カタカムナ文字の語彙解析考1(アカサ行)

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3)年.1.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 カタカムナはカタカナのルーツであった!。カタカムナ文字を知ることにより、日本固有の文字はカタカムナ文字から始まっていることが判明した。ひらがなよりもずっと前に「カタカムナ48字」が成立していたことを知る。ここから始まる日本語は、その発想や成り立ちに於いて、他の国の文字と大きく質を異にしている。かく構図して、以下解析に入る。これをアカサタナ順に列示して確認することにする。

 一音一音の意味を調べる学問を音義学と云う。カタカムナ語の場合、発生史上、これの確認が重要となる。2012.9.30日、「カタカムナ字典」を発見したので、これをも参照する。

 2009.3.19日、2012.9.30再編集 れんだいこ拝


 縦書き
ア・あ カ・か サ・さ タ・た ナ・な ハ・は マ・ま ヤ・や ラ・ら ワ・わ ンん
イ・い キ・き シ・し チ・ち 二・に ヒ・ひ ミ・み ヰ・い リ・り ヰ・ヰ
ウ・う ク・く ス・す ツ・つ ヌ・ぬ フ・ふ ム・む ユ・ゆ ル・る ウ・う
エ・え ケ・け セ・せ テ・て ネ・ね へ・へ メ・め ヱ・ゑ レ・れ ヱ・ゑ
オ・お コ・こ ソ・そ ト・と ノ・の ホ・ほ モ・も ヨ・よ ロ・ろ ヲ・を

【「ア」とその系列図象符】
 アの声音符は、右側の半円と横線とミニ円1個からなる図象である。ウ()を左へ90度直角に移動しており、ヒ()の横線が左半円にまで伸びている形でもある。ア、ウ、ヒは関係が深いことになる。小円がヒと同位置にあることは、「日の出」の状態を暗示しているとも推察できる。ヒに比較して横線が長いということは、横線の意味するトコロ(場所)を一杯に延ばしていることになる。
 開口度(どれだけ顎を広く開けられるかの度合い)が母音の中で一番大きく、口を大きく開いた状態の発生音である。吐く息(呼気)を最も邪魔しないで外に出す。
 アは、アウンの呼吸のアで、「元始まりの総合始原」の様子を表象する。これを「祖音」と云う。赤ちゃんがこの世に生まれて最初に出す音で、開け広がる意味がある。潜象から現象への始元の姿で開放、広がりを思念している。アには三種類あり、1番目のアは現象界におけるあらゆる存在。2番目のアはカムがアマ界にあらわれたチカラ。3番目のアはあらゆる存在の量、即ちヒトツの微粒子を指す。
 アウ、アオ、アカ、アキ、アキツ、アナ、アナミ、アハ、アマ、アマツ、アマノ、アメ、アメノ、アヤ、アワ、アワノ
 日本語で「開ける、明るい、新た、吾」等々に使われている。
 ○アウとは、ア(元始まり)からウ(宇宙)化する意。

 ○アカとは、ア(元始まり)がカ(力)する意。現象では電気性微粒子を指す。

 ○アキツとは、ア(元始まり)がキ(発生)したツ(個々)の意。あらゆるものが潜象から現象へ出現するときの發生のチカラをしめす。

 ○アハとは、ア(元始まり)がハ(枝分かれ)している意。あらゆるものは正反重合している。

 ○アマとは、ア(元始まり)がマ(統合)されている意で、「現象の宇宙球における始原量、あらゆる現象」を意味している。あらゆるものの根源の始元であり全宇宙を示している。生命も万物万象の存在もすべてカム、アマから トキして(ウマシタカカム)、様々に変遷して(アシカヒヒコ)発現したトコロであるとしている。發生した現象は一回だけの非可逆性のものではなく、すべての現象はやがてアマに還元する循環系、則ち連続的可逆性のモノ として把握している。

 アマにあるのは「ソコ、ソギ」の性である。アマの本来性としてアマから生まれたスベテのモノを守り、アマのココロ(微粒子)則ち(アマウツシ)を与え続けている。 アマ、マリの物性として、粒子性、凝集性、タバネ性、カサナリ性、マトマリ性等がある。これは、タマのタチ(結球性)による。時間空間の微分が「今」であり、即ち今はマの微分であり、そのような時間空間の重合互換状態のマが密に充填されている全体をアマと観た。老子経の道の玄に相似している。 容れ物と中身の二つの意味があり、容れ物としては全宇宙をさし、中身としては「アマ始元量」を云う。

 アマノは、マノが始まっているということであり、マノはマカタマノのマノと同じで、カから動き出して正反四相に旋転変遷することを云う。

 ○アメとは、アマのメ則ちアマ(元始まりの統合現象状態)からメ(芽、目)が出るという状態を云う。宇宙上のアマが地球上になった時にアメと転化して識別されている。 天、海、雨、女はみなアメと音読する。

 アメノとは、アマがノ(変遷)した意。アメノを図象符で構成すると、その図形は「大円に十」となり、万物万象が陰陽親和して大円の中に内包されている状態であり、それがミニ円3個で現象化(ヒ の日の出のように)しようと変転していることが示されている。アメノと一つの図象になっている時は、カムからアメがノしたものであることを意味し、ノはアメにつけて一つの図象で示されている。アメノトコタチとは、「潜象から現象化しようと変転している強力なチカラ」を内包しているものということになる。

 ○アヤとは、ア(元始まり)がヤ(極限)している意。客観現象の極限で、客観背後の不確定性の奇妙サ量の多いものという意味になる。つまり、現象のオクの潜象のハッキリしないアヤシイ状態を云う。

 ○アワとは、声音符「ワとヒ」が重合した図象符ともいえる。生命力のことを「タカミムスヒ カムミムスヒ」といい、現象(タカミ)を出すチカラがサヌキであり、タカミ(現象)を出させるノトのチカラがカムミ(潜象)で、それが「本来の生命力」であり、とりも直さずカのチカラ則ちアワである。それを「正反」(イハ.トハ)とかフトとかマカといっている。生命力とは要するに、サヌキ・アワのバランスをとって生きるチカラである。

「イ」とその系列図象符
 イの声音符は、左側の半円と横線と円とミニ円1個からなる図象である。ヒ()と対応しているでもある。半円が左側に位置しているのは、陰の世界の活動であることを示している。易経の「先天の図」によっても陰線二本に対し、陽線は一本しかないことと対応している。
 唇を横に強く引いて出す発生音。右側の半円と横線とミニ小円1個からなる図象である。    
 イは、「生命」の様子を表象する。躍動する、前向きな、積極的な活動、強さを思念している。物理としては最小の現象物質、電気粒子(イカツ)のことであり、生命体を形づくる最小単位の粒子である。ヒ、フ、ミとヨ、イの素量(ミ)によって發生する現象粒子であり、ミとイのサトリが現代科学に対し大きな示唆を持つ。潜象のカがタして現象に出たあらゆる生命体を構成する最小単位の極微粒子で、潜態の過渡粒子であるミが現象粒子として定着された状態をいう。
 イカ、イカツ、イキ、イキツ、イク、イサ、イシ、イチ、イチキ、イツク、イツノ、イノチ、イハ、.イハス、イフヤ、イホ、イマ、イムナ、イモ、イヤ、イヨ、イヨノ、イワ、.イワト
 日本語で「生きる、息、命」等々に使われている。
 ○イカとは、イ(生命)がカの状態にある意。イカツとは、イ(生命)のカが現象に出たツ(最小単位の粒子)の意。

 ○イキとは、イ(生命)のキ(發生)の意。「イキのよい、イキイキしている」などの現代語にも通ずる。あらゆるものが潜象から現象へ出現するときの發生のチカラをしめす。イが半円であるに対し、キは全円である。キはイを陽の方に逆転させキ(発生のチカラ)を吹きこんだことになる。かくて、イキは、イキイキと蘇生し活動を開始すると読む。「イキ ツチ ノワ」とは、ヒフミヨイのイの正反の二つの重合がヤまで進行し、それがネとなって生命活動(イキ)の個々(ツ)の持続(チ)の、(則ち種々の生命機関の)総和(ワ)の生命体のチカラになっている。イキツとは、イは現象微粒子、キは発生、ツは個々。「イキツチのワ」ということは、実際は心臓血液系のヌヒと、 脳神経系のクヒとのフトマニによって、マノスベの生命が維持されることでると感受されてくる。

 ○イクとは、イ(生命)がク(自由)化する意。

 ○イサとは、イ(生命)がサ(差)する意。イのレベルにおいて差が生ずること。イザナギ、イザナミ二神の表記に使われている。

 ○イシとは、イ(生命)がシ(示す)意。潜象のカがタして現象に出た最小の極微粒子、現象の生命体(イノチ)を構成する最小単位のイカツのこと(現代語では電子に当たる)。「イシが強い」という現代語にも通ずる。

 ○イノチとは、イ(生命)がノ(変遷)しチ(持続)する意。

 ○イハスとは、科学がみつけた電気の現象であり、楢崎氏は、イ(イカツ)は電子、イハは電気の正反、則ちエレクトロンとホールに当たると解読した。スは進むの意。

 ○イツとは、イ(生命)がツ(個々の粒子)の意。潜象のカムからアメに変遷し自由な粒子になったもの、則ちヒフミヨイのイのトキ.トコロのツ(粒子)である。そのイツは、現象に出て正反にあらわれるとイヨ(電気粒子の正.反四相をもつもの)といわれる。イツノとは、イ(生命現象極微粒子)のツ(個々)がノ(変遷)すること。

 ○イハとは、現象の生命体(イノチ)を構成する最小単位のイカツのこと(現代語では電子に当たる)。イが正反のバランスを保っている状態。イは現象物の最小単位の粒子で、イカツ(電気粒子)に当たり、右旋.左旋(サヌキ.アワ)の正反があるからイハである。イハとは、イの正反則ちイカツの「サヌキ.アワ」のミである。  

 ○イマとは、イ(生命)がマ(現象界)に発生した最初の状態の意。マの微分、時間空間の微分。ミとイのサトリが現代科学に対し大きな示唆を持つ。潜態の過渡粒子であるミが、現象粒子として定着された状態をイという。 あらゆる生命体を構成する最小単位の粒子である。イがマ(現象界)に発生した最初の状態がイマであり、イマは最小の時間である。

 イマタチとは、イマ(最小の時間)のタチ(性質)の意。イマが最小の時間だから、それがワから分離独立してそのまま持続されているという意。図形を解読して見ると、イマはイのミニ円がマの上下二個のミニ円の中央に位置して、陰陽正反のバランスの中央から上下の何れの方向に動くか、その瞬間を表現しているように感じられる。念のため、80首の謡の中に、イマと同一の図形として第12首にミソデというの1個ある。ミソデを分解して見ると、テの図形はマに横線が引かれて、上下(正反)に分けられている。 またソも縦線で陰陽.正反と分かれている。陰反の半円が隠れているが、ミニ円の存在がこれを暗示する。イマの場合は、陰陽.正反がバランスを保っているが、ミソデでは分けられているのが異なる。ミソデのミのミニ円が、テのミニ円と2個が重合しているので、ミの陽性が優勢と思われる。

 イマもミソデも同一図形で、どちらもヒのヶ所に小円が無い。これの意味するところは何か。それに加えて、イマには横線一本が立派に引かれているのに、図象符を分解するとイマのイには横線の右半分が引かれていない。これは図形では見えないが、『「ヒ」のヶ所に小円が無い』のと同じ意味が感じられる。 則ち、イマもミソデも現象化が弱いということだろう。でも、どちらかといえば、ミソデの方が現象化の度合いが強いというべきか。 以上によりイマは、「日の出」に例えれば、太陽はまだ少しも出ていないということになる。

 イマタチを要約すると、タチが現象化しようと期しているが、イマだ、その太陽(現象化)は出てくる段階には至ってはいないということになる。

 ○イモとは、オホトノチによって発生したカムミが、藻のように正.反にあとをひいて巻くようにイに伴った状態であらわれている、その状態をイモという。現象の極微の粒子状の電気に伴っているもの。

 ○イヤとは、極限飽和安定。イヤミソギ.イヤシロチ.など32首から39首までの間に12種類ものイヤ系統の図象符が出てくるが、イヤミソギについて解読すれば、カタカムナ人の造語の思念は、「イのヤまで」(極限飽和安定)まで、ミがソ(盛んに)ギ(発生増殖)することである。 「イヤ」とは、『「イ」(カムから ヒ フ ミ ヨ イと変遷して現象の最小のイカツ=電気粒子=電子となったもの)が、ヤ(極限.飽和.安定)』まで進行すること。

 ○イヨノとは、電気の四相の変遷。 イヨノといえば、文字通り、「電気の正.反の四相が、変遷して」という意味であり、ノ(変遷する)とは、具体的にいえば、実際の生命体のサヌキ(交感).アワ(副交感)の自律神経の正反.四相のバランスをよくとって働かせるチカラとい意味になる。

【「ウ」とその系列図象符】
 ウの声音符は、上半円と縦線とミニ円1個からなる図象である。「無」の極限.真夜中を意味するナ()の反対図形となっている。ミニ円がミ()と同じ位置にある。「有」(現象)の最盛期の正の位置であり、太陽で解読すれば中天の位置即ち真昼である。
 母音の中で、口唇を一番閉じた時の発生音。唇を丸く狭くし、調音点を奥にとり、音を最も奥に溜め込み、できるだけ外に出さないようにして出す発生音。 
 ウは、「無限宇宙の動き」の様子を表象する。潜象と現象のサカヒ、心の奥の内なる力、閉じこもりを思念している。内なる力を蓄え、内部充実を図る意味がある。潜象から現象が發生する、その界面をとらえたものである。界面とは、水が蒸発して水蒸気になり又凍って氷になるときの固体、液体、気体の境いメの如く 明らかに状態の変化はみられるが、その変わりメは、どんなに早いカメラでも捉えることはできない。そのような境界面のことである。
 ウキ、ウキフ、ウケ、ウケミ、ウシ、ウタ、ウチ、ウツ、ウツシ、ウヅメ、ウハ、ウハシ、ウヒ、ウミ、ウム、ウワ。
 日本語で「唸(うな)る、うめき声、うつむく、埋める、内」等々に使われている。
 ○ウキとは、ウに発生する。「ウキフヌ」とは、発生する二つの潜象(ヌ)のもの。則ち陽子.陰子.中性子.中間子等とよばれるフ(正反)のヌ(潜象過程)粒子のこと。ウキフは、ウ(潜象現象の界面)からキ(発生)してフ(ふえつづける)こと。   

 ○ウケとは、ウ(潜象と現象の界面)がケ(正反に変化性、方向性を以ってあらわれる)意。ウしてケする、受けること。

 ○ウタとは、バランスを保っていたマが分離(タ)してウと出現すること。ココロの中にウーという状態で一ぱいになっているものを解き放つように出す(タ)意味である。不可知の世界からこの現象界に独立して離れてきたヒトツの思念であり、第六感とも 相似していて、人はみなそれを直感し得るものである。それが科学的発明ともなり歌ともなる。ココロの奥から独立して出て来たもの即ち生命の根源からホドバシリ出るものを「謡」という。

 ◯ウツシとは、潜象、現象の界面に於いて渦によって示される。潜象から現われる現象の境界面に於いて、個々のものが發生するという思念である。また、上古代語ではウツとしてシめされるという思念も込められていると読みとれる。 宇宙のあらゆる現象の發生はウツシ(渦示)である。80個の図象符もすべて渦巻き型である。発生して個々に示されること。カム(カタカムナ)から移すこと。ヒからヒキしたヒヒキを伝えること。自分の生命がカから変遷したことを(ヒからヒキしたことを)、個々のものに示す(うつし伝える)こと、則ちアシアトウアン(の脳になった者)が、「カタカムナヒヒキ マノスベシ」のサトリ(物理)を、しっかりとウツシ伝えることである。漢字で「写し」と当てられている。ウツシマツルとは、ウツシをマツルの意。マツルことにより現象からカミ潜象へ戻されるカエシである。  
 ○ウネリとは、ウ(潜象と現象との境界面)、ネ(根源)、リ(分離)の意。ウネリとは、潜象と現象との境界面で目に見えぬ根源.「カ」から分離して来たものとでも解すべきか。

 ◯ウヒとは、ヒから潜象過程を経て、発生すること。 ウヒとは、ウ(潜象が現象に発現する界面)がヒすること。ウマレルキワという思念。

 ○ウマシとは、ウからマに示されるという思念で、「生まれた」という意味のコトバである。対向するコトバにオカシ(可笑し)がある。
                                                         
 ○ウミとはウのミ。則ち潜象から現象が発生=ウマレする界面=ウのミ。ウマレとは、ウから現象にマ(現れる)ことが「生まれ」という言葉になった。

「エ」とその系列図象符
 エの声音符は、縦線と対の形でミニ円2個が対応している図象である。
 音声学上、他の母音から最も等距離(ニュートラル)な位置にあり、いかなる母音にも移り得る分岐点にある。
 エは、「枝分かれして伸びて行く繁栄」の様子を表象する。日本語のエダ(枝)、.ハエる(生.栄.映)等の連想から、エは波が拡がるように枝がのびるように.生成繁栄する思念と考えられる。
 エヒメ
 日本語で「兄弟の兄(エ)、干支、江、枝」等々に使われている。
 ユエとは、「陽の中の陰陽」を示す。老子道徳経第四十二章に曰く、「万物ハ陰ヲ負ウテ陽ヲ抱キ、冲気以テ和ヲ為ス」と同じ観方が含まれている。

 ○エヒメとは、エのヒのメ、則ちエの状態は根源のヒの発生を示すものであるという思念である。

「オ」とその系列図象符
 オの声音符は、左下の四分の一円の横線を伸ばし、ム()と同じ位置のミニ円1個からなる図象である。
 調音点を最も奥にとる音で、口の奥で大きく音を包み込むように響かせて出す発生音。
 オは、「重厚偉大にして奥への広がり」の様子を意味する。四分の一円が意味するのもムの陰反の世界であり、オを全体的に考えると潜象の世界である。
 オカシ、オカミ、オキ、オキツ、オキナ、オク、オシ、オシヲ、オト、オトワ、オド、オノ、オホ、オホト、オホマ、オホヤ、オモ、
 日本語で「奥、雄、重い、表」等々に使われている。
 ○オカミとは、オは、大きな六方の環境み目に見えぬ潜象(カム)の存在している状態を意味する。カムミと同じ図象である。又、第64首にはオホカミとある。

 ○オカシ。六方環境(オ)にカが示(シ)めされるの意。

 ○オキとは、オの六方環境のオクのカムからキ(発生)したもの。シとキが同じく発生と解読されている。  

 ○オシとは、オの六方環境のオクのカムからシ(発生)したもの。オシヲとは、六方環境から立体化してシ(示されて)、四相性を以って発現したもの。

  ○オドとは、オ(環境)のト(重合)の意。オドと、トに濁音を加える時はソノト(重合)が何度も大量に重なる思念であろう。

 ○オノとは、オ(六方環境)からノ(マノスベに進行)するの意。ノがオに加わることにより、潜象内の万物が小円ヤまで進行してヒの始元からの発生を待機していると解される。

 ○オホとは、オ(六方環境の大きな宇宙的空間の思念)、ホ(正反、親和重合、則ちカが現象に重合してカカワル思念)である。オのホ、則ち六方環境から親和重合するチカラの思念であって、「大きい」、「おおらか」等の日本語のコトバである。カム、アマから生まれた我々宇宙の万物万象のその六方環境に存在して我々の生命に(目に見えないが、オクに潜象していて)親和重合しているモノである。ホとは、カム、アマの大きなテが、我々の身=ミをやわらかく、やさしく、抱きしめてくれる感覚である。動物の母親が、自分の生んだ子を抱きしめて育てるのは、マサにこのオホの相似象であり、とりわけ人間の子には幼児期=ミツゴに母との蜜着した満足感.安定感を持って成長することが、その子の一生を支配する最も大事な育て方である。

 カタカムナの文献は、オホのしかた、則ち生命の発生変遷のしかた(物理)を、自分たち(カタカムナ人)の感受に基づいて考えてコトバ化=ウタしたものであるといってもよい。オホトとは、六方環境からの親和重合である。オホマとは、オホのマ、則ち六方環境からの親和重合してくるチカラ。マとは、アマ宇宙球又はアマ始元量の総称であるが、同時にそれは、潜象又は潜象過渡の状態を意味するものである。即ちあま(現象界)へ出ていても、 まだオとは大きな目にみえぬ 状態のものをさすコトバである。オホヤは、オホがヤまで変遷してゆく。

 ○オモとは、オ(六方の立方体)のモ(正反)で、 「本質の重さ」の思念。

「カ」とその系列図象符
 カの声音符は、十に横線の右中端にミニ円1個からなる図象である。縦横の線が十字に交わり(陰陽のチカラが 融和している状態)を表している。縦線(カムウツシ)と横線(アマウツシ)からなる十字は、正反の重合と縦横四方に無限に広がる世界を表わしている。右中端のミニ円は陰陽正反の始動を表わしている。大円がないのは潜象を示しており、小円は「チカラ」が現象世界に出現しよ うという意思のあることを示している。いる。ミニ円1個の同じ位相はア()、カ()、ヒ()、レ()であり、関連があるものと思われる。現行カタカナ文字の原型と思われる。
 カは、「日の出の力」の様子を表象する。潜象で渦の状態にあり、「日の出」に象徴されるような、あらゆる現象を発現させる根源の縦横無限に広がるチカラを思念している。仙道の「気」に相似している。生命の根本原理であり、幽玄なもの、奥深いものを表現している。

 カの正反は、左遷がアワ、右遷がサヌキである。万物はアワとサヌキのチカラを同時に持っている。漢字の力をチカラと読むのは、この理から来ていると思われる。潜象であるが、カは生命の根源であり、カミ(神)の実体である。

 カは、カタカムナ人の造った48文字の中で最も大事な、8文字の中でも最も重要な文字である。なぜなら、それは、カタカムナ人が發見した「生命の根源が何であるかという根本の物理」を、カという声音に表示(ウツシ)したコトバであり、あとの47音はカというものがわかったからこそ、そのカが現象界に於いてアラユルモノにあらわれる状態(發生、変遷、還元のスガタ)を抽象して示すこと(コトホグシ)が出来たのである。カというモノの存在を發見し、その物理を覚つたカタカムナ人は、そのカとは何か?を示すのに最も端的な縦横の十字象を以てしたことになる。
 カガ、カグ、カシ、カタ、カタチ、カハ、カヒ、カブ、カブシ、カムナ、カムミ、カミ、カヤヌ、カラミ、カル。
 日本語で「神、風、影、隠れる、かすむ、醸(かも)す、彼方(かなた)」等々に使われている。 
 ◯カエシとは、声音符から解読すると、カ(根源のチカラ)がエ(生成繁栄)する示しとなる。図象符で比較すると、ウツシ、カエシ及びマツル(マ、ツ、ルの三個の声音符を纏める)とは 同一型の図象である。コトバ(声音符)としては異なるが、図象符では同一になる。ということは、共通の思念をもつと いうことである。則ち、ウツシはマツルによってカエシがなされる。つまり、 ウツシとは、アマからウツされて発生するミチ、マツルとは、人間の側からおカエシをするミチ、要するに、ウツシは「順序」、マツルは「逆序」のサトリを意味するコトバである、マツリをすることがウツシを頂いたことに対するおカエシになる訳で ある。   

 ○カガとは、「ヤタノカカミ」とか「マカカ」とか「カガヤキ」、「カカワリ」のようにカがオホとして、何万回も何兆回もカカワってカガやいているものがあるという感受をコトバ化したものである。
   
 ◯カカミ。無限量から宇宙に發生した万 物万象の、その生命のチカラのカミは、カタカムナのカミである。 あらゆる現象を発現させる根源のチカラの起源。カのカのミと読む場合と、 カのカミと読む場合とがある。「カトカとによりミ」が發生する場合と、カは すべてのカミ (起源)である場合とである。

 ○カグとは、カ(自由)がグであること。クとは、自然に自由に。カクとは、「隠されている」意味も含む。

 ○カサネとは、カのサのネ、則ち、カが繰り返し重合されると、そのカのサ(量の差)なりの「オモダル」(実質のもつ量) をもつ、その「オモダル」のヌシをカサネという。カサネの図象符をミツメ(目に見えない潜象のミ=実のツ=個々を メ=現象にし)てみるとき、このカサネの図象符と、その解読との「係わり合い」 が宙にに浮いてしまい、ミが感じられない。これは、どうしたことだろう。 例えば、カサネの図象符は、○ 十 小円五個で構成されている。「カ」「サ」 「ネ」声音符を三個重合してみても、「カサネ」の図象符にはならない。また「カサネ」の 図象符を、「カ」「サ」「ネ」の声音符に分解しようとしても、どう工夫しても出来ない。 これでは、「図形の解読」という根本問題に疑念が浮かんでくる。 

 ○カシとは、カの示しを意味する。

 ○カセは、カのセ。セとは、正.反にカのチカラを以ってセッセと勢いよく溌生する状態の思念である。(セという声音符は、十字象と、 「フ、ク、エ」と「ム、オ」と同じ位置の小円二個とで造られている。 又、セはロの声音符に横線を加えたものともいえる。ということはセとは、ケになるオクのチカラが、現象に出る勢いを示すものと考えられる。後に「カゼ」が「風」に当てられたのは、実にうまい発想である。カゼ」とは、カのチカラが、セ(現象に出る勢い示し)となり、その対向するケと共に発現変化するということか。

 ○カタとは、カからタ(発生)しようとしているの意。則ち、潜象のカが現象にタ(出)る。カは万物万象の根源であり、タは、大もとから分けられて独立的になるという基底思念であるから、カタは、「根源.大元」から分けられ独立して来たということになる。

 ○カタチとは、カがタすることが持続(チ)されることによって 現象のカタチ(形態)がつくられるの意。潜象(カ)から、生命が現象に出て(タ)、持続(チ)されている。 カタチサキとは、カからタして持続=チして(形をもって)カムのサから発生=キする。又、カからタした「小さな粒子」(チサキ)の意味にもなる。則ち、カタチサキとは、「カから出た微粒子の発生」の意味でり、それは、ヒフミヨイのイの変遷物のこと。

 ○カヅとは、カから発生してきたツの意。

 ○カナとは、カのカカワリが何回も繰り返されることである。 ナとは、「七」という数字を示すコトバであるが、 ナの思念は、「ヒ、フ、ミ、ヨ、イ」の發生が、ム(環境)から、なんどもなんども繰り返されるにつれ定着(ニ)されてくるという意味である。同時に何度も繰り返されるということは、多様性、変化性が現れる(七変化、七周期)という思念である。

 ○カハとは、カ(チカラ)のハ(正.反)の意。則ち物理的 にいえば左旋=ヒタリマワリ.右旋=ミギマワリの正.反=ハのチカラ」である。

 ○カヒとは、カのヒ=モト.ネである。

 ○カブとは、カグと同一つの図象符である。

 ○カブシとは、核にカブさっている潜態のもの、則ち 原子核の外殻の拘束電子に正反に当たる。

 ○カミとは、カ(あらゆる現象を発現させるチカラ)とミ(究極的な本質)。それは「ヒレフシ、イヤマヒ」の心を起こさせる本質潜象であり、宇宙のあらゆる万物万象の始元、.起源、,根源となるモノである。本源的で大事なものとしての始元、.起源、,根源又はその主を示す。カミの図象は、アウ、カラミ、ウタヒ、チカラを始め多くの読み方が可能である。現象に生まれ出た我々の個体の生命力とは、カムからうつされるアワのカと、アマからうつされるサヌキのミ(アマナのカ)とのカとミであり、それが生命の根源である。

 カミという図象符を構成してみると、大円の右半分(陽面を示す)と 十(陰陽和合した最高のチカラ)と小円二個(陽面)とになる。これに対して、大円の左半分(陰面を示す)や、ナなどの陰面を示す。小円が無いのは、全くの目に見えないない「無」の状態を暗示しているのだろうか。これにより、カミとは、潜象、現象の両面を持つ、陰陽和合した「最高の内蔵チカラ」ということになる。

 カタカムナ人は、自分たちの知り得た生命のサトリ(マノスベシ)を表示するに当たり、先ず宇宙の万物万象の生命がどのようにして何から発生するか? その根源はカとミであるということを、80首のウタヒの最初に明示している。 (第一首は「マノスベシ」を、第二首は「カ」を、第三首は「ミ」を、示している。) 因みに、アマもカミも、現代語にあるコトバであるが、我々の現代語の意味でよんでは、とんでもないことになる。なぜなら、カタカムナ人は我々現代人の「天」や「神」の概念は、全く、知らない。しかも、アマもカミもカタカムナ人が造ったコトバで、我々現代人が造ったものでは無いからである。 カタカムナ人は、現代人の神や天の意味では無く、自分達の造ったアマ.カムのコトバの意味を、80首のウタに示しているのだということを弁えていなければならない。「カタカムナ」を知りたいと思う気持ち。 生物が皆もつている、自分の生命の根源に共振したい(根源を感受したい)という生命本能。 生命カンとも言つてもよい。生物はその生命の感受性を、マツトウに鍛えつづけていなければ、 生存を全うすることは出来ないものである。  

 カミナリテとは、カとミが、ナ(何回)もリ(離れて)カカワリ、テ(正反)に出るという思念。カとミの重合によって生命が發生し、持続されていること。真のカミとはカミと神、神秘思想の天然態カミというコトバの変化 神の本質ついて、後代人の神 とカタカムナ人のカミとは明らかにことなる。後者は、48の物理(サトリ)と、80首のウタヒ(マノスベ)をもつカタカムナカミなのである。  

 ○カムとは、アマとサヌキの極微のチカラが、 無限的に充満している状態を、カタカムナ人はカムとよんだ「スモール ヒ」(左マワリ、 右マワリのカのツ)の状態で、 無限に散在している。カムとは、現象の奥に潜む万物万象の潜態が、真夜中を過ぎて始元の「ヒ」から日の灯の出のように発生するチカラを内包している状態である。

 ○カムナとは、潜象と現象が重合して新しい生命を發生する際の、現実の個々の生命に直接カカワル潜象の存在。即ちチカラの個々のヌシをカムナという。

 ●易経では、太極から陰と陽が発生し、それぞれが陰陽合徳していると表現している。根源が何であるかということを、(自然の生物が、皆、 本能として知っているものを)我々の脳に教える最も端的な生命の情報である。カタカムナ、ヒヒキ、マノスベシは重合している。 即ち、「カからタして出たカムナ」は、「ヒからヒキしたヒヒキ」であり、カムナのカカワリで 様々に変遷する。その姿がマノスベに示される(シ)わけである。 「カタカムナがあらゆる存在の起源である」生命の根拠。 現日本語の起源である。宇宙の万象万物の生命の根源(ヒ)である。ヒフミヨイのイの正反の二つの重合が、ヤまで進行し、 それがネとなって生命活動の個々の持続の(則ち種々の生命機関の、)総和の生命体のチカラになっている。そのワのチカラのヌシがカタカムナである。 このカタカムナの図象は、「カタカムナ謡」80首の大部分、71首もの中心に置かれている重要な図象である。
 
 ○カムミとは、カムのミ。生命力のアマナのミ。タカミ(現象)を出させるモトのチカラを表わす。

 ○ 「カラ」とは、「か」が「ら」している、則ち、「チカラが目に見えない状態」にあるということを意味する。これが漢字の「空、殻」と通じることになる。

 ○カラミとは、「イモマクマラミ」(第21首) 、「ミソデマク カラミ」(第66首)とあり、イモ(電気粒子=イに巻い=モて発生する)力素量=カラミの意味である。 

「キ」とその系列図象符
 キの声音符は、大円を縦線で左右に、横線2本で上下に仕切っている図象である。これは、タ(、分離)の意味を確定するため横線二本に分裂させたとも受け取れる。サ()を90度まわせばキになる。ということは、サがタテになったわけで、縦線(タテ)はカムウツシを象徴するから、キとはサによって發生するという思念であると考えられる。
 キは、「発生」の様子を表象する。あらゆるものが潜象から現象へ出現するときの発生のチカラを示す思念である。キは起に通ずる。 厳粛なもの、強烈な力強い激しさを表わす。
 キノ、キネ、キビコ、キリ。
 日本語で「きつい、厳しい、極む、切る」等々に使われている。
 ○キビコとは、発生がヒ(根源)から繰り返される(コ)こと。コとは、カムウツシ(縦線)とアマウツシ(横線)の重合(ト)がヤまで進み、そのことが更に一段上に廻つて又ヒから繰り返されるという思念である。

 ○キノとは、発生し、分化変遷すること。

「ク」とその系列図象符
 クの声音符は、右側に位置する半円とミニ円1個からなる図象である。フ()は、クに半横線を加えたもので関連が強いことになる。左(正方向)に回せばヘ()の図象となり、右(反方向)に回せばス()になる。ヒ()と半円の位置が同じだが横線が無い。 横線が無いということは陰反が無いということを意味する。ミニ円の位置と併せて考えると、「既に現象化がハッキリしている状態」を表わしている。太陽軌道で見れば、陽の最高度(例えば真昼)に近ずくと観る。楢崎皐月は、これを観て、「カムのチカラが、自由に発生するという思念である」と考えた。
 クは、「カムの力が自由に発生し活動すること、その結果としての結合、括(くく)る、組む」様子を表象する。
 クク、ククノ、クシ、クス、クスべ、クナギ、クニ、クニカ、クニノ、クヒ、クヒサ、クヒノ、クマソ、クマリ、クメ、クモヌ、クラ、クラト。
 日本語で「括る、組む、、くるむ、国」等々に使われている。
 ○ククとは、自由に自由に。自由の思念。ククノとは、自由に、自由に変遷するの意。

 ○クシとは、ク(自由に発生)にシ(示)すの意。

 ○クスとは、自由に進行の意。 クスベとは、自由に統合。自由な(多様性の)統合。極めて多様性のある自由なマノスベのハタラキのこと。  

 ○クナギとは、自由=クな反復発生=ナギの粒子の意味。

 ○クニとは、アメがノして自由なマトマリとなったものである。クとは、カムのチカラが自由に發生するその自由さ。 ニとは定着的に發生が繰り返される。現象の粒子として象界へ定着。潜象からカのチカラがメを出して現象界に定着と解されるが、クニといえば国が連想される。クニカとは、クニのカ。クニノとは、クニにノ(変遷)するの意。

 ○クヒとは、クのヒ。ヒとして自由(ク)に受ける又は自由(ク)にヒから出るの意。直訳すれば「自由の根源、始元」。シヒとかスヒとかいうようにクのヒ則ち真に自由に(マノスベに)生きる根拠であるが、それは地面に打ち込む杭(クヒ)のように生命を保つ為に定着された個々の「自由なヒ」の意味である。ヒがなければク(自由)はあり得ない。 因みに、クヒといえば現代語では「首」である。「首」とは、頭の頚の首、手首、足首のように首自体は力を抜いて自由(ク)な状態でなければ接続する大事な頭や手や足を自由に動かすことは出来ない。つまり、「首」は、「自由なシヒ」でなければ「クビ」では無い。あらゆる現象の根源(カ)であり、あらゆる現象の始元(ア)であるという思念がこもっていることになる。

 ○クマソとは、自由=クにその本体=マから発=ソせられる勢力系(生命のハタラキ、エネルギー)のこと。ソとは、 潜象系を示す右半円、 現象物では無いわけであり、小円が輪の線上にないということは現象に示さ れた状態であるが、ワクにはまらず、ワクからソレて、ソのトコロにあるという思念であると考えられる。  

 ○クメとは、ク(自由に発生)にメ(発生)。

 ○クモヌとは、自由な正反性.四相性.極限性をもつ潜象の意。

 ○クラ。クラには二通りの図章符号がある。第四十一首と第四十二首である。クラとは、自由に現れる思念。現象に出現したものは、ハッキリと定まった形のものだけではなく、よく見えない(潜像の状態)のもあるということで、それは、それを発生させるカミも目にみえぬ(潜象の)ものであるという気持ちと思われる。                              

 ○クラトとは、ク(自由)のラ(あらわれ)のト(統合)の思念、自由に発現され統合(ト)されるの意。潜態で、目に見えないからといって何もないわけではない。「目に見えない世界で、何かが、自由自在に、変遷し、統合している」。この思念を引き出した古代カタカムナ人は、どんな「森羅万象を見つめていたのだろう。振り返れば、「目に見えない世界」でなくても、「目に見える世界」でも、自由自在な発現、 変遷、統合は、現実に繰り替えされている。

【「ケ」とその系列図象符】
 ケの声音符は、十字象とミニ円2個が上斜め左と下斜め右からなる図象である。モ()の声音符に縦線を加えた図形になつてい。ミニ円の上斜め左の位置はヘ()、ヨ()、ヲ()と同じ。ミニ円の下斜め右の位置はヤ()、ス()、ヌ()と同じ位置である。
 ケは、「表面、もしくは表面に起こる内容」の様子を表象する。「正反に変化性をもって発現する」う思念である。
 日本語で「毛、削る、消す、蹴る」等々に使われている。

【「コ」とその系列図象符】
 コの声音符は、下半円と十字象と下右斜めの位置にミニ円2個からなる図象である。ミニ円2個の位置を考えるとヤ()からヒ()への変遷を感ずる。
 コは、「九を表わし、状態変化の繰り返しとその結果としての凝固凝集」の様子を表象する。コは、九であり、ものごとが繰り返されることを思念している。カムウツシ(縦線)とアマウツシ(横線)の重合(ト)がヤまで進み、そのことが更に一段上に廻って又ヒから 繰り返されるという思念である。 ヤからヒへと現象化する。コはヤからトへ、そしてまたヒフミヨイ---と繰り返し変遷してゆくこと。
 ココロ、コト、コトミチ、コナ、コネ、コブ、コメ、コロシ、コロ。
 日本語で「凝る、凍る、混む、込める、菰」等々に使われている。
 ○ココロとは、小さい粒子。アメはアマの微粒子であり、即ちアマのココロである。ココロは万物にあり、そしてアマに通じている。

 ◯コトとは、繰り返し重合し凝り固まった状態のものを云う。日本語にしばしば使われる「---のコト」 、「そういうコト」、「物事」という言葉(コト)の語源は、このムナヤコトのコトと思われる。

 ◯コネとは、コ(繰り返す)チカラの場があることによって持続し定着して現象物のネ(根源)となるの意。

 ◯コロとは、コ(繰り返し)現れたロ(粒子)の意。

「サ」とその系列図象符
 サの声音符は、大円の中に縦線二本と横線一本からなる図象である。リ()に横線一本を加えたともいえる。横線を入れたということは、横線をリするということであり、横線はアマを象徴するから、物が分けられていること、分ければサが出る。サを九十度まわせばキ()になる。ということは、サが縦になったわけで、縦線(タテ)はカムウツシを象徴するから、キとはサによって發生するという思念であると考えられる。
 サは、「差」の様子を表象する。高低、上下、長短、黒白、美醜等、即ちそれらの正.反は、それらのモノにサ(差)があるから発生するという理論になる。「もしモノに差がなかったら黒白、美醜は存在しなくなる」という諭しになる。

 サは、物の差を思念している。カの量のサであり、発生したカの量のサによって、サカ(坂.逆)や差別や覚(サトリ)の意味が出てくる。サとは、そもそも宇宙の万物万象はカムから分けられたものであり、カムから発生するモノはカムから分けられるカムウツシの量(カサのサ)によって差が出る、そのサのことである。因みに、現代語で、そのものの分量のことをカサ(嵩)と云うが、カのサであるという思念である。
他に、繊細で微細なものを表わす。

 サムハラ神社のサは、「スの根源より発せられる気息。地上へ横へ広がってサーと響く」と解されている。
 サカ、サカキ、サカル、サク、サキ、サギ、サギリ、サツチ、サド、サトリ、サヌキ、サノオ、サヨリ、サリ。
 日本語で「ささやか、ささやき、細雪」等々に使われている。
 ○サカキとは、サによってカがキるの意であり、サによってサカ(正反の逆)にキ(発生)という意味である。

 ○サカルとは、サがカとしてル(存在)することの意。

 ○サキとは、カがサによってキ(發生)するという分裂分化発生を意味する。あらゆるものが潜象から現象へ出現するときの發生のチカラをしめす。

 ○サギリとは、カのサによって発生=キし分離=リする勢力系=カムミのモノであるという思念である。

 ○サクとは、サ(分裂)がク(自由)に発生すること。

 ○サツチとは、サによってツ(すべてのもの)がチ(発生)するの意。

 ○サトリ(覚悟)とは、ト(重合)しているモノの差を、(その黒白、美醜の正反性は目には見えないが)、それを分離して感じ取るという意。則ち、モノ(森羅万象)は、正反性を内包しているという物理を知ることである。サをトル(知る)という思念とも考えられる。トの思念は、声音符としては平面的な十字象によつて示すしかないが、カタカムナ人の感覚では縦からも横からも、どこから見ても立方的な十字象であるということ。ワが平面の円形ではなく立体の球形であるのと同様である。即ち球感覚で観ること。カム、アマの重合を意味し、声音思念としては、統合、重合の単位、数としては十を意味する。リとはワを分離する思念で、対向發生、分離、離反を意味している。

 ○サドとは、相似象誌にはサトと出ており、サ(分化、分裂、微分)、ト(重合.統合.和合)されることである。つまり、サトは微分性.統合性の意味であるが、楢崎皐月がサドと読んだのは、微分されたものが統合される、そのト(重合)のチカラ(カサ)が非常に繰り返し強調されること、いわばトの複数がドになるという気持ちである。(日本語の濁音はそのことを強調する気持ちである)

 ○サヌキとは、サによってヌキしたものという意。サによってヌにキするチカラ。サヌキという図象符にはサとキの声音符が全く跡形もなく、ヌの小円が一つ残るだけである。そこには、正反の重合であるトとそれを包む大円があるだけである。則ち、目に見えないワの天球と、そこに潜在している正反重合のトとが、ヌの小円が示す如くヤに向かって進むという意味ではないだろうか。

 ○サムとは、サムハラ神社の例では「時間空間を超えた世界。空即是色の空より発せられた気息(エネルギー)」と解されている。

 ○サリとは、サのリ則ちカのサ(量の差)によってカからサかれてり(分離)すること、又は分離したもの。

「シ」とその系列図象符
 シの声音符は、左半円に左中の位置にミニ円一個からなる図象である。図形が左半円を示しているのは左右.正反の左だから陰.反を物語る。イ()と同じ図形であり、半横線を加えていることになる。レ()と対応しており、大円を縦に左右に分けたような形である。ミニ円の位置はソ()、ン()と同じで、左右正反の左だから陰反を表象している。ミニ円がヒ()と全く反対に位置しており、太陽軌道で云えば「日の入り=日没」を意味している。ア()とシはミニ円の位置が反対である。
 シは、1・横線の無いアの対向反対の図形である。2・イの横線の無い図形である。3・ワ()の左半円で小円がイと同じ位置に付加されている。以上3つの意味を纏めると現象性が全く無いから、潜象の根源のチカラを示しているものと思われる。
 シは、「示す」の様子を表象する。「シめされて現れたもの」(現象)と、「それをシめしたヌシ」(潜象)の二つを暗示している。シは現象物質を意味するのではなく、現象のイやソやンの状態を「指し示すという思念」であることがうかがわれる。

 他に、水のことを指す。清水、潮、湿る、滴る、雫等々、水を指す言葉に使われている。
 シキ、シコネ、シヅ、シナ、シナツ、シヌ、シヒ、シマ、シメシ、 シロ、シロチ。
 日本語で「沈む、静か、清水」等々に使われている。
 ○シコネとは、シ(示し)のコ(繰り返し)のネ(根、.核)の意。

 ○シヅとは定着の意。(ヅ=ツ)

 ○シナツとは、シ(示す)されたナ(繰り返し)のツ(個々)の意。カのカカワリ=シが、何回も何万回も繰り返されて固体=ツになったもの。

 ○シヌとは、示される潜態のものの意。   

 ○シヒとは、示されているが、目にみえないもの。電気,磁気など。

 ○シマとは、シ(示)めされたマ、則ちカムのホ(親和重合)とノ(変遷)のサ(量の差)によって多種多様に分けられたマの示しという意味になる。個々の点のような「島」の形(粒子形のナギ)と、点がつらなった線の状態の「縞」(流線型のナミ)の形がある。

 ○シメシとは、示すの意。

 ○シロとは、シ(示)されてロ(現われる)の意。シロチとは、シロがチ(持続)している思念である。チは後にシロ地の意味になったが、カタカムナ人は、土地と限らず人でも物でも、それが持続する状態を示す意味であった。

【「ス」とその系列図象符】
 スの声音符は、下半円と左斜め下に位置するミニ円1個からなる。ミニ小円がヤ()と同一点だから「真夜中」も過ぎて循環点ヒに近づいていると解される。スとヘ()は、同一図形が右から左へ180度移動している。また上下にも移動している。
 口を細くして、息を勢いよく出して発声する。
 スは、「進む、先に伸びるもの」の様子を表象する。先鋭、突出、占有と云う進行形の姿を思念している。上古代人は、 一たび生まれたものはあくまで生存を保つ方向へ進むのが本来性であり、且つあらゆる現象には必ず極限がある(宇宙球も無限ということは無い)と云う認識の下に「進む」を捉えていた。
 スヒ、スベ。
 日本語で「進む、鋭い、澄む、透き通る、統べる、住む、州、洲、巣」等々に使われている。
 ○スベとは、ス(進行)がへ(方向)するという意。ノと同じ図象で、「○○になる方法」という意味である。おのずから「為すべき方法」という意味をもち様々な変化の姿を示す。アマ界に於いて、現象に現れた潜象粒子が次々と四相性、方向性をもって發生し、潜態のまま進行、移動することを示す。

 ○スヒとは、ヒが直接に進行する意味。

【「セ」とその系列図象符】
 セという声音符は、十字象とミニ円2個が上斜め右と下斜め左からなる図象である。ケ() と合わせ鏡になっている。ミニ円の上斜め右はフ()、ク()、ヱ()」と同じ位置であり、下斜め左の位置はム()、オ()と同じである。又、セはロ()の声音符に横線を加えたものともいえる。ということは、セとは、ケになるオクのチカラが現象に出る勢いを示すものと考えられる。
 セは、「近くに寄って行くことで、近接あるいは寄ったところ」の様子を表象する。
 ココロ、コト、コトミチ、コナ、コネ、コブ、コメ、コロ、コロシ。
 日本語で「競る、攻める、迫る、狭い、瀬、背」等々に使われている。
 ○セケンとは、セとケの声音符は、○に小円二個が対向して付されている。ンという声音は、それを確認し、納得し、強調する思念と考えられる。セケンとは、正反対向しながら変化するものであると確認強調する。これが、後世の「世間」か?  因みに、国語大辞典を牽くと「仏語。壊され否定されていくものの意」とある。

「ソ」とその系列図象符
 ソという声音符は、右半円と左中のミニ円1個からなる図象である。ミニ円の位置はイ()、シ()、ン()と同じである。右半円ということは現象物ではないことを意味しており、ミニ円が半円上にないということは、現象から外れている状態を意味している。ソと、ニ()、ラ()の三個の図形は同じもので向きが異なる。則ち、半円が縦の場合がソ、横で上がニ、横で下がラである。
 ソは、「相手に寄り従う」様子を表象する。ソの思念は、四十路、五十路、三十一(ミソヒト)文字の十(ソ)に通ずる。
 ソギ、ソコ、ソコツ、ソト、ソマ、ソラ、ソレ。
 日本語で「添う、沿う、染まる、反る、空、底」等々に使われている。
 ○ソコとは、ソにコすることの意。ソの方へソの方へとソがコ(繰り返される)こと。つまり、外へ外へとひろがる(膨張する)こと。ソコは其処や底にも通ずる。

 ○ソギとは、ソにキすること。凝集することの意。楢崎氏は、ソコ(膨張)の反対の収縮の思念であると判断し、ソコソギタチとは膨張.収縮性であると解読した。

 ○ソラとは、ソ(宇宙空間)のソコソギにラ(現れる)の意。「ソラニ モロケセ」とは、宇宙空間に現われて正反左右上下に次々(モ)と連なり、集まり、マトマリ、多様な分化性(ケ)を盛んに発揮するの意。




(私論.私見)