ポピー・フィッシャー問題考

 更新日/2019(平成31、5.1栄和改元).7.19日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ボビー・フィッシャー(Robert James Fischer)は、かってアメリカンヒーローだった。その彼が東京入管成田空港支局に拘束され収容された「ポピー・フィッシャー事件」は小泉政権の親米ブッシュ・ポチ化度を如実に語っている。この事件は、明治維新以来の伝統的作風として、アジアでは傲慢不遜、欧米に対しては逆に無節操に追従し、ネオシオニズムに対しては極度に言いつけを守るブザマさを露呈させている。その意味で考察に値する。

 それはそうと、マスコミ各社は、先ほどのNHK海老沢会長失脚経過で高邁な放送倫理を聞かせてくれたばかりでないか。ならば、その同じ論理でなぜ「ポピー・フィッシャー問題」をキャンペーンしなかったのだ。云うところの放送の中立とは、かような事件でも小出し報道することか。

 2005.3.25日 囲碁吉拝


【ポピー・フィッシャー問題考その1、フィッシャーの履歴】
 「左往来人生学院」の2005.3.6日付投稿「れんだいこのカンテラ時評その24 ポピー・フィッシャー問題考」を加筆する。世界チャンピオンのボビー・フィッシャーさんを救う会資料を参照する。

 
2005.3.5日付毎日新聞は、チェス元世界王者:脱税容疑、米国に収監の可能性もを報道している。この記事は、「報道されぬよりはましな」という意味のこもった貴重報道である。これだけでは判然としないので、囲碁吉のインターネット畏兄・木村愛二氏が、「阿修羅戦争67」の2005.3.5日付投稿チェス元世界王者の反ユダヤ主義を報じない毎日新聞は腰抜けじゃで補足している。これに更に囲碁吉コメント付けて概要をはっきりさせることにする。判明することは次のことである。

【ポピー・フィッシャー問題考その1、フィッシャーの出自】
 1943年生まれでアメリカ・イリノイ州シカゴで育つ。

 「ウィキペディア/ボビー・フィッシャー
その他によればボビー・フィッシャーはユダヤ人である。次のように記している。
 父:ハンス・ゲルハルト・フィッシャー(1908-1993)
 ベルリン生まれのユダヤ系ドイツ人の生物物理学者。1932年に、アメリカ人科学者ハーマン・J・マラーを通じてレジーナと知り合い、翌年マラーに同行したモスクワで結婚。FBIの調査では、スペインのパスポートを持っていたが、アメリカに入国した記録はなく、1940年からチリで蛍光灯の販売とカメラマンをしていた(FBIは彼を南米でのナチの動向を探るソビエトのスパイと目していた)。1945年にレジーナと離婚。ボビーとは生涯一度も会うことなく85歳で死亡した。クロアチア生まれのユダヤ系ハンガリー人科学者ポール・フェリックス・ネメンニ(Paul Felix Nemenyi, 1895–1952)がボビー・フィッシャーの生物学上の父親でないかという説もある。
(私論.私見) ポピー・フィッシャーの出自
 この「ボビー・フィッシャーユダヤ人説」は、彼の反ユダヤ主義言動から考えると不自然である。ボビー・フィッシャーはユダヤ人ではないと考えた方が自然である。仮にユダヤ人とするなら、ユダヤ人のボビー・フィッシャーが何故に反ユダヤ主義言動をするようになったのかを解析せねばならない。これをせずに「ボビー・フィッシャーユダヤ人説」を喧伝するのは臭いと思う。

 2015.3.1日 囲碁吉拝

【ポピー・フィッシャー問題考その1、フィッシャーの履歴】
 1956年、フィッシャー氏は史上最年少の13歳で全米チェス王者になった。以来、8連覇の偉業を達成する。

 1972年、アイスランドで開催された世界大会で、それまでのチェス世界王者であったソ連のボリス・スパスキーと「世紀の冷戦対局」し、フィッシャーが見事勝利した。フィッシャーは、米国人初の世界王者になり国家の英雄となった。米国でチェスブームの火付け役となった。いわば、米国の誇るべき頭脳の一人であることを証した。その頭脳の行方は如何に。

 1975年、世界選手権で、タイトル防衛戦の運営方法をめぐって世界チェス連盟と対立し、対局を放棄して姿を消す。以来、消息不明になる。当然のことながら、フィッシャーはトーナメント出場しなくなった。その理由については様々な憶測を呼んでいるが、フィッシャー対スパスキー対局のテレビ放映を企画したシェルビー・ライマン氏は、アトランティック・マンスリー紙の記事で次のように語っている。「負けず嫌いなのと、伝説を壊すことが、フィッシャーが二度と対局しない理由の大部分を占めていた」。真相は不明であるが、以来フィッシャーは長らく表舞台に出ることがなかった。

 1972年の闘いから20年後の1992年、フィッシャーが突如姿を現す。経済制裁下のユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)でスパスキーと再戦し、又もや勝利し、賞金365万ドルを手にした。そのニュースが世界に配信された。こうして、フィッシャーはチェス界の神話の人となった。今日でも、「フィッシャーは偉大な対局者でした。彼の対局は世界を感動させた」、「今でもフィッシャーのことを現存する最高ランクのチェス名人であると信じている(前世界チャンピオンでゲイリー・カスパロフも含めて)」、「フィッシャーはチェス界のベートーベンかミケランジェロだ。彼の対局は永遠に残るだろう」と評価されている。

 この米国の頭脳の一人であるフィッシャーには「癖」があるようで、現米国大統領小ブッシュの父ブッシュが嫌った。ユーゴでのチェス対局で賞金を手にしたのは、経済制裁下の相手国と経済活動をしてはいけないというブッシュ大統領及び政府による通商禁止令違反なる容疑をこじつけて、フィッシャー迫害政策を指示した。これにより、FBIがフィッシャー氏を告発起訴した。「フィッシャーは対局に勝利したが、FBIによって告訴される立場に陥ってしまった」。

 付言すれば、当たり前のことだが、フィッシャーの対戦相手、元世界チャンピオン・スパスキイ氏(フランス)、審判員のGMシュミット氏(ドイツ)、その他関係者は誰一人非難もされず罰も受けていない。
(私論.私見) 父ブッシュの大統領令違反考
 父ブッシュの大統領令違反を愚考するのに、政治権力が全ての分野を統括すべし論になるが、一体、米帝民主主義はいつからかようなものになったのだろうか。その状況は一段と悪化していると認識すべきのように思える。臭いからしてシオニズム特有の偏狭さを垣間見るのは囲碁吉だけだろうか。

 2005.3.25日 囲碁吉拝

【ポピー・フィッシャー問題考その2、フィッシャー流浪、その反米反ユダヤ主義と米国の対応】
 その時からフィッシャーは亡命者となった。フィッシャー氏が帰国して有罪となれば最高10年の懲役、25万ドルの罰金となるため一度も帰国していない。ハンガリー、ホンコン、フィリピン(妻子が居るとされる)に渡り住むことを余儀なくされる身となっている。

 なぜ、フィッシャーは迫害されるのか。それを解くのは、「フィッシャーの癖」にある。その「癖」を解くのは、「ボビー・フィッシャーは、母国のアメリカ合衆国に対する攻撃と反ユダヤ主義的発言により、社会の除け者にされてしまった」がキーワードであろう。フィッシャーはどうやら反ユダヤ主義で、その限りで今やユダヤに乗っ取られている米国に対する反米主義になっているらしい。

 これを裏付ける情報は次の通りである。1999年から、アイスランド、ハンガリー、フィリピンのラジオ局による一連のインタビューで、フィッシャーは次のように語っている。
 「アメリカ合衆国は“おぞましき”ユダヤ人たちによって支配されており、自分は世界中のユダヤ民族から迫害を受けている」。

 フィッシャーはまた、カリフォルニアにある貯蔵庫に収蔵していた合法的な個人財産が騙し取られ、違法に売り払われたとも主張している。他にも次のような予言を吐いている。
 「アメリカはこれ以上長く存続できないと思う」、「米国があまりにも早く崩壊し、過去の遺物へと成り果てるということに皆さんも驚くことになるだろう」。

 フィッシャーは、合衆国当局から追われる身になって以来、隠遁者となっており、第三国への政治亡命を希望している。 彼をモデルにした「ボビー・フィッシャーを探して/Searching for Bobby Fischer」という映画が1993年に作られている。

 そのフィッシャーは今、日本に居る。なぜ日本なのか? その理由について、フィッシャー氏は次のように述べている。
 概要「日本は大丈夫だ。日本政府は私を困らせるようなことはしない。日本の当局者は他国ほど厳格じゃない」。

 れんだいこが解するところ、その意味するところは、日本政府当局者の対応は、かってはと云うべきか政治的ノンポリであった。そういう意味では住み易い、ということのようである。

 フィッシャー氏は日本は何度も訪れ、2000年以来、日本チェス協会事務局長の渡井美代子さん(59)と日本で同居している。


 
2001.9.11日、米国内同時多発テロが発生したが、その数時間後、興奮したフィッシャーはフィリピンの バギオにあるラジオ・ボンポ局に急行し、パブロ・マルカド氏のインタビューを受けた際に概要次のように発言している。
 「素晴らしいニュースだ。奴らのクソッタレな頭を蹴り飛ばす時だ。アメリカの息の根を止める時だ。(テロ行為を)私は賞賛する。アメリカとイスラエルは何年にもわたりパレスティナ人を虐殺してきたのに誰も気にもしなかったんだ。そのツケがアメリカにやってきたんだ。クソッタレのアメリカに。アメリカが全滅するのを見てみたいもんだ」。

 この「フィッシャー発言」は、ニュースで世界中を駆け巡った。2002.2月、「公共の場での嘆かわしい発言」を理由にアメリカ合衆国チェス連盟はフィッシャーを除名した。

 その後、フィッシャーは再々来日している。2003.1月付けで朝日新聞が報じたところによれば、2002.12月、フィッシャーが日本チェス協会に赴き、壁に飾られたチェス対局の絵に目を留めた。「私の対局だ」。協会の事務員に告げると、フィッシャーは絵に署名した。後日、その絵は壁から降ろされ、ハリー・ポッターのポスターに交換されたという。

 しかし、日本チェス協会は、連絡窓口となることで、フィッシャーをサポートしているようだ。婚約者となった渡井美代子会長代行は、「協会はコメントしません。彼はジャーナリストとの接触を嫌っています」とも述べている。

 2003年、1992年に経済制裁下のユーゴスラビアでスパスキイとチェスのマッチをした咎で起訴状と逮捕状がだされ、これを根拠にパスポートが無効とされる通告文がフィリピンにあるアメリカ大使館宛てにフィッシャー氏の住所もなく送付された。当時、フィシャー氏はフィリピンに滞在していなかったため通告文を受け取ることができなかった。通告文受領後60日以内にできる不服申し立て制が記されていたがフィッシャーは知る由(よし)もなかった。このような方法でのパスポート無効化なぞ許されることだろうか。

【「ポピー・フィッシャー問題考その3、フィッシャーが東京入管局に拘束され収容される」】
 フィッシャーは、2004.4月に来日し今日まで滞在している。木村氏は、「東京の場末の蒲田にいる世界一の元米英雄チェス選手は反米・反イスラエルなのである」と補足している。 

 フィッシャーは、日本への政治亡命を願っている模様であるが、ブッシュのご機嫌伺いに忙しい小泉及びその政府は首を縦に振らない。そうこうするうちに、フィッシャーが米国人初の世界王者になった記念すべき対局を行ったアイスランド政府がフィッシャーの受け入れを表明した。フィッシャーもアイスランド行きを希望し旅券も発給さた。大統領令は犯罪人引き渡し条約の対象ではないためフィッシャーは自費出国を申請し、支援者は航空券も購入した。

 2004.7.14日、フィッシャーが成田空港からフィリピンへ出国しようとしたところ、東京入管成田空港支局に拘束され収容された。日本の法務省が、フィッシャーのアイスランドへの出国を許可しなかったということになる。フィッシャーの保持する米国旅券(パスポート)が期限切れの無効容疑で拘束されたと云う。実際にはパスポートの有効期限は2007年まであったとの情報もある。となると入管法違反の具体的容疑がはっきりしないいま拘束されたことになる。つまりは、米国側の要請に応じて日本の入管局が足止めさせたというのが室際であろう。「チェス元王者を収容 成田で入管難民法違反容疑」というニュースが配信され、海外でもちょっとした話題になった。

 法務省はすぐさま米国に強制送還しようとしたが、フィッシャーが退去強制処分取り消し訴訟を起こし、現在も係争中。法務省は口頭弁論で、米国以外への送還を拒否することを明らかにしており、米国の要請があれば強制送還で引き渡すのは必至の模様となっている。

 フィッシャーは現在、入管法違反容疑(不法入国)で東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されている。同居している渡井さんは昨夏の収容以来、150回以上フィッシャーと面会している。フィッシャーの代理人の鈴木雅子弁護士は「第三国が受け入れを表明し、本人も希望しているのに許可しないのは過去に例がなく極めて異常だ」と法務省の対応を批判している。

【ポピー・フィッシャー問題考その4、「フィッシャーを救えの会」発足と活動の歩み】
 「フィッシャーを救え」の声が世界中から巻き起こり、自分たちに何が出来るかと問い合わせが日本チェス協会に殺到し始めた。アイスランドのFree Bobby Fischerのホームページにも嘆願書の署名が世界中から寄せられている。こうして、「天才チェス棋士・フィッシャーさんを救う会」が結成された。「救う会」の歩みは次の通り。

 2004.7.29日、日本外国特派員協会で、第1回記者会見。
 同8.6日、弁護士会館で第2回記者会見。上陸許可処分取消等請求事件として訴訟を起し、執行停止申立書を提出した。
 元世界チャンピオン・スパスキイからブッシュ大統領宛ての手紙がJCAに届き、アメリカ大使館に届けた。スパスキイは、「もしフィッシャーと同じ罪を犯した事になるなら私を捕まえてフィッシャー氏と同じ刑務所の部屋に入れて下さい。そのときはチェスセットを差し入れて下さい」と書いていた。(フランスのミッテラン大統領は、対戦相手のスパスキイを罰していない)。
 8.16日、日本外国特派員協会で第3回記者会見。
 8.24日、難民認定を不認定とする通知と法務大臣による退去強制令書が出された。この為、弁護士が異議申し立ての訴訟を起した。
 9.6日、フィッシャーは、パスポートの無効措置決定に対する審査請求を提出。
 9.8日、東京地方裁判所は、退去強制令書発布処分取消し請求の判決までフィッシャーの送還執行停止の決定を出す。
 9.9日、毎日新聞・朝刊に「日本政府は公平な対応を」のタイトルで記事が掲載された。

【将棋棋士/羽生善治氏が小泉首相あてに嘆願メール】
 9.11日、将棋棋士の羽生善治氏が小泉首相あてに「フィッシャーさんを自由に!」と題する嘆願メールを出した。朝日新聞・夕刊に、「羽生さん『チェス王に日本国籍を』」のタイトルで記事が掲載された。10.9日、文藝春秋2004.11月号に羽生善治氏による「伝説のチェス王者フィッシャーを救え」の記事が掲載された。(全文が入手され次第取り組む予定である。どなたか情報頼む)

 「完全なるチェックメイト  チェス世界チャンピオン、ボビー」 参照。
 「内閣総理大臣 小泉純一郎様 拝啓 時下ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。さて、現在、元世界チェスチャンピオン、ロバート.ジェームス.フィッシャーさんが(茨城県)牛久の東日本出入国管理局に拘束されています。フィッシャーさんはチェスの世界のモーツアルトのような存在で、残した棋譜は百年後も色褪せることなく存在すると思います。日本に滞在していたのは、人目を気にすることなくくつろげる数少ない(中略)チェスに打ち込める環境を提供することはできないでしょうか? もし実現すれば日本は偉大な芸術家を一人得たことになります。どうぞフィッシャーさんを政治の渦に巻き込まれないよう格別のご配慮をお願い申し上げます。敬具 平成16年9月5日 羽生善治」。
 「私は先月、『フィッシャーさんを自由に!』と題した右のメールを首相官邸のホームページから小泉首相宛てに送りました。もちろん生まれて初めてのことです。なぜそんなことをしたのか。それは、フィッシャーさん(愛称はボビー・フィッシャー)が、単なるチェスの『元世界チャンピオン』以上の偉大な存在だからです。1943年生まれの彼は、当時の史上最年少グランドマスター(チェスのトッププレイヤーに与えられる称号)であり、72年ソ連のポリス.スパスキーとの世界選手権で、20世紀で初めてアメリカに世界タイトルをもたらした英雄であり、(中略) 『伝説の英雄』であり、何よりもフィッシャーさんの残した棋譜が、大胆さと攻撃性と意外性に富んだ、感動さえ呼ぶものだからです。私は将棋の棋士としての活動をしながら、20歳を過ぎた頃からチェスを始めました。今でも暇を見つけて国内外のトーナメントに参加することがあります(日本ランキング2位)。彼の著書である『』、『』は、チェスを始めた私に様々なことを教えてくれました。その頃、彼はすでに公の場に姿を現さなくなっていましたから、実際にお目にかかったことはありません。しかし、知れば知るほど、フィッシャーさんはあらゆる面でチェスを変えた人であり、二十世紀の人類を代表する天才の一人といっても過言ではないと思います。(中略) 出入国管理法違反に問われ、東京出入国管理局成田空港支局に身柄を拘束されてしまいました。日本ではフィッシャー氏拘束のニュースは新聞で小さく取り上げられた程度ですが、欧米では『十年以上消息が知れなかった、伝説の世界チャンピオンが捕らえられた』とたいへんな話題になり、この二ヶ月あまりで二千件を超す記事が書かれているそうです。私自身、このニュースを聞いた時、大変驚きました。一つには、フィッシャーさんが日本にいるらしいという噂が『本当だったんだ』とい驚きです。数年前からそういう噂がチェス仲間の間で囁かれていました。しかし、このニュースを聞くまで確認のしようがありませんでした。もう一つ感じたのは、なぜ拘束されたのか事実関係がよくわからない、ということです。パスポートが無効になったという知らせをアメリカ政府から受けて(中略) フィッシャーさん側は強制退去処分を差し止める訴訟を起こしていますので、フィリピンのアメリカ大使館が送ったとされる無効の通知のいきさつや所在が今後の裁判が進むにつれ、明らかになっていくでしょう。しかし、フィッシャーさんのこれまでの足跡が今回のアメリカ政府からの措置を招いたことは間違いありません。彼が最後に公の対局に現れたのは、1992年に経済制裁中だった旧ユーゴスラビアでのことでした。この対局でフィッシャーさんは制裁違反の罪でアメリカ政府から起訴され、その後はアメリカに戻っていません。フィッシャーさんは今年61歳。将棋の棋士でいえば、米永邦雄永世棋聖と同世代に当たります。(中略) 

 そして、彼が国民的ヒーローになったのは二十九歳(七二年)のとき、アイスランドのレイキャビクで行われたソ連のボリス・スパスキーとの世界選手権でした。このときまで世界のチェス界はソ連の独壇場でした。ソ連はオリンピック選手を養成するのと同じように、国を挙げて有望な子供を集めてはチェスプレイヤーを育て上げました。東西冷戦がもっとも厳しかった五〇年代、六〇年代を通して、他国はソ連にかないませんでした。そこに現れたのがフィッシャーです。両者の戦いは米ソの代理戦争のような様相も呈しました。フィッシャーは約二ヶ月におよぶ激闘の末、スパスキーを破り、二十世紀になって初めてアメリカ人がチェスの世界チャンピオンに輝きました。(中略)高いレベルのチェスは差が付きにくく引き分けが多くなるというのは、よく知られているところです。ところが、フィッシャーさんは、普通なら0-0や、良くても1-0にしかならないような対局で、3-0の勝ち方をしてしまうプレイヤーなんです。柔道でいうと、判定ではなく、一本勝ちを狙いにいって、その通りに勝ってしまう井上康生選手のような存在とでもいいますか。ですから見ていて非常に爽快だし、派手で華麗です。棋譜の中に、こんな手順が実際に盤上に現れるのかと、ほれぼれするような手が多い。ある人から『‘’羽生マジック‘’に似ていますか?』と聞かれたことがありますが、とんでもない。私の将棋はミスも多いですがフィッシャーさんは最初から最後まで完璧に近い。神の領域に近づいている人です。(中略)また、将棋界の感覚では理解できないのですが、封じ手になった夜に仲間と一緒に研究するのは、チェスでは当然の権利と考えられています。強豪の多いソ連はそれだけでも有利なのですが、フィッシャーさんはアメリカ人として一人で世界選手権の予選を勝ち上がって行きます。私は映画の『ランボー』を思い出しました(一人で軍隊に向かっていきますよね)。自己主張しないと道は開かれない。だからこそ七二年のボリス・スパスキーとの世界選手権は大変でした。『白夜のチェス戦争』によると、フィッシャーは賞金の増額を要求して、第一試合の期日に遅れます。その上に第一局を落とすと、中継のテレビカメラが気に障るから、カメラを撤去しないと残りの試合を放棄すると宣言する。第二局は出場を拒否し、スパスキーの不戦勝になりました。このまま帰国しようと空港に向かったフィッシャーに、チェス好きのキッシンジャー大統領補佐官(当時)が「国のために試合をしてくれ。ニクソン大統領も期待している」となだめ、第三局はカメラのない非公開の小部屋で行うことになりました。(中略)欧米では、チェスは盤上の芸術であると同時に、たいへんな対局を要する「頭脳スポーツ」であると見なされています。そういう環境でトップを究めたプレイヤーが、極めて「個性的」な人格の持ち主であることも、納得できる気がするのです。(中略)フィッシャーとチェスを指すチャンスがあれば、光栄です。ただ、なにしろ『伝説のチャンピオン』ですから、会うのが怖いという気持ちも少しあります。フィッシャーさんは牛久の収容施設でもチェスの研究をやっているのでしょうか。おそらく彼は、日本には将棋という競技があるということを、知らないような気がします。機会があれば、お目にかかって、将棋盤と駒をさし上げたいと思います」。
(私論.私見) 将棋棋士・羽生善治氏のフィッシャー連帯考
 一体、囲碁棋院の動きはどうなんだ。将棋界でも、米長権力追従丸の見解を聞きたいよ、ったく。

【ポピー・フィッシャー問題考その5、その後のフィッシャー考】
 10.6日、フィッシャーが、茨城県の東日本入国管理局に拘留されたまま仮放免許可申請書を提出(これまで3回却下され、4回目を申請する。
 10.18日、日本外国特派員協会で第4回記者会見。フィッシャー不在のままアメリカ大使館のMr. McKeonによりパスポート無効のヒアリングが行われたことにフィッシャーのアメリカ人弁護士Mr. Vattuoneが抗議する会見が行われた。
 12.15日、アイスランド政府がフィッシャーの受け入れを表明した。
 12.17日、日本外国特派員協会で第5回記者会見。
 12.20日、アメリカ政府がアイスランド政府にフィッシャーの受け入れを取り消すよう圧力をかけた。
 12.21日、アイスランド政府は、アメリカ政府の圧力に対し、フィッシャーの受け入れを続けると断った。アイスランド政府はアイスランド外国人用旅券を発行したが、本国の外務大臣と在日アイスランド大使との間でどう渡すが折衝が続いいる。
 12.24日、日本の法務省はフィッシャーの出国についての回答を来年に持ち越すと鈴木雅子弁護士に伝えた。
 12.25日、東京新聞「本音のコラム」が「フィッシャー問題」を取り上げた。文面は以下の通り。
 以前、本欄で紹介したチェスの伝説的世界チャンピオン、ボビ-・フィッシャ-氏が日本の入国管理局に5ヶ月以上、収監されている問題で大きな動きがあった。アイスランド政府がフィッシャ-氏の受け入れを表明したのである。12月15日付で同政府は、同氏の入国を認め、居住許可を与えることを発表。旅券を保持してなくともアイスランドに入国できること、入国後希望があれば、外国人用の旅券を発給することも確約した。

 フィッシャー氏は経済制裁下にあった旧ユーゴスラビアで、米政府の禁止を無視してチェスの大会に参加した罪で、米政府から告発されている。その後、5年以上もの間、東欧や日本に潜伏を続け、この7月に無効の旅券で入国した罪で成田空港で捕まり、そのまま収監されている。しかし、同氏は偽造のパスポートを使用したわけではない。普通に使用していた旅券が米政府によって本人に知らされないまま、無効にされていたのだ。そして、強制送還を望む米政府とそれに追従する日本政府、それを何とか拒もうとする同氏の弁護団の間で激しい綱引きがあり、こう着状態に陥っていた。日本で罪を犯したわけでもないフィッシャー氏を閉じ込めるわが国と、無条件で受け入れるアイスランドとの違いは何なのだろう。この国が情けなくなる。(大崎善生)

 2005.1.5日、弁護士が法務省の審判課訴訟係長・川畑氏と会談。法務省の回答は、「未だ検討中。いつ結果がでるかわからない。検討しているのは、退去強制手続きでは国籍国に送還するのが原則であること。これ以上は言える事がない」。

 1.7日、4回目の仮放免不許可通知が弁護士に配達された。
 3.1日、アイスランドからフィッシャーの友人とテレビ局スタッフ4人、3日に支援グループの3人が来日。
 3.5日、外国人記者クラブで記者会見。アイスランドの人たちはフィッシャーがソ連との冷戦時代にアメリカにどんなに大きな栄光をもたらしたかを語り、フィッシャーの現在置かれた収容生活は人権問題であると訴えた。
 3.6日、フィッシャーが脱税容疑でアメリカ裁判所の大審判に処せられることが決定された。米フィラデルフィアの破産裁判所によると、日本の国税庁にあたる米内国歳入庁が告発するフィッシャーの脱税容疑は5件あり、大陪審で起訴されるかどうかが決まるが、本人が「米国に税金は払っていない」と過去に発言していることから、起訴されるのは間違いないとみられる。関係者によると、大陪審は4月5日に開かれる。フィッシャーが起訴され、米国からの引き渡し請求があれば、日本側は法相が日米犯罪人引き渡し条約などに基づいて判断し、引き渡すべきだとなれば東京高検が身柄拘束するとともに東京高裁に引き渡し審査を請求する。同高裁は身柄拘束から2カ月以内に引き渡しの可否を決定する。かくて、フィッシャーは米国に収監される可能性がある。

 3.7日夜9時、アイスランド大使から鈴木雅子弁護士にパスポートが渡された。

 3.8日、外国人記者クラブで記者会見が行われ、アイスランドのパスポートと航空券を披露した。出国の条件は全て揃ったが、法務省はアメリカ政府の「フィッシャーをアメリカに送還要請」意向をうけ政治判断でフィッシャーの出国を認めない鈴木雅子弁護士は「これは法律違反で絶対に許されることでない」と叫ぶ。
 3.9日、1972年世界選手権マッチの時、フィッシャーのボディガードを勤めた元警察官サミーがフィッシャーと面会。花束を渡そうと受付に差し入れを願い出たところ拒否された。サミーは面会室でガラス越しに誕生日おめでとうの歌を歌う。

 3.15日、フィッシャーは、3.10日にアイスランドへの自費出国を申請したが、この日不許可を告げられた。参議院で開催された外交防衛委員会で、民主党の榛葉(しんば)賀津也議員が質問に立ち、法務省入国管理局長・三浦正晴氏にフィッシャーについて質問した。三浦氏は、「アイスランドが受け入れを認めているがフィッシャ-氏は国籍・市民権のあるアメリカへ送還する」と答弁。榛葉議員は「別件の脱税でフィッシャー氏を逮捕し、日米の犯罪者引渡し条例により引き渡すまでとめておきたい。これは明らかにおかしい」と述べて、外務大臣・町村信孝議員に「この件についてアメリカから要請を受けたかどうか」質問。町村議員は「私の記憶によりますと、要請をうけた記憶はない」と答弁。

 3.16日、社民党の福島瑞穂議員が法務省入国管理局局長を訪問しアイスランドの市民権をとれば出国可能かどうか話し合う。その後、福島議員はアイスランド大使館を訪問。 


(私論.私見) 「囲碁吉のフィッシャ釈放勝ち取れメッセージ」

 この「チェス王者フィッシャー引渡し事件」をどう窺うべきだろうか。マスコミは、北朝鮮拉致事件については連日連夜、何かことあるごとにキャンペーンを張っている。その正義が、パレスチナ、イラクには向わない。それは異国のこと故かと思っていたらそうでもない。「チェス王者フィッシャー引渡し事件」はれっきとした日本が当事国の問題である。これに及び腰な理由を立花はん辺りに説明させたら素敵なコメントが聞けそうなのに、なぜだか今のところでてこないのは滑稽なことだ。

 これはれっきとした国家主権の問題である。北朝鮮問題で熱心なその口を何故「フィッシャー事件」に用いないのか、滑稽なことである。ちなみに、フィッシャーは、「自分の事件は日本政府による拉致事件である」との認識を示している。ならば余計に、「フィッシャー事件」沈黙者は弁明せねばならぬだろう。

 それはそうと、囲碁吉にはもう一つ踏まえておきたいポイントがある。「米国の頭脳の一人フィッシャー」の反ユダヤ主義の観点をもう少し聞きたい。彼の頭脳に映じている現代世界観、人類史観を聞きたい。恐らく、目を洗われハッとする指摘の満載なのではなかろうか。ならば、囲碁吉は、「フィッシャーのアイスランドもしくは日本定住運動」を起こし、彼の頭脳を擁護してみたいと思う。囲碁吉は、歴史的ユダヤ主義の頭脳にたった一人で立ち向かっているフィッシャー頭脳の狂気に侠気を感じる。

 一般に、スポーツ界が政治権力に翻弄される愚はもうよしこにしたい。昨年はナベツネ権力に野球界が振り回された。この時の対応の悪さで、今セイブの堤がメッコ入れられている。歯向かうとこうなるぞというみせしめだろう。ライブドアのホリエモンの今後は如何に。彼は、経済で政治をこじあけようとしているが、その帰趨はいずれはっきりするだろう。鬼門筋に手を染めていることだけは確かで、じっくり見させてもらうつもりだ。

【ポピー・フィッシャー問題考その6、フィッシャが仮釈放され出国する】
 3.22日、アイスランド議会は、賛成40票、反対0、棄権2票で、フィッシャーにアイスランド市民権(つまりアイスランド国籍)を与える決議をした。アイスランド政府とアイスランド国民は、米国の脅迫と恐喝に屈しなかった。

 アイスランド議会の決議が急遽フィッシャー釈放へと流動化する。

 2005.3.24日、入管法違反の疑いで東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されていた元チェス世界王者の米国人ボビー・フィッシャー(62)が約8カ月ぶりに仮放免され身柄拘束を解かれた。

 自由になったフィッシャー氏は、アイスランド大使館の車で成田空港に到着した。フィッシャー氏は、約50人の報道陣に囲まれ次のように述べている。
 問「自由になった気持ちは」。
 答「まだ自由になっていない」。「私は逮捕されたのではなく、日本で拉致された。アイスランドに到着するまでは自由になれない」。

 フィッシャーは、小泉政府とそれに従う日本の入管当局の対応を批判した。

 フィッシャーは成田からコペンハーゲンに向かう機内でAP通信のインタビューを受けた。AP通信によると次のように述べている。
 概要「(拘束の理由とされた無効旅券所持を否定し、私の事件は、)ブッシュ米大統領と小泉純一郎首相によって仕組まれた拉致だ。小泉首相は、『ブッシュの言うことなら何でも喜んでやる野郎』、『(ブッシュ大統領の)手先』である。米国は先住民であるインディアンの国であり、住んでいる人間はみな侵略者だ。米国は『非合法国家』、イスラエルは『無法者国家』である」。

 フィッシャーは、アイスランドへ向けて出国し、24日夜(日本時間25日午前)、アイスランドの首都レイキャビクに到着した。


 フィッシャー氏のこの激しい米国批判を聞け。但し、米国政府が改めて反発する可能性もあり、24日付の英紙ガーディアンは、「米国当局はフィッシャー氏の脱税容疑を調査しており、アイスランド入りしてもフィッシャーの苦難は終わりにならないかもしれない」と伝えている。

 AP通信によると、同氏は1972年にソ連(当時)のボリス・スパスキーを破り、世界王者となったレイキャビクのホテルに当面、滞在する予定という。到着後、フィッシャーは記者団に「長い拘束で疲れた。休みたい」と語った。 

 同氏は1992年、米政府が経済活動を禁止していた旧ユーゴスラビアで、賞金を賭けたチェス対局に勝利したため米国内で起訴された。大統領令違反に問われている。昨年7月、フィリピンに向かうため成田空港で手続き中、米国から「無効」通知された旅券による出国が咎められ、そのまま身柄拘束された。米国務省は同国への送還を要求。しかし、同氏は米国への強制退去を拒み、アイスランドへの出国を求めていた。2005.3月、アイスランドが同氏に市民権を付与、受け入れを表明したことから法務省は送還先を米国からアイスランドに変更した。日本の入管法は、強制退去の送還先について「その者の国籍または市民権の属する国」と定めているため、アイスランドへの出国が可能になった。米国はフィッシャーの身柄引き渡しを要望しているが、日本には大統領令違反に相当する刑罰がないため、逃亡犯罪人の引き渡し対象にはならないとみられる。

 法務省入国管理局の榊原一夫総務課長は24日会見し、米国が身柄引き渡しを求めている中でアイスランドへの出国を認めたことについて「我が国の公安、国益を著しく害さない限り、本人の希望を尊重する。米国から法令に基づく身柄の引き渡し請求はない」と述べた。

 米国務省のエレリ副報道官は24日の記者会見で、日本で拘束されたチェス元世界王者ボビー・フィッシャーがアイスランドに出国したことについて、「米国への送還が実現しなかったことに失望している」と述べ、日本の対応に不満を表明した。また、「彼は米国の法律に違反している」と指摘し、引き続き米国内での訴追を目指す考えを示した。 

 アメリカの身柄引き渡し要求は今後も続くため、まだ予断を許さない状況である。


【ポピー・フィッシャー問題考その7、フィッシャーの晩節考】
 2004.12月、アイスランド政府が人道的見地からフィッシャーに対して市民権を与える措置をとり、拘束から約8ヵ月後の2005.3.24日、日本政府はフィッシャーのアイスランドへの出国を認め釈放した(アメリカもこれを認めた)。以後はアイスランドに滞在し静かな余生を送った。ごく親しいわずかな人以外とは交流せず、一般には理解しがたい特異な考え方や過激な発言から、地元民からは「助けが必要な精神的な病を抱えた人」と見られていたが、チェスの天才としてあたたかい目で見守られてもいた。

 2008().1.17日、ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)が肝臓病により逝去(享年64歳)。

 フィッシャーの死後、フィリピンの女性マリリン・ヤングが「2001年に生まれた自分の子供(女の子、フィリピン国籍)の父親はフィッシャーだ」と主張したが、墓を掘り起こしてのDNA鑑定の結果、その子の父親はフィッシャーでないことが判明した。アイスランドの裁判所は渡井美代子がフィッシャーの遺産(遺品)を相続することを認めた。

【2005.3.5日付毎日新聞「チェス元世界王者:脱税容疑、米国に収監の可能性も」】
 2005.3.5日付毎日新聞は、チェス元世界王者:脱税容疑、米国に収監の可能性もを報道している。これを転載する。
 チェスの元世界王者、ボビー・フィッシャー氏(61)が脱税容疑で米裁判所の大陪審の審判を受けることが5日、毎日新聞の調べでわかった。フィッシャー氏は現在、入管法違反容疑(不法入国)で東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容され、フィッシャー氏の旅券を発行したアイスランドへの出国を希望しているが、起訴されれば日米間の犯罪人引き渡し条約により、米国で収監される可能性が出てきた。

 米フィラデルフィアの破産裁判所によると、日本の国税庁にあたる米内国歳入庁が告発するフィッシャー氏の脱税容疑は5件あり、大陪審で起訴されるかどうかが決まるが、本人が「米国に税金は払っていない」と過去に発言していることから、起訴されるのは間違いないとみられる。関係者によると、大陪審は4月5日に開かれる。

 米国からの引き渡し請求があれば、日本側は法相が日米犯罪人引き渡し条約などに基づいて判断。引き渡すべきだとなれば東京高検が身柄拘束するとともに東京高裁に引き渡し審査を請求する。同高裁は身柄拘束から2カ月以内に引き渡しの可否を決定する。

 ◇昨夏、茨城に収容

 フィッシャー氏は92年、経済制裁下のユーゴスラビアでチェスの対局を行い、賞金365万ドルを手にした。経済活動をしてはいけないという米政府の大統領令違反容疑で起訴された。「チェスをしただけ」というフィッシャー氏が帰国して有罪となれば最高10年の懲役、25万ドルの罰金となるため、一度も帰国せず、反米的な発言を繰り返していた。脱税には一般に6年の時効があるが、賞金を投資などに運用、その後の収入を申告していなかったとみられる。また、著書の印税も毎年受け取っているとみられる。

 フィッシャー氏は昨年4月に来日、7月に成田空港から出国しようとしたところ、米国の旅券が無効として収容された。法務省は米国に強制送還しようとしたが、退去強制処分取り消し訴訟を起こし、現在も係争中。

 ◇法務省は送還望む

 フィッシャー氏は72年、アイスランドで行われた対局でソ連のチェス世界王者を破り、米国人初の世界王者になった。冷戦時代の英雄として、アイスランド政府は昨年末、フィッシャー氏の受け入れを表明、フィッシャー氏もアイスランド行きを希望し旅券も発給されている。大統領令は犯罪人引き渡し条約の対象ではないため、フィッシャー氏は自費出国を申請し、支援者は航空券も購入しているが、法務省はアイスランドへの出国に応じていない。法務省は退去強制処分取り消し訴訟の口頭弁論で、米国以外への送還を拒否することを明らかにしており、米国の要請があれば、引き渡すのは必至だ。

 フィッシャー氏は00年から日本チェス協会事務局長の渡井美代子さん(59)と日本で同居しており、日本は何度も訪れている。渡井さんは昨夏の収容以来、150回以上フィッシャー氏と面会している。

 フィッシャー氏の代理人の鈴木雅子弁護士は「第三国が受け入れを表明し、本人も希望しているのに許可しないのは過去に例がなく、極めて異常だ」と法務省の対応を批判している。【ライアン・コネル、田嶌徳弘】


【「囲碁吉訳 ボビーフィッシャー」 】 
 Bobby Fischer's attacks on the United States and his anti-Semite remarks have made him a pariah.
 米国のボビー・フィッシャー攻撃と彼の反セミティシズム見解が、彼を追放者の身に追いやっている。
 Shane Green tries to find the man, regarded by many as the world's best chess player, to see why he turned himself into a pawn.
 シェーン・グリーンは、彼を世界の最高のチェスプレイヤーとみなし、彼がなぜ囚われの身になっているのかを問おうとしている。
 Checkmate for grandmaster November 27, 2003
 チェス界のグランドマスター 2003.11.27日
 The train takes you eight stops west from the centre of Tokyo, away from the suits of the business district to the working-class area of Kamata.
 列車で東京駅から西へ8つ目の駅、ビジネス街から離れたところに、労働者階級の町・蒲田がある。
 From the station, you walk past a shoeshine man waiting for business, then part a way through shoppers drawn by the display of plastic gadgets outside the supermarket.
 駅から歩き始め、靴磨き人の居るところを通リ過ぎ、買物客と行き過ぎ、外看板をプラスチックで加工表示したスーパーマーケットへ至る。
 There is one pause for directions, and eventually you find it: the office-cum-residential block that is the home for the Japan Chess Association.
 Up the stairs to the second floor, and to the grey door marked 220. You knock and wait, while a middle-aged man down the end of the corridor barks into a mobile phone, his voice bouncing off the ageing linoleum.
 It seems an unlikely place to find a chess association. But then, in the particular search you are on, the unusual has been the norm. You have come as part of the quest to find Bobby Fischer, the American chess grandmaster, regarded by some as the greatest chess player ever.
 By all accounts, Fischer, 60, is living in Japan, giving the association as his mailing address. The young office worker who answers the door is unable to help, politely taking a business card, promising to pass it on to someone in charge.
 But even if Fischer answered the door, even if he talked, you know the conversation would barely touch on chess, for these days, Fischer is playing another game, one characterised by paranoia, bitterness and anti-Semitism. Wanted by US authorities, Fischer has become a recluse.
 That is probably an inaccurate description, for wherever he can find a radio station willing to give him air time, he spews forth his particular brand of vitriol. From 1999, in a series of radio interviews with stations in Iceland, Hungary and the Philippines, Fischer has banged on his themes: the US is run by "filthy" Jews; he is persecuted by world Jewry.
 Fischer also maintains he has been swindled out of what is rightfully his, that personal treasures in storage in California were illegally sold off.
 For most of the world, his message of hate largely went unheard. That was until September 11, 2001. Hours after the terrorist attacks in the US, an excited Fischer went on Radio Bombo in Baguio City in the Philippines.
 "This is all wonderful news," said Fischer. "It's time to get their f---ing heads kicked in. It's time to finish off the US once and for all.
 "I applaud the act. The US and Israel have been slaughtering the Palestinians for years ... Nobody gave a shit. Now it's coming back to the US. F--- the US. I want to see the US wiped out."
 News of the interview was picked up across the world and inevitably, the backlash came. In February last year, the US Chess Federation cancelled his membership because of his "deplorable public remarks".
 For Pablo Mercado, the manager of Radio Bombo, it was the 13th such interview he had conducted with Fischer, and as it turned out, the last. Mercado was introduced to Fischer through the Philippine chess grandmaster Eugene Torre. When Fischer went to the Philippines, they dined together.
 "I think he has this very strong personality about him," says Mercado, who manages to avoid any moral judgements about Fischer. "[Fischer] is easy to talk to - so long as he trusts you, I think. And he trusted me then. He's an easygoing guy, [who] has strong views. He talks loud, of course. He's an American."
 Fischer was once an American hero. His brilliance became apparent in 1956 when at 13 he became the youngest player to win the US championship. The zenith of his career was the 1972 match in Iceland with reigning world champion Boris Spassky, from the Soviet Union, which soon became a battleground for the Cold War. Fischer won - and became a national hero.
 He also stopped playing tournament chess. Many have speculated on the reasons. Shelby Lyman, who created a TV program to cover the Fischer-Spassky match, says in an Atlantic Monthly article: "Hating to lose, and having the myth destroyed was a big part of [Fischer] not playing again."
 When Fischer did resurface, in 1992, it was in vastly different circumstances. He played a rematch against Spassky in Yugoslavia, in defiance of a trade embargo signed off by George Bush snr, who was then US president. Fischer won, but earned himself an FBI indictment. The penalty for breaching the presidential order is up 10 years in jail.
 Since then, Fischer has been an exile, reportedly living Hungary, Hong Kong, the Philippines - where he is said to have a wife and a child - and now, Japan. Why Japan?
 Pablo Mercado asked him. "It's OK in Japan because the Japanese Government does not give him problems," Mercado said. "[He said] They're not very strict like other countries."
 The attitude of the Japanese Government appears to be that of disinterest. The National Police Agency refused to say if it had received any request from the US about Fischer. "We believe you should inquire with the US authorities," an official said.
 The US embassy in Tokyo also remained silent. "We can't comment on ongoing cases," a spokesman said.
 In recent times, there has been one mention of Fischer in the Japanese press. In January, the Asahi Shimbun reported that he had walked into the Japan Chess Association's chess centre last December, and spotted a painting on the wall of a game in progress. "It's my game," he told the centre's receptionist, and autographed it. The painting was later taken down, and replaced with a Harry Potter poster.
 The Asahi report said Fischer was "two metres tall with a threatening look. He is hard to please and short-tempered. He has become mysterious because few friends talk about him. Japanese chess insiders are not that interested in him".
 Yet the Japan Chess Association appears to provide him support, in the form of a mailing address. "The association has no comment because he does not want any journalists to contact him," said its acting president and secretary general, Miyoko Watai.
 There is a challenging dichotomy in the chess community. Can Fischer the chess genius be viewed separately from Fischer the odious?
"There are a lot of people who still worship what he's done [in chess]," says Douglas Bellizzi, president of New York's Marshall Chess Club, where Fischer played some of his memorable chess. "Just regarding his chess, he was a great player. He electrified the game." Bellizzi declined to comment on the dark side of Fischer. "I just don't want to be involved in discussing things which are unpleasant."
 Dr Frank Brady, who charted Fischer's rise to the top in Bobby Fischer: Profile of a Prodigy, says he deplores Fischer's views. "I feel that they are un-American and heartless, and do not deserve publication."
 Brady still believes Fischer is the greatest chess player that has ever lived, "and that includes Garry Kasparov". (Kasparov, the former world champion, is still ranked as the world's best chess player.)
 "Fischer is the Beethoven or Michaelangelo of chess, and his games will live forever," Brady says. "... it is sad that Bobby has developed into such a mean-spirited and twisted man. He was not that way when I knew him as a young man: he was quite charming in his way, and I feel that he had a good heart, but that is all gone now."
 Fischer doesn't play what he calls the "old chess" - which he says is "rotten to the core". He has instead developed Fischer Random Chess - the back row of pieces are arranged according to a random shuffle. The concept does away with opening theories, allowing the better player to win.
 Fischer has not given a press or magazine interview in 30 years. Instead, he searches for obscure radio stations prepared to give him a platform, and the internet. Fischer gives a website address at the end of his radio broadcast. The site appears to be his work, although he refers to himself in the third person. It is the internet version of his radio diatribes - which can be heard on the site - with the addition of documents, such as his FBI indictment.
 The internet may become more important for Fischer, because it seems that there are fewer radio stations prepared to give him airtime. In the past year, there have been only two broadcasts - one with a station in Iceland, and the most recent in June, with a Manila-based station.
 It was the same old Fischer, the same old vitriol. "I think the US is not going to exist much longer," he says. "I think everybody's going to be surprised at just how soon the US collapses and the US becomes history."
 At the end of the interview, Fischer reveals his struggle to find an audience. "I can't get on anywhere else," he complains. "After my last interview in Iceland, I haven't been able to get on anywhere in the world. Not one place."
 This is perhaps at the heart of the dilemma over how to respond to Fischer. Without the oxygen of airtime, Fischer's brand of hatred will whither.

 This, too, was the growing dilemma in looking for Fischer. The more you knew about him, the less you actually wanted to find him.

 This story was found at: http://www.smh.com.au/articles/2003/11/26/1069825840067.html


記者の目:収容8カ月の元チェス王者 田嶌徳弘・英文毎日
 2005.3.11日付け毎日新聞は、記者の目:収容8カ月の元チェス王者 田嶌徳弘・英文毎日を掲載している。以下転載する。

 東京の上野駅からJR常磐線で1時間ほどの茨城県牛久市に、入管法違反で強制退去を命じられた外国人を収容する東日本入国管理センターがある。チェスの元世界王者の米国人、ボビー・フィッシャーさんはこの施設の中で3月9日、62回目の誕生日を迎えた。

 その日午後4時45分、私はフィッシャーさんに会った。収容後会見した世界で唯一のジャーナリストということになる。しかし「取材はしない」という誓約書がセンターの面会の条件だったので、15分ほどの会見の内容以外のことを以下に書く。

 フィッシャーさんは欧米では知らない人がいないほど有名だが、日本では無名に等しい。2000年から婚約者の渡井美代子さん(60)と日本で同居生活を送れたのは、騒がれることがなかったからだ。しかし今や、その知名度の低さがあだになり、収容生活が8カ月間にもなるのに、日本での関心は低い。確かに彼以外に、1年以上収容されている外国人もいる。だが、フィッシャーさんが彼らと決定的に違う点が一つある。それは第三国であるアイスランドが居住許可を出していることだ。

 フィッシャーさんもアイスランドへの出国を望んでいる。さらにアイスランド政府はパスポートも出した。支援者は航空券も買った。基本的に「日本から出て行け」と言われて、諸般の事情で出られない人がいるのが管理センターである。本来なら喜んで出国させ、無駄な税金は使わないのが当然なのに、なぜか法務省は「行き先は米国だけ」と言い張って、出国許可を出さない。これは米国が日本政府に対して米国に送還せよ、と要請しているためだ。米国はアイスランドにも、受け入れないよう圧力をかけたが、アイスランドは拒否した。つまり、この事件は今や、日米同盟対アイスランドの戦いになっているのだ。

 その対立を象徴する事件が、誕生日の1週間前の2日に起きていた。アイスランドからフィッシャーさんの親友の元警察官、サミー・パルソンさん(68)が来日し面会しようとしたときのことだ。2人の出会いは33年前にさかのぼる。

 1972年9月1日、当時29歳のフィッシャーさんがアイスランドで行われたチェスの世界タイトル戦でロシアの世界王者ボリス・スパスキーさんを破った。米国人初の世界王者のボディーガードを務めたのがパルソンさん。気が合った2人は対局後3カ月も米国で一緒に過ごす仲になった。

 そのパルソンさんが渡井さんと牛久にやってきた。この2人にアイスランド国営テレビが同行した。テレビの取材はセンター側に拒否された。これはまあ仕方がない。しかし、パルソンさんだけでなく、渡井さんも面会を初めて拒否された。「保安上の理由」というだけで、それ以上の説明はなかった。事情がわかったのは5日後、2人が面会できてからだ。その話によると--。

 同センターの朝食には毎日ゆで卵とジュースか牛乳、それにパンとジャムが配給される。2日朝はフィッシャーさんにゆで卵が配られなかった。フィッシャーさんは係員に「卵をもう一つくれ」と言った。卵好きの彼は、1個もらった後、いつも「もう一つ」と言う。ただし、2個食べられたことは1回しかない。この日は卵がないのに、そう言った。係員は「ノー」と答えた。フィッシャーさんはその係員のシャツの胸ポケットをつかんで引きちぎった。大騒ぎになった。別の職員の顔を殴った。後ろ手に手錠をかけられ2時間放置され、収容以降初めて独房に入れられた。出されたのは4日後だった。

 人を殴ったのだから、独房入りと面会拒否も仕方がないだろう。だが、なぜ、親友がアイスランドから来る日にそんなことをしでかしたのだろう。

 これはたまたまなのだろうか。渡井さんはこれまで100回以上面会しているが、一度も断られたことはない。なぜこの日はだめなのか。アイスランドは米国の圧力をはねのけた国である。その国の親友と国営テレビがやってくるとしたら、日本としては会わせたくない、という気持ちがわくこともあるだろう。フィッシャーさんが問題を起こすよう挑発すれば、つまり卵好きの彼が卵を食べられなければ……。センター側は一切、取材には応じないので、これはあくまで私の推測である。

 法的にはフィッシャーさんの出国を妨げるものは何もない。つまり、日本政府は政治的判断で62歳の男を収容し続けていることになる。これは許されない。


【天木氏のフィッシャー考】
 天木直人氏の「3.11日付けメディア裏読み」で、「こんな裁判が行われていたとは/日本に収監され続ける元世界チェス王フィッシャー」なる見解が打ち出されている。これを紹介する。

 3月11日 05年43号 ◆ こんな裁判が行われていたとは ◆ 日本に収監され続ける元世界チェス王フィッシャー氏
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 ◆ こんな裁判が行われていたとは
 ◆ 日本に収監され続ける元世界チェス王フィッシャー氏
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 ◇◆ こんな裁判が行われていたとは ◆◇

 横浜事件をはじめて知った。戦時中の1942年7月、富山県の旅館に宿泊した中央公論社編集者や朝日新聞記者らが、「共産党の再結成のためだ」として神奈川県警特高課に治安維持法違反で検挙された事件だ。多くは終戦直後に懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。獄死者は4人、元被告は全員他界している。

 この事件をめぐって86年に第一次、94年に第二次の再審請求が起こされ、元被告らは「拷問で自白を強要された冤罪だった」として犯罪事実そのものがなかったと訴えていたが、いずれも「当時の裁判記録が焼却されて残っていない」などとして退けられた。このため、第3次請求で元被告側は、ポツダム宣言受諾で治安維持法は失効したと主張し、横浜地裁は法令適用の誤りを理由に再審開始を認める異例の決定をした。それを不服とした検察側が即時抗告をしていたのだ。東京高裁は10日、その検察側の抗告を棄却し、再審開始を認めた横浜地裁決定の結論を支持する決定を下したのだ。

 各紙が報じたこの決定をめぐる記事を読んで、この国の検察、司法の人権軽視の態度に暗澹たる思いを抱かざるを得なかった。この期に及んでも東京高検は、「再審開始決定が維持された事は誠に遺憾である。決定の内容を十分検討し、上級庁とも協議の上適切に対処したい」との談話を出している(10日朝日新聞夕刊)。そして第一次、第二次請求の場合は最高裁まで争われ、いずれも最高裁が棄却しているというのだ(11日大阪日日新聞)。一体この国の検察庁や最高裁判所の判事らは人権の尊さをなんと考えているのだろうか。

 拷問を受けた被告の自白が犯罪の証拠になりえないのは当たり前である。治安維持法が敗戦後に効力を失っていると考えるのは当然だ。そのような法律論以前の問題として戦前の日本ではかくも非人道的なことが国家権力の手で行われていた事に思いをはせるべきだ。官民を問わず我々今日の日本人は、戦後の日本がそのような暗黒の時代を持っていたことを恥じるべきだ。そして二度とそのような時代に戻らないことを固く決意すべきなのだ。

 地下に眠る犠牲者のために一刻も早く再審を開始し無罪を確定すべきことは当たり前のことなのだ。有罪確定から60年も経て未だに国の誤りを認めようとしない検察や最高裁判事は不用だ。いや我々の生活にとってむしろ有害な存在なのかもしれない。

 ◇◆ 日本に収監され続ける元世界チェス王フィッシャー氏 ◆◇

 3月11日の毎日新聞「記者の目」に、チェスの元世界王者のボビー・フィッシャーさんが東京入国管理センターに8ヶ月も収監されている異常さを指摘する記事が載っていた。チェスの世界チャンピオンなんて日本では関心がないかもしれない。しかし欧米では知らない人がいないほど有名だという。その有名人が、昨年の7月に、成田空港から出国しようとしたところ、米国の旅券が無効として収容され、面会も満足に出来ないまま収監され続けているのだ。

 無効の旅券を持っていただけで何故8ヶ月も収監され続けているのか。それは米国が返還を求めているのに対しフィッシャー氏がアイスランド行きを求めて日本政府に訴訟を提起しているからだ。

 フィッシャーさんは1972年9月、アイスランドで行われたチェスの世界タイトル戦でロシアの世界王ボリス・スパスキーさんを破って米国人初の世界王者になった。それが契機で友人ができたアイスランドにフィッシャーさんは出国を希望した。アイスランド政府はパスポートを出した。支援者は航空券も手配した。将棋の羽生善治氏も小泉首相に釈放の要請書簡を出している。しかし本来なら喜んで出国させ、無駄な税金は使わない法務省が、なぜか「行き先は米国だけ」と言い張って、出国許可を出さない。これは米国が日本政府に対して米国に送還せよと要請しているためだ。米国はアイスランド政府にも圧力をかけたが、アイスランド政府は拒否した。

 何故米国はフィッシャーさんの送還を強く求めるのだろうか。フィッシャー氏は92年、経済制裁下のユーゴスラビアでチェスの対局を行い、賞金365万ドルを手にした。経済活動をしてはいけないという米政府の大統領令違反容疑で起訴されている。帰国して有罪となれば最高10年の懲役、25万ドルの罰金となる。しかしそのような脱税容疑だけで米国がフィッシャー氏の送還に固執するのであろうか。

 昨年11月3日の読売新聞にこういう記事が出ていた。「・・・フィッシャー氏は2001年の同時を素晴らしいと称賛したり、ユダヤ人に対する差別発言や米国批判を繰り返したりしてきた。こうした言動と関係があるのではないか・・・」

 おなじく昨年9月9日の毎日新聞の「記者の目」でも要旨次のような記事がある。
「・・・フィッシャー氏は米国の経済制裁下にあったユーゴスラビアで対局し米国の大陪審から起訴された以来米国にもどったことはなく各国を転々としブッシュ大統領を『モンスター』と呼ぶなど反米的な態度を繰り返してきた。米政府はそれを黙認してきた。旅券も昨年4月に日本に入国した時も米国大使館は問題としなかった。しかし7月になって出国しようとした際、いきなり『パスポートが無効』と言われ拘束された・・・米国のAP通信は治療の為に来日するジェンキンス氏を見逃してくれることと引き換えにフィッシャー氏を拘束し米国に協力する事としたのではないかと書いている・・・」

 真偽の程はわからない。3月11日の毎日新聞「記者の目」はこう締めくくっている。
「・・・法的にはフィッシャーさんの出国を妨げるものは何もない。つまり日本政府は政治的判断で62歳の男を収容し続けていることになる。これは許されない」

 http://amaki.cocolog-nifty.com/ 「天木直人・マスメディアの裏を読む」の「3月11日 05年43号 ◆ こんな裁判が行われていたとは ◆ 日本に収監され続ける元世界チェス王フィッシャー氏






(私論.私見)