学碁練兵惣概

  更新日/2018(平成30).4.14日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「」。

 2005.6.4日 2013.6.04日再編集 囲碁吉拝


【序】
 余は、まだこれという考えもない6歳の時から、不幸にして、この技芸を覚え始めた。元々武家に生まれたからには、文武両道をきわめてこそと、青雲の志のやむ時がなったが、父の厳命で仕方なく22歳の時、(囲碁四家の一つ)井上家の養子となったので、やむなくへたな囲碁の役人と定められ、数年、公禄をはむことになったが、恐れ多いことであった。

 そもそも慶長年間(1596-1615)に、囲碁家を官に召して公務につかせたのは、兵法の一助ともなりという、深い思召しによるものであったのに、囲碁家は次第に、その基の趣意を忘れて、博奕(ばくえき、ばくち)に均しい勝負の世界に流れていったのは、悪い習わしである。

 いかに卑芸といっても、それをよく用いれば、乱世に於いては兵法、治世においては経済(国を治め民を救うひと)ともなるものを、弓馬詩歌等の実芸とは違って、終日、打ちふければ、日常の急務も忘れ、ついには飲食の奢侈に流されいく。碁打ちの輩に自らを省みることもなく、ぜいたく三昧を極めて酒、肴の美悪をいうことを席上の常談と心得るとは、人道を弁えた行いとは思われない。

 余は、早くからこの悪しき風習を一掃しようと思いながらも、その昔著わした「奕図」、「奕詮」や服部因淑(因碩の師であり養父)の「置碁自在」、服部雄節の「石配自在」の著述に関わり、自分の拙い教法を述べてきたが、まだその教説に及ばず、多くの罪をつくり後悔ばかりしてきた。今、今生(こんじょう)の名残りに本書を書き著わしておこうと思う。記述は、経済(平時の処し方)、兵法(乱戦の処し方)の二方策によった。

 なお、初学の人にも煩わしくないようにと心がけて、八子より二子局までは、直ぐに理解できるように兵書を引用し、頭書(あたまがき、補注)で評録した。高段の士にもご笑覧いただければ、その御明察によって、経済、兵法の近道を得られることもあるだろう。

 囲碁の高段者は、序盤からいささかの損益をも詳しく検討し、中盤から終盤にかけては、一目、半目と細かく争うが、形勢によっては数目あるいは十目といった石を潔く捨てることもある。初心者は、これに反して、序盤から三、四目の石をも惜しみ、終盤では一目、半目の石をないがしろにするので、七、八割方必勝と思っていても思いのほか負けとなることもある。

 経済の理(ことわり)も同じようなものだ。年間十分の家禄のある人でも、一時に十金、十五金を施すのを惜しんで、普段の飲食におごり、自分の欲望の為に浪費していることを知らない。甚だしいのは、芸者や幇間(ほうかん、たいこもち)を集め、三弦よ拳よと遊興にふけって産を傾け、没落していった者もいるほどである。一方、名将と云われる人は、僅か五十石、百石という禄を与えるにも三郡五郡に封ずるときは惜しまないという。

 甲越の戦い(甲州武田軍と越後上杉軍による川中島の戦い)は牛角なり(〝牛の角を蜂が刺す〟ひとから何とも感じないの意)という説があるが、自他多少を知らない愚論というべきである。甲州武田軍は二万三千の兵力を持っての自国での戦いであり、一方、越後の上杉軍は八千の兵力で敵国での戦いである。そして甲州方は武田信繁(信玄の弟)はじめ沢山の戦死者を出したが、越後方は、名将一人として傷ついた者が居ない。これを囲碁において論ずるならば、甲州方は四子置いて十目以上負けたということである。湯浅氏が、武田信玄は上杉謙信を恐れること虎の如しと言ったが、尤もなことである。

 ある人が、囲碁ほど知謀に差があっては成り立たないものはないと言ったが、これもまた甚だしい愚論である。湯武(とうぶ、殷の湯王と周の武王)とけっ紂(夏のけつ王と殷の紂王)を合わせ(いずれも悪王の代表で、けつは湯に、紂は武に討たれた)、義経(源氏)に宗盛(平氏)を合わせて五十目置いても、余は敢えて戦うであろう。

 敵の石数と自軍の手数を詳しく算出して、大差で自軍が不利ならば、惜しまず石を捨てるのが良い。また敵三手に我が方が二手なら、いずれにしても一手だけ悪いと考えるべきである。初心者は何とか良くなるであろうという気持ちで無理をするから大敗を喫するのである。黒番なら、自分から戦いを仕掛けない方が良い。

 毎局、自分の手ばかり考えていては、思いのほか大敗することがあるので、敵の心を考えなければいけない。孫子のいわゆる「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」というのは、実に千古の確論というべきである。

 毎局、打つごとに三手を読んで、さればと石を置く前に詩の一篇も沈吟して、見落としはないかと能く考えてから手を碁器に入れなさい。自分の目に大きく見えるは小さく、小さく見えるところは大きいものだと、逆に考えてみるべきである。だいたい、形の悪い手に善い手はないと心得るべきである。あまりよくないけど打ってみようかというような手は絶対に打ってはならない。

 中盤から終盤にかけては後手十目の手より、先手一目の方を優先すること。自分の地ばかり囲うのは、領内の兵糧を運送するに均しいので、幾らかでも敵地を破って領地を増やすに如(し)くはない。孫子のいわゆる「敵の一鐘(しょう)を食むは、吾が二十鐘に当たる」(鐘は中国の量(ます)の名。国家が戦争で窮乏するのは、遠征して遠くまで食料を運ばなければならないからで、敵の食料を奪って食うのは、自国の兵糧を運んで食べる二十倍の値打ちがある)と同じことである。

 囲碁はすべからく局前人なく、局上石なきを解すべし。沢庵和尚、御者に示して曰く、鞍上人なく、鞍下馬なし、と。これ、この謂いなり。

 十一世因碩改め橘斎*書 嘉永辛亥秋日




(私論.私見)