短歌

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.4.12日


「働けど働けど我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」(石川啄木)
「熱き血潮に触れもせで、淋しからずや道を説く君」「与謝野晶子」


【桜】
 「桜を詠んだ和歌ベスト10!時代を超えて詠みつがれる魅力」、「桜を題材にした短歌ってどんなのがあるのか知ってますか?」、「桜の和歌」。万葉集では、4500首のうち、桜を詠んだ歌は40首余。花と言えば萩であり、梅だった。ところが古今和歌集の時代になると桜を詠んだ歌はぐんと増え、花と言えば桜になった。
柿本人麻呂  桜花 咲きかも散ると 見るまでに 
 誰れかもここに 見えて散り行く
 (万葉集)
 訳「桜の花が咲いて、すぐに散ってしまうように、誰なのだろう、ここに集い、そして散り行く人々は」。桜の花が散っていく様子と、花を求めて集まった人々が、まもなく散り散りになっていなくなっていく様子を重ねている。
若宮年魚麻呂  去年(こぞ)の春 逢へりし君に 恋ひにてし 
 桜の花は 迎へけらしも
 (万葉集)
 訳「去年の春にお会いしたあなたのことが恋しくて、桜の花が咲いて迎えているようですね」。若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が詠んだ歌。去年も咲いた桜があなたに逢うために今年もまた花を咲かせた、と歌っている。
伊勢大輔  古への 奈良の都の 八重桜
  けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな
 (百人一首)
 奈良から献上された八重桜を、その際居合わせた伊勢大輔が命じられ、詠んだ歌。
在原業平  世の中に 絶えて桜の なかりせば
 春の心は のどけからまし
 (古今和歌集)
 訳「もし、世の中に桜の花がないならば、春を過ごす人の心はどんなにのどかなことでしょう。桜の花があるから、散ることが気になり落ち着かない」。反語的に桜の魅力を詠んでいる。
小野小町  花の色は うつりにけりな いたづらに
 わが身世にふる ながめせしまに
 (古今和歌集)
 ここでいう花はもちろん桜。訳「桜の花の色があっという間にあせてしまうように、私の容姿も束の間に衰えてしまった」。
紀貫之  ことしより 春しりそむる 桜花 
 散るということは ならはざらなむ
 (古今和歌集)
 訳「今年初めて花をつけた桜よ、散ることは他の桜に見習わないでほしいものだ」。
西行(円位法師)  願わくば 花の下にて 春死なむ 
 その如月の 望月の頃
 西行は、桜の国の桜の名所と言われる吉野に小さな庵を結び、3年間暮らした。桜を詠んだ歌を遺しており、後世の歌人に多大な影響を与えた。
 

 おしなべて 花のさかりに なりにけり
 山の端ごとに かゝる白雲

 (千載和歌集 巻一 春歌上 所収

 今さらに 春を忘るる 花もあらじ
 やすく待ちつつ 今日も暮らさむ
 (山家集 春歌 所収)
 

 花見にと むれつつ人の 来るのみぞ
 あたら桜の とがにはありける  
 (山家集 春歌 所収)
 

 仏には さくらの花を たてまつれ
 わがのちの世を 人とぶらはば

 あだにちる 梢の花を ながむれば
 庭には消えぬ 雪ぞつもれる
 (山家集 春歌 所収)

藤原定家  桜花 咲きにし日より 吉野山 
 空もひとつに かほる白雪
 (新古今和歌集)
 定家がこの歌を詠んだ年の春に西行が亡くなっている。桜の歌を詠むなら、西行が愛した吉野山の桜をという思いが感じられる。
良寛  いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に 
 明日ともいはば 散りもこそせめ
 訳「さあ、子どもたち、花見に行こう。明日なんて言っていたら散ってしまうよ」。
豊臣秀吉  乙女子が 袖ふる山に 千年へて 
 ながめにあかじ 花の色香を
吉野の千本桜を詠んだ歌。今も昔も、桜と言えば吉野山。桜を愛する人の聖地。
徳川家康  咲く花を 散らさじと思ふ 御吉野は 
 心あるべき 春の山風
吉野の千本桜を詠んだ歌。
与謝野晶子  清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 
 今宵逢ふ人 みなうつくしき
 訳「清水へ行こうと祇園を急いでいると、桜も月も美しい。心が浮き立っているせいか、逢う人みんなも美しい」。
俵万智  さくらさくらさくら 咲き初め咲き終わり 
 何もなかった ような公園
 訳「桜が咲いた、桜が散ったとその時その時の感慨があるのに、今は何事もなかったように静まり返る公園があるだけ」。
大僧正行尊  もろともに あはれと思へ 山桜 
 花よりほかに 知る人もなし
 訳「深山の山桜、私が思うようにお前にも思ってほしい。心を寄せ合っていよう。お前以外に私には心通わすものはいないのだから」。修験僧として霊山に入った際、春ももうすぐ終わる人などいない深山に山桜が咲いていたので、桜に対する感動と、人々から忘れられたような自分を思った歌。
前中納言匡房  高砂の 尾上(をのへ)の桜 咲きにけり 
 外山の霞 立たずもあらなむ
 訳「遠くの山の頂きに山桜が美しく咲いている。近いところの山の霞よ、どうか立たないでおくれ。遅れて咲き始めた、あの美しい山桜がおまえで見えなくなってしまうから」。これは、酒盛りをしながら詠んだ歌で、実際のものではなく、前中納言匡房にとって霞と桜が春の代表的な景物であったので、二つが混ざった感じに春という思いを込めている。
入道前太政大臣  花さそふ 嵐の庭の 雪ならで 
 ふりゆくものは わが身なりけり
 訳「桜を誘って白く散らす激しい風が吹く庭。そこに散り敷くのは雪かと思える。しかしふる(降る)のは雪ではなく、老いていく私なのだ」。落ちた花びらに老いと無常を感じた歌。
崇徳院  朝夕に 花待つころは 思ひ寝の
  夢のうちにぞ 咲きはじめける

 (千載和歌集 巻一 春歌上 所収

 千載和歌集は、平安時代末期に後白河院の院宣により、藤原俊成(ふじわらのとしなり)が編纂した勅撰和歌集です。藤原俊成は、崇徳院とも親しく、西行とも親しかったため、二人ともに多くの歌が採用されています。

 たづねつる 花のあたりに なりにけり
 にほふにしるし 春の山風
 (千載和歌集 巻一 春歌上 所収)       

待賢門院堀川  いづかたに 花咲きぬらんと 思ふより
 よもの山辺に 散る心かな

 (千載和歌集 巻一 春歌上 所収
 また、待賢門院堀川(たいけんもんいんのほりかわ)は、崇徳院の生母である待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に仕えていた女房ですが、当代の女流歌人として、藤原俊成が高く評価していたため、やはり多くの歌が採られています。
 白雲と 峯のさくらは 見ゆれども
  月のひかりは へだてざりけり

 (千載和歌集 巻一 春歌上 所収
林芙美子  花のいちのは 短くて 苦しきことのみ 多かりき

【桐】
樋口一葉「桐一葉落ちて天下の秋を知る」

【花】
「友がみな 我より偉く 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ」(石川啄木)




(私論.私見)