羽生善治

 更新日/2020(平成31、5.1栄和改元/栄和2).7.20日

 (囲碁吉のショートメッセージ) 
 ここで、「藤井聡太新棋聖の師匠/杉本昌隆八段の金言考」をものしておく。

 2020(平成31、5.1栄和改元/栄和2).7.20日 囲碁吉拝


【囲碁将棋における「一人前」考】
  2019.05.18日、増刊FLASH DIAMOND 2019年5月30日号「藤井聡太の師・杉本八段が語る「天才部下とはこう付き合え」」その他を参照する。
 日本でもっとも有名な天才・藤井聡太七段を弟子に持つ杉本昌隆八段。いかにして弟子の才能を潰さないように育成してきたのか。自分を「会社員の上司」に置き換えて、これまでの経験を語ってもらうと、目からウロコの「金言」が溢れ出した。
 ●金言1「才能を羨ましいと思えるのは、向上心がある証拠」
 「才能に年齢は関係ありません。弟子や部下であっても、優れた能力を感じたなら、素直に羨ましいと思えたほうがいい。その気持ちは、自分に活力を与えてくれる。技術の向上において、メンタルはとても大きな要素です」。 

 杉本は2018年度、将棋の順位戦において、50歳での昇級を果たした。伸び盛りの20代がひしめくなか、ベテランが勝ち抜くことは容易ではない。

 「弟子の藤井聡太七段の才能を、初めて羨ましいと思ったのは、彼が小学2年生の終わりごろでした。対局後の感想戦で、誰もが気づかない手をサラッと指摘したときです。どうしたらこんな手が浮かぶのだろうと感動しました。そのとき私は42歳でした。妬むとか悔しいという感情ではなかった。こんな観る人を感動させるような将棋を、自分も指したい。私自身、もっと強くなりたい。これは引退していたら、違った感情だったと思います。育成の立場なら、自分が強くなりたいとは思わない」。

 2018年3月8日、杉本と藤井の最初の師弟対決がおこなわれた。結果は藤井六段(当時)が勝利。将棋界では弟子が師匠に勝つことを「恩返し」という。杉本は、弟子がいちばん失望するのは、師が技術の向上を諦めてしまった姿を見せることだという。

 「私は仲間の棋士に、藤井七段の指摘した手を自慢しました。会社でも部下がすごいプランを出したら、上司はほかの課に行って自慢すればいいんですよ。いないところで評価してもらえたのが伝われば、部下はやる気を出しますからね。そういう優秀な部下が現われたということは、上司にも会社にも、誇りじゃないですか」。

 向上心があれば、年齢に関係なく互いに高め合う関係を築くことができる。

 ●金言2「仕事が本当に好きなら、部下を潰すことはない」

 「将棋界の師弟関係は、会社の上司と部下の関係に近いものがあります。タテ社会の構造であり、競争社会ですから、ライバルの成功を素直に喜べない気持ちはある。でも棋士はびっくりするほど、みんな純粋なんです。好きな将棋で足を引っ張ることは、恥ずかしいと感じる。それは愛する将棋への冒涜です」。

 棋士は勝負へのこだわりが非常に強い。誰よりも自分が強いと思わなければ生き残れない世界である。一方で、将棋を普及することにおいては、すべての棋士が団結し、イベントや指導対局をおこなう。現在の将棋ブームは藤井聡太七段だけでなく、棋士全員の熱意によるものである。
 「会社に入社したときに、その仕事が嫌いな人は少ないと思うんです。仕事に情熱を燃やしている人なら、年齢や立場に関係なく、相手の優秀さを尊重するはずです。仕事への愛情は人を育てる気持ちにつながると思います。逆に心配なのは、成長させようとして、距離の取り方を間違えてしまう場合かな。自分の知っているノウハウを教え込もうとして、足を引っ張ってしまうことがある。教えすぎるくらいなら、遠くから見守るほうがいい。将棋界でも、放任主義が育成に功を奏する場合は多々あります。私は、師弟とは同志だと思っています。志を同じくする者。会社員の場合もそうではないのでしょうか」。
 ●金言3「天才が才能を発揮しているとき、協調性は必要ない」

 「『協調性があるか、ないか』というのは主観的なもので、見る人によって感じ方が違う。才能がある人が、その部分で人目を気にするのはもったいない。会社組織の場合、ワンマンプレーがどこまで許されるか。それが人の足を引っ張るなら、組織としてはマイナスですが、初めから協調性を求めてしまうと、部下は縮こまってしまうものです。『最初に組織の一員たれ』というのは、個々の能力が発揮しにくくなる。まずは、その人のパフォーマンスを見ることのほうが先だと思います。ちなみに藤井七段は、協調性はないほうだと思いますよ(笑)」。 

 杉本は、藤井を育てるうえで、ひとつだけ心配なことがあった。藤井が将棋よりも、ほかの分野に興味を引かれることだ。
 「才能がある人が、その業界を去ってしまうのは大きな損失です。藤井七段の前にも有望な弟子がいましたが、別の世界に興味を感じていきました。いまは東京大学で、人工知能の研究をしています。新しいことを知って、それに夢中になるのは仕方がない。ただ、やる気を削ぐのは避けたい。いまの仕事に魅力を感じさせ続けることこそ、師匠、つまりは上司の役割だと思います」。
 ●金言4「気遣いこそ、年長者の役割」 

 杉本昌隆将棋研究室は2015年から、毎週金曜日の夕方4時半から開かれている。教室の会場は、杉本の実家の3階を使用している。生徒は、現在18人の小学生が在籍しており、研究会などをセッティングするのも、師匠の役目だ。
 「藤井七段のような有望な弟子でも、本人は、自分を特別な存在だと思っていないことが多いです。それが、彼には当たり前の基準なので。だから特別扱いしないほうがいい。兄弟子には、『メディアやファンは藤井にばかり注目するけど、君は君で頑張ればいい』と声をかけています。藤井の人柄もありますが、弟子たちの間で彼が妬まれることはなかったと思います」。

 研究会で、藤井の兄弟子が昼ご飯を買い出しに行くときには、杉本が付き添うようにしてきた。
 「年齢では藤井がいちばん若いですが、段位が優先される世界ですから。兄弟子にひとりで行かせると、やはり心中は複雑でしょう。師匠が付き添えば、少しは気持ちをケアしてあげられるかと。プレーに集中してほしい人がいるなら、細かいところでの配慮は、気遣える立場の人がすればいいと思います」。
 ●金言5「第一人者ほど、敵をつくらない」
 「藤井七段がプロになって注目され始めたころに、『君の発言は重いから気をつけなさい』と伝えました。誤解で敵をつくるのは、もったいないですから。ちょっとした気遣いで、それを防げることを教えるのは、年長者の役割かと思います。勝負の世界では、敵をつくらないに越したことはない。お互いにわかり合えていれば別ですが、必要以上に攻撃的なことを言って、相手を刺激するのはマイナス。 憎悪の感情を向けられると、はね返すことに大きなエネルギーを使う。勝ち続けるには、自分の環境を整える必要があります」。

 将棋界でも羽生善治九段、谷川浩司九段などの「第一人者は敵をつくらない」といわれる所以である。

 すぎもとまさたか
 1968年11月13日愛知県生まれ、50歳。故・板谷進門下。1990年、21歳で四段昇段。2012年に藤井聡太現七段が門下に。2019年2月22日、八段に昇段。3月には混戦を制し、C級1組からB級2組への昇級を決めた


 「将棋PRESS」の「羽生(善治)先生が入ってきた瞬間、鳥肌」。茂野聡士
 「羽生(善治)先生が入ってきた瞬間、鳥肌が立ったんです」白熱の王将戦で高見泰地七段が感じた“冷気”「まるで『3月のライオン』のようで…」
 20歳の藤井聡太五冠にタイトル通算99期の羽生善治九段が挑み、“天才対決”と称される第72期王将戦。ここまで4局が行われ、2勝2敗のタイ。さらに主催新聞社の「勝者の記念撮影」もSNS上で話題になっている。第3局で副立会人を務めた高見泰地七段に、“レジェンド”羽生善治九段について聞いた。(全3回のうち第2回/「藤井将棋」編は#1、続きは#3へ)

 初めて指導対局、相手は羽生善治だった

 今年1月から始まった王将戦で通算タイトル100期を懸けて藤井聡太五冠に挑んでいる羽生善治九段。昭和の終わりから平成の時代、将棋界の頂点に君臨したスーパースターであることは誰もが知るところ。そして高見泰地少年(現七段)も、幼少期に羽生のスター性を目の当たりにした1人である。時は2001年のことである。「実は、将棋で初めて指導対局をしてもらったのは羽生先生なんですよ」高見は顔をほころばせた。前年に起きた三宅島噴火を受けての将棋チャリティーイベントが新宿駅構内で行われ、将棋を覚えたての“高見泰地くん”も参加した。そこで指導対局を受けたのが、羽生善治その人だったのだ。当時30代前半の羽生は複数タイトルを戦うのを日常としていた時代だった。高見はその対局について、鮮明に記憶している。「6枚落ちだったんですが、自分が弱すぎたにもかかわらず、羽生先生は一手違いにまで持ち込んでくれたんです。今思えば、しっかりと僕に最後まで指させてあげようという羽生先生の優しさなのでしょうし、子供心にも“プロってカッコイイな。それも一番のトップなんだから”と思いましたね。だから……」。高見は少年のような表情になって、このように言い切る。「将棋にハマったのは羽生先生の影響だなと思うんです」。高見がこの世に生を受けたのは1993年。当時の羽生は――現在の藤井と同じく――五冠王となった時期である。そしてその3年後には前人未到の七冠制覇を成し遂げるわけだが、幼児だった高見には当然、記憶がない。それでも「ずっと時代を築いてきた方ですし、絶対的というか、誰もが認めるという意味では唯一無二と言いましょうか」と最大限の敬意を示す。そんな羽生とプロ入り後初対局したのは2018年1月、朝日杯将棋オープンでのことだった。「初めて対局できると決まった時、本当に嬉しかったんです。前日に僕に何かあって、対局ができなかったらどうしようと思ったりするくらい楽しみで(笑)」。

 誰が相手でも自分自身を一番信じなければいけない
 一方、棋士という立場では、羽生を特別視せず、1人の対局相手として認識しなければいけない事実もある。羽生と大一番で対局した際に“羽生先生を意識しすぎた”というコメントを残した棋士もいるが、高見はどうなのか。「難しいですよね、うん」正直な心境を明かしつつも「対局相手、例えば藤井さんや羽生先生が指してきた手に“これに罠があるのでは”と考えるのはダメですから。自分自身を一番信じなければいけないし、そうしないと最後は勝てないと思っています。中・終盤で怖い局面があったとして、踏み込まなければいけないところで踏み込めないようであれば、ただ差をつけられて負けてしまうだけなので」と、プライドを垣間見せた。

 後部座席に乗る羽生に高見は何を思ったのか…
 それでも盤面を離れると、高見は羽生善治への憧れは包み隠せないようだ。現在、羽生が藤井聡太王将に挑戦している王将戦で、高見は第3局の副立会人を務めた。その際の羽生とのエピソードについて聞くと、ちょっぴり恥ずかしそうに「タクシー移動をした時のことなんですが」と照れ笑いを浮かべてこう語る。「藤井さんと羽生先生、そして立会人の島朗先生と僕、それぞれ2人ずつでタクシーに分乗することになりました。もちろん藤井さんでも緊張したと思うんですが……羽生先生と同乗することになったんです。ただドアが開いた瞬間、“後ろの座席に並んで座って邪魔してはいけない”と思って、羽生先生に乗ってもらった後になぜか自分は助手席に座ってしまったんですよ。運転手さんも驚いたのではないでしょうか(笑)」。

 あ、すみません、高見くんに聞いているんです
 最初は少し後悔したかもしれないが……結果的に高見の心がさらに弾む僥倖を得た。「タクシーを降りる前に、羽生先生が“乗車料金について聞きたいことがあるんです”といった感じで前方に話しかけてきたんですが、僕より運転手さんが先に反応したんですね。すると羽生先生が“あ、すみません、高見くんに聞いているんです”とおっしゃったんです。それを聞いて“え、僕の名前知ってくれている!”って飛び上がりそうなほど嬉しくなったんです。 正直なところ、今まで羽生先生が僕の名前を知っているかすらも分かっていなかったんです。だからずっと将棋界のスターである羽生先生が“高見泰地”という名前の棋士を認識してくれている。それが分かっただけでも本当に嬉しかったんですよね」。この出来事を語る高見の表情は、とびきり明るくなっていた。そしてもう1つ、高見の脳内に鮮烈な印象として残っているのが。対局開始直前の光景である。

 大げさでもなんでもなく引き締まった冷気
 「羽生先生が和服で入ってきて、藤井さんが待っている構図が、すごくカッコよくて鳥肌が立ったんです」。タイトル戦には前日検分という、会場の温度や照明の明るさなど棋士の要望を聞く時間がある。そこに両対局者はスーツで臨み、翌日の対局本番はほとんどの棋士が和服を着用して戦いに臨む。その情景に、高見は“あの将棋マンガ”がオーバーラップしたのだという。「まるで『3月のライオン』みたいだったんですよ! マンガでも主人公の桐山零くんと宗谷(冬司)名人が記念対局するシーンがありますよね」。マンガ内で桐山は若手棋士のホープ、宗谷名人は――そのモデルは羽生だったという説もある――将棋界の第一人者という立ち位置である。その時点での王者と挑戦者という立場の違いはあれど「藤井-羽生」の並びに「桐山-宗谷」の場面が一致したとしても不自然ではない。高見はこう続ける。「対局日、金沢は雪が降っていました。とはいえ対局場は空調が利いているので、室内は一定の温度ですし、立会人や記録係など人も多く入室していたので暖かかったくらいなんです。でも和服を着用した羽生先生が対局場に入ってきた瞬間、大げさでもなんでもなく引き締まった冷気を感じて、鳥肌が立ったんです。20歳の王者である藤井さんが待ち受けるところに、羽生先生がスッと座る。その構図を目の当たりにして体感できただけでも、副立会人を務めた価値があったなと思うくらいです」。

 時代を築いてきた棋士に共通することなのでは
 図抜けた才能を持つ集団の棋士達の中でも、卓越した棋力と人間力を持つ羽生と藤井。高見は世代を超えた名棋士たちに、こう敬意を示す。「タイトル獲得数も実績もすべてが本当に突き抜けている。どの棋士も強いからこそプロになっているんですけど、その中でも突き抜けるということは、抜群の才能とともに見えない努力もきっとされているのだろうなと。それに加えて人間性もしっかりと形成されている。これは藤井さん、谷川先生(谷川浩司十七世名人)など時代を築いてきた棋士に共通することなのでは、とも思います」。熱く話し過ぎてしまい恐縮です、と話す高見だが、それは藤井や羽生をつぶさに観察したからこそ伝えたいという思いの表れなのだろう。

 2勝2敗タイの第4局までをどう見る?
 そんな彼に王将戦のここまで、そして今後の展望について問いかけるとこのように話す。「ここまでの4局は、負けた方がミスをしたというのではなく、勝った方が本当に強い勝ち方をしているなという印象なんです」。いったい、どういうことなのか。(つづく)
 「なんというか……シンボリルドルフとディープインパクトが真っ向から一騎打ちしているようなものですよ」。藤井聡太王将と羽生善治九段が激突している王将戦について、高見泰地七段に“趣味である競馬で例えてもらえますか?”という、こちらの無茶ぶりに対しての回答だ。

 「ディープvs.ルドルフ」に込めた意味

 「いえいえ、こじつけではなくて意味があるんです。シンボリルドルフは現役時代、GIを7つ制覇して〈七冠馬〉と評されました。羽生先生は七冠制覇した実績がありますよね。一方の藤井さんは若き日から圧倒的な力を発揮して、タイトルを獲得し続けている。最強と評された者同士の勝負が実現したという意味で、世代を超えた歴史的一戦になっているなと感じますからね」。高見は将棋の実力を持ちながら、ユーモアも交えた解説で人気が高い。こちらのぶしつけな質問に対しても咎めることなく、稀代の名馬2頭に例えてもらったのには、恐縮するほかなかった。第72期王将戦は白熱の展開となっている。ここまですべて先手番が勝利し、2勝2敗。さらに対局直後と翌日に行われる主催新聞社による勝利の記念撮影――藤井と羽生がそれぞれ“ウサ耳”を装着するなど――も話題になっている。高見は王将戦第3局の副立会人を務めた。2人を間近に見て印象に残ったシーンやここまでの対局での驚きの一手、そして今後の展望について聞いた。(全3回のうち#3/「藤井将棋」編は#1、「羽生善治」編は#2へ)

 負けた方がミスをしたというよりも、勝者が上手く勝っている
 まずは全体的な印象から。高見は今シリーズについて「勝った方が本当に強い勝ち方をしている」と表現している。それはいったいどういう意味なのか。もう少し具体的に教えてもらった。「第1局から第4局までにお互い形勢が少し良くなった段階から、そのまま損ねることなく勝ち切っているんです。少し優位に対局を進めていたとしても……藤井さんと羽生先生のどちらも、劣勢になったとしても粘り強さを持っている。相手からしてみれば、押し切るには大変なはずなんです。それでもおふたりは間違えることがない。つまり負けた方がミスをしたというよりも、勝者が上手く勝っている。それぞれの強さが際立つ4局だったと言えます」。

 気づけば上に逃げられない状況

 その藤井・羽生の強さを感じた瞬間について聞いてみよう。まず藤井について、高見は副立会人を務めた第3局の局面を挙げる(※▲が藤井、△羽生)。「棋譜で表現すると、2日目の封じ手開封後の55手目から〈▲6三馬、△4三金、▲4一馬、△4四玉、▲3七歩、△同歩成、▲4五歩〉としたところが、非常にうまいなと感じたんです」。この局面、盤面を見ると当初は羽生玉に前方へと抜け出せそうなスペースがある。しかし……。「気づけば上に逃げられない状況となっていて、2つの歩の技術で玉を押し戻した。なかなか普通では考えつかない手なんですよね。藤井さんとしてみれば、一見広そうに見える相手玉が広くないと把握して進めていたんです」。

 少しでもリードを許すと苦しいと感じる強さ

 ほとんどの棋士が気づきづらい手を指すのが、藤井将棋の強さの1つだと言われている。その辺りについて、2022年に2局対戦した経験を持つ高見はこのように説明する。「この局面は、例えばAIの評価値であれば〈54~55%〉と少し優位に立っている状況なのかもしれないですが、局面が進んでいくうちに互角に戻っていたとしてもおかしくないんです。だけど藤井さんの場合はわずかなリードを上手くつなげていく。藤井さんの勝ちパターンとして、いわゆる藤井曲線(※将棋中継で表示される評価値で、徐々に藤井優位を示していき、終盤に入ると一気に藤井優勢を示す)の存在は将棋ファンの方も知るところかと思いますが、実際に対局している相手からすると、少しでもリードを許すと苦しいと感じる強さがあるんです」。

 第2局もすごい勝利だなと思って見ていましたが…

 詰将棋を趣味とする藤井が、驚きの逆転勝利を積み重ねてきたのはデビュー直後のこと。近年は序・中盤での指し回しも非常に充実しているとは、高見を含めた各棋士の共通する認識だ。ただもちろん、圧倒的な終盤力は今もなおベースにあるのだから……その難攻不落ぶりが伝わる。その藤井将棋に対して、五分の戦いに持ち込んでいる羽生将棋。「第1局は最後に藤井さんが強さを見せましたが、2日目の封じ手開封あたりまで均衡を保たれて、後手番ながら羽生先生の用意した一手損角換わりにさすがだなと感じましたし、第2局もすごい勝利だなと思って見ていましたが……」と語りながら、秀逸な一手だったと挙げたのは第4局1日目の65手目、羽生の指した〈▲5二桂成〉である。「この局面、実は(攻めが)成立しているのか難しいところなんですが」と前置きしながら、このように続ける。

 藤井の144分もの長考を誘った羽生の一手
 「この成桂に対して藤井さんは銀か玉で取るしかない状況になりました。銀で取った場合は歩を成られて、金を取られてしまう。逆に玉で取ると駒損はしない代わりに、攻め続けられてしまう。“次にどちらを選ぶか”という一手を、封じ手前の局面で指したんですよね」。すると、藤井は144分もの長考に沈み、封じ手で△同玉を選んだ。その結果、2日目は羽生が一気に押し込む展開で完勝を飾った。「類型があれど局面が少しだけズレていたところで、羽生先生は踏み込んでいったんです。1日目の封じ手前からその一手を選択できたというのは、“前に行く”という気持ちの表れなのだろうなと。藤井さんもそうですが、その辺りの押し切り方がまさに達人同士の戦いと感じますね」。

 羽生の“秘密兵器”は出る? いつ出る?
 もう1つ、高見に聞いてみたいのが、羽生の“秘密兵器”である。6連勝で勝ち上がった王将戦挑戦者決定リーグで、猛威を振るったのが「後手横歩取り」という戦法だった。藤井との王将戦でここまで後手番は2局あったが、どちらの対局でもその戦型に誘導しなかった。それについて高見に聞くと、今後の展望を含めてこう語る。「出るとしたら第5局だと思います。後手横歩取りは5年くらいまでは指されていた戦法ですが、AIにはハッキリと分が悪いと出ているため、自分も指さなくなりました。そう考えると、羽生先生に地力があるからこそ勝てているのだと思いますね。第5局以降での注目は……もしこのまま先手番が勝ち続けるシリーズになるとすれば、最終第7局の振り駒(※対局前に先手・後手を決める)になるのではないでしょうか。藤井さんは現在、先手番で26連勝中です。先手番の強さを生かしつつ、他の棋士なら間違えかねないところでも最善を選び、完璧な勝ち方を見せていますから。ここまでの流れから、第5局は先手番の藤井さんが勝つ可能性が高いと見る向きは多いでしょう。ただここで羽生先生が勝利したら大チャンスが巡ってくるし、もし負けたとしても、三たび先手番の第6局で取り返して、第7局までもつれる可能性もあるのでは、と感じます。そう考えるとやはり、第7局の振り駒は大きく運命を左右するのでは、と感じています」。

 この対局が始まりの一歩なのではとも感じます
 盤上の戦いとともに、今回の王将戦で注目したいのが“将棋界の第一人者の継承”でもある。高見は第3局で立会人を務めた島朗九段から、このような言葉を聞いたという。「藤井さんは羽生さんから帝王学を学んでいるんだろうね」。これまで将棋界は、時代を象徴する棋士が現れ、まるでその伝統を継承するかのように戦いの歴史を紡いでいった。「大山康晴先生、中原誠先生、谷川浩司先生に羽生先生、渡辺明名人ときて、藤井さんが現れた。それぞれ時代を築いていく中で、各タイトル戦で大棋士から大棋士へと受け継いできたものがある。それを羽生先生が伝える立場となり、藤井さんもまた、対局を通じて自身を形成している。そういった意義も、今回の王将戦にはあるのだと感じています。ただそれと同時に、この対局が始まりの一歩なのではとも感じます。2日制の対局である王将戦で、2人は長時間にわたって盤を挟んでいる。そこで藤井さんも羽生先生も新たな気づきをインプットして、さらなる成長を感じ取っているはずです」。

 「僕自身も見てみたい」運命の第7局
 感想戦ではそれぞれの意図を披露しあって、藤井も羽生もマスク越しでも分かるほど穏やかな表情を浮かべていた。「本当に強い藤井さんと羽生先生なら、第7局までもつれ込んでも何らおかしくない。むしろ僕自身も見てみたいですからね」。

 高見ら棋士をも魅了する第72期王将戦は果たして、どんな物語を紡ぐのか――。

 「【インタビュー】羽生善治は藤井聡太20歳の将棋をどう見ている? 「棋譜を見れば伝わってきます」、「32歳差ですか。だいぶ離れてはいますけど…」。
 昨年度は棋士人生37年目にして初めての負け越し。ところが、今年度は前人未到の通算1500勝達成など、不振から脱却してあらためて健在ぶりを示している羽生善治。1月8日から始まる王将戦七番勝負で藤井聡太五冠に挑戦する52歳の衰えない探求心の源はどこにあるのか。自らの現状、AI時代における人間の可能性、そして藤井聡太について率直に語った、Number1060号『[ロングインタビュー]羽生善治「来るべき、小さな光」』(2022年10月6日発売)を特別に無料公開します。(全2回のうち後編/前回は#1へ)※肩書は当時のまま、取材は2022年に行われました。

 羽生が抱く無力感「何のためにやってるのかな」

 ――昨年沢山負け続けて得たものは何ですか。例えば、負けることの意味とは?
 しばし考えを巡らした羽生は、やはり意表を突いた答えを返してきた。「何のために将棋を指しているのかなって考えることは結構あります。AIが何百万、何千万局も指している中で、人間が何のためにやっているのか。よく考えますね」。これまで何度も話を聞いてきたが、振り返れば、なぜ闘い続けるのかというたった一つのことを聞き続けていたような気がする。羽生はよく言ったものだ。『闘うものは何もないんです。勝つことにも、将棋を指すことにも意味はない。だから突き詰めちゃいけない』。その突き詰めてはいけない将棋を指す意味を、羽生は考えることが増えたという。「将棋を究める作業で言えば、人間が一生でできる将棋はたかが知れている。大きいPCを使ったら一日くらいで、一生分のシミュレーションができちゃう(笑)。だから、何のためにやってるのかなって。局面について考えていると、必然的にそういうことを考えるんですよ。(思いついた手が)これ、AIで検索済みなんだろうなとか、AIの枠組みに入ってるんだろうなとか。またすぐその外側をふらふらしてみて、どこに行けばいいんだろうって(笑)」。

 人間だから見つけられて、AIには見つけられない場所

 真っ暗な宇宙を一人泳ぎ続ける羽生、目指す先には小さな光があると信じて――。苦しいはずの話をさも楽しそうに話す姿を見ながら、脳裏に浮かんだのはそんな光景だった。何のために人間が将棋を指すのか……。すると彼は、何かを思いついたように力強い口調で話した。「でもそれは、AI同士では表れない将棋を人間が指せるかどうかということでもあるんです。いや、きっとあるはずなんですよ。AIの枠組みと、その外側のAIが評価しないところとの『間の場所』が絶対にあるはずなんです。統計の外側みたいなところで、人間だから見つけられて、AIには見つけられない場所が。人間の死角のほうが遥かに大きいけど、AIにも死角がある。その場所を見つけられたらいいな、と」。小さな光はあった。誰よりも勝ち続けてきた羽生が負け続けることで見出した、人間だけが見つけられる『間の場所』。だが、どうやってそこまで辿り着こうとしているのだろう。

 羽生が口にした「美意識」とは?

 美意識とは「この形は綺麗だ」「この形は歪だ」といった人間が長年の経験から積み上げてきた感覚だ。8年前、羽生は『AIの影響によって人間の美意識が変わっていくことが本当にいいことなのかどうか。間違った方向に導かれる可能性もある』と疑問を呈していた。だが今は、意図的に変えるという覚悟をしている。

 「AIは時系列でものを考えない。評価の高さだけで判断する。人間が思いつかない斬新なものと、50年前の古いものが混然一体となっているのが今の将棋です。美意識を変えるのは、言い換えれば発想の幅を広げることで、美意識を磨くのは、無駄な考えを省くことなんです。考えの幅を広げて無駄を省く。ただこれ、言うのは簡単ですけど、実戦でやるのは大変です(笑)」。

 ――美意識を変えることで人間がAIの将棋とは違う道筋を示すことができる、と。
 「そうですねぇ……あとこれ、ずっと先の話ですけど、知能の限界値が見えてくることにもなるんじゃないかなって。わかりやすい例で言うと、陸上100mの世界記録はボルトの9秒58ですよね。これはもう肉体の限界に近い。でも、知能の限界はまだ見えていない。それが段々見えてくることはあると思っています」。
 ――……凄い時代になってきましたね。
 「そうですね。人間がそんなことする必要はないのかもしれないですけどね。本当はね。AIに任せておけばいい話で」。

 羽生の考える限界とは?
 ――羽生さん自身はどうですか。50代に入って、考え続ける力、深く読む力が少し落ちてきたと感じたりは?
 「いや、それは実戦でトレーニングし続けることが大事で、年齢や経験は関係ないと思っています」。

 ――4年前、引き際について聞いたとき『限界まで挑戦したい』と言っていました。今、羽生さんの考える限界とは?
 「限界って結局、よくわからないですよね。ええ。何をもって限界かって……(笑い出し)まあ、命が尽きれば限界ですけど、アッハハハ。それが一番わかりやすい」。目を爛々と輝かせて笑う羽生にこちらもつられて大笑いした。これまで何度も感じてきた癒しの感覚が満ちてくる。それは次のように問いかけたときも同じだった。

 ――タイトル戦の無い日々はどんな変化がありましたか。
 19歳で初タイトルとなる竜王を獲得してから、30年に渡って年平均3〜4つのタイトルを保持してきた。タイトル戦登場回数は断トツ1位の137回。年間100日以上は全国を旅してきた羽生にとって、タイトル戦は日常のはずだったが……。「いや、特に変わったという感じはしないんですよ。まあ、コロナで生活が変わったということもありましたし、社会と同化して変わっているというか(笑)」。

 ――でも膨大な時間ができたわけですよね。
 「実はそうでもないです。(取材や講演など)他の用事や雑用も増えるので」。

 ――重荷が取れて身軽になったとか?
 「いやぁ、あんまり変わってないというのが率直な実感ですけどね」。

 ――もう一度、タイトル戦の舞台に立ちたいという思いは?
 「もちろんあります。これもコロナが始まってから感じたことなんですけど、毎回、将棋会館で対局するじゃないですか。ネット中継はありますけど、ずっと人のいないところで将棋指して家に帰ってくる生活って……何か、手応えがないなって(笑)」。羽生はそう言うと、おかしくてたまらないといった感じで笑い転げた。あの華やかな舞台へ……。その標的は、5つのタイトルを持つ藤井ということになる。

 藤井さんの膨大な研究量は、棋譜を見れば伝わってくる

 ―改めて藤井将棋をどう見ていますか。
 「本当に強いですよ。タイトル戦はスコアでは圧勝していますけど、本人は楽に勝ってるとは全く思っていないでしょう。膨大な時間を研究に費やしているんだろうなというのは、棋譜を見れば伝わってきます」。
 ――藤井さんの将棋も同じようにやってみると話していたと思いますが、どんな感じですか。
 以前、羽生は『自分と違う新しい感覚を持った人が出てきたら、まずは同じようにやってみる』と言っていた。そうして、相手の特徴を自分のオリジナルの強さに変えてきたのだ。だから、何気ない問いのつもりだった。ところが羽生は、「ああ……」と唸ってから意外な反応を見せた。「いや、私、藤井さんと同じ将棋は基本的には指してないです」。

 ――えっ? そうなんですか!?
 「ええ。いや、でもそれ、やったらいいかも知れないですね。新しい提案を頂いて」。最初はリップサービスかと思ったが、羽生は真剣に続けるのだ。

 言われてみればコロンブスの卵

 「今までになかった発想です。完全に。言われてみればコロンブスの卵というか。参考にします。ちょっと考えてみます」。タイトル戦の感想戦でよく見た羽生の姿を思い出す。大勝負に負けた後でも、解説の棋士から自分の発想になかった手を示されると、彼は嬉々として「えっ、えっ、何ですか、こうですか」と声を発し夢中になっていた。その好奇心は健在だ。

 ファンが一番期待しているのは、羽生さんと藤井さんのタイトル戦です。
 「はい。もちろん、実現できたらいいなと思っています。ただそれは私の問題ですね。なかなかそこ(挑戦者になる)まで到達する機会が少ないので(笑)。自分の棋力を充実させて結果を出せば、それは必然的に実現する……藤井さん、いくつもタイトル持ってるから、自動的にそうなるんで(笑)」。ひとしきり笑うと、窓外にちらりと目をやってから続けた。「私と中原(誠、十六世名人)先生は約二回り歳が離れていたんですけど、タイトル戦で顔合わせできなかったんですよね。私と藤井さんはどれぐらい違うんだろう? 32歳ですか。だいぶ離れてはいますけど、まあまあ頑張って目指します」。2時間近いインタビューを終えて外に出る。

 羽生が見出した「間」

 最後に「恐怖心」について聞いた。以前羽生はAI将棋に対して『恐怖心がないというのは本当に強い』と感嘆していた。『恐怖心を無くすのは大変なこと』とも。

 ――今、負ける恐怖心は少しずつ無くしていますか。それとも持ち続けている?
 「勝ちたいという気持ちを強く持ちすぎると、オーバーモチベーションで自分の力が発揮できない。だから、そぎ落とすことが大事です。ただ、負けたくないという気持ちまで無くなると、モチベーションが下がるので意味がないんですよ。本当に何のためにやってるのかわからなくなっちゃう。だから、その『間』が一番いいですね」。
 ――勝ちたいとは強く思わないけど、負けたくない気持ちは持ち続ける。
 「そうです、そういうことですね」。にっこり笑うと、羽生は「ではまた」と言って、住宅街の路地をいつものように小走りに去っていった。52歳になっても変わらない風貌、飄々とした話しっぷり、旺盛な好奇心。でも、少し変わったモチベーションと、将棋に見出した微妙な「間」。後ろ姿を見送り、空を見上げると、真夏のような青い空にぽっかり浮かんだ白い雲。

 雨過天晴――。そんな言葉が自然と浮かんだ。昨季、棋士人生で初めて沢山負けた羽生が、藤井の持つタイトルに挑戦する日がやってくるのは、そう遠くない気がした。






(私論.私見)