の生態(外部環境の変化)を凝視しつつ大局を捉え予測し、その上でそれを体現すべしと説いています。即ち、“先を適確に見通す”ためには、単なる過去の外挿ではなく“既に起きたこと”を精緻に分析し、そこから得た知見を基に将来を見据えることが肝心ということでしょう。囲碁で学ぶ先見性は組織経営においても同様、熟慮の体験を積み重ねることによってリーダーの小脳に蓄積されたデータベースから直感によって発露されると言えます。加えて、強力な実行力を伴うことが“未萌に見る”リーダーシップの必須条件となります。<以上>




(私論.私見)