永田洋子様
季節外れの雪がふき、山々は急に冬景色になりました。刑務所の冬は過ごしにくいことと拝察します。
はじめてお手紙を出します。私は九州の福岡県の片田舎で内科のクリニックを開いている医者です。先日書店で貴方のお書きになった「続一六の墓標」を読み、手紙を書いています。この本を読んでみようと思った理由は、もちろん昨年のオウム真理教の事件を通して、二五年前の連合赤軍事件をもう一度考え直さなければならないという思いに駆られたからでした。おそらく同じ気持ちでこの本を手に取った人は少なくないと拝察します。
私は一九五〇年生まれです。あの事件―もちろんそれは浅間山荘事件ではなく、そのあと明らかになった山岳ベ−スでの集団リンチ殺人事件のことですが―が起きたときのショックは、今でもまざまざと思い出すことが出来ます。
それまでも、限りなくエスカレ−トする内ゲバに、学内の支持を失いつつあったとき、山岳ベ−スでの集団殺人のニュ−スは、誇張ではなく、新左翼への信頼を一夜にしてすべて失う結果となりました。それまでは「じぶんにはできないがよくやっている」という同情の雰囲気があったものが、「馬鹿なことをやっている」という嘲笑の声に変わったのでした。
正直に申し上げて、今まで私は連合赤軍事件の当事者に対して、被害者意識を持っていました。連合赤軍の当事者こそ運動の破壊者だという気持ちでした。そのかぎりでは、連合赤軍事件は私にとってあくまで外的なもの、自己の過ちとは関係のないものと思われたのでした。しかし、オウム真理教の過ちを見て、これは私たちが二五年前のことを正しく思想化し、あとの世代に伝えなかったことが原因であると思えたのでした。
その気持ちで読み始めましたが、正直申し上げて読みやすい本ではありませんでした。「共産主義化」なる言葉の意味するものも飲み込めませんでしたし、革命左派と赤軍派の路線の違いなども、事情を知らないものにとっては分からないし、またほとんど興味のないものでした。これは一つには「一六の墓標」の方を読まないままに、こちらを手に取ったせいなのかも知れません。ようやく後半になって貴方が共産党宣言の英語版の翻訳に取り組まれ、連合赤軍の過ちに気付く部分で、その誠実さに感銘しました。
貴方が党派主義と呼ばれる物―私はその根拠はレ−ニンにあると思っていますが―こそレ−ニン・スタ−リンによるロシア人民の大量虐殺を引き起こし、毛沢東による大躍進運動による大量餓死、また文化大革命なる大混乱を起こし、更にポルポトによる自国民大虐殺を引き起こしたものだと思います。
ただ、スタ−リン主義の根拠として生産力の未発展を指摘し、党派主義に対して自由な近代的個人を対置することが、ほんとうに二五年前の総括として十分なものかどうか、誠実なお人柄だと言うことは分かるとしても、私には疑問です。
なぜあれだけ多くのひとが共産党宣言を読みながら、そして「科学的社会主義を身につけた」と自負しながら、貴方の言われる反動的社会主義、小ブルジョア的社会主義に堕したのか、そのメカニズムの解明が不十分ではないかと思えるのです。連合赤軍事件を通して私達がほんとうに知りたいこと、ふたたび同じ過ちを繰り返さないために必要なのは、まさにそのことではないでしょうか。その議論が不十分なために、結果として、思想が正しくなくとも路線が正しければいいと言う言葉が出てきたのではないでしょうか。
一つには、私たちはもはや生産力の発展を手放しで肯定することは出来なくなったということです。人口問題、公害問題、食糧問題、温暖化などを通じて、生産力の発展と人類の生存が鋭く対立していることが明らかになり、いかにして持続可能な生産システムを構築するのかが今問われているということです。その限りにおいて、マルクスの思想の再点検、特に生産諸力の発展の意味するものを吟味し直す作業が、ぜひとも必要だと思えるのです。
もう一つはプロレタリア独裁なるものが、マルクス主義の正当な路線であるものかどうか、疑問があること。プロレタリア−ト独裁を、馬鹿の一つ覚えのように、マルクスの共産主義論のなかから、彼の議論の文脈から切り離して、金科玉条のごとく振り回したのは、レ−ニン及び其の追随者だったということです。
なるほどマルクスもパリコミュ−ンの経験から、プロレタリア−トの独裁を社会主義革命の一つの形として肯定をしています。しかしそのマルクスが、エンゲルスとの私信の交換で、パリコミュ−ンを指導したバク−ニン派が消滅したことをパリコミュ−ンの最大の成果と述べていること、つまりコミュ−ンが失敗に終わったことを革命の最大の成果と述べていることをどう説明するのか、少なくともレ−ニンや毛沢東ばりのプロレタリア独裁論からは説明は付かないはずです。
つづめていえば、革命は「なるもの」なのか「作るもの」なのかということです。作るものであるならば、レ−ニンがやったように武装し、強盗をやり、陰謀をたくらむことが肯定されます。「なるもの」だとしたら、自分たちがなにをすればいいのかがわかりにくいということになります。
もう一つよく分からなかったことなのですが、裁判の路線として「革命運動上のことだから無実」という主張をされたのかどうか。もしそうならば大変なことだと思います。
「革命運動」を理由にして、リンチを行っても刑事訴追を免れるという主張をされるかたに権力を握ってもらったら、われわれの未来はなくなります。死刑を許さないということは、みずからがした死刑も絶対に許さないこと、市民社会に生きている者として刑事訴追を甘んじて受けるということを抜かしては、絶対に成り立たないと思うものです。
たとえ、当時の連合赤軍と政府が戦争状態にあり、その異常状態では、通常の刑法の罰則規定は当てはまらないと主張されるとしても、それは裏返すならば、緊急事態での国家による市民的諸権利の制限もやむを得ないという「戒厳令の思想」の肯定に道を開くものではないでしょうか。
約七年前の本を題材にしてひとを批判するのはどうかとも思いますが、今の永田様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。
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