日本囲碁史考20、 |
更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6).12.2日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで、「日本囲碁史考20、**の囲碁史」を確認しておく。 2005.4.28日 囲碁吉拝 |
2024(令和6)年 |
【上野梨紗二段が女流棋聖の初タイトル獲得】 |
2.5日、囲碁の第27期女流棋聖戦3番勝負第3局が、東京都千代田区の日本棋院で打たれ、挑戦者の上野梨紗二段(17)が仲邑菫女流棋聖(14)に勝ち、対戦成績2勝1敗で初タイトルを獲得した。仲邑菫女流棋聖は失冠、韓国移籍前最後のタイトル戦で防衛はならなかった。仲邑前女流棋聖はこの後、2月中に3局、国内で公式戦対局を行い、3月に囲碁強国の韓国に移籍する。 上野新女流棋聖は姉の上野愛咲美女流名人(22)と共に姉妹でタイトル保持者となった。日本棋院によると、姉妹での同時期保持は37年2カ月ぶり。また、17歳7カ月での女流タイトル初獲得は5番目の年少記録。 |
【一力棋聖(本因坊・天元、26)が3連覇、3冠堅持】 |
3.8日、第48期棋聖戦挑戦手合7番勝負第7局が甲府市「常磐ホテル」で打たれ、一力遼棋聖(本因坊・天元、26)が、8日午後7時17分、285手までで黒(先手)番中押勝。シリーズ4勝3敗で井山裕太王座(碁聖、34)の挑戦を斥け3連覇を達成、3冠を堅持した。井山の3期ぶりの復位はならなかった。 |
【一力が応氏杯で優勝、19年ぶりに日本の棋士が世界王者に】 |
9.8日、賞金額一位、4年毎開催の応氏杯第10回世界プロ囲碁選手権の決勝五番勝負第3局が上海市宝山区のトゥーイーブルーホテルで打たれ、一力九段が黒番237手で謝科九段に中押勝、3対0で初の世界タイトルを獲得した。一力初の世界タイトルであり、2005年に張栩九段が第9回LG杯で日本棋院にタイトルをもたらして以来、19年ぶりに日本の棋士が世界大会で再び王者の座に就いた。
8.12、14日に重慶で行われた五番勝負の最初の2局で、一力九段が連勝し、連続2回決勝に進出した謝科九段を追い詰めた。その後、一力遼は日本国内の棋戦に戻り、阿含桐山杯決勝戦と王座戦挑戦者決定戦に進出した。名人戦の七番勝負では挑戦者として登場し、芝野虎丸名人に対して2連勝。王座戦挑戦者決定戦で芝野虎丸九段に敗れたのが唯一の敗北。謝科九段は五番勝負で0対2と追い込まれた後、逆に闘志を燃やし、三星杯の予選と囲甲リーグで6連勝を飾った。この勢いをもって応氏杯第3局の決戦に臨んだ。 今大会の応氏杯は大幅に改制され、58名が本戦に参加。前回準優勝の謝科は直接16強に進出し、金真輝七段、元晟溱九段に連勝してベスト4入り、準決勝では2対0で許皓鋐九段に勝利、2大会連続で決勝に進出した。一方、一力遼は1回戦から出場し、王元均九段、屠晓宇八段、劉宇航七段、許嘉陽九段に連勝し、準決勝では柯潔九段に2対1で逆転勝利を収め、初めて世界大会の決勝に進出した。 今日の一局は波乱万丈で、右下隅の定石の交換で謝科が鋭い手を打ち、鼻突きと跳ね出しの妙手でリードを奪った。その後、両者は下辺で互いに全力を尽くして攻防を繰り広げ、右辺で最も大きな場を先に確保しようとした。謝科の打ち方はやや過度で、利益は得たものの後手を取った。一力は右辺で謝科の大きな孤立した白石に挟撃を仕掛け、謝科は孤立石を逃げることなく、打ち破って局面を開いた。戦いは中央へと移り激しい戦闘に突入した。昼食休憩の直前、謝科が長考の末に悪手を打ち、昼食後の連続した2手には形の欠陥があり、一力に強烈な分断のチャンスを与えた。大きな白石は黒に封じ込められ、一瞬で生死の危機に直面した。白の大きな石は局地で生きることができず、外側の黒と対決せざるを得なかった。戦いが進む中、一力が重大なミスを犯し、白の大きな石をコウで仕留めようとしたが、白は石を捨てて先手を取ることで、外側に大きな空間を形成し勝率が逆転した。一力はコウを続けたが、結果として白が下辺の黒の大龍を反撃し、黒が得たものは左上に模様を囲んだ程度に過ぎなかった。この時点で、謝科は左上の模様の高所を抑えるだけで優勢を安定させることができた。実戦では、謝科はさらに左辺の黒陣に深く進出し、見ている者をハラハラさせ、後の逆転劇への伏線を作った。白棋は左辺の黒陣から無事に脱出し、優勢がますます明確になった。しかし、一力が試験的に白の大空を破ろうとしたとき、謝科は突然2手の大きなミスを犯した。まず上辺の二路で粘り、その後、一力に「挟み」を連続して打たれる絶妙な手を許してしまい、第2局の「神の一掘り」に続くミスとなった。白の大空は崩れ、謝科は瞬く間に冷静さを失い、その後も焦った着手が続き、大龍を失い逆転された。大きなミスを犯したにもかかわらず、両者の形勢は依然として接近しており、一力が4目の罰を受けたこともあり、謝科にはまだ勝機が残されていた。しかし、実戦では自身を制することができず、無理な着手を繰り返し、最終的に敗北を喫した。 一力遼が応氏杯で優勝し、40万ドルの賞金を獲得した。これは日本棋士が初めて応氏杯で優勝した快挙。日本棋士が最も輝かしい時代にも応氏杯を制することはできなかったが、この歴史的な欠落を一力遼が埋めた。この優勝を契機に、一力遼が日本囲碁の復興を牽引することが期待される。(「Facebook囲碁クラブ」参照) |
白の謝科が中央でハネたが、ここで鮮やかな返し技が決まる。右辺側でアテコミを決めて逆にキリを入れた。これでこの攻め合い相当は黒有利な展開になるらしく、検討では攻め合い黒勝ちでゲームセット。実際にはいろいろ味とかありあっさり大石が死んだりはしないが、圧倒的に黒有利で碁は進む。しかし一力がじっくり考えた末で打った135が大悪手で、この手は保留して打ち続ければ黒有利だった。ここで逆転される。ただこの辺りは手数の話や死活も絡んで変化図とかの差異を全部理解するのは至難の技(解説を聞いていての話し)。その後黒が追いつけるチャンスがなく、左隅から上辺にかけて進行する。白200が緩着で一歩も二歩も遅れをとって上辺の白と、中央側の白の両方を生きるのが大変な状況になり、完全に再逆転となる。これで決着がつく。謝科が一力より読みで負けている感じ。それとも一力が冴え渡っているのか。今後も日本棋士の世界での活躍が期待される。 |
「一力遼応氏杯優勝と中国囲碁の反省の時」(Facebook囲碁クラブ)
第10回応氏杯で、一力遼は劉宇航、許嘉陽などの棋士を次々と破り、準決勝の第1局では柯潔が不計点勝ちを収め、形勢は非常に有利でした。しかし、第2局では一力遼が形勢不利の中、柯潔が時間で圧倒しようとしたのか、早指しをしてミスを犯し、一力遼がそのミスを捉え、勝利してスコアを1対1に戻しました。決勝局では、柯潔が黒番で先行しましたが、再びミスを犯して形勢が急転し、一力遼が堅実な戦いぶりで2対1の逆転勝ちを収め、決勝進出を果たしました。 一力遼は5歳から囲碁を学び、非常に純粋で執着的な囲碁愛を持っていました。小学2年生で日本棋院東京本院の院生となり、仙台から東京に通って囲碁を学ぶ生活が始まりました。その後、母親と共に東京に移り、洪道場で囲碁を鍛えました。週末の院生対局が終わると、彼は誰よりも早く道場に来て、その日の対局を先生に指導してもらうために棋譜を並べて待っていました。また、洪清泉四段に出題された詰碁問題を素早く解き、更に新しい問題を求めていました。小学5年生で韓国との交流戦に参加した際、日本チームは対局、サッカーの親善試合、リレー競技で敗れ、一力遼は泣きながら「先生、日本はこれからどうすればいいんですか?」と訴えました。 一力遼の責任感と勝負に対する真剣さは、同年代を超えるものでした。その努力の結果、一力遼は日本を代表する一流棋士となり、数々の輝かしい戦績を収めました。彼は棋聖戦で宿敵井山裕太を4対3で破り、初めて棋聖のタイトルを獲得。2023年には芝野虎丸を4対2で退け、棋聖を防衛しました。2024年3月にも、2ヶ月以上にわたる激闘の末、井山裕太を再び4対3で下し、棋聖三連覇を達成しました。 今回の応氏杯でも、一力遼は決勝で素晴らしい計算力と精度を発揮し、複雑な中盤戦で局勢を的確に判断し、有利な手を見つけ出しました。形勢が不利な時でも決してあきらめず、機会を待ち続け、最終的には3対0で中国の謝科を完勝しました。 一力遼の囲碁の進歩は、中国棋界にも多くの示唆を与えました。最も重要なのは、試合への集中力を高めることです。謝科は局面が良好だったにもかかわらず、心の動揺がミスを生み、一力遼にその隙を突かれてしまいました。我々の棋士は試合中、常に高い集中力と冷静さを保ち、対局の進行や相手の動き、さらには試合環境に惑わされず、全ての注意を盤上に集中させる必要があります。 一力遼が示したこの集中力と冷静さは、我々の棋士にとって学ぶべき点です。彼の囲碁に対する真摯な姿勢は、多くの囲碁ファンにも愛されています。対局中の彼は常に背筋を伸ばし、一切の妥協なく、まさに棋士の風格を備えています。一方、柯潔は時折非常にリラックスした姿勢を取り、対局の進行に応じて表情に出してしまうこともあります。まさにナポレオン・ヒルの言葉通り、「心の持ち方が成敗を決める」のです。一力遼の囲碁への執念と努力は、彼を応氏杯で大きく輝かせました。我々の対戦相手が頂点に立つその時こそ、我々自身の反省の時です! |
【上野愛咲美五段が世界メジャー初V「呉清源杯」に】 |
2024.12.1日、女流棋士、上野愛咲美(あさみ)五段/女流立葵杯(23)が、日本勢として初めて主要な国際棋戦の第7回呉清源杯世界女子選手権で世界一となった。 今大会(第7回呉清源杯)は、女性の国際棋戦最高峰のトーナメントで、日本、中国、韓国、中華台北、北米、欧州から24名が参加し、上野は11.25日の2回戦から登場。魏欣桐三段(中国)を下すと、3回戦で李赫(り・かく)六段、準決勝で於之瑩(お・しえい)八段(中国)と地元勢を撃破した。中国・福州(福建省)で行われた唐嘉雯(とう・かぶん)六段(中国)との決勝3番勝負3局で、11.29日の第1局は上野が先勝。11.30日の第2局は完敗したが、この日の第3局は中盤に優勢となるとそのままリードを広げて黒番中押勝ちで快勝し、2勝1敗で優勝し優勝賞金50万人民元(約1000万円)を手にした。上野女流立葵杯の国際棋戦優勝は、2022年の「SENKO CUPワールド碁女流最強戦」以来で2度目。日本勢が呉清源杯を制するのは初めてとなる。 上野は終局後、「2局目の悪い流れを変えるために買い物に行った。3局目は序盤、良くなかったが、中盤でいい形になって打ちやすいと思いました」と決勝を振り返った。シリーズ全体を通しては「相手の方が強いし、すごく勉強になりました。大変な碁が多くて優勝できたことは奇跡だと思う。皆さんに感謝したいです」と笑顔を見せていた。 師匠の藤沢一就八段(60)は「運が良ければ優勝できると思っていましたが、内容的に思っていたより強かった。立派な優勝だったと思います」と絶賛した。 今年創立100年の日本棋院の所属棋士としては、一力遼九段(27)が8~9月に開催された「第10回応氏杯世界選手権」で優勝している。記念すべき節目の年に男女とも国際棋戦制覇を果たした。 中国で開催された世界女子囲碁選手権で日本勢初の優勝を果たした上野愛咲美五段((23)が会見し、喜びを語った。 |
【藤沢里菜女流3冠(26)と横塚力七段(30)が結婚報告】 |
12.1日、広島市中区の中国新聞ビルで開かれた広島アルミ杯・若鯉戦の表彰式の席上、優勝した横塚七段(30)が、藤沢里菜女流3冠(26)と結婚したことが分かった。 藤沢3冠は藤沢秀行名誉棋聖の孫。横塚七段によると、2人は囲碁を通じて小学生からの知り合い。7年前から付き合い始め、今年、横塚七段の誕生日である11月22日に入籍した。 2人は1日の準決勝で対局。横塚七段が藤沢女流3冠の大石を召し捕り決勝に進出した。この結果に横塚七段が「やりにくかった」と言えば、藤沢女流3冠は「これまであまり打ったことがないので、こんなに強いとは思わなかった」とほほ笑んだ。 |
(私論.私見)