囲碁吉の天下六段の道 中盤論1(攻防)

 更新日/2021(平成31、5.1栄和改元/栄和3).6.3日

 (囲碁吉のショートメッセージ)
 ここで、「囲碁吉の天下六段の道 中盤論1(攻防)」を書きつけておく。ここでは攻防編としての「中盤前半論」、「中盤後半論」の二部構成とする。

 2005.6.4日、2015.3.3日再編集 囲碁吉拝


棋理論5、中盤論1(攻防)好機、戦機、勝機、締め機】
 中盤の肝要は「戦闘力」である。互いの「戦闘力」がぶつかるので自ずと攻防戦になる。この中盤攻防で知らねばならないことは、好機、戦機、勝機、決め機、締め機を知れ」である。これはどういうことか。一局の碁をのんべんだらりと打つのではなく、好機、戦機、勝機、決め機、締め機の順にギアチェンジし、局面を正確にこなさなければならない。これは囲碁吉の言葉であるから権威は何もない。囲碁吉は、これを言い聞かせて打とうとしている。この後、囲碁吉の腕が上がりまくれば流行る言葉になるかも知れない。これを解説しておく。

 好機とは、戦いを挑む絶好の時機を見つけることを云う。早遅はあろうが、どこかで掴むべきである。絶好機が来たら次の戦機に向かうタイミングを計らねばならない。戦機では戦って勝つ術を覚えなければならない。戦機を安全策ばかりで乗り切れるのは相手が弱いからであり、相手が強くなればなるほど戦いが険しくなる。この戦機を次の勝機に持って行かねばならない。勝機とは、戦機を経て勝ち形に持って行くことを云う。最後が決め機(クロージング)になる。決め機(クロージング)には部分の決め機(ミクロクロージング)と勝ちました宣言の決め機(マクロクロージング)の二通りがある。決め機の補助に締め機がある。締めの手は、相手の勝負手を封ずる手である。故に味良しの手とも云う。このローテンションで打ち進めるのが良いと思うので次より実行することにする。

 2015.08.30日 囲碁吉拝

中盤論1(攻防)中盤前半論】
 布石、序盤に続いて中盤がやって来る。中盤は前半、中盤の中盤、後半に分かれる。この棋理を確認しておく。

 中盤前半は布石、序盤に比して攻防が焦点になる。相手の模様に入ったり入られたり、模様の接点付近の折衝であったりの石運びの巧拙が見どころとなる。その際、肝要なことは棋理に対しての正義性である。相手の着手に対しこちらが棋理と考える着手で応じることが肝心である。この過程で自ずと形勢が定まり、相手が棋理に反する手を打つに従いこちらが優勢となり逆は逆になる。技術的なこととして、石の強弱の判断による捌き方、石の折衝能力、相手の無理の咎め方、咎められ方に対する応酬等々の棋力が試される。当然、読みが問われている。

 経験的に云えることはこうである。ザル読みで傷口を抱えたまま先へ進まぬが良い。傷口に対しては手入れして手厚く慎重に歩を進めるのが賢い。地に拘らず力を矯めて辛抱強く打つのが良い。地を稼ぐのは局所的には得であっても大局的には得にならないことが多い。相手が一線、二線ハイに地を稼ぎに来たら相手せず、相手の生死に関わるところへ先着する方が大きい手となることが多い。「大きい手」の意味を地計算で測るのは正しくなく、生死の急所の箇所に打つ方が大きいと心得たい。特に中央付近の石の生死に敏感でなければらない。道中で何度も生き死にを確認しながら打つべきである。危うい場合には後手に甘んじて生きに就かなければならい。この辺りの判断は棋力に関係している。棋理の分別が能くできるようにならないと見えてこない気がしないでもない。

 「中盤の棋理」で肝要なことは位取りを重視し、石が極力中央へ向かうことである。これを仮に「中央本線本筋」と命名する。「石は中央本線本筋に乗るべし」、「
本線本筋を打って盤上龍の如くうねれ」。こう格言しておく。これと逆の打ち方が一線、二線ハイである。これは石が低く重い。そういう所へ打ちそうな着想になったら暫し考え直すのが良い。同様に閉じ込められそうになったら、中でこじんまりと生きるより、それを拒否して中央へ出るのが良い。もっとも生死が絡んでいる場合は判断が難しい。出口求めて苦労するより中で早く治まるのが良い場合もある。局面次第と云うことになる。

 次に踏まえるべきことは極力相手の石を取らぬことである。取るぞ取るぞと脅して生きを催促しながら天王山を制圧し、次第に形勢を有利にして行くのが賢い。例え大石(たいせき)であっても、取るよりも逃がして攻め立てた方が賢い例が多い。大概は取りに行くケースが多いのだけれども。そもそも取り石を締めつけに活用される方が嫌である。極力取らない打ち方に徹した方が賢い。逆の場合には取らせて活用するのが良い。これらが経験則である。

 2015.2.22日、囲碁吉2子置きの碁で、白が我が黒陣営にやや深く入ってきたのを下から受けて、一つ受ければ又受けざるを得ずと云うようなことになり、結局余裕で負かされた。反省するのに、下から受けて勝てると判断したのがミスであり、負けたのはそのミスのタタリだろうと思う。棋理が問われているのに棋理に逆らった打ち方の咎めを受けたのだろうと思う。今後に期す。

 2015.3.1日、楽しみな局勢の碁で、相手の苦し紛れの割打ちに対し、上から被せて取りに行って隅に入られ元も子もなくしてしまった。虎の子の隅への侵入だけは防がねばならなかったと反省するも後の祭りである。相手の打ち込み石を上手に利用する術を会得せねばならないと改めて思った。それと、そもそもに於いて打つべき石の方向、駆け引きの機微が分かっていないからこういう結果になるのだとつくづく思う。

 2019.2月頃の気づき。中盤で中央中原の威力に優位を獲得したのに、引き続き同様に中央中原経営に乗り出すのは屋上屋を重ねる重複感がある。この場合は、中央中原の制圧威力を利用して隅と辺への利きを生かし、その辺りに手を求めるべきである。中央中原の制空権確保は、こういう意味があるので地取りに優位に拮抗している。これが棋理である。

 2015.02.16日 囲碁吉拝

中盤論1(攻防)/丁々発止、一本調子について】
 布石、序盤は、お互いの言い分を認め合う「分かれ」芸が要求される。時に、「分かれ」芸を無視する「せらい」芸に出くわすが、経験的に良い結果にならないので結局は「分かれ」芸に戻る。中盤になると今度は「丁々発止」(ちょう ちょうはっし)芸が要求される。丁々発止」とは、「 -と切りむすぶ」、 「卓をはさんで-とやりあう」と云うように使われ、刀などで激しく切り合う音やそのさまを表す語」で、「激論を戦わせるさま等に形容される。 囲碁における 「丁々発止」は囲碁の本質、真髄に絡んでおり、そういう意味で「丁々発止」芸に習熟せねばならない。いわば序盤は来る「丁々発止」決戦に備えての陣形づくりであり、中盤はその集大成としての「丁々発止」となるのが必然であり、この戦いに堂々と向かわねばならない。 

 その中盤の応酬で「一本調子は良くない」。一本調子とは、攻め、守り、中央経営、隅経営等々の一辺倒のサマを云う。道中で、如何に上手く別調子の杭を打てるか、この辺りが技量である。中央の囲い地は案外と小さい。相手が消しに来たときが勝負で、隅、辺で一戦交える好機が来たと心得て好手を見出したい。その結果、中央囲い以上の戦果を上げることが肝要で、これができたら勝勢局面になる。ここら辺りの応酬が棋力である。

中盤論1(攻防)中盤の中盤論】
 中盤前半が一段落すると中盤の中盤に転ずる。このギアチェンジ感覚がない打ち方は物足りない。この棋理を確認しておく。

 中盤の中盤では、当方の見損じか受け間違いにより事故った場合、どう対応するかの問題がある。結論は上手く切り抜ける方法を捜すのと、そこを触らずそのままにして転戦する方法がある。往々にして後者が良い場合が多い。
 中盤の中盤では、危機管理能力が問われる。本当に危うい個所をそのままにしておき、次善の危うい個所を勝利宣言的に手入れした場合に、本当に危うい個所が攻められ、好局をフイにすることがある。好事魔多しであるくわばらくわばら。

中盤論1(攻防)中盤後半論】
 中盤の中盤が一段落すると中盤後半に転ずる。このギアチェンジ感覚がない打ち方は物足りない。この棋理を確認しておく。

 2019.2月頃の気づきであるが、中盤前半までは地に拘ることなく中央に顔を出し、中原を威圧するべく着手するのが良い。問題は、この姿勢は序盤、中盤前半までの心掛けにするべきで、その後は局面に柔軟に対応せねばならないことにある。そうであるのに、中盤後半に転じてからも中央中原経営一辺倒に精出すのは如何なものであろうか。結論から言えば、屋上屋を重ねる重複感がある。中盤後半ともなると、中央中原の制圧威力を利用して敵地の隅、辺に手をつけ変化を求めるのが棋理に適っている。留意すべきは、その際には敵地の隅、辺で生きるのが目的ではないことにある。手をつけた隅、辺の石を、制圧した中央の石と繋げること、隅、辺で生きることとの駆け引き的な見合いで折衝するのが良い。往々にして中央の石と隅、辺の石を繋げると強力なラインになり、相手の弱石を浮き立たせる効果が生まれる。この展開が中盤後半の景色である。相手がこれを拒否し分断してきたとき、隅、辺の石を生きるか、生きる権利を留保しつつ好点を打ち続けるのが良い。これが中盤後半の正しい打ち方だと思われる。

 2015.02.16日 囲碁吉拝

中盤論1(攻防)中盤に於ける形勢分析とその対応法】
 その中盤後半になると形勢判断ができる。それに応じたギアチェジも必要になる。この弁えなしに打つのは扁平になる。優勢であれば味悪の箇所に手当てせねばならない。これを俗に「勝ちました宣言」と云うが、実戦的にはそれほど露骨な手入れは珍しい。実際には攻防しながら味悪の箇所を上手に防ぐことになる。この間合いと呼吸が棋力になる。

 優勢であれば、厳しい攻めよりも柔らかく包み込むようなゆっくり攻めが良い。厳しい急な攻めは相手の猛烈な反発を生むので、それに対処し得る見通しが立つ場合にのみ許される。

 逆に非勢であれば踏み込みを能くして踏ん張り、事件化を求めねばならない。この過程に必ずドラマが待ち受けている。そのドラマを意図的に求めねばならない。これを「メイクドラマ」と云う。囲碁の神様は柔軟さが好きで、囲碁と云うものをそういう風に面白くするよう示唆していると悟らねばならない。打ち手は神様のこの思惑に正しく応えねばならない。このドラマが碁を面白くさせる訳だから、このドラマの筋書きを能くした上で勝利をたぐり寄せねばならない。こう了解すべきだろう。

中盤論1(攻防)/模様に芯を入れる重要性、そのタイミング考】
 厚みの碁を打ち回している場合、中盤過ぎのどこかで模様に芯を入れる必要がある。芯を入れずに相手に敢えて入ってこさせ、これを迎え撃つ打ち方もあるにはあるが、模様が広ければ広いほど打ち込みして来た相手の石の生き方が楽であるので、咎め方を失敗すると厚みの碁の意味がなくなる。そこで、中盤過ぎの頃合に芯を入れることが肝要である。それでも相手が打ち込みして来る。この時に、相手の打ち込み石を上手に攻めながら、相手の地模様に悪影響を与える打ち方が良い。結果的に、こちらも荒らされたが相手の地もあらされるので「おあいこ」になる。芯を入れた箇所に虎の子の地が残り、結果的に半目残るのが厚み碁の理想である。よって、厚み碁は芯を入れるタイミングを引き寄せることができるかどうかが問われる。その際に一番適切な芯の位置を見つけることができるかが問われる。厚みの碁はこれができるかどうかが勝負の分れ道である。





(私論.私見)