アーミテージ・特別レポート考 |
「アーミテージ・レポート」を解析する。「有事法制・イラク特措法・憲法改正・・・とアメリカの戦略」その他を参照した。「アーミテージ・レポート」をなぜ重視せねばならぬかというと、「アーミテージ・レポート」で確認された戦略戦術がいわば超法規的に押し付けられており、目下小泉政権がこれに全面屈服を強いられている故である。このまま日本人民が無抵抗であるならば、「アーミテージ・レポート」がそのまま「明日の日本像」になりそうである。それで良いのか良くないのか、これを本サイトで分析しようと思う。 2004.3.15日 れんだいこ拝 |
【「アーミテージ・レポート」の文書的性格】 |
(時事通信記事より) 【ワシントン11日時事】200.10.11日に発表された「米国と日本―成熟したパートナーシップに向けた前進」と題したアーミテージ元米国防次官補らのグループによる対日政策提言の要旨は次の通 り。これにれんだいこ分析を加えた。 2000.10.11日に、「このレポートは米国と日本のパートナーシップに関心をもつ(米国の)超党派研究グループの全員が合意した見解を表明するものである。これは政治的な文書ではなく、グループの見解に過ぎない。公表する狙いは、我々が重要と考える米日のアジアとの関係に首尾一貫性と、長期/計画的な方向性を注入することに尽きる」とある。 この研究グループとは次の16人である。 リチャード=アーミテージ(アーミテージ共同研究グループ)、 ダン=E=ボブ(W・ロス上院議員事務所)、カート=キャンベル(戦略国際問題研究所)、マイケル=グリーン(外交問題評議会)、 ケント=ハリントン(ハリントン・グループ有限会社)、 フランク=ジャヌージ(上院外交委員会民主党スタッフ)、 ジェームズ=ケリー(戦略国際問題研究所)、 エドワード=リンカーン(ブルッキングス研究所)、 ロバート=マニング(外交問題評議会)、 ケビン=ニーラー(スコウクロフト・グループ)、 ジョセフ=ナイ(ハーバード大)、 トーケル=パターソン(ジオ・イン・サイト社社長)、ジェームズ=プリュジスタップ(国防大学)、 ロビン=サコダ(サコダ共同研究グループ)、 バーバラ=ワナー(フレンチ&カンパニー)、 ポール=ウォルフォビッツ(ジョン=ホプキンス大学)。 |
【「アーミテージ・レポート」のアジア観、日本の位置づけ】 |
次のような見解を披瀝している。アジアは今、歴史の転換期における陣痛の苦しみの中にある。アジアは米国の政治・安保・経済・その他国益のために、非常に重要な場所である。というのは、世界の人口の53%、世界経済の25%、米国との貿易額が年間6000億ドルを占めるアジアは、米国の繁栄を左右しているからである。日本とオーストラリアから、フィリピン、韓国、台湾、インドネシアなどに至る地域の国々は、政治的には全体として民主主義の価値を謳歌している。ひとり中国のみは重大な社会的、経済的転換に直面しているが、結末はまだ不透明である。 ヨーロッパでは少なくとも今後20〜30年間は大戦争は考えられない。しかし、アジアでは紛争の見通しは遠のいていない。この地域には次のような特色がある。世界最大、かつ最新装備の軍隊のいくつかが存在すること、核武装した(複数の)大国、その能力をもつ国々が存在することだ。米国を大規模な紛争に巻き込む敵対関係は、朝鮮戦争と台湾海峡にいつなんどきでも起こりうる。インド亜大陸もまた、主要な発火点であり、どちらも核戦争にエスカレートする可能性を秘めている。世界第四の大きな国であるインドネシアで混乱が絶えないことも東南アジアの安定を脅かしている。米国は地域の国々とは2国間安保の一連のつながりで結ばれており、それが地域の事実上の安全構造になっている。 将来、大いに有望だが危険を内蔵するこの地域において、米国の2国関係は今までにまして重要である。世界第2の経済大国であり、優秀な装備と有能な軍隊をもち、そして民主主義の朋友でもある日本は、米国がアジアに関わりをもつ場合の要石(かなめいし)であり、米日同盟は米国のグローバル安保でもその中心に位置しているからである。 日本もまた、今や重要な転換期にさしかかっている。つまり、グローバリゼーションという大きな力に突き動かされて、日本は第二次世界大戦のあと以来といえる社会的・経済的変動のさなかにいるのである。日本の社会や経済や国家意識や国際的な役割に関して、日本は明治維新のときのような根源的な変動を経験しつつある。 この大転換がどんな成果を生むか、まだ十分に理解されていない。明治維新によって生まれた近代国家の潜在的能力を西欧諸国が過小評価したのと同じである。まだ十分に外部からは見えないが、当時に劣らぬ深い意味をもった転換が起こっている。米国にとって重要なのは、今日本に起こっている大きな変動の上に立って21世紀の同盟を強化し、再構築することである。 第二次大戦後、日本はアジアで積極的な役割を果たしてきた。高い教育を受けた進取的な有権者による円熟した民主主義によって日本は平和的な政権交代を地域に見せつけてきており、用意周到な外交と経済的な関わり合いによって地域の安定と信頼関係の構築に寄与してきた。 日本が地域における活動を高めている証拠としては、次のような動きがある。90年代初期におけるカンボジアでの国連平和維持活動への参加、各種の防衛交流と安保対話、ASEAN地域フォーラムへの参加、新たなASEANプラス3(日本・中国・韓国)のグループ作りなどである。とりわけ日米同盟は地域の秩序の基盤となった。 我々は6つの重要な米日関係の要素について考察した。そして21世紀に向けて、今後も長く続く同盟関係の基礎を作るために超党派のアクション・アジェンダ(行動要綱)を提案する。 |
【「アーミテージ・レポート」の要旨】 |
レポートは、1・日米関係、2・政治、3・安全保障、4・沖縄、5・情報、6・情報、7・経済関係、8・外交、9・結論の9部構成となっている。 |
【「アーミテージ・レポート」の各論】 |
【日米関係】Post-Cold War Drift {冷戦後の(米日関係の)漂流} |
西側の幅広い同盟のパートナーとして、米国と日本は冷戦に勝利するために一緒に行動し、アジアにおけるデモクラシーと経済発展の新しい時代の先導役として互いに助け合ってきた。しかしそれに成功したあとで、米日関係の道筋は焦点と団結を失ってさまよいだした。現実的な脅威と潜在的なリスクに直面しているのにも関わらず、である。 ソ連の封じ込めという戦略的な縛りがなくなると、ワシントンも東京も2国間同盟の現実的で、実利的で、重要な必要性を忘れてしまった。両国の提携と共通の目標のために代用品を探す善意の努力はしてみたものの、生まれたのは散漫な対話だけで、共通の目的をはっきり決められなかった。両国間の安保の新しい概念を探る努力は続いたが、2国間の安全保障の結びつきを再定義し、再活性化することはできなかった。 共通の焦点や追及案件の欠如が米日間で目立ってきた。日本人のある者はアジア化の観念に魅入られ、経済的な相互依存や他国主義的な制度によって地域がヨーロッパと同じ道筋をたどれるという希望にとらわれた。一方、米国では多くの人々が冷戦の終結を、経済優先へ戻る好機と見た。 90年代初期は両国間の緊張、特に日本の市場への(米国の)参入をめぐっての緊張が高まった時期であった。米国人の一部は日本から仕掛けられた経済競争を脅威とみた。しかし、約5年前から貿易をめぐる緊張関係は薄らいできた。日本の経済的な辣腕ぶりに対して向けられてきた嫉妬と懸念は、同じ日本の不景気と増大する財政危機に対する戸惑いに変わった。 どちらの国も同盟関係を再定義し再活性化する必要性に関心を向けなかった。そういう間柄を異としなかったのである。米日関係の漂流が止まったのは、90年代半ばの朝鮮半島危機であり、それに拍車をかけたのが沖縄の少女暴行事件であった。両事件が両国の政策立案者の注意を捉えたのである。 朝鮮戦争危機と沖縄レイプ事件は、米日関係をなおざりにするといかにその代価が高くつくか、遅まきながら彼らに悟らせた。さらに96年3月の台湾海峡危機が、太平洋の両側の米日両国に2国間同盟を再確認させる刺激になった。 96年の米日安保共同宣言は、ワシントンと東京をして同盟の刷新強化に注意を向けさせる方向に大いに歩を進めた。その結果、日米防衛協力のためのガイドラインの改定、96年の沖縄のSACO報告、TMD研究での協力合意が実現した。しかし、96年の米日安保宣言は単なるシンボルに留まり、高いレベルの支えがなく、孤立してしまった。米国と日本は再び、とげとげしく貧しい政治的協調関係に戻った。 米日関係の悪化のコストは、目に見えない場合もあれば、よく目に見える場合もあった。90年代末までに、多くの米国の政策立案者は日本に対する興味を失ってしまった。日本がもはや建て直し不能のように見えたからだ。実際、長引く不況に日本の当局者さえ元気をなくし、意気消沈していた。 東京では多くの人々が、ワシントンを傲慢で、自分の処方箋が他人の経済・政治・社会の万病に効くものではないことが分からない連中だと思っている。多くの政府当局者やオピニオンメーカーたちは米国のやり方を商売でも経済的利益でも自己本位だと考え、グローバル化でも自分のやり方を押しつけてくると腹を立て始めた。 アジアで米国の注意と関心が他の場所へ移ったのは既にはっきりとしている。特に最近になって、米国の政策立案者たちの主要な関心は中国との2国間関係に注がれている。89年の天安門広場における民主主義支持層によるデモ以来の一連の危機によって特徴づけられる米中関係である。 ワシントンも東京も、96年の米日安保共同宣言が取り上げた安保の議題をその後積極的に推進しようとしなかった。というのは、米日安保の再活性化に対しての北京の敵対的反応を恐れたからである。 北京は米日の同盟関係を、「中国の地域外交を束縛しようとするワシントンの幅広い努力の中の重要な要素の一つとみなしている」と明確な言葉で公言してきた。そこで、中国との関係改善を望んできた米国と(米国ほどの必要性に迫られてはいなかったが)日本は、封じ込め政策と見られるようなことは避けるかのごとく振る舞いたかったのである。 事実、米日間の唯一の積極的な安保対話といえば、北朝鮮を孤立状態から引っ張り出すためうまく説得しようとする相談の際の副産物として登場するぐらいであった。米国・日本・韓国は、ピョンヤンに対しては三国の協力と団結がもっとも効果のあるやり方だということでは一致している。 (米日両国が)自信を喪失し、あやふやで、方向を見失っていた時期の以上の記録は、一つの原因によるものではないし、なぜそうなったのかを、単純に非難できない。むしろ以上の経過から米日関係を改善、再活性化し、再び焦点を当てる時期が来たとの新しい認識をもつべきである。 米日がアジアにおいて不確実な安保環境に直面している現在、両国の国内では政治的な転換と重大な変化が起こっている。米国では新しい政権の登場であり、日本では経済・政治・社会的な転換の過程が継続している。同時に、中国とロシアでの政治・経済の不確実な状況、朝鮮半島のデタントのもろい性格、インドネシアの長引く不安定・・・。これらが米日の共有する難題である。 日本が傾きかけて元へ戻れないと論ずる人々は、米国の力が国際舞台で退潮気味だとの記事を信じたのがわずか10年前だったのを思い出すとよい。しぶとい日本の力を過小評価するのが無謀であるのと同様、一部の日本人が80年代から90年代の間、米国が蓄えている底力と持続力を見くびったのは賢明なことではなかった。 |
【政治】Politics (政治) |
一、日本で進行中の変化が最終的により強力で反応の早い政治的、経済的システムを生み出すなら、今後の地域的、世界的舞台において、相互に支援しながら建設的役割を演じるわれわれの能力は強化される。 この10余年、与党の自民党は次のような状況に直面している。内部分裂・既得権益集団の衝突・重要な選挙区での票割れの拡大・・・などである。それでも自民党は衰えた権力にしがみついてきた。 |
【安全保障】Security (安全保障) |
一、集団的自衛権(の行使)を日本が禁じていることは、同盟関係にとっての制約である。この禁止が解かれれば、より緊密で効果
的な安保協力が可能になる。しかし、この決定は日本国民だけが下せるものだ。 一、軍の展開に関してどのような調整をするにしても、人為的な数字に基礎を置いてはならず、地域の安保環境を反映させなければならない。 一、われわれは、米軍の能力を維持できる限りにおいて、日本における米軍の足跡(フットプリント)を削減するように努力すべきである。 アジアでの賭けの成否は非常に大きいので、米国と日本が共通の認識を育み、21世紀における両国関係における両国関係に関して取り組みを進めることが急務である。 我々が提唱した日本の役割の拡大について、今後米日両国で有益な議論がまき起こるであろう。その際、米政府当局者や議員は日本の政策がどんな場合でも米国の政策と同じとは限らないことを悟らされるだろう。今や、バードン・シェアリング(費用分担)が、パワー・シェアリング(力の分担)へと進化すべき時期である。次期米政権はこの問題に時間をかけなければならぬ。その実現のためにどうしても必要だからである。 |
【沖縄】Okinawa (沖縄) |
一、米国は(アジア・太平洋)地域全体における海兵隊のための、より広範かつ柔軟な展開と訓練地の選択を考慮しなければならない。
在日米軍の約75%が沖縄に集中している。これは安全保障上と、もう一つ距離上の理由からである。沖縄は東シナ海と太平洋が接する場所に位置し、韓国・台湾・南シナ海へ飛行機でたった1時間だ。 |
【情報】Intelligence (情報技術) |
一、米国の政策立案者と協力して、中央情報局(CIA)長官は、日本の国家安全保障上の優先的な問題に適合するような方法で、日本との協力を広げるように努力すべきだ。
東アジアにおける米日両国に対する潜在的脅威と目に見える危険の性質の変化は、情報技術能力の面でもより一層の協力と統合を必要としている。 米国の情報技術分野での協力関係を強化するために、東京は次のような基本的措置をとらねばならない。 日本が将来の防衛上の諸問題と取り組み政府を再編するにあたって、米日の情報技術協力関係を密室の中からおもてに出すときが来ている。 |
【経済関係】Economic Relations (経済的な関係) |
一、日本の持続的な経済成長回復は、市場開放に依存しなければならない。 日本に市場を開放させ、構造改革を促すために米政府が主導権を発揮する能力は低下している。米国は不十分な改革が米国の会社に悪影響を及ぼす時か、世界経済を危うくする時にのみ妥当な関心をもつ。この分野では立派な企業統治基準や事業運用の透明度を作り出すことなどで米政府は注目と行動を続けてゆく。 |
【外交】Diplomacy (外交) |
一、外交分野で日本が独立のアイデンティティーを模索することは、米外交と対立するものではない。実際、日米両国は、同様の全体的な外交目標を大いに共有している。 一、米国は日本の国連安保理常任理事国入りを引き続き支持すべきである。ただし、そこには日本が取り組まねばならない集団安保の義務が存在する。 これまでずっと米国は日本が次第に国際的に大きな役割を果たすようになるのを励ましてきた。大体のところは、日本は米国の激励に応えてきたと言える。とりわけ人道的救援や、安全保障の非伝統的な分野(戦闘行動以外の分野)で日本はそうしてきたのであって、その多くが米国の活動への協力の形であった。 世界第2の経済規模である日本は現在の経済状況を、海外援助政策を後退させる言い訳にしてはならない。与える側より受け取る側の立場を大事にする政策をやめてはならない。日本人はアジアにおいて経済成長とオープン性を推進すべきである。円の国際化という東京の要求は、日本の財界マーケットの透明度が増した時にのみ成功するであろう。 |
【結論】 |
Conclusion (結論) 150年近く前にペリー提督の黒船が東京湾に来航して以来、米日関係が日本とアジアの歴史を作ってきた。将来はどうあれ、これは確たる事実である。 |
(私論.私見)