れんだいこの日本語論、日本文の白眉考その2 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.2.21日
【日本語を第二国際公用語にしよう】
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「日本語は何位?世界で最も影響力のある25の言語ランキング」。 現在世界に存在する言語の数は6000以上。そのうちの世界で最も影響力のある25の言語ランキングは次の通り。ランキング要件は、話者数、国際経済と貿易での影響力、そしてリングワ・フランカ(共通の母語を持たない人同士の意思疎通に使われている言語)における状況を考慮している。
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パラオなど南の島で日本語を話せる人がいる。大日本帝國時代に統治していた関係で、日本語教育されたことによる。パラオ共和国のアンガウル州(総面積は8km²の小さい島)の州憲法では日本語が公用語の一つになっている。 |
「宇部オルガンハウス-特別記事-」の「日本語の凄さ==第二部:漢文熟語の広義化は危険==」参照。
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【日本語の凄さ考】 | |
「るいネット」のぐうぐう(東京)氏の 11/02/22 日付ブログ「№246120 日本人と縄文体質 恐るべし日本語の凄さ」を転載する。
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【日本語の縄文体質考】 | |
2018年11月01日付 「縄文体質の史的足跡~第2回 縄文体質は日本語を通じて我々の心に息づいている」。
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【日本語の素晴らしさ】 | |
「日本語の素晴らしさ」。
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【日本語の素晴らしさ】 | |
2013年05月09日、「日本語の素晴らしさ」。
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【日本語の素晴らしさ】 | |
「『素晴らしい日本、素晴らしい日本語』 」。
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【日本語の素晴らしさ】 | |||||||||||||||
2015/07/22日、 「日本語の素晴らしいポテンシャルに気づこう」。
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【日本語の素晴らしさ】 | |
「通訳・翻訳で分かる日本語の素晴らしさ。簡単にはなれない通訳・翻訳の職業」。
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【日本語の素晴らしさ】 |
「百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】 」。
古文や古典文学などについて情報発信するメディアです。 |
2024.6.15日、今野真二(清泉女子大学教授)「なぜ日本語は漢字を捨てなかったのか?...『万葉集』は試行錯誤の場ではなかった」。 |
<万葉仮名とは、漢字によって日本語を必死になって文字化したものなのだろうか。日本語の文字を再考する> 【今野真二(清泉女子大学教授)】 古代の中国から伝わった漢字は、日本語の話し言葉と書き言葉に影響を与え続けてきた...。 『万葉集』から近代まで、漢字に光をあてて歴史をたどり、日本語を再発見。今野真二著『日本語と漢字──正書法がないことばの歴史』(岩波新書)の第1章「すべては万葉集にあり」より一部抜粋。 ◇ ◇ ◇ 現在私たちは、漢字と仮名(場合によってはラテン文字)とによって日本語を文字化している。それに慣れている現代日本語母語話者は、漢字だけで日本語を文字化するというと、「そんなことができるのか」とか「大変そうだな」と思う。しかしそれは、漢字と仮名とを使っているから、そう感じるにすぎない。 東海道本線が開通すれば、東海道を歩いて行き来していた頃は「大変だっただろうな」と思う。しかし東海道新幹線が開通すれば、東海道本線は「時間がかかる」ということになる。 新しいものを獲得した時点で、獲得していない時点を想像すれば、「大変そうだな」ということになる。それはいわば「感想」のようなものといってもよい。 『万葉集』をめぐって、日本語を漢字によって必死になって文字化しようとしていた、日本語を漢字によって文字化するために試行錯誤していた、というようなことが言われることが少なくない。 しかし、そうではなかったことは漢字で文字化された『万葉集』を、よみくだした「本文」と対照しながらよんでみれば、すぐにわかるのではないだろうか。 漢字から仮名がうみだされたのは、9世紀末頃と推測されている。それは『万葉集』が成った8世紀から250年ほど後にあたる。 漢字は朝鮮半島においても使われていた。というよりも、朝鮮半島を経由して「漢字文化」は日本にもたらされた。 朝鮮半島の言語も日本語も、最初に出会った文字は漢字であった。李氏朝鮮第4代国王の世宗(セジョン)が訓民正音、現在のハングルを公布したのが1443年、15世紀のことになる。 このことをもって、日本においては短期間に漢字から仮名をうみだした、とみるむきがある。 しかしおそらくそういうことではなく、『古事記』『日本書紀』『万葉集』が成った8世紀の時点では、「漢字によって日本語を文字化する」ということが1つの到達をみていたために、そこから仮名の発生まであまり時間がかからなかったということではないだろうか。 仮名のようなものが必要であるという「日本語内部での圧力=内圧」がたかまっていた、といってもよいだろう。 漢字によって日本語を文字化することに関しての試行錯誤があったとすれば、それは『万葉集』が成る前の250年間がそうした時期なのであろう。その試行錯誤の跡を窺わせる文献は存在していない。 また、漢字によって日本語を文字化するということを話題にするにあたって、「文字社会」の広狭が考慮にはいっていないことが少なくない。 現在は文字を読み書きできる人の数が多い。つまり「文字社会」が広い。しかし、8世紀頃、文字を読み書きできる人は相当に限定的であったと思われる。 中国語、漢字についての知識、理解がなければ漢字によって日本語を文字化することはできない。 中国語を母語として日本語が理解できる人、日本語を母語として中国語がかなり、あるいはある程度理解できる人が、漢字を使って日本語を文字化できる人であっただろう。 「日本語を文字化する」ということの中心(センター)に漢字があった。そして後に述べるように、漢文訓読が日本語の「かきことば」の発生に深くかかわっていた。 そうであるならば、漢字は日本語を文字化するための文字であることを超えて、日本語に深くかかわりをもった存在であったことになる。 そう考えると、仮名がうまれたからといって漢字を捨てなかったことは、むしろ当然といってよい。 8世紀の時点ですでに漢字は日本語とともにあり、その頃から漢字とともに日本語の歴史が動き出したといえるだろう。 |
【さとうみつろう氏の日本語論】 |
2024.6.9日、さとうみつろう「日本が平和なのは言語のお蔭」。 |
札幌の大学を卒業後、エネルギー系の大手企業(東証一部上場企業)に入社。サラリーマンとしての経験を通して社会が抱える多くの矛盾を目の当たりにし、社会が抱える多くの矛盾点に思い悩み、「世界を変えるためには、1人ひとりの意識の革新が必要」だと痛感し、SNSで独自の考え方やエッセイ、詩や楽曲の発信を開始する。口コミで「クスっと笑えて、分かりやすい文章」が評判となり、さとうみつろう公式ブログが各種人気ランキングで1位を記録。2014年、読者や周囲の声に応える形で長年勤めた会社から独立。同年9月に出版した「神さまとのおしゃべり」は20万部を突破するベストセラーとなり、アマゾンランキング「本」総合部門で1位となる。また、2015年からは「さとうみつろうトークショー」の中に「純正律ピアノ」を用いたカノン瞑想を取り入れ、チケットが買えないほどの人気を博す。(純正律カノン瞑想)さらに、中学生の頃から続けているバンド活動にも力を入れており、2016年にsun of a rockにてメジャーレーベルからCD「グラビトン」を発売し、初登場オリコン27位をマーク。独自の思想をメロディに乗せる事で、さらに多くの人へ届け続けている。 現在、音楽ライブや講演会などで全国を飛び回る傍ら、本の執筆やイベントの企画等も自身で手掛けるマルチなクリエイターとして活躍する。那覇市在住で、自宅に戻ると3児のパパに早変わりする子煩悩な3児のパパでもある。 |
さとうみつろう 1980年石垣島生まれ。3才の時に初めて「私とは何か?」を考えはじめる。5才の時に初めて「宇宙の外側には何があるの?」と保育園で質問する。小学1年の時に初めて、小学生になる。小さい頃から同級生を笑わせるために「おかしな物語り」の本を作っていたそうだよ。本人は忘れてるらしいけど。 中学校は親元を離れ男子校で寮生活。ラグビー部でしごかれ、「今俺たちが絶対に世界中で一番キツイ思いをしてるよな」と部員たちと語り合ったそうだ。中学2年生の頃にドラムを叩いている同級生に出会い、見よう見まねでドラムを覚え始め、学園祭で初めてバンド発表。修学旅行ではオーストラリアに2週間ホームスティし、英語が話せないでも生き抜く方法を身に付ける。中学3年生の頃には、中学校を卒業する。 那覇の高校へ進学し、バンドGFBのドラムを担当。この頃からギターで作詞作曲を始め、当時は珍しかったCD制作をインディーズで実現したんだ。高校の修学旅行で訪れた北海道で「雪の白さ」に感動し、札幌の大学へ進学。 大学在学中にクラブイベントMuzik Nightを主催したり、カフェをプロデュースしたりする。大学3年生の頃に修学旅行で訪れたバンクーバーでは、40日間ものホームスティをするも、ほぼ日本語だけで過ごすという異色の経歴と、「お前、何回修学旅行に行ってんのよ!」「なんでプロフィール欄がほとんど修学旅行の話しなんよ!」と、あなたにツッコまれる経験を持つ。 大学生を卒業するころには、不思議と社会人になり始め、10年間サラリーマンの経験を積む。会社で働いていた当時は辛かったことが、今に思えば全て素敵な財産に変わっているから不思議であるのと同時に、「社会の抱える矛盾に思い悩む」という著者プロフィールを、いったいどのタイミングで変えれば良いのか思い悩む。やわらかいプロフィール、笑えたかな? 笑っている時より幸せな人なんて居ない訳で、これからも、あなたにワラエルomoiを届け続けたいな。 |
「お互いが正しい日本語を使えば、ケンカにならない」。 秦氏一族トップの統理に教えてもらった話し。そもそも「ケンカ(争議)」になる理由は、「お前、こう言っていたじゃないか」、「あんた、言ってることが違うじゃないか」、「なんで、伝わらないの?」、「最終手段だ、暴力に打って出る!」。相手と自分との「相誤認識」がズレているから。言いたいことが「ビシ」っと相手に伝わらない。 日本語じゃない言語だと、言語が幼稚だからケンカになるのだ。 一方の日本語。ひすいさんのYOUTUBEから。花が落ちる様子さえも、桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、牡丹は崩れる、椿は落ちる。色の種類も豊富。日本語なら、自分が「言いたいこと」がビシっと伝わる。逆に、外国が可哀そうである。言いたいんだよ。気持ちは、心の中に浮かんでいるんだよ。でも、道具が用意されていない。 この淡い感情を、何と表現すればいいか。 さぁ、日本が平和な理由が分かって来たと思います。それは、先人たちが諦めなかったから。数万年続く世界最古の文明・文化で、僕らの祖先が何度も何度も試行錯誤して、孫やひ孫のために「使いやすい道具」として日本語を開発してくれた。だから、「かゆい所に手が届く」し、どんな「心象風景」でも相手に的確に伝えることができる。また、日本語は口元をわずかに動かすだけで意思疎通が可能、「表情筋」を使わない言語として有名。韓国語や、中国語と比べても、圧倒的に「表情筋」を使わないそうです。たしかに・・・、外国人と話すと、めっちゃ顔の表情豊かに話している。感情的で、身振り手振りをして。顔の筋肉の何パーセントを使用して言語を話すか? 日本語が使う顔の筋肉は20%で、ドイツ語は80%、アメリカ語は60%。「Rアール」とか、ベロの筋肉めっちゃ使ってるよね。日本人以外は、相手の「口元を見る」そうです。一方日本人は、口元を動かさないでも話せるので、相手の目を見る。「目は口ほどに物を言う」。これは、先祖のお蔭だったのか。 ちなみに、生後7か月の赤ちゃんの頃から既に、日本人は、お母さんの「目を見る」。外国人は、お母さんの「口元を観る」そうです。遺伝子に組み込まれたのか、7か月間「必死に」お母さんのおっぱいを得るために獲得した能力なのかはナゾ。僕たちが「平和な国」なのは、日本語のお蔭。そしてその「日本語」は、先祖が、先人たちが、ずーっと長い年月かけて、1つずつ心象外の風景に、コトバを当てはめて行った結果。ただただ、感謝なのです。 ↓ブログを11年くらい書かせてもらっています。日本語で。毎朝、毎朝、366日。ラーメン屋さんが、死ぬほど「上手に」メンマを切るように。看護婦が、簡単に脈数を出すように。長くやってたら、誰でもプロになる。僕も「日本語」という言語を、死ぬほど書かせてもらっている。ラーメン屋にとっての「ずん胴なべ」が、看護師にとっての「聴診器」が、僕にとっての「日本語」なのです。これで、毎日「はたらく(ハタをらくに)」という行為をしている。そんな日本語が、どの言語よりも表情を動かさずに使えるように進化していて、そんでもって「数万種類」の組み合わせで、心象風景を確実に相手に伝える。僕が住んでる、「おもろまち」の「オモロ」は、「心の中の言いたいことを発音する」という長い動詞です。オモロ草紙は、そんな「オモロ」の数々を綴った作品。去年亡くなった僕の叔父さん(母の兄)が県議で、米軍から取り戻す活動を続けた「おもろまち」。沖縄で一番新しい地名に「おもろ」を付けたのは有り難い。数十年ぶりに会った時、「そうか、君が今、おもろまちに住んでいるのか」と感慨深く言っていたなぁ。五七七ではなく、琉歌は「ウタ」と言われ、サンパチロク(八八八六)で歌う。日本語よりも表情筋を使わないってんだから、わったーうやふぁーふじは凄いもんである。↓今日は下の2つのボタンを押す祭、「平和なのは言語のお蔭」って言いながら↓ポチ↓ポチ |
(私論.私見)