短歌

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.20日



【出雲和歌/須佐之男命】
 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
 八重垣作る その八重垣根を
古事記

 (解説) 古事記に登場する日本最古の和歌。和歌から連歌が生まれ、そこから俳句、川柳が生まれる。

【倭建命】
 倭は 国のまほろば たたなづく青垣
 山隠れる 倭し美し
古事記

【民のかまど】
 高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ
 民のかまどは にぎはひにけり
(新古707)
 (通釈)

 仁徳天皇が、高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思う。
 【由来】新古今集巻七賀歌巻頭。延喜六年(906)の「日本紀竟宴和歌」の「たかどのにのぼりてみれば天の下四方に煙りて今ぞ富みぬる」が誤伝され、仁徳天皇御製として伝わった歌という。例えば『和漢朗詠集』には作者不明として見え、『水鏡』『古来風躰抄』などには仁徳天皇御製として載っている。

 どの家でもその日に食べる食料すらなくなり、人々は飢えに苦しんでいた。仁徳天皇はカマドに煙すら上がらない民の生活を見ていたく嘆き、いそぎ税を向う3年間は取り立てないことにした。そして宮殿の改修などに人力をさくことを中止し、食料の生産高をあげるべくさまざまな事業に専念した。その結果3年後にはどの家々からもカマドの煙が立ち昇ったとの故事にちなむ歌。

 仁徳天皇は、「天皇が天に立つのは民のためである。過去の聖王達は一人でも民が飢えたら自分の身を責めたものである。民が貧しいのは私が貧しいことであり、民が豊かなのは私が豊かなことなのだ」といい、まず民のことを第一に考えた。民は天皇を中心としたクニ造りに賛同し、その持てる力を出し合って難波の地に強くそして平和なクニを築き上げた。仁徳天皇没後に世界最大の墳墓が築かれたのも、「仁」と「徳」の聖王として称えられ、長く続く五穀豊穣と太平の世が残ったからとされている。
 【主な派生歌】は次の通り。
後鳥羽院 [玉葉] 見渡せば 村の朝けぞ 霞みゆく 民のかまども 春にあふ
藤原雅経 [続後撰] 高き屋に 治まれる世を 空にみて 民のかまども 煙立つなり
後嵯峨院 [続後拾遺] 足曳の 山田の早苗 とりどりに 民のしわざは にぎはひにけり
後宇多院 [新千載] 今も猶(なお) 民のかまどの 煙まで まもりやすらん 我が国のため
長慶天皇 たかきやに けむりをのぞむ 古に たちもおよばぬ 身をなげきつつ
正徹 かまどより たつや煙も 高き屋に のぼる霞の 色とみゆらん
正徹 これまでや なにはの宮の たかき屋に 煙をそへて みつの浜松
後水尾院 世は春の 民の朝けの 烟より 霞も四方の 空に立つらん
与謝野晶子 高き家(や)に 君とのぼれば 春の国河 遠白し 朝の鐘なる

 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nintoku.html
 http://www.h5.dion.ne.jp/~spark/his/nintoku.htm


【天智天皇】
 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
 わが衣手は 露にぬれつつ
百人一首

【衣通郎姫】
 わが夫子が 来べき夕なり ささがねの
 蜘蛛の行ひ 是夕著しも
日本書紀

【額田王】
 あかねさす 紫野行き 標野行き
 野守は見ずや 君が袖振る
万葉集

【大海人皇子】
 紫の にほえる妹を 憎くあらば
 人妻故に 吾(あれ)恋ひめやも
万葉集

大津皇子
 あしびきの 山のしづくに 妹待つと 
 我立ち濡れぬ 山のしづくに
万葉集
 大津皇子が恋人の石川郎女に送ったとされる一首。あしひきは枕詞。

【笠女郎】
 朝ごとに 我がみるやどの なでしこが
 花にも君は ありこせぬかも 
万葉集

【磐姫皇后】
 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
 いつへの方に あが恋やまむ
万葉集

【持統天皇の歌】
 春過ぎて 夏来たるらし 白栲の
 衣乾したり 天の香具山 
万葉集
 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 
 衣干すてふ 天の香具山
新古今和歌集、百人一首
 持統天皇は第41代の女性天皇。歌人の柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)を庇護(ひご)したといわれている。

【大伴家伝承の歌】
 海ゆかば 水づく屍 山行けば 草むす屍 
 大君のへにこそ死なめ かえりみもせず
万葉集
 大伴家伝承の歌で、万葉集に収録されている。大伴氏は物部氏とならぶ古代の豪族で、天皇家の軍事大臣という役どころを果たしていた。大伴氏は有名な万葉歌人の大伴旅人、家持を輩出した後、応天門の変で完全に勢力が一掃された。

【大伴旅人(おおとものたびと)の歌】
 なかなかに 人とあらずは 酒壺になり
 にてしかも 酒に染みなむ 
万葉集
 我が園に 梅の花散る 久かたの
 天より雪の 流れ来るかも
万葉集
 「久(ひさ)かたの」は「天」に掛かる枕詞(まくらことば)。

【大伴坂上郎女()の歌】
 酒杯に 梅の花 浮け思ふどち
 飲みての後は 散りぬともよし
万葉集
 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
 知らえぬ恋は 苦しきものぞ

【大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち)の歌】
 新たしき 年の始めの 初春の
 けふ降る雪の いや重け吉事          
万葉集
 ますらをと 思へる我や かくばかり 万葉集
 かささぎ(鵲)の 渡せる橋に おく霜の 
 白きを見れば 夜ぞ更けにける
新古今和歌集
 七夕の夜に織女が天の川を渡れるように、かささぎが翼を並べて橋を架けるという伝説がある。

【山上憶良(やまのうえのおくら) の歌】
 秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
 かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
万葉集
 「秋の七草」の由来となった歌といわれている
 銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 
 まされる宝 子に及(し)かめやも
万葉集

【柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ) の歌】
 東(ひんがし)の 野にかぎろいの 立つ見えて 
 かえり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ
万葉集
 柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)は飛鳥時代の歌人で、三十六歌仙の一人。山部赤人とともに歌聖(かせい)と呼ばれる。

【山部赤人(やまべの あかひと)の歌】
 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 
 富士の高嶺に 雪は降りつつ
万葉集、百人一首
 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ
 富士の高嶺に 雪は降りける
万葉集
 山部赤人(やまべの あかひと)は奈良時代の歌人で、三十六歌仙の一人。柿本人麻呂とともに歌聖(かせい)と呼ばれる。

【光明皇后()の歌】
 我が背子と 二人見ませば いくばくか
 この降る雪の 嬉しからまし

【御歌】
情景  手を拍てば 下女は茶を持ち 鳥は立ち
 魚は寄り来る 猿沢の池
 大和地方に昔から伝わる御歌。同じ拍手の音を聞いても、茶店の下女はお茶の催促と聞き取り、鳥は危ないから逃げろと聞き、魚は餌が与えられる合図と聞く。長い歴史によって作られた性格に拠り、受け取り方、受止め方が異なる。

【小野老(おのの おゆ)の歌】
 あをによし 奈良の都は 咲く花の
 にほふがごとく 今さかりなり
万葉集
あおによし(青丹よし)は「なら」にかかる掛詞。
 小野老(おのの おゆ)は奈良時代の貴族、歌人。

【兼明(かねあきら)親王の「七重八重花歌」】
 七重八重 花は咲けども 山吹の
 実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき」
後拾遺和歌集
 出典は「後拾遺和歌集」の兼明(かねあきら)親王の句。七重八重花は、実を結ばない花であることを踏まえて詠っている。狩の途中、蓑を借りようとした太田道灌(どうかん)に、土地の娘が無言で山吹の一枝を差し出した逸話にちなむ和歌である。道灌は、古歌の意味が分からず恥をかき、以来歌道に励んだと伝えられている。

【河原左大臣の歌】
 みちのくの しのぶのぢずり 誰ゆゑに
 乱れそめにし われならなくに
百人一首

【清原深養父・清少納言の曽祖父の歌】
 人を思ふ 心は雁に あらねども
 雲居にのみも なきわたるかな
古今和歌集
 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲のいづこに 月宿るらむ
古今和歌集、「百人一首」36番
 藤原家は和歌の学者の家系なのです。彼の和歌は、古今和歌集、後撰和歌集にたくさん選ばれている。彼は琴の名手としても名高く、芸術を愛した人といわれる。紀貫之の友人だったそうです。

【藤原兼輔・紫式部の曽祖父の歌】
 人の親の 心は闇に あらねども
 子を思ふ道に まどひぬるかな
後撰集
 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲のいづこに 月宿るらむ
古今和歌集、「百人一首」36番
 清少納言は、一条天皇の皇后定子(ていし)、紫式部は中宮彰子(しょうし)に仕え、王宮で確執した。この歌は、最近のコンピューター解析により、清原深養父の元歌に藤原兼輔が替え歌している様子が判明した。平安時代を代表した清少納言と紫式部の因縁の関係が曽祖父時代からのものであることが明らかとされ、話題を呼んでいる。

【**の歌】
 ただ人は 情あれ朝顔の 
 花の上なる 露の世に   
閑吟集

【儀同三司母の和歌の歌】
 忘れじの ゆくすゑまでは 難ければ
 今日かぎりの 命ともがな

【僧正遍照(そうじょう へんじょう) の歌】
情緒  天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 
 をとめの姿 しばしとどめむ
古今和歌集、百人一首
 遍照は平安時代の僧・歌人で、六歌仙及び三十六歌仙の一人。桓武天皇の孫でありながら、出家して天台宗の僧侶となった。

【安倍仲麿(あべの なかまろ)の歌】
 天の原 ふりさけみれば 春日なる
 三笠の山に 出(いで)し月かも
古今和歌集 、百人一首
 安倍仲麿(あべの なかまろ)は奈良時代の遣唐留学生で、科挙に合格して唐朝において高官とった。日本への帰国は果たせなかった。

【伊勢大輔(いせの たいふ)の歌】
 いにしへの 奈良の都の 八重桜
 けふ九重に にほひぬるかな
詞花和歌集、百人一首
 伊勢大輔(いせの たいふ)は平安時代の女流歌人で、三十六歌仙の一人。

【猿丸大夫(さるまるだゆう、さるまるのたいふ)の歌】
季節  奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
 声きく時ぞ 秋は悲しき
古今和歌集(よみ人しらず)、百人一首
 猿丸大夫(さるまるだゆう、さるまるのたいふ)は三十六歌仙の一人。実在を疑う説もある。

【()の歌】
 思ふどち 春の山辺に うちむれて
 そことも言はぬ 旅寝してしが   
古今和歌集

【藤原家隆(従二位家隆)()の歌】
 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
 みそぎぞ夏の しるしなりける
新勅撰和歌集、百人一首98番
 藤原家隆は、新古今和歌集の選者の1人。藤原定家(97番)とは従兄弟であり友人です。この和歌は、後堀川天皇のもとに中宮が入内するとき、屏風に合わせた歌をと依頼されて、詠んだものです。

【藤原道長(ふじわらのみちなが)の歌】
 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
 欠けたることも なしと思へば

【藤原道信(ふじわらの)の歌】
 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
 なほうらめしき あさぼらけかな

【藤原忠通(ふじわらの)の歌】
 冬の日を 春より長く なすものは
 恋ひつつ暮らす 心なりけり

【藤原実定(後徳大寺左大臣)(ふじわらの)の歌】
 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
 ただ有明の 月ぞ残るたれ
千載和歌集、百人一首81番
 藤原実定は、詩歌だけでなく、今様・神楽・管絃の名手で、蔵書家としても知られる才能豊かな人だった。ホトトギス、時鳥、郭公、全部ホトトギスと読む。

【藤原敏行(ふじわらの としゆき)の歌】
 秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
 風の音にぞ おどろかれぬる
古今和歌集169
 藤原敏行は平安時代の貴族、歌人・書家で三十六歌仙の一人。家集に『敏行集』がある。

【藤原義孝(ふじわらの よしたか)の歌】
 君がため 惜しからざりし 命さへ 
 長くもがなと 思ひけるかな
後拾遺和歌集、百人一首
 藤原義孝(ふじわらの よしたか)は、天然痘のために、兄と同日に21歳で亡くなった。美貌であったため、疱瘡の傷痕が顔に残ったことを苦にして自殺したとも言われている。

【藤原敦忠(ふじわらの )の歌】
 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
 昔は物を 思はざりけり
拾遺和歌集

【藤原有家(ふじわらの )の歌】
季節  風わたる 浅茅が末の 露にだに
 宿りも果てぬ 宵の稲妻
新古今和歌集

【藤原良経(ふじわらの )の歌】
季節  人住まぬ 不破の関屋の 板廂
 荒れにしのちは ただ秋の風
新古今和歌集

【藤原俊成(ふじわらの )の歌】
季節  夕されば 野辺の秋風 身にしみて
 鶉鳴くなり 深草の里     
千載和歌集

藤原秀能(ふじわらの )の歌】
 今来んと 頼めしことを 忘れずは
 この夕暮れの 月や待つらん
新古今和歌集

藤原兼輔(ふじわらの )の歌】
 人の親の 心は闇に あらねども
 子を思ふ道に 惑ひぬるかな
後撰和歌集

藤原公任(ふじわらの )の歌】
 春来てぞ 人もとひける 山里は
 花こそ宿の あるじなりけれ
拾遺和歌集

藤原清輔(ふじわらの )の歌】
 柴の戸に 入日の影は さしながら
 いかにしぐるる 山べなるらん 
新古今和歌集

右大将道綱母( )の歌】
 嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間(ま)は
 いかに久しき ものとかは知る
蜻蛉日記、百人一首
 右大将道綱母は藤原兼家の嫁。

【権中納言敦忠( )の歌】
 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
 昔はものを 思はざりけり

曾禰好忠( )の歌】
 由良の門を 渡る舟人 梶を絶え
 ゆくへも知らぬ 恋の道かな
新古今和歌集

源順( )の歌】
人生  老いにける 渚の松の 深緑
 沈める影を よそにやは見る 
新古今和歌集

俊恵法師( )の歌】
人生  ながむべき 残りの春を かぞふれば
 花とともにも 散る涙かな 
新古今和歌集
 思ひかね なほ恋路ぞ 帰りぬる
 恨みはすゑも 通らざりけり

能因()の歌】
 山里の 春の夕暮 来てみれば
 入相の鐘に 花ぞ散りける
新古今和歌集

寂蓮()の歌】
季節  寂しさは その色としも なかりけり
 槙立つ山の 秋の夕暮 
新古今和歌集

式子内親王の歌】
季節  山深み 春とも知らぬ 松の戸に
 たえだえかかる 雪の玉水
新古今和歌集

順徳院()の歌】
季節  夕立の なごりばかりの 庭たづみ
 日ごろもきかぬ かはづ鳴くなり 
玉葉和歌集

【菅原道真(すがわらの みちざね)の歌】
 秋風の 吹き上げにたてる 白菊は
 花かあらぬか 浪のよするか
古今和歌集272
 このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山(たむけやま)
 もみぢの錦 神のまにまに
古今和歌集420
 松の色は 西ふく風や そめつらむ
 海のみどりを 初入(はつしほ)にして
続古今和歌集690
 草葉には 玉とみえつつ わび人の
 袖の涙の 秋のしら露
新古今和歌集461
 谷ふかみ 春のひかりの おそければ
 雪につつめる 鶯の声
新古今和歌集1441
 ふる雪に 色まどはせる 梅の花
 鶯のみや わきてしのばむ
新古今和歌集1442
 道の辺の 朽ち木の柳 春くれば
 あはれ昔と 偲ばれぞする
新古今和歌集1449
 あしびきの こなたかなたに 道はあれど
 都へいざと いふ人ぞなき
新古今和歌集1690
 天の原 あかねさし出づる 光には
 いづれの沼か さえのこるべき
新古今和歌集1691
 月ごとに ながると思ひし ますかがみ
 西の海にも とまらざりけり
新古今和歌集1692
 霧たちて 照る日のもとは 見えずとも
 身はまどはれじ 寄る辺ありやと
新古今和歌集1694
 花とちり 玉とみえつつ あざむけば
 雪ふる里ぞ 夢に見えける
新古今和歌集1695
 老いぬとて 松はみどりぞ まさりける
 我が黒髪の 雪のさむさに
新古今和歌集1696
 筑紫にも 紫おふる 野辺はあれど
 無き名かなしぶ 人ぞきこえぬ
新古今和歌集1697
 かるかやの 関守にのみ 見えつるは
 人もゆるさぬ 道べなりけり
新古今和歌集1698
 海ならず たたへる水の 底までに
 きよき心は 月ぞてらさむ
新古今和歌集1699
 彦星の ゆきあひを待つ かささぎの
 門とわたる橋を 我にかさなむ
新古今和歌集1700
 流れ木と 立つ白波と 焼く塩と
 いづれかからき わたつみの底
新古今和歌集1701
 さくら花 ぬしをわすれぬ ものならば
 吹き来む風に 言伝てはせよ
後選和歌集57
 水ひきの 白糸はへて おる機(はた)は
 旅の衣に たちやかさねむ
後選和歌集1356
 ひぐらしの 山路をくらみ 小夜ふけて
 木(こ)の末ごとに 紅葉てらせる
後選和歌集1357
 雁がねの 秋なくことは ことわりぞ
 かへる春さへ 何かかなしき
続後選和歌集57
 まどろまず ねをのみぞなく 萩の花
 色めく秋は すぎにしものを
続後選和歌集1088
 ながれゆく 我は水屑(みくづ) となりはてぬ
 君しがらみと なりてとどめよ
大鏡
 夕されば 野にも山にも 立つけぶり
 歎きよりこそ 燃えまさりけれ
大鏡
 梅の花 紅(べに)の色にも 似たるかな
 阿呼がほほに つけたくぞある
 君がすむ 宿のこずゑの ゆくゆくと
 隠るるまでに かへりみしやは
拾遺和歌集351
 天(あま)つ星 道も宿りも ありながら
 空にうきても 思ほゆるかな
拾遺和歌集479
 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
拾遺和歌集1006
 あめの下 のがるる人の なければや
 着てし濡衣(ぬれぎぬ) ひるよしもなき
拾遺和歌集1016
 菅原道真は、平安時代の貴族で学者、政治家、歌人として名を残した。九州の大宰府へ左遷された2年後に亡くなりましたが、死後に天変地異が多発したため「天神様」と恐れられました。現在では、学問の神様、受験の神様として親しまれる存在となっている。

【崇徳院(すうとくいん)の歌】
 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
 われても末に 逢はむとぞ思ふ

【小野小町(おのの こまち)の歌】
人生  花の色は 移りにけりな いたづらに 
 わが身世にふる ながめせしまに
古今和歌集113、百人一首
 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ
 夢と知りせば 覚めざらましを
古今和歌集552
 うたた寝に 恋しき人を 見てしより
 夢てふものは たのみそめてき
古今和歌集553
 いとせめて 恋しき時は むばたまの
 夜の衣を かへしてぞ着る
古今和歌集554
 おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす
 我はせきあへず たぎつ瀬なれば
古今和歌集557
 みるめなき 我が身をうらと 知らねばや
 かれなで海士の 足たゆく来る
古今和歌集623
 秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 
 事ぞともなく 明けぬるものを
古今和歌集635
 うつつには さもこそあらめ 夢にさへ
 人めをもると 見るがわびしさ
古今和歌集656
 かぎりなき 思ひのままに 夜も来む
 夢路をさへに 人はとがめじ
古今和歌集657
 夢路には 足もやすめず 通へども
 うつつにひとめ 見しごとはあらず
古今和歌集658
 海人のすむ 里のしるべに あらなくに
 うらみむとのみ 人の言ふらむ
古今和歌集727
 今はとて わが身時雨に ふりぬれば
 言の葉さへに うつろひにけり
古今和歌集782
人生  色見えで 移ろふものは 世の中の
 人の心の 花にぞありける
古今和歌集797
人生  秋風に あふたのみこそ 悲しけれ
 わが身むなしく なりぬと思へば
古今和歌集822
 わびぬれば 身を浮草の 根をたえて
 さそふ水あらば いなむとぞ思ふ
古今和歌集938
人生  あはれてふ ことこそうたて 世の中を
 思ひはなれぬ ほだしなりけれ
古今和歌集939
 人に逢はむ 月のなきには 思ひおきて
 胸はしり 火に心やけをり
古今和歌集1030
 小野小町(おのの こまち)は、平安時代の女流歌人で、六歌仙及び三十六歌仙の一人。出生をはじめとして
経歴が定かではないが、絶世の美女であったといわれ、小野小町の墓は全国に数多く存在している。

和泉式部()の歌】
 つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人
 天降り来む ものならなくに
玉葉和歌集
 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
 いまひとたびの 逢ふこよもがな

【紫式部()の歌】
 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 
 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな
百人一首

【清少納言()の歌】
 夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀るとも
 よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ
百人一首

藤原俊成女()の歌】
 橘のにほふ あたりのうたた寝は
 夢も昔の 袖の香ぞする 
新古今和歌集

建礼門院右京大夫()の歌】
 今や夢 昔や夢と まよはれて
 いかに思へど うつつとぞなき
建礼門院右京大夫集

永福門院()の歌】
 うきも契り つらきも契り よしさらば
 みなあはれにや 思ひなさまし 
風雅集

慈円()の歌】
 有明の 月のゆくへを ながめてぞ
 野寺の鐘は 聞くべかりける  
新古今和歌集

宮内卿()の歌】
 思ふこと さしてそれとは なきものを
 秋の夕べを 心にぞ問ふ
新古今和歌集

光厳院()の歌】
 ともし火に 我もむかはず 灯も
 我にむかはず おのがまにまに 
光厳院御集

【大江千里(おおえのちさと) の歌】
 月みれば 千々(ちぢ)に物こそ 悲しけれ
 我が身ひとつの 秋にはあらねど
古今和歌集
 「千々」と「ひとつ」が対になって詠み込まれている。

【赤染衛門() の歌】
 やすらはで 寝なましものを 小夜明けて
 かたぶくまでの 月を見しかな
百人一首

【在原業平(ありわらの なりひら)の歌】
 世の中に たえて桜の なかりせば
 春の心は のどけからまし
古今和歌集、伊勢物語
 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
 わが身ひとつは もとの身にして
古今和歌集
 つひに行く 道とは聞きしかど 
 昨日今日とは 思はざりけり
 唐衣 着つつなれにし つましあれば
 はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
 在原業平(ありわらの なりひら)は平安時代の貴族、歌人で六歌仙および三十六歌仙の一人。古くから美男の代名詞とされ、鷹狩りの名手であったといわれている。

在原行平()の歌】
 わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に
 藻塩たれつつ わぶと答えよ
古今和歌集

【紀友則(きの)の歌】
 久方(ひさかた)の 光のどけき 春の日に 
 しづ心無く 花の散るらむ
古今集

【紀貫之(きのつらゆき)の歌】
情景  見る人も なくて散りぬる 奥山の
 もみぢは夜の 錦なりけり 
古今和歌集
情景  人はいさ 心も知らず ふるさとは
 花ぞ昔の 香ににほひける
古今和歌集
 結ぶ手に しづくににごる 山の井の
 あかでも人に 別れぬるかな
 五月山 こずゑをたかみ 時鳥
 なくね空なる 恋もするかな
古今和歌集
 音羽山 こだかく鳴きて 郭公
 君が別れを 惜しむべらなり
古今和歌集
 紀貫之は、古今和歌集の選者の1人で、『土佐日記』の作者としても有名。古典文学史上、最大の敬意を払われてきた人物とさえ言われている。

【壬生忠岑( )の歌】
季節  暮るるかと みればあけぬる 夏の夜を
 あかずとやなく 山郭公
古今和歌集
 壬生忠岑は、「古今和歌集」の選者の1人です。身分は低いのですが、優れた歌人として、多くの歌人に称賛されているのでした。「あかず」は「飽かず」(飽きない)と「明かず」(夜が明けない)の掛詞。

【素性法師( )の歌】
 いそのかみ ふるき都の 郭公
 声ばかりこそ 昔なりけれ
古今和歌集
 素性法師は、三十六歌仙の一人で、僧正遍照の息子。父の命により若くして出家しましたが、和歌の才能があり、出家後も宮廷で重用された。

【蝉丸( )の歌】
 これやこの 行くも帰るも 別れては
 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
百人一首

平兼盛( )の歌】
 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
 物や思ふと 人の問うまで 
拾遺和歌集

平忠度( )の歌】
 行き暮れて 木の下陰を 宿とせば
 花や今宵の 主ならまし
平家物語

【平維盛( )の歌】
人生  生まれては つひに死ぬてふ 事のみぞ
 定めなき世に 定めありける
平家物語

【藤原定家(ふじわらの さだいえ)の歌】
 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に
 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
 見渡せば 花も紅葉(もみじ)も なかりけり 
 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ
新古今和歌集
 藤原定家(ふじわらの さだいえ)は鎌倉時代の公家、歌人で、百人一首の撰者(せんじゃ)です。

【一休宗純禅師】
 人は武士 柱は檜 魚は鯛
 小袖は紅梅 花はみ吉野
 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

【西行法師】
 なにごとの おはしますかは 知らねども
 かたじけなさに 涙こぼるる
 願はくは 花の下(もと)にて 春死なむ
 そのきさらぎの 望月の頃
山家集、山家心中集、西行物語、続古今和歌集など
 【派生歌】(三条西実隆)
 老が世を 思へばなべて 散ることも
 ひとりのための花とこそ見れ
 風になびく 富士の煙の 空に消えて
 ゆくへも知らぬ わが思ひかな   
新古今和歌集
 いとほしや さらに心の をさなびて
 魂(たま)ぎれらるる 恋もするかな
山家集、夫木和歌抄
 うちつけに また来む秋の 今宵まで
 月ゆゑ惜しく なる命かな
山家集、山家心中集
 おしなべて 花のさかりに なりにけり
 山の端ごとに かかる白雲
山家集、山家心中集、定家八代抄など
 【派生歌】(藤原定家)
 白雲と まがふ桜に さそはれて
 心ぞかかる 山の端ごとに
 恋しきを たはぶれられし そのかみの
 いはけなかりし 折の心は
聞書集
 すぎてゆく 羽風なつかし 鶯よ
 なづさひけりな 梅の立枝に
山家集、山家心中集
 つくづくと 物を思ふに うちそへて
 をりあはれなる 鐘の音かな
山家集、山家心中集、玉葉和歌集
 【補足】和泉式部の「和泉式部集」には次の歌がある。
 つくづくと おつる涙に しづむとも
 聞けとて鐘の おとづれしかな
 つねよりも 心ぼそくぞ 思ほゆる
 旅の空にて 年の暮れぬる
山家集、西行物語
 なにごとも 変はりのみゆく 世の中に
 おなじかげにて すめる月かな
山家集、山家心中集、続拾遺和歌集
 【派生歌】(宗尊親王)
 月もなほ おなじかげにて すむものを
 いかにかはれる 我が世なるらむ
 なにとなく さすがに惜しき 命かな
 ありへば人や 思ひ知るとて
山家集、西行物語、新古今和歌集
 なにとなく 春になりぬと 聞く日より
 心にかかる み吉野の山
山家集、山家心中集
 花に染そむ 心のいかで 残りけむ
 捨て果ててきと 思ふわが身に
山家集、山家心中集、千載和歌集
 花見れば そのいはれとは なけれども
 心のうちぞ 苦しかりける
山家集、夫木和歌抄
 都にて 月をあはれと 思ひしは
 数よりほかの すさびなりけり
山家集、西行物語、新古今和歌集
 身を捨つる 人はまことに 捨つるかは
 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
西行物語、詞花和歌集
 初めて勅撰和歌集に入集した歌
 もろともに 眺め眺めて 秋の月
 ひとりにならむ ことぞ悲しき
山家集、山家心中集、定家八代抄、千載和歌集
(補足)千載和歌集(せんざいわかしゅう)の詞書には、「同行上人西住、秋ごろわづらふことありて、限にみえければよめる」とある。
 もろともに 我をも具して 散りね花
 うき世をいとふ 心ある身ぞ
山家集、山家心中集、夫木和歌抄
 山里は 秋のすゑにぞ 思ひしる
 悲しかりけり 木がらしの風
山家集、山家心中集、西行物語、新勅撰和歌集
 【補足】京都・嵯峨野の法輪寺に参籠(さんろう=寺社などに一定の期間こもって祈願すること)していたときに詠んだ歌。
 弓はりの 月にはづれて 見しかげの
 やさしかりしは いつか忘れむ
山家集、山家心中集、夫木和歌抄など
 世の中を 思へばなべて 散る花の
 我が身をさても いづちかもせむ
西行物語、新古今和歌集
 【派生歌】(三条西実隆)
 老が世を 思へばなべて 散ることも
 ひとりのための 花とこそ見れ
 西行(さいぎょう、佐藤義清)は武門の家に生まれ、鳥羽上皇に仕えるものの、友人の急死により世の無常を知り、23歳の若さで出家し家族を捨て、故郷を捨てた。その後は吉野その他で草庵の生活をしていたと伝えられている。漂白の旅に出るなどし凡そ22,000首の和歌を残している。新古今和歌集には944首が入集するなど、中世を代表する歌人である。西行は、しばしば諸国を旅して多くの和歌を残している。享年73歳。その影響を受けている松尾芭蕉は、西行の歌の題材となった名所旧跡などを訪れている。

【清原元輔】
 契りきな かたみに袖を しぼりつつ
 末の松山 波こさじとは

【右大将道綱母】
 嘆きつつ 一人寝る夜の 明くる間は
 いかに久しき ものとかは知る

【大田資長(後の大田道灌)】
 急がずば 濡(ぬ)れざらましを 旅人の
 後より晴るる 野路の村雨
 (解説) 大田資長(後に江戸城を築城した大田道灌)が、父親に「短慮不成功」を分かりやすく和歌で表現せよと云われ、詠んだ歌。
 東京都庁の道向にある「新宿中央公園」は、新宿高層ビル群の一角にある貴重な緑地として区民の憩いの場となっている。その一画にある「久遠の像」は江戸城を築城した武将、太田道灌の「山吹伝説」を題材にした作品である。「山吹伝説」は次の通り。

 或る日、道灌が鷹狩りに出かけた折、にわか雨にあった。近くの農家に駆け込み蓑を貸してくれと頼んだところ、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は蓑を借りる事ができず、花では雨がしのげぬと怒って帰った。その道灌が、城でこの件を家臣に話したところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間の茅葺きの家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。それを聞いた道灌は不明を恥じ、歌道にいっそう精進するようになったと云う。落語にこの故事をもとにした「道灌」という演目がある。この伝説の地ははっきりは分かっていないが、新宿区内には山吹町の地名が残されていて候補地の一つである。 

【源実朝(みなもとの さねとも)の歌】
 大海の 磯もとどろに 寄する波
 割れて砕けて 裂けて散るかも
金槐和歌集
 源実朝(みなもとの さねとも)は源頼朝の子で、鎌倉幕府・第3代征夷大将軍。満26歳で暗殺された。

【四方赤良・よものあから】
 「寝て待てど暮らせど 更に何事も なきこそ人の 果報なりけれ」
 「我が禁酒 破れ衣となりにけり さしてもらおう ついでもらおう」
 「かくばかり めでたく見ゆる世の中を うらやましくや のぞく月影」
 「らくらくと 世を渡るべき 瑞相は 耳が大きく 色気たっぷり」
 「八十や 九十や百の 若い者 鶴は千年 亀は万年」
 「世の中に たえて女のなかりせば 男の心 のどけからまし」
 「一刻を 千金づつに つもりなば 六万両の 春のあけぼの」
 「二度三度 人をやるのに なせ来ぬか あまりきねから 腹が立ち臼」
 「世の中は 色と恋とが敵(かたき)なり どうぞ敵に めぐりあいたい」

【**】
 「今は梅干婆あでも 若いときには色香も深く うぐいす鳴かせた こともある」

【頓阿】
景色  つもれただ 入りにし山の 嶺の雪
 うき世にかへる 道もなきまで  
続千載和歌集

【後鳥羽院】
 奥山の おどろが下も 踏み分けて
 道ある世ぞと 人に知らせん
新古今和歌集

【伏見院】
 咲きやらぬ 籬の萩の 露を置きて
 我ぞうつろふ ももしきの秋
玉葉和歌集

【右近】
 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
 人の命の 惜しくもあるかな

【相模】
 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

【左京大夫道雅】
 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
 人づてならで 言ふよしもがな

【中臣宅守】
  たちかへり 泣けども吾は しるし無み 
 思ひわぶれて 寝る夜しぞ多き

【良寛】
 霞立つ 長き春日を 子どもらと
 手まりつきつつ この日暮らしつ
はちすの露

【本居宣長】
 敷島の 大和心を 人問わば
 朝日に匂ふ 山桜花





(私論.私見)

右近の「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」
嫉妬の有名な恋の短歌三つ目は、相模の「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」
左京大夫道雅「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」
中臣宅守の「たちかへり 泣けども吾は しるし無み 思ひわぶれて 寝る夜しぞ多き」。

『伊勢物語』より「夏」の和歌
 
9.暮れがたき 夏の日ぐらし ながむれば そのこととなく 物ぞ悲しき
 
『伊勢物語』第四十五段「ゆく蛍」
 
10.彦星に 恋はまさりぬ 天の河 へだつる関を 今はやめてよ
 
『伊勢物語』第九十五段「彦星」