囲碁の効用石好み(1)、碁会所開設の弁ほか

 更新日/2020(平成31、5.1栄和改元/栄和2).10.5日 

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、囲碁吉の「囲碁の効用石好み(1)、碁会所開設の弁ほか」を記しておく。

 更新日2016.12.24日 囲碁吉拝


【碁会所開設前の手記】
 世に囲碁を楽しむ輩は多士済済であろうが、碁会所をつくるまでに思いを至らせる者は珍しい。身近な碁会所の現状が、余生の嗜み程度に止めておきなさいと問わず語りするのであろう。この理屈からすれば、只今働き盛りの43歳にして囲碁初段に毛が生えた程度の棋力でしかない私が囲碁クラブの経営に乗り出すということは無謀極まるダメツマリ手なのかも知れない。「止せ」の声が為されるのも致し方ない。只、生来の聞かん気と衝動によって、とうとうこの扉をこじあけることになった。既にルビコン川を渡ってしまった以上、今更不安を覚える訳には行かない。という訳で、この小文はその実録であり、只今進行中のドキュメントエッセイとしての序文となる。

 昔より、ばくち打ちは親子の縁を切られ、囲碁将棋指しは親の死に目に会えないと云われる。この言葉を聞いて、生涯覚えまいと云い聞かせる者も多いというのに、私は興味を示す部類の人となってしまった。多分幼少の頃に将棋を覚えたことが影響しているのだろう。囲碁は17歳の頃に教わった。覚えたての人から教わり、二眼あればの生き死に、コウの決め事も聞きながらすぐに覚えたのは我ながら不思議である。但し、覚えたもののさほど夢中になるでもなく、つかず離れず今日に至っている。帰省して碁会所へ通うようになりだした頃の一時は天井盤を浮き上がらせるまでに夢中になったものだが、その後、詰め襟姿の高校生が私の出世より早く、当初は二子置かせていたのが逆に置かされる嵌めになり途端に嫌になった。その反動でかその後は鳴り物入りの中国語にのめりこんでしまった。時にマイク派ネオン党ともなり、時にはデートもせにゃならぬ身でオイソガシ氏となるうちに、上達のお呼びがかからなくなってしまった。それでも時に近所の囲碁好きが事務所に立ち寄りくださり暇つぶし的に暇つぶしをしていた。

 その二人が碁会所を開設したいなぁと口にするようになり、その願いが通じたか格好の店舗を見つけることになった。直前まで共同経営を誓っていたが、さてその盃を飲み干す契約の時点で相棒が抜けることになった。まぁいいや共同経営のやりにくさもあろうからとの思いから初志貫徹させた。碁会所をつくった時点の私の棋力は三段くらいだと思っていたが、後に、強い人から三段はなかったなぁ初二段ぐらいだったよと云われた。そうだったかもしれない。それはそれとして、私の碁会所開設信念とでもいうべきものをここに綴り、後々の私の慰みにしようと思う。
 碁会所風景その一、囲碁の秀逸性について。

 「世の中のゲームのうちで何が一番面白いかというと、やはり囲碁だなぁ」ということについて、ひとしきり話題となる。結論は、品性宜しく穏やか(本当かなぁ)であるということにおいて、又閑(暇)さえれば手軽に身近で僅かのお金で楽しめる点で、あるいは生涯通じて息長く取り組める等々ですぐれものということで一致する。これを凌ぐものがあるとすれば、「陸の王者ゴルフ」であろうということであるが、私はクラブを振らないから判らない。

 物事にはそれが存続する以上それなりの良さがあり、どれが一番と決めつけるのは早計な考えかも知れない。が、我らが碁キチには囲碁こそ一番と惚れてみたい気分がある。囲碁の最大の魅力は、何と云ったって盤中に「人生」の匂いを嗅ぐことができるということである。縦線十九×横線十九合わせて三百六十一路の盤上世界のうちに「天」あり「地」あり「星」があるということからして正統派だ。交互に着手される黒石白石の紋様は上手が打てば傍目にも妖しく美しい。

 ちなみに囲碁が相対する二種の石より成立していることには深い哲理が内在しているように思われる。将棋の駒数に比べ麻雀の牌種に比べてみて、碁には白黒のわずか二種しかない。この形式によると、囲碁は最も簡明と思われるが事実はさにあらず。その簡明さのうちに途方もない奥行きが隠されている。千差万別にして複雑な幅と厚みの質量を備えている。丁度世の中のあらゆる組み合わせの中で、例えば水墨画の白黒の濃淡、男と女のように二種しかない相対者の関係に似て、囲碁は簡明さの奥に深淵を横たえている。あたかも単純なもののうちにこそ幽玄なる世界が宿されているという逆説を表象しているようにさえ思われる。囲碁の哲理が古くより陰陽道になぞらえられる所以のものであろう。

 もう一つ。白石黒石の一石そのものの相互の価値が外観上同等であるという魅力も意味深である。将棋の駒が王将から歩に至るまで身分的あるいは職能的な差異を模しているのに比べ、麻雀牌が宇宙を形象することにより多種にならざるを得ないのに比べ、碁石の白黒はどこまでも平等な同種のうちに自らを沈潜させている。まるで老若男女身分と貴賎を問わぬが如くに。にも拘わらず、この同種の対等な石は互いを連携結合したり捨石の役を引き受けことにより、絡みの中で自らの役割と職分を全うしようとする。そういう石の組立て構造が人によって皆な違う。ここに碁の面白さがあるのだろうと思われる。

 そもそも着手前の始元においては没個性的にして変哲のない一石一石が、着手される毎に個性を帯び深め、やがて要石となりあるいは軽石となり、その役目が入れ替わったり変化して行く。やがて隅に根を張り、辺に向かい、天にも昇り、千変万化の世界へと進んでいくことになる。様々な技巧を弄しながら、あたかも石には生命が宿っているかのような紋様を綾なしていくことになる。してみれば、囲碁はなかなかに玄妙な世界ではなかろうか。近代の民主主義の概念と似ているようで非なる独特のあり得そうな世界を構築しているように思える。こうした世界を縦横無尽に操る師ありとすればまさに仙人であり神であろう。さしあたり囲碁の素晴らしい特性としてこのことを認めておくことが大事なことと思われる。

 囲碁の着手の基本は謙譲なる精神によって始められ、やがてのっぴきならぬ進行が避けられないまでも、この間の問わず語りの「手談」が楽しい。当初の冷静さも何のその、興じるうちに突如早うちマックと変身する人、眉間に皺を寄せる人、息を潜める人、可可大笑する人、シャミセンを奏でる人等々百人百様の風景を現出する。黙れうるさい表へ出ろと熱血漢になった人さえ見たことがある。終局後の心地良さ惨めさは例えようもない。盤上の石は単なる石ではない。我が身の命、人生、知性、能力の投影なのである。従って、大石が殺された挙げ句の投了にでもされようものなら自己否定されたことになり、憮然とした気持ちを抑えきれない。溜飲を下げたり下げさせられたり、その癖又性懲りもなく又挑み挑まれることとなる。「碁敵は 憎さも憎し 懐かしし」の「たかが碁されど碁」なのである。こうして忽ち碁打ちは碁キチとなり、囲碁を人生の友、女房の替わりにする者が跡を絶たない。その深層心理には、一度きりの人生を、盤上において何度もズームアップして味わおうという贅沢三昧にあるのかも知れない。これが第一の魅力である。

 囲碁の魅力を突き詰めると、その思考回路の弁証法性へと辿り着く。「手談」と云われる囲碁の思考法は、かなりに高度な精神技術なのではなかろうか。熟練と感覚の差によって着手に違いが生じるとはいえ、一手一手に妥当性と合理性を求める心情は元々に於いてはプロもアマチュアも変わりない。そこには形勢判断と大局観に基づく最善手を求める姿が等しくあるというべきであろう。この精神にこそ値打ちがある。棋理を分別しようとするこの石の流れは、日常生活に苦吟する思考と軌を一にしている。その証拠に、囲碁用語のほとんど総てが日常会話に溶け込んでいたり、簡潔に物事を表現するのに役立っていることで証明される。つまり、手筋を含めて棋理そのものが現実の処世術をカリカチュアしているということだ。即ち、囲碁は人生を表現している。ここに囲碁の魅力と楽しみの秀逸性がある。高度な技芸にまで高め上げた専門棋士の精神は既に文学者のそれに近い。棋士の手による解説手記の的確さ面白さが、文士のそれを上回るということもあながち偶然ではない。

 囲碁は仕事に直通しているという良さもある。あまりに通じ過ぎて病膏肓に至る例もなきにしあらずであるが、有り体に云って囲碁に興じている時は気分が充実しており仕事への着手もリズミカルである。それもその筈で、布石から序盤、中盤、終盤より寄せへと向かう囲碁の流れは仕事の段取りそのものと云える。さしづめ定石はマニュアルのようなものであり、格言は業務の手引きであり、「貪るなかれ」で始まる「囲碁十けつの教え」は、人生訓であり社訓なのであろう。

 こうして盤中が人生であり仕事であるとすれば、必然的に囲碁に打ち込む私は処世術の達人の域に近づいていくことになる筈なのであるが、あたら惜しいことに性格が災いしてしまう。性格ということで云えば、囲碁は碁打ちの鏡屋敷でもある。盤面に打ち手の癖性分が映し出される。向上心のある者であれば、対局を通じて汝自身の癖性分が知らされる訳だから、自己を矯正し磨くことをも使命とするようになるだろう。上達とワンセットになっているのではなかろうか。

 興味深いことに、人の性格に千差万別があるように、万人が万人の棋譜を持ち、専門棋士の打ち筋でさえ一様とはならない。足早な碁。これは早めに地を稼ぐが石の線が細くなる。重厚な碁。これは足は遅いが地よりも勢力を重視しており石の線の太い碁である。この二種を両極として地取り碁対力戦碁、地下鉄流対宇宙流、せらい碁、プッツン碁、豆撒き碁等々が現われ、皆な銘々の個性を見せる。上達へと精進を続けるうちに棋風も自ずと変化も見せるのであろうが、その究極は恐らく根底的に自分自身の器量との釣り合いのうちにあるのであろう。してみれば、囲碁は「汝自身を知れ」という至言に忠実な小道具であるかも知れない。この原理も又囲碁の魅力である。

 ちなみに私は、「麻雀は営業の遊び、将棋は職人の遊び、囲碁は経営者の遊び」と割り切って楽しんできた。補足しておけば、囲碁将棋麻雀を上等下等的に仕分けしようとしているのではない。真意は、人は誰しも営業、職人、経営的な才覚を宿しており、この三種の才覚を磨かねばならず、その磨いた才覚を発揮して生きねばならないと思っている。現実の生業(なりわい)がこれを許さないのなら、せめて息抜き的にでも囲碁将棋麻雀に興じ芸を磨くことで脳と精神を鍛錬、充足せねばならないと思っている。

 その囲碁将棋麻雀を比較しておけば、どれも一長一短であるが麻雀は牌を隠していることが頂けない。もっともそこが面白いという説もある。手の内を隠して駆け引きするという意味で営業トレーニングそのものではなかろうか。将棋は、盤面を晒して技両を競う面では囲碁と同じであるが、アマチュアの我々にとっては囲碁に比べて攻撃と防御が一方的になってしまい、その厳しさが逆に盛り上がりを欠かせる向きがある。もっとも専門棋士ともなると迫力満点の一手芸の差を見せる訳であるから流石ではある。将棋をヨイショしておけば、取り駒を活用するゲームと云う点で世界に珍しいと云うか唯一の日本式のものであり、日本が生んだ和の国日本らしいゲームである。

 只、棋力の差を調整する方法が囲碁ほど合理的でないように思われる。囲碁には棋力の差を置石とコミの組合わせによってミクロの世界まで調整し得る良さがある。こうして碁打ちは常に互角で争うことができ、極端な悪手を打たない限り一方的には悪くならない。仮に、一隅の石の応接を間違え、不利な「分かれ」を蒙ったとしても、盤面を見渡せばまだまだ救いがあると云う訳だ。否、むしろ取られて取らせた局面に出会うことも稀ではない。こうして忍耐と希望とを維持しながら先へ先へと勝負を息長く伸ばしていくことができる。この鷹揚さが私は好きだ。そして人生と酷似していると思う。
 碁会所風景その二、囲碁史について

 将棋も含めた囲碁のこの秀逸性は、どうやら日本人の知性と文化に多大な貢献をしてきているようである。幾多の「日本人論」のどの一節にも記載されていないが、この知的遊戯こそ裏日本史的な秘中の扉でさえないかと思われる。その囲碁の発祥について一言しておく。一般に、囲碁も将棋も海外(この場合は専らインド、中国を指す)からの伝播説で説かれている。これを、そうではない、日本が始まりであると説くと排外主義的な自尊説になり易いので、今となっては分からない(不詳不分明)とするのが嗜みであろう。但し、何でもかんでも海外伝播説の裏返しとしての自虐主義的な自損説も困りものであるので、その半ばあたりで意図的故意に曖昧にしておくのが知恵かもしれない。

 この態度は、明治維新時の文明開化対応にも関連してくる。それまでの日本を遅れた未開野蛮国と見做し文明開化を積極的に受容せしめるのか、それまでの日本を世界に冠たる独自な日本文明国と見做し文明開化と丁々発止で渡り合うのか、と問う判断が問われることになる。第二次世界大戦終戦時の自由民主主義化対応にも関連してくる。それまでの日本を政治的に遅れた未開野蛮国と見做し、GHQ主導の戦後民主主義を積極的に受容せしめるのか、それまでの日本を世界に冠たる独自な日本文明国と見做し戦後民主主義と丁々発止で渡り合うのか、と問う判断が問われることになる。

 もとへ。日本が古来囲碁先進国であった様子は歴史資料によって裏づけられる。西暦8世紀の頃の平安朝における公家階層の間で盛んであった様子が絵巻物で語られている。女流の「源氏物語」の紫式部(970~)、「枕草子」の清少納言(966~1025)等においても嗜まれていたようで、彼女たちの書き物に囲碁に対する言及がしばしば登場している。指摘されることがないが、この時代に於ける女流の愛棋家の存在は他の国にはない。こういう史実があるというのに、「囲碁は中国で生まれ、七世紀に日本に伝わり日本文化として根付いた」と了解されており、そのことに何の不審も生んでいない。お国自慢は軋轢を生むからこれ以上の言及を控えるが、日本では相当なる昔より紳士淑女の教養として広く普及していたことを踏まえて、何故に古代日本に広範に普及していたのかの検証を求めて行くべきであると思う。

 又、日蓮の棋譜に見られるように代々僧侶階層に愛好され伝授されてきた経過があることも興味深い。戦乱渦巻く戦国期においては、武将達にとって盤面そのものが戦場の如くに想定され、用兵技術が習得されたものと思われる。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三大戦国名将がこぞって碁好きであった様が意外に知られていない。事実は、この三者共に茶席同様囲碁にも興じていた史実を遺している。天下人としては織田信長が先鞭を執ったことになる。私の推理では、愛棋家の織田信長が、愛棋家として名声を得ていた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を知者として召し抱え、藤吉郎はその期待に応えて囲碁で鍛えた算用能力を果敢に発揮させて随所に手柄を立て、次第に大名にまで引き立てられる大出世を遂げて行くと云う囲碁絡みの人生棋譜を遺している。織田信長と豊臣秀吉の関係を碁縁で見るのは初見であろうが、私にはそのように見える。ちなみに「三コウ事変」で知られる日海僧上(後の本因坊算砂)と鹿塩利玄の御前碁は、本能寺の変当日の催しであったと云われている。

 こうした囲碁の歴史は豊臣の世、徳川の御世においても衰えることを知らず、むしろますます盛んとなり、世界に先駆けて「碁所」としての家元制を確立し、その権勢を競わせる御代を築いた。かなりの囲碁人口が裾野として存在することなしにはあり得なかったであろう。御城碁はその頂点において格式高く催されたに相違ない。当時の士族、商家、豪農達の屋敷より相当なる碁盤が秘蔵され、今に現存していることはその証左である。

 やがて明治維新を迎えるが、この御一新こそ究極の囲碁将棋的大局観を働かせた技ではなかったか、と考えてみるのも興味深い。明治、大正、昭和と御代が下っても、囲碁将棋熱は一世を風靡し続け、本因坊戦の行方を廻って巷に関心が渦巻き、これを報じた新聞が飛ぶように売れるなど庶民の大きな関心事になっていた様が伝えられている等々。

 我が炯眼にると、今日のようにマスメディアの発達がない時代においては、祖先は古来より相互の家庭あるいは屋敷への行き来を盛んとしており、囲碁将棋に対して相当の時間を費やしていた生活が浮かび上がってくる。縁台将棋と云えばなつかしい日本の原風景でもある。打ち手達は、元々暇つぶしでこれらを愛好していたのかも知れないが、日本政治の素晴らしさであるが、日本の時の為政者は意識的に知育を重視しており、故に囲碁将棋を護り育てて来た節がある。国技としての相撲を始め「道」と称される様々の技芸を表の伝統とすれば、囲碁将棋は日本の裏の伝統であると云えるのかも知れない。それはこの技芸を愛好する過程で培われる「手談」の弁証法的な思考法、「大局観」と呼ばれる盤面全体を見渡す判断力等が有益であるとみなされていたからに他ならない。

 こうして、我らが祖先は、興じながら自然と吸収される囲碁将棋の知性を大事にしてきた。この知性がフィールドバックされて、1970年代に「ジャパン アズ ナンバーワン」と評されるまでに至る日本人の教養、世界観、人生観、処世観、時代対応力というものに堅牢な影響を伝授し続けてきたことが推測されるのである。つまり、日本の経済的発展と教育程度を支える秘密のパンドラの箱だったと云えよう。俗に大和魂と呼ばれるその多くも、武道のみならず囲碁将棋で鍛えられた大和知性に支えられている面を伺う必要がある。
 碁会所風景その三、囲碁史上最強者考

 17世紀の江戸時代の碁界の天下を睥睨した第四世本因坊道策(1645~1702)は内外に敵なく、13段の実力があったと云われている。年に一回行われる御城碁(江戸城の将軍の前で行われる碁)において14連勝し、33歳の時に第四世本因坊に就任するとともに、「名人・碁所」に推挙された。平成16年に日本棋院において実施された第1回特別囲碁殿堂表彰において満票で殿堂入りが決定した。

 本因坊とは、戦国時代末期、京都寂光寺の僧で日海という碁の名手が現れ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。家康は日海を江戸に招き、名人碁所に任じ50石を五人扶持を与えた。日海は寂光寺の一搭頭の名、本因坊を号とし算砂と改名したのが名称の始まりであり、以後、昭和の初めの第21世秀哉まで続き、秀哉没後は選手権の名称となっている。

 第14世本因坊秀策(1829~1862)も評価が高い。秀策は因島に生まれ、「150年来の天才碁豪」と言われた。わずか9歳で日本最高峰の本因坊家に入門し、20歳で第14世本因坊跡目を継承。御城碁では空前絶後の19連勝無敗という偉業を成し遂げるも、34歳の若さで亡くなった。母の訃報から百日の精進に入り椎茸だけを食べていたことで体力が落ちていたところにコレラにかかった。それにもかかわらず本因坊家の人びとの看病をして彼自身が倒れたと伝えられている。因碩との対局での妙手「耳赤の一手」は伝説となっている。

 その秀策の師にあたる丈和の碁歴も凄い。「短躯肥大、眉太く頬豊かにして、従容迫らざれども、爛々たる眼光は犯すべからざる風あり」と伝えられる丈和は入門して来た秀策の碁を見て、「これまさに百五十年来の棋豪(きごう)にして、我が本因坊家の門風はこれより大いに揚(あ)がらん(揚がるであろう)」と見抜いた弁で知られているが、秀策の「御城碁19連勝無敗」に劣らぬ戦歴を遺している。棋譜「十二世本因坊丈和と十一世井上因碩(幻庵因碩)の死闘」は日本棋界の至宝である。丈和が井上因碩(幻庵因碩)に先番を敗れたのは一度だけである。丈和の御城碁の戦績は。


 碁会所風景その四、囲碁の社会的地位

 席主を取り巻く常連が、テレビの国会中継を聞きながら「馬鹿なことを」と言い合っている。もちろん世の中のことだから保守も居れば革新も居れば右も左も居る。だから話しはまとまりを得ないのだけれども、政府要人の公式答弁を鵜呑みにしている者はいない。面白いことである。碁打ちは日頃盤面で、「ノゾキ」が来れば継がずに済ます方法を考えたり、「キリチガエ」(切り違い)を好み、じっと我慢の子で雌伏してみたり、打ち込んでみたり、それを誘ってみたり、総じて相手の言うことを容易には聞かない術をかなりな程度に学んでいる。そういう性格の人が囲碁に向いているとも云える。どだい人の話を鵜呑みにするような性分では上達が覚束ないということでもある。

 こうした訓練が、やがて世事全般に対しても同様の精神を発揮させることになるのに手間暇はかからない。ひっきょう碁打ちは一言居士を造り出すのである。日本人を腹芸同調民族とする論じ方があるが、果たして腹の内にあるこうした批判性まで洞察してのことであろうか。余算ではあるが、亡国の遊びとしての麻雀を禁じて囲碁を奨励する国は、かの為政者達に遠謀深慮があるならいざ知らず、やがてその結果非従順な輩が澎湃と輩出されていくことになることを、どの程度認識しているのだろうか。けだし見ものと着目している。

 以上、囲碁の有効性は主観的にも客観的にも疑いを入れないものがあるとはいえ、これを社会的に了解しようとするには一抹の困難が伴う。囲碁が直接的な生産労働ではないだけに、その意味と意義を見出すことが難しいというジレンマに陥ることが避けられない。このことをどう認識して了解すべきだろうか。一般に娯楽文化は、それがどんなものであろうが、人間の或る機能を見初めてその能力を発達させて行くことにある。それが知性的であろうが身体を駆使するものであろうが、本質的にはどれも一長一短であり甲乙つけ難く、要はオリンピック精神と同じで参加することに意義があるのであろう。人は自らの気質性向に応じてそれが政治であれ宗教であれ娯楽であれ上手に熱中するもののようである。こうしたいわば生産外的な労働は元来暇潰しでしかないものとすれば、その専門家は究極的には穀潰しでしかないということにもなる、というテーマに取り組まねばならない。

 この問いかけはどうやら昔からあったらしく、次の逸話が想起される。逸話その一。或るとき、釈迦が弟子達を連れて田舎道を通り過ぎようとしたところ、農夫が「仕事をせえ」と非難したと云う。この農夫は実は元バラモン教の布教師であり、或る時、生産的労働に生きることが人としての本当の生き方と悔い改め農夫に転身していた人であった。これに応えた釈迦の言葉は、農夫が田畑を耕作するのに畦を作り、これに水を引きというように種々工夫を凝らして収穫へと向かうであろう。我らは精神と頭脳を田畑と見なして同様の苦労と工夫を凝らして耕作しているのだ。これにより得た悟りを聞かすことにより現に助かる者も居る。してみれば、我らの仕事も立派な生産的労働の一つではなかろうか。この釈迦の説法を聞いた農夫はハタと思い当たったと云う。

 囲碁の有用性も同じように考えられ、否、囲碁に限らずひっきょう須らく人間の営みは連鎖しており、その相互作用を前提にすれば総て意味と意義のある行為に相違ない。問題は、その値打ちの付加価値をどう認め、なお且つその主観性客観性社会性をどう得るかということにある。残念ながら、このことを理論的に証明することは難しい。結局のところはいかほどの人に愛され伝承され、その効能が当人とその周囲にどうであったのかという具体的な過程を通じて実証される以外にはないように思われる。なんとなれば、「合理的なものは存在し、存在するものは合理的である」所以にある。

 例えば、農作業の田植え時に囃子が伴う光景について考えてみよう。囃子に人を割くぐらいなら田植えをさせれば良いのにと素朴に思うことにも一理あるであろう。同様のことは戦争においても云える。実戦部隊に混じって旗、太鼓隊が伴う。これはムダではなかろうかと。実際には、囃子によって楽しみが生まれ、生産性が上がり、太鼓によって士気鼓舞と統制が生まれるという効能がある故に存在する訳である。囲碁が愛好される所以も基本的には同質であろうと思われるが如何であろうか。強調するとすれば、囲碁の場合にはこれまで述べてきたように様々の優れものがあるだけにより効能が深いであろうと思われることである。

 それでは、囲碁がそれほど味わい深く有益なものであるとすれば、「棋聖」ともなるとどれほど偉い人ということになるのであろうか、ということについて考えてみるのも面白い。或る集団においては、集団が大事にしている価値に対してより秀でた者が頂点としての権勢を保つことになるのが自然である。従って、囲碁が素晴らしいものであればある程に棋聖は尊崇され権勢を得ることとなるのが勢いである。この法理に照らして棋聖の偉さを評するとすれば、仮に棋界の功労者が文化功労者達の溜まり場の中にあったとした場合に席次をどの辺りに持たれるべきであろうか、という問いにもなる。果たして一等席次を得れるであろうか。並み居る功労者達の中にあって一際光彩を放つことができるであろうか。かって、江戸城下で御城碁に向かう家元あるいは代々の本因坊はその様に威厳を持って振る舞い、それが又相応しくもあったのであろうか。

 なにしろ棋聖は当代の人智の極みを表現する技芸を持ち得た人である。当人は自負を、我らは称賛を惜しんではならない雲上人であることに相違ない。残念ながら、そうした存在であるにも関わらず、どう遇されるべきかその基準は明瞭でない。恐らく次の理由によっている。一体世の中は囲碁に例えれば何路あるのであろうか。人の世を盤面に例えるとすれば、恐らく五十路、否単に路数を増やすだけでなく球体にでもせねばならないであろう。ところで、現下の了解に従えば、五路盤あるいは七路盤があったとして、そこまでは人智により解明可能であるが、九路盤ともなると気の遠くなるほど困難な作業が待ち受けているとされている。確か、神様が居たとして人智の及ぶところはその数%の域にしか達していないという指摘が為されていることを聞いたことがある。とすれば、十九路の世界での名人の極めぶりは、五路盤、七路盤、九路盤、十三路盤に対しては圧倒的な優位を誇るが、他方で、十九路の頂点を極めた者も、幾何級数的に解明不可能な盤数あるいは球体構造を持つ人の世に対してはお手上げであり、棋聖も所詮「お釈迦様の手の平で駆け回る孫悟空」でしかないということになるのであろう。碁界の一人者が碁界の一人者に止まらざるを得ない理由がここにある。してみれば、棋聖とは何と不可思議に権勢名声と謙虚さのバランスを保たねばならぬ存在であることか。
 碁会所風景その五、専門棋士の魅力と務め

 専門棋士の白黒石の流れは美しく、棋士特有の個性を交えながら石の形に均整がある。まさに熟練と磨かれた感性の賜物であろう。我々碁打ちは勝敗に泣き笑いをこぼしながらも、その姿にあやかりたいと思いつつ精進を心がける。ここのところを勘違いして、或る時のこと低級段位者の棋譜をもっと囲碁雑誌に載せるよう主張する文士が居た。実現しないところを見ると一蹴されたのであろうが、実際「愚形」と「ダメ詰まり」と意味不明な石の配列を掲載して何の意味があるであろうか。碁打ちの期待するのは、より高度な石の関連の綾なす必然性と合理性である。その芸を見せることにより、棋士は棋士足り得ている。「ヘボ碁」は目の毒以上にはなり得ない。そういう意味では、専門棋士が「ポカ」をしたり「時間切れ」で着手を間違えたりするような失態は極力あり得てはならない。所詮人間技であるから愛嬌の部分は致し方ないとしても、ここ一番の大勝負は時間無制限のような形式で、あるいは又文殊の知恵による専門棋士同志のコンビによる対局とかによってでも後世に残る棋譜を期待したいと思う。「耳赤の一手」に象徴される数々の名局が光彩を放つように。

 碁打ちの魅力の究極は専門棋士の打碁の魅力につながる。この専門棋士の多くは、相撲の世界がそうであるように「内弟子生活」をしてみたり、義務教育の期間さえ煩わしいほどに一筋の修行に入ることを良しとしている。それで良いのだと思う。もし「学士横綱」のような「学士棋聖」が容易に生まれるようであれば、棋士の修行方法というものを根本から見直さなければならないことになるであろう。その意味で、私には次の逸話が気に入っている。

 逸話その二。或る時、将棋の棋聖が「兄達が東大に入って、あなたは棋聖になった。これ如何に」という質問を受け、「簡明なことです。兄達は私よりできが悪かった」との伝。同じような話しだが、内弟子を抱えた九段の棋士の息子娘達が粛々と東大、慶応大学に入って行ったが、その心情には、血筋の良さにも関わらず同年代の内弟子達に敵(かな)わず、かなり複雑なコンプレックスを抱きながらの進学であったとの伝。

 なるほどこの世界は、世間の価値基準の物差しで計ろうとすれば物差しの方が曲がってしまうほど凄い世界であるべきなのだ。棋士の世界と存在は、そのままで世の風潮に棹差してくれねばならない。権威、権力、財力とは別個の価値基準を貫いてくれなければならない。無辜の大衆への熱いエールとなってくれなければならない。世の中を容易には平面理解させないという意地と自負を屹立(きつりつ)させた世界であってくれねばならない。ここのところが肝心であると思う。

 棋士が対局料に関心を持つことは当然であるが、その精神は業務に対する報酬であって、世俗の価値に従う安寧であってはならない。誤解されてはならないが、棋士にストイックな生活を強要しようというのではない。人間の個としての存在にその人生の意味と意義を見出すことは古来より難しく、一つの基準を押しつけるわけにはいかないのは当然であろう。はっきりしていることは、我らが人生にあっては楽しみを味わう精神を共にしなければ甲斐がないということである。その意味で、棋士も又棋士である以前に人であることからして人としての楽しみを味わうことは自然であろう。願うらくは、棋士は棋道における深みを湧出すること又棋道そのものの面白みを他の諸芸に優るとも劣らない世界へもっと引き上げることに努力して欲しいということである。

 このことは、私がこれから経営する碁会所においても然りと思っている。碁会所を世俗的な名士の溜まり場と為す会員制クラブにしようとは思わない。棋道は棋道の論理より生ずる精神を尊び、始まりにおいては皆な碁石の如く対等であるべきであり、差異を生ぜしめるとすれば碁歴の歩みに対しての敬意であるべきであろう。純粋に囲碁の論理と世界を堪能する経営を心がけたいと思う。

 さて、ぐっと現実的な話をしてみたい。今、大人が遊ぶとして、金のかからないものはない。パチンコでもしようものなら半時で一万円が飛ぶ世の中である。ちょっと飲みに行ってもホステスを逆にお守りしながら金が出て行く世の中である。カラオケ喫茶も煎じ詰めれば理屈は同じ。喫茶店でお茶を飲んでも何時間も粘れる訳がない。そこへくると碁会所はどうだ。いい大人が一日遊んで千円札一枚あれば良い。何なのだこれは。まさに桃源郷ではないか。この異次元の空間を維持する為にも誰かが鈴を付けなければならない、という思いをここ十余年私は引きずって来た。

 このたびは御縁をいただきいよいよ碁会所経営に乗り出せたことはこのこと自体喜びである。やるとなると算盤をはじくことはやめよう。その辺りが私が三段以上になれないところかも知れないが、六段になって分別を得るよりも、下手だからやりたいことがやれる幸せということもあるであろう。人生は遺伝子の授受を別にすれば一回こっきりである。足腰立つうちのパフォーマンスこそ大事にせねばならないと思っている。

 碁会所開設の件で日本棋院へ行ってみた。気遅れのする質であるからボソボソと話をした私にも原因があるにしても、碁会所を作るのでご指導して頂きたいと申し出ているのだ。上にも置かず下にも置かずの接待するぐらいの気配りが本当ではないか(実際にはSさんによくお世話して頂いた)。どこの世界においてもユーザーを大事にしない会社があるとすれば斜陽会社だ。専門棋士達自身も考えねばならない。囲碁人口を増やすということが棋士の生活を安定させてくれることになるのは自明の理だ。この努力を為さずして対局料、顧問料、著作権にばかり目を向けていてはいけない。スポンサーは大衆であり、この裾野の力こそ真に偉大であることを学ばねばならない。

 このことは古くは毛沢東近くは我らが税務署が一番良く知っている。国家収入を増やす一番大きな財源は税金のようにマスとしての大衆からの、本来であれば薄く満遍なく徴収する収奪である。いずれの側からもまさにお客様は神様なのである。棋士が盤面にだけ命を賭ければ良いということは間違いと思う。新聞社の盛衰を見れば分かるように、記者は記事だけに心配りしておいて事足れりということでは傲慢の謗(そし)りを免れない。本当に良い記事はこれを世に広めようとする働きまで伴うべきであり、販売拡張にまで思いを馳せるべきなのだ。

 人は口から入ったものを五臓六腑を通して排泄していく。どこを見ても人の体でありそれぞれが関連して機能しているのである。俺は口であり、脳であるというだけでは人は人足り得ない。関連づけの組織論がいるということだ。棋界も同様である。裾模様拡がって行ってこそ「質は量を規定」し、棋界の向上を果たせるということになる。一流棋士ともなると対局に忙殺されている事情もあるであろう。良き棋譜そのものがプロパガンダとも云える。ならば、そこへ至るまでの棋士は須らく大衆の眼前に出でよ!

 こうした思いから、私はいよいよ碁会所丸を出航させる。名称も「******」と決まった。どういう友が来どういう出会いがあるのか見当つかふが楽しみだ。私の棋力からすれば席主は勤まらぬ。そのうちどなたかにお願いせねばならぬ。それにしても、家賃は大変だ。後片付けも大変だ。私の休みはどうなるのだろう。私の人生はこれで心中することになるのだろうか。まぁそれもいいや。あらかじめ分かってし始めることであるし、世の中あれもこれもと願いながら何もできない理屈が分かってきた頃だ。私の人生の第一巻として成仏する覚悟はできている。それ、ベルが鳴った。

 ****()年**月**日 囲碁吉拝

 (碁会所開設時の弁-最近こんな原稿が出てきたので転写した。その後は折に触れ加筆修正し続けて今日に至っている)

【碁会所開設十年目の手記】
 さて、あれからほぼ十年の月日が過ぎた。「***」も、県下の碁会所としては一応の認知を得てきた。開設以来毎年夏の「地区対抗戦」(県下碁会所、職域のチーム戦)に出場している。最初の年よりB級で二位になり、以来五位以内にたびたび入賞してきた。圧巻は、昨年2001の大会で、A級B級とも優勝という稀に見る快挙を為し遂げた。参加チームも5チームを数え最大人数を送ってきた。囲碁を通して銘々が楽しい人生になれば良い、そのお手伝いとして碁会所を位置づけ、それなりに役目を果たしてきたと自負している。

 その碁会所が、2002年1月末日移転し、新たな出発となった。常連組みの何人かが手伝ってくれ、意外とスムーズに一日で引越しできたことが有り難かった。まだまだ月会員が十数人と少なく、せめて二十人近くになればというのが願いである。今度の碁会所の移転理由は、さすがに家賃が高かったのが主因で、このたびは半額となった。普通並になったということであるが、よくぞ十年近く破格の賃料に耐えてきたこと、今度からは独立採算制で行けそうなことがうれしい。世の中がシビアになってきているので必要な移転であったが、手頃な物件が出てきたことに謝謝。

 碁会所設立当時の決意文が見つかり、久々に読んでみたがなかなか良くできている。補足するとすれば次の一文だろう。人はなぜ囲碁を好むのか。一つに闘争本能の上手な代償行為として日々打ち込んでいるのではなかろうか。もっともこれは囲碁だけのことではない。将棋も麻雀もその類であろう。これらの特異性は凡そケンカ好き性分の人が好むというところにあると思われる。その中で、最も知性要素的なのが将棋であり囲碁であろう。人によっては、この理由で囲碁を避ける者も居る。辛気臭いという表現が為されることが多いが、真意は闘争嫌いというところにあるようである。世の中は良くできており、そういう者が半分、闘争好きな人が半分居るように思われる。後者の闘争好きな者が、世事雑事の中でのフラストレーションを盤面に上手にぶつけることにより、恍惚の納消をしているのではなかろうか。これにより、囲碁の愛好家にはむしろ穏和な者が多い。この逆説を信じられるだろうか、世の中にはこういう逆説がかなりあるように思われる。

 更に補足しておきたいことがある。逆説ということに関してだが、囲碁から見えてくる性差像が面白い。世間では、女性は平和の使者、男性は武骨闘争者と見られているが、囲碁を通じて見えてくる感覚はこれと異なる。むしろ女性のほうがケンカ好きというか石の接近戦を通じて意地の張り合いが激しい。男性のほうが遠謀的で女性碁ほどにはしょっちゅうケンカする訳ではない。これが技量における視野の狭さ広さに起因しているのか性差に起因しているのか断定はできないが、どうも性差に起因していると見なしたほうが良いように思われてならない。誤解があると困るので補足しておくが、女性のケンカ好き碁は盤面の上でそれであり、盤を離れると子育ての絡みによってか横繋がりが自然に富んでいる。男性の方が盤面を離れてまで派閥を形成し抗争を習性とする面が強いように思われる。

 もう一つ補足しておきたい。私の父は先年亡くなったが、その父が晩年囲碁を覚えた。棋力十五級辺りであったから碁というものにはならなかったが、その父にここはこう打つものだと布石を教えようとしたところ、碁仇ともども云うのに、石がゴチャゴチャしてないと打った気になれない。そんな布石はどうでも良いの、こちとら老い先短いんだと述べ聞く気がない。その時は笑って済ませたが、今になって思うことは何らかの真実を云っていたのかも知れないということである。布石から序盤にかけての構想力は明日と未来がある者の世界であり、これに乏しくなるに従い構想力が欠如するという方程式があるのかも知れない。してみれば、構想力とは、人生を生き抜く上での仕事に取り組む上での意欲の現われであり、そうしたものとして見なさないといけないのかも知れない。

 もう一つ云っておきたいことがある。最近になって分かってきたことだが、上達を妨げる最大の要因は、人の言う事を素直に聞けないことかも知れない。下手な打ち手に限って、ここはこう打てば良いのではないかと意見しても聞かない癖がある。私も長年この病気にかかって来たが、最近素直に聞くもんだと思うようになった。我流は構わないが、磨かざれば上達を妨げる。棋書で覚える、プロに習うが早いにしても、日常空間的には人は人から学ぶほうが効率が良いのではなかろうか。上段者から学べば上達のスピードが格段にアップすることが最近分かるようになった。これは万事に通用することのように思われる。

 ****()年**月**日 囲碁吉拝

【囲碁吉の棋道論その4、囲碁・将棋・麻雀考】
 囲碁吉は、囲碁を囲碁・将棋・麻雀の三点セットで捉えています。室内勝負ゲームとして共通していますが、そのそれぞれに異なる味わいがあります。例えて言えば、囲碁は経営者の遊び、将棋は職人の遊び、麻雀は営業の遊びと考えております。この謂いは囲碁を格段の優れものとしてみなそうとしているのではありません。そういう格の違いとして見ることもできない訳ではないと思いますが、むしろ大事なことは人は誰しも時に経営者になり時に職人になり時に営業マンにならねばならず、そういう意味での必須芸ではないかと了解したいと思っております。

 囲碁・将棋・麻雀の三点セットは相手との駆け引きを習熟するものであり、いわば軍師的頭脳を要求しております。囲碁・将棋が合戦相次いだ日本史上の戦国時代に隆盛していたのは故あることと思います。残念ながらこの軍師的頭脳が今の世では委縮させられております。それも偶然ではなく意図的故意にそうさせられていると思っております。ここでは、このことを説き明かす場所ではないので言及しませんが、囲碁・将棋・麻雀の三点セットによって軍師的頭脳を鍛えておくのが必要な時代に入っていると考えております。

 軍師的頭脳とは、相手の言いなりにならない知恵を指しております。一々反発するのが良いというのではなく、すべて得心して処することが大事です。現代は変に管理されている時代ですので、軍師的頭脳を発達させることにより取捨選択、進退を上手にしないと御せません。そういうこともあり取り分けて軍師的頭脳の鍛錬が必要と考えております。今は社会に錯綜した情報が溢れ過ぎており、それらのどの情報を選択しながら生きていくのかが問われております。どなたかが、「地頭が良くなければ生きられない時代」と表現しておりました。まことにそうで、その字頭を鍛えるのに囲碁将棋が最適と考えております。 

 囲碁吉はようやくにして囲碁に辿り着きましたが随分回り道したことよとも反省しております。しかし辿り着けないよりはマシなので辿り着けたことを感謝しております。こうなると、せっかく辿り着いたのに上達が遅かったことを反省しております。上達する気持ちになるまでの機が熟していなかったことが原因と考えられます。しかしこれも今64歳の身になって気がつき、猛烈に上達のスピードアップに励んでいるとしたら、それも一興よと受け止めております。

 2013.6.16日、2014.8.25日再編集 囲碁吉拝

【囲碁もろもろの気づきその2、囲碁と人生の関係考】
 新たな気づきを得たので書き加えておく。

 碁会所解説からほぼ20年、現在棋力は5-6段。少しは上達したが、相変わらず碁席を経営する者としては強くはない。今日も当碁会所の定例大会で3回戦で県代表クラスに当り3子の手合いで負けた。互先を目指しているが道は険しい。人の頭脳と云うものが容易なことでは啓発されないと云うことを示している。何度も習い、失敗と成功例を積み重ね体と呼吸で覚えていくしかない。と云い聞かせているんだが、どうなることだろうか。

 囲碁と人生の関係は、詰碁と本番碁の関係に似ているのではなかろうか。どういうことかと云うと、詰碁が本番碁の基礎となるように囲碁は人生の基礎となるのではなかろうか。詰碁は本番碁に対して、詰碁のようには本番碁は御せない。囲碁は人生に対して、囲碁のようには人生をあやせない。なぜなら、どちらも純粋系にしているからである。本番碁は詰碁のようには一方的には詰まされる形になっていない。人生は囲碁のようには勝負がつかない。そういう意味で、本番碁とか人生の方がどろっとしている。

 しかしながら、詰碁が本番碁に対して、囲碁が人生に対して役に立たないのかと云うと、そうではない。局面によっては本番碁に詰碁が登場し、人生に囲碁の格言通りの姿が現われる。それ故に、詰碁の習熟が実践に生き、囲碁の筋道が生活に役立つと云うことが大いにある。よしんば、詰碁や囲碁の通りの局面が現われないにしても、常にカンテラ的な導きの糸が内通しているのではなかろうか。そう思えば、詰碁に興じ囲碁に興じることは、囲碁を強くし人生を豊かにするのではなかろうか。


 2013.02.18日 囲碁吉拝

 囲碁がコミュニケーション能力開発に役立つ。





(私論.私見)