日本囲碁史考19、

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).2.6日

 (囲碁吉のショートメッセージ)
 ここで、「日本囲碁史考19、**の囲碁史」を確認しておく。

 2005.4.28日 囲碁吉拝


【日本囲碁史考19、】

2020(令和2)年

【鈴木七段(36歳)が初の女流棋聖奪取、若手独占崩す】
 2.10日、囲碁の第23期女流棋聖戦三番勝負第3局で10日、挑戦者の鈴木歩(あゆみ)七段(36)が上野愛咲美(あさみ)女流棋聖(18)に勝ち、初の女流棋聖を奪取した。今年初めて決着がついた囲碁のタイトル戦は“大番狂わせ”となった。昨秋、全員に参加資格がある竜星戦で女性で初めて決勝に進出したほか、44勝(25敗)をあげ年間勝利ランキング3位の若手第一人者をプロ19年目の中堅が破ったのだ。「上野さんは強いので開幕前も、勝った第1局のあともタイトルを取れるとは思っていなかった。無欲で戦ったのが、よかったのかもしれない」。

 鈴木七段は16人による本戦トーナメントで藤沢里菜女流名人(21)や万波奈穂四段(34)ら強豪を破って、上野女流棋聖への挑戦権を獲得。三番勝負でも積極策に出た第1局で相手のミスを誘い白番3目半勝ち。第2局は上野女流棋聖が勝利したが、この日の第3局も序盤に優位に立つと、難解な中・終盤も冷静に対応し勝利をつかんだ。

 岩田一九段門下の鈴木七段は、平成13年に17歳で入段、トーナメント戦の女流最強戦で15年と19年に優勝の実績がある。20年の女流本因坊戦五番勝負、27年の女流名人戦三番勝負では挑戦権を獲得したが、いずれも謝依旻(しぇ・いみん)六段(30)の前に屈した。23年の棋聖戦では、あと1勝でリーグ入り(当時12人)まで迫った実力の持ち主だ。

 「“あと一歩でタイトルだったのに”とは何度も言われた。強くなったわけではなく、プロとして年数を重ねたこと、生活環境が変わったことで無心に打てるようになったのかも」と新女流棋聖は謙遜して話す。

 25年にプロ入りが1年先輩の林漢傑(りん・かんけつ)八段(35)と結婚し、5歳と2歳の娘がいる。「漢傑さんは家のことを本当によくやってくれる」と感謝するが、囲碁の研究に費やす時間は多くて1日4時間程度で、以前の半分程度という。それでも林八段とAI(人工知能)ソフトを利用した研究で、集中的に学んだのが、この日の結果につながったようだ。

 20年以降、女流囲碁界を牽引してきた謝六段に代わって、ここ数年は藤沢女流名人と上野女流本因坊がタイトル戦線の常連だ。昨秋の女流本因坊戦では、藤沢が持つタイトルを上野が奪取。5つある女流タイトルのうち、藤沢が女流名人・女流立葵杯・扇興杯の3つを、上野が女流本因坊と女流棋聖を持つ2強時代になっていた。

 そこへ30代の鈴木新女流棋聖が割って入った。「タイトルを取ったこともあり、恥ずかしくない碁を打つように精進していきたい」。女流囲碁界に新しい風を吹かせる。(伊藤洋一)

【依田紀基九段を「6カ月の対局停止」処分】
 2.12日、囲碁の日本棋院が、常務理事会で、元名人にしてタイトル獲得36期という歴代8位の実績をもつ囲碁棋士、依田紀基九段(54)がツイッターなどで棋院執行部や棋士に対し事実無根の中傷をしたなどとして、依田九段を「除名」に次ぐ2番目に重い「6カ月の対局停止」(同日から半年間の対局停止処分)とすると発表した。日本棋院や関係者によると、依田九段は妻の原幸子四段(49)が常務理事を解職された役員人事などを巡り、昨年6月からツイッターなどで「(執行部は)噓(うそ)もつくし事実も歪(ゆが)める」、「権力に媚(こ)びる茶坊主の集まり」などと繰り返し批判。依田九段も出場した公式戦「マスターズカップ」(優勝賞金500万円)がスポンサーの意向で昨年限りで終了したことも、依田九段の一連の行為に起因しているとした。この日会見した小林覚理事長は「投稿はほとんど事実と異なる批判で、棋院への謝罪もない」と話した。原四段は一昨年5月の棋院の理事選挙で、他の候補者への根拠のない中傷メールを有権者の棋士に送信したとして、常務理事職を解職された。

 依田九段は名人4連覇などの実績を持つトップ棋士。ツイッターの棋院批判は「不適切な手段だった」と全文削除しているが、棋戦廃止との因果関係は否定している。今回の処分について、代理人弁護士は「到底承服しかねます。精査の上、法的措置も含めた対応を検討してまいります」とのコメントを出した。(大出公二)。

 一方、依田九段は同日、「到底承服しかねます。処分通知が届き次第精査の上、法的措置も含めた対応を検討してまいります」などとコメントした。
 2.13日、処分が出た翌日、タイトル戦である天元戦1回戦に出場するため登院した依田九段の前に棋院の大淵盛人常務理事が立ちはだかり入室を拒んだ。「処分にいたる具体的な理由を聞かせてほしい」。こう口にする依田九段に、大淵常務理事は「常務会での決定事項を伝えるのが役割」などと押し問答が続いた。最終的に処分通知書を受け取った依田九段は「日本棋院がこういうふうになって悲しい。何の具体的な説明もしないんだから…」と話し、棋院を後にした。

【緊急事態宣言を受け、各棋戦、挑戦手合延期】
 4.4日、新型コロナウイルス特措法に基づく政府の緊急事態宣言が発令されたことを受け、日本棋院と関西棋院は、4月8日以降の対局を当面の間、延期・休止することを決めた。村川大介十段に、芝野虎丸名人・王座が挑戦する第58期十段戦五番勝負(産経新聞社主催)も、4月16日に予定されていた第3局、ならびに第4局、第5局が延期されることとなった。実施時の日時、対局地については、現在は未定。今後の情勢を鑑み、主催の産経新聞社、日本棋院、関西棋院にて、協議するという。

【アマ棋戦優勝経験者リーグで李章元が優勝】
 緊急事態宣言により多くのアマ大会やイベントが中止となる中、ネットを使用した活動がプロアマ問わず盛んに行われていた。その中で注目を集めていたのがアマ棋戦優勝経験者リーグである。昨年のアマ名人・本因坊の大関稔さんの発案により4月18日から開始され6月6日まで10人のトップアマによる総当たりリーグがインターネット囲碁対局サービス「野狐」で行われた。参加者は以下の通りである。
大関稔 (アマ名人・アマ本因坊)
栗田佳樹 (ネット棋聖・学生本因坊・学生十傑・棋聖戦Cリーグ入り)
李章元 (元中国棋院プロ棋士、2017年度宝酒造名人)
森川舜弐 (アマ竜星、世界アマ日本代表)
柳田朋哉 (赤旗名人、2016年度~4連覇中)
石田太郎 (学生王座、2017年度ネット棋聖)
星合真吾 (学生最強位、2017年度学生十傑)
岡田健斗 (宝酒造名人、2018年度学生本因坊)
山田真生 (2018年度学生最強位)
杉田俊太朗 (2017年度学生最強位)

 8連勝の無傷で最終局を迎えた山田真生さんと1敗の李章元さんによる直接対決を李さんが制し、同星の直接対決により李さんが優勝。元プロの意地を見せつけた。

【緊急事態宣言解除】
 5.25日、4月に発令された緊急事態宣言の解除が発表された。これを受け5.26日、公益財団法人日本棋院は、4月8日から全ての公式対局が延期・休止されていた公式戦を、「感染防止対策をとってうえで」、6.1日より再開することを決定した。対局棋士の検温対応、対局棋士のマスク着用、対局室の換気、対局数を制限し密にならない対応などの対策をとるという。

【芝野、史上最年少三冠達成】
 2020.6.26日、囲碁の第58期十段戦5番勝負の第4局が東京都千代田区の日本棋院で打たれ、挑戦者の芝野虎丸二冠(20)が141手で村川大介十段(29)に黒番中押し勝ちし、3勝1敗で十段を奪取、史上最年少の「20歳7カ月」、プロ入りから最速の5年9カ月で三冠となった。これまでの記録は2012年に井山裕太三冠(31)が達成した「23歳1か月」。14年9月にプロ入りしてから10年3カ月で井山の記録大幅に更新した。

 芝野新十段は神奈川県出身。昨年10月、張栩九段(40)から名人を奪取し、最年少の19歳11カ月で七大タイトル保持者に。11月には井山三冠から王座を奪取し二冠となっていた。「三冠」を達成後のインタビューで、26日の対局について「結果については素直にうれしいですが、内容的には満足できないところがあるので反省のほうが強いです」と振り返った。最年少で「三冠」を達成したことについては、「最年少記録ということはあまり考えていませんでしたが、こういう記録があるということはうれしいことなので、それを励みにして頑張ろうと思います」と笑顔で話した。本因坊戦で直接対決している井山裕太三冠について問われると、「布石も構成力もすごいですし、中盤以降の厳しさも感じていましたが、実際に打ってみると思っていた以上に強く感じて、大変な相手だなと思います。井山先生を倒すというよりは、自分がもっと強くなって井山先生にとってもいい相手になれるといいかなと思っています」と意気込んでいた。

【井山三冠が本因坊タイトル防衛、9連覇達成】
 2020.7.10日、本因坊・井山三冠(31)がタイトル防衛、9連覇。囲碁の七大タイトルのひとつ、第75期本因坊戦七番勝負(毎日新聞社主催)第5局で、本因坊の井山裕太三冠がタイトルを防衛した。井山三冠は本因坊戦9連覇で、60歳未満の現役で永世称号を名乗る資格を得た。三重県鳥羽市の「戸田家」で行われた囲碁の本因坊戦七番勝負第5局で、本因坊の井山裕太三冠は、挑戦者の芝野虎丸三冠を迎えた。挑戦者の芝野三冠は史上最年少名人、史上最年少三冠と、これまで井山三冠が持っていた記録を更新してきた。七番勝負は開幕から井山三冠が3連勝し、挑戦者の芝野虎丸名人が1勝で迎えた第5局で、243手まで井山が白番4目半勝ちを収め、本因坊位タイトル防衛を決めた。井山三冠は本因坊戦9連覇となり、60歳未満の現役で、永世称号の「二十六世本因坊文裕」を名乗る資格を得た。

 序盤は互角の形勢で進行したが、下辺の白模様を広げられたあたりで、芝野に後悔があったようだ。芝野の封じ手は、その白模様に味をつける方針だったが、井山は「(下辺の黒1子から)直接動いてくる手を予想していた」と振り返り、展開に自信を持ったことが伺える。その後、下辺を大きくまとめて形勢が白に傾くと、最強手を打ち続ける井山の姿勢を貫き、つけ入る隙を与えず寄り切った。芝野は「(2日目の封じ手以降について)予定の進行でしたが、もうちょっと工夫しなければいけなかった気がします」と振り返り、「第3局までがかなり悪い内容だったので、しょうがないと思いますが、もう少しいい碁を打ちたかったという気持ちもあります」とシリーズの戦いぶりに反省の弁を残した。井山は今シリーズについて「最強の芝野さんを相手にベストを尽くして、いい結果を出せたのは嬉しく思います」、9連覇については「ひとつひとつ、ぎりぎりの勝負で、よくここまでこられたなと思う」と喜びを語った。そして「趙(治勲)先生の10連覇は子供の時に見ていて、チャンレンジできるとは夢にも思っていなかったです。せっかくのチャンスなので、レベルアップして臨めるようにしっかり準備したいと思います」と来期の記録達成を誓った。

【藤井聡太七段が17歳11カ月で棋聖獲得。最年少タイトル獲得記録更新】
 2020.7.16日、将棋の第91期棋聖戦五番勝負(産経新聞社主催)第4局が大阪市福島区の関西将棋会館で指され、 将棋の最年少棋士・高校生の挑戦者、藤井聡太七段(17)が渡辺明棋聖(36、棋王、王将)に110手で勝ち、3勝1敗で初タイトルとなる棋聖を奪取した。藤井七段は17歳11カ月での獲得で、屋敷伸之五段(48)が1990年に18歳6カ月で棋聖を獲得して樹立した最年少タイトル獲得記録を30年ぶりに塗り替え(羽生善治六段は19歳3ヶ月)、将棋界初の「17歳タイトルホルダー」となった。また、愛知県在住棋士のタイトル獲得は初めて。

 藤井七段は、中学生だった2016年10月に、史上最年少の14歳2カ月で四段昇段、プロデビュー。直後から続けた史上最多の29連勝をはじめ、数々の記録を樹立してきた。新型コロナウイルス感染拡大を受けた対局延期により、最年少でのタイトル挑戦も危ぶまれていたが、公式戦が2カ月空いた6月以降の対局ラッシュでも、トップ棋士を次々と撃破。外出自粛期間を研究の機会としたこともあってか、棋士たちからは格段に成長したという声も相次いでいた。少年時代からの夢を叶えた藤井“新棋聖”は今、第61期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)で木村一基王位(47)にも挑戦中。開幕から2連勝中。最短であれば8月中旬にも藤井“二冠”となり、最年少での八段昇段を果たす可能性がある。また、将棋界のビッグタイトルである竜王戦でも決勝トーナメントに進出しており、挑戦権獲得の期待もある。29連勝時に日本中が沸いた「藤井フィーバー」が再来した。今後のさらなる活躍次第で、その時以上の盛り上がりを見せることが予想される。

 午後8時半過ぎからの記者会見。師匠の杉本昌隆八段が花束を持って駆けつけた。

 藤井聡太新棋聖の弁。
 「バランスを取るのが難しかった。最後までわからなかったです。タイトルを獲得できたのは非常にうれしい。まだ実感がないというのが正直なところです。責任ある立場になるので、より一層精進して、いい将棋を指せるようにしたいと思います」。

 敗れた渡辺明棋聖(棋王、王将、36)の弁。
 「中終盤の競ったところで勝てなかったので、そこの指し回しは、こっちが気づいていない手が多かったです。注目度は高かったんでやりがいとしては感じていたんですが。藤井さんとは初めての番勝負ということで、内容的にも競ったところで負けているんで、すごい人が出てきたなという感じです」。
 「(棋聖防衛できなかった点について)すぐに取られてしまったというのはまあ、残念なところですけども。えー・・・。まあそうですね、でも全体としては競った将棋で負けてるんで、まあ、仕方がない結果かな、とは思います。(藤井七段と五番勝負を戦っての感想は)やっぱり中終盤の競ったところで勝てなかったんで。うーん、やっぱりそこの、中終盤の指し回しっていうのはちょっと、こっちが気づいてない手が多かったですね。(注目された五番勝負だったが)対局に入ってしまえば普段と変わりなかったかなっていうところはありますけど。まあ、注目度は高かったんで、それはやりがいとしては感じてたんですけども、はい。(タイトル戦で歳下の棋士に敗退は初めてだが)今回そうですね、藤井さんとは初めての番勝負ということで。・・・まあそうですね、内容的にも、ちょっと競ったところで負けてるんで・・・。やっぱりちょっとすごい人が出てきたな、っていう感じですかね」。

 杉本昌隆八段の弁。
 「我が一門では、私の師匠・板谷進9段の『東海地方にタイトルを持ち帰る』というのが長年の悲願でした。それを私の弟子、私の師匠から見ると孫弟子の藤井7段が実現してくれて、東海地方にタイトルを遂に持ち帰ってくれるんだなと思うと、感慨深いですね」。
 7月17日朝、関西将棋会館にて、棋聖獲得から一夜明けての記者会見全文
司会 それではを始めさせていただきます。それではまず主催の産経新聞様よりお願いします
中島 藤井棋聖、おはようございます
藤井 おはようございます
中島 主催の産経新聞社の中島といいます。棋聖就任、おめでとうございます
藤井 ありがとうございます
中島 昨日もおうかがいしたところですけれども、改めまして、一夜明けて、棋聖就任のご感想をおうかがいしたいと思いますが、いかがでしょうか
藤井 まだ棋聖獲得ということについてはあまり実感がないんですけど、これから徐々に実感する場面が増えてくるのかな、というふうに思います。今回、渡辺先生と五番勝負を戦えたということは、本当に自分にとって非常にいい経験になったなというふうに感じています
中島 ありがとうございます。次にですね、先日も『ご家族との連絡どうでしたか』とお尋ねしたところですけども、昨日、宿舎に帰られてですね、ご家族と連絡があったり、連取ったりとかされましたでしょうか?
藤井 あ、そうですね、昨日電話で家族に報告しました。喜んでもらえたのかな、というふうに思います
中島 何と報告されたんでしょうか?
藤井 (笑顔で)家族も結果は知っているかな、と思うので、自分からは特に何も・・・だったんですけど『よかったね』というふうには言ってもらいました
中島 お母様ですか? お父様に?
藤井 母に、電話で
中島 はい、次参ります。杉本先生とはどんなお話とかされましたですか?
藤井 はい、師匠には昨日の会見の方にも同席していただいたんですけど。非常に喜んでいただいたと思いますし。先日、竜王戦の方で師弟戦があったんですけど(竜王戦3組決勝で弟子の藤井現棋聖が勝ち)なんというか、『竜王戦の方も頑張ってほしい』というふうに言われました(笑顔)
中島 ありがとうございました。それで、色紙に『探究』と揮毫されたんですが、この思いについて教えていただけますか?
藤井 このたびタイトルは獲得できましたけど、うーん、やはりまあ、将棋っていうのは難しいゲームで、この立場になっても『まだまだわからないことばかりだな』というふうに感じるので『これからも探究心を持って盤上に向かっていきたい』という思いを込めました
中島 ありがとうございます。私からは最後の質問なんですけれども、藤井棋聖というふうに呼ばれてですね、慣れますでしょうか? どうでしょうか?
藤井 (笑顔で)現状ではまだ慣れないという感じはしますけど、これから徐々に、タイトルホルダーとしての立ち居振る舞いだったり、そういったところを勉強していければなと思っています
中島 ありがとうございました
藤井 ありがとうございました
司会 では他に質問のある方は挙手をお願いします。質問は一人一社一つまででお願いします
柏崎 日本経済新聞の柏崎です。藤井棋聖どうも、昨日はおめでとうございました」
藤井 ありがとうございます
柏崎 一個だけお聞きしたいんですけども、藤井棋聖、5人目の中学生棋士ということでですね、これまで4人の中学生棋士の皆さん、皆さんタイトル取られてて、藤井さんもそういう意味で期待される立場で、一部のファンからは『中学生棋士はタイトル取るのが義務だ』みたいなことを言われることもあったと思うんですけども、ある意味で義務を一つ果たされたことに、ほっとされたのか、どうなのか、どんな感想を抱いてらっしゃいますでしょうか?
藤井 そのことについてはあまり、自分としては意識はしていなかったんですが。ただ、過去に中学生棋士になられた方というのは本当に、素晴らしい実績を残された方ばかりですので。少しでも近づけたのはよかったな、と思いますし、これからもそういった先輩方の姿勢を見て、自分自身成長できたらな、というふうに思っています
福島 デイリースポーツの福島と申します。よろしくお願いします。先日、タイトル挑戦を決めた時の会見でも、デビューから4年でタイトル戦というのは、自分ではもうそんなに経ったのかなという気もする、ということもおっしゃっていたんですけれども。改めて17歳11か月でタイトルを取られたことを、ご自身の思い描いていた理想図、未来予想図といいますかね、に比べて早かったのか、遅かったのか、それともまあだいたいこれぐらいだったのか。どういうふうにそのへんお考えでらしたら、ちょっとうかがえますでしょうか?
藤井 棋士になった段階でタイトルは当然目指してはいたんですけど、やはりなかなか遠いものでもあったので、棋士になってからの3年半の経験でなんとか成長できたというのが、今回の結果につながったのかな、というふうには感じています
福島 ありがとうございました
溝田 神戸新聞の溝田です。このたびはおめでとうございます
藤井 ありがとうございます
溝田 王位戦についておうかがいさせてください。棋聖戦、今回五番勝負を勝たれて、今度、王位戦第3局からは棋聖として木村王位と相まみえることになるかと思いますけれども、ちょっと改めて意気込みをお聞かせ願えますでしょうか?
藤井 ここまで王位戦の方、2局指して、木村王位の力強い指し手に苦しめられる場面も多かったかなというふうに思うので、そのあたりを反省して、また第3局以降、いい内容の将棋を指せるようにがんばりたいな、というふうに思っています
溝田 ありがとうございます
粟田 サンデー毎日とかに書いてます、ジャーナリストの粟田と申します。このたびはおめでとうございました。おつかれさまでした
藤井 ありがとうございます
粟田 藤井さんの将棋を見てますと、相手が今回の渡辺さんとか、あるいは羽生永世七冠とか、ものすごい大棋士であっても、あるいはそうじゃない格下の人と当たっても、あるいはコンピューターであっても、何も関係なく盤面に集中してるだけだというような印象を持つんですけども、何か、目の前の人がこういう人だから、ということはあまり気にされない、将棋やってる中では、指してる中では関係ないんでしょうか? そういう印象を持っちゃうんですけど
藤井 そうですね、しかしやっぱり、将棋というゲームは盤上を通じてのコミュニケーションという面もありますし。直接的ではないかもしれませんけど、相手の指し手を見て『こういう手もあるのか』と、まあそういったふうに思うこともありますし、相手の対局者によっても本当に、それぞれいろいろな発見があるのかな、というふうには思います
粟田 はい、ありがとうございました
池松 共同通信の池松です。おめでとうございます
藤井 ありがとうございます
池松 藤井さん、デビュー以来ずっとわれわれが取材してても『実力をつけたい』とかですね、非常に謙虚な言葉をずっと並べてらっしゃったと思うんですけれども、今回、一つ目標を達成されて、ご自身で、どこが一番成長されたと思っていらっしゃいますでしょうか?
藤井 やはりプロになってから、トップ棋士の方とも対戦する機会を得ることができて、その中で自分の将棋の課題というのを見つけることができたかな、というふうに思っています。特に中盤の指し回しなどは、デビュー当時と比べたら成長できたのかな、というふうには感じています
池松 わかりました、ありがとうございます
長尾 毎日小学生新聞の長尾です。よろしくお願いします。藤井棋聖のような棋士を目指している、将棋をがんばっている小学生や、何か夢中になれるものを探しているような子どもたちに向けて、励ましのメッセージなどあったら教えていただきたいんですけれども
藤井 自分としても、好きなことに夢中で取り組んできたというのが、ここまでつながったのかな、というふうには感じているので、好きなことに全力で取り組むということを大切にしてほしいな、というふうに思います
渡辺 読売新聞の渡辺です。どうも、おめでとうございます
藤井 ありがとうございます
渡辺 藤井さんはこのところ、本当にトップの棋士の皆さまと戦って、このように結果も出てきたんですけども、これからまだまだ戦いが続く中でですね、今回の経験もふまえて、大勝負の中でどういうところをですね、大切にしていきたいというふうに考えているのか、考えを聞かせてください
藤井 今回、棋聖戦であったり、王位戦についても、渡辺先生、木村先生に対して番勝負で教わるというのは非常に貴重な機会だというふうに感じていましたし、シリーズを通して成長したいという思いはありました
津村 関西テレビの津村と申します。このたびはおめでとうございます
藤井 ありがとうございます
津村 先ほど『探究』という文字を掲げられてましたが、ご自身の中で、今後どういった将棋を目指されたいかなど、目標があれば教えてください
藤井 自分の将棋はまだまだ課題が多いかなというふうに思っているので、どのような局面であっても少しでも最善に近づけるような対応力というのを伸ばしていきたいな、とは思っています
津村 ありがとうございます
村瀬 藤井棋聖、おめでとうございます
藤井 ありがとうございます
村瀬 朝日新聞の村瀬です。昨日の将棋の内容になるんですけれども。渡辺前棋聖はですね、終盤けっこう、藤井棋聖に意外な手を指されたようだったんですけれども。藤井棋聖自身は自分がわるいと感じてからですね、形勢を盛り返すためにどんなことを考えて、どんな展開に持っていこうというふうに考えたんでしょうか? たとえば△4六歩▲同銀に△2五金とかですね、△3八銀とか、飛車取りに打ったところとか、そういうところがけっこうポイントだったのかなあ、と渡辺前棋聖自身もブログで書いてるんですけれども。藤井棋聖自身は対局中、どんなことを考えて、どういうふうな展開に持っていこうと思ったのかということを教えて下さい」
藤井 中盤、渡辺先生の方に厳しく攻められて、受けに回る手もあったかなとは思うんですけど、なかなかうまく受かる手というのが見えなかったので、先手玉の方に少しなんとかいやみをつけて、勝負できればというふうには考えていました
司会 それでは以上で記者会見終了させていただきます。ありがとうございました
藤井 (一礼し、記者会見場から退出)
 名人通算15期で一時代を築いた中原誠十六世名人(72)の話。
 「驚きましたね。(藤井にふさわしい異名はあるのだろうか)考えてみたのですが、浮かびませんでした。若くして落ち着きと冷静さがあり、弱点が見当たらない。大山先生や羽生(善治九段)さんにも言えることですが、異名はいらないでしょう。実はもっと早くタイトル戦には登場すると思っていて、意外に時間がかかったなあ…という思いもありますけど、実際にタイトル獲得となると驚きます」。
 「時間があれば、藤井さんの対局はだいたい見ています。面白いからつい見てしまいますね。一番印象的なのは終盤の強さ。子供の頃から詰め将棋を解いているからか、終盤には自信があり、それが全体につながっている。また、大事なのは落ち着いていることです。私も10、20代は落ち着いていたのですが、40、50代はそうでもなくなった。藤井さんは攻めの強さもあるが、渋い受けの手を出すなど、バランスがある。受けて勝てるようになれば、安定感が出てきます。東京や大阪ではなく、ずっと愛知県在住で決して将棋の環境には恵まれていないのにここまで強くなったのは立派です」。
 七冠独占、永世七冠、タイトル99期など誇る羽生善治九段(49)の弁。
 「藤井さんの最近の躍進ぶりを見るとタイトル獲得は時間の問題と思っていました。内容も素晴らしく、目を見張るものがあります。今後も将棋界の新たな道を切り開く存在として活躍されることを期待しています」。
 佐藤康光日本将棋連盟会長の弁。
 「史上最年少での初タイトル獲得、誠におめでとうございます。見事な内容でした。藤井新棋聖はさまざまな記録を打ち立てていますが、これは破られることはないのではと感じます。ますますのご活躍を祈念いたします」。
 31年前にタイトル挑戦の史上最年少記録を樹立、その強さと棋風で「お化け屋敷」と呼ばれた屋敷伸之九段(前記録保持者)の弁。
 「藤井聡太新棋聖、タイトル獲得おめでとうございます。日本中のファンに注目されるなか、堂々といい将棋を指して、結果を出したのは、素晴らしいことです。今後もタイトル戦は続きますが、いい将棋を作り上げることを期待しています」。
 「自分と比べたこともないです。彼は、すべてにおいて凄い。若いのに、堂々と横綱相撲を取っている。メンタルも強い。観ていて勉強になります」。
 名人位を史上最年少の21歳で獲得したレジェンド、谷川浩司九段(58)の弁。
 「私が17歳のときと比べると……。野球に例えるなら、ストレートの速さでは、いい勝負になる。でも、球種と制球力では、藤井七段にまったく敵いません。彼は、この半年くらいで、急な勝負の流れを、緩やかに戻す、“ギアチェンジ” を身に付けました。これは、羽生さん(善治九段)が10代後半のころでも、持っていなかった力です」。

 藤井七段の成長に驚きを隠さない。
 2016年に羽生四冠(当時)から名人位を奪取した名人位通算3期の実力者、佐藤天彦九段(32)の弁。(は、藤井七段と自身の棋風を、サッカーに例えた)
 「私の王様(駒の玉将)は、なかなか捕まらないと言われています。相手選手に囲まれても、ボールを奪われないようにするというか……。藤井さんは、パス回しが巧みで、選手同士のぶつかり合いにさせてくれない。相手の陣形がどう変化するのかを読み、的確に隙をついて、チャンスをものにする。偶然はなく、綿密な計算に基づいていると思います」 。
 ユーモラスな人柄から“ひふみん”の愛称で知られ、藤井棋聖のプロデビュー戦で対局した加藤一二三九段は同日にTwitterを更新。「史上最年少戴冠の偉業達成 心より御祝い申し上げます」と祝福の言葉をつづった。渡辺棋聖の投了後、「藤井聡太新棋聖の御誕生 史上最年少戴冠の偉業達成 心より御祝い申し上げます」と藤井七段を祝福。また「貫禄をみせた渡辺明二冠も、最後の瞬間まで本当にお疲れ様でした」と称えた。「デビュー戦の相手をした私としても感慨無量の歴史的瞬間でした。素晴らしい名局、名勝負を、みなさま大変ありがとうございました」と感謝をつづった。さらに加藤九段の弁。
 「藤井聡太新棋聖にはその天賦の才を余すところなく発揮し天高く翔ける龍となり、将棋史に於いて今後だれもまだ見ぬ地平を、ときに孤独と闘いながらも勇猛果敢に切り開いていただき、いつまでも色褪せない名局を紡ぎながら、将棋という芸術文化の大輪の花を咲かせていただきたいと願います」。 
 小学4年生時から、藤井七段を弟子として育て、見守ってきた師匠・杉本昌隆八段(51)は日本将棋連盟を通じてコメントを発表。
 「藤井聡太新棋聖の誕生を嬉しく思います。10年前、小学生の聡太少年に出会ったときから、この日が来ることを確信していました。これで私の目標や、私の師匠、板谷進九段の夢も一つかないました。東海に持ち帰ったタイトルは大切に、いつまでも保ち続けてください。これからも将棋が指せる幸せと、全ての人への感謝は忘れずに。大棋士に成長することを願っています」。

 7.17日、藤井聡太新棋聖の師匠である杉本昌隆八段が、テレビ朝日系「大下容子ワイド!スクランブル」に生出演。藤井棋聖誕生秘話を聞いた。脳科学者の中野信子氏は、才能ある子でも「周りの大人がよってたかって芽をつぶしてしまう」ケースがあると指摘。すると杉本八段は「お父様、お母様、ご家族の力は大きい」、「周りのいい大人、友達に恵まれた」と見守った家族や周囲の支えの大きさを語った。杉本八段は、藤井棋聖の「悔しがる力」と藤井棋聖の母の耐える力について次のように語った。
 「本当に負けず嫌いで、小さい頃はワンワン泣くのは有名だったんですけど、お母様がそういう時に、そっと、ひと言も言わずに連れて帰られるのが非常に印象的でした。当時、言いたいこともあったと思う。『なんでそんなに泣くの?』とか『やめなさいよ』とか。でも見ていると、歯を食いしばってじっと耐えてお子さんを見守っている。どちらも素晴らしかった」。
 伝説の天才棋士、升田幸三・実力制第四代名人の唯一の弟子にして“株主優待名人” としてお馴染み、引退棋士の桐谷広人七段(70)の弁。(週刊FLASH 2020年6月23・30日号参照)
  「18歳で奨励会に入った私とは比べものになりません。屋敷くんの記録を塗り替えたのは、すごいことです」。
 「升田先生と藤井くんならば、升田先生のほうが天才だと思います。『新手一生』を掲げた先生は、常に誰もやったことのない手を考え出す “創造の天才” でした。 藤井くんは、秀才タイプ。棋譜の研究に余念がなく、記者会見でのコメントも、いつも好印象ですよね。升田先生が藤井くんの立場なら、『渡辺なんて大したことねえ』と言い放つはずですから(笑)」。  

【藤井聡太七段が18歳1カ月で王位獲得。二冠&八段昇段を達成】
 2020.8.20日、将棋の高校生棋士、藤井聡太棋聖(18)が木村一基王位(47)に挑戦する第61期王位戦七番勝負(新聞三社連合主催)第4局の2日目が20日、福岡市の「大濠公園 能楽堂」で指され、藤井棋聖が無傷の4連勝で七番勝負を制して王位を奪取し、史上最年少となる18歳1カ月での二冠&八段昇段を達成した。

 将棋のタイトルは現在、名人、竜王、叡王(えいおう)、王位、棋王・王将とあわせ三冠王座、棋王、王将、棋聖の八つ。藤井棋聖は7月に第91期棋聖戦五番勝負で渡辺明名人(36、棋王・王将とあわせ三冠)を3勝1敗で破り、史上最年少の17歳11カ月で初タイトルを獲得した。王位戦では初参加の挑戦者決定リーグで羽生善治九段(49)ら5人に全勝して挑戦者決定戦に進出。決定戦で永瀬拓矢二冠(27、叡王・王座)に勝ち、予選から10戦無敗で挑戦権を獲得し、棋聖獲得からわずか1カ月強で二つ目のタイトルを手にした。

 藤井棋聖は、前日に規定時刻からさらに20分間の考慮で決めた封じ手が強烈な一手で、徐々にリードを拡大。昼食休憩後には一気に差を広げた。最後は“千駄ヶ谷の受け師”の異名を取る木村王位に、粘る余地を与えずに押し切った。二冠の最年少記録は羽生善治九段(49)が1992年に王座と棋王を保持した際の21歳11カ月で、28年ぶりの更新。八段昇段の最年少記録は、加藤一二三九段(80、引退)が1958年に順位戦A級昇級で達成した18歳3カ月で、こちらは実に62年ぶりの新記録達成となった。
 終局後、藤井新王位は次のようにコメントした。
 「(相掛かりの序盤で)▲2五飛車から▲1五歩(端攻め)と積極的に動かれて・・・。そこでこちらがどうバランスを取ればいいのか、ちょっと難しいのかなというふうに思いました。(封じ手の△8七同飛成のあたりは)少し苦しいのかなと思って。▲8七銀に(飛車を切らずに逃げて)△2六飛車だと▲2七歩と打たれて、ちょっと飛車がはたらかなくなってしまうので、△同飛車成で勝負しようとかなというふうに思いました。△3三角(飛香両取り)のあとに本譜の△8六歩(金取り)から△8八歩(桂取り)という攻め筋があるので、なんとかこちらにも楽しみが出てきたところはあるような気がしました。(と金を拠点に王手の)△7九角から(香を取る)△9九と、として・・・。難しいですけど、攻めがつながる形に見えてきたような気がしました。最後、こちらの玉がかなり怖い形が続いたのでわからなかったんですけど・・・。▲4二飛車に△7一玉と引いて、なんとか一手勝ちの形なのかなあ、と思いました」。
 「(七番勝負を振り返って)自分にとって初めての2日制の対局でしたし、その中で自分としてもいろいろ得るものがあったのかなと思います。内容的にはもう、押されている将棋が多かったと思うので・・・。そうですね、4連勝という結果は望外というか、自分の実力以上の結果が出たのかな、という気がします」。
 「(王位獲得の率直な気持ちは?)それについてはまだあまり実感がないところではあるんですけど・・・。やはり今回七番勝負でいろいろいい経験ができたかなと思うので、それを活かせるように引き続きがんばっていきたいというふうに思います」。
 「(最年少二冠と最年少八段については?)それについてはまったく、対局に臨むにあたっては意識していなかったことではあるんですけど・・・。棋聖戦と王位戦という、今年は2つのタイトル戦に出ることができて、その中で結果を残すことができたというのは収穫だったのかなあ、というふうに思っています」。
 「(戦った4局の中で一番大きな勝利は?)第2局は中盤から終盤まで常に苦しい形勢が続いていたので、そこを勝つことができたのは結果的に大きかったのかなあ、というふうには思います」。
 「(木村王位の印象は)木村王位は攻守ともに力強い手が多いという印象でしたけど。指してみてこちらの読みにない好手を指されるという場面もとても多かったので、勉強になったシリーズだったかなあ、というふうに思っています」 。

 12.23日、中国中央テレビ(CCTV)は、韓国の囲碁界で人工知能(AI)を用いた不正対局が横行していることに対する韓国棋院事務総長のコメントを報じた。9月に13歳の「天才少女」がわずか129手で九段棋士を破った対局でAIを用いたカンニングを行っていたことが発覚し、1年間の対局禁止処分が下されたと伝えた。韓国棋院事務総長のヤン・ジェホ9段が「(一連の問題について)深く反省している。問題を起こした棋士は未成年であり、われわれ大人に大きな責任がある。棋士への関連教育を怠ってきた韓国棋院の責任は一層大きい」と述べ、AIを用いた不正防止について「日中韓で協力していきたい」と語ったことを紹介している。

 この件について、中国のネットユーザーは「不正は韓国の伝統芸能ではないか」、「韓国でこのような状況が発生するのは、ちっとも不思議なことではない」、「(反則を多発する)スピードスケートと同じではないか」、「もはや世界遺産申請レベルだ」など、韓国の競技界全体に対する批判的なコメントが多く見られた。
また、「確かに大人に大きな責任があるよね。選手に『勝つためには手段を選ばない』ということだけたたき込んでいたとしたら、もはやスポーツ精神とは完全にかけ離れてしまっていて、競技に対する侮辱になる」など、韓国棋院事務総長の話に同意し、真剣に改革に取り組むべきだとするユーザーもいた。(翻訳・編集/川尻

2021(令和3)年

【井山裕太が本因坊10連覇を達成】
 2021.7.6-7日、井山裕太本因坊(32歳)が囲碁の七大タイトルの1つ本因坊戦の七番勝負で第7局が甲府市のホテルで行われ、7日午後7時ごろ、白番の井山三冠が芝野王座(21歳)を投了に追い込み、4勝3敗でタイトル防衛を決めた。去年と同じ顔合わせとなり、ここまで3勝3敗でタイトルの行方は最終局に持ち越されていた。10連覇を達成し、趙治勲名誉名人が平成10年に達成した本因坊戦10連覇に並び歴代最多のタイ記録に並んだ。芝野王座はこの対局に自身初となる「本因坊」のタイトルがかかっていたが獲得できなかった。

 井山裕太本因坊の弁「終わったばかりで言葉にするのが難しいですが、今期は本当にタフなシリーズで自分のまずい部分もかなり出ました。その中で結果を出せたことは大きな収穫だったので、得たものを次に生かせるように精いっぱい頑張りたい」、「趙先生の10連覇は丁度院生になったぐらいの時ですね。それよりも翌年連覇が途絶えたことの方がよく覚えています。記録と云うのはいつか終りが来るものなのだな、勝負に絶対はないのだと子供ながらに思いました」。敗れた芝野王座の弁「負けてしまったが3回勝てたことは自信にもなりました。結果が出せなくて残念ですが今の実力は出せたと思うので、また勉強して戻ってこられるように頑張りたい」。本因坊10連覇記録に並ばれた趙名誉名人の弁「僕の10連覇は終着駅になりましたが、井山さん、あなたの10連覇はただの通過駅です。次の停車駅は20連覇ですか?」。

【関西棋院所属棋士/清成哲也九段が公式戦通算1000勝達成】
 8.4日、「第47期碁聖戦」予選A(清成哲也九段-星川愛生三段戦)が行われ、清成哲也九段が黒番中押し勝ちを収め公式戦通算1000勝を達成した。(通算成績1000勝514敗)。通算1000勝の記録達成は史上29人目、関西棋院所属棋士としては故橋本昌二九段、本田邦久九段、結城聡九段、今村俊也九段、苑田勇一九段に次いで6人目。

【第69期王座戦で、井山が柴野から王座を奪還する】
 10月、第69期王座戦五番勝負「柴野虎丸―井山裕太」。挑戦者の井山裕太四冠(32、棋聖・名人・本因坊・碁聖)が第5局を161手で芝野虎丸王座(22)に黒番中押し勝ちし3-2で優勝した。「令和三羽がらす」のひとりで「平熱の勝負師」の異名をもつ芝野に、第一人者井山が挑戦。2年前に王座を奪われた雪辱を果たした。これで井山は王座通算7期となった。対局後、井山新王座は「一時、三冠に後退したときは、再びタイトルを増やすのは難しいと思っていた。五冠に戻せてうれしい」と話した。井山新王座の通算タイトル獲得数は67になった。

【アマ囲碁界の巨星/菊池康郎氏逝去】
 菊池 康郎(きくち やすろう)(1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2021年〈令和3年〉11月3日)
 囲碁のアマチュア強豪。世界アマチュア囲碁選手権戦優勝、全日本アマチュア本因坊戦等国内アマ大会優勝20数回を数え、アマ四強と呼ばれた一人。緑星囲碁学園を主宰し、山下敬吾を始め、多数のプロ・アマ棋士を育成した。国際囲碁交流にも尽力、緑星囲碁学園代表、国際囲碁友好会理事長、全国子ども囲碁普及会代表、一般社団法人全日本囲碁協会理事長。

 1929(昭和4)年8.20日、東京都大田区蒲田に生まれ、3歳頃に囲碁好きの父の影響で囲碁を覚え、碁会所で腕を磨く。高輪中学時代に横浜市中山に疎開し、相原忍三段や、伊藤友恵、小泉重郎らの指導を受ける。専修大学に入学。

 1948(昭和23)年、全日本アマチュア選手権戦全日本アマチュア本因坊戦の前身)で神奈川県予選で優勝して東日本大会でベスト4入りし注目され、この大会で優勝した影山利郎と親交を得る。また審判長だった安永一に認められて師事。

 1950(昭和25)年、安永の紹介で雑誌『囲碁春秋』『囲碁の友』などでプロ棋士との対局が企画され、『囲碁春秋』で炭野武司六段に二子、先番で連勝する。

 この年、学生ながら仲間内の研究会を主宰し、村上文祥原田実のほか若手プロ棋士も参加させている。後に「緑星会」と命名する。

 1951(昭和26)年、関東大学囲碁リーグ戦出場のために囲碁部を作り、第1回リーグ戦では最終戦で村上文祥を破り11連勝で個人優勝するなど学生碁界で活躍。名人戦観戦記を「春秋子」のペンネームで手がける秋山賢司(76歳)氏によると、「専修大学時代、碁ばかりやっていたと思ったら、そうではなかった。社交ダンスにも熱中し、学生大会の決勝まで勝ち進んだという。麻雀(マージャン)は覚えてすぐプロ級に。『麻雀放浪記』の作者の阿佐田哲也は親しい雀友だった。何をやっても一流だった」。

 1952-53年の「圍碁」誌でのプロアマ二子局(持時間各5時間の真剣勝負)で、プロがアマチュアに二子で負けるわけがないと言う当時の常識を覆し、木谷實、坂田栄男、高川格らのトッププロを相手に9連勝し菊池の名を天下に知らしめた。残るは藤沢朋斎と呉清源だけになって藤沢に敗れた。二子局シリーズを主宰した菊池さんの恩人、『囲碁』発刊の青桐社社長/岩谷泉がプロ入りを強く勧め日本棋院と交渉したという。しかし岩谷氏は脳出血で急死。菊池氏は「プロにならない運命だったのでしょうね」と回顧している。この頃、既にプロ棋士となっていた影山利郎らにプロ入りを勧められている。

 卒業後は八幡製鉄に入社。株式課、秘書室を経て1981年(昭和56年)に新日本製鉄を退社する。

 1955年(昭和30年)の第1回アマチュア本因坊戦には仕事のために欠場、第2回は水野弘士に敗れて4位、1957年第3回に優勝し、以後3連覇。その後計13回優勝の他、アマ十傑戦、世界アマ日本代表など多数の優勝を飾る。

 平田博則
村上文祥原田実と並んでアマ四強と称されて、長くアマチュア囲碁界最強の地位を占め、プロからもプロ六、七段は打てると評されている。

 1956年(昭和31年)、『娯楽よみうり』誌でのアマ強豪との勝ち抜き戦では、アマチュア及びプロの大竹英雄初段に勝ち、続いて工藤紀夫二段に敗れるまで27連勝。その他にも雑誌の企画などでのプロ棋士との対戦で好成績を挙げている。

 1959年(昭和34年)にはプロ棋戦に参加させてはどうかという提案もなされ、『棋道』誌上でも論争された。

 1961(昭和36)年、日中囲碁交流の訪中団に加わる。その後も若手棋士を率いて、中国、韓国との交流を積極的に行った。
 1975年(昭和50年)にアマチュアの研究会「緑星会」を再設立。

 1976年(昭和51年)、安永一とアマ四強に、「アマチュア初の七段位」が日本棋院から贈られた。 

 1979年(昭和54年)、アマチュアの研究会「緑星会」を発展させて、子供のための囲碁教室「緑青囲碁学園」を設立。 

 1981年(昭和56年)の新日本製鉄を退社。その後は、緑星学園の活動に専念。多くの有望な子供を育成。出身のプロ棋士も、
村松竜一を第1号として、青木紳一青木喜久代山下敬吾加藤充志秋山次郎溝上知親鶴丸敬一高野英樹など多数。

 1992年(平成4年)には世界アマチュア囲碁選手権戦優勝。この年、日本囲碁ジャーナリストクラブ賞を受賞。
 2003年(平成15年)の阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦予選では予選Cを勝ち抜き、予選Bでは柳時熏七段も破った。棋風は柔軟性に富み、創造性豊かな序盤も特長。
 1994年(平成6年)、日本棋院より大倉喜七郎賞が授賞された。

 1998年(平成10年)から「東日本子供囲碁大会」を企画、開催し、その後「ボンドカップ全日本こども大会」、「ジュニア本因坊戦」へと発展した。全国こども囲碁普及会代表。

 2000年(平成12年)7月、第40回アマ十傑戦で通算9回目の優勝となり、大会最多優勝記録を更新する。

 2010年(平成22年)、名誉アマチュア本因坊の称号が贈られた。過去4回以上の優勝者の菊池康郎、原田実三浦浩中園清三平田博則の5名が主催の毎日新聞社より顕彰を受けた。

 2014年(平成26年)年、一般社団法人全日本囲碁協会発足、理事長。

 2021(令和3)年11.3日、老衰のため死去(享年92歳)。

 2022(令和4)年5.15日、緑星囲碁学園生主催、公益財団法人日本棋院協力「菊池先生を偲(しの)ぶ会」が日本棋院で行われ、ゆかりの人たち約200人が集まった。社交ダンスで全国大会十傑に入った経歴も持つ。

 主な棋歴大会
  • 世界アマチュア囲碁選手権戦 優勝 1992年、2位 1986年、3位 1985、2002年
  • 世界アマチュア選手権戦日本代表決定戦 優勝 1984、85、91、2001、04年
  • 全日本アマチュア本因坊戦 優勝 1957-59、62、65-66、69、72-73、77、82-84
  • 朝日アマ囲碁十傑戦 優勝 1968、77、80-81、87、91、97-98、2000年

 雑誌企画

  • 『圍碁』誌 高段者二子局シリーズ(1952/4-53/2月号) 10-1(○宮下秀洋、○瀬越憲作、○雁金準一、○坂田栄男、○木谷實、○鈴木為次郎、○高川秀格、○橋本宇太郎、○岩本薫、×藤沢朋斎、○藤沢秀行
  • 『囲碁春秋』誌 対プロ三番碁(1954/8-55/8月号) (先相先)2-1 影山利郎、(先相先)2-0 石毛嘉久、(先相先)0-2 大平修三、(先相先)2-0 横山孝一、(先相先)2-0 星野紀、(定先)2-0 加納嘉徳、(互先)1-2 杉内寿子
  • 『娯楽よみうり』誌 菊池対アマ強豪勝ち抜き戦(1956-57年)27-1
  • 『囲碁春秋』誌 菊池対オールアマ総当たり戦(1959年)9-1
  • 『圍碁』誌 プロアマ対抗戦(1964年)(互先)1-1(○小杉清、○川本昇)
  • 『囲碁春秋』誌 大平・菊池三番碁(1964年)(先二) 1-2 大平修三
  • 『圍碁』誌 東西花形プロアマ戦(1965年)(先)1-1(×梶原武雄、○関山利夫)
  • 『囲碁春秋』誌 藤沢vsアマ四強(1967年)(先5目コミもらい) × 藤沢秀行

【46期名人戦で井山名人が防衛】
 2021.11.4-5日、囲碁の第46期名人戦7番勝負の第7局が静岡県河津町見高127の伊豆今井浜温泉の今井荘で打たれ、井山裕太名人(32歳)が129手で挑戦者の一力遼天元(24歳)に黒番中押し勝ちし、4勝3敗で防衛。棋聖、本因坊、碁聖と合わせ四冠を維持した。名人獲得は2期連続8度目。井山名人は今年、棋聖、本因坊に続くタイトル防衛で、二日制の7番勝負で争う3タイトルを全て守った。8月に奪取した碁聖を加え現在四冠で、進行中の王座戦に五冠復帰が懸かる。芝野虎丸王座(21歳)との王座戦5番勝負は第1局が終わり、井山名人が先勝している。

【藤井聡太三冠、竜王奪取で最年少四冠達成!】
 2021.11.12-13日、将棋の藤井聡太三冠(王位、叡王、棋聖)(19歳)が山口県宇部市のANAクラウンプラザホテル宇部で竜王戦七番勝負第4局が打たれ、豊島将之竜王(31)を122手で下し、同シリーズの成績を4勝0敗のストレートで竜王奪取に成功した。この結果、1993年に羽生善治九段(51)が樹立した最年少四冠記録22歳9カ月を大幅に28年ぶりに塗り替える史上最年少となった。史上初の「10代四冠」になるとともに、竜王を含めた四冠を保持したことで、序列トップとなり全棋士の頂点に立った。タイトルホルダーは藤井新竜王、渡辺明名人(棋王、王将、37)、永瀬拓矢王座(29)の3人となった。 将棋棋士の四冠は羽生善治九段(51)、中原誠十六世名人(74)、谷川浩司九段(59)、故・大山康晴十五世名人、故・米長邦雄永世棋聖(達成時の年少順)に次いで史上6人目。なお、羽生九段が1989年に初タイトルの竜王を獲得した当時の年齢は19歳3か月0日。藤井三冠は19歳3か月25日での獲得となるだけに、史上最年少竜王の記録としては国民栄誉賞受賞者を超えなかったことになる。

 プロデビューから5年余の令和の天才棋士がついに棋士No.1の座についた。今年度、棋聖、王位と防衛し、叡王を奪取して迎えた将棋界最高峰タイトル竜王戦の七番勝負で、豊島竜王に圧巻の4連勝という突き抜けた結果となった。19歳にして全く隙のない強さがこのシリーズでも光り続けた。

 対局後、藤井三冠は「中盤ずっと難しいと思って指していました。最後、3四桂と打って迫れる形になったかなと思いました」と振り返り、「(竜王奪取には)まだ実感はありませんが、最高峰タイトルなので光栄に思いますし、それに見合う実力をつけていければと思います」とコメント。棋士の序列1位になったことには「今期はここまで結果は出せていますけど、内容的には課題が多いので、そのあたりを改善したいです」と述べた。

 最年少四冠の偉業は、本格的な「藤井時代」の到来を告げた。竜王を含めた四冠を保持したことで、渡辺明名人(棋王、王将、37)を上回り、ついに棋士の序列でトップに。8つあるタイトルのうち半数を占め、トップ棋士ばかりと対戦が続いた今年度も、勝率は8割を余裕を持って超えている。対局の内容自体は激戦もあるが、出てきた数字だけを見れば豊島竜王と戦った3つのタイトル戦、通称「十九番勝負」も王位戦(4勝1敗)、叡王戦(3勝2敗)、竜王戦(4勝0敗)と、11勝3敗と大きく勝ち越した。タイトル戦出場6回で、全て獲得に成功。この後に続くALSOK杯王将戦での挑戦者決定リーグで挑戦権を獲得できれば、五冠の期待も大きく膨らんでいく。

 藤井新竜王は、小学4年生の時に杉本八段に弟子入り。奨励会入会後も記録的なペースで昇級、昇段し、2016.10月、史上最年少の14歳2カ月で4段に昇段、プロ入りした。デビュー戦から29連勝を果たし「藤井フィーバー」を巻き起こし、年々レベルアップを果たし、小さなスランプこそあったが、周囲から大きな壁にぶつかると言われてきたものをことごとく突き破り、デビューから丸5年が経過したこの11月、ついに最高峰タイトルの竜王を奪取した。棋士の序列1位となり、頂点へと駆け上がった。羽生九段が七冠独占をした1996年から25年。その時にも似た天才棋士による一時代を築き始めた藤井“新竜王”がこの先、ファンに見せ続ける世界は果たしてどんなものか。 (ABEMA/将棋チャンネル参照)
 藤井聡太四冠(王位、叡王、棋聖、竜王)の師匠である杉本昌隆八段(53)は、日本将棋連盟を通じて以下の祝福のコメントを寄せた。
 「竜王獲得、そして最年少四冠達成おめでとうございます。この日が来ることは10年前から確信していましたが、それでも師匠として感無量です。藤井新竜王の活躍には人間の無限の可能性を感じさせてくれます。更なる飛躍を期待しております」。

 幼いころから見てきた才能が開花し、将棋界のトップに立った愛弟子の快挙を喜んだ。なお偶然にも11月13日は、杉本八段の53回目の誕生日。

 タイトル99期に七冠独占、永世七冠など数々の大記録を打ち立ててきたレジェンド羽生九段が、自身が持っていた最年少四冠記録を更新した令和の天才棋士に、絶賛のコメントを寄せた。
 「今回の竜王戦のシリーズは序盤の深い分析、中盤の細かい駆け引き、終盤の鋭い切れ味と実に高度な内容の対局が続きタイトル獲得にふさわしい内容のシリーズでした。これからもどんな将棋を指すか楽しみにしています」。

 日本将棋連盟会長・佐藤康光九段(52)のコメントは次の通り。
 「この度は初の竜王位獲得、史上最年少の四冠達成、誠におめでとうございます。度重なる激戦が続く中、勝ち続けられるパワーに敬意を表します。益々のご活躍を祈念いたします」。

 加藤一二三九段(81)はツイッターで次のようにエールを送った。
 「10代にして達成されました史上最年少四冠の類稀なる藤井聡太さんの偉業に際し心より御慶びを申し上げます。 藤井聡太新四冠が棋士としての産声をあげられたのは数ある棋戦の中で竜王戦でした。 そのデビュー戦の相手を務めたものとして本日の史上初となります快挙はひときわ感慨深いものがあります」。
 「破竹の進撃で将棋史を塗り替える藤井聡太新竜王には心躍り感動するばかりだ。(中略)芸術性溢(あふ)れる棋風で更なる高みを極め、将棋の真髄を伝えてほしい」。

 10代の天才棋士が圧倒的な強さで将棋界最高位の竜王を獲得した。羽生善治九段(51)が、当時の全タイトル七つを独占する「七冠制覇」から25年。藤井聡太四冠(19)は現在は八つあるタイトルの独占に向け、「レジェンド」の後を追うが、その強さのスタイルはかなり異なっている。分かりやすい解説で人気を集める勝又清和七段(52)は、羽生九段の七冠独占の過程を「神懸かった逆転劇が多かった。相手が魅入られたようにミスをした」と振り返る。中終盤の複雑な局面を劇的な逆転に導く“羽生マジック”には敵を巻き込む巧みな勝負術があったという。一方、藤井将棋は劣勢になること自体が少ない。将棋AI(人工知能)が形勢の推移を示すグラフは、中盤以降徐々に優位を拡大していくことが多く、「藤井曲線」と呼ばれている。さらに、「最近の対局では、プロをうならせる妙手が毎回出ている」と勝又七段は指摘する。例えば、竜王戦第2局の1日目。守備駒の金を自陣の王将とは反対の方向に1升動かす手が出た。相手の飛車が自陣へ進入する恐れが生じたが、「攻めは続かない」と読み切っていたのだ。地味ながら、勝負の分かれ目となる受けの絶妙手だった。「あそこで相手に(飛車成りで)最強の駒の竜王を作らせ、『それでも戦える』というのはまず浮かばない。才能と努力、最新AIの研究もあり、とにかく読みが深い」。勝又七段は四冠達成者の名前を挙げ、「藤井さんは谷川浩司九段の終盤の『光速の寄せ』も、故大山康晴十五世名人のような達人の受けもできる。もはや人間の限界レベル。これを表現するための語彙(ごい)力は尽きました」と脱帽している。

2022(令和4)年

張栩九段の次女、張心治(こはる、12歳)が現役最年少棋士当確】
 1.29日、囲碁の日本棋院の女流特別採用棋士採用試験の対局が東京都千代田区の同院で行われ、元棋聖の張栩(ちょうう)九段(42)の次女、張心治(こはる、12歳)が6勝1敗の成績でプロ入りを確実にした。張さんのプロ入りは2月1日に行われる日本棋院の常務理事会で承認される見込み。正式採用は4月1日で、 仲邑菫(なかむらすみれ)二段(12)より誕生日が約8か月遅いため日本棋院の現役最年少棋士となる。

 張さんは、張九段と小林泉美七段(44)の娘で、姉の心澄(こすみ 初段(15)も20年に棋士となった。母方の祖父母は、棋聖8連覇を達成した小林光一名誉棋聖(69)と、小林礼子七段(故人)、曽祖父は小林名誉棋聖をはじめ昭和の大棋士を数多く育てた木谷実九段(故人)で、4代連続で日本棋院の棋士となる。張さんは19年から日本棋院のプロ養成コースである「院生」になっていた。「(プロ入りが確実になって)うれしかったです。目標とする棋士は父。まだ実力不足なので、もっと強くなりたい」と喜びを語った。仲邑二段の話 「入段おめでとうございます。心治ちゃんとは昨年、何度か一緒に勉強させてもらいました。これからもお互い強くなれるように頑張っていければと思います」。

第1回テイケイ杯レジェンド戦で「西の宇宙流」で知られる関西棋院の苑田九段が優勝
 3.18日、60歳以上かつ七大タイトル獲得経験棋士・開催前年の七大タイトル戦における獲得賞金ランキング上位棋士、テイケイ杯女流レジェンド戦ベスト4進出棋士とで争われる2021年創設の新棋戦、「第1回テイケイ杯レジェンド戦」(主催:日本棋院、協賛:テイケイ株式会社)の決勝戦が「竜星スタジオ」(東京都千代田区)で行われ苑田勇一九段が優勝した。

 西の宇宙流で知られる現役レジェンド、苑田勇一九段は予選を勝ち上がり本戦入りした後、1回戦(対穂坂繭三段)、2回戦(対趙治勲名誉名人)、準決勝(対小林覚九段)と勝ち進み、決勝戦に進出。決勝戦の相手は、現職の日本棋院常務理事でありながらテイケイ杯女流レジェンド戦を制し勢いに乗る青木喜久代八段。苑田九段が白番中押し勝ちし初代優勝者となった。

一力が井山棋聖の10連覇を阻み初の棋聖位に就く
 3.18日、最終第7局にもつれ込んだ第46期囲碁棋聖戦七番勝負(読売新聞社主催)が京都・仁和寺で打たれ、午後7時2分、黒番一力の199手を見て、井山は1分弱の少考後、頭を下げて投了した。挑戦者の一力遼が井山裕太の10連覇を阻み、初の棋聖位に就いた。先達の強者を次々に打ち破り、長く頂点に君臨してきた井山の「大三冠」を、初めて後進が突き崩した。

【本因坊文裕(井山裕太)が前人未到の本因坊11連覇】
 5.10日、第77期本因坊戦7番勝負が始まる。本因坊文裕(井山裕太)の前人未到の11連覇がかかる。
 2022.6.12-13日、本因坊文裕(井山裕太、33歳)に一力遼棋聖(25歳)が挑戦する第77期本因坊戦挑戦手合七番勝負 (主催:毎日新聞社・日本棋院・関西棋院)第4局が福岡県太宰府市の九州国立博物館で打ち継がれ、白番の本因坊文裕が中押し勝ちし4連勝ストレートで防衛を果たした。残り時間は文裕が55分、一力が3分、終局時刻は18時7分だった。これで本因坊11連覇。囲碁の七大タイトル戦では、趙治勲名誉名人の本因坊戦10連覇を上回る最多連覇記録となった。また、名人、王座、碁聖とあわせて四冠を堅持した。

 終局後の本因坊文裕(井山裕太) コメントは次の通り。
「今年に入ってから難しい時期もあったけれど、大きな舞台で戦わせていただけるので、そこに向けて臨んだ。苦しい時間の長いシリーズだった。その中で結果に結びつけることができたのは良かった。開幕局は反響も大きかったし、自分の中でも印象に残る一局だった」。
 --本因坊十連覇の趙治勲二十五世本因坊の立会のもとでの記録達成となった。
「趙先生の10連覇記録は自分自身が子供のころ囲碁ファンとして見ていた。その時点で自分がチャレンジできるとは夢にも思っていなかった。非常に光栄」 。
「これまでの記録があるが、人とくらべてではないけれど、囲碁に向かいあってきた想いはあるので、自分なりに続けたいなと思う」。
 一力遼棋聖 コメントは次の通り。
「(今回のシリーズを通して)判断のできない局面が続いていて決断のできない部分が多かった。ずっと形勢がわからず打つ碁が多くて、二局目以降はあまり・・・結果は仕方ないという感じがする」。
 「まだまだ足りない部分があるなというのを気づかされたシリーズだった」 。
「また戻ってこれるように頑張りたいと思う」。

【藤田怜央君が史上最年少の9歳4か月で囲碁のプロ棋士デビュー】
 8.17日、大阪市の小学3年生/藤田怜央君が、関西棋院の「英才特別採用規定」に基づいて来月9.1日から、史上最年少の9歳4か月で囲碁のプロ棋士になることが正式に決まった。同日に開かれた会見で今の気持ちを聞かれ、「頑張ります」、「わくわくしています」。目標を聞かれ、「世界一」と答えていた。

 怜央君は4歳の時、大阪市の囲碁教室で囲碁を習い始め、10か月後にはアマチュア初段の実力を身につけた。教室で講師を務める林達也さんは、はじめて囲碁を教えた際の印象について「4年前にお母さんが来て『囲碁をやりたい』というので、お母さんがやるのかと思ったら後ろからぴょこっと飛び出してきたのが怜央くんでした。最初は全く囲碁を知らない状態でしたが、石をどこに置くのかを教えると目がきらりと光りだしました。それからは休憩するかと聞いても首を振って、こちらが疲れて降参するまで付き合わされました」と振り返った。その後、藤田さんは毎日のように林さんが運営する囲碁教室を兼ねた碁会所に通い、一日じゅう囲碁を打ち続けていた。林さんは「教室で教えると、次に来たときには教えていないことをどんどんやってきました。成長のスピードが速くて驚きました。不思議に思って家族に聞くと、家でも起きてから寝るまで囲碁の動画を見るなど、ずっと囲碁のことをやっているということでした。単純なことですが、囲碁がとても好きなんだと思います」。藤田さんの囲碁について、「早碁でよく対戦しますが、どちらが遊ばれているか分からないぐらい、はやさが違います。そういう碁になったら力を発揮できるんじゃないかと思います。プロの世界で結果はいろいろあると思いますが、囲碁を大好きなままでいてくれたら本望だと思っています」と語った。

 2019年、小学生の全国大会で、幼稚園児で出場し、低学年の部の大阪府代表を決める予選で優勝した。このときは幼稚園児だったため全国大会には出場できなかったが、別の大会でも次々に好成績をおさめた。小学1年生で日本棋院の関西総本部の院生となって腕を磨いた。関西棋院が今年度から始めた「英才特別採用試験」に申し込み、プロ棋士との対局などによる審査を経て、今月5日、第1号の合格者となった。プロ入りが決まり初段からデビューする。。

 3年前、10歳0か月でプロ入りした仲邑菫二段の国内最年少記録を更新し、中国や韓国、台湾のプロ棋士の中でも最年少でのプロ入りになる。男性棋士としては、1968年に11歳9か月でプロ入りした趙治勲名誉名人以来、54年ぶりの最年少記録の更新となる。

 会見に同席した父の陽彦さんは「お笑いや電車が好きで元気に騒ぐ普通の小学3年生です。プロ入りできたことはすごくうれしいです。これからは不安が大きいですが、今までも乗り越えてきているので、信じて見守ろうと思います」と話していた。

 採用試験の対局で相手を務めた瀬戸大樹八段は会見で「大人っぽい碁を打つなと思いました。落ち着いてバランスの取れた碁で、プロと打っているような感覚でした。厳しいプロの世界ですぐに結果を求めるのは難しいと思いますが、9歳でこれだけ打てるのは今まで見たことのない才能の持ち主だと感じます。真剣勝負の場を早く経験してもらい、世界で戦える棋士になってほしい」と話した。

 会見には藤田怜央さんの師匠、星川拓海五段も出席し、藤田さんについて「相手の石を破壊する力が彼の一番の持ち味です。プロの世界で経験を積んで成長してもらえたらと思います。周りの期待も大きいですが、世界一になるのが彼の使命でもありますし、宿命でもあるかと思っています」と期待を語った。

 関西棋院の滝口政季常務理事は「AIによる囲碁の進化が著しく、強くなる子どもたちにいち早く公式戦に参加してもらうことで、持っている才能を伸ばしたい。将棋の藤井聡太さんのようなスターの登場を待ち望んでいるところがあり、その可能性を秘めているのが藤田怜央さんだと考えている」と話していた。

 2018年に国民栄誉賞を受賞した井山裕太四冠(33歳)は「プロとしてのスタートラインに立ち、これからいろいろな壁が待ち受けている事と思います。力を蓄え、思う存分チャレンジしていかれる事を願っております」とコメントした。

 3年前、当時史上最年少の10歳0か月でプロ棋士になった仲邑菫二段(13歳)は「びっくりしました!対局できるのを楽しみにしています!」とコメントしている。

【柳原咲輝(11歳)が囲碁の世界ユース選手権準優勝】
 8.31日、囲碁の世界ユース選手権、日本代表の柳原咲輝(11歳)さんが準優勝。囲碁世界戦「第37回ワールドユース選手権」12歳未満の年少の部で、日本代表の柳原咲輝(東京都杉並区)が準優勝した。31日の決勝戦は韓国代表の金河潤さん(10)に敗れ、惜しくも大会史上初の女性覇者とはならなかった。大会は世界各地から16選手が出場しネットで対局。柳原さんは29日の準決勝で優勝候補の中国の最年少プロ、尹成志初段(11)を破って決勝に進んでいた。決勝も一時AIの評価値が98%超に傾くほどの優勢を築いたが逆転された。

【依田紀基9段訴訟判決】
 10.14日、東京地裁が、依田紀基9段が2020.4.28日付けで日本棋院に対して提訴した訴訟について、依田9段の請求を棄却する旨の判決を下した。訴訟の概要は次の通り。日本棋院が、依田9段のインターネット上での不適切な投稿をしたこと等を理由に棋戦出場資格を6か月間停止する旨の処分を行ったことに対して、依田9段が本件処分の無効を主張して争った訴訟である。日本棋院は、訴訟の第1審判決までの間、本件処分の残存期間の執行を暫定的に停止する趣旨の和解をしていたが、判決を踏まえ、依田9段の令和4年10.15日から令和5年3.16日までの間の対局停止を措置した。当該期間の対局は不戦敗となる。

【芝野虎丸九段が井山名人を破り名人位を3期ぶりに獲得】
 11.2-3日、第47期名人戦七番勝負(朝日新聞社主催)第7局が甲府市で打たれ、挑戦者の芝野虎丸九段(22)が井山裕太名人(33)に202手で白番中押し勝ちし、4勝3敗で名人を獲得した。芝野新名人の名人獲得は3期ぶり通算2期となった。井山名人は本因坊と王座、碁聖の3冠に後退した。

【藤沢里菜女流本因坊が挑戦者の上野女流立葵杯を破り3連覇】
 11.3-4日、第41期女流本因坊戦五番勝負(共同通信社主催)第3局が東京都千代田区の日本棋院で打たれ、藤沢里菜女流本因坊(24)が挑戦者の上野愛咲美女流立葵杯(21)に264手で黒番半目勝ちし、3連勝で3連覇を果たした。女流本因坊獲得は通算6期となり、女流名人と合わせて女流2冠を堅持した。上野女流立葵杯は3期ぶりの獲得は果たせなかった。藤沢女流本因坊は6月の第9期会津中央病院・女流立葵杯三番勝負で、上野女流立葵杯に1勝2敗で敗れて失冠したが、今シリーズは無敗でタイトルを守った。

2023(令和5)年

プロアマ本因坊戦/本因坊文裕が栗田佳樹アマ本因坊に白番10目勝ち
 2.4日、第60回プロアマ本因坊対抗戦(アマ6目コミもらい)が東京・市ケ谷の日本棋院で打たれ、本因坊文裕が栗田佳樹アマ本因坊に白番10目勝ちした。プロの34勝23敗2持碁となった。文裕は「(栗田さんは)プロのレベルであるのは間違いないので厳しい手合になると思っていました」。栗田さんは「序盤から石が取られて苦しい戦いでした。来年も機会があれば井山先生と打ちたい」と話した。

仲邑菫三段が史上最年少13歳11カ月で初タイトル獲得】
 2.6日、囲碁のタイトル戦、第26期ドコモ杯女流棋聖戦三番勝負の第3局が東京・千代田区の日本棋院で行われ、挑戦者の仲邑菫三段(13)が上野愛咲美女流棋聖(21)に中押し勝ちしシリーズ2勝1敗とし、囲碁の中学生棋士・仲邑菫三段が初タイトル(女流棋聖)を獲得した。藤沢里菜女流本因坊が持つ15歳9カ月記録を大幅に更新する史上最年少13歳11カ月でのタイトル獲得となった。仲邑三段は2019年に当時の最年少記録となる10歳0カ月でプロ入りすると、おととしには12歳0カ月での二段昇格やタイトル挑戦、去年は公式戦100勝など数々の最年少記録を更新してきた。  

 仲邑新女流棋聖は終局後の記者会見で、「タイトルを取るということはすごい大きなことだと思うので、実際に達成できたことは自信になりました。世界戦で戦える棋士になりたいです」と話した。自分へのご褒美は?と問われ、「milet(ミレイ)さんのライブに行きたいです」と答えた。

【「大倉喜七郎賞」、「秀哉賞」の受賞者】
 3.6日、「大倉喜七郎賞」並びに「秀哉賞」の受賞者が以下の通り決定された 。今年度は選考委員会(大倉喜七郎賞選考委員/吉川正夫、成瀬正治の各氏及び小林覚理事長、秀哉賞選考委員 斎藤十朗氏及び小林覚理事長、風間隼棋士会長、大淵 盛人九段秀哉一門代表)書面による投票方式によって決まった。「第52回大倉喜七郎賞」、「第60回秀哉賞」の授与式は、3月28日(火)午前11時より日本棋院東京本院で開催される合同表彰式にて実施される。

1.「第52回大倉喜七郎賞」 ※敬称略年齢順

 大倉喜七郎賞は故大倉喜七郎氏の遺徳をたたえ、プロ、アマ、国内外を問わず囲碁普及に特に功労のあった方に贈られる賞で、受賞者は下記の3名。

 松本 尚夫 (まつもと ひさお) 日本棋院三重県支部連合会会長(79歳)

 日本棋院三重県支部連合会の会長として会員獲得に努め、全国トップクラスの会員数を維持(支部ポイント1位/会員増2位)してきた。2010年、プロ棋戦の「おかげ杯」、2013年、「熊野那智黒碁石まつり」、2014年には「おかげ国際戦」の創設に尽力されるなど、プロアマ問わず普及活動に多大な貢献をしている。 (アマチュア七段)

 浅本 博(あさもと ひろし) 日本棋院広島県本部理事長(72歳)

 広島県本部の理事長などを歴任。「広島アルミ杯若鯉戦」、「フマキラー囲碁マスターズカップ」の棋戦運営に尽力するのみならず、「広島・韓国青少年囲碁交流」、「新春囲碁ゼミナールin宮島」などイベントの創設・運営にも尽力。特にこどもへの普及に努めており、2003年から行っている「こども囲碁道場」からは棋士も誕生している。(アマチュア三段)

 小林 光一(こばやし こういち) 日本棋院棋士・九段、名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖(70歳)

 公式戦タイトル獲得総数は歴代4位となる60。棋聖戦9連覇、名人8連覇、碁聖6連覇など昭和の終わりから平成の初めにかけて小林時代を築く。平成9年には念願の第10回世界選手権富士通杯で優勝。更新の育成にも力を注ぎ河野臨九段、小林泉美七段ら7人の弟子がいる。平成18年から19年にかけて日本棋院副理事長を務めた。

2.「第60回秀哉賞」

 秀哉賞は第二十一世本因坊秀哉名人の業績を永く記念するため、成績優秀で将来が嘱望される棋士に贈られる賞で、今回、上野愛咲美女流立葵杯・若鯉・SENKOCUP初受賞となった。秀哉賞を女性が受賞するのは初めて。受賞理由は以下の通り。

 上野愛咲美(うえの あさみ)女流立葵杯・若鯉・SENKOCUP

 女流の国際棋戦・SENKOCUPで優勝。日本勢が女流国際棋戦で優勝するのは初めて。一般棋戦である広島アルミ杯若鯉戦では2連覇。年間勝ち星は54でトップ。女流棋戦でも女流立葵杯と女流棋聖の2タイトルを保持。
 ※ 選考の対象は2022年末時点。


【一力遼棋聖が本因坊タイトル奪取】
 202.7.20日、囲碁七大タイトルの中でもっとも歴史ある「本因坊戦」の第78期七番勝負(毎日新聞社、日本棋院、関西棋院主催、大和証券グループ協賛)の第7局が19、20日に三重県鳥羽市で行われ、囲碁棋士であり新聞記者でもある二刀流の一力遼棋聖(26)が七大タイトル最多記録となる11連覇中の井山裕太本因坊(34)に218手までで白番中押し勝ちし、4勝3敗でタイトルを奪取し初の本因坊となった。一力棋聖は前期に4連敗でストレート負けした雪辱を果たし、棋聖、本因坊の二冠となった。井山本因坊のタイトル連覇記録は11でストップし、王座、碁聖の二冠に後退、特に格式の高い三大タイトル(名人、棋聖、本因坊)の保持が11年ぶりにゼロになった。対して一力は三大タイトルのうち棋聖、本因坊の二冠を占め、七大タイトル獲得は通算5期、3大タイトル独占の「大三冠」へ向け、芝野虎丸名人(23)への挑戦を懸けた名人戦挑戦者決定リーグ戦も、今月24日の最終戦を残し同星首位で井山と挑戦権を争っている。趙治勲名誉名人(67)、井山に次ぐ史上3人目の三大タイトル独占「大三冠」をかけたシリーズとなる。他にも国際棋戦など忙しい日程が続く。
 本因坊戦は次のタイトル戦から五番勝負1日制となり、賞金額も2800万円から850万円となる、来期から1日制の五番勝負に縮小されるなど規模縮小が決まっている。

 一力新本因坊「挑戦決まる少し前にそういう(縮小の)発表があり、今期にかける思いは例年以上に強いものがありました。400年もの歴史のある名前なので、本因坊は。そこに名を刻むことが出来たのは非常に光栄だし、身の引き締まる思い」。
 7.21日、一夜明けた朝、対局の舞台となった三重県鳥羽市の老舗旅館「戸田家」で取材に応じ次のように語った。
(毎日新聞/最上聡「
一力新本因坊/碁界を引っ張っていける存在に/対局一夜明け」参照)。
本因坊位を初獲得したことについて
「多くの人から祝いのメッセージをもらい、少しずつ実感が湧いてきた」
「対局の内容で碁界を引っ張っていける存在になりたい」
「5月ごろから(他棋戦も含め)井山さんとの対局が続いたが、日程的にも体力的にも厳しくなる中で戦い続ける大変さを感じた」
「第4局ではミスしたところから気持ちを切り替え、最後まで集中して打ち、逆転できた。(第5局から)あと1勝になったところでの精神面は改善の余地がある。収穫と課題の多いシリーズだった」
「昨夜は温泉に入り、少しゆっくりできた」
「『大三冠』などのチャンスがあり、目前の一局一局に集中していきたい。9月からの(中国で開催される)アジア大会は新鮮な発見もあると思うので、楽しみつつ、しっかりと自分と向き合っていきたい」

【仲邑女流棋聖が韓国移籍へ 登録申請中】
仲邑菫女流棋聖 碁の最年少タイトル保持者で、日本棋院に所属する仲邑菫女流棋聖(14)が世界王者を多く輩出している韓国へ移籍する意向を示し、手続きを進めていることが11日、関係者の話で分かった。韓国棋院に棋士登録を申請しており、承認されれば、プロ活動の拠点が日本から韓国に移る。日本棋院の棋士が海外へ移籍するのは初という。日本棋院はすでに仲邑女流棋聖の移籍を承認。韓国棋院での承認の可否は、年末か年明けに決まる見通し。

 仲邑女流棋聖は韓国での修業も経て2019年、当時最年少の10歳0カ月でプロ入り。日本棋院が世界戦での巻き返しを目指し新設した「英才特別採用」でのプロ入りだった。今年2月には史上最年少の13歳11カ月で女流棋聖を奪取し、中学生で初めてタイトルを獲得した。来年1月開幕予定の女流棋聖戦の防衛戦は出場する見通し。近年、囲碁の国際戦では韓国と中国が2強を形成し、日本は苦戦が続いている。

【藤井聡太竜王・名人、史上初の全八冠制覇】
 2023.10.11日、「藤井聡太竜王・名人、史上初の全八冠制覇」、七冠時独占の羽生善治会長も祝福「前人未到の金字塔」。将棋の藤井聡太竜王・名人(王位、叡王、棋王、王将、棋聖、21)が10月11日、王座戦五番勝負の第4局で永瀬拓矢王座(31)を下し、シリーズ3勝1敗でタイトル奪取に成功、史上初となる八冠独占を達成した。藤井竜王・名人は2020年7月に棋聖位で最年少タイトルを獲得すると、ここから王位、叡王、竜王、王将、棋王、名人の順で獲得。保持したタイトルは一度も防衛に失敗することなく、そのまま八冠独占までたどり着いた。藤井聡太七冠は出場した18度のタイトル戦を全て制し、若き第一人者の「不敗神話」は続いていく。終局後、大勢の報道陣がなだれ込み、感想を聞かれると、「(今シリーズは)どれも難しい将棋で実力不足を感じた。この経験を糧にしたい」と喜びをにじませた。

 2016年10月のプロデビュー以来、約7年で全冠制覇の大偉業を成し遂げると、七冠時に独占を果たした日本将棋連盟会長・
羽生善治九段も「前人未到の金字塔」と祝福のコメントを発表した。

 史上初となる八冠独占を果たした藤井竜王・名人に対して“全冠制覇”の先輩でもある羽生会長は「八冠達成、誠におめでとうございます。継続した努力、卓越したセンス、モチーベーション、体力、時の運、すべてが合致した前人未到の金字塔だと思います。今後も将棋の更なる高みを目指して前進を続けられる事を期待します」とコメントを発表した。 また師匠である杉本昌隆八段(54)も「王座獲得、そして史上初となる八冠達成本当におめでとう。どんなに険しい道でも臆せず挑戦し、考え抜いた末に最後は必ず正解にたどり着く。それは、私たちが持っている『人間力』を大事にして、その能力を十全に発揮したからでしょう。全冠制覇も藤井八冠にとってはゴールではありません。これからも自分の信じる道を突き進んでください。期待しています」と祝福していた。 (ABEMA/将棋チャンネルより)

 【関連記事】

 将棋の第71期王座戦5番勝負に王手をかけて臨んだ京都市内のホテルでの第4局。白っぽい和服を身にまとった。対局前のお決まりとなっているお茶を一口含んで気合を高め、次第に“勝負師の顔”になっていった。静寂に包まれた対局室。午前9時、立会人の合図で開始されると、鋭いまなざしで一手一手、丁寧に進めた。難所の局面では扇子を片手に、盤に覆いかぶさるようグッと身を乗り出し読みふけった。相手の永瀬前王座は練習将棋のパートナーで、手の内を知られている。戦型は先手を生かして研究が進む角換わりに誘導し、「予定通り」の研究手で挑戦者にプレッシャーを与え続けた。持ち時間を蓄えて、藤井の浮き飛車に対応した43手目の▲7四歩には2時間4分も投入。中盤は永瀬前王座がペースを握った。流れはいったん藤井に傾いたが引き戻し、タイスコアが見えていた。AI評価が「100%勝ち」と表示された次の123手目、王手の▲5三馬が大悪手となった。AIでの形勢評価値が永瀬の99%から、「5三馬」によって1%へ。一転、奈落の底に落ち、形勢が逆転した。奈落の底に突き落とされた永瀬は、冷静に次の一手を考える藤井7冠を前に両手で2度、激しく頭をかきむしった後に指を重ね合わせて額を殴りつけた。盤上には詰みがあった。永瀬はその詰みの手順があるところを逃した。投了となる一手となった藤井の「5六歩」が指される前にも、永瀬王座が何度も頭をかきむしるシーンが中継された。藤井が最後に抜け出し相手を投了に追い込んだ。藤井は第3局に続く大逆転負けを喫した。

 虎の子の一冠を手渡した鬼軍曹・永瀬は「勝ちになった局面があった。難しい手順ではなかったので、逃してはいけなかった」、「第3、4局のどちらかをものにできれば、次につながった。個人的にはもう一局指したかった」と無念の終戦を語った。と悔しがった。連続5期なら中原誠、羽生善治に続く3人目の名誉王座となったが、4期で途絶え、別ルートの資格獲得(10期以上)には6期を重ねる必要がある。他のタイトルでも、目指すは研究仲間の藤井打倒。「前の棋聖戦(22年、1勝3敗)よりは差が縮まった」と肉薄を実感しながら「藤井さんに教えてもらい、見えてきたものも違う。悲観せずに頑張っていきたい」。来年は最強の挑戦者として名乗りを上げる。(「筒井政也解説」参照)





(私論.私見)