並外れた芸というものは、多くの人に称賛されるが、並外れた人物は、世に容れられることは少ないものである。江都(江戸)の幻庵井上翁(11世井上因碩)は、奇人である。芸が優れているといって称賛されるわけではない。自分でも世に容れられないことを知って、止むを得ず自ら蓄えた知識や技能を、専ら碁に托している。その為、著作に於いても他の人のものと違って優れているわけである。
私はかって、奇と正、陰と陽、昼と夜の乖離しているわけではないことを論じたことがある。とはいつても、その「奇(異常)」であって、「正(正常)」を離れるようなものは、「妖怪・変化」でなければ「妄(妄想)」である。孫子に「奇正相生ずる。循環している端がないようなものである」とある(「孫子」兵勢篇)。幻庵翁は、まさに孫子の兵法を体現しているというべきであろうか。
幻庵翁の父上が、先年ほが浪華(大坂)で客死された。今年、翁が来坂して遊興した折、父上の命日に会われたとき、翁は私を呼んで、浄瑠璃の達人に浄瑠璃の謡(うたい)を唄わせた。すると、それを聞きながら、はらはらと涙を流して、翁が言うには、「父は、これといって趣味はなく、ただ浄瑠璃を聞くのを好んだ。そこで、一曲を奏して、父の追憶(おもいで)に浸ったのだ。何もいぶかしく思うことはないだろう」と。
それに対して、私は、「幻庵翁の振舞は、はなはだしく異常であるというべきだろうか、いや、親孝行から出ているとすれば、正常でないというべきではない。翁の碁も、このような判断で品定めすべきである」と答えた。すると、幻庵翁は笑いながらうなずき、翁の執筆した「碁訣」(「囲碁妙伝」)の一部を取り出して言われた。「では、今の言葉を使って、この本の巻頭で論ぜよ」と。そこで、書き記して、この書の巻頭に与えたのである。
嘉永4年(1851年)辛亥冬10月 浪華 竹陰主人 篠崎栞撰並びに書 |
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