石好み(8)、コンピューター対局の行方考

 (最新見直し2015.12.24日)

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「石好み(8)、コンピューター対局の行方考」を記しておく。

 2015.03.31日 囲碁吉拝


 ここにサイト「【インタビュー】囲碁は「コンピューター対人間」の最終決戦?—コンピューター囲碁と対局したプロ棋士に聞く」を転載しておく。
 コンピューターの発達は目まぐるしく、研究者たちはいかに機械を「人間に近づけるか」、あるいは「人間を超えるか」というところで戦っているかに見えます。そして、チェスや将棋といったボードゲームの世界では、今やコンピューターは人間より強いのです。しかし、そんな賢いコンピューターをもってしても、唯一と言っていいかもしれません、まだ人間に勝つことができないゲームがあるのです。 それが囲碁です。先日、コンピューター囲碁「ゼン」と対局したという、プロ棋士の竹清勇氏に「なぜ、囲碁ではコンピューターが勝てないのか」についてお伺いしつつ、人間とコンピューターの未来について、一緒に考えてみました。
 なぜ囲碁でコンピューターは人間に勝てないのか

 

——チェスや将棋ではコンピューターが勝っている中、囲碁はまだ「コンピューターの方が強い」とは言えない状況なんだそうですね。

竹清氏:そうですね。まだだいぶコンピューターの方にハンデを与えている状況です。

——ハンデとは?

竹清氏:先に向こうの石を4つ置いた状態からゲームを始めています。

——なるほど、それは大きなハンデですね。囲碁でコンピューターが勝てないのは、将棋やチェスと比べて、アルゴリズムや計算でなんとかならない要素を囲碁の方が多く含んでいるということなのでしょうか?

竹清氏:囲碁は、全部のパターンを考えると、その数は宇宙の原子の数よりも多いんだそうです。数が多すぎるのです。

——そんなにですか。たしかにチェスや将棋よりも目の数が多いですよね。(囲碁では一般的な19路盤でます目の数が324、チェスはます目の数が8×8=64、将棋は9×9=81)初心者などが使う、ます目の少ない9路盤でなんとかコンピューターが戦えるという話も聞きました。人間で囲碁が強いというのはどういうことなのでしょうか?

竹清氏:今のコンピューター囲碁の主流は、モンテカルロ法というものなのですが、今回のコンピューターだと1秒間に1万回、終わりの図(終局図)を描いているそうです。それで勝ちの図が多いところに石を置いていくというものです。つまり100秒あれば、100万回分析ができるわけですが、人間が強いのは、0.1秒あれば、相手の手がいいかどうかが判断できるんですよね。それは感覚的なもので言葉では説明できないのですが、それが人間の脳の優れているところなんだと思います。

——なるほど、それは経験によって磨かれる勘みたいなものなんですかね。

竹清氏:そうですね、積み重ねです。小さい頃それで痛い目にあったとか。実は脳は統計的に分析しているのかもしれません。チェスなどは言葉で説明できる部分が多いのですが、囲碁にはそうではない部分があるのです。言葉で説明できない要素が増えれば増えるほど、人間が勝つ余地が増えるんでしょうね。

——「良い手を打つな」と思われることもありましたか?

竹清氏:とても良い手を打ちますよ。(ハンデ付きで)レベル的にはアマチュアの7段くらいと言われているので、アマチュアの中では最高レベルくらいです。

——「いつか抜かれるだろう」と思いましたか?

竹清氏:直感的に抜かれるだろうと思ったのですが、逆にプログラマーの方は、もう限界まできているので無理だと仰っていましたね。でもモンテカルロ法で飛躍的に強くなったように、どこかで新しい発見があると、また一気に強くなったりするかもしれません。

 人間には何が残されるのか



 ——囲碁でコンピューターと対決して、人間が勝つというのは、ある種希望を与えるものになっているのかなと思うんですよね。「コンピューター対人間」的な議論は最近また盛り上がりを見せていて、「多くの人間の仕事が機械にとって変わられる」ということに異論を唱える人はもう少ないのではないかと思います。ただ、どの程度?というのは議論が分かれるところですよね。

人工知能を研究する学者さんなどは、「計算上はコンピューターが人間を超える瞬間が近いうちにやってくる」と、仰ったりするわけです。ただ、計算上はと言われても、よくわからない。「つまり、コンピューターではなく人間の能力が必要とされる場面は残されるのか、なくなるのか?」ということが素人目には、気になってきます。

竹清氏:そうですね。金融も今、人間に0から教えていくよりも、積み上げでどんどん賢くなっていくコンピューターにやらせた方が良いという風にもなっているようです。そうすると人間がやれることはなくなってきそうですね・・・おそらく、人間性が必要とされるものに関しては、まだ暫くは残っていくのではないのでしょうか。

——囲碁もそういう要素を含んでいるということですよね?

竹清氏:囲碁はおそらくボードゲームの中で、人間味があるゲームかもしれません。正解が無く、個性が認められると言いますか。今回は4台のコンピューターを繋げたものと戦ったのですが、実は1台1台で計算した結果を、コンピューター間で意見交換させることがまだ上手くできないらしいのです。それを今一番効率よく出来るのは4台が限界で、それを超えると2000台のコンピューターを繋げても上手く機能しないのだそうです。スーパーコンピュータ「京」ってあるじゃないですか。1秒間に1京回計算するという。あれも巨大な部屋にコンピューターをたくさん置いていますが、結局それぞれのコンピューターの意見交換をするのに時間がかかってしまうので、少ないコンピューターでやるのと実はあまり変わらないそうですよ。

 「コンピューター対人間」の結末は?



 ——「コンピューター対人間」ということでお話してきましたが、一方で、「コンピューターはあくまで人間を助けるツール」という考え方もありますよね。現に、「コンピューターチェス」といって、コンピューターの力を借りて人間同士が勝負するスタイルのチェスも生まれているんだそうですね。そこでは人間個人のチェスのセンスや強さというものだけでなく、いかにコンピューターからうまく情報を引き出すかが重要だと。

竹清氏:囲碁もコンピューターの方が強い部分は確実にあるので、コンピューターに意見を聞きながら人間にしかできない部分は人間がやっていくと、たしかに強くなるかもしれませんね。

——『大格差』という本の中で、タイラー・コーエンは、コンピューターが人間の仕事をすべて奪うというような関係性ではなく、いかにコンピューターをうまく活用してこれまでより効率的に効果的に仕事をしていくか、という方向性が基本的には続くのではないか、なので、今まで以上にコンピューターをうまく扱えるような人材が必要になってくると言っています。

あらゆることが細かくデーターベース化されていって、恋愛に関しても「この人でいいのかどうか」っていうのをコンピューターに聞いて当然、という時代がくるかもしれないそうですよ。

竹清さんは、人間とコンピューターについてどんな関係性が望ましいと思われますか?

竹清氏:みんながみんな元々そういう状況(何でもコンピューターに聞いて答えが返ってくるような状況)を望んでいるわけではないですよね。みんなが使うから使っているのであって。個人的には情報はもうお腹いっぱいと感じることもありますし。いつもコンピューターがベストな選択をしてくれるとするとどうなのでしょうか。人間の能力の強弱がなくなっていって、もう何が人間かわからなくなりますね。半分ロボットみたいな。今日ここに来るときも駅だけ入力して、全部ルートを出してくれましたけど、そのノリで、今の健康状態から今日のメニューを出してくれたり、それこそ恋人や仕事に関しても教えてくれるようになるのかもしれないですね。そうしたら本当にやることがなくなってきますね(笑)

——そうなんですよ(笑)

竹清氏:今囲碁サロンを経営しているんですけど、それってコンピューターができるんでしょうか。人と話したいっていうのはあると思うのですが、そういうのは残るんですかね。

——確かに人と人のコミュニティみたいなものは残るのかもしれないですね。

竹清氏:人間の脳には、最終的にコンピューターが目指す、ナノマシンというのが搭載されているらしいのですよ。そういう意味ではまだある部分では人間の方が優れているのかもしれません。

——それが計算上は、2045年にコンピューターが人間を上回る形になるということなんですかね?

竹清氏:2045年ですか・・・現実的かもしれませんね。

——コンピューターも感動を作れるんですかね?

竹清氏:おそらく。以前、コンピューターにゲームを作らせてみたら面白いゲームができたという記事を読んだことがあります。ということは、感動も作れるのではないでしょうか。

 新しいものを受け入れる

竹清氏:コンピューターからの恩恵に関して言うと、情報格差がなくなったというのはありますね。囲碁はかつては20代や30代ではトップに立てないというのが定説でしたが、今は10代でトップのプロというのもいます。これまで手に入らなかった情報がインターネットで手に入るようになり、そこがフラットになったことで若くても優秀な人が出てくるようになりました。昔は情報の壁で超えられないものがあったように思います。インターネットでの囲碁対局も元々あまり利用しなかったのですが、10個下の世代などはインターネットでバンバン連絡を取り合って、毎日打ち続けるということをやって強くなっていきました。それで今「自分たちもやらなきゃ」といってやりだしています。新しいものに対する拒絶反応というのはあるものですが、保守的になっていると若手に置いてかれてしまうので、新しいものも使っていかないとダメですね。

 囲碁はコンピューターと人間の最終決戦



 ——ここ数年だけ見てもものすごく変わりましたもんね。

竹清氏:そうですね。15年くらいでとても変化しました。改めてちゃんと考えないといけないですね。この先どうなっていきそうなのか、人間としては何をしていけばいいのか。囲碁って、コンピューターと人間の最終決戦だと思います。囲碁で負けたらおそらく他の分野も浸食されると思います。そのときには、コンピューターが人間の感覚的なところを持てるようになるときなのでしょう。

——最後の砦的な感じですね。

 取材担当から一言

 チェスでコンピューターが世界チャンピオンに勝ったというのはもちろん驚きでしたが、それを考えると、囲碁では勝てないというのが、逆にすごく不思議でした。画像認証の技術も年々向上しているとはいえ、まだ人間とは違った思考回路をたどっているようです。そういう意味でコンピューターが人間と同等以上の能力をもつには、まだ超えるべきハードルは多そうです。だからこそやはり囲碁は最後の砦なんだろうと思います。そこでコンピューターが人間を超えたときには私たちの生活も違うものになっていくでしょう。そこに到達するまでにはまだ猶予がありそうですが、間違いなく性能の上がっているコンピューターの力を私たちは上手に活用していく他ありません。そういったテクノロジーを活用したサービスづくりという観点から言うと、「いかにデータをうまく引き出し活用するか」という方向に、あらゆるサービスが向かっていくでしょう。恋人探しも、仕事探しも、専門家探しも、より精巧に・・・。


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 人間の知性がコンピュータに打ち負かされる日は来るのか?2014.12.01
 2045年までに人工知能が人間の思考能力を上回るだろう。それが未来学者のレイ・カーツワイルが「技術的特異点(シンギュラリティ)」と呼ぶ時代です。しかし、そのとき我々は一体何を持ってして「人間の思考能力を上回る」と判断するのでしょうか。

 IBMの最新型コンピュータ「ワトソン」は、早押しクイズで全米ナンバーワンのクイズチャンピオンに勝ちました。この「早押しクイズ」というのは本当にテレビでやっているのと同じように、音声によって問題が提示され、不確かな状態から確かな状態になった瞬間に「ピンポン!」とボタンを押すという形式のものです。ワトソンは問題文を聞き始めると同時に数万から数十万の仮説を立て、それらの仮説を同時並行で検証します。問題文から仮説を一定数以下に絞り込めた時点で瞬時にボタンを押し、回答するというわけです。

 ずいぶん前の話ですが、コンピュータはチェスのチャンピオンを負かしています。これもIBMのディープブルーというスーパーコンピュータでした。将棋の世界でも、近年はコンピュータが勝ち続けています。あと数年でトップ棋士に勝ち越すとも言われています。唯一、まだコンピュータが人間に勝つ見込みのないゲームは、囲碁です。囲碁だけは変数が多く、またしばしば無限ループに陥るため、まだ上手く打てません。しかしこれも時間の問題なのではないかと思います。

 
さらに、人工知能に東大受験をさせる、なんていう試みもあります(国立情報学研究所の東ロボくん)。まだ東大に合格するのは難しそうですが、国公立大の80%以上にA判定が出てるそうです。


 こうなると、知性とはなにか、という根源的な問いをいま私たち人類はあらためて突きつけられているのではないかと思います。たとえばワトソンはあらゆる質問にどの人類よりも速く答えることができますが、ワトソンがどの人類よりも賢いと言えるでしょうか。ディープブルーも、電王戦で戦う他の人工知能も同様です。たとえば誰かが人生の相談を、ワトソンにできるでしょうか。人の生き死にを左右する重要な決断を、人工知能に任せることができるでしょうか。残念ながら、それはまだまだ難しいのではないか、と私は考えています。ワトソンも、ディープブルーも、身近なところではSiriさえも、非常によくできたお人形に過ぎません。これらはまだ知性ですらないのです。


 Siriに「なにか楽しいことがしたいんだ」と相談すると、「じゃあ金曜日の夜ですから誰かをデートに誘ってみては?」と言う日が来るかもしれません。しかしそれは、誰かが入力した作り込まれた台詞か、ロジックであって、Siri自身がデートという概念を知識でしか知りません。それは彼女いない歴=年齢の男性にドロドロの三角関係の相談をするようなものです。彼は知識としては答えることが出来たとしても、実感としてそこにどのような心の動きがあるかわからないのです。

 ではワトソンを始めとする人工知能が知性そのものではないとすればなんでしょうか。私はそれを「知性の一部」だと考えます。これは「論理的思考能力」や「計算能力」が知性の一部であるのと同様に、知性の一部です。そして計算能力では既に人間はコンピュータに決して勝つことが出来ません。たくさんの知識を持っていること、これは知性のある種の側面です。「生き字引」と呼ばれるベテラン事務員。会社のことはどこになにがあるか、なぜそこにそれがあるか、みんなが聞けば即座に答えてくれる、そんな存在も知性の一部と言えるでしょう。もしくは、老練な大学教授のように、生徒のどんな疑問や質問にも的確に答え、参考文献を示し、せなかを押してくれるような人。これもまた知性の発露だと思います。


 こういう人は学生から見れば素晴らしい知性をもった知識人に見えます。しかしその大学教授が、独創的な論文を一本も発表していなかったらどうでしょうか。おそらくこのような人物は、学会からは「敬意を払うに値しない知性の持ち主」として相手にされないでしょう。そしてこの傾向はこれからどんどん強まっていくと考えられます。なぜなら、彼らの持っている「知識」なるものは、今やほとんど全てがネット上に蓄積され、インデックスされ、可視化されているからです。実際に必要な単語や知識は、必要になってから覚えるような仕事の進め方ややりかた・・・プログラミング用語でいえば遅延評価・・・で済むようなケースが今後どんどんでてくるでしょう。

 実際、私が新入社員の頃は、「この用語ってどういう意味ですか?」とよく先輩に聞いては「勉強が足りない」と怒られていたのですが、最近はこっそりGoogleで検索すればわからないなりにわかったような気分になることはできます。そしてしばしばそれで充分です。


 先日、とても驚いたことがあったのは、社内でプログラマーとプログラマーでない社員のあいだで「この用語は知ってる?」とひとつひとつ確認すると、かなりの用語を知らないか、知っていたとしても間違って認識している、ということが往々にしてあったのです。たとえば「クラス」と言えば、プログラマにとっては「型」を意味するのですが、プログラマでない人にとっては「学級」や「等級」をイメージしてしまいます。しかしそれでもなんとなく意味が通じてしまうのです。

 たとえば 「この敵キャラクターのクラス(型)だけど、キャラクタークラス(型)を継承して作ってあるから攻撃力の計算がプレイヤークラス(型)と同じになってるんだよね」とプログラマーが言ったとき、プログラマーでない人は、「この敵キャラクターのクラス(級)だけど、キャラクタークラス(級)を継承(って何???)して作ってあるから攻撃力の計算がプレイヤークラス(級)と同じになってるんだよね」。この場合、継承という概念がわからなくても、敵キャラクター級とプレイヤー級の攻撃力の計算が同じである、という文意はだいたいあってます。だから「クラスとはなんですか?」と聞けなくてもうんうんと頷いてしまうのです。

 他にもこの手の勘違いは無数にあり、しかし驚くべきことに数年間も問題なく仕事をこなせていたのです。私はこういう、勘違いをしても文意を汲み取る、という仕組みこそが知性の本質だと思います。たとえば今の人工知能の場合、正しい答えをひとつに決めてしまうと、その枠に入らないものはエラーとして除外してしまいます。最近はそういう杓子定規ではない曖昧さを取り入れようとしていますが、クラス(型)とクラス(級)を混同しても意味が通じるためには、この一文だけでなく全体の文脈が必要です。つまり、今なにを作っているのかということと、類似のゲームを過去にプレイした経験から導きだされる「文法」への理解といったことです。

 たとえばヨーロッパに行って、現地で漫画本などを開くとまず「ページの開き方、コマの読み進め方」の解説が書いてあってびっくりします。そしてそのとき初めて、日本のマンガは全て右綴じであることに気付いたのです。右綴じである理由は、縦書き文化だからです。ヨーロッパにはそんなものは当然ないので、右綴じの本などという奇怪なものはそもそも存在しないのです。そして本来縦書きの順序で読むべきものを、横書きの台詞と組み合わせて読むため、コマの読み方が不自然になってしまいます。そのために解説が必要なのです。これは欧米人に「右綴じ」や「縦書き」の文化がもともとなかったせいで、コンピュータにいくらそれを教えても知識としては理解できても感覚としては理解することができません。

 大学入試にしろ、早押しクイズやゲームでの勝敗にしろ、コンピュータと人間が争っても、最終的にはコンピュータに勝てるわけがありません。特に将棋や囲碁などの完全情報ゲームで人間がコンピュータに永久に勝てる確率は限りなく0%に近いと思います。唯一例外があるとすれば、完全情報ゲームであっても偶発性の要素で勝つか負けるかが変わるような要素があったとき、つまり幸運によってのみ人間はコンピュータに勝つことができるでしょう。しかしそれは知性で上回っていると言えるでしょうか。

 羽生名人はコンピュータが将棋で名人を打ち回したらどうするつもりか、と問われ、「桂馬を横にとばせるようにすればいい」と語ったそうですが、いまどきのコンピュータなら、それさえも上回る先読み能力を発揮するでしょう。羽生名人の言葉の真意は「人間はルールを変えることが出来るが、コンピュータにはできない」という前提があるように思えますが、実際にはコンピュータはルールを書き換えることができます。たとえばあらゆるコンピュータが暗黙的に行っている「最適化」というのは、いわばルールの書き換えです。人間が「これはこの手順でやりなさい」と命じたことを、コンピュータが独自に判断し「こっちのほうが効率的だからこうします」と命令や処理を省いたりして、結果的に同じ結論をより少ないエネルギーで導きだすのです。しかも今のコンピュータはこれをCPUの内部で、毎秒何億回というレベルでリアルタイムに行っています。もちろんそれはCPUが「そういうルール変更を許す」とプログラミングされているからです。

 ただしコンピュータは目標が示されていないことに関しては最適化できません。具体的な目標がさだめられないと、なにが最適なのか判断する判断基準がないからです。この判断基準のことをプログラミング用語では「評価関数」と呼びます。かなり古いのですが、私の好きな映画に植木等とクレイジーキャッツの映画「ニッポン無責任時代」があります。植木等が口八丁手八丁で、適当なことをいいながら無職から一流企業のサラリーマンへ、そして社長へとトントン拍子に出世していき、しかしその実、どうも何も考えていない、というコメディです。このようなことは、コンピュータには不可能です。コンピュータは「何も考えずにフィーリングで動く」ことがなによりニガテだからです。と、このようなことを言うと、「じゃあ何も考えないロボットを作ってやろう」と考えるのがロボットや人工知能の研究者です。しかし本当に「何も考えない」というのは非常に難しいのです。たとえばワトソンは電源を切っていると、おそらくなにも考えていません。しかしそれは「何も考えてない」という状態とはあきらかに違います。電源を切ったワトソンが社長になる確率はゼロです。しかし「何も考えてない男」が突然社長になる確率は高くはありませんが決して0ではありません。この映画の中にでてくる植木等のような役どころの人物に知能テストや東大入試をさせたら、結果は惨憺たるものでしょう。東ロボくんやディープブルーやワトソンに勝てる確率は万に一つもありません。しかしだからといって、彼の知性がそれら人工知能に劣るか、と言われれば、やはりそれは違う、と思うわけです。知性とは別のいい方をすれば「生きる知恵」です。生きようとする気持ちがない人間に知性は宿りません。

 知性を成立させているのは「生きたい」という本能であり、「できれば楽して生きたい」という邪心であり、「ついでに女の子にもモテたい」というどうしようもない欲望なのです。するとコンピュータにはいまのところ生への欲望がありません。それどころか、生と死を理解することができません。死の恐怖もなく、生の喜びもないでしょう。これだけが、生命と機械を分けるただひとつの分岐点ではないかと私は考えます。生命は常に変化し続けることでしか生きることが出来ず、変化し続けることによって老衰し、死を迎えます。その恐怖があるからこそ、人は人を愛し、新たな生命の誕生を祝福するのです。


 「生と死」

 知識としてGoogleにそれを問えば、誰か他の人間が書いた説明や詩や教典が出て来るかもしれませんが、それは生と死を知っていることにはならないのです。技術的特異点(シンギュラリティ)の予言には「人間が癌を克服し、不老不死を獲得する」というものもあります。「そんな荒唐無稽な」と思われるかもしれませんが、そもそも生物にはなぜ寿命があるのでしょうか。寿命の秘密のひとつは、「テロメア」にあると言われています。

 テロメアは、遺伝子につけられたのりしろのようなもので、細胞が分裂する度に減っていきます。テロメアを伸ばす酵素テロメラーゼは、人間の生殖細胞や幹細胞、癌細胞といった一部の細胞でしか活性化していません。それを一般的な身体を構成する体細胞に適用すれば、細胞の寿命を伸ばし、若返ることができるのではないか、そんな研究がされており、実際に64歳の肌細胞を36歳程度にまで若返らせたという報告もあるそうです(コーセー iPS細胞の皮膚科学研究への応用に着手)。

 
 細胞の寿命まで伸ばせるとなると、俄然、不老不死も現実味を帯びて来ました。ちょっと怖い気もしますけどね。そう遠くない未来、本当に人間が不老不死を獲得したとしたら、そのときこそ人間は生と死の意味を忘れてしまうかもしれません。それは人間の知性の退化を直接的に意味するでしょう。知性の根源が生と死にあるのであれば、不死人はその根源を失うことになるのですから。しかし人間は生への渇望のために、むしろ積極的に不老不死を手に入れ、自らの知性を手放すことを喜んで受け入れるのではないかと思います。そのとき、人間の知性は確かにコンピュータと同等以下になるでしょう。生への渇望を忘れたとき、人の知性、唯一生命体である証は何の役にも立たなくなります。そうして無気力になった人間は、いずれ植物のように、動くことをやめ、ただひたすら、半永久的な生の時間の中へゆっくりと眠り行くのかもしれません。そこまで見越した予言だとしたら、背筋が寒くなる話でもあります。

 清水 亮(しみず・りょう)
 1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。


 2014年2月11日「囲碁のプロ棋士 VS コンピューター 勝負の行方は」。
 井上/「コンピューターと、プロ棋士との戦い。これまでも、将棋やチェスなどで行われてきましたが、今回、囲碁のプロ棋士と、世界最強の囲碁ソフトが対局する、『囲碁電王(いごでんおう)戦』が開かれました」。
 大越/「コンピューターソフトの開発現場では、囲碁でプロ棋士に勝つことが、悲願ということなんですが、悲願達成はなったのでしょうか」。
 佐々木/「最近、ぐっと能力を上げたというコンピューター。プロ棋士を相手に、どんな勝負を見せるんでしょうか?」。

 19歳、囲碁界期待の新星・平田智也(ひらた・ともや)三段です。挑むのは、コンピューターの囲碁ソフト「Zen(ゼン)」。コンピューター同士の世界大会で、40回以上の優勝歴を誇る、世界最強の囲碁ソフトです。 「お願いします」。「無限の小宇宙」とも言われる囲碁。人工知能は、人間の頭脳に勝てるのか。緊張が高まる中、勝負が始まりました。 「パチン」。白と黒の石を打ち、陣地を取り合う囲碁。今回の対局には、「9路盤」という、小さな碁盤を使います。それはなぜか? 通常使われる碁盤は「19路盤(じゅうきゅうろばん)」です。囲碁は、どこに打ってもいいので、例えば、いちばん最初の手は、19かける19で、361通りになります。これに対して、駒の置く位置や、動かし方が決まっているチェスは、20通り。将棋は30通りで、囲碁の場合、選択できる手の数が、桁違いに多いのです。そのため、19路盤で対決すると、コンピューターの能力が追いつきません。これまで、チェスや将棋では、コンピューターと人間の実力の差は、なくなってきています。一昨年(2012年)1月、コンピューターが米長邦雄永世棋聖(よねなが・くにおえいせいきせい)に勝っています。これに対し囲碁では、まだまだ人間の方が強く、プロ棋士に勝つことが、ソフトの開発者の悲願になっています。そこで、今回の対局では、小さな碁盤を使って、プロ棋士とコンピューターの差を縮め、どこまで勝負できるか、人工知能の実力を、はかることにしたのです。開発チーム代表 人工知能研究者 加藤英樹さん/「大きな目標としては、人間のような論理的思考、演えき的というか、理詰めで考える、そういうことを入れたい。プロの方と対局するたび、課題が見えてくる。研究進めるうえで、非常にありがたい対局」。

 注目の勝負に囲碁ファンは。佐々木/「別の場所にあるパブリックビューイングの会場です。こちらでは、囲碁ファンのみなさんが、勝負の行方を見守っています」。集まったのは、全国の囲碁ファン、およそ20人。スクリーンには、プロ棋士とコンピューターとの対局の様子が。囲碁歴8年のこちらの男性は。男性/「コンピューターの計算と人間の感性が、どう戦っていくのか、それを楽しみに、本日、六本木まできました。コンピュータは計算が強いので、大局観のところで、人間がどう有利にするか、楽しみにみている」。

 1局目。中盤、平田三段がミスをします。平田智也三段/「焦りと計算違いをしてしまって、この瞬間だけ、向こうにチャンスがあった」。プロ棋士であれば、ミスにつけこみ、一気に相手を追いつめる場面。しかし、コンピューターにはそれができず、平田さんが勝利します。開発チーム代表 人工知能研究者 加藤英樹さん/「いい手が一個だけ、ほかはダメだけど、いい手が一個だけあるという局面は苦手。そこでは人間は、きっちり読んでたが、コンピューターは不正確で、手を間違えた」。さらに、2局目。この回も平田さん優勢で進んだ中盤、コンピューターは意外な一手を繰り出します。碁盤の隅に放たれた、白の石。平田智也三段/「まさかはずされて、びっくりした。思いも浮かばないので。たぶん自分1人で研究していたら、一生気付かないような手」。定石通りなら、平田さんの黒の石のつながりを、分断する一手を打つところ。しかし、そのままでは劣勢は変わらないため、コンピューターは局面を打開しようとしたのです。これに対して、平田さんは冷静さを失わず、自分の陣地を着実に確保する手を進めます。平田智也三段/「小さい時から(囲碁を)ずっとやっていて、こういう形になれば勝ちという嗅覚、勝負の呼吸が、この瞬間には働いて、これで負けることはないなと」。人間が修練を積んで培った感性と、判断力の前に、コンピューターは2戦とも敗れました。開発チーム代表 人工知能研究者 加藤英樹さん/「いやあ、参りましたね。(今後は)19路盤(通常の囲碁)で、プロに勝てるものをつくりたい。10年では無理。20年だと私は80歳なので、ぎりぎり、そのあたりですかね」。

 人工知能の発展のために

 井上/「今回の勝負、平田さんのほかに、もう一人、張豊猷(ちょう・りゆう)八段との対局も行われましたが、張八段の圧勝でした」。大越/「今もありましたが、本来の19路盤ですと、人工知能が勝つには、20年かかるかなということでしたけれども、逆に言うと、それくらいの時間があれば、人間のプロの棋士が持っている決断力であるとか、勝負勘みたいなものまで、人工知能が身につける時が来るということかもしれない。人工知能、恐るべしです」。





(私論.私見)