囲碁吉の天下六段の道、コウ編

更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).3.30日

 (囲碁吉のショートメッセージ)
 ここで、「囲碁吉の天下六段の道、コウ編」を書きつけておく。  

 2005.6.4日、2015.3.3日再編集 囲碁吉拝


【棋道講座その№、コウの約定考&コウ芸術論】
 囲碁ルールに「コウ」がある。上図で黒1の当りに白2と反発する形を云う。お互いの石がアタリになっていて互いに石の取り返しが利く形である。黒が3と取り、白がすぐに取り返すと黒も黒3と取り返し、白がすぐに取り返すと、その繰り返しでは際限(キリ)がなくなる。故に、コウは漢字で「劫」(こう)と書く。仏教用語で非常に長い宇宙的世界の時間のことを云う。こういう「コウ」は盤上の中央、辺、隅のどこにでも、序盤、中盤、終盤のいつでも発生する。

 囲碁ルール上、同型反復禁止規定を設けて「コウ」対策している。即ち、相手が取ったあとを取り返すには、一度他所(よそ)へパス手を打つ(これを「コウ立て」という)縛り、即ち他の場所に打ってからでないと取り返すことができない定めを設けている。「コウ立て」は禁じ手以外のどこにでも打つことができるが、相手が受けそうなところを探して打つ必要がある。相手が「コウ立て」に応じた時に取り返すことができる。「コウダテ」のそれぞれを「コウ材」、「コウダテ」を利かず相手がコウのところをツグのを「コウツギ」、この戦いの駆け引きを「コウ争い」と云う。この経緯の駆け引きの巧拙を問うのが「コウ争い」の技量である。
 上図で、黒番は、白のコウ立てに構わず黒1とツイでコウを解消することができる。これを「コウツギ」又は「コウの解消」と云う。
 相手が「コウダテ」に応じない即ち受けないところへ打つと、相手がコウをツグなり関連したところを抜くなりしてコウを解消されてしまう。「コウ争い」は、仮に延々と続いても、いつかはどちらかが「コウ立て」に応じずにコウを解消することになる。コウはコウに勝つか譲るかのどちらかに決着する。この時、「コウ立て」側は他所に二手連打できる。 従って、コウを譲る場合には、二手連打でソロバンが合いそうな他所(よそ)を探してそこへ打つのが良い。相手のコウ立てを受けずコウ勝ちする場合の損益、逆にコウを譲りコウ立てのところを二手連打する場合の損益を比較考量して対応することが大事である。
 コウを漢字では未来永劫の「劫」と書く。初代本因坊の算砂が、時世句として次の句を遺している。
 「碁なりせば コウなど打ちて 生くべきを 死ぬるばかりは 手もなかりけり」。
 コウにつき次のように解説されている。
 「碁にコウはつきもので、石と石がぶつかったときに出る火花のようなものである。コウ局面こそが囲碁の修練の場であり、醍醐味である。コウあればこそ碁の面白みを二倍にする」。

 この観点こそがコウに対する正しい態度と思われる。「碁にコウはつきもの」ということは、コウを避けず、挑まれれば引受け、こちらから求めて挑む場合もあるという積極性に於いて受け取る必要がある。特に花見コウを見つけたら、凡そのコウ材の数を数えて少なくとも損はしないとなったら挑むべきである。仕掛けられたら、まず取り返す、ここから出発しないといけない。

【コウの種類考】
 コウには性質の差があり、これを確認しておく。コウの性質は、大綱目で「生死コウ」と「地合いコウ」に分かれる。「生死コウ」は「天下コウ」と「花見コウ」に分かれる。この系譜上に「絶対コウ」がある。「地合いコウ」は「縄張りコウ」、「駆け引きコウ」、「目数コウ」、「寄せコウ」、「半コウ」等に分かれる。争われようとしているコウがこのどれに属しているのかを知って打つ必要がある。

 「縄張りコウ」、「駆け引きコウ」は布石が終わって中盤に入った頃から発生し権謀術数能力が問われる。理論的には序盤でいきなり発生することもあり得るが、コウ立てがないので仕掛けた方のリスクが高過ぎて実際にはあり得ない。最終的にコウ勝ちにするのか、コウを譲って二手連打するのかのどちらが有利かを判断しつつ争うことになる。肝要なことは、コウに勝つにせよ譲って振り代わるにせよ、双方がコウの大きさに見合ったものを得なければならない。結果的に棋力通りの応酬、棋力に応しい決着となる。この間、無コウないしは無コウに近い手を打ってはならない。無コウ手は御法度である。
生死コウ  「生死」が絡むコウを「生死(いきしに)コウ」と云う。相手が応じなければ生き石を殺すコウ、反対に死に石を生き返させるコウの二種がある。a.自己の死んでいる石を連打により生き返らせる、b.自己の死んでいる石を連打により生き石と連絡する等色々なケースがある。
縄張りコウ 序盤中盤  権謀術数能力が問われる。
駆け引きコウ 序盤中盤  権謀術数能力が問われる。
地の損得  「生死」は絡まないが「地の損得」が大きいコウを「損得コウ」と云う。
目数コウ 終盤  終盤での数目を廻ってのコウ争いを云う。生き死に関わらないので単純にコウ立ての数による。形勢が良ければコウを譲れば良いのでさほど問題ではない。気をつけるべきはコウ立てで損してはならないと云うことである。損を重ねてはなおイケナイ。
半コウ  ヨセの場合に、コウの石を取って、ツナいで1目という場合のコウを云う。2手かけて1目の得をするので、1手は0.5目の価値だということから「半コウ」と云われる。「最後の半コウ」を争いながら1目損をしていることがあるが愚かである。勝負が明らかに勝ち碁で決まっているときは、相手に花を持たせて「最後の半コウ」を譲るのが賢い。コウ立てを受け間違って手にされ逆転と云う場合があるので気をつけねばならない。これを「半コウの落とし穴」と云う。

【コウの性質考】
花見コウ 中盤終盤  コウ負担が片方に大、他方に小の場合の、小の側から評したコウ争いのことを云う。小側には気楽なコウで、コウに勝たなくてもどこか代償を得れば良い。小側はこのコウを狙い求めるべきで、見つけたら仕掛けるべきである。花見コウの手があるのに持ち込まないのはアホである。
天下コウ 中盤終盤  コウ負担が片方に大、他方に小の場合の、大の側から評したコウ争いのことを云う。小の側から評した場合は「相手側の焼けくそコウ」になる。大側がコウに負ければ被害が甚大になる危険コウであり、小側は、コウに無理に勝とうとせずコウ負担の大きさに応じた代償を得れば良い。小側はこのコウを狙い求めるべきで、見つけたら仕掛けるべきである。
絶対コウ 中盤終盤  生死がかかっている側から評したコウ争いのことを云い「コウ立てきかずの天下コウ」とも云う。石の生死が掛かったコウで、双方の石に生死がかかっている「双方天下コウ」の場合と、「片方に生死、他方に花見」の「片方天下コウ」の場合の二種がある。
 コウには、上記の花見コウ、天下コウ、絶対コウの三種類あるように思われる。留意すべきは、相手の天下コウ(焼けくそコウ)を成功させてはならないということである。コウ立てに失敗して相手の天下コウ(焼けくそコウ)を成功させると、さしもの形勢が大逆転する。それを思えば、まともに取り合って相手の幻術妖術に掛かって小さなコウ立てをしてコウに負ける愚をしてはならない。相手の狙いに乗らず、いきなりか又は早めの適当な時期に大人しくツグなりしてコウ争い勝ちするのが良い。コウを譲る場合はそれにりの代償を得ねばならない。

 問題は「絶対コウ」である。絶体絶命的な「天下利かず」のコウ局面にされていると云う意味である。この場合、自分の石の「天下コウ」なのか相手の石の「天下コウ」なのかを判断し適切に応答すべきである。「双方天下コウ」の場合、関わっている石の集団のソバ(傍)のコウの数の優劣による。取ると取られるの出入りは、一概に言えないもののほぼ取り石の4倍の値打ちと考えれば良い。それより大きなコウ立てが他の箇所にあれば良いがほぼない。と云うことは、ソバコウ数次第で、多い方がコウに勝つことになる。この場合は当然ながらコウに勝った方が大優勢、勝勢、相手がオワ、投了を余儀なくされる。

 そういう意味で、自分の石が「天下コウ」持ち込まれないよう絶えず用心しておかねばならない。万一持ち込まれた場合には早生きが肝心である。「天下コウ」に持ち込まれたこと自体に非があるので、相手のコウ立ての言い分を認める方が良い。これを認めずダラダラとコウ争いを続け損なコウ立て(これを「損コウ」と云う)を重ねていくのは愚かである。「天下コウ」に持ち込まれた際の基本は早めにコウの解消に向かうべきである。当然のことながら無コウは厳禁、即死であるからして許されない。

 「片方の天下コウ」の場合で相手がそうである場合には、こちらが「花見コウ」になる。「花見コウ」側は徹底的にコウ立てお付き合いさせてもらえば良い。これを逆に云うと、「天下コウ」側は早急にコウ処理せねばならないと云うことになる。

【コウの逼迫度の差考】
 コウには逼迫度の差があり、これを確認しておく。
本コウ  既にのっぴきならない状態にある取るか取られるかの「1手バッタリのコウ」を云う。
寄せコウ  本コウにする(あるいはなる)為にはダメヅメが必要なコウを云う。「1手ヨセコウ」は手入れが1手、「2手ヨセコウ」は手入れが2手のコウを云う。「3手以上コウ」は「三手ヨセコウはコウにあらず」の格言がある通り、このコウに勝つのは至難である。
段コウ  二段コウ、三段コウ・・・と考えられる。このコウを解消する場合に、コウをツグことができないで、またコウを取って解消を図らないと解決しない。こういうコウを云う。
その他  「万年コウ」、「両コウ」(「両コウ3年の患い」)、「コウ尽し」(「隅のマガリ四目」の別名)、「三コウ」、「四コウ」、「多元コウ」、「循環コウ」等々がある。
 コウの順番の差があり、これを確認しておく。
初(しょ)コウ  「初碁にコウなし」とも云われている最初のコウを云う。コウダテが少ないので、普通は取り番側が有利となる。「コウはおそれずに戦うべきだが、とくに序盤で自分が先に取るコウは、恐れてはならない。序盤では有力なコウダテがないからである」。

 初(しょ)コウの次のコウの呼び名はないようである。

【コウダテの種類考】
 コウダテの種類を確認しておく。
 コウ立てには場所の選択、その順序、勝ち負けの見切りが必要になる。これを漠然としてはならない。コウダテの目数を確認しておくことが肝心で、相手がこちらのコウ立てを受けず、こちらが二手連打した場合に、他のコウ立てよりも利益が大きい箇所から順にコウ立てして行く必要がある。その結果、コウの大きさと釣り合いが取れていなければオカシイ。これがコウ立ての原則である。
当り  相手の石に当りをかけ、相手が応じなければ連打によって石を取るコウダテを云う。a.相手の生きている石全体を眼なしにする、b.殺す為、或いは攻める為に切断する等色々なケースがある。
ダメ詰め  攻め合い負けを勝ちにするコウダテを云う。a.手負けの攻め合いの石を連打により手勝ちにする、b.手負けの攻め合いの石を攻(責)め取りにする等色々なケースがある。
コウ移し  コウダテとして別の所にコウを作る手を打つ場合のことで、そのコウダテに受けないでコウを解消した場合、コウ争いは継続するが最初とは別のコウ争いとなるようなコウダテを云う。
コウ譲り上握り  コウ譲りコウダテ上等系としての二手狙いコウダテを云う。その大きさは争っているコウの大きさの2/3であれば良い。つまり、相手がコウを取る手、解消する手の二手でコウ勝ちするのに対抗させて、自分の着手も二手でその2/3以上の大きさのヨセを打てば形勢は悪化しないとする割きりによるコウダテを云う。
コウ譲り並握り  コウ譲りコウダテ並み系としての二手狙いコウダテを云う。コウに勝てないと知って振り代わり狙いで打つコウダテのうち、争っているコウの大きさの2/3以下のものを云う。策が尽きて止むを得ない場合のコウダテである。
 コウダテ地点の種類を確認しておく。
ソバコウ
近所コウ
他所コウ
 コウダテの性能を確認しておく。
有効コウダテ  相手が応ずる有効コウダテを云う。
振り替わりコウ(ダテ)  相手が応じない有効コウダテを云う。
損コウ(ダテ)  その手自体が損なコウダテを云う。「損コウたてるべからず」とある通り、損コウは余程のことがないと打ってはいけない。
無コウ(ダテ)  コウダテのつもりで打ったもののコウダテになっていないものを云う。相手が無コウを受けずコウ勝ちすることになり、その分が大損になる。
無駄コウ(ダテ)  そのコウとは関係なく、石の生死や攻め合いの結末が決まっている場合のコウを云う。

【コウの戦い方】
 ここで、コウの場合の心構え、対処法を確認しておく。

 コウの第一要諦は、コウが予想される場合、コウを引き寄せ引き受けるのか、はたまた避けるのか、この判断が問われる。コウにしなくても良い形勢有利局面ではコウに持ち込む必要もなく、むしろ避けるのが賢い。「コウ争い」の箇所が仮にコウを負けた場合にはこちらのみにピンチと云う場合にはコウに持ち込んではならない。コウ局面になると何でもかんでもコウにするのはいただけない。
 コウの第二要諦は、コウを引き寄せた場合(仕掛けた場合)、引き受けた場合(仕掛けられた場合)の対応策である。最初に要求されるのはメンタル面の強化である。即ち、コウを仕掛ける時も仕掛けられた時も、気持の上で動揺しない事が肝心である。コウにされる途端に慌て乱れ始めるケースがある。そうであってはならない。コウは活用されるべきものであると心得、冷静に楽しむぐらいの心構えを持って臨み、その通り実践することが必要である。
 碁を覚えたての頃に三々入りとコウで苛められることが多く、これがトラウマになって、「コウ嫌い」(コウ嫌悪症)、「コウが怖い」(コウ恐怖症)、「コウを避ける」(コウ忌避症)にされている者が多い。この「逃げ腰」が最も良くない。コウに対処するには、コウに立ち向かいコウを楽しむ意欲と「柔らかい頭」が必要である。「柔らかい頭」を自負する者はそれを試すべく、「頭が硬い」と卑下する者はそれを矯正すべく、コウ争いせねばならないところではコウを求めるなり引き受けるなりして堪能せねばならない。コウに苦しむことを通じてコウを楽しむ旅に向かわねばならない。こうなると人生態度と同じだろう。
 コウ争いに付随して、読みの見損じ、大錯覚、無効の手、優勢な側に悪手が出て番狂わせが生じやすい。要するに棋力が如実に出るのがコウであり、上手になればなるほどコウを活用し、コウの応接が下手な間は強くない証明になる。棋力アップの絶好球がコウであり、日頃から稽古して慣れねばならない。
 コウは仕掛けた場合と仕掛けられた場合によって情況が変わって来る。コウを仕掛ける場合には、コウによりどういう利益を求めるのかあらかじめ算段をしておかねばならない。互いのコウ立てを算用し、コウに負けないよう、自陣の欠陥をなくしておくか対策を用意してから挑まねばならない。仕掛ける以上はそれなりの戦果を挙げるべきだからである。仕掛けてからコウに負けた場合の自陣のキズの深さに気づいて怯み、自陣の補強に手入れを余儀なくされ、そうなるとコウ負けながら二手連打による利得を得れるところ得られず、結局は何の利益も上げないばかりか大損する場合がある。これなどは論外の狂気の沙汰でありこういう場合には仕掛けてはならない。
 コウを仕掛けられた場合には(「コウ争い」に持ち込まれても)、局面上既に優勢が確立している場合、「コウ争い」をダラダラ続ける必要がない。「金持ち喧嘩せず」でコウ勝ちを譲れば良い。この場合には早めに「素直に降参」しコウヶ所あるいは代替えのヶ所を継いでコウを解消するのが賢い。ここのところが分からず見境のない「コウ争い」に興じているケースが多い。
 仕掛けられコウの場合で互いのコウのリスクが五分五分の場合には、まずは堂々と引き受けねばならない。よってコウ取りから始めねばならない。コウを仕掛けられて取り返さないのは単に臆病である。このことが次のように解説されている。
  「相手がコウにしてくれたら喜ぶべきである。まずは自分の取り番なのだから何も恐れることはない。これがコウの場合の第一心構えになるべきである。ポイントは、まずは自分の取り番であるという点にある。相手が仕掛けてきたということは、コウ争いはまず自分の取り番でスタートしている。従って、どうしてもコウ争いを続けるのが嫌なら、相手がコウダテをしてきた時に解消してしまえばいいだけのことである。解消するかどうかの権利は自分にある。この点を肝に銘じておくべきである」。

 但し、いずれの時点でか妥協見込みのやり取りが是である。終盤の寄せコウならば損得計算で対応すれば良い。

 コウ立てに於いては、利くコウ立て利かないコウ立ての分別をしながら成り行きを推測せねばならない。コウに勝つにせよ、譲ってコウ立てで振り代わるにせよ帳尻バランスの釣り合いを取らねばならない。これを仮に等価交換の原則と命名しておく。大きく損することはあり得てならない。コウ争いには総合判断が問われており、楽しくもあり緊迫もしている。次に、コウの大きさに相応しいコウ立てを順序正しく続けることである。最終的にはコウ勝ち組とコウ譲り組に分かれる。この一連のコウ争いによりコウドラマが生まれる。これを名ドラマにするのがコウ責任である。この一連の過程で、勝手読みとかの軽率な手は許されない。
 コウの第三要諦は、コウの駆け引き、争い方に習熟することである。まずはコウのものけ(質量)の値打ちを正しく査定し、それに応じた処方箋で対応せねばならない。コウの原則は等価交換である。高段者になればなるほどこの原則が通用するが、逆に低段者になればなるほど酷い(ヒドイ)損な分かれになることが多い。

 極力等価交換に近づける為には、コウの態様を解析せねばならない。即ち、勝負に直結するコウなのか勝負には直結しないコウなのか。次に、勝負に直結はしないが大きく関わる要石の生き死に関わるコウなのか。次に、前二者ほどのものではないが地の得失が大きいコウなのか。地の得失としてもそれほど大きくないコウなのか。順次狭めて行って最後の半目を争う半コウなのか、これらの判定を正しくせねばならない。

 コウの大きさは、地で換算して何目見当か探ることで判明する。要するに、コウの際にはコウを賢く値踏み、見切りすることが求められている。これに関連して損得計算、形勢判断、大局観に関する正確な読みが問われている。

 コウの第四要諦は、コウの解消時機を正しく見積もり処置すべきことである。「コウを楽しむ」の意味は、「コウを長々延々と打ち続ける」の意味ではない。コウの見切りを能くし、コウの解消、コウの続投を分別通りに対応することを云う。相手の「コウ立て」を利かず早々とコウの解消に向かうのも「コウの楽しみ方」である。要するに、コウの内容に応じてあたかも利き酒して味わうくらいの気持ちで折衝すべきである。
 仕掛けられコウの場合で、こちらの石の生き死に関わる天下コウ(絶対コウ)の場合には緩手が許されない。被告席に立たされている訳だから、適当な時に相手のコウ立ての言い分を認め、それに相手することなく、目をつぶって早急にコウを解消するのを原則とせねばならない。よって、ダラダラとコウのやり取りを続けるべきではない。
 「コウに強くなるコウ争いコウ十訓十則」参照
 「コウを恐れるな、逃げるはマイナス、花見コウは仕掛けるべし」。コウに際しては、自分に負担が重いコウか軽いコウか、コウの性質を考えて賢く対処すべし。勝負を決するコウは、最終的に相手がコウ勝ちせねばならず、どこか代償が貰えるのだから、怖気ず仕掛けねばならない。
 「コウを仕掛ける時の注意」として、原則的にコウの大きさと全局との関連を把握し、成算を持ってコウを敢行する。形勢が良い時は避けるのが賢い。コウに負けた時の対策をしてから仕掛けるのが理想的である。

 この対策を怠ったまま仕掛けた場合で、相手の隅の石を殺す手順になっており、相手がこちらの大石の生き死に狙いのコウ立てできた場合、このコウ立てを利かずまずは取るものをとる。それから凌ぎ勝負に向かうのも一法である。ましてやこれが生きれば勝ち、このコウ立てを利いた場合にはこちらに適当なコウ立てがない場合にをいてをや。
 「コウ材カウント」。コウ材が多いか少ないか見極め、足りない場合にはコウ材作りをしてからコウを仕掛ける。序盤のコウは「初コウにコウなし」で、この段階でのコウは取り番側が勝つことになる。この点を考えコウの仕掛け時期を探る。自軍の石の形にはコウ材を少なくし、相手軍の石の形にはコウ材を残すように打つ。
 「コウダテは小さいものから使う」。コウダテは、争っているコウの大きさとの関係を配慮しながら小さい順につかうべし。この順序を誤ると、振り代わりの段階で損をしたり、また後で発生するコウの時に不利になる。
 「コウを立てる場合の注意」。コウダテの数が多くなるようなコウダテの立て方をする。
 「してはならない損コウ、無コウ」。損コウは身の破滅。無コウは論外である。
 「コウを仕掛けられたら、まず取る」。コウを争わず譲る場合でも然りである。相手はコウダテを1つ使う必要があり、それだけでも利益になる。
 コウを解消するのに手数が必要なコウを寄せコウと云う。「三手ヨセコウは五手かかる」。他にも二段コウ、万年コウがある。「万年コウは終盤に決着する」。
 「コウを解消する時期に賢くなれ」。コウを頑張るか、振り替わるか。コウを争いながら解消する時期を逃さないヨミ、駆け引きが大切である。そのタイミング如何が勝敗に繋がるコウ争いもある。手割を考えるのも上達の秘訣である。「序盤のコウは、フリカワリを上手に使うことが大切」、「コウに負けたときの損を減らす工夫」などのテクニックが必要となる。
10  コウに勝っても、相手のコウダテに受けなかったことによるマイナスが大きければ本末転倒で悪手ということになる。つまり、全局的視野にたったバランス感覚が大切で全局的に見て有利な方を採用せねばならない。「コウに勝つか譲るか、局面次第である」。

 2014.08.04日、2015.3.09日 囲碁吉拝

【囲碁吉のコウ方程式】
 コウ対策としての囲碁吉のコウ方程式論を披瀝しておく。

 コウの攻防の型(態様)を見極めねばならない。まずは有効コウか無理筋コウかを問う。普通は有効コウであるけれども時に無理筋コウがある。無理筋コウは決して仕掛けてはならない。仕掛けられた場合は大いなるチャンスの到来であり的確に咎めてものにせねばならない。

 有効コウは四つの組み合わせからなる。この相関関係を解き明かし正しく応ずる必要がある。即ち、コウになったが、まずはA・攻めコウか、B・攻められコウか。この識別による対応をせねばならない。次にC・仕掛けコウか、D・仕掛けられコウか。この識別による対応をせねばならない。コウに勝つのか振り代わりの利を求めるのか、勝負的にどちらを選択するのかを局面に応じて問いかけながら応答せねばならない。

 A・攻めコウ(攻め最中のコウ)か、B・攻められコウ(攻められ最中のコウ)、C・仕掛けコウか、D・仕掛けられコウの組み合わせは理論上4通りある。これを強い順に確認する。
A・攻め最中のコウ B・攻められ最中のコウ
C・仕掛けコウ AC BC
D・仕掛けられコウ AD BD
ACコウ 攻めダルマコウ AC。最も強く戦うべきコウで、コウを勝とうが譲ろうが損得勘定で得せねばならないコウである。
ADコウ 有利コウ AD。有利に推移すべきコウで、コウを勝とうが譲ろうが損得勘定で等分にならなければならないコウである。
BCコウ 不利コウ BC。早めに手打ちすべきコウで、コウを勝とうが譲ろうが損得勘定で多少の損を覚悟してでも決着させねばならないコウである。
BDコウ ピンチコウ BD。非勢なピンチコウで、ひたすら恭順姿勢で臨み相当な損をも呑み込んで一刻も早く決着させるべきコウである。

 この区別がなぜ必要か。それは、1の攻めダルマコウ、2の有利コウ、3の手打ちコウ、4のピンチコウのそれぞれに応じた適切な対応をすべきところ、4の「ピンチコウコウ」なのに1の「攻めダルマコウ」の如くに対応する場合、その逆の場合があったりするからである。俗に「発狂した」と云われる。この癖を直すべきである。

【コウ実戦編】
 「コウで泣いてコウで笑う。コウ立ては不思議と弱い方が間違う」。これが実際である。できれば笑う側になりたいが、コウを廻って不細工なやり取りが続いている。そこで気づいた。囲碁のハイライトがコウであるとして、これとどう向き合い楽しむべきか。そろそろ得心しておかねばならない。思うままに書き綴っておく。

 まずは局面上、コウを引き寄せるべきか、避けるべきか。引きよせたとして、どう処するべきか。即ち、有効コウか無理筋コウか。天下コウか花見コウか。有利コウか不利コウか。これらを見定めねばならない。次にコウを仕掛けられた場合、一度はコウを取るのが絶対。相手のコウ立ての際に、このコウの処理の帰趨を判断して正しく応対せねばならない。まずは、どのように解消すべきか。即ち早めに収束すべきか、徹底して戦うべきかを判断せねばならない。最後は、コウに勝つべきか、譲って二手連打で稼ぐべきかを分別せねばならない。時に、二手連打で稼ぐ箇所の方が大きくなっている場合がある。この場合には喜んでコウを譲って二手連打せねばならない。即ちコウ有利の場合でさえコウに勝つばかりが能ではない。コウ前夜になったら最低限これぐらいのことを思慮せねばなるまい。

 それを何だ、上述のような定見を持たぬ故に、怖がったり気持ちが落ち着かないからとの理由で直ぐに解消してみたり、逆に早急に解消せねば命が危ない天下コウをダラダラ延々と続けてみたりで、結果的に損したり勝ち碁を落としたりで目が当てられぬ。既にこういう失敗例を何度も懲りるほど経験しているように思う。そろそろコウの上手い、賢い囲碁吉に変身せねばと思う。コウは単にコウ争いではなくコウ芸術的意味がある。それなりの打ち手を自負するからにはコウ芸術を堪能する者にならなくてはならないのではなかろうか。

 昨日もコウで失敗した。こちらが仕掛けたのだが、コウに負けた場合の生き死にが急に不安になり、結局コウを譲った。後の検討でコウに負けても生きがあった。と云うことは、その詰め碁問題さえ解けておればコウを仕掛けたのは正解であり勝利を確定させた勝負コウだったことになる。それを詰め碁問題が弱いばかりに仕掛けたコウを謝るという失態をしてしまった。強ければ、その辺りの読みをしてからコウに持ち込むのであろうが、天下6段ともなればその程度の読みは当たり前なのだろうが、恥ずかしながら手前味噌6段なので棋譜汚ししているのが現状だ。それはともかくコウと詰め碁がこのように関係しており、コウ芸術を堪能するためにも詰め碁に習熟しておかねばならないことを痛感した。

 又コウで失敗した。こちらが仕掛けたコウ争いである。隅の所のコウ立てでツケ、相手が押え、続いてコウ立て石を引くだけでコウ立てになっているのを使わず、他のコウ立てを打ったところコウを解消され、結局はその寄せに大きく関係するコウ立て石を取られて手をなくし、並べてみると二十目ほど負けていた。あのコウ立てとその周辺のアヤだけで二十目あることを思えば何とコウ争いが下手かと思う。口惜しい悔しい。
 「コウ争いで相手のコウ材に受けるときは次のコウを決めてから受けなさい」。これは最低限のことであるが、この最低限のことができず自分のコウ立て番になってから苦吟する者が多い。本当は全体的な彼我のコウ材を比較してからでないと危険過ぎるのだけれども勢いでコウ争いに向かう者が多い。何回も失敗して懲りてるうちにコウ呼吸を会得するとは思うけど。

 今度は小さいコウ立てで失敗した。コウ立ての手が小さいというのではなく、コウ争いの大きさに比して小さいコウ立てをして、相手にコウを解消されてしまった。結果的に半目負けの碁になった。大いに反省すべしである。この「コウ争いの大きさに比して小さいコウ立て」は病気である。勝負を決めるような大きなコウ争いのときは大きいコウ立てをしなければ、勝てるものが勝てなくなる。

 結論はこうなる。「コウの下手(へた)は、コウに行く時に行かず、行かぬが良い時に行って損をする。コウの上手(じょうず)は、コウに行かぬが良い時には行かず、行くべき時には行って戦果を挙げる。且つ下手は損コウを常用し意に介さない。上手は損コウを打たない。この理を知ってコウ争い技術を身につけるべきである。

 2014.08.04日、2016.10.03日 囲碁吉拝

【棋道講座その№、蘇耀国8段の「天下コウの価値は絶大」】
 蘇耀国8段の「コウ争いのテクニック(1)「天下コウ」の価値は絶大(寄稿連載)」参照。
 テーマ/天下コウ
課題元図
 黒1の切りでコウが発生。白2の取りに黒3のツケをコウダテにした局面。この場面で白はイの解消か、ロの受けか。
正解図
 白1と解消する一手。ポンポンと抜いた白の姿は強力無比で盤上を圧する。中央に向けてポンポンと抜けるコウの価値が絶大ないわゆる「天下コウ」なので、相手がどんなコウダテを打ってきても構わず抜くのが良い。黒2と突き抜かれても、白3と下辺を割り打ちして十分である。左上の黒が浮き石となっているし何より▲がまったくの無駄手となっているのが大きい。
不正解図
 白1の受けはチャンスを逃した。というより、黒2とコウを取り返され窮している。白にはコウダテがない。かといって白Aとつぐのでは黒にコウをつがれ、その後の収拾方法がない。
 テーマ/天下コウ
課題元図
 黒1で4とつぎ、白イ、黒ロなら無条件生きのところ、黒1、3とあえてコウにしてきた。白4のコウ取りに黒5のツケコシをコウダテにしようという意図である。ここで白は右下を受けるべきか、コウを解消するべきかを問う。
正解図
 白1とコウを解消する一手。黒2の連打も相当な大きさだが、左上の出入りはそれ以上で、黒2には白3と飛べば、それほどキツい攻めにあうこともなさそうである。左上は本来、黒から無条件生きがあった所であるので、白に不満はない分かれと云えよう。言わば左上のコウは天下コウであったことになる。
不正解図
 白1と右下を受けるのは、黒2とコウを取り返され、今度は白にコウダテがない。白3のツケには黒4と解消して黒良しである。白5の突き抜きもすごい連打であるが、黒6と伸びると左上が一気に黒の勢力圏になる。左上が完全な白地となった1図と比較すると、この出入りのすさまじさが分かる。一言で表現するとすれば、「コウに負けた時にひどい姿になってしまうコウは天下コウ。見ずに抜け」となる。このケースで言えば、左上黒の生死に関する地の出入りだけでもべらぼうな大きさであるが、黒がコウに勝った時に外側の白がボロボロになるので、価値がさらに倍増している。
 テーマ/花見コウ
課題元図
 黒1から5まで、白の生死をかけたコウ争いが発生した局面。白6のコウダテに対し、黒はコウを解消すべきか、受けるべきか。
不正解図
 右上隅のコウの出入りは目数にして30目は下らないが、黒1と解消するのは疑問手である。なんとならば、白2の突き抜きがそれ以上の大きさで、左辺一帯が一気に白の大勢力圏となってしまうからである。局面全体を見渡してみても、右上と右下の黒地だけでは、とても間に合いそうにない。
正解図
 黒1と受けるのが正しい。白2とコウを取り返されると、黒から明確なコウダテが見あたらない碁形ではあるが構わない。平然と黒3の大場を占め、白4のコウ解消に黒5と大場を連打して十分である。コウには負けたが、△が悪手化しているし、局面全体の形勢として黒リードと言ってもいい。右上隅のコウは天下コウではなく黒からすれば花見コウである。なぜかと言えば、「右上の黒は丈夫な姿をしているので、コウに負けても大した被害ではない」からである。つまり、地の出入りだけの問題なので、それならば大場の連打で十分におつりが来るということである。
 テーマ/駆け引きコウ
課題元図
 白1、3とコウを仕掛けてきた局面。この時点でまず言えるのは、白3でイとつぎ、黒ロ、白ハなら無条件生きだったのですから「コウにしてくれただけで黒は得をしている」ことになる。このことを踏まえて対応すべきである。
不正解図
 コウが怖いという意識ばかりが先立っている。コウを取らずに黒1とついでしまう人の何と多いことか。こんな弱気でいいはずがない。
正解図
 4(1の左)、7(1)
 何はともあれ黒1と取る一手である。コウが怖いのなら白2の時に黒Aと解消すればいい。しかし黒には5という絶好のコウダテがあるので、3と受けてコウを続けることもできる。

【コウの争い方】
 「白石勇一の囲碁日記」の2017年09月02日付けブログ「コウ」参照。
テーマ図
 白△と、×にあった黒石を抜いたところです。上辺の黒が心配ですが、守り方は黒AとB、どちらが適切でしょうか?
不正解図
 本譜黒1は形が緩んでいる。こういった手はかえって危険になるものです。白2、4と進出され、白Aを見られて黒△一団が心配になりました。また、逃げ出した中央の黒もまだまだ安心できません。
正解図
 ここは緩まず黒1と当てるのが石の形であり、正解です。白2とつないでくれれば、黒3のカケツギで全体がつながります。黒Aの切りから白△を取りに行く手まで残り、全図とは比べ物にならないほど良い図です。しかし、こう打てない方も多いのです。その理由は・・・。
その後図
 黒1に対してつながず、白2と切ってコウ。ここで非常に役に立つ格言があります。それは「初コウにコウ立てなし」というものです。初コウとは序盤にできるコウのことを指しています。序盤では大きなコウ立てはなかなかできないので、コウは先に取った方が相当有利になりますよ、という格言です。序盤のコウは仕掛けられた側が先に取ることが多く、怖がる必要はないのです。

 コウ立ては、ただ2手連打すれば良いというものではありません。多くの場合、普通に大場を打つより数段高い価値を求められます。例えば、黒3のコウ取りに白4をコウ立てにしてみましょう。黒は迷わず5と解消して問題ありません。白×を抜いた黒は非常に強くなり、そこにへばりついた白2、白△の存在価値はほぼ0になってしまいました。結果的に白は3手パスをしたようなものです。一方、右辺では黒△がなかなか酷い形になっていますが、黒7と押さえていれば生き死にの問題にはなりません。お互いの悪手の数が明らかに違い、黒が大きく得をした振り替わりです。黒△で中央を止める手も残っています。こういったことが理屈で分かっていても、実戦だと怖くなってしまうかもしれません。克服するには、とにかくコウに慣れるしかありません。小ヨセの小さなコウでも良いので、コウ争いを頑張る習慣を付けると良いでしょう。

【棋道講座その№、万年コウ】
 万年コウとは、両者ともに自分からは仕掛けにいきづらい、仕掛けにいったほうが不利な本コウになるという特殊なコウで、そのまま終局してセキにするのが相場のコウを云う。但し、そのままセキで終局してしまっては負けが確定してしまう時、コウ材が圧倒的に有利な場合に、敢えてコウを仕掛けにいく時もある。

コウ






(私論.私見)