歌占(うたうら)

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.7.22

 別章【韻律句(和歌、短歌、俳句、川柳、辞世句)

【】
  「開運☆せいめい歌占」。
 「おみくじ」について、神社本庁の「おみくじについて 」は次のように解説している。
 神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、運勢などを占われた方も多いかと思います。一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には吉や凶、または大吉・中吉・小吉・末吉という吉凶判断、金運や恋愛、せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。  そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事かゆうらしんじや、神社の祭事に奉仕する頭屋とうやなどの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。
 日本では古くから神様は和歌で人間にお告げを示すと考えられていた。神社でおみくじをひくと、吉凶とともに和歌が詠まれている。この和歌による占いを「歌占」という。次のように解説されている。
 「占いの『うら』には、『心』という意味がある。物には表と裏があって、裏にあるものは目に見えない。心の中は目にみえないものなので『うら』。『うらなう』とは、裏に隠されたものを表にあらわし、見えないものを見えるようにする行為なのです」。

 占いの歴史は古い。3000年以上前の中国では甲羅や骨を焼いてそのひびわれで吉凶を占っていたが、「占」という字の「ト」の部分はそのひびわれの形から来ているという。日本人もずっと昔から占いに親しんできた。日本最古の和歌集『万葉集』には、恋占いに関する歌が10首も収められている。朝廷には陰陽寮(おんみょうりょう)が置かれ、天変地異や厄災の原因を陰陽師が占っていた。平安時代の貴族が〈宿曜師(すくようじ)〉というお坊さんにホロスコープを作らせていたという記録もある。国家レベルから個人レベルまで、さまざまな占いの形がある。

 室町時代の能の作品『歌占』には、伊勢の神職であった男巫(おとこみこ)が諸国を旅しながら歌占をする様子が描かれている。『伊勢参宮名所図会 巻五』にも歌占をする様子が描かれている。
 大昔に詠まれた和歌の言葉が、ときを超えて現代の私たちの心に響く。古式ゆかしき「歌占」が、令和となった今「和歌占い」と呼ばれ再び脚光を浴びはじめている。歌占(和歌占い)は大衆文化の類で、これまでほとんど研究されてこなかった。

 和歌は人の内なる神さまへ捧げる祝詞とも云われる。そこに込められた言霊の光は、人の「幸魂(さきみたま)」を呼び覚ます光であり、花開く人生を歩む「道しるべ」となる。その光に照らされながら、人はありのままの姿で祝福され、愛し愛され生きていく存在となる。人は、尊い光輝く存在である自分を受け入れた時、自分本来の光を放ちながら「誇り」と「自信」を持って人生を歩むことができる。亡くなられた方から伝えたい想いが強い場合、その想いを和歌に託されることもある。

 神や人には荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているとされている。荒魂は「活動」、和魂は「調和」、奇魂は「霊感」、そして幸魂は「幸福」を担うと考えられている。「幸魂」は「奇魂」とともに「和魂」から分かれたものともされているが、「幸せをもたらす恵みの愛の魂」である。日本では古くから、神さまは和歌でお告げを示すとされ、巫女などシャーマンが和歌を降ろしていた。もともと和歌の始まりも、スサノオノミコトが「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(「古事記」)と三十一文字で歌を詠んだのが始まりと言われている。「新古今和歌集」にも、日吉神社や住吉大社の神さまが夢に現れて、和歌を詠んだという和歌が収められている。平安時代以降、神懸かりした巫女(口寄せ巫女)が人々の個人的な求めに応じて、神さまのお告げを和歌で降ろす「和歌占い」(=歌占)が神社で行われるようになり、次第にあらかじめ用意された和歌を引くようなおみくじ形式や、選んだ百人一首の歌から吉凶を判断する形式に変化していった。その風習は次第になくなつているが、歌占の名残りとして現在でも神社のおみくじに「和歌」が掲載されている。
 お告げの和歌 。「喜びにまた喜びを重ぬれば ともに嬉しきことぞ嬉しき」。呪文の歌を唱えて精神集中し、9つの賽(さい)を振り、その賽の出目で結果の歌が六十四首の和歌から一首選ばれる。六十四首は易の六十四卦(け)にちなむ数。引き当てた和歌で吉凶を占う。
 歌占(うたうら)。1首づつ和歌の書かれた紙を選び、その歌の意味から吉凶を占う。『百人一首歌占鈔 (和泉選書)』は嘉永元年(1848)に浪華の花淵松濤という人が出版した、当時行われていた歌占に使われていた百人一首の歌の心と、それがあらわす易の卦が書かれている本です。百人一首の成立には諸説あるが、この本によると、藤原定家は他の撰集とは違い、百人一首は占いを行うかのごとく心に浮かぶ歌を書き記していったとしている。すなわち、それらの歌にはもともと占断のための深遠な意味が備わっていたという。100首に64の卦を当てはめるので当然卦が重複する歌もある。占い方は、清浄な机の上などに雑然と乱して100枚の紙を置き、1枚を選び取る。そしてこの本(『百人一首歌占鈔』)のその歌に対応するページを開いて、吉凶を読み取る。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢みに
 八重垣作る その八重垣を
(スサノオノミコト、古事記)
 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
 われても末に あはむとぞ思ふ
(崇徳院)
 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 しのぶることの 弱りもぞする
 夜をこめて 鶏のそら音は はかるとも
 世に逢坂の 関はゆるさじ
 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
 わが身ひとつの 秋にはあらねど
 冬かれて 休みしときに 深山木(みやまぎ)は
 花咲く春の 待たれけるかな
 春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 
 衣乾したり 天の香具山
(持統天皇、万葉集)
 人ごとの 善きも悪しきも 心して 
 聞けばわが身の 為とこそなれ
(昭憲皇太后(明治天皇皇后)、昭憲皇太后御集)
 家富みて あかぬことなき 身なりとも
 人のつとめに 怠るなゆめ
(明治天皇、明治天皇御製集)
 よき人の よしとよく見て よしと言ひし
 吉野よく見よ よき人よく見つ 
(天武天皇、万葉集)
 風吹けば 風吹くままに 港よしと
 百船千船 うちつどひつつ
 ときくれば 枯木とみえし やまかげの
 さくらも花の さきにおいつつ
 ちはやふる 神のめぐみに 
 むらきもの心にかかる 靄霧もなし
 長閑なる 春の野中を 家人と  
 心安けく 行く心地かな
 白雲の 去りてひととき 谷の間の 
 紅葉明るく 照り映ゆるかな
 思うこと 思うがままに 為し遂げて
 思うことなき 家の内哉(かな)
 沖津かぜ 吹きにけらしな 浜松の
 波すみのぼる あきのよのつき
 ふる雨は あとなく晴れて のどかにも
 日かげさしそう 山ざくらばな
 ひとかたに なびくと見せて 青柳の
 ゆくえさだめぬ 人心かな
 吹く風に 高峰の雲も 晴れ行きて
 涼しく照らす 十五夜(もちのよ)の月
 世を捨てて 山にいる人 山にても
 なほ憂き時は いづち行くらむ

【吉田神社おみくじ和歌】
6番  寄り来る 神の御靈も 世のなかの
 人を幸ふこと とこそ知れ
7番  たなつもの みのりもよくて 豊(とよ)としの
 ためしなりとて いはふ
諸人(もろびと
8番  世の おたしきことを 朝夕
 
乞祈(こひのみまつる) 神御功徳(みいさ
11番  世の中の ことにむくひの ありといふ
 ことを思ひて あしきことすな
13番  これといひ あれといへど (ひと)すじに
 家の
を たのしみとなせ
14番  冬かれの 草木もいつか 春くれば
 もとの青葉を 見るぞ楽しみ
17番  寿ぎごとを まちて喜ぶ 民ぐさの
 すへの栄を 祈りこそすれ
22番  すべて只 世は常とはに 神世なり
 人の世代とは 思はざらまじ
23番  軒(のきのはの は さわげども
 春を覚ゆる 家の
(うち)哉(かな)
25番  人のため 善(よし)ひて なすことも
 悪しきとなれる ことを思ひて

【明治神宮のおみくじ和歌】
1番  目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは
 人の心の まことなりけり
(明治天皇御製)
2番  人しれず 思ふこころの よしあしも
 照し分くらむ 天地のかみ
(昭憲皇太后御歌)
3番  かたしとて 思ひたゆまば なにごとも
 なることあらじ 人のよの中
(明治天皇御製)
4番  人はただ すなほならなむ 呉竹の    
 世にたちこえむ ふしはなくとも
(昭憲皇太后御歌)
5番  萬代の 国のしづめと 大空に
 あふぐは富士の たかねなりけり
(明治天皇御製)
6番  むらぎもの 心にとひて はぢざらば
 よの人言は いかにありとも
(昭憲皇太后御歌)
7番  さまざまの うきふしをへて 呉竹の
 よにすぐれたる 人とこそなれ
(明治天皇御製)
8番  日に三度 身をかへりみし いにしへの
 人のこころに ならひてしがな
(昭憲皇太后御歌)
9番  世の中の 人におくれを とりぬべし
 すすまむときに 進まざりせば
(昭憲皇太后御歌)
10番  人ごとの よきもあしきも 心して
 きけばわが身の 為とこそなれ
(昭憲皇太后御歌)
11番  たらちねの 親につかへて まめなるが
 人のまことの 始なりけり
(明治天皇御製)
12番  朝ごとに むかふ鏡の くもりなく
 あらまほしきは 心なりけり
(昭憲皇太后御歌)
13番  しのびても あるべき時に ともすれば
 あやまつものは 心なりけり
(明治天皇御製)
14番  あやまたむ ことを思へば かりそめの
 ことにも物は つつしまれつつ
(昭憲皇太后御歌)
15番  いかならむ ことある時も うつせみの
 人の心よ ゆたかならなむ
(明治天皇御製)
16番  みがかずば 玉の光は いでざらむ
 人のこころも かくこそあるらし
(昭憲皇太后御歌)
17番  さしのぼる 朝日のごとく さはやかに
 もたまほしきは 心なりけり
(明治天皇御製)
18番  すぎたるは 及ばざりけり かりそめの
 言葉もあだに ちらさざらなむ
(昭憲皇太后御歌)
19番  あらし吹く 世にも動くな 人ごころ
 いはほに根ざす 松のごとくに
(明治天皇御製)
20番  高山の かげをうつして ゆく水の
 ひききにつくを 心ともがな
(昭憲皇太后御歌)
21番  ならび行く 人にはよしや おくるとも
 ただしき道を ふみなたがへそ
(明治天皇御製)
22番  いかさまに 身はくだくとも むらぎもの
 心はゆたに あるべかりけり
(昭憲皇太后御歌)
23番  とき遅き たがひはあれど つらぬかぬ
 ことなきものは 誠なりけり
(明治天皇御製)
24番  おこたりて 磨かざりせば 光ある
 玉も瓦も ひとしからまし
(昭憲皇太后御歌)
25番  あさみどり 澄みわたりたる 大空の
 広きをおのが 心ともがな
(明治天皇御製)
26番  茂りたる うばらからたち 払ひても
 ふむべき道は ゆくべかりけり
(昭憲皇太后御歌)
27番  大空に そびえて見ゆる たかねにも
 登ればのぼる 道はありけり
(明治天皇御製)
28番  かりそめの ことは思はで くらすこそ
 世にながらへむ 薬なるらめ
(昭憲皇太后御歌)
29番  器には したがひながら いはがねも
 とほすは水の ちからなりけり
(明治天皇御製)
30番  一すぢの その糸ぐちも たがふれば
 もつれもつれて とくよしぞなき
(昭憲皇太后御歌)

【恋歌百選】
春の恋  たちかへり 泣けども吾は しるし無み 
 思ひわぶれて 寝る夜しぞ多き
中臣宅守
夏の恋  夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
 知らえぬ恋は 苦しきものぞ
大伴坂上郎女
秋の恋  秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば
 事ぞともなく 明けぬるものを
小野小町
冬の恋  冬の日を 春より長く なすものは
 恋ひつつ暮らす 心なりけり
藤原忠通
片思い  しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 
 ものや思ふと 人の問ふまで
平兼盛 百人一首

片思い

 みちのくの しのぶのぢずり 誰ゆゑに
 乱れそめにし われならなくに
河原左大臣

片思い

 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
 いつへの方に あが恋やまむ
磐姫皇后 万葉集

片思い

 ますらをと 思へる我や かくばかり
 みつれにみつれ 片思をせむ
大伴宿禰家持 万葉集

片思い

 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ
 夢と知りせば 覚めざらましを
小野小町 古今和歌集

両想い

 忘れじの ゆくすゑまでは 難ければ
 今日かぎりの 命ともがな
儀同三司母

両想い

 我が背子と 二人見ませば いくばくか
 この降る雪の 嬉しからまし
光明皇后

両想い

 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
 なほうらめしき あさぼらけかな
藤原道信

両想い

 君がため 惜しからざりし 命さへ
 長くもがなと 思ひけるかな
藤原義孝

両想い

 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
 昔はものを 思はざりけり
権中納言敦忠

嫉妬

 嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くるまは
 いかに久しき ものとかは知る
右大将道綱母

嫉妬

 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
 人の命の 惜しくもあるかな
右近

嫉妬

 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
相模

嫉妬

 契りきな かたみに袖を しぼりつつ
 末の松山 波こさじとは
清原元輔

嫉妬

 思ひかね なほ恋路ぞ 帰りぬる
 恨みはすゑも 通らざりけり
俊恵法師

切ない別れ

 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 
 人づてならで 言ふよしもがな
左京大夫道雅

切ない別れ

 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 
 われても末に 逢はむとぞ思ふ
崇徳院

切ない別れ

 結ぶ手に しづくににごる 山の井の
 あかでも人に 別れぬるかな
紀貫之

切ない別れ

 それとなく 紅き花みな 友にゆづり
 そむきて泣きて 忘れな草つむ
山川登美子

切ない別れ

 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 いまひとたびの 逢ふこよもがな
和泉式部






(私論.私見)