カタカムナ文字の熟語解析考1 |
(最新見直し2009.3.25日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、カタカムナ言語を解析する。「楢崎研究所」の「楢崎皐月の経歴」、「楢崎皐月(ならさき こうげつ)」、「楢崎皐月(ならさき さつき)」、「カタカムナと楢崎皐月」、「相似象学会誌一覧」、「超科学書「カタカムナ」の謎」(広済堂ブックス)、「土蜘蛛正統記」、「潜象道シリーズ」その他を参照する。 2009.3.19日 れんだいこ拝 |
(暫し借用、次第に、れんだいこ言葉で書き換えます)
【「アメノトコタチ」】 |
アメノトコタチとは、アマからメが出るようにアマから分かれて 現象に出た微小なマリがノ(変遷)してトコのタチとなることである。アメノの図象符を構成すると、その図形は「大円に十」となり、万物万象が陰陽親和して大円の中に内包されている状態であり、それが小円三個で現象化(ヒの日の出のように)しようと変転していることが示されている。様々な変化の姿を示すアマ界に於いて、現象に現れた潜象粒子が次々と四相性、方向性を以つて發生し、 潜態のまま進行することを示す。トコのトは重合。コは、ココノツのコ即ち九であり、ものごとが繰り返されること。トコとは、カムウツシ(縦線)とアマウツシ(横線)の重合トがヤ まで進み、そのことが更に一段上に廻って、又ヒから繰り返されるという思念である。タチとは、トコタチのタチ。ワからカが分離独立して持続している思念。トコタチとは重合の繰り返しのタチ。トコのタチとは、アウノスベ則ち正.反重合発生の繰る返しの性質(タチ)、則ち「互換重合性」と、楢崎皐月は訳した。 |
【「アマノミナカヌシ」】 |
アマノミナカヌシとは、基底思念でよめば、カム(潜象)から現象(アマ)に変遷したミのナカの目に見えぬ主(ヌシ)である。アマノミナカヌシは、神道では「天の中心の最も根本の大神」、科学では「原子核」に当たる。 アマとは現象。あらゆる現象(アマ)は、我々の生命も万物万象の存在もすべてカム、アマから トキ して(ウマシ タカカム)、様々に変遷して(アシカヒヒコ)、発現した トコロであると考えていた、(そして發生した現象は、一回だけの非可逆性のものではなく、すべての現象はやがてアマに還元する循環系、則ち連続的可逆性のモノ として把握していた。アマは膨張、収縮性であるといつては間違いで、アマにあるのは「ソコ、ソギ」の性である。アマは、カが現象にア=あらわれた 大きなマ則ち「カ」の変遷のマである。 アマノは、それぞれの声音符を解読すると、マノが始まっているということであり、マノは、マカタマノのマノと同じで、カから動き出して、正反、四相に旋転変遷することである。ミナカのミナのミは、陽の極即ち真昼で「正」ある。ナは、陰の極即ち真夜中、「反」を表示している。 そこでミナカとは 、根源からタマノと正反、四相に旋転変遷し、次に、ミからナへと循環し、極点を過ぎて、又、カへと還元すると思われる。 「ヌシ」とは、ヌの小円がヤの変遷循環の終極限を意味し、それがシで、そこに存在していることを示す。 要約すると、アマノミナカヌシとは、カが動き出し変遷旋転しながら、ヤの変遷循環の終極限を経て、カに還元し、そこに潜態のまま存在することを示しているということになるか。 なお、アマノ、ミナカ、ヌシを総合した図象符「アマノミナカヌシ」の図形を見つめていると、 小円がフとムの小円の場所にだけ付されていない。この二箇所が付されると、四十八の声音符を総合した「カタカムナのヤタノカカミ」図象符となるののだが、この二箇所の欠乏は何を意味するのだろうか。「四十八の声音符」のうち、この個所に小円が付されている声音符は、フ、ム、ク、ロ、セ、ヱ、オ の七つだけである。この七つの図形を見つめながら解読して、要約してみると、『現象に一歩踏み出てはいるが、なお大部分は潜態で、「オク」に控えている』、といった感じである。この「感じ」を押しすすめると、この二個の小円の欠除は、その「反」の意味、則ち、『現象に「ヒ」「ミ」と 出てはいるが、なお、「ヌシ」のところで、潜態のままの存在を続けている』ことを示しているのではなかろうか。 この「感じ」を採用して、アマノミナカヌシを解読すると、、アマノミナカヌシとは、カが動き出し、 変遷旋転してはいるが、なお其の潜象カムはヌシで、そこに潜態のまま存在し続けていることを示している。カのチカラのかかわりが、ヒフミヨイムナと何回も繰りかえされるにつれ、そのものとして定着し 名がつけられ、又種々な段階や変化性(七変化)が現れることを抽象した声音符ということになるか。 |
【「アウノスベシレ」】 |
アウノスベシレとは、ヒフミヨイの潜象の生命(サヌキアワ)のマリが、アウ(重合)して、新しい生命のマリを発生するというフトマニ(対向発生)のことである。シレは示されることの意。 |
【「カムミムスヒ」】 |
カムミムスヒとは、タカミ(現実の生命体ノミ)とカムミを繰り返し発生するヒの意。ムは、太陽を例示とするならば、太陽は没して真夜中に近づいている状態。ミは、真昼の太陽のようなチカラの充実を表示している。スは、小円がヤと同一点だから、真夜中も過ぎて循環点ヒに近づいている。ヒは、小円が横線の右だから、昼夜の転換線(横線)の右(陽.太陽)に向かうことの暗示と思う。 以上を要約すると、カムミムスヒとは、大円.○のなかに内包されている森羅万象(充実したミ)が、目に見えない夜中(潜態)をめぐり動いてスに到達、いよいよ現象へ(日の出へ)と発生するということである。ヒの意味は、別に、「ヒとは、あらゆる現象の根源(カ)であり、あらゆる現象の始元(ア)である。という思念が、こもっている」という二つの面がある。 「カムミとタカミについて。位置は前後するが、カミは、カムミとタカミのどちらにも構成されている。そのカミにムが付されている場合は陰であり、タが付されている場合は陽である。何故かならば、ムの図形は、陰を示す下半円であり、タの図形は、横線で分離されてはいるが、陽の上半円が付されたままであるからである。則ち、カムミとタカミは、陰陽正反の対向を為しているのである。 カムミのムは先に位置せず、カの次に隠れて陰(ムの図形から見ても下半円の陰)、 それに対向するタの方は、堂々と先頭に立つ「陽」(図形も陽)である。 |
【「タカミムスヒ」】 |
タカミムスヒとは、タカミとカムミ(生命力のアマナのミ)を繰り返し発生するヒの意。カは、正反の重合した十にヒと同一点に小円が付されているから、正反重合の潜態(万物万象)からの発生を意味する。「ミは、真昼の太陽のようなチカラの充実を表示している。ムは、真夜中に近づいている状態。スは、小円がヤと同一点だから、真夜中も過ぎて循環点ヒに近づいている。ヒは、小円が横線の右だから、昼夜の転換線(横線)の右(陽.太陽)に向かう、ことの暗示と思う。 以上を要約すると、タカミムスヒとは、大円.○のなかに内包されている森羅万象(充実したミ)が、分離して、目に見えない夜中(潜態)をめぐり動いてスに到達、いよいよ現象へ(日の出へ)と発生する(ヒ)ということである。ヒの意味は別に、「ヒとは、あらゆる現象の根源(カ)であり、あらゆる現象の始元(ア)である。という思念が、こもっている」という二つの面がある。 |
【「トキトコロウシ」】 |
トキトコロウシとは、その現象粒子イカツ(電子。正孔)やウキフネ(陽子。中性子)の占める時間(トキ)空間(トコロ)の位置と、始元量アマとが通じ重なる位置のことで、ウシにおいて、イサキ(元気)はアマウツシに転換する。粒子性起素量位置素量。ウシのウとは、潜象から現象が發生する界面を意味する。界面とは、水が蒸発して気体となり、凍つて固体となる時の鏡界面のように、その状態の変化は 明らかに見られるが、その変わりメは、どんな早いカメラでもとらえられない。そのような現象 と潜象の境いメを、カタカムナ人はウという声音(ヒビキ)にうつしたのである。シとは、「シめされて現れたもの」(現象)と、「それをシめしたヌシ」(潜象)の二つを暗示している。 トコのトとは、 (第十号、第一首、二十九頁)---重合。コとは、ココノツのコ、「九」であり、ものごとが繰り返されることカムウツシ(縦線)とアマウツシ(横線)の重合(ト)がヤ まで進み、そのことが更に、一段上に廻つて、又「ヒ」から 繰り返されるという思念である。 |
【フトタマ】 |
フトタマとは、フタツのチカラの重合によって生まれ出たのがフトタマ。カムとアマのフトによつて發生したもの。フトタマノミミコトとは、カとミ(カムナとアマナ)のフト(重合)したタマの変遷した生命体(ミコト)。 ヒ(アメともマリともいってよい、極微の粒子が重合を繰り返してフミの重合マリとなる、則ちこれがフトタマノミミコトである。フトマニ図象から直訳すれば、「フタツのスガタが、ヒトツのタマに実のったモノゴト)ということである。 |
【「フトタマノミコト」】 |
フトタマノミミコトとは、カとミ(カムナとアマナ)のフト(重合)したタマの変遷した生命体(ミコト)の意。フとは、ヒのサヌキアワのマリが正反重合して発生したもの。ミとは、フのサヌキアワのマリがヒの正反のマリと重合して発生したもの。ヨ、イの実質は、ミに重合するヒのマリで、ミの実質と同じである。ミはまだ潜象であるが、ヨイは、ミが、現象の粒子(トコロ)になって発生(トキ)する為に必要なマリであるから、トキ.トコロのマリともよばれる。 イは、現象物の生命質の最小単位の粒子でイカツともよばれる。ヒ(アメともマリともいつてよい極微の粒子が、)重合を繰り返してフミの重合マリとなる、則ちこれがフトタマノミミコトである。 (フトマニ図象から直訳すれば、「フタツの スガタが、ヒトツのタマに実のつたモノゴト)ということである。 |
【「古神道のフトマニ」】 | |
「古神道のフトマニ」について。次のような一文を読んだことがある。
これをカタカムナと比較してみると、神とは、古神道では(天之御中主神。カタカムナではアマノミナカヌシ。これを基底思念でよめば、カム(潜象)からアマ(現象)に変遷したミのナカの目に見えぬヌシ(主)である。アマノミナカヌシは、神道では「天の中心の最も根本の大神」、科学では「原子核」に当たる。 易経の「太極」 二神とは、古神道の高御産巣日神、摩訶御産巣日神。カタカムナではタカミムスヒ、カムミムスヒ。易経では陰と陽。四神とは、古神道では宇摩志阿斯訶備比古遲神、天之常立神、豊雲野神・国之常立神。カタカムナではウマシアシカヒヒコ、アメノトコタチ、クニトコタチ、ソコソキタチ。易経では老陰、少陽、少陰、老陽。八神とは、古神道では宇比地遲神、角杙神、意富斗能地神、淤母陀琉神、妹須比智邇神、妹活杙神・妹大斗乃辨神、妹阿夜訶志古泥神) 。カタカムナでは宇比地遲神不明、.ツヌクヒ.オホト、ノヂ.オモダル、スヒチニ.イモ、イククヒ.イモ、オホトノベ.イモ、アヤカシコネ。易経では坤、艮、坎、巽、震、離、兌、乾。 その他、フトマニについての参考事項としてまカミウツシされる場をつくるスベ。サヌキ、アワが相対してカムと対向することによつて發生の場が出来る、即ち重合(カムウツシ)がオキて、マに發生する。現象のなかに潜象が、現象への過渡の状態で待機している。人の生命のチカラは、カムトアマの共役(フトマニ)のものである。 ★この一文は、仙道の「相道における気色相法」の過程に相似している。 「双相一象式図象」。即ち、「一象」 (ヒトツのカタチ)によつて双象(フタツのスガタ)を表明した図象という意味。「フタツの相が、マに統合された図象」という意味の古代語。ニとは、「御名御璽」の印の如き、固定の思念から、ここでは図象の意となる。この図象は十分割されて「日本数字の記号」として使用されている。 フトマニ図象は、八十個の渦巻きのうち、 第三首を含む七個の渦の中心に置かれている。この図象符は、フトマニ即ちカミのカとミ(カムとアマ、アワとサヌキ)の対向發生(正反親和)の物理を意味すると思われる。三種の神器の剣となる。 フトマニとは、カムの変遷(ヤタノカ)したアワのチカラ(カ)と、アマに出たサヌキのチカラ(カ)との重合したタマの変遷(ミコト)したミが、現象の生物=イキモノ(生命力と生命体をもつ)として、マ(天然宇宙界)に発生し存在(ニ)するという意味である。 フト(第十一号、カタカムナ文献解読、第三首、P93)にも、カムとアマのフト、そしてアワとサヌキのフトがある。互換重合がうまく(マノスベ)合った時、対向発生(フトマニ)によって、イノチのカが、ヒトツヒトツ発生(トキ)するわけである。思えば、我々は、カタカムナ人のような「ヤタノカ」とか「フトマニ」などという考え方をしたことがなかつた。まして、「マノスベ」などという発想は思いも及ばなかった。 要するにトとは、生命体のアワとサヌキのチカラが、ヤの状態で対向.互換しなければト(チカラの重合)は起きない。トするということはカが発生するということである。サヌキ、アワが相対して、カムと対向することによつて發生の場が出来る、即ち重合(カムウツシ)がオキてマに發生する。現象のなかに潜象が、現象への過渡の状態で待機している。人の生命のチカラは、カムトアマの共役(フトマニ)のものである。「正反対向発生」と解読されているこのコトバ(フトマニ)は、「アマカムの対向発生の連続」(フトタマノミミコト)と同じである。フトマニというコトバは、実際のフトタマノミミコトという生命現象を抽象した物理である。フトタマといえば、アマとカムの重合したマカタマのことであり、フトマニといえば、楢崎皐月が「正.反の対向発生」と訳した通うり、正反はサヌキとアワであるから、電子.原子.細胞レベルの生命活動のフト、生物ぼ男(精子)と女(卵子)のフト、又は人間と花や犬等の動植物や月星ともフトして新しい生命を発生(アマウツシ)することができるわけである。 いわば、神主が神前で拍手をうつのも、右(サヌキ).左(アワ)の掌を重合すれば、まさしく音(ヒビキ)が発生するというフトマニの(則ち、生命は、一個から発生せず、必ず正(サヌキ).反(アワ)が 十(ト)しなければ発生しないというフトマニのサトリの)証である。 カタカムナ人の感受したフ」とは、実際に「生命活動をしている現場のタカミ.カムミの細胞レベルのサヌキ.アワのチカラのこと」であり、マニとは、サヌキ.アワの重合によって「カの生命力がヒトツ発正すること」であるということが、実際の自分の感受のよってハツキリとわかった(よめた)のである。 |
【「ミナカヌシ」】 |
ミナカヌシとは、ミのナカのヌシ(潜象の存在)の意。旋転循環している粒子の中心核。ミナカヌシとは、ヌシがヌヒよりもなお現象には程遠く、潜象の中の「正、反の反」の状態(中心核)と解される。ヌシとは、ヌの小円がヤの変遷循環の終極限を意味し、それがシで、そこに存在していることを示す。ミナカの背後(潜象)にドッシリと控えているという感じである。 |
【「アシアトウアン」】 |
アシアトウアンは、現象界に於けるあらゆる存在の示しは、カムがアマに現われたチカラの重合によって、潜象と現象の界面から、あらゆる存在の始まりの量、即ち一つの微粒子として起励されるのである、の意と解読できる。 アシアトウアンと云う人物も掛けられており、この人物について、金鳥山の洞窟でカタカムナ文献を写させた平十字が楢崎に次のように語っている。「アシアトウアンは、カタカムナ族最後の統領で、居城が兵庫県芦屋の金鳥山の辺にあり、天孫族の来襲に遭い、戦い敗れて、九州の地に流され死亡したと伝えられている」。 |
【「ヒタリ、ミキリ」】 |
ヒタリとは、ヒからタしてリすること。漢字で左。左回りは、アワマワリ(潜象状態)。 ミキリとは、ミからキしてリすること。漢字で右。右回りは、サヌキマワリ(現象形態)。 これによると、左、右はカタカムナ言語ということになる。 |
【「ミチ」】 |
ミチとは、ミ(身)がチ(持続)して「ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、コ、ト」と発展循環する経緯を云う。漢字の道を語源とするより、カタカムナ言語であるということになる。 |
【「ヨロズ」】 |
ヨロズとは、ヨ(正反四相)のロ(中空体)のツ(集合)を云う。漢字の万を語源とするより、カタカムナ言語であるということになる。 |
【「ミトノマグアイ」】 |
古事記に「伊邪那岐神と伊邪那美神」の「吾與汝行迴逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比」なる記述がある。 「美斗能麻具波比」のカタカナ語は「ミトノマグアイ」。これをカタカムナ語で解読すると、 「ミ」は実、充実、ミドコロの意味。 「ト」は「十」で陰陽.男女の重合。 「ノ」は次ぎの状況への変化を示す。 「マ」は間が良い悪いの「マ」で変化への時刻を表す。 「ク」は自由に発生するという思念。 「ア」はすべての始元。 「イ」は「ミ」が現象粒子として定着された「充実している状態」。 要約すれば、「陰陽が重合して、具合よく、充実している状態」と云う意味になる。 |
(私論.私見)