石好み(2)、定石論、棋道論 |
更新日/2014.09.23日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで、囲碁吉の「石好み(2)、定石論、棋道論」を記しておく。 |
【囲碁吉の定石論その1、「定石は覚えて忘れろ」の正しい理解の仕方】 |
定石は墨守するものではない。そもそも囲碁は「和戦両様、臨機応変、変幻自在」の手を良しとする。金科玉条式に「定石はこうである。ここに打つべきである」と不自由を強いられることはあってはならない。これが定石論の原則である。「定石は覚えて忘れろ」と言い聞かされている。配石に応じて局面に応じて打つ以上、型通りの定石は通用せぬのは当たり前のことである。プロに、「私はあまり定石を知りません。打った手が結果的に定石の図のようになるのです」と云われる通りのものである。 ではあるものの、「定石は覚えて忘れろ」の格言の理解を正確にする必要があると思う。この言を定石軽視論で受け取ってはならない。ここを強調したい。正しい理解は、「定石は覚えて、なお且つ忘れろ」であり、決して「定石を覚える必要はない」とする定石軽視論ではない。定石軽視論的受け取りで「忘れろ」を印象づけられて鵜呑みにしてはいけない。 我々はまずは定石を習得すべきである。留意すべきは、定石の際の選択肢の広さを知りながら学ぶことである。同じ局面で定石は幾通りもある。そのうちの一つか二つの代表的な定石しか知らされていない。そういう僅かしか知らされていない定石を金科玉条式に当て嵌めようとするから定石を覚えて却って変なことになる訳である。そういう窮屈な定石定規がダメと心得ねばならない。書籍本は編集の都合上、代表的な定石を挙げているだけで、実際には「或る一手」に対して考えられる限りの通りがあり、そのそれぞれが更に枝分かれして膨大になっていることを知らねばならない。 そういう幅広く奥行きのある定石体系の中から最も相応しいと思われる定石を主体的に選ぶのが囲碁の楽しみであり、どれを選ぶかがその人の感性である。その定石は昔からの定石と今現に新たに生まれつつある新手定石から成り立っている。そういう定石であることを分別する必要がある。そういう意味で定石は束縛されるものではなく、詳しく知っておけばおくほど寧ろ着手の自由を得る手段のものである。従って、「定石を覚えて、より自由になれ」こそ真意である。そういう訳で定石軽視論的に受け取ってはならない。定石修得を疎かにしたままでの定石軽視論は上達スピードを遅くする。尤もネット上では今のところ網羅的な格好の定石集が公開されていないので定石修得が難しい状況にある。そこで、囲碁吉が自習用定石集を作成し公開しようとしている。今構想しつつある囲碁吉式自習用定石集がありせば囲碁吉は今頃は少なくとも県代表クラスにはなっていたと思う。惜しいことをしたことになる。 ちなみに、囲碁吉は、上級者に対する置碁でも、せめて心掛けだけは互い先の気分で打って参ろうと願っている。常に囲碁吉式の大局観に従って打とうとしてきたつもりである。この心がけが崩されることはしょっちゅうではあるが、この打ち方がまがりなりにも今日の棋力に導いてくれたと自覚している。ところが大局観だけではうまくいかない。既に述べたように修身論がしっかりしていなければならない。次に技術論がしっかりしていなければならない。なぜなら寄せを上手にしないとズルズルと損を重ねてしまうからである。そういう意味で寄せの手を覚えねばならない。俗に「アマの場合には寄せで二十目は変わる。つまり損する」と云われる。更に隅の手味を知っておかなければならない。隅に手が要るのか要らないのかを知って打たなければ厳しさの足りない大味なものになってしまう。攻めるにせよ守るにせよ隅の手味を見て打たないと損をする。そういう意味で死活を覚えておかねばならない。 そうやって、寄せと死活を学ぶと次に定石、手筋、手順、死活、詰め碁に明るくなければならない。囲碁吉はこれまで感覚だけで打って参ったが、そろそろこれらの「最低限の棋理」に通じておかねばならないと考え始めている。それにより石に粘りが出てくるように思う。石の急所が分かれば痛快である。次に、攻め合いの勝ち負けを見抜き、賢く応じたいと考えている。この読みを杜撰にするばかりに、これまで何度あたら惜しい勝ち機会を逃したことでせう。あるいは余計なあらぬ方向での闘いに消耗したことであろうか。 2013.6.3日 囲碁吉拝 |
【囲碁吉の棋道論その1、定石譜共有化へ向けての提言】 |
囲碁吉は囲碁が大好きです。子供の頃将棋を覚えましたが、囲碁は19歳の時覚えたての人から教わりました。不思議なことにコウも含め直ぐに理解しました。但し、覚えたての人から教わったので生き死にと地取りの勝負ゲームとして夢中になったものの、囲碁の奥深さに気づくまでには至りませんでした。その頃の棋力は恐らく15級ぐらいだったと思います。学生時代は他のことで忙しくほとんど打ててません。社会人になってからの30歳頃にふとした機縁で三段くらいの人に手ほどきしていただきました。5子から始め忽ち先の手合いになりました。上達の早かったその頃の或る日、通いつめていた碁会所で、高校生の子供が私以上のスピードでグングン強くなっていくのを目の当たりにし、ショックで囲碁から遠ざかりました。以来、麻雀に没頭する身になりました。独身でしたので家に早く帰ってもつまらないので麻雀に明け暮れました。勢い徹夜徹夜でよくぞ命が持ったものだと感心しております。十年くらい続けましたが、人には素質として元々の牌運の強い人がいることに気づき、その頃不意に囲碁をもう一度習い直そうと思い立ちました。 40過ぎの頃、これまた機縁で碁会所を開設しました。あれから二十余年、囲碁の腕前は五段辺りになりました。当初の抱負と向上心に比して上達の歩みは遅いです。上達を早める良い方法はないかなと思ううちの或る時、インターネットの活用を思いつきました。ネットゲームに興じるだけでなく、サイトに囲碁の上達法を記し、私自身も含め皆様に役立つようにしたらどうだろうと思いつきました。そういう気持ちからネット公開されているものに目を通しましたが今いち使い勝手が悪い気がしております。と云うか著作権がらみの防壁を張ってわざわざ学びにくくしているような気がします。 そこで、そういう覆いを取り払い囲碁吉向けに編集してみようと思い立ちました。それはひとり囲碁吉のみならず他の方にも資すると思うからです。ただ囲碁吉は囲碁ソフトが扱えませんので、ネット上に出ているのを借用させて貰うことにしました。時間が大幅に短縮でき感謝しております。ここに御礼申し上げておきます。著作権がうるさい頃なので、これにクレームが来るようなら自前のもので創り直したいと思います。いずれにせよ早かれ遅かれ囲碁ソフトを活用して自前のものを作りたいと思っています。現在、ソフトの使い方が分からず困っております。どなたか操作できる方が協力していただけたら一緒に作りたいと思います。あるいは囲碁吉に操作の仕方を教えてくだされば後は自力でやります。(念ずれば通ずで、パソコン塾の先生と知り合い、相談したところ、まずまずのソフトができました。長年の夢が叶ってうれしいです) 要するに、囲碁吉に分かり易いオリジナルの定石譜を作図したいのです。「ネットで見られる囲碁吉式オリジナル囲碁定石集」を市井に提供したいと思っております。これを最低限習っておけば棋力上達間違いなしを請けあいます。今の我々は圧倒的に知識が不足しており、これが為に万年初段、万年六段の域を超えられないと思っております。せっかく覚えた碁ですから、せめて天下六段、アマの最高峰ぐらいまでにはなりたいと思います。 最近、スカパー登録し囲碁将棋チャンネルを見続けております。或る時、中国棋院の対局解説を聞き感心しました。日本式上品さとはひと味違う本音式の解説に目からうろこが落ちる思いをしました。女性アシスタントの突っ込みも素晴しく日本式の相槌打つだけの大人しいものではありません。男女それぞれの解説者が対局者の手を時に厳しく時に称賛しつつ遣り取りしておりました。解説つうものはこうでなくては面白くないなと思いました。この様子では対局は無論のこと解説まで日本囲碁は中国囲碁に勝てないなと思いました。 情けないことに日本棋界は中国、韓国に勝てなくなりつつあると云うのに、この現状打開に真剣に向き合わず、逆に著作権囲いに熱心な傾向を帯びつつあります。誰が智恵をつけたのか分かりませんが、囲碁の著作権囲いなぞはっきり邪道でせう。むしろ逆です。もっともっと情報公開することが望まれているのではないでせうか。旧定石から新定石まで学び易くしておき、棋譜の閲覧を自由にさせ、不断に棋界愛好者のレベルを上げ裾野を広げる必要があるのではないでせうか。囲碁吉は、日本棋界を侵食しつつあるこの病気を指弾します。今どきの著作権はユダヤ商法です。チンケなユダヤ商法に馴染むなかれ。それは歴史に見慣れた滅びの道と警告しておきます。そういう思いから「ネットで見られる囲碁吉式オリジナル囲碁定石図」を一刻も早くサイトアップしようと思っております。共鳴された方の協力を求めます。 ここでは、シニアー向け並びに囲碁吉の自習用として整理しておきたいと思います。「シニア用」と銘打つのは、内容が上級者向けという意味ではありません。囲碁とは何かを説明するのに、わざわざジュニア向けにやさしく表現するのではなく、物事を表現するのに最も的確な言葉を探し、その限りで難しい表現をすることもあるという意味で名づけております。誤解なきようあらかじめお断り申し上げておきます。思えば、本サイトのようなものがあれば、囲碁吉の上達も見る見る早かったのではないかと考えております。そういう意味で早く囲碁吉定石集を作りたいと思っております。 囲碁は今や国際的なものになっておりますが、かっての王者・日本は苦戦しております。口惜しいです。我々レベルの裾野のレベルを上げないとプロの腕も上がらないと考えます。プロに対する質問をもっと高度なところでやるべきだと考えます。このやり取りが回り回ってプロの水準を鍛えると思っております。プロとは、アマの肩車に乗って闘う騎馬戦のようなものではないかと思っています。気になって今、日本棋院、関西棋院のホームページを確認したところ、定石に関する解説がありません。何を考えているのか、まずは手本を示すのが筋でせうに。仮に著作権料狙いで伏せているとしたら何とかの穴が小さいと思います。何事も須らく裾野を広げる努力があってこそ栄える筈です。目先の僅かの著作権収入をあてにして根を枯らす愚に染まらないように願います。 と、ここまで書いたところ、「ほわいとの囲碁のページ 」、「定石館」、「定石のススメ」、「日本メール碁会」、「大淀囲碁クラブ」、「囲碁定石シミレーション」、「★星の定石★」、「しげちゃんのホームページ」、「囲碁定石・布石まとめ」を見つけました。それぞれにすばらしい出来映えですが、膨大な定石集をどう纏めるのかで苦労しているようです。如何に系統づけ、これを分かり易くするのかが問われております。これらを参考にしながら、囲碁吉も定石集づくりに参戦しようと思います。 囲碁吉定石集の眼目は、定石の着手の分かれ道に於いて、一手一手の意味を確認しながら追跡する構成にしたところにあります。従来のそれは一括して定石図を掲載していますので、読む側には暗記用になってしまいます。そうではなく一手毎の意味に頷きながら結果的に定石図になる経緯を確認したいと思います。伝聞ですが、或るプロが、「私はあまり定石を知りません。打った手が結果的に定石の図のようになるのです」と広言しているとのことです。知りあいのアマ四段の方が感動をもって教えてくれたのですが、定石と云うものの受け取りようとして案外そうなのではないでせうか。 もとへ。定石の一手一手の意味の解説は恐らく従来の書籍型では膨大な紙数になるのでできなかったのではないかと思います。紙数の心配のないネットの登場時代に於いては、それに合わせた解析方法があると思います。ここでは徹底的に系統立てつつ一手毎定石図の作成に向かおうと思います。これが囲碁吉定石集の特徴になります。 2013.6.3日 囲碁吉拝 |
【囲碁吉の棋道論その2、囲碁吉定石集のスタイル】 | ||||||||||
さて、こうやって囲碁吉の定石集を手掛け始めたのだが、実に骨の折れること。恐らく係りきりの三年、今のままでは十年がかりの作業になることと思われます。やらなければよかったと思う反面、囲碁吉がやらないと誰がやると云う思いもあり、結局やり続けることになるでせう。途中でできなくなったとしても、誰かがこのスタイルを継承してくれるはずと思っております。 ここで、囲碁吉定石集のスタイルを確認しておきます。
恐らく、以上の確認事項に基づく定石集は今のところ他にないオリジナルなものであると自負しています。書籍と違ってネットでは紙数を気にする必要がありませんので、こういうスタイルのものが生まれることになったと思っております。そういう意味でネットが生み出したネット能力活用型の新定石集の試み足り得ているのではないでせうか。今のところ記すばかりですが、追々にさらに見易く理解し易い形で再整理するつもりです。囲碁吉の自習用として及び意欲する者に喜ばれるプレゼントになれば良いと思っています。 やり始めて気づいたことがあります。やはり、こういう定石集は誰かが編集してサイトアップしておかねばならないと思いました。それにより囲碁熟達のスピードが違うと思います。プロは低い次元で指導ばかりしていてはいけません。アマのレベルをプロ並みに上げて、プロはその上で飯を食わねばならないと思います。加えて次のような気づきを得ました。定石は詰碁同様、難しいものではあるが楽しい面もあります。むしろ定石の方が石の運びが闊達で、定石を習うことにより手が縮こまるのではなく、より自由に選択肢が広がり楽しめるのではないかと。定石を習うことにより手が縮こまるとするならば、教えられている定石の数と幅が狭すぎることに起因しており、実際の定石は百花繚乱であり、定石がこんなに自由に打てるのかと目を洗われるでせう。このことが云いたかったのです。 この理屈は将棋でも同じと思います。ちなみに囲碁は定石、将棋は定跡と云う。読みは同じ「じょうせき」と読む。漢字表記が違うところがまことにツボを得ていると思います。 2013.6.16日 囲碁吉拝 |
【「囲碁定石論 定石を覚えると強くなる?」転載】 | ||||||
定石論に関して「囲碁定石論 定石を覚えると強くなる?」という小エッセイがサイトアップされています。興味深い一文なので、これを転載しておく。
中山典之著「囲碁の魅力」が次のように述べている。これを採録しておく。
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【棋道論】 |
【Camellia氏の囲碁効用論】 | |||
「Camelliaの囲碁観」を転載しておく。
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1934年に刊行された木谷実、呉清源、安永一共著「囲碁革命・新布石法」の「新布石・星・三三・天元の運用」より。「本書の特色として、眼から頭へ、盤石要らず・・」。「天元は平均における最優位」。「星は平均の極致」。 |
歌人/馬場あき子(1928-)の囲碁諭。
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(私論.私見)