囲碁の規約、ルール/考

 更新日/2022 (平成31.5.1日栄和改元/栄和4).11.2日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 「囲碁とは何か。その基本規約、ルール」、「マナー」を確認しておく。案外と指摘されていないが、プロとアマのそれの味付けを若干変えておきたい。手本はプロルールである。但し、プロの対局には記録係、立会人がついており、対局者同士が一からの並べ直しの能力がある。アマの場合にはそのどちらもがない。この差を埋めるアマ用ルールとマナーをも確認しておきたい。

 「ヤフー囲碁のルール」、「this is igo」、「おわ先生の囲碁教室」、「囲碁入門の手引き オール慶応囲碁の会入門者担当 氣賀康夫」等でも説明されております。

 2005.6.4日 囲碁吉拝


【囲碁とは何かその1、テーブルボードゲームとしての囲碁】
 囲碁は、戸外ゲームと対比させる場合には室内ゲームであり、そのうちのテーブルボードゲームの一種である。テーブルボードゲームには囲碁の他にも将棋、チェス、オセロ、麻雀、トランプ等々がある。それぞれ対戦人数が違う。テーブルボードゲームのうち囲碁、将棋、チェスは原則として二者で競技する。三者ものにダイヤモンドゲーム、四者ものに麻雀がある(麻雀は三者打ちもできる)。人数にこだわらないゲームとしてトランプがある。凡そそういう違いがある。

 いわゆる芸事の中には、小説、和歌、俳句、川柳のような文学的な文字もの、音楽のような聴覚的なもの、絵画、陶芸、華道のような審美眼的なもの等々、作品の鑑賞評価で評価し合う「勝敗決着的でないもの」と、「勝敗決着させるもの」とがある。テーブルボードゲームは後者に属している。

 囲碁、将棋、チェス、オセロと、麻雀、トランプには、対戦人数の違い以外にも次のような違いがある。麻雀、トランプは牌や札を隠して勝負するが、囲碁、将棋、チェス、オセロは石なり駒を全て盤面に晒して勝負する。囲碁、将棋の対戦を「局」と云い「一勝負=一局」になっている。これに対して、麻雀の対戦は「回」でカウントし、「回」を終えるたびに一からやり直し、既定の回数のトータル点数で勝負をつける。  

 「勝敗で決着つける」ゲームにも「投了」があるものとないものがある。囲碁、将棋には「投了」がある。ある方が比較的珍しい。「投了」は勝敗の見切りによる敗北宣言であり、挽回不能に負けているものを未練がましく打ち続けるものではないと云う美学的な裏メッセージがある。

【碁石と碁盤】
 白石と黒石は同じ大きさに見えるが、白が膨張色であることにより、同じ大きさでは白石の方が大きく見えるため直径、厚さともに黒石の方が大きく作られている。碁石の個数は、盤上361路の半分に合わせて黒石181個、白石180個を標準としている。それぐらいの石数があれば足りるだろうと推定していることによる。コウのやり取りが頻繁に続いて、石数が足りなくなる場合には、同数交換で間に合わせば足りることになる。
 囲碁が用具として使うのは碁石と碁盤である。これを確認する。碁盤の盤面は、等間隔の縦(垂直線)19路×横(水平線)19路=361路の交点から成り立っている。初心者用に13×13の13路盤、9×9の9路盤といった小さな盤もある。先手が黒石、後手が白石を使う。
1図
3図

 上図が碁盤である。碁盤は上図のように分割された名称がある。碁盤上に星が9ヶ所、点打ちされている。それぞれの星の名称は上図の分割に基づいて、隅の星については時計回り順に右上隅(みぎうえすみ)、右下隅(みぎしたすみ)、左下隅(ひだりしたすみ)、左上隅(ひだりうえすみ)と呼んで識別している。辺の星は同じく時計回り順に右辺、下辺、左辺、上辺と呼んで識別している。中央の星を天元と呼ぶ。線にも名があり1線、2線と呼ぶ。通常、横線を漢数字、縦線を算数字で表現する。

 【碁の打ち方】
 1949(昭和49).10.10日、日本棋院により囲碁規約が制定され、その第1条は次のように記しています。
 「囲碁(あるいは碁)は甲及び乙を対局者として、碁盤及び碁石を用い、手合割を定め、この規約に定める着手禁止、着手制限の場合を除く外、盤面における彼我の占める地の多少を争うことを目的として、交互に盤面任意の点に着手し、終局に至り彼我の地を計算して勝負を決定する」。
 囲碁は「盤上世界の領土分割を争うゲーム」であるが、勝ち負けは結果としてのそれであるに過ぎず、その間の双方の着手の感覚、取引、形勢判断等々を楽しみ「手談」するところに囲碁の面白さ、醍醐味がある。自分だけの独り都合で打ち進めても良い結果にならない。相手のあることですから自分だけ得しようとすると却って咎められたりするので、結局お互いの言い分を聞き分けながら打ち進めていくことになる。この際の聞き分け、割りきり、辛抱、反撃等々が囲碁の面白いところといえる。お互いの言い分をどう調整していくか、それは世間の映し鏡であり、囲碁を通してこれを習熟していくことで世渡りにも役立つ。こう云うところに囲碁の面白みがあるように思われる。

 【囲碁と将棋の違い】
 囲碁、将棋は一卵性双生児で、日本の歴史的伝統芸として育まれて来ている。共通の要素として自主的に投了することができる。両者の違いは次のところに認められる。
 着手に対して、将棋は「指す」、囲碁は「打つ」と云う。
 将棋は駒を盤面の「ます目の中」に置く。西洋で発展したチェス、それらの基となったとされるインドのチャトランガも同様である。これに対して囲碁、中国象棋(シャンチー)、韓国・北朝鮮のチャンギ、日本の双六(すごろく)は交点の上に置く。

 補足しておけば、将棋に於いて駒を盤上のます目の中のどこに置くかを廻って中央かそれとも下の線に揃えるのかという問題がある。この問題に正解はない。かっては「駒はます目の真中に置く」のがスタンダードであったが、現代ではます目の下線に揃えて駒を置く人が増えてきている。仮に前者を「中央派」、後者を「下線派」と呼ぶと、羽生善治九段や佐藤康光九段、藤井聡太七段(16歳)などは中央派。歴史的に中央派がほとんどだった時代に、ほぼ唯一の下線派として注目されたのが有吉道夫九段であった。現代下線派の代表格は島朗(しま・あきら)九段。その後次第に下線派が増えてきており、完全下線派以外にも、「限りなく下線派に近い下側派」、「中央派と下線派の中間である下側派」なども存在する。森内俊之九段、佐藤天彦九段、藤井猛九段、丸山忠久九段、久保利明九段などが下側派。但し、いずれであっても棋士のほとんどは駒をまっすぐきれいに並べる。駒をまっすぐに並べているアマはそれだけで強そうに見える。(松本博文 将棋ライターの「中央派VS下側派 将棋の駒はます目のどこに置く?」参照)
 将棋、中国象棋、双六の駒は盤上を移動するが、囲碁の石は移動しない。
 将棋の駒は歩から王将まで8種類から成っている。その内、歩と飛車、角は成ると働きが増すようになっている。香、桂馬は成ると金の働きと同じになる。これに比べて碁石は黒白の2種類しかない。その石も形、大きさが同じである。石が成って働きを増すようなことはない。
 将棋は働きの違う8種類の駒をそれぞれ上手に組合せて活用する。囲碁は石自体に働きの違いはないけれども、石の組み合わせで異なる作用が生れ、その作用を活用する。
 将棋は相手の駒を取って自分の駒として活用することができるが他の将棋、中国象棋、双六ではそういうことがない。これは将棋の絶対的な独自性である。
 勝負の決着のさせ方が異なる。将棋は「王を詰める」勝負である。よって、王の囲い方、その囲いの破り方等々に知恵を絞る。これに対して囲碁は、19路盤の場合には19×19=361カ所の着手可能地点の任意な箇所を白黒が交互に打ちながら(これを対局と云う)盤上の支配権を争う勝負である。碁盤上の星の黒点を城と考えれば、9箇所ある城の陣取り合戦とも考えられる。実際には囲った升目の石高(こくだか)を「地」と呼び、その地の多さをカウントする。道中で相手石を殺して稼ぐ方法もある。殺した石は終局時に相手の地へ埋めて行くので最終的には地カウントになる。先番有利の代価として「コミ」を支払った上での差し引き勝負となっており、じりじりと寄せ合つた結果の「半目勝ち」以上が勝負の判定基準で決着する。ちなみに、「半目勝ち」と「半目以上の勝ち」は勝ちの価値としては全く同等である。要するに大きく勝つ必要とかの意味はない。むしろ「半目勝ち」の方が囲碁の醍醐味とも云える。
 囲碁は「座敷碁」、将棋は「縁台将棋」が似合う。

 以上、テーブルボードゲームにもいろんな種類があり、質の差があると云うことになる。それぞれの特徴を踏まえたうえで楽しみ、上達を目ざすのが良い。
 将棋の呼称史は次の通り。中国では将棋を象戯と書いた。ゾウの戯れの意味ではない。戯れを象(かたど)る(形取る)の意味である。宋時代(10-15世紀)の文献は象戯と記している。その後、象棋(棋を象る)と変化し今日に至っている。日本も初めは象戯だった。それが象棋と変化した。明治になってから将棋に統一された。
 著述家の室伏高信(むろぶせこうしん、1892-1970)が、「覇道」(武力や権謀で国を治めること)と「王道」(仁と徳に基づく政治)を対にして、将棋は敵将を倒すのが目標なので戦いの連続、時には力づくの攻めや謀りごとが必要なので「覇道」を求める。碁は戦いではあっても、戦わずして勝つのが理想だから「王道」を求めるとの認識を示している。ちなみに、室伏の碁と将棋の棋力は愛好者ではあるが共にヘボと自認している。

 囲碁の対局要領考
 ここで囲碁の対局要領及びルールを確認しておく。大会時のそれを基準として平素の対局もこれに準じて倣うものとする。「決まり」につき日本囲碁規約(平成元年制定)に従う。規約はゲームを滞りなく打ち進めるルールであり、車を運転する際の道路交通法のようなものだと思えば良い。「決め事」はそんなに多くはない。お互いが気持ちよく対局して技量を向上させることを基本に理解すれば、約定を納得できると思う。マナーも含めてルールを守ることはトラブルの未然防止に繋がっている、ということを承知すべきである。

 コミ
 囲碁に於いて先手番(黒)の方が有利と云うことが明らかであったが、長い間、「先手番ハンディー」をつけることなく競われてきた。後手番(白)の打ち回しに関心が寄せられ伝統化していた。現在でもプロの大手合はコミなし碁になっているという。近年、「先手番ハンディー」を計算し、先手番が後手番に対して「コミ」を出すことになった。これによれば、最終的に「コミ」を差し引いて後の「地」の多いほうが勝ちとなる。

 その「コミ」の変遷にも歴史がある。1939(昭和14)年、本因坊戦で初めて4目半のコミが採用された。1974(昭和49)年、コミを5目半に改めた。2002(平成14)年、国際棋戦に合わせて6目半に改め今日に至っている。

 (備考、コミなしとコミありによる布石の変化について)
 コミなし時代とコミあり時代によって布石が変遷している。コミなし時代には、先番黒の両シマリが流行った。先着の利を効かしてまず二隅に地を得てから後を互角に戦えば、よもや負けることはあるまいとしていたからである。ところがコミの時代になり、更に大ゴミと云われるコミ6目半の時代になると、先番黒の両シマリ布石が避けられるようになっている。その理由として、両シマリだと、ゆっくりとした地の囲い合いになる公算が高く、黒がコミを出しにくいと考えられている。
 アマチュアの囲碁研究会「緑星会」の点数方式又はその改定版が碁会所やクラブで採用しているところが多い。その特徴は、実力を点数方式にして表示し、実力差を1目刻みに5目までのコミ出しを組み合わせて置き碁に反映した手合割を用いるところにある。対局者間の持ち点の差が5目を越える毎に置き石を1子増やしてコミをマイナス5目とする。6点差が2子となり下位者の5目コミ出しとなり、点差が増えると下位者のコミを減らし、11点差でコミが0目の2子局、12点差からはまた上位者のコミ出しを1目ずつ増やす。対局者は1勝すれば持ち点を1点増やし、1敗すれば1点減らすことで、点数を実力に見合うように適正化する。これを「緑星会方式 」と云う。

 手合い割
 コミ碁が導入されなかった昔は次のような手合い割になっていました。一段差違うごとに手合いが異なっています(実力差云々は囲碁吉の推定)。
名称
読み 実力差
段級差
内容
互先 たがいせん なし
2局1組として考え、同格の実力であることから、交互に先手を持って黒白交互に打つ手合いを云う。同一の相手とは偶数局を行うのが基本。
先相先
せんあいせん 半先
0.5
3局1組として考え(以下同じ)、下位者が3局のうち2局を先番、1局を後手番とする。黒黒白の順、黒白黒の順がある。
定先 じょうせん 1段
1.0
単に「先」とも云う。下位者が3局のうち3局とも黒を持つ手合いを云う。
先二先 せんふせん 1段半先
1.5
下位者が3局のうち2局を先番、1局を2子番とする。下手が先二先と打つ。
先二 せんふ 2段
2.0
下手が先と2子を交互に打つ手合い。
二先二 にせんふ 2段半先
2.5
下位者が3局のうち1局を先番、2局を2子番とする。下手が二先二と打つ。
二子 にし 3段
3.0
下位者が3局のうち3局とも常に2子を置く手合い。
二三二 3段半先
3.5
下位者が3局のうち2局を2子番、1局を3子番とする。
三二三 3段半半先
3.75
下位者が3局のうち1局を2子番、2局を3子番とする。
三子 さんし 4段
4.0
下位者が3局のうち3局とも3子番とする。
以下同順。

 置石の順番は次の順序に置くのが正式である。

 二子から八子までの偶数目手合いは、上図の数字通りに順番に置く。奇数の三子、五子、七子、九子(星目セイモクとも云う)は、それぞれ直前の手合いの置石に加えて天元に置く。

 着席
 大会の開会宣言、競技の開始宣言を合図に、指定の場所に着席し、対戦相手と対座する。軽く挨拶した後、対戦者の名前と段級手合いを互いに確認する。間違いないことを合点して勝負開始となる。

 開始礼
 対局開始に当っては、軽くお辞儀をし、「お願いします」、対局終了の時は「ありがとうございました」、投了の際には「ありません」又は「恐れ入りました」と「礼言葉」を正しく発するのがマナーである。凡そ何々道と名のつくものは「礼に始まり礼で終わる」ことを旨としており囲碁も又然りである。

 対局時計
 対局時計を左右どちらに置くかについては、白石を持つ対局者の権利とする。対局時計のボタンは、着手完了後、着手した方の手で押すものとする。このルールは終盤局面の時間が逼迫した場合にも厳格に適用される。身体障害的に困難な事情の者は事前打診を要し、着手した方でない手で押す、付き添いが押す等々につき事前了解を取りつけておく必要がある。

 相手の石を打ち上げる場合には、取り石の全ての石を打ち上げてから対局時計のボタンを押すのが原則である。終盤の持時間が少なくなっている局面で問題になることが多いので気をつけませう。

 持ち時間
 大会勝負では持ち時間が定められている。アマの場合には45分が普通で、決勝戦の場合にはやや長く設定され、1時間、2時間、3時間が常用されている。それぞれ棋戦主宰者の時間設定に従う。プロの手合いも公式戦の各々によって違う時間が定められている。  

 手番
 対局者の手合いが同格の「互い先」の場合、先手番(先に打つ方)、後手番(後に打つ方)を決める為に、「ニギリ」(握り)という方法で白・黒を決める。握る者に特段の決まりはないが、対局者の譲り合いによる「成り行き決め」を第一とする。双方が譲り合う場合には、年長者基準、過去実績実力基準等で握り主を決める。

 「ニギリ」の要領は次の通り。一方が白石を無造作に握り、手のひら内に隠す。相手方がその数の奇数(半)か偶数(丁)を推量宣言し、奇数推理する場合には「奇数・先」または「半先」(はんせん)と発して盤上に黒石を1個置く。偶数推理する場合には「偶数・先」または「丁先」(ちょうせん)と発して盤上に黒石を2個置く。宣言が当った場合には宣言通リ、宣言が外れた場合には宣言の反対の色石を持つことになる。黒石を持つことになった方が先に打ち、これを先手(せんて)番、白石を持つことになった方が後に打ち、これを後手(ごて)番と云う。この一連の手続き、所作を「ニギリ決め」と云う。

 対局者の手合いに差がある場合、強い方を「上手」(うわて)と云い白石を持つ。弱い方を「下手」(したて)と云い黒石を持つ。通常は黒から打ち始めるが、置き碁(ハンデ戦)の場合には白の方から打ち始めることになる。

 着手、交互打ち
 囲碁は単に碁と呼ばれることもある。競技者は先手、後手に分かれ、円形の黒石、白石を交互に、且つその石を盤上直線の交点に正確に置いていく。これを「着手」と云う。石を交点からずらして置く癖のある者が見受けられがマナーが悪い。いずれ石が詰まってきた時に位置の不分明が原因で悶着が起き易いので気をつけませう。

 石の打ち方要領
 着手は、打つ場所(着手点)を目で決めてから碁石を持ち、持つや遅滞なく着手するのが礼儀である。ネット碁が良くないのは、盤上にマウスを置いて考えることが倣いになることにある。実戦ではできないので、ネット碁でも「目で着手点を決めてから碁石を持ち着手する」癖を身につけるようにする必要がある。
 碁の打ち方には二種類ある。一つはパチッと音がするような打ち方、もう一つは極力音をさせないように静かに置くような打ち方。これはどちらが良いとの定めはなく、プロの打ち方にも両方ある。

 マッタ厳禁
 日本棋院囲碁規約には、 ハガシ(および待った)に関する明確な取り決めはされていない。囲碁規約に付属する「囲碁作法に関する特別規定」(1949.10.2日制定)で次のように明示されている。
「囲碁作法特別規定第四条第六項/対局は、一旦着手した自己の石を、再び他の点へ置き換えること(俗に「待った」という)をしてはならない」。

 この規定では「一旦着手した自己の石」をどう解釈するかが問題になるが、「指が石から離れたら打ち直しは利かない。いわゆるマッタはその場で負け」と手引きされている。これ以上の規定はどうやらない。一体どこからが「ハガシ」行為になるのか?が精密にされていない。それは恐らく、車のハンドルの遊びの部分の役割と同様の「ゆとり潤滑油」的余地を残して置こうとする叡智ではないかと思われる。そういう訳で百鬼夜行(いろいろな妖怪が夜にひしめき歩くこと。転じて、多くの悪人や怪しい者が勝手気ままにふるまうこと)的になっている。例えば、プロがアマを指導する世界では幾らでも置き直し自由にしている場合もあり、逆に針小棒大的に「ハガシタハガシタ」と騒いでゲームセットを宣言する人も居るという始末である。そこで、この問題を愚考しておく。

 
「マッタ厳禁」につき、これで完璧という説明に出くわしていない。「マッタ」と「ハガシ」の関係も厳密にされていない。私的には、意味で問えば「マッタ」になり、行為で問えば「ハガシ」になるのだと思われる。ハガシた石の行方についても、引っ込めたままどこに打つべきか打ち場所を改めて考え始める場合と、そのまま他所へ打ち直す行為(置き直し、二度打ち)の二例がある。「待ったは、相手が打ってから相手の手を待ってくれと言い差し戻すこと。ハガシは相手がまだ打たずに考慮中の時の石ハガシ」と識別する説があるがどうだろう。相手が打った後であろうが打つ前であろうが打った石を剥がすのがマッタではないかなと思う。

 いずれにせよ、「一度打った石の着手確定後はその石を剥(は)がせない、動かせない。移動させてはならない」と心得ることが肝心である。「着手確定」とは、石が盤上に打ち下ろされ、その石の動きが止まった時点を言う。これ以降の石の移動はできない。これを「待った禁止」と言う。これにつき、「指肉が石についている」(いわゆる「肉付き」(にくづき)と言う)故に打ち切っていないとみなすべきで、指肉が石についている限りはハガシにはならないと主張される場合がある。従来、「指が石から離れたら打ち直しはききません」との説明であった処、これを裏読みすれば「指が離れてなければ許される」と解釈する余地があり、その対応策として現在では、指が離れていようがいまいが石が静止した瞬間に着手確定であり石を動かせないとなって、これが準ルール化しているように思われる。留意すべきは、これらの例ではハガスまでの間、一呼吸二呼吸があることである。

 「肉付き問題」を解決してもなお未解明なゾーンがある。例えば、石を持って盤上に着手した瞬間に条件反射的に手を戻し、別の着手を考え始めた場合ないしは他所への打ち直しをした場合がある。この「ワンタッチ瞬間芸」に対しても「マッタハガシ」を適用するのかどうかである。これをマナーの問題として捉えれば注意で済ませることができる。度々重なればペナルティー協議が開始されるべきであろう。この「瞬間芸」の1発目に問答無用式に「マッタ判定」し反則負けを宣告すべきかどうか。生硬な適用は如何なものだろうか。

 新たな知見を得た。それによると、石が交点に納まった時に着手確定であり、交点に納まる以前の段階では着手そのものが確定していないのでハガシの対象とならない云々。なるほどの説明であるが、「交点に納まったか否か」を誰が判定するのかという問題があり、未だ不十分な手引きのように思われる。しかし面白い見方ではある。


 将棋では一度着手した手を変える行為を待ったと呼ぶが、将棋の着手は駒から指が離れた瞬間であり、以降はその手を直すことはできないが、指が離れない限りは手を直す(別の位置に置き直す)ことができる。チェスでは一度触った駒は必ず動かす「タッチアンドムーブ」の原則があり、将棋と同様に別の位置に置き直しても反則ではないが、マナー違反とされる。

 「マッタ」を防ぐには、「打ち方考」に記したように、打つところが決まるまでは石に触れないという習慣を身につけることである。そうすれば、碁石を手に持って音立てさせたり、碁笥の中に手を入れて石をかき混ぜて音立てさせることがなくなり、相手に不快感を与えずにすむ。「日頃から考慮中は石を触らず、着手が決まってから「パシッ」と打つのが、品のいい碁打ちというものです」とある。
 石の変わりに指を使って置きたい所を指差す行為はどうなのかという質問がネット上に出ている。これもマナー問題で捉えれば良かろう。囲碁では慣習として、バシッと音を立てて碁石を盤上に打ったあと、 そのままスッと石の「位置」を移動することは許されている。 五感の一つである【音】を楽しむという行為が、 囲碁文化として認められているということである。他にも、打とうとして盤上に石が落ちた場合に、取り上げに了解が要るのか要らないのか。その時丁度地震のような天災地変で揺れが生じていたらどうなるのか。

 石の取り方取られ方
 打ち石には縦横四方交差する「呼吸点」があり、それらが全部塞がれると取られることになる。これは石が1ヶの場合でも多数(集団、団子)の場合でも同じである。あと一手で取れる状態を「アタリ」と云う。

 着手禁止点
 碁はどこに打ってもいい自由度の高いゲームであるが、縦横四方交差する「呼吸点一つ」の中に打つのは禁止されている。これを「着手禁止点」と云う。例外として、石が絡み合い「着手禁止点」に打つことにより相手の石が取れる状態になっている場合には打っても良いことになっている。「相手の石が取れる場合にのみ着手禁止点に打つことができる」と云うことである。

 自殺手禁止
 自分の石が窒息死する着手も禁止です。これを自殺手禁止規定と云う。

 一団の石の生死
 打ち石の集団(一団の石)は、その囲い込みした陣地内に最低限「二眼」以上確保していることで「生きている」ことになる。相手がその地の中に打ち込んでも生きることができないと推断されることにより「地」として確定される。

 コウ
 打ち進めているうちに、お互いがある一点の一石を廻って取る取られるが繰り返す局面が生まれることがある。これを「コウ」と云い、コウ立ての約定によりコウ争いすることになる。
コウの形 黒が取る
 「コウ」の漢字は「未来永劫」などと使われている「劫」である。「未来永劫」とは仏教用語で、非常に長い時間を指す言葉である。囲碁では、「コウ」の万年繰り返しを避ける為に、取り返すにはその前に他のところを打ち「コウ立て」せねばならないという約定にしている。「コウ」の箇所を譲りたくない場合には、相手が応じることで取り返すことができるので、相手が応じやすい他の好点を探すことになる。取り返された方も同じように相手が応じやすい他の好点を探して着手し、相手が応じることで取り返すことになります。どこを「コウ立て」するかに技量が問われる。これを繰り返すうちに、どちらかが「コウ立て」を効かず、「コウの解消」に向かうことになる。「コウの解消」は通常は「コウ継ぎ」で行う。局面によっては、コウと密接に関連している他の石をヌクことにより解消する場合がある。こうして局面が更に進行していくことになる。これを「コウの約定」と云う。「コウ」は難しいが、「囲碁の面白みはコウにある」、「上達の具合はコウの遣り取りで分かる」とも云われており、これを恐れてはならない。

 三コウ無勝負
 「コウの約定」でいつしか「コウ」は解消されるが、稀な特殊形態として仮に「コウ」が同時にi三箇所以上で始まる「三コウ」が発生する場合がある。この碁形は永遠の繰り返しになるので「三コウ無勝負」とせざるをえない。

 循環コウ無勝負
 「三コウ無勝負」とよく似た例で「循環コウ」と云うのもある。奇形のひとつで、両方がゆずらず争えばきりがなく、規約で無勝負にしている。このまま放置すればセキであるが、これはコウ付きなので手抜きしづらい形。白1と打たないと黒2で死ぬ。以下双方コウを争えばきりがなくなる。この形が実戦に生じた記録はないが「循環コウ無勝負」とせざるを得ない。将棋における千日手(同一局面の反復)のようなものと受け止めれば良いでせう。

 万年コウ
 「コウ」の特殊形態と「万年コウ」と云うのもある。例えば、白からはコウとセキを選択する道があり、黒からはコウを挑むしかないと云う碁形のものを云う。どちらからもコウを仕掛けず終局した場合は、セキにしうる方(この場合白)がツイでセキとして終了する。

 この形ではaに白がツゲば全体がセキですが、黒から解消しようと思うとまずaに取り、次いでbに詰めて決死のコウを挑まねばならない。白は他のコウ材の具合によってはbに詰めて比較的負担の軽いコウに持ち込むこともでき、選択権は白が持つ。こうした形を「万年コウ」と呼ぶ。どちらからもコウを仕掛けず終局した場合は、セキにしうる方(この場合白)がaにツイでセキとして終了する。補足として、万年コウは昭和三年の大手合で、瀬越憲作(白)七段と高橋重行三段(共に当時)との二子局に生じている。

 セキ
 双方の石の軍団が絡み合って、お互いに生死不明という局面が生まれる場合がある。究極押すに押されぬ個所ができる場合と、同じことの繰り返しで元に戻ってしまう場合とがある。これを「セキ」と呼び、この部分は地合いの計算からカットされる。いわば囲碁の特殊な緩衝地帯とでも云えるかと思われる。「セキ」の原義は「堰(せき)止め」のセキではなかろうかと思われる。

 石が途中からずれたまま対局が進行した場合の措置
 石が途中からずれたまま対局が進行した場合の措置につき、平成元年に全面改正された日本囲碁規約は次のように記している。
 「第13条2 対局中に盤上の石が移動し、かつ対局が進行した場合は、移動した石を元の着点に戻して続行する。この場合に於いて対局者が合意できない場合は、両負けとする」。
(私論.私見)
 この規定は問題を含んでいると思われるので愚考しておく。「対局中に盤上の石が移動し、かつ対局が進行した場合は、移動した石を元の着点に戻して続行する」は随分乱暴な規定であり首肯し難い。こういう場合、為すべきことはまずはずれ石の原因を尋ねることである。それによりずれ石させた者が推定できる場合とできない場合に分かれる。ずらした方が判明する場合、本来の位置に戻すのか、ずれ石のままにして打ち継ぐのかにつき、その者には発言権がないとして、された側に選択権があるとすべきではなかろうか。ならば、対局者のどちらの行為により石がずれたのか判明しない場合はどうすべきか。この場合は、大過ない場合には原則として元に戻すべしであろう。問題は、片方もしくは両方の石の生き死が絡んでおり、元に戻すと片方に不利益、他方に利益が濃厚に認められる場合である。これにつきどうすべきか。まずは対局者同士が紳士的に協議すべきで極力合理的な解決を目指すべきではなかろうか。実戦的には、元に戻すことによる不利益側に選択権がありとすべきではなかろうか。但し、これには利益側の言い分も聞かねばならない。両負け規定は、対局者間の主張が平行線のままで決着しない場合に限り、最後の最後の手段として適用されるとすべきではなかろうか。かく狭く採用されるべきであろうと思われる。
 大出公二氏の2021.4.13日付け「囲碁名人戦予選で『待った』 盤上の石ずらし反則負け」。

 囲碁名人戦の予選で、対局棋士の一方がすでに着手した自分の石を別の場所にずらして対局を続けるハプニングがあった。対局後に相手棋士から異議申し立てがあり、日本棋院「待った」に当たるとして、石をずらした棋士の反則負けとした。ハプニングは8日の名人戦予選C1回戦、河野征夫(ゆきお)五段(80)―尚司和子三段(83)戦で起きた。中盤、尚司三段は122手目を打った約20秒後、手番の河野五段の考慮中に直前に打った石をずらした。河野五段はその場で指摘せず対局を続け、およそ10手後、見回りに来た立会人に相手の「待った」を告げた。立会人はその場で対局が中断されていないことから続行を指示。最後まで打ち続けて終局図は尚司三段の勝ちだったが、河野五段は異議を申し立てた。尚司三段も石をずらしたことを認め、棋院は13日の常務理事会で尚司三段の反則負けとした。日本囲碁規約には「双方が勝敗を確認した後にあたっては、いかなることがあっても、この勝敗を変えることはできない」とあるが、棋院は河野五段が対局中に立会人に「待った」があったことを訴えていることから、終局まで打ち続けたとはいえ、負けは認めていないと結論づけた。尚司三段は取材に対し、「対局のとき目が腫れていて、打った石がずれていたので『ごめんなさいませ』と言って直した。相手が何も言わなかったので打ち続けた」と話した。河野五段は「(相手が石をずらしたとき)相手の負けと思ったが、自分の消費時間が減っていくのが気になりそのまま打ち続けた」と話している。

 上げ石
 取り上げた石は、逆さにした碁笥(ごけ)の蓋の中に収納する。相手が数え易くする為であり、盤上も上げ石も全て明らかにして正々堂々と戦うと云う意味がある。上げ石を机の上に置く癖の者が居るがトラブルの元である。

 投了
 途中で敗戦宣言することができ、これを「投了」と云う。敗戦宣言の言葉としては「ありません」、「参りました」、「負けました」がよく使われる。挙げ石を握って盤上に置く仕草で表現することもある。最終版での投了はマナーが良くないとされている。明らかに負けているにも拘らず打ち続けた場合には最後まで打ち、整地、目数確認、勝敗判定までつき合うのが礼儀である。

 投了要領
 投了要領を確認しておきます。

 日本囲碁規約11条は「対局の途中でも、自らの負けを申し出て対局を終えることができる。これを投了という。その相手方を中押勝ちという」とある。これによれば、いつ投了しても良い、大負けしていても投了しなくても良い、相手の手番でも投了することができる。これを踏まえて「投了のタイミング」を確認しておく。

 その一、形勢大差にして悪く、劣勢を覆す手段がない形で勝ち目がないことがはっきりしたときは潔く投了するのが良い。手段が残っているのに試さず「早く投了しすぎる例」もあるので、勝負手を放つのも一法である。僅かでも「マギレを求める」手段が残っている場合に限り打ち続けるのも良い。「悪あがき」と云われようとも奮戦努力するのは咎められるべきではないと思われる。棋力の向上につながる訳でむしろ必要なことでせう。但し、手段のどれもが失敗に終り、逆転不能と託宣される碁は潔く投了するのが良い。この投了時機を逃すと見苦しく往生際が悪いと云われることになる。

 その二、大差の碁をダメづめ直前になってから投了するのはマナーが悪い。ダメ詰め直前まで打ったら投了できないとするのがマナーである。最後まで打った責任に於いて整地に入り地を確認すべきである。地を数えて大差であることにつき赤恥掻くことになる。この場合は、形勢判断の不明、打ち続けたことの非礼を詫びるのが良い。

 その三、投了を促すのはマナーが悪いとされている。特に級位者の場合には大目に見なければならない。「 相手には寛大に、自分にはきびしく」が良い。大差で勝ってる碁の場合には相手が投げないと怒るのに、自分が大差で負けていても投げない例がある。「投げも芸のうち」と云われるように、投了は棋力の証明でもあり人柄が出る。

 その四、投了時には、「負けました」、「参りました」、「ありません」、「恐れいりました」と述べ、盤上に投了サインをするのが良い。投了する時に言葉にしないで、いきなり石を崩す行為があるが礼儀上良くない。

 終局
 最後まで打ち進め、もはや着手点がなくなった時点を「終局」と云う。両者に打ちたいところがなくなったとき、あるいは手番で、着手すると自分が損をすると感じた場合は着手放棄(パス)することができ、両者がパスを宣言した場合に「終局」となる。「終局」には「終局合意」が必要で、お互いに「終わりましたね」、「終わりですね」、「そうですね」という風に声をかけ合って終局終了の宣言をするのが正式である。実際には「手残り」があるのに気づかず「終局」する場合があるので気をつけませう。

 ダメ詰め
 双方が「終局」合意したところで双方の囲い込み地と相手の石殺しヶ所を確認し、これより「整地」作業に入る。「整地」作業は「ダメ詰め」から始める。「ダメ」とは、白黒どちらの陣地にもならない交点を云う。そのダメを1手ずつ交互に埋めていく。

 その際、ダメ詰めアタリに気をつけながら埋めていくのが良い。双方が勝手にダメ詰めして行くことでアタリになっているのに他のダメ詰めを打ったことによりアタリのところの石が取り上げられ悶着が起こることがある。それを防ぐ為にダメ詰めの際にも互いの打った箇所に注意しながら打つ必要がある。

 上げ石の埋め
 ダメ詰めを終えると次に、自陣の中にある相手の「死石(しにいし)を取り上げ」、相手の「地」の中に入れていく。その際、その挙げ石を相手の地の小さい方から順に地の中に入れて埋めていくと整地し易い。次に、碁笥の上蓋に収納されている「上げ石」(アゲハマ)を、相手の残された地の小さい方から順に地の中に入れて埋めていく。

 整地作業に入る際には、両者が手のひらを空にして見せ、手のひらの中に石がないことを互いに確認してからアゲハマを取り埋めていくのが良い。これはアマチュアレベルの実戦的ルールとして採用されるべきだろう。

 整地
 上げ石の埋めを終えると、相手の「地」が比較的大きいヶ所のみ残ることになる。この「地」を「5の倍数10目単位」の正方形又は長方形に整形していくのが良い。5の倍数単位に整形できないところは2の倍数単位に作っておく。これは数え易くする為の工夫である。これにより互いの「地」の大きさが見易い形で確定する。
 この整地作業の際には、アマチュアの場合には一斉にせず、仮にまず黒石側が白地の整地に入り、白石側がそれを見守り、問題なく行われている事を見届けるのが良い。次に逆にする。こうすれば悶着が起らないだろう。プロの場合には記録係が居たり、居なくても並べ直しができる。アマチュアの場合には、これができないので、一斉にそれぞれの整地作業に入るのは問題があると思われる。整地作業には石の境界線辺りの移動が伴うが、正しく整地されないことがある。意図的故意又は過失の両方が考えられるが、局面が目視的に大差の場合はまだしも、微差の場合には特にこの要領で行うべきであろう。

 目数確認、勝負判定
 相手の陣地の整地を終えて確定した陣地(交点の数)を「地」と云い、その数を「目数」(もくすう)と呼ぶ。この「地の大きさ」を争うのが囲碁である。当然、コミ分を勘定して後に「地の大きい方が勝ち」になる。

 終局礼
 対局終了の時は「ありがとうございました」、投了の際には「ありません」又は「恐れ入りました」と「礼言葉」を正しく発しなければならない。

 局後の検討
 対局後、局面ごとの手どころを検討し合うのが上達のコツである。但し、他の対局者の迷惑にならないよう静かに行うことが肝要である。局後の検討につき、アマはしようとせず、プロは、あれほど激しく戦ったにも拘わらず爽やかに検討し合う姿が美しい。このことに感心させられる。

 終了礼
 対局が終わったら、自分の石をキチンと碁笥の中に入れて、碁笱を碁盤の上に置き、「ありがとうございました」と一礼してから立ち上がるのが良い。

 備考 
 手合割大会の出場選手の段級位は自己申告制としますが、大会本部は、棋力を著しく不当に申告した者に対して是正することができる。6段以下の場合、前回の本大会で4連勝した者を1段(級)昇格し、7段で2年連続優勝した者を8段とする。出場最低級位を4級とした場合、4級、3級につきチーム内にそれぞれ1名しか許容されないものとする方法もある。

【棋士の呼称】
 「棋士 (囲碁)」その他参照。

 室町時代末期に囲碁を専業とする者が現れると、彼らは「碁打」と呼ばれるようになった。江戸時代に家元が俸禄を受けるようになると、「碁衆」あるいは将棋の家元との区別で「碁方」、「碁之者」などの呼び名が使われた。江戸時代には「碁士」、「碁師」などの呼び方も生れた。明治になると「碁客」、「碁家」、「棋客」、「棋家」といった呼び方がされ、また棋戦に出場する者は「選手」とも呼ばれ、大正時代の裨聖会もこの呼び名を使った。日本棋院が設立されると「棋士」を使うようになり、以降の各組織でもこれに倣い現在に至っている。また日本棋院以前の囲碁専業の者や高手に対しても棋士と呼ぶことが多い。 地方においても賭碁をする者は賭碁打ち、懸賞打ちと呼ばれた。

 プロ棋士制度
 日本。法律では職業として囲碁を行うのには資格は不要であるが、試合を開催する団体が定める認定が必要になる場合がある。以下は日本棋院関西棋院が定める規則についての記述です。

 日本には日本棋院と関西棋院の二つがプロを認定する組織として存在しています。さらに日本棋院は東京本院、中部総本部、関西総本部に分かれています。このいずれかで入段試験を突破した者だけがプロ初段の棋士となり、プロ棋戦への参加資格を得ます。プロ入りするには、普通まずプロの卵である院生となって入段試験手合を勝ち抜くことで資格を得る必要があります。院生にならずとも外来で予選・試験手合を突破することでもプロ入りは可能ですがめったにありません。プロ入りには年齢制限があるます、関西棋院では研修棋士制度を設けており、プロ棋士相手の試験碁で一定の成績を収めればプロ入りが可能です。日本棋院の院生で棋士になれなかった者には、研修棋士を経て「普及棋士(準棋士)」の資格が与えられています。また院生以外で入段試験に合格できなかった者には普及専門の「地方棋士」の資格が与えられています。
 世界。詳細は「韓国棋院」、「中国棋院」、「台湾棋院」、および「ヨーロッパ囲碁連盟」を参照。

 韓国(韓国棋院)、中国(中国棋院囲棋部)、台湾(台湾棋院)にも独自のプロ組織があり、それぞれの棋戦が行われています。またこれらの棋士が一堂に会して戦う国際棋戦も盛んです。2011年にはアメリカ合衆国、カナダで、2014年にはヨーロッパでもプロ制度がスタートしました。




(私論.私見)