柿本人麻呂 |
桜花 咲きかも散ると 見るまでに
誰れかもここに 見えて散り行く
(万葉集) |
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訳「桜の花が咲いて、すぐに散ってしまうように、誰なのだろう、ここに集い、そして散り行く人々は」。桜の花が散っていく様子と、花を求めて集まった人々が、まもなく散り散りになっていなくなっていく様子を重ねている。 |
若宮年魚麻呂 |
去年(こぞ)の春 逢へりし君に 恋ひにてし
桜の花は 迎へけらしも
(万葉集) |
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訳「去年の春にお会いしたあなたのことが恋しくて、桜の花が咲いて迎えているようですね」。若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が詠んだ歌。去年も咲いた桜があなたに逢うために今年もまた花を咲かせた、と歌っている。
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伊勢大輔 |
古への 奈良の都の 八重桜
けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな
(百人一首) |
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奈良から献上された八重桜を、その際居合わせた伊勢大輔が命じられ、詠んだ歌。 |
在原業平 |
世の中に 絶えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
(古今和歌集) |
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訳「もし、世の中に桜の花がないならば、春を過ごす人の心はどんなにのどかなことでしょう。桜の花があるから、散ることが気になり落ち着かない」。反語的に桜の魅力を詠んでいる。 |
小野小町 |
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
(古今和歌集) |
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ここでいう花はもちろん桜。訳「桜の花の色があっという間にあせてしまうように、私の容姿も束の間に衰えてしまった」。 |
紀貫之 |
ことしより 春しりそむる 桜花
散るということは ならはざらなむ
(古今和歌集) |
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訳「今年初めて花をつけた桜よ、散ることは他の桜に見習わないでほしいものだ」。 |
西行(円位法師) |
願わくば 花の下にて 春死なむ
その如月の 望月の頃 |
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西行は、桜の国の桜の名所と言われる吉野に小さな庵を結び、3年間暮らした。桜を詠んだ歌を遺しており、後世の歌人に多大な影響を与えた。 |
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おしなべて 花のさかりに なりにけり
山の端ごとに かゝる白雲
(千載和歌集 巻一 春歌上 所収)
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今さらに 春を忘るる 花もあらじ
やすく待ちつつ 今日も暮らさむ
(山家集 春歌 所収)
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花見にと むれつつ人の 来るのみぞ
あたら桜の とがにはありける
(山家集 春歌 所収)
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仏には さくらの花を たてまつれ
わがのちの世を 人とぶらはば
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あだにちる 梢の花を ながむれば
庭には消えぬ 雪ぞつもれる
(山家集 春歌 所収)
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藤原定家 |
桜花 咲きにし日より 吉野山
空もひとつに かほる白雪
(新古今和歌集) |
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定家がこの歌を詠んだ年の春に西行が亡くなっている。桜の歌を詠むなら、西行が愛した吉野山の桜をという思いが感じられる。 |
良寛 |
いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に
明日ともいはば 散りもこそせめ |
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訳「さあ、子どもたち、花見に行こう。明日なんて言っていたら散ってしまうよ」。 |
豊臣秀吉 |
乙女子が 袖ふる山に 千年へて
ながめにあかじ 花の色香を |
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吉野の千本桜を詠んだ歌。今も昔も、桜と言えば吉野山。桜を愛する人の聖地。 |
徳川家康 |
咲く花を 散らさじと思ふ 御吉野は
心あるべき 春の山風 |
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吉野の千本桜を詠んだ歌。 |
与謝野晶子 |
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
今宵逢ふ人 みなうつくしき |
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訳「清水へ行こうと祇園を急いでいると、桜も月も美しい。心が浮き立っているせいか、逢う人みんなも美しい」。 |
俵万智 |
さくらさくらさくら 咲き初め咲き終わり
何もなかった ような公園 |
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訳「桜が咲いた、桜が散ったとその時その時の感慨があるのに、今は何事もなかったように静まり返る公園があるだけ」。 |
大僧正行尊 |
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし |
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訳「深山の山桜、私が思うようにお前にも思ってほしい。心を寄せ合っていよう。お前以外に私には心通わすものはいないのだから」。修験僧として霊山に入った際、春ももうすぐ終わる人などいない深山に山桜が咲いていたので、桜に対する感動と、人々から忘れられたような自分を思った歌。
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前中納言匡房 |
高砂の 尾上(をのへ)の桜 咲きにけり
外山の霞 立たずもあらなむ |
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訳「遠くの山の頂きに山桜が美しく咲いている。近いところの山の霞よ、どうか立たないでおくれ。遅れて咲き始めた、あの美しい山桜がおまえで見えなくなってしまうから」。これは、酒盛りをしながら詠んだ歌で、実際のものではなく、前中納言匡房にとって霞と桜が春の代表的な景物であったので、二つが混ざった感じに春という思いを込めている。
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入道前太政大臣 |
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり |
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訳「桜を誘って白く散らす激しい風が吹く庭。そこに散り敷くのは雪かと思える。しかしふる(降る)のは雪ではなく、老いていく私なのだ」。落ちた花びらに老いと無常を感じた歌。
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崇徳院 |
朝夕に 花待つころは 思ひ寝の
夢のうちにぞ 咲きはじめける
(千載和歌集 巻一 春歌上 所収) |
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千載和歌集は、平安時代末期に後白河院の院宣により、藤原俊成(ふじわらのとしなり)が編纂した勅撰和歌集です。藤原俊成は、崇徳院とも親しく、西行とも親しかったため、二人ともに多くの歌が採用されています。
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たづねつる 花のあたりに なりにけり
にほふにしるし 春の山風
(千載和歌集 巻一 春歌上 所収)
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待賢門院堀川 |
いづかたに 花咲きぬらんと 思ふより
よもの山辺に 散る心かな
(千載和歌集 巻一 春歌上 所収) |
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また、待賢門院堀川(たいけんもんいんのほりかわ)は、崇徳院の生母である待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に仕えていた女房ですが、当代の女流歌人として、藤原俊成が高く評価していたため、やはり多くの歌が採られています。 |
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白雲と 峯のさくらは 見ゆれども
月のひかりは へだてざりけり
(千載和歌集 巻一 春歌上 所収) |
林芙美子 |
花のいちのは 短くて 苦しきことのみ 多かりき |