言霊考 |
更新日/2018(平成30).12.10日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、言霊について確認しておく。思うに言霊は、世上一般で云われている如くなオカルト的なものであってはならない。言葉が世界の事象に対して伏せられた音声であることを踏まえるならば、その摂理を深く味わうことは当然であるという弁えが欲しい。これを、言葉の魂と云う。つまり、言葉には魂が込められているということになる。これを否定する者の感覚が分からない。 2009.4.8日 れんだいこ拝 |
【カタカムナ文字に於ける言霊(コトダマ)考】 | ||||
「ウィキペディア言霊」は次のように記している。
カタカムナ文字には言霊(コトダマ)思想が認められる。48音は世界事象を分類して写音字化した声音符であり、世界事象には八百万の神々が宿っている。即ち、それを声音化したカタカムナ文字の一音一語には精霊が宿っているとしている。これを言霊思想と云う。身の内は世界事象と通じており、いわば小宇宙と大宇宙の関係にある。人体の陽の十二の経絡とツボの裏・表、陰の十二の経絡とツボの裏・表、合計四十八の経絡とツボは、言霊の神々と人体が共鳴しあう窓であり道であり要の地ということになる。 カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)のデータバンクにある世界の499言語の統計によると、言語の平均音素数は31.。英語が45、仏語が36、ハワイ語は13。日本語の音は20〔母音が5、子音が13、半子音が2(y.w)〕。日本語は、ほかの言語と比べてはるかに少なく、音声面においては世界でも珍しいほど簡単な言葉であるといえる。 「カタカムナ48音」の具体的な生成過程は分からない。云えることは、カタカムナ文字の48音はそれぞれ数理的哲理的意味づけされているということである。これを思えば、カタカムナ言語より発祥する日本語は世界史上に珍しい哲理文字という範疇に入れられるべきかも知れない。とにかく独特の文字となっていることが判明する。 そのカタカムナ言語は、言霊思想に特徴がある。言葉の意味そのもの且つその音には、発する者やその場の魂や霊を清め磨く意味が有る。あるいは逆に禍々しき魂や霊を追い払う働きがある。言葉のこの威力を熟知して呪文や祝詞、詔が生み出されている。但し、その原意については様々な見解がある。 他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。旧約聖書の「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、新約聖書では「希: Πνεύμα」(プネウマ。動詞「吹く」(希: πνεω)を語源とし、息、大いなるものの息、といった意が込められる)というものがある。「風はいずこより来たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる」。この「風」と表記されているものが「プネウマ」である。この言霊の威力が様々に形容されている。例えば、「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」等々。 |
||||
万葉集の歌に、「言霊」とか「事霊」という言葉が使われているが、これは、万葉人が言葉に精霊がヤドルと考えていたことを示すものである。古代日本人は、言葉は宇宙事象を哲理的に表現した発生音であり、この発生音には宇宙事象の霊妙な力が宿っていると考えていた。このような言霊思想のもつ呪力信仰は、さまざまな習俗となって伝承されている。連続した唱え言たる呪詞は、言霊そのものである。
言霊が事霊とあるのは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が古事記では「言代主神」と書かれている箇所があることでも確かめられる。 自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば、古事記において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出合ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。 言霊の力は、めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言葉は不吉な結果をもたらす、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだとしていた。これを「言霊信仰」と云う。言霊とは、本来悪に作用するものでなく、善に作用する物である。言霊に神霊が宿る以上、言霊は神であり、人間の為の善でしか作用しない。だから、言霊を悪用すれば、その人の運命も悪運になる。何事も自然の摂理に合わすことが肝要と云うことになる。 |
【その後の日本語に於ける言霊(コトダマ)考】 |
カタカムナ文字はその後、様々な和語と融合しつつ発展し、更に漢字を受け入れることで、平仮名、カタカナを生むことで更に発展した。注目すべきことは、この間一貫してカタカムナ文字的言霊感が根付いて伝播されているいることである。但し、日本語には、その融合により、カタカムナ的言霊感と様々な和語的言霊感と漢字的言霊感が入り混じっているので、それを識別しつつ整合的に理解しなければならない。そういう弁えガ必要だと思われる。実際には、カタカムナ言語的言霊感より漢字的言霊感が言霊の名で理解されているきらいがある。間違いではないが、カタカムナ言語の言霊感を基底に据えたいと思う。 |
【50音の行の意味、語感考】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「日本語の意味の構造」参照転載。
|
|
(私論.私見)