囲碁吉の天下六段の道、賭け碁編 |
更新日/2018(平成30).9.3日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで、「囲碁吉の天下六段の道、賭け碁編」を書きつけておく。 2018(平成30).9.3日 囲碁吉拝 |
【棋道論その№、一局毎のワンコインサービスを心掛けよ】 |
対局ないしは局後検討での鞭打ちの御礼として掛け碁があるのかも知れない。これが掛け碁の本当の意味かも知れない。上手からすれば、言葉で言われたぐらいでは直らないから命の次に大事なお金をむしりとることで手を良くさせ、下手からすれば、そういう手ほどきをしてくれたことに対する御礼金払いかなとも思う。大きな賭け碁は別として、上達方法としてワンコイン辺りの賭け碁ぐらいを心掛けねば強くなれないのではなかろうか。 囲碁を紳士の嗜みとして「賭け碁」を排斥する傾向にあるが、金額にもよるが無理のない程度、即ち「1局千円ないしは年金割引の500円」程度なら「言い訳無用の気つけ薬」として上達に向くと思う。紳士論で一概に排斥してはいけないと思う。もっとも賭け碁専門も如何と思う。要は上達の為の方法であるべきで稼ぐ為のものであってはなるまい。 囲碁を紳士道と心得、賭け碁絶対排斥の論ないしはそういう碁会所が多いが、建前紳士道論でしかないと思う。本来は上達を目指して精進し続ける紳士道論でないといけない。上達を目指すところにこそ囲碁道の真髄があるのであり、その為にはどうあるべきか何を為すべきかと云う観点からの作法を生み出さねばならないと思う。但し長続きするよう、しこりが残らないような気つけ薬的な賭け碁にせねばならない。そういう意味でワンコインサービス賭け碁ぐらいがちょうど良いのではなかろうか。 この見解を更にバージョンアップさせる。即ち、囲碁を本当に強くなろうとするなら、少なくとも5、6段程度に強くなってからの話しはあるが、一局百万円賭け碁で身銭を切る覚悟が要る。実際に百万円のやり取りすると剣呑凄惨になり過ぎようから、百万円賭けたつもりで一局ワンコインで打つ、千円で打つ。これが賭け碁の本来の意味ではないだろうか。メ碁についてはしたことがないので分からない。これをしているものがさほどには強くなっていないので覚える必要もないと思っている。これが新しい発想である。これからは、一局毎に百万円賭けたつもりの囲碁を打つことにする。(と自覚してみたが打ち始めるといつもの通りだな。やはり金の額の話しではないのかも) 2015.08.27日再編集 囲碁吉拝 |
(私論.私見)