自衛隊の軍事派兵に関するマスコミ論調考 |
米奴系タカ派論理のおぞましさ | れんだいこ | 2003/12/11 |
産経新聞の産経抄が、ケッタイナ論理を開陳している(http://www.sankei.co.jp/news/column.htm)。「戦争を起こした側に責任があるとすれば、戦争を起こさせた側にもそれがある」などと分けの分からないことを云っているので、これにコメント付けておく。 大東亜戦争を裁いた東京裁判に対するマッカーサー元帥の「自衛戦争だった論」を紹介しつつ、「もし戦争を起こした側に責任があるとすれば、戦争を起こさせた側にもそれがあるはずである」と云い始め、「イラク戦争を見ればはっきりするだろう。先制攻撃をしたのはアメリカだが、ではその単独行動主義の戦争責任だけが責められるのか。サダム・フセイン政権のクルド人虐殺やテロ支援や独裁や専制に問題はないのか。戦争責任をいうなら戦争を起こさせた側にもあるというべきだろう」と結んでいる。 当然のことながら、「こんな論法を使うということは報道機関として自分の首を絞めるようなものです」と批判されているが、どこがおかしいのかについては指摘されていないように見えるので、れんだいこがはっきりさせておく。 思うに、産経抄の筆者は、事の分別能力に欠陥があるのでは無いのか。「もし戦争を起こした側に責任があるとすれば、戦争を起こさせた側にもそれがあるはずである」論の「戦争」を「犯罪」と書き換えてみよう。「もし犯罪を起こした側に責任があるとすれば、犯罪を起こさせた側にもそれがあるはずである」ということになる。 この観点は、社会学上必須であるから問題ない。但しだ、それを行政的に対策していくのではなく、この論理で、ある個人が、「犯罪を起こさせた側」に対し正義の鉄拳を振るっていったら、その「犯人」はどう処遇されることになるのか。法律に照らして罰せられるのが近代法治主義の原則では無いのか。 この観点から、今日の市民法では「親の仇に対する復讐権」も認められていない。正当防衛論や事情斟酌論によって減刑されることはあっても、行為そのものが犯罪を問われる仕組みになっており、かく合意されているのが近代法秩序原理では無いのか。 市民法的犯罪にしてかくの如しである。この秩序感が次第に国家間戦争にも適用されてきたのが近現代史の流れであろう。してみれば、「もし戦争を起こした側に責任があるとすれば、戦争を起こさせた側にもそれがあるはずである」論の理屈を、対国家懲罰戦に使うことはきつくご法度となるのではないのか。国際法は営々とその知恵を積み上げてきたのであり、各国は相互に国家主権を尊重し合い、内政干渉的行為は極力抑制すべき合意形成に向ってきたのが歴史の流れではないのか。 しかるに、今や世界単独最強国となった米国のブッシュ御一統ネオコン勢力は、この歴史の流れに対して暴君的破壊行為に乗り出し興じている。我が日本の小泉首相は、こういう変態政権とよほどウマが合うのだろう、「日米同盟の然らしめるところ論」で傭兵化政策にのめりこもうとしている。 これを諌めるのが識見であろうに、逆に提灯ぶら下げて、「もし戦争を起こした側に責任があるとすれば、戦争を起こさせた側にもそれがあるはずである」論でお追従し、この歴史的弁えを放擲するよう世論誘導していくとすれば、この筆者の頭脳は野蛮時代を生き抜いていることになろう。あな恐ろしや、とはこのことだ。 「サダム・フセイン政権のクルド人虐殺やテロ支援や独裁や専制に問題はないのか」と問うことは必要だ。だがしかし、「その為に何を為すべきか」に続いて「どこまでの干渉が許されるのか」と問わねばならない。この後者の「どこまでの干渉が許されるのか」の問いかけの制限を捨て、「正義のためなら何でも許される」、「国連決議もまどろっこしい。単独行動主義での先制攻撃を辞さない」という理屈を御旗に本当に戦争を仕掛け、平定作業に懸命なのが目下のイラク事態だろう。 ごく最近では、「この戦争に参加した国が優先的に復興事業に与ることが出来る」などと、露骨に利権誘導をしつつある。「絵に描いた餅」に食いつく日本企業が現れ、「バスに乗り遅れるな」とばかりにはしゃぎだしたとしたら、汝醜悪極まれり。 イラク人民にしてみれば、国家主権を蹂躙され、外資産業によって国内資源が収奪されていくことになる。指をくわえておとなしく見守れなどと云う者がいるとしたら、こたびの産経抄の筆者と同類のムジナぐらいのものだろう。 知識というものは善用せねばならないのに、こういう単に強い者に巻かれろ式のお調子乗り野蛮人がマスコミ権力を振り回しているとしたら、世は混迷をますます深めていくことになろう。 2003.12.11日 れんだいこ拝 |
【新聞各社の論調】 |
2003.12.10日付け毎日新聞社説。「自衛隊派遣 あくまで復興支援のために」の見出しで、玉虫色解説。読売社説は、「自衛隊派遣]「『国民の精神が試されている』」の見出しで、「歴史的決断」として評価。「自衛隊派遣は日本が国際社会の一員として果たすべき当然の責務だ」。「日米同盟の観点からも、テロ掃討、治安回復に努力している米軍の側面支援が必要だ」。追従記事満載。産経新聞社説「主張」は「基本計画決定 国益と威信かけた選択」の見出し。「野党を含めできるだけ多くの日本人が自衛隊員を拍手でもって送り出すべきだ。任務を完遂して国益と威信を守り抜くとともに、国内のテロへの備えにも万全を期してほしい」。 |
---------------- 小泉純一郎首相は記者会見で「イラクが必ずしも安全といえない状況と認識しているが、イラク国民が望む復興支援をする必要がある」と述べた。自衛隊の派遣については「自衛隊は戦争に赴くのではない」としつつ「武力行使はしないが、正当防衛のための装備はしなければならない」と語った。
---------------- 小泉純一郎首相は「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と憲法前文まで引用して、派兵決定の理由を述べたが、納得できる説明には程遠く、国民の不安は消えない。・・・ 最近の世論調査によれば、イラクへの自衛隊派遣について「時期は慎重にすべきだ」とする答えが56.3%もあり、「派遣すべきではない」の33.7%を加えると、90.0%もの有権者が派遣に反対ないし慎重な見解を示した。・・・ 英国、スペイン、イタリア、韓国などイラクに派兵している米国の同盟国でも、政府の支持率が軒並み減少、“追従”を危ぶむ国民が増えている。「ブッシュの戦争」に対する嫌気を強めている証しだろう。・・・ 外交官殺害の悲劇を繰り返さないためにも、国民は派兵反対の態度を、もっとはっきりと示すべきときなのだろう。まさに、日本国民が試されている。 ---------------- イラク開戦の支持と同様に、対米協調を最優先にした選択であることを明確にした。 しかし、イラク戦争の引き金になった大量破壊兵器はいまだに見つかっていない。大義があいまいなままに続く米国主導の戦争に、このまま日本が引き込まれていいのか疑問が残る。最大の問題は自衛隊を「非戦闘地域」に派遣するとしたイラク復興支援特別措置法の前提が揺らいでいる点だ。 ---------------- 特措法でいう「戦闘行為」が行われていない「非戦闘地域」の認定は極めて困難な作業である。 日本人外交官殺害事件を例に挙げるまでもなく、攻撃を仕掛けてくる側の組織性や背景は、容易には解明できないからだ。・・・ 「戦闘地域」「非戦闘地域」の線引きは不可能である。イラクは全土が「戦闘地域」にあると考えるのが妥当である。 イラク特措法は政府が国会に提出し、成立した法律である。現地の情勢が同法が定めた派遣の要件に適合しないのであれば、自衛隊は派遣すべきではない。「戦闘下」への自衛隊派遣は、特措法違反になる。・・・ -------------------------------------- 今回は戦闘が事実上、続いている国への初めての地上派遣になる。国連加盟国に広く部隊派遣を求める明確な安保理決議の裏付けも弱い。 派遣される自衛隊部隊を受け入れる合法政権も存在しない。実際の折衝相手となるのは、イラクを占領統治する米国主導の連合軍暫定当局(CPA)である。 --------------- 前文に示されるものは憲法の理念であり、その実現へ各条項を規定する。政府は従来、わが国が国際法上、集団的自衛権を有していることは主権国家として当然としながら、憲法九条の下では集団的自衛権の行使は認められないとの見解を示してきた。従来の解釈との整合性はどう説明されるのだろうか。 ---------------- --------------- 会見で首相は、憲法前文を読み上げて、「憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められている」と述べたが、憲法九条については全く触れなかった。
|
「憲法」は「権力の暴走」に対する歯止めであり、「権力」への「命令」である http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/455.html 投稿者 縄文人 日時 2003 年 12 月 10 日 |
「憲法」は「権力の暴走」に対する歯止め、「権力」への「命令」である 昨日のNHKニュースで、小泉さんの説明を聞きました。相変わらず、「国際社会の責任ある一員として」など、曖昧な内容です。「国際社会」って、いったい何のこと?言葉というものは便利なもので、「国際」という一言で「世界中」みたいな印象を与えます。本当は「ブッシュボス」に対する「責任」を果たすために…ってことなんでしょうね。 これと同じような詭弁を使って、「国家としての意思が問われている」「日本国民の精神が試されている」とも言いました。この場合の「国家」「国民」とは、何を指しているのでしょうか。「国家」とか「国民の精神」いう場合、それは「憲法」で規定されます。もし本当に小泉首相が「国家・国民の精神」を尊重するのだとしたら、「憲法」が「権力」に「命令」しているものを考えるべきではないでしょうか。 憲法学者・小室直樹さんは、絶えず言い続けてきました。「憲法」とは「権力」の暴走に歯止めをかけるものなんだと。だから「憲法」は単なるスローガンとかお題目とか理想とかなんかじゃなく、それは「権力」に対して厳しく「命令」するものなんだと。しかし日本の社会ではなぜか憲法学者ですらそうした理解がなく、あたかも「理想」「スローガン」のように受け止められています。今回の「イラク派兵」の問題でも、あまりにも「憲法の命令」の重みが軽んじられていると思います。 小室さんは著書を通して「憲法誕生」の歴史的経緯に詳しく触れています。かつての権力者は、好き勝手なことをやることができました。その結果、数知れぬ悲劇が絶えることなく生まれてきました。そうした経緯を経て誕生した憲法が「権力の暴走」に歯止めをかけているのです。 ドイツには、立法府の定めた法律を「憲法的視点」から検閲するシステムがあります。なぜなら、いくら議会で多数決を得て成立した「法律」といえど、なかには「憲法」に違反したり矛盾したりするものがあり、そこから「憲法」が風化したり崩れたりすることがあるからです。そのため「法律」に対するチェックシステムを作り出しているのです。 それくらい「憲法」は重要なものであり、もしもその「憲法」を軽視したら、また「権力」の暴走が始まります。実際、今回の「イラク派兵」は、「憲法が権力に命じたもの」を大胆にも踏みにじるものです。 イラクを助けに行くよりも先に、「憲法」を救出し、憲法が権力に命じたものを、権力(政府)に守らせることが肝要と思います。 元防衛庁の小池加茂市長も言っています。「特措法自体が違憲」なんだと。 繰り返しで恐縮ですが、以下に小池加茂市長のメッセージを再録します。 …………………特措法自体が違憲………………………… 小泉首相は戦場のなんたるかを理解していない。イラク特措法は正規軍の戦いだけを戦闘行為と定義した。ゲリラ戦が戦闘行為でないならば、イラク全土が非戦闘地域になる。この定義は戦時国際法上の概念と全く異なる。現代の戦争の多くは不正規軍とのゲリラ戦だ。特措法の論理だと、世界中の戦場に自衛隊の派遣ができるようになる。同法自体が違憲のゆえんだ。 自衛隊員の任務は、自衛隊法が「わが国の平和と独立を守る」と明記する通り、「祖国防衛」だ。隊員はそのつもりで入隊し、募集する側もそう言って勧誘してきた。イラク派遣は隊員の使命ではないし、契約違反だ。 最高指揮官の首相は本来、あふれる愛情をもって隊員とその家族を大切にすべきものだ。それで初めて、国が攻撃されたとき、隊員は命がけで戦える。今回、隊員の命を金で買うかのように、死亡時の弔慰金を引き上げて必要のないイラク派遣を強行するのは、指揮官として最低の態度だ。 戦後の文民統制は、首相と防衛庁長官に絶対的な権限を与えている。首相が「突っ込め」と命じれば、隊員は突っ込むしかない。重要なことは、隊員がどれだけ納得できる命令であるかだ。 7月にイラク特措法廃案を求める要望書を送ったことを明らかにするや、防衛庁のかつての同僚や上司、全国の国民の皆様から賛同の手紙や電話が続々と届いている。隊員24万人と家族の100万人が、小泉首相を信頼せず、不満を募らせている。このままでは、文民統治制自体の信頼が地に落ち、民主主義国家にとって由々しき事態も招きかねない。犠牲者が出れば、募集難となって、徴兵制に行き着く恐れもあるだろう。新憲法ができてからしばらくは、私は憲法改正論者だった。独立国としてしっかりした軍隊を持つべきだと。しかし防衛庁に入り、米軍とも一緒に仕事をしたりする中で、憲法9条の新たな意義について気づいた。 9条がなければ、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争に、日本は全面参戦していた。日本人が世界の人々に平和を愛する国民として敬愛されることもなかっただろう。平和憲法は日本の宝。憲法を守り、海外に派兵しないことは、先の大戦で亡くなった英霊たちが一番望んでおられることでもあるはずだ。 要望書の最後で、こう訴えた。「敷島の大和心を人問わば、イラク派兵はせじと応えよ」 |
【読売新聞のこの社説を見よ 「空自先遣隊第1陣が出発」】 | ||||||
[自衛隊派遣]「『国民代表』として送り出そう」 日本の国際平和協力にとって大きな転換点である。 自衛隊のイラク派遣の第一陣として、航空自衛隊の先遣隊が二十六日、クウェートに向け、出発する。 これに先立って愛知県内の航空自衛隊の基地で行われた部隊の編成完結式で、小泉首相は「厳しい訓練に耐えてきた自衛隊員の努力、使命感に心から敬意を表したい」と述べた。「国民代表」として送り出す、という認識を明確に表明したものだ。 陸上自衛隊については、一月中旬に先遣隊を派遣し、その後、施設部隊、本隊を順次、派遣する。 イラク復興支援は、テロとの戦いの一環だ。そこに参加することは、テロに屈しない、という日本のメッセージを世界に発信することになる。 既に四十近くの国々がイラクに部隊を派遣し、復興支援に協力している。韓国は、来年春から戦闘員を含む三千人規模の部隊を増派することを決定した。 自衛隊派遣は、イラクの治安の安定に努める米英軍への側面支援になる。それが日米同盟の強化につながる。 中東への石油依存度が高い日本がイラク民主政府建設に協力し、地域の安定に寄与するのは、まさに国益にかなう。 今後、テロや大量破壊兵器の拡散など、様々な「新しい脅威」に自衛隊をどう活用するのか、という観点からも、今回のイラク派遣の意義は大きい。 来年中に策定する新しい防衛計画大綱には、国際平和協力活動が、本土防衛とともに、自衛隊の本来の任務として位置づけられる見通しだ。 イラクへの自衛隊派遣は、そのステップとなる。さらには、国際平和協力を目的として自衛隊を海外に派遣するための恒久法制定に向けた弾みともなる。 そのためにも、自衛隊派遣への幅広い国民の支持が望ましい。 今の派遣反対論の多くは、イラクは危険だという懸念による。だからこそ、自ら身を守る能力や装備を持つ自衛隊を派遣するしかない。 士気も高く、優れた技術を持つ自衛隊が、人道復興支援など、困難な任務を十二分に果たすことを期待したい。 編成完結式には、自衛隊派遣に反対している民主党からも、河村たかし氏ら五人の地元選出の国会議員が出席した。 河村氏は「日本の国益のために行く人たちには、十分に元気に働いて帰ってきてほしい。日本国民として当然の思いではないか」としている。 こうした党派を超えた支持こそが、自衛隊員の励みになる。 (2003/12/26/01:44 読売新聞 無断転載禁止) |
||||||
|
(私論.私見)
日本の先遣隊
自衛隊の先遣隊が目的地であるイラクへ向けて東京を発った。----
日本にとってこれは歴史的瞬間である。第2次大戦の破滅的な軍事冒険以来、日本列島は軍隊を戦場へ送ったことはなかった。心的外傷症状で、日本は賢くも国際的混乱から超然として自らを保って来た。日本は戦争で心に傷を受けた住民への長々とした人道的援助を提供していればよかった。歴史的同盟国である米国に対しては、最近ではカンボジアや東チモールのように、兵站部門または財政計画に参加するだけでよかった。
この役割を、小泉純一郎は常に拡大しようと望んだ。まずイラク問題でジョージ・W・ブッシュを支持し、国連に背を向けることも厭わなかった。そして今、国連のお墨付きもなく、いかなる軍事的経験もない人員をイラクの前線に送る。
しかしながら、他国への戦争の権利を一方的に放棄するという独特の日本国平和憲法が、その第9条によって、自衛目的以外の軍事紛争への関与を彼に禁じている。そこで小泉純一郎は非常に大きな政治的リスクを負っている。いくら彼が、アルジャジーラテレビ網に至るまで、日本兵の役割は単にイラクの再建(水の処理、供給、医療ケア)に貢献することだと繰り返し述べても、彼は、イラクのテロリストにとっては日本兵の命はアメリカ兵と同等の値であることを知っている。日本の部隊は主として比較的静かなサマワ地区に駐屯するが、彼らはまったく安全というわけではない。余分な巻き添えを避けるために、彼らはオランダ兵の中にはめ込まれる(encadrees=“統率される”という意味もある)ことになるだろう。
http://www.lefigaro.fr/international/20031226.FIG0290.html