日本語50音発生を廻る学会論争考

 更新日/2018(平成30).12.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「日本語50音発生を廻る学会論争考」をものしておく。要するに、歴史学も、言語学も、政治学も、「自生ものか、用ものか」を廻って同じ類の論争が行われていることになる。

 2009.1.25日 れんだいこ拝


【「日本語五十音(ごじゅうおん)」を廻る学会論争考】

 「言霊の世界」その他を参照する。 

 日本には大陸から漢字が伝えられたよりもっと以前から固有にして部族文明圏ごとに数種の神代文字があったと考えられる。現在、多種類の古代文字が登場している。(「
日本語上古代文字(神代文字)考」で確認する) しかし、これらが実在したことを証明する決定的証拠はない。祖先伝来と主張する神代文字で記載された文書は偽作説が纏いついており、実書説、偽作説共に決定的な論拠を持っていない。

 問題は、神代文字で書かれた上古代史の内容が、古事記、日本書紀の記述を正統とする立場からは不都合な、古事記、日本書紀のそれと大きく食い違っており、神代文字論が即ち上古代史論に通じているという特異性にある。特に、世界文明発祥的日本論、ウガヤ王朝論、先行正統的出雲王朝論、アイヌ王朝論の鼓吹に特徴が見られる。この分野は、邪馬台国の所在地論争に匹敵する古代史のロマンを醸成している。
 

 日本の言語学会の大勢は、日本には漢字渡来以前に於いては文字が存在しなかったとして、古代の神代文字があったことを否定し続けている。この立場は即ち古事記、日本書紀の記述をもって正統とすることになる。もっとも、この論に於いても、「大和言葉の存在」までは否定できない。問題は、漢字渡来以前の大和言葉が文字を持っていたかどうかの究明にある。否定論に立つと、この点での研究が不要になるので、研究が進まない。そういう理由で専ら、言語学会のアウトサイダーが細々と研究の灯を語り継いできている状況下にある。

 古くは、807年、斎部広成が、「古語拾遺」の序文で、「上古の世いまだ文字有らず」と記している(その子孫の忌部正通は逆にあったという)。本居宣長も「日本には仮名の成立以前に漢字以外の文字は存在しておらず」と述べている。現在の学者もこれに倣って探求を避けている。

 この論が定式化され、明治の言語学者の泰斗は揃って神代文字を否定している。泰斗とは、山田孝雄(1873-1958、神宮皇學館の元学長)、狩野亭吉(1865-1942、竹内古文書に登場する各種の「古代神代文字」の否定論者として知られている)、橋本進吉(1882-1945)の三博士である。橋本は、五十音については古事記や万葉集を調べた結果、8母韻−61音節を提唱し(清音のみ)、古代文字五母韻説を否定することにより、神代文字を後代の偽作としている。

 これに対し、日本言語学の権威・松岡静雄は、「日本言語学『音韻』」(刀江書院)の中で次のように述べている。

 「上古の母韻はア・イ・ウの三音であったが、伝説が語り継がれるようになった頃の標準語には既に五韻が備わっていた」

 古代史研究家・吾郷清彦も「八母韻説は全くの虚構といわざる得ない」と言っている。

 れんだいこが思うに、神代文字については次のように窺うべきではなかろうか。日本にはカタカムナ文字以来の恐らく部族的文明ごとの数種の神代文字が並立的に存在していた。大和王朝の御代になって、万葉仮名と云われる漢字が創造され、これによって古代文献は万葉仮名に書き換えられていくことになった。それは同時に、日本固有の文字と文化であった先住有力氏族の神代文字による記録の抹殺であり、上古代史の封印でもあった。

 奈良以前に固有古文字があった証拠として、高橋良典氏は、日本書紀の欽明天皇二月三月の条を指摘している。

 「帝王本紀に、多に古き字あり。撰集の人しばし遷り易はること経たり。後の人習いて読むに、意を以て刊り改む(故意に修正せざる得なかったの意)。伝へ写すこと既に多にして、遂にたがひまよふこと致せり(筆写伝授しているうちに混乱を招き、元の形体がそこなわれた)」。

 神代文字の存在を廻る論争と共に、日本語五十音図の発生史をどの時点に求めるかの論争がある。最初から五十音であったのか、そうでなかったのかという論争になるが、アカデミズム派は「十音図は最初から五十音ではなかったとする後代誕生説」を唱えている。

 これにより、一部の神社などに伝承されているミミズが這い回ったような神代文字の配列がすべて「五十音配列」で構成されていることに対し疑問を提起している。神代文字排撃論を唱えた狩野亭吉、山田孝雄、橋本進吉)らは、概要「五十音図は奈良時代より古く遡るほどのものではないし、到底『万葉集』や『古事記』以前の上古にできたものではない」と断定している。

 とりわけ橋本は、五十音について万葉集、古事記の調査結果をふまえ、日本語=8母韻・61音節を提唱(清音のみ)し、古代文字五母韻を否定している。山田孝雄博士も、その確固なる国語・国文学的な傍証をもって論破し、古代文字5母韻説を否定している。橋本を師とする大野晋教授は次のように述べている。

 「奈良時代の音の数は八十七もあったのだから、五十とか四十七という数では、奈良時代の音とはまったく合わない。五十音図やイロハ歌は、平安時代になってできたものだから、それを基礎とした文字(神代文字)が、奈良時代以前のものであるはずがない」(大野晋『日本語の起源』)。
 「五十音図は鎌倉時代にできたものである。いろは四十七文字も平安時代の中ごろより後にできたことがわかっている。それゆえ五十字や四十七字の神代文字はどうもみんなまずい。偽作です」(『日本古代語入門』読売新聞社)。

 大野氏は、神代文字否定説にかこつけて、五十音までが鎌倉時代の作であると断定している。

 これに対し、言語学者の松本克己教授(金沢大学)と、国語学者の森重敏教授(奈良女子大学)の二人が、この定説を打破する論証に立ち向かっている。松本氏は、「金沢大学文学部論集・文学篇第二十二巻」所収の「古代日本語の母音組織考=内的再建の試み」で、森重氏は、「万葉」第八十九号に発表された「上代特殊仮名遣いとは何か」で次のような論を展開している。

 「母音を甲・乙二種類をおく考え方は、音声的には些少な違いにしかすぎない変異音までを書きわける、「漢字」の書記法から作り出された虚像である。したがって、母音組織そのものは、現代の五音組織とは基本的に変わりない」。

 森重氏は、八母音説の否定論として次のように述べている。

 「万葉集などに使用された特殊仮名遣い(八母音の書きわけ)は、平安時代に入って消滅するが、その要因は文字が渡来人の手による万葉仮名という記録法から、日本人の手による音韻的な仮名文字に移ったわけだから当然八母音の論証は、覆されるべきだ」。

 かく五母音説に軍配をあげた(佐治芳彦氏の「謎の神代文字」の一文より)。

 これらを踏まえて、古代史評論家の佐治芳彦氏は、次のように述べている。

 「もし松本・森重説(新・五母音説)が正しいとすれば、その影響はきわめて大きい。まず『上代特殊仮名遣』にもとづく戦後の古典解釈や語源研究、あるいは古語辞典のたぐいは全面的に改訂を余儀なくさせられる。その多くの編者の一人として関係している大野晋教授などは坊主にしても追いつかないだろう」。

 神代文字と五母音説を否定した山田孝雄博士が、奇妙なことに著作「五十音図の歴史=一巻」の中で次のように述べている。

 概要「五十音図は梵語(悉曇文字)から来たものではなく、まったく日本独自のものであり、神代文字の出所も悉曇文字からのものではない。五十音図は、宇宙間の音譜そのものの合理的説明としての、根本原理を示したものであるともいはるる、かような図表を按出した我ら祖先の偉大なる頭脳を讃嘆せずに居られない」。




(私論.私見)