34 若菜上(わかな じょう)(後半)46節

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.3日

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 2007.10.7日 れんだいこ拝


【34、若菜上(わかな じょう)(後半)46節
 あらすじは次の通り。
 源氏物語の主人公となる光源氏の生母が帝に見初められ、桐壺更衣として宮仕えする。帝の寵愛を受けるが、生母の父は大納言、母は旧家の出で教養もあったが身分が中位であった為、高位の女御(にょうご更衣(こういのイジメを受け悩まされる。体調を悪くして宮
34.50 紫の上、女三の宮と対面
春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。
いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに 昔の御筋をも尋ねきこえたまふ 中納言の乳母といふ召し出でて、
同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき
などのたまへば、
頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背きたまひにし上の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ頼みきこえさせたまひし」
など聞こゆ。
いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける
と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。
春宮の女御は、実の母よりも、紫の上のほうが親しいものとして頼りにしていた。大そう可愛らしくて大人びてきたのを、実の子のように、可愛いいと思ってご覧になる。
お互いの話などを、懐かしくお話し合って、中の戸を開けて、宮にも対面するのだった。
女三の宮は大そう幼げに見えるので、紫の上は心安く、年配者らしくまるで母親のように、昔の血筋のことも話をされる。中納言の乳母を召し出して、
「同じ血縁を辿れば、恐れ多いことながら、切っても切れないご縁と申すものの、挨拶の機会もなく失礼しておりましたが、今からは心おきなく、あちらにお越しいただいて、行き届かない点はご注意していただけたら、うれしいのですが」
など(紫上が)仰ると、
「頼りにしていた人々とそれぞれにお別れしなければならなくなりに、心細くしておりましたが、このようなねんごろなお言葉をいただいて、これ以上のことはありません。世に背いて出家した父院のご意向も、このような愛情ある方に、まだ幼い三の宮を、育ててほしいとのことです。内々にもそのようにお頼みがあって仰せになりました」
などと(中納言の乳母は)言う。
「院から恐れ多い便りをいただいてからは、どうかしてお力になりたいと思っていますが、何分数ならぬわが身が残念に思います」
と、(紫上は)穏やかに落ち着いた様子で、宮に、絵のことや雛の捨てがたいことやいかにも若々しく仰って、女三の宮は、本当に若く気のよさそうな人だと、幼い心に溶け込んでいった。
34.51 世間の噂、静まる
さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
「対の上、いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなむ」
など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。
その後は、いつも文を交わして、楽しい遊びにつけても、親しく言い合って文を交わすのであった。世の中の人も、おせっかいにも、これほどの身分の方々のことは、とやかく噂するものだが、初めころは、
「紫の上はどう思っているだろう。源氏のご寵愛は今までのようにはいくまい。少しは少なくなるだろう」
などと噂しているが、かえって深い愛情が、前よりも勝っているのだが、それにつけても、また事ありげに言う者がいて、いかにも仲睦まじい様子に、妙な噂も消えて万事まるくおさまったのである。
34.52 紫の上、薬師仏供養
神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。いかめしきことは、切にいさめ申したまへば、忍びやかにと思しおきてたり。
仏、経箱、帙簀じすのととのへ、まことの極楽思ひやらる。最勝王経さいしょうおうきょう 金剛般若こんごうはんにゃ寿命経じゅみょうきょうなど、いとゆたけき御祈りなり。上達部いと多く参りたまへり。
御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、かたへは、きほひ集りたまふなるべし。
霜枯れわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御方々いかめしくせさせたまふ。
十月に、紫の上は源氏の四十のお祝いに、嵯峨野の御堂にて、薬師如来の供養をされた。大がかりなことは切に諫め申していたが、内輪に行うとして計画された。
仏、経箱、帙簀じすを整え、まことの極楽を思いやられる。最勝王経さいしょうおうきょう 金剛般若こんごうはんにゃ寿命経じゅみょうきょうなどが読経され、 いきとどいた祈祷であった。上達部が大勢集った。
御堂のさま、素晴らしいことは言うに及ばず、木々の紅葉の下を分け行く嵯峨野の野辺は、見頃の景色なので、半ばはそれで競って集ったのだろう。
霜枯れした野原一面に、馬車の行き交う音がしげく響いていた。読経の僧への布施も、われもわれもと盛大であった。
34.53 精進落としの宴
二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
対どもは、人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
寝殿の放出はなちいでを、例のしつらひにて、螺鈿らでんの倚子立てたり。
御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。
御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃すそごの覆したり。插頭かざしの台は、沈の花足けそく、黄金の鳥、銀の枝にゐたる心ばへなど、淑景舎しげいさの御あづかりにて、明石の御方のせさせたまへる、ゆゑ深く心ことなり。
うしろの御屏風四帖は、式部卿宮なむせさせたまひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、めづらしき山水、潭など、目馴れずおもしろし。北の壁に添へて、置物の御厨子、二具立てて、御調度ども例のことなり。
南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし。舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。
二十三日は精進落としの日で、六条の院は御夫人方が占めてふさがっているので、自分の館である二条院で、その準備をした。装束をはじめ大方のことは紫上がご自分で用意された。それぞれの御夫人方も適宜分担してお手伝いするのだった。
東西の対の御殿は、女房たちの局にしているのを取り払って、殿上人、諸太夫、殷司、下人たちの席をもうけ大がかりに準備した。
寝殿の放出はなちいでを、例によって飾って、螺鈿らでんの椅子を用意した。
御殿の西の間に、衣の机十二立てて、夏冬のよそおい、衾など、例によって、紫の綾絹の覆いが美しくかけられていて中は見えなくしてあった。
御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃すそごの覆いをしていた。插頭かざしの花を置く台は、沈の花足けそくで作られ、黄金の鳥が銀の枝にとまっている趣向で、桐壷の女御が受け持ち、明石の御方が用意して趣が深く素晴らしい。
後ろの屏風四帖は、式部卿の宮の準備したもので、趣深く、例によって四季の絵で、珍しい山水、沢など、見たこともないもので面白い。北の壁に立てて、置物の厨子を二つ置いて調度類は従来通りである。
南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめ、それ以下の人で参列しない人はいなかった。舞台の左右に幔幕を張って楽人用に席を設け東西に屯食八十、禄の唐櫃四十並べていた。
34.54 舞楽を演奏す
未ひつじの時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声らんじょうして、「落蹲らくそん」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾いりあや」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
いにしへの朱雀院の行幸に、「青海波」のいみじかりし夕べ、思ひ出でたまふ人びとは、権中納言、衛門督、また劣らず立ち続きたまひにける、世々のおぼえありさま、容貌、用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、「なほ、さるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけり」と、めでたく思ふ。
主人の院も、あはれに涙ぐましく、思し出でらるることども多かり。
午後二時ころ、楽人がが招じ入れられた。「万歳楽」、「皇じょう」などを舞って、日が暮れる頃に、高麗楽の乱声らんじょうが奏されて、「落蹲らくそん」が舞われるころには、通常の舞ではなく珍しいものだったので、舞が終わると、権中納言、衛門の督が庭に下りて、「入綾いりあや」をほんの少し舞って紅葉の蔭に入ったその名残が鮮やかだった。
昔の朱雀院が行った行幸のとき、「青海波」の素晴らしかった夕べを思い出した人々は、権中納言(夕霧)、衛門の督(柏木)がそれぞれの父に劣らずその技を相続して世間の評判を得ている、容貌、準備も劣らず、官位も昇進が早いなどと、歳も数えて「こうして昔から代々相続して一族が栄えるのだ」とめでたく思うのだった。
源氏も、感無量で涙ぐましくなり、思い出すことも多いのだった。
34.55 宴の後の寂寥
夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
御遊び始まりて、またいとおもしろし。御琴どもは、春宮よりぞ調へさせたまひける。朱雀院よりわたり参れる琵琶、琴。内裏より賜はりたまへる箏の御琴など、皆昔おぼえたるものの音どもにて、めづらしく掻き合はせたまへるに、何の折にも、過ぎにし方の御ありさま、内裏わたりなど思し出でらる。
「故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか。何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ
と、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ。
内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、何ごとにも栄なくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを、世とともに飽かぬ心地したまふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思しおきてけれど、
「世の中のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」
と否び申したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。
夜になって、楽人たちは退出した。奥方付の政所の別当は、配下の者たちを引き連れて、禄の唐櫃に寄って、ひとつづつ取って、次々と楽人に禄を与えた。白い衣を肩にかづいて、築山の堤を過ぎてゆく様子が千歳にわたる鶴の毛衣に見えた。
管弦の遊びが始まって、また面白かった。琴は、春宮がそろえてくださった。朱雀院よりお譲りのあった、琵琶、琴。帝から賜った筝の琴など、昔聞いたことのある音色で、久しぶりに、合奏されるあの折かの折と過ぎ去った昔の様子を、内裏のことなどがさまざまに思い出されるのだった。
「故藤壺中宮がおられたら、このようなお祝いごとは、進んで楽しまれたものを。どうしたらこちらの気持ちを分かってもらえるのだろう」
と残念にのみ思いだすのだった。
冷泉帝にも、故中宮の宮が亡くなってしまったことは、張り合いがなく物寂しく思われるのに、せめて父のこの院のことだけでも父子の礼を尽くしたかったと、あきらめられない気持ちだったが、今年は四十の賀にかこつけて、行幸などもやりたいと思うのだけれど、
「世間に迷惑をかけることは、辞退申し上げる」
と断ることたびたびになるので、口惜しく思いとどまるのだった。
34.56 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷
師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
ありがたき御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてか、深き御心ざしをもあらはし御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくあながちに、朝廷にも聞こえ返させたまへば、ことども多くとどめさせたまひつ。
「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ、世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」
とありけれど、公ざまにて、なほいといかめしくなむありける。
十二月の二十日あまりの頃、秋好む中宮が六条の院に退出なさって、わずかに残る今年の最後のお祈りに、奈良の都の七大寺に読経を頼み、布四千反、京の都の四十寺に絹四百疋をお布施に賜った。
(源氏の)ありがたいご恩を十分に分かっているので、何かの機会に、深い感謝の念を示そうと、亡き父宮や御息所がいらしたらこうしたであろう御心も添えて、(源氏が様々なことを大げさにするのを)強く朝廷にもご辞退申し上げていたので、多くを省略して行った。
「四十の賀ということは、先例を見ましても、残りの歳が久しい例は少ないので、この度は、世間を騒がせることは止めて、まことに後で長寿をはたしたらお祝いください」
とのことだったが、やはり中宮ともなれば公になって、格式高くされた。
34.57 中宮主催の饗宴
宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず、上達部の禄など、大饗だいきょうになずらへて、親王たちにはことに女の装束、非参議の四位、まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲ほそながひとかさね、腰差などまで、次々に賜ふ。
装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀はかしなど、故前坊の御方ざまにて伝はり参りたるも、またあはれになむ。古き世の一の物と名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。昔物語にも、もの得させたるを、かしこきことには数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもは、えぞ数へあへはべらぬや。
中宮の住まう御殿に、準備をし、先々に変わらないが、上達部の禄など、大饗にならって、親王たちには特別の女の装束、非参議の四位やまうち君達など、ただの殿上人には白い細長一襲、腰差など、次々と身分に応じて賜った。
(源氏の)装束は、この上ない美しさで、名高い帯、御佩刀はかしなど、故前坊から相続した形見の品々があわれであった。古来第一の重宝と名のあるものばかり、全部集まってくる御賀のようだ。昔の物語でも、賜った禄を丁寧に数えているが、ここでは煩雑なので、こちらの御賀の場合は、大変なので、とても数えられるものではない。
34.58 勅命による夕霧の饗宴
内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。そのころの右大将、病して辞したまひけるを、この中納言に、御賀のほどよろこび加へむと思し召して、 にはかになさせたまひつ
院もよろこび聞こえさせたまふものから、
「いと、かく、にはかに余る喜びをなむ、いちはやき心地しはべる
と卑下し申したまふ。
丑寅の町に、御しつらひまうけたまひて、隠ろへたるやうにしなしたまへれど、今日は、なほかたことに儀式まさりて、所々の饗なども、内蔵寮くらづかさ穀倉院ごくそういんより、仕うまつらせたまへり。
屯食など、公けざまにて、頭中将宣旨うけたまはりて、親王みこたち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、春宮、院、残る少なし。
御座、御調度どもなどは、太政大臣詳しくうけたまはりて、仕うまつらせたまへり。今日は、仰せ言ありて渡り参りたまへり。院も、いとかしこくおどろき申したまひて、御座に着きたまひぬ。
母屋の御座に向へて、大臣の御座あり。いときよらにものものしく太りて、この大臣ぞ、今盛りの宿徳とは見えたまへる。
主人の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。御屏風四帖に、内裏の御手書かせたまへる、唐の綾の薄毯に、下絵のさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきのかかやくさまは、目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。
置物の御厨子、弾き物、吹き物など、蔵人所より賜はりたまへり。大将の御勢ひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うち添へて、今日の作法いとことなり。御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人、上より次々に牽きととのふるほど、日暮れ果てぬ。
帝は、思い立ったことを、むげに中止できないと思い、御賀の催しを夕霧に委嘱した。そのころ右大将が病で辞職したので、御賀に喜びを加えようとして、夕霧を急に右大将に任命した。
源氏も喜びお礼を申し上げるものの、
「このような急な身に余る昇進は、早すぎるのではないか」
とご謙遜されるのだった。
丑寅の町に、準備されて、目立たぬ所を選んだのだけれど、今 日は何といっても帝の詔勅なので、格式も高く、諸役所への饗応もされて、内蔵寮くらづかさ穀倉院ごくそういんが奉仕された。
屯食なども、朝廷の饗応と同様、頭の中将が勅を受けて用意し、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人が、例によって、内裏、春宮、院、残る者は少ない。
源氏の席は、調度類も、太政大臣が詳細に承って、お仕えしていた。今日は勅命があって太政大臣が六条院に参じた。源氏もまことにもったいなく思い恐縮して席についた。
母屋の源氏の席に向かって太政大臣の席がある。大臣は美しく堂々と太っていられて、この大臣は今隆盛を極めていると見える。
主人の院は、まだ大そう若い源氏の君と見える。屏風四帖、帝が直接書かれた宸筆があって、唐の綾の薄毯に、下絵を描くのは尋常一様ではなかったはず。趣のある春秋の絵よりも、この屏風の墨つきの輝く様子は、目を奪うほどで、宸筆と思うせいで一層素晴らしく思えるのだった。
置物の厨子、弦楽器、管楽器など、蔵人所から賜ったものであった。夕霧の威勢は、盛大になったので、それに加えて、今日のなさり方は格別であった。帝より賜った馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人たちが、順に引いてくるうちに、日が暮れていった。
34.59 舞楽を演奏す
例の、「万歳楽」、「賀王恩」などいふ舞、けしきばかり舞ひて、大臣の渡りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに、皆人、心を入れたまへり。琵琶は、例の兵部卿宮、何ごとにも世に難きものの上手におはして、いと二なし。御前に琴の御琴。大臣、和琴弾きたまふ。
年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優にあはれに思さるれば、琴も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音ども出づ。
昔の御物語どもなど出で来て、今はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても、聞こえかよひたまふべき御睦びなど、心よく聞こえたまひて、御酒あまたたび参りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえとどめたまはず。
御贈り物に、すぐれたる和琴一つ、好みたまふ高麗笛添へて。紫檀の箱一具に、唐の本ども、ここの草の本など入れて。御車に追ひてたてまつれたまふ。御馬ども迎へ取りて、右馬寮ども、高麗の楽して、ののしる。六衛府の官人の禄ども、大将賜ふ。
御心と削ぎたまひて、いかめしきことどもは、このたび停めたまへれど、内裏、春宮、一院、后の宮、次々の御ゆかりいつくしきほど、いひ知らず見えにたることなれば、なほかかる折には、めでたくなむおぼえける。
例の「万歳楽」、「賀王恩」などという舞を、形ばかりに舞って、太政大臣が来られているので、久しぶりに管弦の遊びになり、皆真剣になった。琵琶は、例によって蛍兵部卿は、何事にも秀でていて、比類ないお人である。源氏の前には、琴の琴が置かれ、大臣は和琴を弾いた。
長年の間に上手になったと思って聞いているからか、まことにすばらしく、自分の琴も秘術を隠さずに弾いたので、素晴らしい合奏になった。
昔のことなども話にでて、今は、このようなむつまじいい関係で、どちらから言っても仲良く付き合いすべき間柄なので、愉快になって、酒が進んだので、一座の感興もすっかり盛り上がって、あちこちで感極まって酔って泣き出す者も多かった。
贈り物には、優れた和琴一つ、好みの高麗笛を添えて、紫檀の箱一揃に唐の本を入れ、また草子を入れて、太政大臣が車に乗るのに追いかけてお持ちした。賜った馬たちを受け取って、右馬寮たちは高麗の楽を奏して大声で謡った。六衛府の官人の禄は、夕霧が賜った。
源氏のお気持ちにそって、大げさなことはやらずに、内裏、春宮、上皇、后の宮と次々に縁者がつらなって、筆舌に尽くしがたいのは、このような折には、めでたいことであった。
34.60 饗宴の後の感懐
大将の、ただ一所ひとところおはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、おぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所との恨み深く、挑みかはしたまひけむほどの御宿世どもの行く末見えたるなむ、さまざまなりける。
その日の御装束どもなど、こなたの上なむしたまひける。禄どもおほかたのことをぞ、三条の北の方はいそぎたまふめりし。折節につけたる御いとなみ、うちうちのもののきよらをも、 こなたにはただよそのことにのみ聞きわたりたまふを、何事につけてかは、かかるものものしき数にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将の君の御ゆかりに、いとよく数まへられたまへり。
夕霧が一人息子というのが、物足りなく張り合いがない心地がするが、大勢の人に抜きんでて、世間の評判も良く、人柄も肩を並べる者がないほどなので、あの母の葵の上と伊勢の御息所との間の深い恨みがあって競い合ったほどの宿世の行く末では子たちがそれぞれに成長しているのであった。
その日の源氏の装束は,こちらの夫人花散里が用意したものであった。禄などの大部分は三条の北の方、雲居の雁が準備したものであった。折々にある時節の行事は、内々のものの善美を尽くした用意も、(花散里は)よそ事に思っていたのだが、何事につけても、このような高貴な方々の仲間入りをしていると思うのも、夕霧の縁から十分に重んじられているのであった。
34.61 明石女御、産期近づく
年返りぬ。桐壺の御方近づきたまひぬるにより、正月朔日より、御修法不断にせさせたまふ。寺々てらでら社々やしろやしろの御祈り、はた数も知らず。大殿の君、ゆゆしきことを見たまへてしかば、かかるほどのこと、いと恐ろしきものに思ししみたるを、対の上などのさることしたまはぬは、口惜しくさうざうしきものから、うれしく思さるるに、まだいとあえかなる御ほどに、いかにおはせむと、かねて思し騒ぐに、二月ばかりより、あやしく御けしき変はりて悩みたまふに、御心ども騒ぐべし。
陰陽師おんみょうじどもも、所を変へてつつしみたまふべく申しければ、他のさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御町の中の対に渡したてまつりたまふ。こなたは、ただおほきなる対二つ、廊どもなむめぐりてありけるに、御修法の壇隙なく塗りて、いみじき験者ども集ひて、ののしる。
母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ。
年が改まった。明石の女御のお産が近づいたので、正月上旬から、修法を絶えず行わせた。寺々てらでら社々やしろやしろでの祈祷は数知れず行われた。源氏は不吉なことを経験しいるので、お産というものは、大へん恐ろしいものに思っているので、紫の上などがそうした経験がないのが、残念で悔しく物足りなく思っていたので、うれしく思っていたが、まだ幼いので、どんなことになるか、かねてから心配していたが、二月ころから、どういうわけか容態が急変して苦しむので、皆が心配した。
陰陽師おんみょうじたちも、場所を変えて大事をとるように言うので、他の離れたところでは心配なので、あの明石の君の町の対に移った。こちらはただ大きい対が二つだけあって、廊下を廻らしていただけだったので、庭に修法の護摩壇を設け、効験のある験者たちが集まって、大声を立てて祈祷していた。
明石の君は、この時が自分の宿世の分かれ道なので、気が気でなかっただろう。
34.62 大尼君、孫の女御に昔を語る
かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。この御ありさまを見たてまつるは、夢の心地して、いつしかと参り、近づき馴れたてまつる。
年ごろ、母君はかう添ひさぶらひたまへど、昔のことなど、まほにしも聞こえ知らせたまはざりけるを、この尼君、喜びにえ堪へで、参りては、いと涙がちに、古めかしきことどもを、わななき出でつつ語りきこゆ。
初めつ方は、あやしくむつかしき人かなと、うちまもりたまひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
生まれたまひしほどのこと、大殿の君のかの浦におはしましたりしありさま、
「今はとて京へ上りたまひしに、誰も誰も、心を惑はして、今は限り、かばかりの契りにこそはありけれと嘆きしを、若君のかく引き助けたまへる御宿世の、いみじくかなしきこと」
と、ほろほろと泣けば、
「げに、あはれなりける昔のことを、かく聞かせざらましかば、おぼつかなくても過ぎぬべかりけり」
と思して、うち泣きたまふ。心のうちには、
「わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。人びとをばまたなきものに思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ。世人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし」
など思し知り果てぬ。
母君をば、もとよりかくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや
かの入道の、今は仙人の、世にも住まぬやうにてゐたなるを聞きたまふも、心苦しくなど、かたがたに思ひ乱れたまひぬ。
あの大尼君も、今はずいぶん老いて呆けてしまった。この女御をご覧になり、夢心地がして、さっそくそばに来て親しく付き添っているのだった。
今まで明石の君は、そばに付き添っていたけれど、昔のことなどは、まともにお話していなかったが、この尼君は、喜びに堪えきれず、そばに来ては、涙ながらに、昔のことどもを、震える声で女御に語るのであった。
女御も、はじめの頃は、おかしなうるさい人だなと、じっと見ていたが、このような祖母がいると、少しは聞いていたので、優しく相手なさるのであった。
女御が生まれたころのこと、源氏の君が明石の浦に来た頃の様子などのことを、
「今度は君が京へ上るとき、誰もが気が動転して今はこれでお別れ、こんな運命だったのだと嘆いていたのを、女御が生まれてこうして助けてくれた宿世に胸がいっぱいになった」
とほろほろ泣けば、
「ほんとにあわれな昔のことをこのように話しく下さらなかったなら、知らないままに過ぎていってしまうところだった」
と思って、女御は泣いている。心の内では、
「わたしは、大きな顔をしてしかるべき高い身分の生まれではではないこと、紫の上の養育で磨かれて、世間の評判も悪くない。傍らの人々をないがしろにしてこの上なく慢心していたこと。世の中の人はそのように陰で噂していたこともあったであろう」
などと思い知ったのだった。
母明石の君を、もとより少し低い身分の方と知っていたので、生まれたときのことを、そんな世離れした田舎であったことなども知らなかったのだった。女御が大そうおっとりした性格だからだろうか。なんとも頼りない話ではあった。
あの入道は、今は仙人のように世にも住んでいないような生き方をしているのを聞くと、気の毒であった、あれこれと心配するのだった。
34.63 明石御方、母尼君をたしなめる
いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ところえいと近くさぶらひたまふ。
「あな、見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。医師などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへりや」
など、なまかたはらいたく思ひたまへり。よしめきそして振る舞ふと、おぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、傾きてゐたり。
さるは、いとさ言ふばかりにもあらずかし。六十五、六のほどなり。尼姿、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶やかに泣き腫れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、
「古代のひが言どもや、はべりつらむ。よく、この世のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり混ぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。夢の心地こそしはべれ」
と、うちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。わが子ともおぼえたまはず、かたじけなきに、
「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや。今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、 口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ
とおぼゆ。
女御が、しんみりと物思いに沈んでいるときに、明石の上が来られて、日中の加持祈祷で、加持僧が参集して、騒がしく大声を上げているのに、源氏の御前に誰も控て居らず、尼君が、得意げに姫の近くいる。
「まあ、見っともない。低い几帳をそばに寄せているべきものを。風などが強ければ、おのずと隙間から入ってくるのに。近くによって医者みたいですね。ほんとに耄碌もうろくしてしまったのかしら」
などと、明石の上はいたたまれなく思った。尼君は品よく振舞っているつもりでも、耳も遠くなってよく聞こえないので、「ええ」と、首をかしげている。
しかしそれほどの歳でもない。六十五、六であった。尼姿は、こざっぱりして、上品な様子で、目が涙にぬれて泣きはらした気配、何やら昔を思い出した様子で、明石の上は、感じるところがあって、
「昔のひが言でも言っていたのでしょう。この世のものでもないような勘違いも混じって、変な昔話をしたのでしょう。今思うと昔のことを思い出すと実に遠い夢のようですから」
と、明石の上が微笑んで女御を見ると、優雅で美しく、いつもよりひどく沈んだ様子で、物思いしているように見えた。わが子とも思えずに、とても恐れ多いことに思われ、
「困ったことを尼君が言って、悩ましているのではないか。最高の位を極めた世になったら、お話ししようと思っていたのだが、知ったからと言って、何ほどのこともないが、がっかりしているのではないか」
と思うのだった。
34.64 明石女三代の和歌唱和
御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。
尼君は、いとめでたううつくしう見たてまつるままにも、涙はえとどめず。顔は笑みて、口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
「あな、かたはらいた」
と、目くはすれど、聞きも入れず。
老の波かひある浦に立ち出でて
しほたるる海人を誰れかとがめむ

昔の世にも、かやうなる古人は、罪許されてなむはべりける」
と聞こゆ。御硯なる紙に、
しほたるる海人を波路のしるべにて
尋ねも見ばや浜の苫屋を

御方もえ忍びたまはで、うち泣きたまひぬ。
世を捨てて明石の浦に住む人も
心の闇ははるけしもせじ

など聞こえ、紛らはしたまふ。別れけむ暁のことも、夢の中に思し出でられぬを、「口惜しくもありけるかな」と思す。
加持祈祷が終わって、果物などを近くに侍して供養するが、「これだけは是非」と、明石の上はおいたわしく思っておすすめする。
尼君は、女御が可愛らしく美しく見るだけで、涙がとまらない。顔は笑っているのだが、口元は見苦しく開けていて、目元のあたりは涙にぬれていまにも泣き出しそう。
「あら、いやだ」
目配せするが、(尼君は)聞き入れない。
(尼君の歌)「寄る年波で生きがいある嬉しさに
泣いているのを誰が咎められましょう。
昔も、このような年寄りは罪許されているでしょう」 
と言う。硯箱の紙に、
(女御の歌)「涙にくれる尼君を道案内に
明石の家を尋ねてみたいものです」
女御の歌に明石の上も堪えきれず、泣いてしまった。
(明石の上の歌)「世を捨てて明石の浦に住む入道も
子を思う心の闇を晴らすことはできないでしょう」
などと歌い、紛らすのであった。別れた暁のことも、少しも覚えていないのを、「残念なことだった」と女御は思うのだった。
34.65 三月十日過ぎに男御子誕生
弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく思し騷ぎしかど、いたく悩みたまふことなくて、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
こなたは隠れの方にて、ただ気近きほどなるに、いかめしき御産養うぶやしないなどのうちしきり 響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と、尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす
対の上も渡りたまへり。白き御装束したまひて、人の親めきて、若宮をつと抱きてゐたまへるさま、いとをかし。みづからかかること知りたまはず、人の上にても見ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと思ひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば、まことの祖母君は、ただ任せたてまつりて、御湯殿の扱ひなどを仕うまつりたまふ。
春宮の宣旨なる典侍ないしのすけぞ仕うまつる。御迎湯に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの知りたるに、
すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高く、げに、かかる契りことにものしたまひける人かな
と見きこゆ。このほどの儀式なども、まねびたてむに、いとさらなりや。
三月十余日過ぎに、無事にお生まれになった。出産前は大げさに騒ぎ立てて、心配もしたが、男御子に恵まれたので、何から何まで思い通りであったので、源氏も安心したのだった。
こちらの町は裏側に当たっていて、ひどく人気近いところなのに、盛大な産養うぶやしないのお祝いが続いて、「かいある浦」と尼君には見えたが、威儀をただした儀式ができないので、手狭で元の町へ移るのであった。
紫の上もやって来た。白い装束を着て、ほんとうの親のように、若宮を抱いている姿が、見ものであった。自分では経験がなかったし、他人のことでも知らなかったので、大そう珍しく可愛いと思うのだった。扱いにくそうにしていたが、ずっと離さず抱いていたので、実の祖母は、赤子を抱いてあやすことは紫の上に任せて、自分は湯殿を手伝うのだった。
春宮の宣旨である典侍ないしのすけが湯殿の担当であった。明石の上が自ら迎湯の介添えをやるのも胸を打つものがあり、内々の事情も少し知っていたので、
「明石の上が少しでも欠けたところがあれば、不都合だったであろうに、驚くほど気高くて、このような運を特別に持っている人なのだ」
と思えた。これらの儀式も事細かに書くのも今さらと思い、省略します。
34.66 産養の儀盛大に催される
六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ。七日の夜、内裏よりも御産養のことあり。
朱雀院の、かく世を捨ておはします御代はりにや、蔵人所より、頭弁、宣旨うけたまはりて、めづらかなるさまに仕うまつれり。禄の衣など、また中宮の御方よりも、公事にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。次々の親王たち、大臣の家々、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを尽くして仕うまつりたまふ。
大殿の君も、このほどのことどもは、例のやうにもこと削がせたまはで、世になく響きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねび伝ふべき節は、目も止まらずなりにけり。大殿の君も、若宮をほどなく抱きたてまつりたまひて、
「大将のあまたまうけたなるを、今まで見せぬがうらめしきに、かくらうたき人をぞ得たてまつりたる」
と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。
日々に、ものを引き伸ぶるやうにおよすけたまふ。御乳母など、心知らぬはとみに召さで、さぶらふ中に、品、心すぐれたる限りを選りて、仕うまつらせたまふ。
六日になって、女御は例の御殿に移った。七日の夜、内裏から産養の祝いがあった。
朱雀院が、こうして世を捨てた代わりだろうか、蔵人所から、頭弁が、宣旨をいただいて、例のないほど立派に果した。禄の衣など、また中宮の御方(秋好む中宮)よりも、公事にまさって、盛大にするのだった。親王たちも次々と、大臣の家々も、これが仕事とばかり、われもわれもと、あらん限り立派なものを用意した。
源氏の君も、この程のことは、いつものように省略せず、例がないほどの世間の評判だったので、内輪の優雅で繊細な風雅の趣の、ひとつひとつ詳しくお伝えすべき点は、目にも止まらずに終わってしまった。源氏の君も、若宮をすぐに抱きあげて、
「夕霧がたくさん子をもうけたのに、今まで見せなかったのがうらめしい、こんなに可愛い人を授かったとは」
と可愛がるのは当然だろう。
日々にものを引き伸ばすように成長していった。乳母などは、気心の知らないのは召さず、なかでもとりわけ、品、心の優れた女房を選んで、仕えさせた。
34.67 紫の上と明石御方の仲
御方の御心おきての、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、褒めぬ人なし。
対の上は、まほならねど、見え交はしたまひて、さばかり許しなく思したりしかど、今は、宮の御徳、いと睦ましく、やむごとなく思しなりにたり。稚児うつくしみたまふ御心にて、天児あまがつ、御手づから作りそそくりおはするも、いと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐしたまふ。
かの古代の尼君は、若宮をえ心のどかに見たてまつらぬなむ、飽かずおぼえける。なかなか見たてまつり初めて、恋ひきこゆるにぞ、命もえ堪ふまじかめる。
明石の上の心がけを、気が利いていて気高く、おおらかで、さるべき方にはへりくだって、小憎らしく出しゃばらない、など褒めない人はない。
紫の上は、改まってではないが、明石の上と会う機会が多くなり、あれほど許しがたく思っていたのが、今は、若宮のおかげで、仲がよくなり、敬意を表すのであった。子供好きな性格で、天児あまがつを自分で作り忙しくしているのも、若々しい。明け暮れに子の相手をしていた。
明石の尼君は、若宮をゆっくり見ようとしてもできないので不満に思っていた。なまじちょっと見たことが、かえってもっと見たいと、命も堪えられない様子である。
34.68 明石入道、手紙を贈る
かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、
「今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき」
と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
この近き年ごろとなりては、京に異なることならで、人も通はしたてまつらざりつ。これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君さるべき折節のことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方にたてまつれたまへり。
あの明石の入道も、このようなことを伝え聞いて、俗念を断った心にもうれしく思い、
「今こそ、現世を安心して去って行ける」
と弟子たちに言いおいて、この家を寺にして、周辺の田なども、皆その寺の寺領にして、この国の奥の郡に、人も通わぬ山があるから、以前から所有していたものが、あそこに籠ったら、人に会ったり交流したりすることもないだろうと思い、ただ少しばかり心残りがあって、今まで明石に留まっていたが、今はもう大丈夫だ、神仏を頼みとして山に入ろう。
最近では、京に特別なことがない限り、人を遣って便りを届けることもない。向こうからくる便の帰りに持たせるくらいで、一行でも、尼君に折節の近況も伝えるくらいであった。今度は俗世を離れる最後の別れに、文を書いて、明石の上に送った。
34.69 入道の手紙
「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
仮名文見たまふるは、目の暇いりて、念仏も懈台するやうに、益なうてなむ、御消息もたてまつらぬを、伝てにうけたまはれば、若君は春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなむ、深く喜び申しはべる。
そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず。過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ御ことを心にかけて、蓮の上の露の願ひをばさし置きてなむ念じたてまつりし。
わがおもと生まれたまはむとせし、その年の二月のその夜の夢に見しやう、
『みづから須弥の山を、右の手に捧げたり。山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。みづからは山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず。山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく』
となむ見はべし。
夢覚めて、朝より数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、『何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむ』と、心のうちに思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべしかば、賤しき懐のうちにも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道に赴きはべりにし。
また、この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心一つに多くの願を立てはべし。その返り申し、平らかに思ひのごと時にあひたまふ。
若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、果たし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。
この一つの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、はるかに西の方、十万億の国隔てたる、九品の上の望み疑ひなくなりはべりぬれば、今はただ迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむ、まかり入りぬる。
光出でむ暁近くなりにけり
今ぞ見し世の夢語りする

とて、月日書きたり。
「最近は、同じ世に住んでいながら、何と、こうして生きていながら生まれ変わったように思うことにしていて、特別のことがない限りは、便りのやり取りもしませんでした。
仮名の文を見るのは、時間がかかって、念仏も怠けるようになり、無益なことと思う。久しく便りも出さずにいましたが、聞くところによりますと、若君は春宮に参上して、男宮がお生まれた由、深くお喜びとするところです。
なぜなら、自分はこのように賤しい山伏ですから、今さらこの世に栄えようと思うのではありません。過ぎ去った昔は、未練がましく。六時の務めにも、ただあなたのことを心から願って、蓮の上の極楽往生の願いは差しおいておりました。
大事なあなたが生まれるその年の二月のある夜、夢を見ました、
『自分は須弥山を右手に捧げています。山の左右から、日月の光が明るく世を照らしています。自分は山の下の蔭に隠れて、その光が当たっていません。山を広い海に浮かべて、自分は小さい舟に乗って、西の方を指して漕いでゆきます』
こんな夢を見たのです。
夢から覚めた朝から、数ならぬこの身に将来の望みが出てきたと思いながら、「どんなことによって、そんな大それたことを待ち望めるのか』と、心の内で思っていましたが、そのころ身籠ったのがあなたでした、仏典以外の書を見ても、仏典を探しても、夢を信じるべきことが多く見られるので、賎しい身ながらも、恐れ多く思いながらも大事に育てましたが、力不足の身で思いあまりまして、こんな田舎に下って来ました。
また国主に沈淪して、老いの身で都には帰らぬとあきらめて、この浦に長年いますが、あなた様を頼みの綱としているのです、心ひとつに多くの願を立てました。そのお礼参りに、無事に望み通りのことを果せた時節になりました。
若君が、国の母となって、願いが叶った時に、住吉の社をはじめ、願果しをしてください。もはや何事か疑いがありましょうか。
この願いひとつ、近い将来かないましたら、はるか西の方、十万億の国を隔てて、九品の上の望みは間違いなくなれば、今はただ迎えの蓮が来るのを待っております、迎えが来るその夕べまで、水清い山の末にて勤行しようと思いまして、山に籠ります。
(明石入道の歌)光が放つ暁が近くなりました
今初めて見た夢の話をするのです」
と言って、月日が書いてあった。
34.70 手紙の追伸
「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも、何かやつれたまふ。ただわが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。この世の楽しみに添へても、後の世を忘れたまふな。
願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。娑婆の他の岸に至りて、疾くあひ見むとを思せ」
さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に、封じ籠めてたてまつりたまへり。
尼君には、ことごとにも書かず、ただ、
「この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて、深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊狼にも施しはべりなむ。そこには、なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所にて、また対面はありなむ」
とのみあり。
「わたしが死んでも、決して気にかけないでください。昔から人が染めてきた喪服に身をやつす必要もありません。ただ御身は神仏の化身とみなし、老いた法師のために功徳を積んでください。世の楽しみを味わうにつけ、後世を忘れないこと。
願っている所に至りつけば、必ずまた会うことができるでしょう。この世の対岸に着いて、早く互いに会いたいものです」
そこに、あの住吉神社に納めた願文が、大きな沈の文箱に、封じ籠めて納めてあった。
尼君には、あれこれと書かず、ただ、
「この月の十四日に、草の庵を離れて、深い山に入ります。甲斐なきこの身を、熊狼の施しにもしましょう。あなたは、引き続いて願い通りの御代が来るのを待っていなさい。輝く来世で、またお会いできるでしょう」
とだけあった。
34.71 使者の話
尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、
「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。
年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。さらぬものどもも、多くはたてまつりたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しき限りさぶらひける、ほどにつけて皆処分したまひて、なほし残りをなむ、京の御料とて送りたてまつりたまへる。
今はとてかき籠もり、さるはるけき山の雲霞に混じりたまひにし、むなしき御跡にとまりて、悲しび思ふ人びとなむ多くはべる」
など、この大徳も、童にて京より下りし人の、老法師になりてとまれる、いとあはれに心細しと思へり。仏の御弟子のさかしき聖だに、鷲の峰をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ薪尽きける夜の惑ひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。
尼君はこの文を見て、使いの僧に問うと、
「この文を書かれて、三日ほど経ってから、あの人は人跡未踏の峰に移りました。拙僧らも、お見送りに、麓までお供しましたが、そこで皆を帰して、僧一人童二人だけ、供にして入山しました。今は、出家した時が悲しみの最後と思っておりましたが、まだ残りの悲しみがありました。
長年の間、勤行の合間合間に、寄り伏してかき鳴らしていた琴、琵琶を取り寄せて、かき鳴らしてから、ご本尊に別れを告げて、御堂に喜捨されました。 そのほかの財宝もほとんどは寄進されて、その残りを、弟子たち六十余人ほどいますが、親しく侍してきた者たちに、それぞれの分に応じて皆分け与えて、なお残ったものを、京にいる御方々の分としてお送りましたのです。
今は山に籠って、はるかな山の雲霞に混じっていますので、空しく跡に留まって、悲しんでいる人々がたくさんいます」
などと、この僧も、童のころ京から下った一人で、老法師になって留まったのだろう、あわれを感じ心細くも思われた。仏の弟子の賢者たちも、霊鷲山りょうじゅせんでの説法を信じながらも、釈迦が薪が尽きたように入滅した夜の惑いは深かっただろうが、まして尼君の悲しみは限りがなかった。
34.72 明石御方、手紙を見る
御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。 重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり。
火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、
さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」
と、かつがつ思ひ合はせたまふ。
明石の上は、南の御殿に住んでいたが、「このような便りがありました」と、連絡があったので、内々に尼君の所に行った。重々しい所作で、さしたることがなければ、行き来もむづかしいので、「悲しいことです」と聞いて、気がかりなので、人目を忍んでお出になったのだが、大へん悲し気な様子でいた。
灯火を取り寄せて、この文を見ると、涙をとどめられなかった。他人なら、何でもないことでも、まず昔のことをが思い来し方のあれこれをが思い出されて、恋しいと思う心には、「ついに会えないで終わってしまった」と思うと、本当に残念で心からがっかりした。
涙を止められず、この夢の話を、一方では先行き頼もしく感じ、
「それでは、偏屈な心で、わたしをあるまじき高みへ持ち上げたのだ、と途中で思い迷ったこともあったが、こんなはかない夢を頼りとして、志を高く保っていたのか」
と、今になってようやく分かるのだった。
34.73 尼君と御方の感懐
尼君、久しくためらひて、
「君の御徳には、うれしくおもだたしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。
世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。いかなれば、かく耳に近きほどながら、かくて別れぬらむ」
と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方もいみじく泣きて、
「人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや。数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ。
よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれさて絶え籠もりたまひなば、世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」
とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。
尼君は、やっと涙をおさえて、
「あなた(明石の上)のお陰で、うれしく晴れがましいことも、身に余ることと思っております。しかし、悲しく晴れぬ思いも人並み以上にしました。
数ならぬ身で、長年暮らした都を離れ、明石に沈んでいましたが、世の人と違った悲しい宿世なのだ、と思っておりましたが、まさか生きながら離れて住むような夫婦仲になるとは思ってもいなかったが、来世は同じ蓮の上に住むことを頼みにして過ごしてきましたが、にわかに思いもしないかったことが起こって、都住まいになり、その甲斐あってあなたの身の上を拝見して喜びとすることになりましたが、一方では、入道の身を案じて悲しいことの絶えませんでしたが、ついに会いもせず別れてしまうのが、残念です。
宮仕えをしていた時でも、(入道は)人と違う心ばえでして、世にすねているようでしが、若い時は互いを頼みと して、お互いに仲が良く心から頼りにしていました。どうして、こんなに消息もすぐ伝えられるところにいて、別れ別れになるのか」
と言い続けて、とてもつらそうに泣き顔になる。明石の上もひどく泣いて、
「人に優れた先行きのことも、うれしくありません。数ならぬ身には、際立って晴れがましい生き方ができるとも思われない、悲しい別れに、生死も分からないことになるのではないかと残念に思います。
何もかも、そうした宿縁にあった父入道がいてこそだったのに、山に籠ったら、無常の世ですから、やがてお亡くなりになったら、甲斐がありません」
とて、(明石の上は)一晩中、悲しいことどもを話して夜を明かした。
34.74 御方、部屋に戻る
「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
とて、暁に帰り渡りたまひぬ。
「若宮はいかがおはします。いかでか見たてまつるべき」
とても泣きぬ。
「今見たてまつりたまひてむ。女御の君も、いとあはれになむ思し出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに、もし世の中思ふやうならば、ゆゆしきかね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」
とのたまへば、またうち笑みて、
「いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」
とて喜ぶ。この文箱は持たせて参う上りたまひぬ。
「昨日も、源氏の君は、わたしが女御の所にいるのを知っていて、急にお隠れしたのも、軽々しいことです。わたしだけのことでしたら、何の気がねもいりません、若宮が生まれて付き添っている女御が愛おしく、(源氏の君が)思いのままに振舞うわけにもいかないでしょう」
と言って、暁に帰った。
「若宮はどうしておられますか。どうしたらお目にかかれますか」
と尼君は言ってはまた泣いた。
「今ご覧になれますよ。女御の君も大そう懐かしくあなたを思い出しました、と言っておられます。源氏の君も、何かの折に、もし世の中が思い通りになったら、縁起でもないことを言うようだが、尼君がそれまで生き永らえていらしたら、と仰っていました。何を思っているのでしょう」
と言うと、泣き顔が笑って、
「いえ、ですから、わたしはあれもこれも例のない運命なのです」
と言って喜ぶ。願文の入った文箱を女房に持たせて女御の元に参上した。
34.75 東宮からのお召しの催促
宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば
「かく思したる、ことわりなり。めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
御息所は、御暇の心やすからぬに懲りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく思したり。ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。
かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは
など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、
「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」
などのたまふ。
春宮から早く参内するよう終始督促があるので、
「そう思うのも、もっともです。御子が生まれたのですから、どんなに待ち遠しいことか」
と紫の上も仰って、若宮を秘かに参内させようと用意をしようとするのだった。
明石の女御は、お暇がなかなか出ないのに懲りて、この機会にしばし里にいたいと思うのだった。年もゆかないお身体で、恐ろしいことをしたので、少し面痩せて細って、大そう美しい様子でいらっしゃる。
「こんなにやつれているのに、もう少し養生してからではどうでしょう」
など、明石の上などは、おいたわしく思い申し上げるのを、源氏は、
「このように面痩せて見えるのは、かえっていっそう情愛のわくことなのです」
などと源氏は仰せになる。
34.76 明石女御、手紙を見る
対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
「思ふさまにかなひ果てさせたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど、世の中定めがたければ、うしろめたさになむ。何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも今はのとぢめを、御覧ぜらるべき身にもはべらねば、なほ、うつし心失せずはべる世になむ、はかなきことをも、聞こえさせ置くべくはべりける、と思ひはべりて。
むつかしくあやしき跡なれど、これも御覧ぜよ。この願文は、近き御厨子などに置かせたまひて、かならずさるべからむ折に御覧じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
疎き人には、な漏らさせたまひそ。かばかりと見たてまつりおきつれば、みづからも世を背きはべなむと思うたまへなりゆけば、よろづ心のどかにもおぼえはべらず。
対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな。いとありがたくものしたまふ、深き御けしきを見はべれば、身にはこよなくまさりて、長き御世にもあらなむとぞ思ひはべる。もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、年ごろは、なほ世の常に思うたまへわたりはべりつる。
今は、来し方行く先、うしろやすく思ひなりにてはべり」
など、いと多く聞こえたまふ。涙ぐみて聞きおはす。かくむつましかるべき御前にも、常にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。この文の言葉、いとうたてこはく、憎げなるさまを、陸奥国紙にて、年経にければ、黄ばみ厚肥えたる五、六枚、さすがに香にいと深くしみたるに書きたまへり。
いとあはれと思して、御額髪のやうやう濡れゆく、御側目、あてになまめかし
紫の上がお帰りになった夕方、ひっそりしたころ、明石の上は、女御の前に来て、この文箱のことを知らせた。
「思い通りのことが実現するまでは、隠しておいたほうがよいとも思いましたが、世の中の無常を思えば、心配になりました。あなたが何事にも自分の判断でできようになる前に、何にせよ。わたしが亡くなることがあったら、わたしは必ずしも今わの際に、看取られる身でもないので、それで、気が確かなうちに、小さなことでも、言い残しておくのがよいと、思いましたので。
読みづらく癖のある筆跡ですが、これを見てください。この願文を身辺の厨子に置いて、必ずしかるべき折に、ご覧になって、ここに書いてある通りのことをやってください。
気心の知れない人に、漏らしてはいけません。あなたの将来を見届けましたので、自分も世を背いて出家しようと思うようになりましたので、万事のんびりともできません。
紫の上の御厚情を、おろそかに思ってはなりません。とてもありがたい人でいらっしゃいます、深いご親切な厚情を拝見しますと、わたしよりも長生きしていただきたいと思っております。わたしはもともと、御前に仕えるにしても、控えた方がよい身分ですので、はじめからお任せしたのですが、これほど親身になってくれるとは、長年世間によくある継母のように思っておりました。
今は、今までもこれからも安心しております」
などと、長々とお話するのだった。女御は涙ぐんでお聞きになっていた。このように、親子の打ち解けたときでも、常に礼儀正しい所作で対応し、控えめにするのだった。この文の言葉は堅ぐるしく親しみのないものであったが、陸奥国紙で、古くなって黄ばんで厚いのが五、六枚、さすがに香を深く炊きしめたのを使っていた。
(女御は)たいそう感動して、額髪がだんだん濡れていく横顔は、気高く美しい。
34.77 源氏、女御の部屋に来る
院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
「若宮は、おどろきたまへりや。時の間も恋しきわざなりけり」
と聞こえたまへば、御息所はいらへも聞こえたまはねば、御方、
「対に渡しきこえたまひつ」
と聞こえたまふ。
「いとあやしや。あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもて扱ひつつ、人やりならず衣も皆濡らして、脱ぎかへがちなめる。軽々しく、などかく渡したてまつりたまふ。こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
とのたまへば、
「いと、うたて。思ひぐまなき御ことかな。女におはしまさむにだに、あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはべらめ。.まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそ
と聞こえたまふ。うち笑ひて、
「御仲どもにまかせて、見放ちきこゆべきななりな。隔てて、今は、誰も誰もさし放ち、さかしらなどのたまふこそ幼けれ。まづは、かやうにはひ隠れて、つれなく言ひ落としたまふめりかし」
とて、御几帳を引きやりたまへれば、母屋の柱に寄りかかりて、いときよげに、心恥づかしげなるさましてものしたまふ。
ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、さておはするを、
源氏は、三の宮の方にいたが、中の障子からふとお越しになったので、入道の手紙は隠すことができず、几帳を少し引き寄せて明石の上ご自身は隠れた。
「若宮は、お目覚めか。ちょっとの間も、恋しくなるものだ」
と仰せになったが、女御は返事をしなかったので、明石の上は、
「紫の上にお渡し申しました」
と答えた
「それはいけない。あちらにこの宮を独り占めされたら、あちらは懐から少しも離さずいつも抱いているので、好き好んで衣を濡らして、脱ぎ変えています。軽々しくどうして渡したのか。こちらに来て世話をするのこそがよいのです」
と仰せになれば、
「あらいやだ。思いやりのないお言葉ですこと。女宮であっても、あちらにて世話をするのがよいのです。まして男宮は、どれほど尊い身分でも、ご自由になさってよい思っております。ご冗談にも、そのような分け隔てをするようなことを、申されなさいますな」
と申し上げなさる。源氏は笑って、
「二人にまかせて、わたしは知らんぷりしましょう。わたしをのけ者にして、今は誰もが遠ざけるのです。知った風に言わないでほしいな。まずはこのように隠れて、つれなく言わなようにして欲しいな」
と言って、几帳を引っ張れば、母屋の柱に寄りかかって、美しく、こちらが気恥ずかしくなるほど立派な様子であった。
先ほどの文箱も、慌てて隠すのも見苦しく、そのままにしてあるのを、
34.78  源氏、手紙を見る
「なぞの箱。深き心あらむ。懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
とのたまへば、
「あな、うたてや。今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、
「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」
と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、
いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし 世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや
さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな 聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか
まして、今は心苦しきほだしもなく、思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば、忍びて、いと会はまほしくこそ」
とのたまふ。
「今は、かのはべりし所をも捨てて、鳥の音聞こえぬ山にとなむ聞きはべる」
と聞こゆれば、
「さらば、その遺言ななりな。消息は通はしたまふや。尼君、いかに思ひたまふらむ。親子の仲よりも、またさるさまの契りは、ことにこそ添ふべけれ」
とて、うち涙ぐみたまへり。
「なんの箱か。深いわけがあるのだろう。恋する人が長い歌を詠んで封じたのか」
と仰せになれば、
「あら、嫌だこと。今めかしく若返って、わたしが分からないようなご冗談、時々言われるのですね」
とて、明石の上が微笑んだが、泣いていたような気配が気づかれそうで、二人の様子がおかしいと見られそうで、面倒になって、
「あの明石の入道が、内々に祈祷した巻数、まだ成就していない願などが入っております。君にもお知らせすべく、折を見てお見せしようと思いましたが、今はその折でもないので、開けることもないでしょう」
と仰ると、「なるほど、明石からの手紙では泣くでしょう」と思って、
「入道はどんなに修行に励んで過ごしてきただろう。長生きして、長く勤めているので、消滅させた罪障も数知れないだろう。世の中には、たしなみがあり学もある人がいるが、俗世に深く染まっていて、賢いといっても、ただそれだけのことで、入道にはとても及ばないだろう。
(入道は)、悟り深く、それでいて、物の分かった人です。聖僧ぶって俗世を捨てきったほどではないが、本心では、あの世と自在に行き来していると思えます。
まして今は、気にかかる障害もなく、解脱しきっているのではないか。気軽に動ける身であれば、こっそり行って会いたいものだ」
と仰せになる。
「今は、あの住まいを離れて、鳥の声も聞こえぬ深い山に入ったと聞きましたが」
と仰せになると、
「そうすると、遺言なのかな。手紙はやり取りしていらっしゃるのか。尼君は、何と思ってるだろう。親子の仲より、夫婦の契りは、悲しみも一段と深いであろう」
と言って涙ぐんでいる。
34.79  源氏の感想
「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」
などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、
「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
とて、さまよくうち泣きたまふ。寄りたまひて、
「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ
かの先祖の大臣は、いとかしこくありがたき心ざしを尽くして、朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひめありて、その報いにかく末はなきなりなど、人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。
「あやしくひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじき振る舞ひを、仮にてもするかな、と思ひしことは、この君の生まれたまひし時に、契り深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。
横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ。いかなる願をか心に起こしけむ」
とゆかしければ、心のうちに拝みて取りたまひつ。
「長年生きていて、世の中の有様を、知ってくるにつれて、不思議と恋しく思い出される人なのでで深い夫婦の契りは、どんなに感慨も深いものでしょうか」
と仰せになり、「この夢の話も思い当たる節があるかもしれない」と思い、
「ずいぶん癖のある筆跡で、まるで梵字のようですが、ご覧になられる折もあろうかと思いました。今は別れてずいぶん経ちますが、いつまで経っても、あわれは残るものです。」
と言って、明石の上は見苦しくなく泣くのであった。源氏は近くに寄って、
「いつまでもしっかりしていて、まだ耄碌はしていない。筆跡なども、すべて何事も、あえて有職といってよかった人ですから、ただ処世術だけは足りなかったのでしょう。
あの先祖の大臣は、ごく賢明な人で稀有な忠誠心で、朝廷に仕えておりましたが、何かの行き違いがあって、その報いで末細りになったと、言う人がいるが、女子の筋になったが、こうして、子孫が絶えていないのも、 入道の勤めのお蔭ということもできよう」
などと、源氏は、涙をぬぐいながら、この夢の話の辺りにきて目を止た。
「(入道は)妙に変わり者で、高すぎる望みを持っていると批判する人もいたが、また自分としても、入道が身分にあるまじき振舞いをすると思ったが、この女御が生まれたと聞いたときは、宿世の契りが深いのだと思い知ったが、遠い過去の因縁のことは、分からなかったが、これを頼みとして、強い望みをもっていたのか。
予期せぬ流浪の苦難にあったのも、この入道ひとりの大願成就のためであった。いかなる願をかけたのだろう」
と知りたかったので、心の中で拝んで願文をとった。
34.80  源氏、紫の上の恩を説く
これは、また具してたてまつるべきものはべり。今また聞こえ知らせはべらむ」
と、女御には聞こえたまふ。そのついでに、
「今は、かく、いにしへのことをもたどり知りたまひぬれど、あなたの御心ばへを、おろかに思しなすな。もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず
まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも、初めの心ざし変はらず、深くねむごろに思ひきこえたるを。
いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし
おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなきわざになむあるべき。
多くはあらねど、人の心の、とあるさまかかるおもむきを見るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜しからぬ際の心ばせあるべかめり。皆おのおの得たる方ありて、取るところなくもあらねど、また、取り立てて、わが後見に思ひ、まめまめしく選び思はむには、ありがたきわざになむ。
ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これをぞおいらかなる人といふべかりける、となむ思ひはべる。よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや
とばかりのたまふに、かたへの人は思ひやられぬかし。
「この願文には、それと一緒に奉じるものがあります。いずれ教えてあげましょう」
と女御には言うのだった。そのついでに、
「今こそ、こうして昔のことを知ることができますが、紫の上の心ばえを疎かに思ってはいけません。もとより親しむべき夫婦の絆、親子の絆よりも、血縁のない他人が情けをかけ、一言の優しい言葉をかけてくれるのは、並のことではありません。
まして、実の母がこの邸にいてお傍に親しんでいて、それでいて初めの心ざしが変わらず、深く優しく接しているのですから。
昔からの言い草でも、継母が継子を優しく育てているように見せかけて、子の方が気をまわして賢そうに見えるが、たとえ間違っても、自分に邪険な下心を持っている継母に、子が素直に接したら、親の方で思い返して、どうして意地悪くしたのかと、罪の意識も芽生え、思い直すこともある。
昔の世の実のある人は、行き違いがあっても、それぞれに罪がない時には、お互い仲良くなる例もある。それほどのことでもないのに、口うるさく難癖をつけ、愛嬌もなく、人を疎む気持ちのある人は、打ち解けがたく、深い思慮に欠けていると言っていいでしょう。
多くはないが、人の心の、あれこれの趣を見ると、たしなみといい教養といい、なかなかしっかりした、身分相応の心ばせというものはあるものです。皆それぞれに得手があり、取り柄がないでもないが、自分の後見にと思い、いざ妻を選ぶとなると、なかなかいないものです。
ただ本当に心の癖がなくすばらしいのは、紫の上だけだろう。この方こそ穏やかな心のひろい人というべきでしょう、と思います。人柄がよいといっても、また締まりがなく頼りない人も、残念ながらいます」
とばかり仰るのだが、側にいる人は女三の宮のことを思ったであろう。
34.81  明石御方、卑下す
「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし、睦び交はして、この御後見をも、同じ心にてものしたまへ」
など、忍びやかにのたまふ。
「のたまはせねど、いとありがたき御けしきを見たてまつるままに、明け暮れの言種に聞こえはべる。めざましきものになど思しゆるさざらむに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
数ならぬ身の、さすがに消えぬは、世の聞き耳も、いと苦しく、つつましく思うたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」
と聞こえたまへば、
「その御ためには、何の心ざしかはあらむ。ただ、この御ありさまを、うち添ひてもえ見たてまつらぬおぼつかなさに、譲りきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、掲焉けちえんになどあらぬ御もてなしどもに、よろづのことなのめに目やすくなれば、いとなむ思ひなくうれしき。
はかなきことにて、ものの心得ずひがひがしき人は、立ち交じらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さ直しどころなく、誰もものしたまふめれば、心やすくなむ」
とのたまふにつけても、
「さりや、よくこそ卑下しにけれ」
など、思ひ続けたまふ。対へ渡りたまひぬ
「あなたこそ、少し物事を心得ておられる、大へん結構です、よく紫の上と親しくして、この女御の後見をして、同じ心でやってください」
など秘かに仰せになる。
「仰せにならなくても、紫の上のありがたい気色を拝見して、明け暮れの言葉に表れております。目障りだとお許しがでないのなら、こうまでお会いすることはないでしょう、身の置き所がないほど、人並みに接していただいております、思い返しても面映ゆく思います。
数ならぬ身で、生き永らえるていますのは、世間の噂も気になるし、気が引ていますのに、目障りではないと、かばってくれているからこそなのです」
と明石の上が言うと、
「あなたに対して、何の好意ということでもないでしょう。ただ、この女御にいつも付き添っていられないおぼつかなさに、あなたにお世話を頼んだのでしょう。それもまた、あなたが親ぶった態度をとって偉そうにしていないから、万事うまくいっているので、うれしく思っております。
些細なことでも、物事の心得がなく、非常識な人は、交際するにつれて、相手の人までひどい目に会うのです。どなたもそのように直すところがなく、わたしも安心なのです」
と仰せになるにつけても、
「そうだ。よく謙虚にやって来た」
など、思い続けて、紫の上の所に移っていった。
34.82 明石御方、宿世を思う
「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。げにはた、人よりことに、かくしも具したまへるありさまの、ことわりと見えたまへるこそめでたけれ。
宮の御方、うはべの御かしづきのみめでたくて、渡りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。同じ筋にはおはすれど、今一際は心苦しく」
としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて今は、恨めしき節もなし。ただ、かの絶え籠もりにたる山住みを思ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
尼君も、ただ、「福地の園に種まきて」とやうなりし一言をうち頼みて、後の世を思ひやりつつ眺めゐたまへり。
「本当に、源氏は、紫の上を大事にしようとする気持ちが深まっているようだ。実に人よりかくも優れた資質を備えているのだから、それも当然のことだ。
女三の宮の方は、うわべは大切にされているが、源氏のお出かけが十分でないのは、恐れ多い。同じ血筋だが、宮の身分が一段と高いのも、お気の毒だ」
と明石の上は、陰口を言うにつけて、自分の宿世は、大したものだと思うのであった。
「高い身分の方でも、思い通りにならないのが夫婦仲だのに、まして自分は仲間に入れる分際でもないし、すべて今は、恨めしいこともない。ただ、あの山籠もりの父のことが、悲しく心配でならない」
尼君も、ただ、「極楽」で会う一言を頼みにして、後の世を思って、物思いに沈むのであった。
34.83 夕霧の女三の宮への思い
大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず
女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、院は、いと目につかず見たまふことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。
正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
夕霧は、この姫宮のことを、思い及ばぬことでもなかったので、近くにいるので、平静でいられず、普通の用事にかこつけて、何かにつけて来るので馴れてきて、自ずから姫宮の気配や様子を見聞きして、ただ初々しくおっとりしているだけで、人目につく儀式は威儀をただして、世の例にもなるようように華々しく行ったが、実際はそう大して際立って奥ゆかしいとも思えなかった。
女房なども、年配で落ち着いたのは少なく、若い美人顔の女たちが、ただもう華やかに、気取っているのが多く、数知れぬ大勢の女房たちが集っていたのだが、心配のないお住まいであってみれば、何事も騒がず落ち着いた女房は、心の内は見えないので、人知れぬ悩みを抱えている者も、周りが楽しそうに、悩みが何もない雰囲気に混じれば、その人たちの気配に同調して楽しそうにして、毎日の明け暮れは、子供じみた遊びに夢中になって戯れている童女を見たりすると、源氏は、感心しないと思うのであったが、一律に世の中を断じたりしない性格なので、こういうことも勝手にさせておいて、そんなこともやりたいのだろう、と見ていて、注意して改めさせることはしないのであった。
女三の宮ご本人の振舞いだけは、十分に教えて言いきかすので、すこし心がけるようになった。
34.84 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
かやうのことを、大将の君も、
「げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
「わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを 心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ
と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。
こうしたことを、夕霧も、
「実際、(立派な女君は)なかなかいないものだ。紫の上の心がけ、気色の、長年経ったけれど、世間の人に漏れ出で噂になったことがなく、物静かな点を第一として、さすがに、心うつくしく、人を立てて、しかも品位を失わず、奥ゆかしくしておられる」
と、見たときの面影を忘れがたく思い出すのであった。
「わたしの北の方も、愛おしいと思う気持ちは深いが、あえて言えば、細かい配慮などできない人なのだ。雲居の雁は今は、もう大丈夫と馴れるにつれて、気持ちが弛んで、またこのように集まった(六条院の)ご婦人方がそれぞれ立派なので、内心秘かに姫宮に関心を寄せているのだが、この宮はご身分を考えても、限りなく高貴の出であるのに、源氏は格別の関心を寄せず、人目ばかり気にしている」
と夕霧は見立てている。身の程をわきまえない大それた気持ちでもないが、「見られる折はあるだろうか」と切に思うのであった。
34.85 柏木、女三の宮に執心
衛門督えもんのかみの君も、院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより聞こえ寄り、院にも、「めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
その折より語らひつきにける女房のたよりに、御ありさまなども聞き伝ふるを慰めに思ふぞ、はかなかりける。
「対の上の御けはひには、なほ圧されたまひてなむ」と、世人もまねび伝ふるを聞きては、
「かたじけなくとも、さるものは思はせたてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ
と、常にこの小侍従こじじゅうといふ乳主ちぬしをも言ひはげまして、
「世の中定めなきを、大殿の君、もとより本意ありて思しおきてたる方に赴きたまはば」
と、たゆみなく思ひありきけり。
えもんのかみ(柏木)も、六条院にいつも行っていたので、親しく馴れた仲間として、父帝が三の宮を慈しみ後生大事に育てた御心をよく知っていたので、さまざまな婿選びの頃から申し出ていて、院からも、「目障りだ、とは言われていない」と聞いていたので、このようにこと志に違って降嫁したことを、口惜しく、胸痛む心地して、忘れられないのだった。
その頃から話をつけていた女房のつてを頼りに、女三の宮の様子などを伝え聞くのを慰めとするのを、はかなく思うのだった。
「紫の上の気配に、やはり圧倒されている」と世間でも噂しているのを伝え聞いては、
「恐れ多くも、そんな物思いは自分ならさせないだろう。まことに、類まれな高貴な御身にはふさわしくない」
と、いつもこの小侍従こじじゅうという乳母子めのとごを言い励まして、
「世の中無常ですから、源氏の君が元来の本意を遂げて出家されたらどうしますか」
と、絶えず機会をねらっていた。
34.86 柏木ら東町に集い遊ぶ
弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり。大殿出でたまひて、御物語などしたまふ。
「静かなる住まひは、このごろこそいとつれづれに紛るることなかりけれ。公私にことなしや。何わざしてかは暮らすべき」
などのたまひて、
「今朝、大将のものしつるは、いづ方にぞ。いとさうざうしきを、例の、小弓射させて見るべかりけり。好むめる若人どもも見えつるを、ねたう出でやしぬる」
と、問はせたまふ。
「大将の君は、丑寅の町に、人びとあまたして、鞠もて遊ばして見たまふ」と聞こしめして、
「乱りがはしきことの、さすがに目覚めてかどかどしきぞかし。いづら、こなたに」
とて、御消息あれば、参りたまへり。若君達めく人びと多かりけり。
「鞠持たせたまへりや。誰々かものしつる」
とのたまふ。
「これかれはべりつ」
「こなたへまかでむや」
とのたまひて、寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば、こなた隠ろへたりけり。遣水などのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどを尋ねて立ち出づ。太政大臣殿おおきおおいどのの君達、頭弁とうのべん兵衛佐ひょうえのすけ、大夫の君など、過ぐしたるも、まだ片なりなるも、さまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。
三月の春うららかな日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上した。源氏が出てきて、話などをする。
「静かな住まいは、この頃は大そう退屈で暇を紛らわせられない。公私に何事もない。何をして過ごそうか」
などと仰せになって、
「今朝、夕霧が来ていたが、どこに行った。何か物足りないのだが、例の小弓射させて見物しようか。小弓が好きな若人も見えているのに、どこに行ったのだろう」
と仰せになって、
「夕霧は丑寅の町に、人が大勢集まって、鞠で遊んでいるのを見ました」と聞いて、
「無作法なあそびだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。こちらへ来たら」
とて、文を持たせたので、やって来た。若い人が多かった。
「鞠は持ってきたか。誰々がいるのだ」
と仰せになる。
「誰それが来ています」
「こちらにお出でにならぬか」
と仰せになって、寝殿の東面、桐壷の女御は若宮を連れて、参内しているので、こちらは目立たないところだった。鑓水が合流していて、鞠のできる趣ある場所を探して席を立つ。太政大臣の子息たちで頭弁、兵衛佐、太夫の君など、年のいった者も、まだ若いのも、それぞれに、人より優れた者ばかりだった。
34.87 南町で蹴鞠を催す
やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、
「弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司えふづかさたちは、などか乱れたまはざらむ。かばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々きょうぎょうなりや。このことのさまよ
などのたまふに、大将も督君も、皆下りたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。をさをささまよく静かならぬ、乱れごとなめれど、所から人からなりけり。
ゆゑある庭の木立のいたく霞みこめたるに、色々紐ときわたる花の木ども、わづかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、善き悪しきけぢめあるを挑みつつ、われも劣らじと思ひ顔なる中に、衛門督のかりそめに立ち混じりたまへる足もとに、並ぶ人なかりけり。
容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。
御階みはしの間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の上も忘れて心に入れたるを、大殿も宮も、隅の高欄に出でて御覧ず。
ようよう日が暮れかかる頃になって、「風吹かず、絶好な日和だ」と興がのって、弁君も我慢できず立ち混じれば、源氏は、
「弁官も落ち着いていられないのに、上達部でも、若い衛府司えふづかさたちは、どうして参加しないのか。この年頃では、見ているだけで過ごすのは、残念な気がしたものだ。しかし、まったく騒々しいな。この蹴鞠は」
などと仰せになるに、夕霧も柏木も、皆庭に下りて、えもいわれぬ花の陰に漂う夕映えが、大そう美しい。あまり体裁の良くない騒がしい無作法な遊びだが、場所柄人柄によるのだった。
趣のある庭の木立に濃く霞がかかって、色とりどりに蕾が開いた木立は、わずかに萌黄の芽吹き出た木陰で、こんな何でもない遊びだが、上手下手の違いを競って、負けまいと必死の顔をしているなかで、柏木がほんのお付き合いで入った足さばきに、並ぶ人はなかった。
容貌は際立って美しく、優雅な物腰で、心遣いも十分で、それでいて夢中になっているのは、魅力があった。
御階みはしの間にある桜の陰に寄って、人々が、花も忘れて夢中になっているのを、源氏も蛍兵部卿の宮も、高欄に出て見物するのであった。
34.88 女三の宮たちも見物す
 いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。大将の君も、御位のほど思ふこそ、例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は、人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のやや萎えたるに、指貫の裾つ方、すこしふくみて、けしきばかり引き上げたまへり。
軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、
「花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」
などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ
大そう稽古を積んだ技も披露されて、回数が増えるにつれて、身分の高い方々も無礼講になり、冠も少し額に弛んでいた。夕霧も、位にしては、いつにない羽目の外し方だなと思うが、見た目には、人より若く美しく見えて、桜襲の直衣の少し柔らかくなったのに、指貫の裾の方をふくらませて、こころもち引き上げていた。
(夕霧は)軽率には見えず、さっぱりして寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかり、見上げて、たわんだ枝を少し折って、御階の中段辺りにいた。柏木もやって来て、
「桜がしきりに散りますね。桜を避けて風が吹けばいいのに」
などと言って、女三の宮の御前の方を横目に見れば、例の、女房たちが格別慎み深くするでもない様子で、色々の袖口がこぼれでた御簾の端々や透影など、行く春に手向ける幣袋か、と思われた。
34.89 唐猫、御簾を引き開ける
御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。
猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
几帳がだらしなく引かれていて、女房が端近くにいて世間ずれしてるように思われるところ、唐猫のごく小さいかわいいのが、少し大きい猫を追って、突然御簾の端から走り出たので、女房たちはおびえ騒いで、身じろぐ気配がして、衣擦れの音が、耳にやかましいほどした。
猫は、まだ人になついていないのだろう、紐を長くつけていて、何かに引っかかってまとわりついていて、逃げようとして引っ張るのを、御簾の端があらわに引き開けられて、それをすぐ引き直す人もなかった。この柱の側にいた女房たちも、あわただしく物おじした様であった。
34.90 柏木、女三の宮を垣間見る
几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。
紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞ余りたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
鞠に身を投ぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人びと、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
几帳の際少し入ったところに、袿姿で立っている人がいた。階から西の二の間の東の側なので、隠れるところなく露わに見えるのだった。
紅梅襲だろう、濃いのと薄いのと次々に重なり合った色の移り変わりも、華やかで、草子の小口のように見えて、桜襲の細長のようだ。髪のすそまで美しく見えていて、糸を垂らしたようになびいて、髪の末がきれいにそろっているのは、かわいらしく、小柄なので七、八寸ばかり余っている。衣の裾が余っていて、体つきは細く、姿かたちや髪のかかり具合、その横顔は、言葉に言えぬほど可愛らしい。夕影なので、はっきり見えず、奥が暗いので物足りない残念だ。
鞠に夢中になっている若君たちの、花が散るのを惜しんでもいられない様子に、女房たちは、露わになった姿を誰も気が付いていない。猫がひどく鳴いていて、振り向いた三の宮の面もち、所作など、おおらかで、若くかわいらしい人、と見えた。
34.91 夕霧、事態を憂慮す
大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。
まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。
さらぬ顔にもてなしたれど、「まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや。
夕霧は、はらはらしたけれど、近寄るのも軽率だし、ただ女房たちに気づかせようと、咳払いすると、ようやく三の宮は引っ込んだ。実のところ、自分の心にも、残念な気持ちがあったが、猫の紐が放されていたので、思わずため息をついた。
まして、あれほど魅了されていた柏木は、胸いっぱいになって、誰あろう、この中ではっきり目立った袿姿が他人に紛れるはずもないその人の気配を、忘れがたく思われた。
柏木は何でもない風をよそおった、「見たに違いない」と、夕霧は困ったことになったと思った。柏木はたまらない気持ちになって、猫を招いて抱き上げると、香ばしい香りがして、かわいく鳴いて、その人になぞらえるのは、好き心だろう。
34.92 蹴鞠の後の酒宴
大殿御覧じおこせて、
「上達部の座、いと軽々しや。こなたにこそ」
とて、対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅つばいもち、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る。
衛門督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけて眺めやる。大将は、心知りに、「あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ」と思ひたまふ。
「いと端近なりつるありさまを、かつは軽々しと思ふらむかし。いでや。こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを」と思ふに、「かかればこそ、世のおぼえのほどよりは、うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
と思ひ合はせて、
「なほ、内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」
と、思ひ落とさる。
宰相の君は、よろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬものの隙より、ほのかにもそれと見たてまつりつるにも、「わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや」と、契りうれしき心地して、飽かずのみおぼゆ。
源氏はご覧になっていて、
「上達部の座が近すぎる。こちらに席を変えよう」
と言って、対の南面に入ると、皆そちらに移った。蛍兵部卿の宮も席を変えて、話をする。
それ以下の上達部たちは、簀子に円座を敷いて、気楽に、椿餅つばいもち、梨、柑子など、それぞれ箱の蓋などにとり混ぜて出されたのを、若い人々ははしゃぎながら食うのだった。干物が出されて、酒が出た。
衛門の督(柏木)はひどく思い込んで、ときどき、桜の木をぼんやり眺めている。夕霧は、わけを知っているので、「ふとしたことから垣間見た姿を思い出しているのだろう」と思っていた。
「端近くになり過ぎているのは軽率だと思っているのだろう。いいや、紫の上ならそんなことは決してないだろう」と思うと、「こういうことだからこそ、世間の声望が高い割には、源氏の心が向かわず愛情は薄くなるのだろう」
と思い合わせて、
「やはり、他人に対しても自分にも思慮が足りず、幼いのは、かわいいと思われるだろうが、やはり不安だ」
と思いいたるのだった。
宰相の君(柏木)は、三の宮の数々の欠点も気づかず、思わず御簾の隙間から垣間見たことが、「昔からのわたしの思いが通じたのだ」と前世の宿縁もうれしく思い、思慕の思いに胸いっぱいなのだった。
34.93 源氏の昔語り
院は、昔物語し出でたまひて、
「太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。はかなきことは、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。いと目も及ばず、かしこうこそ見えつれ」
とのたまへば、うちほほ笑みて、
はかばかしき方にはぬるくはべる家の風の、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ
と申したまへば、
「いかでか。何ごとも人に異なるけぢめをば、記し伝ふべきなり。家の伝へなどに書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」
など、戯れたまふ御さまの、匂ひやかにきよらなるを見たてまつるにも、
かかる人にならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。何ごとにつけてか、あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき
と、思ひめぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき 身のほども思ひ知らるれば、胸のみふたがりてまかでたまひぬ。
源氏は、昔話をしだして、
「父君の太政大臣とは、いろんなことを、勝ち負けで競い合ったが、鞠だけはかなわなかった。このようなたわいもないことは伝授もあるまいが、血筋がものをいうのだろうね。目にも止まらないほど、大そう上手でしたね」
と仰せになると、微笑んで、
「政務などの重要な方面では、劣っている家の家風が、こんな鞠などの方面に吹いても、後世の子孫にはどうというものでもありますまい」
と申し上げれば、
「いやそんなことはない。何であれ人より秀でたものは、家伝として書き留めておけば興があるだろう」
などと戯れる源氏の様子が、輝くように大そう美しいのを拝見していると、
「このような方にならって、どれだけの人が心を移すことだろう、何であれ、源氏の君があわれと思われるほど、御心を動かせることができたらたら」
と、思いめぐらすと、いよいよこの上なく、女三の宮の辺りが遠く感じられて、身の程も知られて、胸が張り裂けるばかりであった。
34.94 柏木と夕霧、同車して帰る
大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。
「なほ、このころのつれづれには、この院に参りて、紛らはすべきなりけり」
「今日のやうならむ暇の隙待ちつけて、花の折過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、小弓持たせて参りたまへ」
と語らひ契る。おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言はまほしければ、
「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえの異なるなめりかし。この宮いかに思すらむ。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、屈したまひにたらむこそ、心苦しけれ」
と、あいなく言へば、
「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変はりてほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」
と語りたまへば、
「いで、あなかま。たまへ。皆聞きてはべり。いといとほしげなる折々あなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや
と、いとほしがる。
いかなれば花に木づたふ鴬の
桜をわきてねぐらとはせぬ

春の鳥の、桜一つにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆることぞかし」
と、口ずさびに言へば、
「いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ」と思ふ。
深山木にねぐら定むるはこ鳥も
いかでか花の色に飽くべき

わりなきこと。ひたおもむきにのみやは」
といらへて、わづらはしければ、ことに言はせずなりぬ。異事に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。
夕霧は、柏木の車に同乗して話をする。
「それから、このころのつれづれには、この院に来て、暇つぶしをしたらいい」
「今日のような暇な折り、花の散る前にお越しなさい、と源氏が仰せになっている。春を惜しんで、月のうちに、小弓を持ってお越しください」
と言って約束する。それぞれが別れるまで物語して、三の宮のことを話したかったので、
「源氏の君は、こちらの対にばかりいるそうですね。姫宮は帝の覚えが格別だったのに。どんな気持ちでいるでしょう。 帝が並ぶ者ないほどに可愛がっていたのに、そうでもなく、塞いでいらっしゃるのが、お気の毒です」
と余計なことを言えば、
「とんでもないこと。そうではありません。紫の上の君は、普通と事情が違って、幼少から育てたので親しさが違うのでしょう。宮のことは、何かにつけて、大へん大切に思っておられますから」
と話をすると、
「いいえ、やめてください。皆聞いています。とてもお気の毒な様子のときがよくあるそうです。実際は、世の声望は一通りではないのに。考えられないですね」
と気の毒がる。
(柏木の歌)「どうして花から花へと伝う鶯は
桜をあえてねぐらとしないのでしょう
春の鳥の桜ひとつにとまらぬ心よ。合点のゆかぬことです」
と口ずさむように言えば
「いや、何ともいらぬおせっかいだ、思った通りだ」と夕霧は思う。
(夕霧の歌)「奥山にねぐらを作っているはこ鳥も
どうして美しい花の色を嫌になってしまうことがありましょうか
仕方ないことです。そう一方的に言わないでください」
と答えて、面倒なので、これ以上話をしなかった。他の話題にそらして各々別れた。
34.95 柏木、小侍従に手紙を送る
かむの君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細き折々あれど、
「わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」
とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、
「いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも軽々しきに、おのづからともかくもものの隙をうかがひつくるやうもあれ」
など思ひやる方なく、
「深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」
と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。
「一日、風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見落としたまひけむ。その夕べより、乱り心地かきくらし、あやなく今日は眺め暮らしはべる」
など書きて、
「よそに見て折らぬ嘆きはしげれども
なごり恋しき花の夕かげ」
とあれど、侍従は一日の心も知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。
かむの君(柏木)は、今でも太政大臣邸の東の対に、独りで住んでいた。思うところがあって、こうして住んでいるが、誰のせいでもなく物足りなく心細い時はあるが、
「自分はこれ程の身分で、どうして思いが叶わないことがあろうか」
と自負していたが、この夕べから気持ちが沈んで、物思わしく、
「どんな機会を待って、またあの時の程度でもよい、わずかでも姫宮を見たい。ともかく身分が低く目立たない人なら、気軽に物忌、方違え などで容易に移動できて、自ずからわずかな隙を見て機会を作ることもできるだろうが」
などと思いを晴らすすべなく、
「深窓にいる人に、何にかこつけて、こんなに深く慕っていること者ががいると知らせられようか」
と胸が晴れないので、小侍従の許に、例の、文を出した。
「先日、風に誘われて、御殿の垣根の中に入りましたが、姫宮はわたしを見下げたことでしょう。その夕べから、思い乱れてわけもなく、物思いに沈んでいます」
などと書いて、
(柏木の歌)「遠くから見るばかりで、手折れぬ悲しみは深いけれど、
夕明かりの中で見た花の美しさはいつまでも恋しく思います」
と書いてあったが、侍従はあの日事情を知らず、普通の恋文と思った。
34.96 女三の宮、柏木の手紙を見る
御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、
「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
と、うち笑ひて聞こゆれば、
「いとうたてあることをも言ふかな」
と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。
「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかりことのついでごとに、
「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」
と、戒めきこえたまふを思し出づるに、
「大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、いかにあはめたまはむ」
と、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける。
常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く
一日は、つれなし顔をなむ。めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし
と、はやりかに走り書きて、
いまさらに色にな出でそ山桜
およばぬ枝に心かけきと

かひなきことを」
とあり。
御前にあまり人がいないのを見はからって、あの文を持ってきて、
「この人はこのように、忘れられない思いを、文にして言ってきたのも煩わしいが、あまりにお気の毒なので見るに見かねる気持ちが起こるのではないかと、自分でも分からないのですが」
と笑って、報告すると、
「まあ、嫌なことを言うのね」
と、何気ない様子で、(小侍従が)広げた文を見る。
「見もせぬ」と歌に詠んだところを、姫君は意外なことだった御簾の端の隙を思い出して、顔を赤らめ、源氏が、あれほど事のついでに、
「夕霧に見せるな。あなたは子供っぽいところがあるから、自ずからうっかりして、見られることもあろう」
と戒められたのを思い出して、
「夕霧が、こういうことがありましたと、源氏の君に告げたら、どんなに叱るだろう」
とばかり思って、柏木に姿を垣間見られたことは落ち度と思わないで、君を恐がる心のうちが幼かった。
いつものように指図がなかったので、(小侍従は)当てが外れて、どう返事を書くか聞くべくもなかったので、人目を忍んで、例によって返事を書く。
「先日は知らんぷりをしていましたね。失礼なこととお許し申しませんでしたのに、「見ずもあらぬ」とは何事ですか。ほんとに嫌らしい」
とさらさら走り書きして、
「今さら顔に出しなさんな
手の届きそうもない山桜の枝に心をかけたなどと
無駄なことです」
とあった。




(私論.私見)