課題別ことわざ

 (最新見直し2007.7.10日)

【食べ物、料理に纏わる諺】
青菜に塩 

 (解説)
 青菜に、塩をふると、塩の脱水作用のため、水分が外へ出てしおれたようになる。このように、いつになく元気がなくしょげていることのたとえ。

あつものに懲りてなますを吹く

 (解説)
 熱い吸物を吸って口の中を火傷した経験のある人は、冷たいなますを見ても警戒して吹いて冷まそうとしてしまう。前の失敗にこりて無益な用心をする愚かさのたとえ。

朝の果物は金

 (解説)
 朝に果物を食べると爽快感が味わえるだけでなくビタミンの補給にもなり大変効果があるという意味。

一尺の薪をくべるより一寸のふたをしろ

 (解説)
 煮炊きをする時、火加減も大切であるが、落としぶたをすることはもっと大切であるということ。落としぶたをすることによって、材料の形も崩れず、まんべんなく柔らかく味を染み込ませることができる。また、燃料の節約にもなるので一石二鳥。ちょっとしたこつで、煮物の味もぐんとよくなるという意味。

うどの大木 
 (解説)
 うどは日本全国の山野に自然にはえている草だが、1mから3mにも生長する。しかし、うどの茎は弱くて何の役にもたたない。このようなことから大きくても弱くて役立たずのもののたとえに使われる。「大きな大根辛くなし」も同じ意味。

うまいまずいは塩かげん

 (解説)
 調味料もいろいろあるが、微妙な違いで塩ほどに味を左右させる調味料は他にない。「包丁10年、塩味10年。」と言われるように、塩の味つけをマスターするには、よほど熟練を要するらしい。味のきめては塩かげんであるという意味。

うまいものは宵に食え

 (解説)
 料理には食べておいしいと感じる適温や状態があって、それを逃すとどんなごちそうでも味が落ちてしまう。宵に食えというのは、おいしいタイミングを逃すなという意味。

海背川腹 

 (解説)
 魚の焼き方の順序で、海の魚は背から焼き、川の魚は腹から焼くという言い伝え。海の上層を回遊する背の青い魚は脂肪分に富み、肉質に多量の水分が含まれているので背の方から焼くと脂肪分がある程度流れだし、さっぱりして美味しくなる。一方、川の魚は比較的淡泊な味で腹の方から焼くと脂肪分を流さずにすみ、これまた美味しくいただけるという意味。

えぐい渋いも味のうち
 (解説)
 えぐみはタケノコなどのアクの強い野菜に含まれ舌やのどにざらざらするような刺激がある。また、渋みは渋柿を食べた時のように口の中が収縮してしまうような感じを覚える。どちらも歓迎されるような味とはいえないが、それもその食品の持ち味でなくてはならないものであるというたとえ。
鬼も十八、番茶もでばな

 (解説)
 鬼のように器量の悪い娘でも18歳位になると、娘らしさがでてくる。あまり上等でない番茶も、熱湯を注ぎ手早く煎じて熱いうちに飲めばおいしいものだという意味。ものごとにはタイミングがありタイミングをよくすればうまくいくという意味。

尾ひれをつける

 (解説)
 魚の尾とひれは数が決まっている。これにさらに尾とひれをつけるということで、実際にはありえないことを、話ではいかにもあったことのように付け足して大げさに話すこと。評判やうわさなどは、人から人へ伝わる時、とかく何か付け足されて大げさになっていくもの。「話に尾ひれをつける」ともいう。

鴨が葱を背負ってくる 

 (解説)
 鴨料理を食べたいと思っているところへ、鴨が葱を背負って運んできてくれたので、すぐに鴨鍋料理を食べることができたということから偶然、好都合が重なったことをいう。短く「鴨葱」ともいう。「あいた口にぼたもち」も同様の意味。

芥子は気短かものに掻かせろ 

 (解説)
 芥子はぐずぐずしていると、せっかくの辛みがとんでしまう。一気にせっかちにといた方がいいことからきている。洋芥子と和芥子があるが、原料は両方ともアブラナ科のからし菜の実を粉末にしたもの。

三里四方の野菜を食べろ

 (解説)
 三里四方、つまりは半径12キロメートル以内でとれた野菜を食べていれば長生きができるという意味。野菜は新鮮さが命で時間がたてばたつほど味も栄養価も下がってしまう。はるばる遠くから運ばれてきた高価で美しい野菜よりも身近なとれたての野菜の方が新鮮で価値があるということ。流通網が発達していなかった昔の言い伝えで、今は遠くのもでも航空便で新鮮なうちに手に入る。しかし、身近な地元でとれる野菜は、栄養価が高く価値があるのは今も昔も変わらない!

山椒は小粒でもぴりりと辛い 

 (解説)
 山椒は、高さ3mぐらいの落葉潅木で、その葉と実は、辛みと香りが強い。「実は小さいけれどもたいそう辛い。」ということから、身体は小さくても元気がよく才能にすぐれていて、ばかにすることはできない、ということを表したたとえ。

食べてすぐ寝ると牛になる

 (解説)
 椅子の生活が増えた現在は、食べてすぐにゴロンとなることも少なくなったが、畳の生活の昔はちゃぶ台でご飯を食べ食後すぐにゴロンとなることも多かった。これは非常にだらしなくみえる。躾をする上で小さいうちからこのようなだらしない行動をとるのはよくないという意味でのことわざ。しかし、実際は食後はすぐに身体を動かさず、30分くらいは休む方が身体にとってはいい。特に胃弱の人は右を下にして横になると胃の負担が軽くなっていい。

調味料の入れ方、サシスセソ

 (解説)
 煮物に入れる調味料の順番のこと。サは砂糖、シは塩、スは酢、セは醤油、ソは味噌のこと。粉の調味料から入れ、次に液体調味料、そして最後に風味づけの調味料を入れるのが煮物の正しい味付け方法。砂糖は、2〜3度に分けて加えること。1度に加えると汁だけ濃くなり材料に味が染み込まなくなる。

強火の遠火で炎を立てず

 (解説)
 魚を焼くときの基本。強火にするのは表面に早く火を通すため。遠火にするのは肉の内部をあまり乾かさず旨味を逃がさないようにするため。炎を立てないのは必要以上に焦がさないため。

冬至かぼちゃに年とらせるな 

 (解説)
 冬至にかぼちゃを食べると、風邪をひかないし、しもやけにもなりずらいというのは昔からの言い伝え。確かにかぼちゃは、栄養素が豊富で冬至の時期の貴重な栄養源である。さらにかぼちゃは保存がきき、栄養素の損失も少ない。しかし、春まで保存し続けても効用がなくなるため、保存も冬至までが限度という意味。

豆腐にかすがい 

 (解説)
 かすがいとは、木材などの合わせ目をつなぎ止める大きな釘のこと。柔らかい豆腐にいくらかすがいを打ってもきかない。無駄なことのたとえ。「糠に釘」や「のれんに腕押し」と同じ意味。

糠に釘 
 (解説)
 糠に釘をさしても、効果がない。つまり、手応えがなく効果がないことのたとえ。「豆腐にかすがい」や「のれんに腕押し」と同じ意味。
ぬかみそが腐る 
 (解説)
 声が悪いことや調子はずれの歌をさす。ぬかみそはもともとあまりいい匂いで はなく、これがさらに腐るということは、とても我慢できないような嫌な匂いになる。こんなことから、調子はずれの歌を聴かされることは、ちょうど腐ったぬかみそをかがされるようで不愉快きわまりないという意味になる。

花より団子 

 (解説)
 花を眺めて詩や俳句などを作るより、花見団子をパクつく方がいいということで、風流のわからないことのたとえ。また、名誉よりも実益を選ぶ時などにも使う。
味噌の味噌臭きは食われず 

 (解説)
 自分の職業や境遇の影響を露骨に表す人は未熟な人で、奥ゆかしさがないという意味。味噌は何年も寝かせずに使うと豆臭さや麹臭さがあり、塩をも十分になじんでおらずやたらに塩辛い。また、アミノ酸の分解も十分に行われていないためこくもない。熟成しきってない味噌ほどいただけないものはないというところからきた言葉。

蜜柑が黄色くなると医者青くなる 

 (解説)
 蜜柑が黄色くなる時期は、朝夕もしのぎやすくなり、食欲も出て、体調もよくなり、自然に健康が保たれるようになり医者にかかる人も減るという意味。ちなみにビタミンC多いことで蜜柑は有名だが、このビタミンCは熟すにつれて多くなり、実より皮に多い。
桃栗三年柿八年 
 (解説)
 桃と栗は芽生えてから三年、柿は八年で実を結ぶという意味。 その時期がこないと実を得られないということを、調子よく言ったことば。これには、続きがあって「桃栗三年柿八年、柚子は九年になりかかる、梅はすいとて十三年」とも言う。

餅は餅屋 

 (解説)
 物事にはそれぞれ専門家があるといこと。 

【魚にまつわる諺】
秋鯖嫁に食わすな
 (解説)
 旨い秋サバを憎い嫁に食べさせたくない、という姑の意地悪説。サバは鮮度低下が早く、中毒を起こしやすい事から、可愛い嫁の身を案ずる姑の親心説がある。
アンコウの待ち食い
 (解説)
 アンコウは、暗い深い海の底にじっとしていて、背ビレをゆらりゆらりとなびかせて魚たちを誘惑し、近づいて来たらその大きな口でパクリとやる。だから、自らはデーンと座っていて、目の前に並べられたものは、片端から平らげるようなのを「アンコウの待ち食い」という。「アッ、私みたい」とおっしゃる方、今に食べ過ぎてブクブク、アンコウのごとくになるやもしれませんゾっ!くれぐれも御用心を。
イワシの頭も信心から

 (解説)
 つまらないものでも信心の対象となればひどくありがたく感じるということ。また、「鰯の頭」はつまらないものの筆頭として、よく引き合いに出されるので、信仰心が不思議な力を持つことにいう。

イワシ七度洗えばタイの味 

 (解説)
 イワシも不要な油脂を落とせばタイに勝るとも劣らない味があるという意味。イワシの油脂は変質しやすく特に干し物にすると油焼けを起こす。
魚心あれば水心 

 (解説)
 昔、中国に劉備(りゅうび)という皇帝がいて、孔明(こうめい)という家来を得て、とても気に入り「私に孔明があるのはちょうど魚に水があるようなものだ。」と言ったことが発端。水と魚は離れることができない。それほど親しい関係にあるということからのたとえ。こちらが相手に対して好意をもっていれば、相手もまたこちらに対し好意をもつものであるということ。

ウツボとタコ
 (解説)
 「犬猿の仲」。生来の敵同士。会えば必ず戦う。タコの足が切れていたり、数が足りないのは、大抵の場合ウツボと戦って噛み切られた負け跡。よく、タコが自分の足を食った後と言われるが共食いはともかく、自分食いは消化しないという。
独活(ウド)と鰊(ニシン)
 (解説)
 ウドの酢味噌和えにニシンを添えると、一層美味であることから転じて、夫婦仲の良いことの例え。
海老で鯛をつる 

 (解説)
 海老のような小さな餌で、鯛のような立派な大きな魚をつったということで、少しの元手で大儲けをすることのたとえ。海外にも「小鰯を投げて鯨をとる」などということわざもある。一般に略して「えびたい」という風に使われる。他に、「雑魚で鯛をつる」「麦飯で鯉をつる」というのも同じ意味。

沖のハマチ 

 (解説)
 あてにならないことのたとえ。ハマチはアジ科のブリの幼名。ブリは非常に神経質な魚で、小さな物音にも敏感に反応し深く潜ってしまう。したがって、収穫が難しく網を投げても必ずとれるとは限らない。特にハマチは、沖合いに遊泳し、手にするまであてにならないことからこのたとえが生まれた。

寒鰤・寒鯔・寒鰈(かんぶりかんぼらかんがれい) 

 (解説)
 魚は産卵期の1〜2カ月前が旬で脂もよくのって、産卵に備えて盛んに餌を食べ体調が整っているため、この時期の魚は本当に美味。はっきりした旬があるのは日本が四季寒暖の差が際だっているため。水温の変化の少ないところでとれる魚は淡泊で大味で、旬がない。

腐っても鯛

 (解説)
 鯛は「目出たい」に通ずるゴロ合わせ的要素も手伝って、ハレの要素を徹底的に身にまとった、まさに魚中の王。 「腐っても鯛」とは、本来すぐれた価値を持つ者(鯛のような人)は、たとえ条件が悪くなろうと(腐っても)、やはりそれなりの価値があるという意味。鯛は通常、水深30〜150mの海にすみ、強い水圧をうけるためか、肉の細胞の外膜がとても頑丈で少々の細菌がついても腐りにくい。一部が細菌に侵されても、よく洗えば塩がきつめの塩焼きや、味の濃い煮物なら何とか使えることからきている。有能な人やものは、多少衰えても十分に役にたつという意味。

魚は殿様にもちは乞食に焼かせろ

 (解説)
 直火で焼くときの基本をいったもの。魚は頻繁に裏返すと身くずれし、見た目も味も落ちるので、殿様のようにあまりかまわずに焼く方がいい。一方、もちは水分が少なく焦げやすいため、乞食のようにせっかちにまだかまだかと何回も裏返した方がいいというたとえ。

さばをよむ
 (解説)
 これには3つの説があると言われる。まず、さばよみとは、「魚市(イサバ)読み」の上の部分が略されたもので、さばとは関係ないという説。次が、さばは腐りやすい魚なので、急いで数えて売りさばく必要があるから、その時に数をごまかす事が多かったという説。3つ目が、刺しさば(さばを背開きにして塩漬けにしたもの)は二枚重ねたものを一連として数える習慣があったので、二つずつ数えることを「さばよみ」というようになったというものである。どの説が有力なのかは分かりかねるが、どの説にしても合点がゆく。なお、さばが腐りやすいというのは事実で、俗に「さばの生き腐れ」などと言われている。
俎上の鯉
 (解説)
 鯉を俎板の上にのせると、まるで「いざ、切るなら切れ」と言わんばかりに、じいっと動かなくなるそうで、その様が、武士道を尊ぶ日本男子に受けて、いざという時に胆の座った行動をとる美徳のお手本の如くに言われるようになった。

鯛もひとりはうまからず

 (解説)
 どんなごちそうでも1人で食べるのはおいしくないという意味。たとえごちそうでなくても、気のおけない仲間と楽しく食べるのが一番おいしくいただける。気を使って食べる食事は料理の味もわからない。それほど、食卓の雰囲気は大事であるということのたとえ。
たらふく食う
 (解説)
 腹いっぱい食うことで、漢字で書くと「鱈腹食う」となる。これでお分かりかと思うが、元々はタラの腹のように膨らんで、満腹になったという意味である。タラは、大変貧欲な魚で、その胃の中からは、ありとあらゆる魚、鋭いトゲを持つカニまでもが出て来るというからその貧欲たるや凄まじい。
とどのつまり
 (解説)
 成長につれて名前を使い分ける出世魚に、メジ→マグロ→シビ、ハマチ→ブリ、オボコ→イナ→ボラ→トドなどがある。もののゆき詰まりを「とどのつまり」と言うのは、ここから来ている。
ふぐは食いたし命は惜しし 
 (解説)
 おいしいふぐを食べたいが、毒のことを考えると手を出しかねる気持ちを表したもの。いい面と悪い面があってどちらを選ぶか迷っているときに用いる。ちなみに、ふぐにはテトロドトキシンという無色、無味、無臭の猛毒が内蔵にある。

【水にまつわる諺】
水商売
(解説)
 客の人気によって収入が左右される商売。江戸時代、両国の河岸に出店する茶店が、 座敷で女性が接客する本業をごまかし、表向きは夏に冷水を売っていたため“水茶屋”と呼ばれていたことが語源。
水入らず
(解説)
  内輪の者だけで、他人を交えないこと。
立て板に水
(解説)
 弁舌がすらすらとして、よどみがないこと。
寝耳に水
(解説)
 
予想しなかった突然の出来事に驚くこと。
水に流す
(解説)
 過去のいざこざをすべて打ち捨てること。
我田引水
(解説)
 自分の田に水を引く。すなわち自分の有利なように事を運ぶこと。
水泡に帰す
(解説)
 
努力のかいもなく無駄に終わること。
落花流水の情
(解説)
 お互いに思い合う心があること。
魚心あれば水心
(解説)
 相手の出方次第で応対の仕様もあるの意。
水は方円の器に従う水は方円の器に随い、人は善悪の友による
(解説)
 水が器の形に従うように、人間もまた交友や環境に応じて変化する。
水清ければ魚棲まず
(解説)
 あまり潔癖すぎると、人が敬遠して寄りつかないことのたとえ。
水喧嘩は雨で直る
(解説)
 
喧嘩の原因がなくなると、すぐ仲良くなること。
水に絵を描く
(解説)
 できないことのたとえ。骨折り損。
水に八つの功徳あり 
「水を飲むとき、井戸を掘った人の苦労を忘れない」 中国の古い諺。

【健康や病気にまつわる諺】

病は口より入る

病気は食べ物が原因で起こることが多い。食べ物に問題がある食中毒をはじめ、食生活の乱れによってこる病気が多いという意味。それだけ日頃の食生活が重要ということだ。

病は治りぎわ

病気にかかった時は、おとなしく医者の指示に従って治そうと努力するが、少しよくなるとすぐに油断してぶり返すことが多いということのたとえ。病気になったら完全に治るまで養生することだ。

老人の新湯は身の毒

一番風呂は清潔でよさそうだが肌への刺激が強い。このため、肌の弱い老人には不向き。多少不純物が混じった古湯のほうが肌へのあたりがやわらかく老人にはむくという意味。

医食同源

中国のことわざで食事は医療と同じくらい生命にとって大切であるという意味。正しい食生活は病気を予防するが、まちがえば命をも落とす。3度の食事をもっと大切にということ。

一に養生、二に薬

具合が悪いからといってやたらに薬に頼ってはいけない。ちょっとぐらいの不調ならば栄養をとって寝て治すのが一番ということ。「薬より養生」も同じ意味。

風邪は万病のもと
たかが風邪くらいと軽い気持ちでいると、こじらせてしまって大変な病気を一緒に抱え込んでしまうことがある。風邪といえどもあなどれないということ。また、なんとなくだるいとか熱っぽいなどというのは一見軽い風邪のようだが、思わぬ病気の前兆だったりするので注意が必要だという意味もある。

気軽ければ病軽し

病気の回復には気力も大切。「病は気から」とか「養生に身がやせる」などの言葉があるように、自分は重い病気なんだと悲観していたらよくなるものもよくならないという意味。気持ちを明るく持って治そうとする努力が大切ということ。

薬すぎれば毒となる

薬は本来、病気を治すもので、使い方を間違えると身体をかえって身体を害するという意味。薬は使用上の注意をよく読んで正しく使うこと。

子供の病気は穴を見よ

「穴」とは口、鼻、耳、肛門、尿道、へそのこと。小さな子供はどこがどう痛いのか言えずにただ泣くばかり。そんな時はあわてずに、これらの穴を見れば意外にその原因がわかることが多いという教え。

こんにゃくは体の砂払い

こんにゃくを食べると身体の中に貯まっている砂を払ってくれるとい俗説。こんにゃくの成分はほとんどが水というノンエネルギー食品だが、整腸作用があり便秘改善に効果がある。こんにゃくをたくさん食べると便が良く出るためこう言われるようになったらしい。砂というより大腸の便のもとをかきとって排泄してくれるありがたい食品。

砂糖食いの若死(早死)

砂糖は、糖分以外になんの栄養素もない。また、この砂糖を分解するために多量のビタミンB1が消費され、このビタミンが砂糖に含まれていないため砂糖をとり過ぎるとビタミンB1不足をきたし、消化不良、食欲不振が起こり、結果的に早死にするという意味。また、砂糖を「おいしいもの」にたとえ、おいしいものばかり食べていては身体に毒だといういましめの言葉でもある。

頭寒足熱

頭を冷やし、足を温めるのが身体にいいということ。安眠の条件でもあり、興奮して頭に血が上っていると寝付きが悪いし、冬などは足が冷えて眠れないという経験のある人も多いだろう。また、これは常に頭は冷静を保ち、手足はよく動かせという戒めでもある。勉強をする時もこうすると頭がよく働く。

二日酔いに迎え酒

迷信。確かに気持ち悪い時、酒好きに酒を飲ませると、気持ち悪さが半減するが、これはさらに酔って一時的に頭を麻痺させ不快感を除くだけに過ぎない。結果的に二日酔いがもっとひどくなるだけである。二日酔いには養生が一番。二日酔いについてもっと知りたい人は2日酔いしやすいをどうぞ。

年寄りの冷水 

年寄りが自分の身体の状態を考えずに無理をするのを戒めた言葉。身体のあらゆる機能は年とともに低下する。したがって、それに応じて行動も制限しなければならなくなる。刺激の強いものもよくない。冷たい水は、年寄りにとって刺激が強すぎるということからきた言葉。

夏は熱いものが腹の薬 

暑い時はどうしてもジュースやアイス、氷など冷たいものが欲しくなるが、これはとりすぎるとお腹を壊し肝心の食事が食べられなくなってしまう。熱い夏こそ、温かいものをしっかり食べ、体調を整えることが大切だということ。

花見過ぎたら牡蛎食うな 

5〜8月の牡蛎は、産卵期にあたり、生殖巣が成熟し毒化しやすいため食中毒を起こしやすいうえに、その生殖巣を成熟させるため栄養分も使い果たし味が落ちる。「麦の穂出たらアサリ食うな」も同じ意味。

腹八分に医者いらず 

お腹いっぱいになるまで食べず、腹八分目でやめておけば、健康でいられるという養生を薦めることわざ。胃を使いすぎるのは万病の元という戒め。








(私論.私見)