天木直人氏のたった一人の反乱考 |
最終更新日:2004/03/22
第131回 琉球フォーラム
講演会
これでいいのか日本外交
■日時 2004年2月10日(水)
■場所 沖縄都ホテル2階「綾羽の間」
■講師 天木直人氏(前駐レバノン大使)
駐日レバノン特命全権大使として在勤中の昨年3月、小泉首相らに「国連決議なしの対イラク攻撃は何があっても阻止すべきである」と意見打電。これが引き金となり同年8月、大使を事実上更迭された。
1947年、山口県生まれ。69年、京都大学法学部在学中に外交官試験に合格、中退して同年に外務省入省。中近東アフリカ局アフリカ第二課長、内閣安全保障室審議官、在マレーシア公使、オーストラリア公使、カナダ公使、米国デトロイト総領事などを経て2001年2月に駐レバノン特命全権大使となり、03年8月に外務省を退職。
著書にベストセラーとなった『さらば外務省!』(講談社)のほか、『アメリカの不正義』(展望社)、『マンデラの南ア』(サイマル出版会)がある。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/
■日時 2004年2月10日(水)
■場所 沖縄都ホテル2階「綾羽の間」
■講師 天木直人氏(前駐レバノン大使)
駐日レバノン特命全権大使として在勤中の昨年3月、小泉首相らに「国連決議なしの対イラク攻撃は何があっても阻止すべきである」と意見打電。これが引き金となり同年8月、大使を事実上更迭された。
1947年、山口県生まれ。69年、京都大学法学部在学中に外交官試験に合格、中退して同年に外務省入省。中近東アフリカ局アフリカ第二課長、内閣安全保障室審議官、在マレーシア公使、オーストラリア公使、カナダ公使、米国デトロイト総領事などを経て2001年2月に駐レバノン特命全権大使となり、03年8月に外務省を退職。
著書にベストセラーとなった『さらば外務省!』(講談社)のほか、『アメリカの不正義』(展望社)、『マンデラの南ア』(サイマル出版会)がある。
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(回答先: これでいいのか日本外交 琉球フォーラム講演会[琉球新報/天木直人氏] 【プロフィール】 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:26:15)
最終更新日:2004/03/22
いま過分なご紹介をいただき、また琉球フォーラムの講師陣を見まして、非常に著名で立派な方ばかりで、私はこの話をお受けした時に大変なところで話をすることになったなという気がしました。今日はこれだけの方々の前ですから私の思っていることを率直にお話して出来るだけ有意義であったと思っていただきたいと願う次第です。
私は昨年8月末に外務省を辞めて、ああいう本(『さらば外務省』)を出して、様々な人達に呼ばれて話をすることになりました。だいたい私の話というのは聞いていても楽しくない話なのです。特に、日本外交はどうあるべきか、というような真面目な話は、ますます面白くない。もちろんそういう話もさせていただきます。しかしいつも話が終わったあとで「もうちょっと生々しい裏話も聞きたかった」という声が多いので、本日はオフレコの話からさせていただきます。できるだけ私の心境、あるいは次元が少し低くなりますが当時の状況などから話させていただきます。
「イラク戦争反対」の電報
私はアメリカのイラク戦争は、あらゆる意味でまちがいであったと思っています。アメリカが自分の国益を追求して、特にブッシュ大統領や彼を取巻く連中が、自分達が正しいと思うことをやったという意味では、あの戦争は彼らにとっては正しかったと思うのです。
しかしながら第二次大戦のような悲惨な戦争を再び起こしてはならないと願って作られた国際社会の合意からみればとんでもない誤りであったのです。戦争というものはなくならないかもしれないが、差し迫った脅威を前にして真に自己防衛として戦争を行う以外の戦争は認めないという、国際社会の合意に基づいて国際連合による安全保障システムがつくられ、曲がりなりにも機能してきた。それをブッシュ大統領の米国が完全に無視したのです。そういうこともあって、私は「あの戦争(アメリカによるイラク攻撃)はまちがいであり賛成してはならない」と東京に打電をしたわけです。
私がこのような電報を打ったことに関して「なぜ電報を打ったのか。あなたはその電報を打つことでアメリカに戦争を止めさせられると本当に思ったのか。小泉首相があなたの電報を読んでその政策を変更すると思ったのか」という質問をよく聞きます。その質問に対しては、私は「そうは思わなかった」と答えます。つまり自分が打った一本の電報が、日本の政策を変え、さらにはアメリカのイラク攻撃を止めさせると思うほど私は過信していません。
では、なぜ打ったのか。私は2年半レバノンにおりまして、アメリカの中東政策をずっと見てきて、特にイスラエル−パレスチナ戦争に対するアメリカの政策がどう考えてもまちがっているという意見を持ってきました。アメリカの中東政策と日本の中東政策は、自ずと違うものがあってしかるべきだ、それをずっと言ってきたわけです。しかしながら、日本の中東政策というものは、後で申し上げますけれども、中東に限らず日本の外交は、まずアメリカの外交を見て、そしてアメリカの要求に従って外交をやっていく、ということでした。少なくとも私が外務省にいた35年間はそうでした。日本がアラブ寄りの外交をせよとは言いませんが、アメリカの中東政策はあまりにも一方的な親イスラエル政策で、アラブの国民はそれを知っています。
論議もせず対米追従
欧米諸国と違って中東に手を汚していない日本に対するアラブ人の期待は大きい。アラブの国は今日でも独裁政権が多くアメリカの支援なくしては自分達の政権は維持できない国が多いのです。エジプトにしてもヨルダンにしても、あるいはサウジアラビアにしても、ほとんどアメリカの言いなりになってしまっているわけです。しかしそれと反比例してアラブの国民はますます反米になってきています。他方でアラブの人々は例外なく親日的なのです。だからこそ日本の中東政策は米国のそれとは違った中立的なものが期待されているのです。
私はアメリカの中東政策はまちがっているということを何度も東京に伝え、その情報も送ってきました。しかし残念ながら我が同僚は、誰一人としてそういう意見を言わなかったのです。年に一回、中東大使会議というのがあり、中近東に駐在する大使が集まって会議をします。少なくとも私が参加した会議では、まともに日本として中東政策、特に中東紛争に対して日本としてどういう政策を取るべきかという議論は、一度たりとも行われませんでした。
その理由は、しょせん日本が何を言っても影響力はないし、ましてやアメリカの中東政策にどうして日本が反対できようかという諦めのような暗黙の了解がある。本来あるべき政策決定、つまり情報を丹念に集めて、それを分析して日本独自の政策を打ち出すという議論がほとんどなされないままに対米追従があるという状況だったのです。
今度のアメリカによるイラク攻撃は、もしそれが国連の合意なしに単独で行われるのであれば、戦後五十数年にわたって世界が認めてきた国連による世界の安全保障確保の努力を真っ向から否定するものとなります。それほど大きな歴史的暴挙を前に、自分の意見を一言も述べなくて何のために三十数年間も外交官をやって来たのかという思いが日増しに強まりました。
おそらくあと何十年か経ってこの戦争がひとつの歴史として語られる時に、いろいろな論評がなされると思います。その時に、自分の意見が正しいかどうか分かりませんが、少なくともあのとき自分は「これ(アメリカによるイラク攻撃)は間違っている」という意見を公式にレジスター(記録)しておきたかったのです。そういうつもりで意見を打って、同時に他の大使に転電という形で自分の意見を伝えました。他の大使からの同調する意見を期待したのです。「なぜあなた達は、こういう時に自分の意見を発しないのか。皆もこの戦争は誤りだと思っているのではないか。どうして声をあげないのか」という思いで、私は自分の書いた意見をみんなに転電したわけです。しかし反応はまったくなかった。ここに今日の外務省の劣化ぶりが象徴的に現れているのです。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture01.html
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(回答先: 講演内容(1) 「イラク戦争反対」の電報/論議もせず対米追従 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:28:24)
最終更新日:2004/03/22
米、仏の駆け引き
厳密に言えば、アフリカに駐在しているある大使から「本当によく言ってくれた。これで胸がスカッとした。自分はとてもそうは言えないけれども、私は全面的に賛成しています」という電話がかかってきました。ただ残念ながらこの大使は外務省の大使ではなくて、民間から一時的に大使になっておられる人でした。それからもうひとつは、エジプトに勤務している若い書記官が、個人的なE-mailで私のところに励ましのメールをくれました。「私は天木大使の電報を読んで泣けてきました。翌朝もう一度読んでまた泣けました。これは血判状です。天木大使という先輩を誇りに思います」というものでした。見知らぬ若い職員から受け取った声は私を勇気付けてくれました。これだけでも電報を打った甲斐があったと思いました。
戦争が始まったのは3月20日でした。私は結果的には一週間前の3月14日に『どうしてもあの戦争をアメリカにさせてはいけない』と電報を打ったわけです。当時米国はいつでも戦争を行うという態度でした。おそらくアメリカが最終的に戦争に踏み切った一番の理由は、フランスが拒否権を使うということを言い出したからだと思います。
さすがのアメリカも全く国連を無視して戦争する勇気はなかったわけで、何とか国連におけるコンセンサスを得ようとしていました。そして様々な理由をつけて何らかの国連決議を成立させようと必死でした。そんな中で仏が戦争を認めるごとき決議案には拒否権を行使すると言ったわけです。そこで米国はもはやこれまでと考えたのです。フランスのこのような挑発的な態度が米国を怒らせたと非難する声も当時聞かれました。しかし私はその批判はあたらない、米国はいずれにせよイラクを攻撃するつもりであったからです。
大使も報道で情報収集
そのような緊迫した状況の中でわが国がどのような議論をしてわが国の政策を決めようとしているのか、出先の我々には全く伝わってきませんでした。私はこの点こそ最近の外務省の根本的な問題点だと思います。出先には百何十人の大使がいるのですが、東京は彼らの意見を聞こうともせずまた彼らに本省の議論を教えようともしません。東京から言わせれば本省の幹部と官邸、自民党首脳が決めればよい、いちいち出先の大使に伝える意味も必要性もないと思っているのでしょう。しかしこれほど歴史的な政策決定を行うのですから省をあげて議論をして決めるべきであったと思うのです。私達が知り得るのは、新聞やその他の報道でしかなかったわけです。
しきりにあの時に北朝鮮の脅威と絡めて「日本を守ってくれる国は唯一アメリカである。したがってアメリカを怒らすことはできない。対米協調しか選択の余地がない」という言い方が伝わってきました。私はそれを聞いて、耳を疑いました。電報にはそのことを書いたのですが「まさかそれが本省の意見とは思わないけれども、少なくともそういうことが外務省高官の弁ということで新聞に伝わってくるのはおかしいのではないか」ということを言ったわけです。
私は意見具申の電報はこれ一本にとどめておこうと思っていました。どういう結果を生むかわからなかったけれど一度打てば十分だと思っていました。しかしながら、戦争が始まった直後に小泉首相は「アメリカは正しい」と胸を張って支持する姿がCNNで繰り返し流されました。そして小泉首相は「日本は援助をしてイラクを助けるんだ。イラクの戦後復興に日本は貢献します」としきりに言うわけです。「何を言っているんだ。今、目の前でイラク人が殺されているんだぞ!」と叫びたくなりました。米国を支持すると繰り返し言ってアラブ人の心の傷口に塩を塗り込んでいるのです。
親日的なアラブ人
レバノン人も他のアラブ人と同様非常に親日的で、日本がああいう形でアメリカを支持しても、日本はけしからんということにはなりません。しかし私にとってショックだったのは、小泉首相のブッシュの発言を支持するというのを聞いて「残念だ。ここまで日本はアメリカについて行くのか」と、ほとんどの友人が会うと真っ先に私に言うのです。うちの家内も女性だけの集まりから帰ってきて「普通は政治の話はしないけれども皆から何故日本は米国の味方をするのだと言われ残念だ」と言っていました。地道に築き上げてきた信頼関係があっという間に崩れてしまったことを実感しました。
レバノンという国は、日本にとってはとるに足らない国です。それでもそういう国と一つひとつ地道に友好・信頼関係を築いていくのが外交だと思います。私がレバノンにおいていろいろな仕事をする時の唯一の力といいますかサポートは、レバノンの人達の親日感情だと思うのです。そのレバノン人の信頼を失う事は非常に辛かった。今まで自分を支えてくれた人達を悲しませてしまった。
外交というのは日本のためだったら日本が少々無理なことを言っても何とかしてやろうということを、その国の政府や国民に起こさせる努力を地道に積み上げていくことである、しかし今度の戦争を支持したことにより一瞬にして彼らの感情を傷つけてしまった、そう伝えたわけです。
私は最終的に電報を打とうとした時ためらいました。電報を起案したらある程度自分の思いも晴れたのでこれを東京に打電するのは止めようかとも思いました。あと数年で外務省の任期をまっとうするのであるから黙ってやり過ごして何もなかったことにするというオプションもあったのですが、どうしても自分の意見を公式に残しておきたいという強い思いがありました。そして打電したのです。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture02.html
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(回答先: 講演内容(2) 米、仏の駆け引き/大使も報道で情報収集/親日的なアラブ人 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:30:22)
最終更新日:2004/03/22
「あなたは辞める気ですか?」
電報を打って数日間は反応がなかったのですがその後一本の電話を受け取りました。「天木大使、あんな電報を打って、辞める気ですか?」人事を担当する官房長からの電話でした。当時、イギリスのクック元外務大臣やショート経済開発大臣がブレア首相に反対して辞めているわけです。アメリカも2、3人の外交官が辞めていた。
そういうこともあって「あなたは辞める気ですか」と、まず言われました。私はその言い方に強い不快感を覚えました。それは一種の恫喝の電話でした。「いや、自分は辞めるつもりで書いたんじゃない。しかしもしこの電報を小泉首相が見てこういう意見を言うのはけしからんから辞めさせろというのであれば自分には辞める覚悟はできている。必ず首相に見せて欲しい」ということを言ったのを覚えています。
それから一カ月ほど経ってワープロで打たれた一枚の手紙が次官から私のところへ届きました。「あなたはよくやってくれたけれども、これでもって外務省を辞めてもらいたい。川口改革の一環で人事の若返りと適材適所を図っている。了承願いたい」というそっけないものでした。しかしながら、人事の若返りといっても私は当時一番若い大使で、現に今でも4〜5年先輩の大使がほとんど外国にいるわけですから、それが本当の理由ではないことはすぐ分かりました。
もうひとつ適材適所という理由ですが、私の後任者として、警察官僚で神奈川県警本部長をやって警察学校の校長をやっている人が来ましたが、その方自身は優秀な官僚で良い方ですが、中東の知識はゼロで「自分がなぜ中東に行かされるのか分からなかった」と私に言っていました。適材適所なんていうのも嘘っぱちです。三十数年間も勤めた挙句に手紙一枚で退職を迫られる、この非礼なやりかたに私は強い怒りを覚えました。
私があの本を書いた動機のひとつは、その時の感情的な怒りと申しますか、それが直接の原因だったわけです。しかしあの本で本当に糾弾したかったのは小泉首相の外交姿勢だったのです。
拉致問題への対応
イラクに対するアメリカ支持もそうですけれども、北朝鮮の拉致問題に対する2年前の訪朝のプロセスがあまりにも人道にもとった外交であったと思います。日朝国交正常化という政治的功名心のために拉致家族の心を踏みにじった。歴代の首相ができなかったことをやりたい、それをそそのかした田中均という外務官僚、彼は私と同期入省なのですが、が許せなかった。彼が拉致された人達を北朝鮮が返す用意があるという何らかの情報を得たとしましょう。キム・ジョンイル(金正日)が譲歩するという情報をつかんで、それに飛びついたということです。拉致問題の全面的解決よりもとにかく一人でも拉致家族が帰ってきたら大前進だ、これで一気に日朝国交化を進めようと考えたならば国民の心を読み違えたのです。今は国民の北朝鮮に対する厳しい姿勢と国交正常化交渉をなんとか再開したいという野心の板ばさみになって身動きがとれない状態です。外交の本道から逸脱した私利私欲、名誉欲のための外交の弄びを糾弾したかったのです。
7月頃に原稿を一気に書き上げました。しかし書いたあと本にすることを躊躇しました。一国の総理をここまで非難し、また三十数年間世話になった外務省を敵に回して非難するわけですからそれは大変なことをすることになるという自覚は、もちろん私にはありました。しかしすべての責任を負うという覚悟を決めました。
あの本が出たのは10月8日ですが、その前に一部のメディアが外務省を辞めた官僚が告発本を出すらしいという情報を流しました。外務省から、私のところに二つアプローチがありました。ひとつは人事課長から「天木さん、本を出されるようだけれども止めてください。2年前の外交機密費スキャンダルで外務省は皆が立ち直れないぐらい傷ついて仕事にもならなかった。それがやっと一段落してこれから仕事をしようとする時に、また騒ぎを起こされるとかなわない」と。
もうひとつは私と同期の者から電話があり「天木、お前がそこまで思いつめているとは知らなかった。我々の責任でもある。もう一度話し合おう」という誘いがありました。私は「ありがたいけれども、もう自分の人生で外務省の人達と二度と交叉することはないだろう」と言いました。
出版後のプレッシャー
本を出した後のプレッシャーは覚悟していたとはいえ大変なものがありました。公明党から訴えるという連絡があって、外務省の報道官は「事実誤認の箇所があり、さらに公務員で知り得た情報は公務員を辞めても漏らしてはいけないという規則があるので、そのへんも含めて検討したい」と記者会見で公言しました。公明党に対しては「私は全て事実を書いた。必要であれば司法の場でもはっきりさせたい。本に書けなかったことも含め事実を究明したい」と返答しました。その後動きはありません。『産経新聞』系統の雑誌に私に対する批判記事がいくつかでました。「天木というのは、元々変わり者だった」とか「部下からも嫌われていて、人格的にも随分片寄った人間だった」とか、さらに驚いたのは「天木というのは、レバノンに行った時にゲリラと通じていて、ゲリラに洗脳されて反米になった」という記事もありました。そんな情報は外務省しか持っていないわけですから明らかに外務省が意図的に流して書かせているのです。
そういうプレッシャーに押しつぶされそうになって眠れない日もありました。「バカなことをしたな。何のためにこんなことをしたのか」と思ったりもしました。しかし覚悟して行なったことだから最後まで頑張ろうと自らを鼓舞しました。
ただその時に唯一拠りどころになったのは、多くの方々からの激励の手紙でした。ひとつひとつ返事を書きながらこういう人達の励ましが今の自分を支えてくれているんだと言い聞かせました。もうひとつの支えは、アラブの人達、特にパレスチナの人達の悲しみでした。私は毎日レバノンで、罪のない老人や子ども達が米国とイスラエルの政策で死んでいる中東を見てきました。あの人達の悲しみというものを何らかの形で代弁したいという思いがありました。それも支えになったと思っています。
あの本を書いた経緯はそういったことで、随分長くなりましたが、そろそろ本論に移りたいと思います。アメリカの中東政策は、かつては三本柱でした。そのうちひとつは、ソ連との全世界的な対立です。それがなくなって今は石油資源の確保とイスラエルの安全保障の二つです。アメリカは石油資源を非常に重視していまして、アメリカ自身も産油国ですけれども大変な消費量で、6割ぐらいは海外に依存しています。その最大の依存先がサウジアラビアです。ところがサウジアラビアはオサマ・ビンラディンで明らかなように(イスラム)原理主義者の巣窟になっていて、いずれサウド王制がひっくり返るという危惧を持っています。サウジアラビアの石油に変わる安定的な石油国を探す必要があるわけです。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture03.html
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(回答先: 講演内容(3)「あなたは辞める気ですか?」/拉致問題への対応/出版後のプレッシャー 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:32:28)
最終更新日:2004/03/22
自爆テロの背景
イラクはアメリカだけではなくフランスやロシアにも石油の権限を与えていますから、この際一気にイラクの石油を独占するという考え方はあったと思います。もうひとつはイスラエルの安全保障です。イスラエルのパレスチナに対する姿勢は9.11の同時多発テロ以降強硬になりこれに対してパレスチナの自爆テロも激しくなりました。
そんな中でサダム・フセインは今日の中東では唯一イスラエルに強硬な姿勢を見せておりパレスチナの抵抗組織にも支援をしていました。イラクを親米政権に変えることは米国、イスラエルの共通の目的でした。いわゆるネオコンとよばれるブッシュ大統領の取り巻き連中がユダヤ系であることも関係しています。
イスラエルはテロに対抗するためには何をやってもいいということで、ここ2、3年どんどんパレスチナ人を殺してきました。ヘリコプターからミサイルで直接殺すわけです。まわりの市民や子どもが巻き添えで犠牲になっています。パレスチナ人はアメリカから資金源を絶たれますから、なかなか武器の調達もままならない状況の中で、もうどうしようもなく自爆テロという形になるわけです。自爆テロというのは、2、3年前まではそんなに頻繁ではなく珍しかったのですが、いまや当たり前の状況です。女性の自爆テロも当たり前になってしまいました。男は警戒されますがまさか女性が自爆テロをするとは思わない。その盲点をついて女性が服の中に爆弾を持って自爆するということです。
ちょうど2年前に、17歳のパレスチナの女の子が、スーパーマーケットに入ろうとして係員に呼び止められた時に自爆テロを起こしたのですが、その時ちょうど同じ17歳のイスラエルの女の子とそのお母さんが買物から出てきて、すれ違った時に爆発してみんな死んだわけです。17歳の女の子が17歳の女の子を殺したというのがショックで、『ニューズウイーク』に大きく報道されました。二人の赤ん坊を残してお母さんが自爆テロを起こしたことも先日ありました。ここまで人間を追い込むイスラエルの政策はまちがっていると私は思います。
はじめに戦争ありき
そういうような中で起きた米国のイラク攻撃は、しかしまったく米国の都合で起こされたものです。あれは国益追及のためにはじめから戦争ありきだったのです。
いまでは明らかになりましたが、当時から大量破壊兵器の存在は疑われていました。しかしより重大なうそは、かりになんらかの大量破壊兵器を持っていたとしても、それをサダム・フセインが使うという差し迫った脅威はまったくなかった。国連憲章で認められている武力行使は真にさし迫った脅威があるときの自衛の為の武力行使です。しかもその差し迫った脅威は安全保障理事会の承認が必要である。いずれもあの場合はなかった。ブレア首相もブッシュ大統領もなかなか厳しい状況に今後は追い込まれていくと思います。
そんな大義のない戦争で始まった今、イラクに何故日本が自衛隊を派遣しなければならないのか。私は自衛隊のイラク派遣は本当に間違いだと思っています。日本が自衛隊をイラクに派遣することを望んでいる国はどこにもありません。あるとすればアメリカだけですが、そのアメリカさえも「日本も自衛隊を派遣して協力姿勢を示している、つまり米国だけがイラクを占領しているのではない」ということを世界に示したいだけで、今となっては自衛隊がサマワで何をやろうが米国は関心がありません。それどころかどうやってイラクを安定させようかということで頭が一杯です。
いまイラクは内戦状態に突入寸前といわれています。米国は早く政権を移譲したいのですがイラク人の間の主導権争いはますます激化しつつあります。選挙をして誰がこの国の主導権を持つのか。いま選挙をすると多数決でシーア派が政権を持つわけです。しかし、シーア派が政権を持つと、当然スンニ派が反発するしクルド人も反発します。そしてアメリカにとってもっとも重要なのは、どの政権であれ、その政権が親米政権でなくてはならないということです。反米政権ができてしまったら何のために戦争をしてきたのか、ということになりますから。
そんな状況の中でサマワでの人道援助なんてまるで的外れなことをやっているわけです。今のイラク情勢の全体から捉えてサマワでの支援活動は日本の自己宣伝の意味しかありません。377億円の予算をかけてすることはまず自分達の施設を作ることです。一部の部族に様々な協力をちらつかせてとにかく安全を第一にする。何のための援助かということです。その派遣も明らかに憲法違反ですが国会でのまともな議論がなされない。これが法治国家なのかと疑いたくなるような状況での強引な派遣です。
後ろめたさか、士気が低下
そのような中で外務省はどのような外交をやってきたのか。私が35年間外務省にいて内部からその外交を見てきてことごとく対米追随がすべての外交に優先されてきた。アメリカとの関係も重要ですけれども、時にはアメリカと違った政策を取った方が日本の外交にとって好ましいことがあったと思うのです。しかしながら米国の意向に逆らったことは無かった。それは何故だろう。私はこれは自己欺瞞の外交だと思います。自分自身でもおかしいと思うがそれでも対米追従を繰り返す。こういうことだから仕事そのものに充実感だとか達成感がまるでないのです。
いま外務省は非常にモラールが低下しています。それは結局国民を裏切ってまで対米追従外交をしてきた後ろめたさだと思うのです。これも驚きですが、最近日米地位協定の運用に関する外務省の考え方という極秘書類が出てきました。私はその書類のことは知らなかったのですが、私はある時のちに次官になった人が条約課長時代に作成した安全保障条約の解説書を読んでみろと渡されました。その調書は薄っぺらなものだったのですが、その中に「アメリカほど日本にとって重要な国はない。そのアメリカを、日本が攻撃された時にアメリカは本当に助けてくれるのかと疑うことは失礼だ」というくだりがありました。私は唖然としました。これが条約課長の書いた文章なのかと。そこには法的論理もなにもない、思い込みと言いますか、あらゆる議論がそこで打ち止めになっている。
今度の米国のイラク戦争について「米国を支持するほかに選択の余地がないじゃないか」ということとまったく同じ言い方ではないでしょうか。殺し文句になっています。思考停止です。
今の外務省の幹部の考え方、あるいはOB、御用学者、評論家、みんな彼らが一律に言うのは「アメリカは唯一の同盟国で、歴史的にアメリカ以外の国と関係を持とうとしてうまくいったケースはひとつもない。したがって日米同盟をなくした時点で日本の国益は失われる」と。
岡崎久彦という外務省のOBがいて、彼はいち早くそういうことを言ってきた人です。あの人が書いた『戦略的思考』という本は「要するに弱い者がいくら協力しあって何もならない。強い者と組まないと国益を損なう」ということに尽きます。実利主義、現実主義の極みであり、理想を求める外交を最初から放棄している。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture04.html
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(回答先: 講演内容(4) 自爆テロの背景/はじめに戦争ありき/後ろめたさか、士気が低下 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:35:12)
最終更新日:2004/03/22
『吉田茂の自問』
これに反論する意見が最近外務省のOBから出ました。昨年10月に『吉田茂の自問』(藤原書店)という本が外務省OBで小倉和夫という私よりも7年ぐらい先輩により出版されました。彼は外務省で偉くなって最後はフランス大使までやった人です。
その本は吉田茂が若い課長に命じて、なぜ日本はまちがった太平洋戦争に突入したのか、外務省の責任はどこにあったのか調べさせたのです。そして当時の課長が集まって、3カ月間で日本の外交のまちがいを書いたのですが、その調書が50年ぶりに公開されて、それを小倉さんが検証して本にしたわけです。
その調書が言っていることは、結局、当時軍部が統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)という誰も抗えない特権を持ち出したため外交の余地がなかったということを認めた上でそれでも当時の課長たちは外交そのものが軍部と一緒になって太平洋戦争に突入していったのではないかと自己批判しているのです。
そのこと自体が興味深いのですが、もっと興味深いのは、小倉さんがそれを読んだあと、自分の意見を述べているくだりです。ここまで戦後の外交が日米同盟一辺倒になってしまったことは間違いではないか、これしか選択がないということで正に太平洋戦争に突入していったその誤りを再び繰り返すおそれはないのか、理想を忘れた外交は戦前の外交と同じまちがいを繰り返すのではないかということを言っているわけです。外務省を辞めたといえども枢要なポストを歴任したOBの言葉です。外務省は衝撃を受けていると思います。
地位協定は重要課題
私は昨日、日米地位協定の改定のシンポジウムに参加させてもらって聴いていました。
私は、実は沖縄には1974年の海洋博覧会に来て、それ以来のことです。今こういう形で自由な身になって、日本のこれからのいろいろな外交について考えていきたいと思っている時に沖縄に来て地位協定の問題を考えるのは非常に有益だと思いました。
日米安保条約、そしてその中で一番重要な日米地位協定というのはこれからの日本の外交を考える上で最優先のテーマであると思います。
普天間基地の移転問題、15年問題も含めてまちがいなく政治問題になっていくと思います。
イラク戦争、あるいは拉致問題、この二つにずっとここ1〜2年の外交は終始してきましたけれども、これからはまちがいなく日米安保条約の是非が真剣に問われるようになってくるでしょうし、またそうあらねばなりません。この問題こそ、一体いつになったら変わるであろう日米同盟至上主義の政策の是非の問題であるからです。突き詰めて言えば、それが変わる時は日本外交が変わる時だという認識で私はいます。地位協定の改定を回避し運用の改善で済まそうとする限りこれまでの外交がやってきたごまかしなのです。
本当に外務省が、先ほど申し上げたように国民の方に顔を向けて、アメリカに対して本気で向かい合っていくのかということです。
大田昌秀前沖縄県知事やいろんな方が言っておられるように、アメリカは日本の政府が言ってくれば検討するのです。日本政府が本気で要求すれば、そしてその要求に理がある場合は米国としても取り上げざるを得ないのです。それを日本政府自身が要求を放棄しているのです。
さらに言えば、アメリカのメディア、アメリカの国民を通じてアピールすることが重要であると思います。米国政府がもっとも耳を傾けるのは米国民の声です。もし米国民がおかしいと考えれば米国政府は検討せざるを得ないでしょう。米国民に日米地位協定の不合理性を訴えるのです。アメリカ国民が問題意識を持って意見を言うようになれば、必ずアメリカの政権にも影響を与えていくと思います。
国民が外交を変える
私は拉致問題をめぐる最近の外務省の動きを見てつくづく思うのですが、おそらく初めて国民が、外務省が独占してきた外交を変えつつあるのではないかと。外務省は動きが取れなくなっているわけです。
外務省は、北朝鮮に拉致家族の一部返還を認めさせた見返りに国交正常化を進めようと目論んでいました。しかし国民の感情的反発を読み間違えたのです。これだけ国民が関心を持つと、いま当面は家族の返還の問題ですけれども、まだ存在が分からない横田めぐみさんとか有本さんなどがいるわけで、当然放っておくわけにはいきません。
さらに言えば、100人〜200人という(拉致されたのではと推測される)人達も出てきました。これらの解決無しに北朝鮮との関係を進展させることは難しくなってきました。外務省は困難な外交を迫られていますが、これこそが本来やるべき外交であったのです。やはり情報公開は必要なのです。
最後に、今後日本は政治が変わっていくのかということですが、これには私は悲観的にならざるを得ないのですが、しかしやはり政権交代が国民の手で一度は実現しないと駄目だと思うのです。その意味で民主党を応援しているのですが、どうも民主党はいまだ自民党を倒すだけの力が無いような気がします。しかしだからといって、今のように自民党と公明党によって日本の政策が決められていってよいのか、これは多くの国民の等しく抱いている感情であると思います。これから先は私の話すことではないと思いますが注意深く見ていきたいと思っております。今は国民の選挙への関心が恒常的に低下していますが、本当にこれでよいのか、国民が目覚める日が来ることを期待しています。(拍手)
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture05.html
(私論.私見)