百人一首

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.7.22

 別章【韻律句(和歌、短歌、俳句、川柳、辞世句)

 2020.7.6日、「『百人一首』は面白い!東大教授が語る3つの謎とは?」。

 映画「ちはやふる」の影響で、若い世代にも人気となった『百人一首』。「実は謎がたくさん隠されている」と話す、日本文学研究者で東京大学大学院人文社会系研究科教授の渡部泰明さんに奥深い『百人一首』の和歌についてご案内いただきます(全5話中第1話)

 目次

 『百人一首』には、三つの謎がある!? 

 『百人一首』ほど愛された古典はないといってもいいでしょう。現在でも、生徒に『百人一首』全てを暗記させる高校も多く、かるたなどでも大変親しまれています。日本の古典を代表する作品といっていいでしょう。しかし、実は百人一首には、成立に関する謎、なぜこの百人が選ばれたのかという謎、代表作の選ばれ方の謎があります。そもそも『百人一首』は、もとをただせば一体どういうものだったのかについて、今回はお話しします。さあ、動画で一緒に学びましょう。..

 2020.7.6日、「在原業平の一首「ちはやぶる~」はなぜ選ばれたのか?」。

 実はいくつもの謎が隠されている『百人一首』。日本文学研究者で東京大学大学院人文社会系研究科教授の渡部泰明さんに奥深い『百人一首』の和歌についてご案内いただきます。今回は、美男の貴公子として名高い在原業平の一首を取り上げます(全5話中第2話)

 高貴な貴公子、業平の代表歌が「この一首なのか」という疑問

 前回、百人一首には、成立に関する謎、なぜこの百人が選ばれたのかという謎、代表作の選ばれ方の謎があるというお話をしました。今回からは、個別の歌人と選ばれた作品の謎に迫っていきます。

 今回取り上げるのは、美男の貴公子として名高い在原業平です。

 『伊勢物語』の主人公になぞらえられた人で、『伊勢物語』には業平とは書かれず、「昔男(むかしをとこ)」とされています。業平は、825年に生まれて880年に亡くなる9世紀の人です。血筋から言えば完全に理想的な天皇家の血筋を濃く引いていますが、「在原」という名字をもって臣下に列しています。

 さて、大変有名な在原業平の歌として定家が選んだ一首は、この歌です。

 「ちはやぶる神代も聞かず竜田川韓紅 (からくれなゐ)に水くくるとは」

 これに関して、「あの有名な業平の一首が、この歌だろうか」という疑問は、大変多くの人が寄せています。しかし、よくよく考えると、業平の歌としてこれを選んだ定家の見識は、なかなかやはり深いものがあるのではないかと思わせるものがあるのです。

 2020.7.22日、「日本史上最大級の女性歌人!和泉式部の特殊能力とは?」。
 実はいくつもの謎が隠されている『百人一首』。日本文学研究者で東京大学大学院人文社会系研究科教授の渡部泰明さんに奥深い『百人一首』の和歌についてご案内いただきます。今回は日本史上最大級の女性歌人ともいえる和泉式部の歌がテーマです。

 情熱的で有名な一首ですが、実は別の解釈もできます

 今回は、『百人一首』に登場する歌人の二人目として、和泉式部を取り上げます。和泉式部の『百人一首』の歌は次の一首になりますが、有名な歌です。
 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな

 和泉式部といえば平安時代、その中でも王朝文化最盛期を支えた女流文学者です。紫式部、清少納言たちと同世代で、宮中を中心に日本の貴族文化が最盛期を迎えた時代。そこで活躍した歌人であり平安時代最大の女流歌人、あるいは歴史上現れた女性歌人の中でも最大級であると言って構わないだろうと思います。その和泉式部の歌として、この歌が入っているのです。 勅撰和歌集の『後拾遺和歌集』に入っているこの歌は、『百人一首』の歌の中でも一番情熱的だと思います。多くの人の共感を呼ぶと同時に、実は解釈にかなりの議論の余地があります。代表的なものは、『新日本古典文学大系』(岩波書店から出ている古典の注釈叢書)の中の『後拾遺和歌集』の注釈で、「私はこのまま死んでしまうでしょう。来世の思い出としてもう一度あなたにお会いしとうございます」という解釈。確かにそういう解釈も可能ですが、注目するのは上の句です。「思ひ出に」という言葉は非常に屈折した意味を幾重にもはらんでいる。つまり、この言葉には和泉式部があの世に行ってしまうため、この世に残される男が彼女を思い出すという意味も含まれていると考えられます。今までの訳は、これでいいのだろうかと私はずっと納得できなかったのです。そこで次の訳を提出してみました。これは多分、私流の風変わりな訳だろうと思っているのですが、もしかしたら誰かもう既にこのような訳をしているのかもしれません。 「私がこの世からいなくなったら、あの世での思い出のよすがとなるよう、またこの世で私を思い出してもらえるよう、もう一度会いたい」。このような解釈の根拠として、渡部氏は和泉式部が恋人とやりとりした数々の贈答歌を取り上げます。

 和泉式部には、死の世界と生の世界を自在に行き来する能力がある!

 「我にたれ あはれをかけん 思ひ出の なからん後ぞ かなしかりける」という歌では、死後、この世の相手に忘れ去られていく悲しさが詠まれています。野辺送りの歌「たちのぼる けぶりにつけて 思ふかな いつまたわれを 人のかく見ん」では、死者を見て自分の死後に思いを巡らせています。 こういう死の世界と生の世界を行ったり来たりできる能力が、和泉式部という歌人の最大の特徴だろうと思います。こういう能力は、紫式部なども持っていました。ただ紫式部の場合は歌でそれを発揮するというよりは、源氏物語という大傑作の中で、です。そこで、死の世界を行ったり来たりするような、あるいは六条御息所のように生霊(いきすだま)になったりということをし、紫式部は散文としてそれをやりましたけれど、和泉式部は和歌の世界で発揮したのです。 百人一首の歌もあの世からこの世を思っているだけでなく、現世に残される男の心情も含んだ、非常に物語性に富んだ歌といえます。藤原定家が百人一首の歌として選んだ理由もそこにあるのではないでしょうか。


天智天皇
(てんちてんのう)
中大兄皇子
(なかのおおえのおうじ)

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ
持統天皇
(じとうてんのう)
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
山部赤人
(やまべのあかひと)
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
猿丸大夫
(さるまるだゆう)
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋は悲しき
中納言家持(大伴家持)
(おおとものやかもち)
かささぎの 渡せる橋に おく霜の
白きを見れば 夜ぞ更けにける
阿倍仲麻呂
(あべのなかまろ)
天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に 出し月かも
喜撰法師 わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり
小野小町
(おののこまち)
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに
蝉丸 10 これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
小野篁|参議篁 11 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣船
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)
12 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
陽成天皇|陽成院 13 筑波嶺の 峰より落つる 男女川
恋ぞ積もりて 淵となりぬる
源融|河原左大臣 14 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくに
光孝天皇
(こうこうてんのう)
15 君がため 春の野に出でて 若菜摘む
わが衣手に 雪は降りつつ
在原行平
中納言行平
16 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む
在原業平朝臣(あそん)
(ありわらのなりひら)
17 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
藤原敏行
藤原敏行朝臣
18 住の江の 岸に寄る波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
伊勢 19 難波潟 短き蘆の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや
元良親王 20 わびぬれば 今はたおなじ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
素性法師 21 今来むと 言ひしばかりに 長月の
有明の月を 待ち出でつるかな
文屋康秀 22 吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ
大江千里 23 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど
菅原道真
(すがわらのみちざね)
24 このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
藤原定方
三条右大臣
25
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな
藤原忠平
貞信公
26
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
藤原兼輔
中納言兼輔
27
みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
源宗于
源宗于朝臣
28
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
凡河内躬恒 29
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
壬生忠岑 30
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
坂上是則 31
31番 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
春道列樹 32
32番 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
紀友則 33
33番 ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
藤原興風 34
34番 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
紀貫之 35
35番 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける
清原深養父 36
36番 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
文屋朝康 37
37番 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
右近 38
38番 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
源等|参議等 39
39番 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
平兼盛 40
40番 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
壬生忠見 41
41番 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
清原元輔 42
42番 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
藤原敦忠|権中納言敦忠 43
43番 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
藤原朝忠|中納言朝忠 44
44番 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
藤原伊尹|謙徳公 45
45番 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
曽禰好忠 46
46番 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋のみちかな
恵慶|恵慶法師 47
47番 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
源重之 48
48番 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな
大中臣能宣|大中臣能宣朝臣 49
49番 御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ
藤原義孝 50
50番 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
藤原実方|藤原実方朝臣 51
51番 かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
藤原道信|藤原道信朝臣 52
52番 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな
藤原道綱母|右大将道綱母 53
53番 嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
高階貴子|儀同三司母 54
54番 忘れじの ゆく末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
藤原公任|大納言公任 55
55番 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
和泉式部 56
56番 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな
紫式部 57
57番 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
大弐三位 58
58番 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
赤染衛門 59
59番 やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな
小式部内侍
(こしきぶのないし)
60 大江山 いく野の道の とほければ
まだふみもみず 天の橋立
伊勢大輔
(いせのたいふ)
61 いにしへの 奈良の都の 八重桜 
けふ九重に 匂ひぬるかな
清少納言 62
62番 夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関はゆるさじ
藤原道雅|左京大夫道雅 63
63番 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな
藤原定頼|権中納言定頼 64
64番 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
相模 65
65番 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
行尊|大僧正行尊 66
66番 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
周防内侍 67
67番 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそをしけれ
三条天皇|三条院 68
68番 心にも あらで憂き夜に 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな
能因|能因法師 69
69番 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり
良暹|良暹法師 70
70番 寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ
源経信|大納言経信 71
71番 夕されば 門田の稲葉 訪れて 蘆のまろ屋に 秋風ぞ吹く
祐子内親王家紀伊 72
72番 音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ
大江匡房|権中納言匡房 73
73番 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ
源俊頼|源俊頼朝臣 74
74番 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ 激しかれとは 祈らぬものを
藤原基俊 75
75番 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
藤原忠通|法性寺入道前関白太政大臣 76
76番 わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
崇徳天皇|崇徳院 77
77番 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
源兼昌 78
78番 淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
藤原顕輔|左京大夫顕輔 79
79番 秋風に たなびく雲の 絶え間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ
待賢門院堀河 80
80番 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ
後徳大寺左大臣
(徳大寺実定)
(とくだいじ さねさだ)
81 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただありあけの月ぞ残れる
藤原敦頼|道因法師 82
82番 思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり
藤原俊成|皇太后宮大夫俊成 83
83番 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
藤原清輔|藤原清輔朝臣 84
84番 長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
俊恵|俊恵法師 85
85番 夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
西行|西行法師 86
86番 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
寂蓮|寂蓮法師 87
87番 村雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
皇嘉門院別当 88
88番 難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ 身を尽くしてや 恋ひわたるべき
式子内親王 89
89番 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
殷富門院大輔 90
90番 見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず
九条良経|後京極摂政前太政大臣 91
91番 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
二条院讃岐 92
92番 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし
源実朝|鎌倉右大臣 93
93番 世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
飛鳥井雅経
参議雅経
94 み吉野の 山の秋風 さよ更けて
ふるさと寒く 衣打つなり
前大僧正慈円 95 おほけなく 憂き世の民に おほふかな
わが立つ杣に 墨染の袖
西園寺公経
入道前太政大臣
96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
藤原定家
権中納言定家
97 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
藤原家隆 (従二位)
従二位家隆
98 風そよぐ 楢の小川の 夕暮は
御禊ぞ夏の しるしなりける
後鳥羽天皇
後鳥羽院
90 人も惜し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は

順徳天皇|順徳院 100 百敷や 古き軒端の しのぶにも
なほ余りある 昔なりけり


柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)
飛鳥時代の歌人で、三十六歌仙(かせん)の一人。山部赤人とともに歌聖(かせい)と呼ばれる。
山部赤人
(やまべのあかひと)
奈良時代の歌人で、三十六歌仙の一人。柿本人麻呂とともに歌聖(かせい)と呼ばれる。古今和歌集の仮名序(かなじょ:序文)において、紀貫之は「人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」との評価をしている。
猿丸大夫
(さるまるだゆう)
三十六歌仙の一人。生年・没年が不明で、実在を疑う説、柿本人麻呂と同一人物とする説などもある。
大伴家持
(おおとものやかもち)
奈良時代の歌人で、三十六歌仙の一人。万葉集(まんようしゅう)には家持の歌が全体の約 1割をしめているので、万葉集の編纂に関わっていたと考えられている。
小野小町
(おののこまち)
小町は平安時代前期の女流歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。絶世の美女であったと伝えられていますが、生没年や生誕地などは不明なため架空説もある。
在原業平
(ありわらのなりひら)
平安時代の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。古今和歌集に収められた次の歌も有名。「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」
菅原道真
(すがわらのみちざね)
道真は平安時代の貴族で、右大臣(うだいじん)にまで昇った。晩年に九州の大宰府(だざいふ)に左遷され、その地で亡くなった。百人一首では「菅家」とされていますが、これは道真の通称。京の都を離れる際に詠んだ次の歌が有名。「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
壬生忠岑
(みぶのただみね)
平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人。子・忠見(ただみ)もまた三十六歌仙に数えられている。古今和歌集の撰者の一人(他は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒)。
紀貫之
(きのつらゆき)
平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人。後の文学に多大な影響を与えた散文作品である土佐日記(とさにっき)を著したことでも有名。
和泉式部
(いずみしきぶ)
平安時代の女流歌人で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。和泉式部日記が有名。この作品の作者は別人であるとする説も存在する。
紫式部
(むらさきしきぶ)
平安時代の女流作家・歌人で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。54帖からなる源氏物語(げんじものがたり)の作者とされている。源氏物語の和歌 20首
清少納言
(せいしょうなごん)
平安時代の女流作家・歌人で、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。随筆作品/枕草子(まくらのそうし)によって後世に名を残した。
西行
(さいぎょう)
平安時代から鎌倉時代にかけての歌人で、23歳で出家した。江戸時代に上田秋成(うえだ あきなり)によって著された雨月物語(うげつものがたり)の「白峯」にも登場している。
源実朝
(みなもとのさねとも)
鎌倉幕府の第 3代将軍で、百人一首では「鎌倉右大臣」とされている。源実朝の和歌 20首
藤原定家
(ふじわらのさだいえ)
(ふじわらのていか)
鎌倉時代の歌人で、小倉百人一首の撰者。百人一首では「権中納言定家」とされている。




(私論.私見)