アーミテージの履歴考

アーミテージ,リチャード・L (Armitage,Richard Lee)の履歴
  アメリカの政治家 軍人。ベトナム語が堪能。 妻、ローラ、3男1女の父。多数の養子を養育
 1945.4.26日、米マサチューセッツ州ボストン生まれ。
 1967年、アナポリス海軍兵学校卒。兵学校時代はアメフトとウェイト・リフティングの選手。ベトナム戦争に海軍兵で出征。駆逐艦で勤務
 1973年、退役。5月、U.S. Defense Attache Office(サイゴン)勤務。
 1975.5月、国防総省情報局勤務。〜1976(昭和51)年11月 イラン(テヘラン)勤務。
 1978年、ロバート・ドール上院議員秘書。
 1980年、ロナルド・レーガンの大統領選対外交問題顧問となる。
 1981年〜1983.6月、国防次官補代理(東アジア・太平洋地域担当)。
 1983.6月〜1989.5月、国防次官補(国際安全保障担当)、航空自衛隊次期支援戦闘機(FS-X)開発問題処理を担当。
 1989年、在比米軍基地返還交渉代表。
 1991年、湾岸戦争。ヨルダン特派大使。
 1993年、コンサルタント会社「アーミテージ・アソシエイツ L.C.」を設立し、社長。国防評議会委員、国防政策委員会委員、アメリカ・アゼルバイジャン商工会議所理事。

 2000.10月、政治家や研究者など親日派グループの意見を集約した対日政策「アーミテージ報告」を作成する。将来的なアジア重視の必要性を訴え、日米関係を米英と同様に緊密化することや日本による集団的自衛権行使の必要性を強調した。

 2001.1月、国務副長官。親日派として知られ、米政権で対日政策を担う中心的人物として頭角を現していった。5.4日、日米安保専門議員交流訪米団(団長・久間章生瓦力虎島和夫、前原誠司、東祥三)と会談。アメリカ側はドナルド・ラムズフェルド国防長官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官らが出席。

 5月、来日。5.8日、外務省で植竹繁雄・外務副大臣、杉浦正健・外務副大臣、加藤良三・外務審議官、首藤新悟・防衛庁防衛局長らと会談。5.8日、防衛庁で中谷元・防衛庁長官と会談。首相官邸で小泉純一郎首相と会談。5.9日、ソウルで金大中・韓国大統領らと会談。5.15日、国務省で稲嶺恵一・沖縄県知事、岸本建男・名護市長と会談。6.18日、田中真紀子外相とコリン・パウエル米国務長官の会談に同席。9.11日、米同時多発テロ事件。9.15日、国務省で柳井俊二駐米大使と会談(「ショー・ザ・フラッグ」発言)。
 2002.5.2日、瓦力元防衛庁長官らと会談。5.5日、国務省で村井仁・国家公安委員長と会談。6.6日、パキスタン訪問。パルヴェーズ・ムシャラフ大統領、サッタル外相らと会談。6.7日、インド訪問。8.23日、インド訪問。フェルナンデス国防相らと会談。8.24日、パキスタン訪問。パルヴェーズ・ムシャラフ大統領と会談。8.25日、中国訪問。8.26日、北京で胡錦涛・国家副主席、銭其シン副総理、唐家セン外相、李肇星外務次官、熊光楷・人民解放軍副総参謀長と会談。

 8.27日、首相官邸で小泉純一郎首相、福田康夫官房長官と会談。ベーカー駐日米大使が同席。防衛庁で中谷元・防衛長官と会談。国会で山崎拓・自民幹事長、冬柴鉄三・公明党幹事長、二階俊博・保守党幹事長と会談。

 10.16日、ワシントンで橋本龍太郎元首相と会談。北朝鮮(朝鮮民主主義人共和国)が核兵器の開発を認めたことを明らかにする。

 10.8〜12.10日、日本訪問。12.9日、首相官邸で小泉純一郎首相と会談。福田康夫官房長官、海老原紳外務省北米局長、ハワード・ベーカー駐日米大使が同席。12.9日、川口順子外相、竹内行夫・外務省事務次官とも相次いで会談。

 12.10〜12.11日、韓国訪問。12.10日、金大中・韓国大統領と会談。12.11日〜12.12日、中国訪問。12.13日〜12.14日、オーストラリア訪問。

 2003.1月、任晟準・韓国大統領外交安保首席秘書官と会談。
 1月15日 海老原紳・外務省北米局長と会談
 1月21日 ワシントンで講演
 1月24日 ワシントンで亀井静香・前自民党政調会長と会談
 2月19日 ワシントンで海部俊樹・保守新党最高顧問と会談
 2月26日 国務省で伊藤英成・民主党副代表、前原誠司・衆議院議員と会談
 3月5日 国務省で横田滋代表夫妻ら「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」メンバーと会談
 3月19日(日本時間 20日1130ごろ) 竹内行夫・外務事務次官に対イラク開戦を通告
 5月1日 国務省で麻生太郎・自民党政調会長、額賀nu郎・自民党幹事長代理と個別に会談
 5月7日 パキスタン、イスラマバード着
 5月8日 パルヴェーズ・ムシャラフ大統領、ミール・ザファルゥラー・カーン・ジャマリ首相らと会談
 5月9日 アフガニスタン訪問
 5月10日 ニューデリーでアタル・ビハリ・バジパイ印首相と会談
 9月30日 下院歳出委員会小委員会公聴会で証言
 10月2日 パキスタン、アフガニスタン訪問の予定を延期
 10月5日 アフガニスタン着
 10月5日 カブールでハミド・カルザイ大統領と会談
 10月6日 パルヴェーズ・ムシャラフ・パキスタン大統領と会談
 10月30日 国務省で黄長Y・元朝鮮労働党書記と会談
 11月 イラク訪問
 11月8日 バグダッド市内で記者会見
 12月3日 日本大使館で弔問記帳 (日本大使館員殺害事件)

 タイ、韓国、バーレーン、パキスタンから勲章を授与されている


【アーミテージが、工作員身元の漏えい元と認める

 2006.9.7日、米中央情報局(CIA)工作員身元漏えい事件で、当時、米国務省ナンバー2だったアーミテージ元国務副長官は、自身が情報の漏えい元だったことを認めた。米CBSテレビのインタビューで語った。アーミテージ氏が情報源との見方は以前から出ていたが、本人が公式に認めたのは初めて。同氏は「大統領を裏切り、国務省を裏切った」と語り、身元を漏えいされた元女性工作員のバレリー・プレイムさんに謝罪したことを明らかにした。

 アーミテージ氏はインタビューの中で、イラク開戦後の03年7月、保守系コラムニストのロバート・ノバク記者にプレイムさんは「エージェンシー(CIA)で働いている」と話した。ただ、秘密工作員だったことは知らなかったという。プレイムさんはイラク開戦に批判的だった元ガボン大使のジョゼフ・ウィルソン氏の妻。ウィルソン氏は大量破壊兵器情報が「ねじ曲げられた」とする論文を米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿。情報漏えいはこれへの報復とみられていた。

 アーミテージ氏は全面的に非を認め、03年10月にパウエル国務長官(当時)に辞表を提出したことも明らかにした。同事件では特別検察官が同氏を訴追しないことを伝えている。

 【ことば】CIA工作員身元漏えい事件 イラク戦争に先立ち、ブッシュ米大統領は「フセイン政権がアフリカからウラン入手を図った」と核兵器開発の脅威を強調。CIAに調査を指示されたウィルソン元駐ガボン大使は「根拠は薄弱」との調査結果を公表したが、大統領はこれを無視したとされる。その後、「ウィルソン元大使の妻はCIA工作員」との報道があり、CIA工作員は機密事項であることから政権側が意図的にメディアにリークしたとの疑いが浮上した。これに関して、チェイニー副大統領のリビー元首席補佐官が昨年10月、司法妨害罪などで起訴されている。


【アーミテージのパキスタン大統領恫喝事件】
 新たに又アーミテージのお粗末さが露見した。

 2,006.9.21日、訪米中のムシャラフ・パキスタン大統領は、米CBSテレビとのインタビューで、2001年の同時テロ後、米政府のアーミテージ米国務副長官から概要「対テロ戦で米国に協力しなければパキスタンを爆撃する。爆撃される準備をしておけ。石器時代に戻る準備をしておけ」と脅しを受けたことを暴露した。副長官は、パキスタンがアフガニスタン国境付近に持つ基地を米軍に引き渡し、国内の反米感情を抑えることなどを要求したという。大統領は要求を「無礼だ」と思ったが、国益を考えて協力に応じたとしている。CBSによると、副長官は発言の表現に誤りがあると反論しているものの、強い調子で要求を伝えたことは否定していない。




(私論.私見)