れんだいこの日本語論、日本文の白眉考その2

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.2.21日



【日本語を第二国際公用語にしよう】
 「日本語は何位?世界で最も影響力のある25の言語ランキング」。

 現在世界に存在する言語の数は6000以上。そのうちの世界で最も影響力のある25の言語ランキングは次の通り。ランキング要件は、話者数、国際経済と貿易での影響力、そしてリングワ・フランカ(共通の母語を持たない人同士の意思疎通に使われている言語)における状況を考慮している。
1位 英語
2位 フランス語
3位 スペイン語
4位 アラビア語
5位 中国語(マンダリン)
6位 ロシア語
7位 ポルトガル語
8位 ドイツ語
9位 日本語
10位

ヒンドゥスターニー語

インドの公用語・ヒンディー語、およびパキスタンの公用語・ウルドゥー語としてよく知られる。
11位 マレー語 マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシアや東ティモールなど、東南アジア全域で広く使用されている言語。
12位 ペルシャ語 イランを中心とする中東地域で話される言語。ペルシャ語、ファルシ語ともいう。
13位 スワヒリ語 アフリカ東岸部で国を越えて広く使われている言語。ケニア、タンザニア、ウガンダでは公用語となっている。
14位
タミル語
南インドのタミル人の言語。インドではタミル・ナードゥ州の公用語であり、スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つにもなっている。
15位 イタリア語
16位 アフリカーンス語 南アフリカ共和国の公用語の一つの言語。
17位 ベンガル語 主にバングラデシュおよびインドの西ベンガル州とその周辺で話されている言語。
18位 トルコ語
19位 ベトナム語
20位 ポーランド語
21位 ジャワ語 インドネシア・ジャワ島の中央部から東で話されている言語。
22位 パンジャブ語 インドとパキスタンにまたがるパンジャーブ地方の言語。
23位 タイ語
24位 広東語 中国南部の広東省、 広西チワン族自治区、香港、マカオを中心に話される言語。
25位 朝鮮語
 パラオなど南の島で日本語を話せる人がいる。大日本帝國時代に統治していた関係で、日本語教育されたことによる。パラオ共和国のアンガウル州(総面積は8km²の小さい島)の州憲法では日本語が公用語の一つになっている。
 「宇部オルガンハウス-特別記事-」の「日本語の凄さ==第二部:漢文熟語の広義化は危険==」参照。
 世界に情報や知識は溢れているが、それを統合して筋の通った思想に変えてこそ有用である。日本語は日本精神の神髄であり最強の言語砦。縄文から今に至る日本を守ってきた。日本は世界一の言語宝島の国である。言語や学力が国力をきめる。日本は漢字まじり仮名文字の発明普及を達成した。本当の戦いは言語力の戦いである。日本の近代化は外国の文物を翻訳して摂取した優れた言語としての日本語の賜物である。最近では日本語は意外と習得がやさしいと評価されている。今後、日本語はますます重宝される勢いである。清朝後の中国の近代化は、多数の留学生が日本を訪れ日本語を勉強し様々な日本のシステムを本国に持帰ったことによる。日本製の漢字用語が大陸を覆い尽くし立派に機能している。日本語は人工知能言語として注目し直されている。日本語を使うと自動的に知識が脳内に階層構造で構築される仕組みだ。日本語を喋る、聞く、記述する、日本語で考える。そのすべてが、日本語文法どおり、言葉兼知識ベースとして 脳内に貯蔵され再利用される。「日本語の凄さ」である。

【日本語の凄さ考】
 「るいネット」のぐうぐう(東京)氏の 11/02/22 日付ブログ「№246120 日本人と縄文体質 恐るべし日本語の凄さ」を転載する。
 普段当たり前に使っている日本語ですが、最近るいネットで紹介されている日本語についての投稿を読み進める中で、日本語ってすごいなと感動しています。他のサイトでも日本語の凄さについて書かれていたので、リンクより引用紹介したいと想います。

 ~引用開始~

 ところで長年外国語の文章を書き散らかしてきて気がついたのは、日本語というのは実に強力な言語体系であるという事実。ほんの一例を挙げれば、漢字の訓読みの発明と普及は実はスゴいことなのである。漢字はベトナム・朝鮮・日本に文字として中国から文化輸出された。しかしベトナムでは千年に及ぶ中国支配にもかかわらず漢字はベトナム語の中で異質な要素として残り、最後まで融和できなかった。そのため20世紀に至りベトナムは漢字を完全に廃止してアルファベット表記に切り替えた。しかし漢字の廃止は同時に学問や思索のための高級語彙群を喪失する結果を招いた。この損失は大きく、大学レベル以上の科学や学問をやろうとするとベトナム語では無理で外国語を使うしかない状態である。

 韓国では漢字の読み方は音読みしかない。ベトナムのケースよりは韓国語と漢字は融和しているのだが、それでも近代以前に完全に漢字を使いこなせることが出来たのは両班のようなエリート層だけである。日本統治時代に漢字・ハングル混用文が普及するが、漢字の訓読みはついに行われなかった。その後韓国は19700年代以降段階的に漢字を廃止してハングルオンリーにしてしまった(もっとも最近はごく初歩的な漢字教育を復活した)。漢字廃止の影響は90年代あたりから顕著になり、読書率の劇的な低下・英語への盲目的傾斜・ベトナムで発生したような高級語彙群の喪失といった症状が現れはじめる。

 一方日本は約千年かけて1)漢字の音読み、2)訓読みの発明、3)訓読みの完全普及の三段階を成し遂げた。漢字は訓読みによって日本語と融和することが可能になったのである。また訓読みの完全普及は日本人が漢字を「徹底的に理解した」ことを意味する。これによって初めて漢字は日本語の完全な一部となったのである。

 たとえば「山」は音読みで「サン」訓読みで「やま」となる。もし音読みしかなかったら、漢語の「山(サン)」と和語の「やま」は何百年経過しても異質で対立する要素として残る。最悪の場合、漢語の「サン」が和語の「やま」を圧倒して駆逐してしまう可能性もあったのである。このようなケースはベトナム語や韓国語の場合には頻繁に発生している。古来からのベトナム語や韓国語の本来の単語が漢語の影響で多数失われてもはや二度と復元できない。訓読みを普及させることが出来なかったことによる悲劇である。

 日本語の長所はまだまだ数多い。英語やスペイン語も好きではあるのだけど、少なくとも「読み書き」に関しては日本語の方が懐が深い気がする。

 【日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語

 もっと評価されるべき日本語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日本起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。

 [1] 漢字文化圏の革新者=日本

 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。

 日本はまったくの例外である。漢字の伝播以来、日本人は千年以上に渡って漢字の造語能力を活用して多数の二文字以上からなる和製漢語を造り出してきた。中国語が母語でないことがむしろ幸いしたのである。この千年に及ぶ基礎訓練があったおかげで、日本は西洋起源の近代的な語彙(科学・哲学・技術・思想・社会・軍事・経済等すべての分野)に対応する新語を造り出す困難な仕事に対応することができた。すでに江戸時代から医学を筆頭として各分野の基本用語や高度な概念用語が創出されており、明治時代にはさらに加速した。

 こうして日本で生まれた和製漢語の一部はその後中国に文化輸出され、現代中国語の中で最も使用頻度の高い語彙群の一つを形成している。ほとんどすべての中国人はこれらの言葉の起源が実は日本であることを全く意識せずに使用しており、指摘されるとびっくりするのが普通である。

 [2] 中国語に流入した大量の日本語

 中国が近代化の努力を始めた頃、真っ先に困ったのが言葉の問題である。近代的な概念に対応する新語の造出を怠ってきたため海外文化や技術の受容がうまくいかなかったのだ。そこで大量の中国人留学生が明治・大正期の日本に押し寄せることになる。たとえば1905年に日本に新たに留学した中国人は8000名にのぼる。彼らは多くの分野の日本語書籍を片っ端から翻訳し、その過程で日本起源の和製漢語をそのまま中国語の中に導入した。こうしておびただしい数の日本語が中国語の中になだれ込むことになった。和製漢語が中国語にスムーズに受け入れられた理由はもう一つある。江戸期・明治期の和製漢語はきちんと中国語の文法規則にしたがって造語されているため中国人にもほとんど違和感がなかったのである。

 [3] 結論

 現代中国語に対して和製漢語・和製接尾辞が果した役割を過小評価してはならない。それは江戸期や明治期の日本人の多大な造語努力をも過小評価することにつながる。もしこれらの新語の創出がなされなかったならば、世界の多くの国が抱える問題に日本も中国も見舞われたことであろう。世界の多くの国では自国語で大学以上の高等教育を行えないのある。マレーシアであれナイジェリアであれネパールであれトルコであれアルメニアであれカザフスタンであれ自国語で大学レベル以上の科学や技術や学問を行うことができない。英語やフランス語やドイツ語等の外国語に頼らざるえないのだ。
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 日本の教育レベルがなぜ高いのかもよ~く解る気がします。 さらに日本語で考えた理論がノーベル賞を獲得しているのです。これは非欧米圏では日本だけです。たとえば、漢字を完全廃止してしまった韓国では、韓国人の年間読書率は世界180ヶ国中160位(朝鮮日報)だそうです。また、現代中国語の約7割は和製漢語で構成されているというシナ人言語学者の調査結果もありました。文字数制限があるので多くは書きませんが、シナ人ネットユーザーが「中国が日本に勝っているのは、圧倒的な人口の多さと広大な国土だけだ!」と自虐的に書き込んでいましたが、一理あると思います^^。~引用おわり~

【日本語の縄文体質考】
 2018年11月01日付 「縄文体質の史的足跡~第2回 縄文体質は日本語を通じて我々の心に息づいている」。
 第2回は日本語です。縄文体質はさまざまな方法で、分野で人々の暮らしに、文化に、心に残存していきました。しかしその影響力の中で最も大きなものはなんでしょうか?私は間違いなく日本語だと思います。日本語は縄文時代に作られた言語であり、もっと言えばその以前、旧石器時代、さらにホモサピエンスが登場した時代に人類が言語を作り出した最も旧い古語を母体にしています。日本列島には縄文時代、それ以降も様々な大陸人が渡来し、定着していきましたが、彼らはいずれも母国語を持ちながらも日本に定着する為に日本語を使えるようになり、2世代、3世代を経て日本人になっていきます。それは現代でも同じで、アメリカ人であっても生まれて直ぐに日本で生活し、日本語で育った子どもは顔は西洋人でも心はまったくの日本人です。(テニスプレーヤーの大坂なおみや野球のダルビッシュ有などを見てもわかるでしょう)日本人は日本語で考えるから日本人になれるのです。縄文―弥生―平安から江戸時代、明治、昭和、そして現在まで、日本語はほとんどその骨格を変化させず、時々の外来の文化を取り込んできました。るいネットでは日本語で検索するだけで100以上の投稿が掲載されています。その中で縄文体質がどのように日本語を通じて我々の血肉に、心になっていったか、それを推し量る投稿をいくつかダイジェストで紹介します。これらを読んで改めて思うのは日本語教育の大切さ、今学校教育で最も必要なの英語教育ではなく母国語を使った思考力育成教育ではないでしょうか?

 m282.gif日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている

 これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。
それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。

 m282.gif 縄文語は抹殺されなかった

 人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。(中略)とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。

 m282.gif原始日本人の感覚は、「ひらがな」によって継承されている

 文字を持たない時代の言語とその感覚を、現代まで引継いでいるのは、世界の中でも「ひらがな」のみという。どんな文字も、「てにをは」のひらがなにし組み立てることで、話し言葉しかなかった原始日本人の感覚を伴った理解ができる。「ひらがな」が、日本人の縄文体質を継承する基盤になっているということ。日本語の感覚はひらがなの言葉やひらがなの使い方の中に脈々と継承され続けているのです。ひらがな以外の文字は他国の先進文明や新しい技術・考え方などを日本語として取り込んできたものなのです。

 m282.gif日本語の凄さ~お互いが分かり合うこと(日常会話)に特化した言語~

 日本語を含め計4ヶ国語を勉強した方が、日本語の秘密=日本語の凄さを書いてくれている。この日本語の凄さを読めば読むほど、日本語ほど相手と意思疎通を図るのに適した言語は無いのではないかと思えてくる。

 ○主語がなくても通じる
 日本語は、主語がなくても通じます。良い例が、「愛してる」。誰が、誰を、愛していると言わなくても、「愛してる」と言うだけで意味が伝わりますね。誰も日本語で「私はあなたを愛しているよ」なんて長ったらしいフレーズは使いません。しかし、英語では「I love you」、中国語では「我愛(あなた)」を普通に使います。

 ○言葉を入れ替えても通じる
 日本語は、英語や中国語に比べて言葉の並びをあまり気にしない(法則性が少ない)と感じます。例えば、英語で「Where are you now?」。日本語では、「今どこにいるの?」・「どこにいるの今?」・「どこに今いるの?」どれも不自然でなく使うことができます。しかし、英語では「Now where are you?」とは言いません。なぜか説明できないけれど、しっくりきません・・・。もちろん「Where are now you?」とも言いませんよ。

 m282.gif 思考するための最高の言語:日本語

 ・・・日本語が思考言語としてはこれぼど適したものはないということになります。特にアイデアや発想の広がりは、他の言語の比較にならないものだということができます。問題は、その特徴を使いこなしているかどうかということになります。枠にはまった思考や、限られた知識に縛られた思考では、せっかくの日本語のチカラを生かしていないことになります。

  m282.gif日本語が作る脳~日本人の“縄文体質”や“本源性”は日本語を母語とする限りは失われない!?②

 田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。

 m282.gif日本語とポリネシア語の共通性~ともに母音を中心として認識する言語

 日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。世界の言語のほとんどは子音を中心に認識するものです。ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も、口から空気を出す時に障害を作って変化をつける子音によって音声の認識をしています。子音は感覚的には、相手との距離を保ち威嚇する発音体系ということができるのだそうです。子音語族(こんな言い方があるのかどうかわかりませんが)においては、会話をすることによって、相手との対立や違いを明確にしていくことができるようです。母音は息で制動を付けなくても、声帯の振動をそのまま伝えることで発することができる自然な音です。痛いときには「うー」と奥の方から自然に発せられます、感動した時には「おー」と自然な音が発せられます。母音は自然に発せられる音からできています。母音を中心とした言語である日本語やポリネシア語の話者は、母音を言語脳がある左脳で聞いています。

 m282.gif『生きる力を育てる教育』~日本語の力(番外編)こんこんと流れる日本人の心の地下水脈

 子どもの頃に暗誦した言葉で意味の分からなかった所も、人生の経験を積み重ねていくうちに、ふと分かる瞬間が訪れる。嬉しい事や悲しいことがあった時に、子どもの頃に暗誦した言葉がふと思い浮かんで、その言葉の持つ深い意味に気づく。そういう経験を積み重ねると、その言葉を口ずさむだけで、自分の人生の様々な場面が思い起こされるようになる。子どもの頃に暗誦した言葉は長い人生において、自分を導き、支え、励ましてくれる道連れとなる。老人方の「喜び」とは、そういう道連れに恵まれた幸福であろう。自分が共に生きた言葉を、また子や孫の世代が習い覚えてくれるなら、それはまた大きな喜びである。自分はこの世から去っても、自分がともに人生を歩んだ言葉は後の世代が大切に受け継いでくれる。自分はいなくなっても、自分が大切にした根っこは、後の世代が大切に引き継いでくれるのだ。国語はこのようにして世代を貫いて民族の心の地下水脈をなす。暗誦文化が衰退したといっても、たかだかこの1,2世代のことである。現在の世代が忘れていても、国語の地下水脈はこんこんと流れ続けている。

 m282.gif 日本語が美しい理由

 言葉はその音が単なる記号ではない。その音が持つイメージから言葉は作られる。太古、精霊を見て、観念を発明したとき、彼らの感覚にしっくりくる発音が与えられたはずだ。日本は幸い、太古から民族、文化、言語がずっとつながっている。日本語が持つ語感は、日本の風土の中で作られた言葉が変化しながらもずっとつながりを持っている。だから日本語には擬態語が多い。カラカラ、クルクル、コロコロ。サラサラ、ソロソロ、スルスル。タラタラ、ツルツル、トロトロ
Kは回転する固体、Sは乾いた空気の摩擦、Tは粘性のある液体のイメージだ。日本人ならみんな共有できる音のイメージ。新しく擬態語を創ってもすぐ通用する。ところが、外国人にはこれが理解できない。無数の音節単位を認識する他国の言語では、各音に対する性格付けがほとんど不可能。音の語感だけで雰囲気の解る日本語発音体系、それを太古から途切れずに発達させることが出来た。日本語は美しい。黒川伊保子「日本語はなぜ美しいか」 より

 サクラサク、この語感の美しさ。みんなが共有できることの幸せ。


日本語の素晴らしさ
 「日本語の素晴らしさ」。
 例えば「生」の字。韓国語では「セン」とだけ発音する。これは日本語でいう音読みである。韓国語には日本語でいう訓読みがない。ところが日本語では音読みと訓読みが共存している。音読みとは中国語の発音をそのままと考えればいい。訓読みとは日本語本来の読み方と考えればいい。古代日本人は中国から漢字の「意味」と「音読み」を輸入し、その意味と合致する日本語の読みに漢字を当て嵌め、訓読みとした。そして表音文字として「ひらがな」、「カタカナ」を創設した。それは世界で唯一の表意文字・表音文字の双方を活用する文字表現文化を生み出した。

 中国語「国破山河在」()コクハサンガザイ
 日本語「国破れて山河在り」()くにやぶれてさんがあり

 中国語「欲往城南望城北」()ヨクオウジョウナンボウジョウホク
 日本語「城南に往かんと欲し、城北を望む」()じょうなんにいかんとほっし、じょうほくをのぞむ

 中国語「天下皆知美之為美」()テンカカイチビノタメビ
 日本語「天下皆、美の美なるを知る」()てんかみな、びのびなるをしる

 朝鮮半島もベトナムも漢字が輸入された時、日本のように自国の言語への同化が試みられたらしいが、結局成功しなかったそうだ。しかし後輩日本人のわれわれにとって、漢字の音読みと訓読みを覚えるのは大変だった。

 例えば「生」の字。音読みでは、先生(せい)、生(しょう)薬。訓読みに至っては、生(い)きる、生(う)む、生(は)える、生(なま)、生(き)。さらに訓読みの例で「つく」。墨が顔に「付く」、あなたの家に「着く」、仕事に「就く」、胸を「突く」。

 日本人は小学校のうちから徹底的に漢字の学習をさせられるので、長い時間のうちには自然にみについてくるが、外国人が日本語を習う場合には、気が変になるそうだ。しかし先輩日本人達が文字まで創って徹底的に漢字の日本語化をやってくれたため、日本語において漢字の表意性を100%活用できることに成功したのだ。

 <漢字の表意性の例>

 陽、揚、湯。つくりの方は次の「絵」を表している。上の日・・・・・・・太陽、真ん中の横棒・・・・地平線、下の4つのはね・・・地平線に植わっている1本の木が太陽の光を受けて影を作っている。この「絵」で「上がる」という意味を表す。陽・・・・・偏は「陸」を表す。つくりは「上がる」を表す。陸から上がるものは太陽だ。揚・・・・・偏は「手」を表す。つくりは「上げる」を表す。手で上げるから国旗掲揚。湯・・・・・偏は「水」を表す。つくりは「上がる」を表す。水を熱すれば水蒸気として上がっていく。それは「湯」ではないか。

 韓国語の場合、音読みだけで訓読みがない。従って日本語の漢文の書き下し文のようなことができない。これではもったいない。日本語と韓国語は文法もほとんど同じであり、少し勉強してみると外国語といった感じはしない。中国からの漢字の影響も日本語と同じだ。従って、訓読みを入れることはそれほど難しいことではない。韓国は漢字が完全に排除されてしまったが、金大中大統領の時、漢字復活の指示が出されたそうだが、定着化していないそうだ。その原因はどうもこの辺にあるらしい。

 P.S.(ポウスト「後で」、スクリプト「書く」)
 陽、揚、湯は中国人の劉君(ハルピン大学日本語科主席)に日本人の私が話したら感動していました。(おいおい漢字は貴国から教えてもらったのだぞ)

【日本語の素晴らしさ】
 2013年05月09日、「日本語の素晴らしさ」。
 日本の文化、伝統は、神道から始まっている。日本人はその文化、伝統、を生活の中で取り入れて当たり前のように暮らしている。最近アメリカナイズされて少し歪んできている所があるけど、まだまだ残っている。例えば、お正月は初詣にいったり、お盆はお墓参りをしたり、迎え火や送り火などの単語も普通に使われている。このように、日本人は目に見えないものを大事にしてきた民族である。目に見えないこととは何か?ご先祖を大事にしたり、自然を敬ったりするのもその一つだ。それらを表現するのに、言葉を使用する。その言葉とは日本語のことだが、この日本語はかなり優れたものだということを知らない日本人が多い。英語が身につかない日本人は多いが(私もそうである)、自分のことを頭が悪いからと卑屈になる必要はない、それは英語なんかより日本語が優れているからであって、日本語的な思考をすると英語は理解しにくい言語なのである。それに、日本国内で英語を使用しなくても問題なく暮らせる。小さいうちに英才教育だといって英語を習わす日本人がいるが、あれは止めた方がよい。まず、日本語で思考出来るようにしてから英語教育をするのが望ましい。小さいときに英語を勉強する時間があるなら、日本語の勉強をした方がよい。短歌や俳句を勉強した方が百万倍、将来のためになる。短歌や俳句のリズムというのは、神社で宮司さんが読み上げる祝詞(のりと)のリズムと同じで、日本の文化が神道から発進されていることがよくわかる。そして、短歌や俳句には季節のことや動物のことや人のことが謳われる。それらを読むことによって、日本人はその情景を頭に思い浮かべることが出来る。言い換えれば、頭の中でその情景の場所に行けるのだ。一種のテレポートのようなものだと考えればよい。こんなことが出来る民族は中々いない。アメリカ人などは映像を見せて、はじめてその情景を理解する。ハリウッド映画などは見せる工夫をしているのが特長で、彼らは、見せる事に関してはとても上手である。しかし日本人は見せなくても、言葉でそれらの情報が共有できるのだ。これが「あうんの呼吸」などに繋がっている。これは本当に凄いことなのである。そして、日本語がそれを可能にしている。

 能や歌舞伎をやっている人は、その台詞を言うだけでその世界に入れるという。つまり、話の舞台が江戸時代なら、江戸へ平安時代なら平安へ現代にいながらにして、脳だけタイムスリップしているのである。それは、かなり高度なことで普通の人には出来ないかもしれない、しかし似たようなことを実は我々は行っている。それは・・・相手の気持ちを考えることだ。最近、利己主義が蔓延してこれを出来ない人が多くなったけど、「相手の立場に立って」とか、「彼、彼女の気持ちを考える」という台詞は、普通に使われている。確かに、外国でもこのような台詞を聞くが、それは映画の中や物語の中の話で外国人と利害が絡む仕事をしたことのある人は、外国人の実体はどういうものかよく理解できると思う。しかし日本人はそれらを普通に実践している、そして、それを可能にしているのが日本語なのである。
 社内の公用語を英語に変えた会社があったが、私はそれを理解できない。世界で最も優れた言語を使用して仕事をした方が、遙かによいと考える。英語だと、あうんの呼吸が使いにくくなるのだ。英語だと1~10まで順番に説明しなければならないが、日本人で日本語を使っていれば3から話しても、仕事は進むことが出来るし後で1に戻ればよい。それを出来るのが日本語を使っている日本人なのだ。日本人はとても優れた民族であり、それを司ってきたのは日本語である。そして日本語は神道により受け継がれてきた神様の言葉なのだ。だから、我々日本人は日本語をもっと大切にしなければならない。

日本語の素晴らしさ
 「『素晴らしい日本、素晴らしい日本語』 」。
 日本を日本たらしめているのは、日本を世界でも唯一の珍しい国として成り立たせている原因は、ズバリ!「日本語」にあると、はづきは想っています。日本の特徴は、日本語の特徴でもあると言えるのです。はづきの既刊『魔法の話し方』(アスコム刊)をご笑読頂ければ幸いです。
 
http://trinity13.co.jp/item/hazuki-book.html#book_7

 日本語の中でも、ひらかなだけで表される「大和言葉」が、日本語の原点、ルーツです。「ありがとう」、「おかげさま」、「ただいま」、「こんにちは」、「いただきます」、「もったいない」、「ごめんなさい」、「いってきます」、「おえかり」、「ごちそうさま」などなど…。こうした「大和言葉」は、主語も、述語もなければ、動詞も、目的語も見当たりません。文法的には分類できないような言葉が、「大和言葉」は、すべて「祈り言葉」だと、はづきは想っています。

日本語の素晴らしさ
 2015/07/22日、 「日本語の素晴らしいポテンシャルに気づこう」。
 英語、スペイン語、中国語。この3語をおぼえると、世界中どこへいっても不自由しないとよく言われます。でも、ネットの世界では日本語を使用している人がこの3語についで4位だって知っていました? 僕越は、英語で仕事をし、今はベトナム語も勉強中です。そんな3言語で仕事をしている僕越ですが、世界に出てから日本語を使う日本人でよかったと感じました。あなたは、日本語が好きですか?そして、それを使いこなせていることを本当に良かったと思いませんか。僕越は、他の国にいって言葉について知れば知るほど、日本語のポテンシャルの高さを感じます。日本語ができて、本当によかったと思います。では、僕越の思う日本語のポテンシャルの高さとはいったい何でしょうか?
 1.日本語にはすでに数多くの外国語が混じっている。
 日本語では多くの外来語をカタカナとして表記することができますね。グラス、リモコン、ホテル、タクシー、トレイン、スポーツカー、メトロ、エントランス、セール、ショッピングモール、ライト、クリアランス、メイクアップ、ゲーム、コンテスト、、、、本当に日本語では、外来語をよく使います。これだけ日常に使っているんですから僕達は初心者を通り越して、もう英語中級者といってもいいくらいです。ハウマッチ?もみんな知っています。これだけフレキシブルに外国語を取り込める言語ってなかなかないと海外に住んでみて思います。
 2.日本語の発音は、結構他の言語でも使える。
 日本語の母音+子音の特徴ある発音って、スペイン語やマレー語、韓国語に似ています。世界共通言語として開発されたエスペラント語も近い発音です。英語圏の人や、ベトナム人に日本語を教えると、意外と発音で手間取ったりするので違いが面白いです。もちろん、私たちも英語や中国語、ベトナム語の発音は大変難しいです。しかし、他の言語に目を向ければ、カタカナ語発音で勉強できる言語がたくさんあることに気づきます。
 3.日本語は漢字を使っている
 漢字。この素晴らしいツールを何気なく使っている私たち。漢字が使えるということは、半分、中国語はマスターしているようなものです。多少の表記の違いはあっても、少し勉強するだけで中国語が読み取れるのは、中国系の国以外では日本人ぐらいです。何の努力をしなくても、漢字を読み取れるのは、本当にすごいことだと思います。僕越の滞在するベトナムは、日本と同じように漢の時代に中国から漢字を導入した国です。当時の漢字の発音が音読みですから、日本語と似た言葉がたくさん残っています。特に専門用語は漢字ベースの言葉が多いですから、漢字と結びつけて覚えていくと、一気に語彙が広がります。漢字自体は、フランス領の時代にクオック・グゥというアルファベット表記に置き換わってしまったので、漢字がわかる人は非常に少なくなってしまいましたが。
 4.日本語ほど難しい言語はない
 日本語ほど、複雑でファジーな言葉はないと思います。その日本語を使いこなせているのですから、そのほかの言語なんて簡単に使いこなせるはずです。そう思って、英語に触れると、とても簡単な言葉に見えてきます。特に、海外在住の友人やベトナム人から、日本語を教えてほしいといわれたとき、本当に教えるのが難しいんです。そんなとき、日本語の奥深さや難しさがとても強く感じられます。わたしたち日本人は、日本語の持っている複雑さが身体にしみこんでいるから、そのほかの言語について必要以上にハードルを感じ取っているのかもしれません。英語圏、ヨーロッパ圏の人にとっては隣国の言葉は、日本でいうと方言みたいなものです。ですから、彼らにとって多くの言葉が話せるのは当然ですよね。あなたも、大阪弁や広島弁でしゃべろうと思ったら、少しはできるでしょう。そんなもんでっせ。
 5.アルファベットがあふれているので、すぐ読めるようになる。
 日本にはアルファベットがあふれています。看板や製品名、Tシャツにいたるまで、ありとあらゆるところにアルファベットがあります。英語がまったく話せないパパの両親も、英語で何と書いてあるかは読めます。片田舎にすむうちの両親が読めるくらいですから、日本のほとんどの人がアルファベットは読めると思って間違いないでしょう。
 6.日本の歌は英語をたくさん使っている
 Boys meets girls, Love you only, You are my sunshine,
Tomorrow never knows, Blue moon stone…ざっと思い出しただけでも英語が入っている曲がたくさん、たくさんあります。(セレクトが微妙という突っ込みは、どうぞ勘弁してください。)日常的に英語にこれだけ触れられているあなた。英語がわからないなんてきっとうそです。
PS.ベトナムの曲には、英語はぜんぜんはいってなかったのに最近は少しづつ入るようになってきました。だんだん若者文化が浸透してきたようです。
 以上、日本語をマスターしていることのメリットを書いてきました。そして日本語から、いかに英語や中国語、スペイン語といった多言語へ展開できるポテンシャルがあることも分かったと思います。日本を飛び出して、他の国でその国の言葉を勉強すると、自分の世界が広がるとともに思った以上に日本語について意識します。貴重な日本語をマスターしているあなた。ぜひ日本語+1に挑戦してみてください。世界が広がること、間違いなしです。
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【日本語の素晴らしさ】
 「通訳・翻訳で分かる日本語の素晴らしさ。簡単にはなれない通訳・翻訳の職業」。
 通訳・翻訳について思うことです。これは和訳にも言えることで、特に歌詞について思うことが多々あります。それは、日本語の素晴らしさです。私は比較的言葉に関わることが多いのですが、その都度思うのはそのことなのです。個人的には、日本語というのは言葉としては最強だと思っています。ただ、私のこの説を確実なものにするには、私のその他の語学力は明らかに足りないかもしれません。日本語を言葉として上位に持ってくるには、その他の比べるべき言葉達を知っていないといけません。しかし、英語ですらほぼ無知であるので、私に説得力は無いのかもしれません。それでも、そんな不利な状況でも、半ば強引ではありますが日本語最強説を唱えたいのです。翻訳や通訳の仕事は、日本語と外国語の達人でなければ勤まらないのです。外国の言葉を訳すので、当然、外国語を深く理解していなければなりません。外国語を理解しているだけでなく、外国語を適切な日本語に訳すためには日本語を深く理解する必要もあります。外国語を理解することよりも、日本語を理解することのほうが難しいそうです。日本語は、毎年のように新しい言葉が生まれたり廃ったりします。また、文法も時代によって随分変わっています。日本語は変化の激しい言語なので、非常に難しいのです。そんな、難しい日本語を巧みに操り、適切な表現をすると言うことは、想像以上に難しい仕事なのです。

日本語の素晴らしさ
 「百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】 」。

 古文や古典文学などについて情報発信するメディアです。


 2024.6.15日、今野真二(清泉女子大学教授)「なぜ日本語は漢字を捨てなかったのか?...『万葉集』は試行錯誤の場ではなかった」。
 <万葉仮名とは、漢字によって日本語を必死になって文字化したものなのだろうか。日本語の文字を再考する>
 【今野真二(清泉女子大学教授)】


 古代の中国から伝わった漢字は、日本語の話し言葉と書き言葉に影響を与え続けてきた...。 『万葉集』から近代まで、漢字に光をあてて歴史をたどり、日本語を再発見。今野真二著『日本語と漢字──正書法がないことばの歴史』(岩波新書)の第1章「すべては万葉集にあり」より一部抜粋。      

 ◇ ◇ ◇

 現在私たちは、漢字と仮名(場合によってはラテン文字)とによって日本語を文字化している。それに慣れている現代日本語母語話者は、漢字だけで日本語を文字化するというと、「そんなことができるのか」とか「大変そうだな」と思う。しかしそれは、漢字と仮名とを使っているから、そう感じるにすぎない。 東海道本線が開通すれば、東海道を歩いて行き来していた頃は「大変だっただろうな」と思う。しかし東海道新幹線が開通すれば、東海道本線は「時間がかかる」ということになる。 新しいものを獲得した時点で、獲得していない時点を想像すれば、「大変そうだな」ということになる。それはいわば「感想」のようなものといってもよい。 『万葉集』をめぐって、日本語を漢字によって必死になって文字化しようとしていた、日本語を漢字によって文字化するために試行錯誤していた、というようなことが言われることが少なくない。 しかし、そうではなかったことは漢字で文字化された『万葉集』を、よみくだした「本文」と対照しながらよんでみれば、すぐにわかるのではないだろうか。 漢字から仮名がうみだされたのは、9世紀末頃と推測されている。それは『万葉集』が成った8世紀から250年ほど後にあたる。 漢字は朝鮮半島においても使われていた。というよりも、朝鮮半島を経由して「漢字文化」は日本にもたらされた。 朝鮮半島の言語も日本語も、最初に出会った文字は漢字であった。李氏朝鮮第4代国王の世宗(セジョン)が訓民正音、現在のハングルを公布したのが1443年、15世紀のことになる。 このことをもって、日本においては短期間に漢字から仮名をうみだした、とみるむきがある。 しかしおそらくそういうことではなく、『古事記』『日本書紀』『万葉集』が成った8世紀の時点では、「漢字によって日本語を文字化する」ということが1つの到達をみていたために、そこから仮名の発生まであまり時間がかからなかったということではないだろうか。 仮名のようなものが必要であるという「日本語内部での圧力=内圧」がたかまっていた、といってもよいだろう。 漢字によって日本語を文字化することに関しての試行錯誤があったとすれば、それは『万葉集』が成る前の250年間がそうした時期なのであろう。その試行錯誤の跡を窺わせる文献は存在していない。 また、漢字によって日本語を文字化するということを話題にするにあたって、「文字社会」の広狭が考慮にはいっていないことが少なくない。 現在は文字を読み書きできる人の数が多い。つまり「文字社会」が広い。しかし、8世紀頃、文字を読み書きできる人は相当に限定的であったと思われる。 中国語、漢字についての知識、理解がなければ漢字によって日本語を文字化することはできない。 中国語を母語として日本語が理解できる人、日本語を母語として中国語がかなり、あるいはある程度理解できる人が、漢字を使って日本語を文字化できる人であっただろう。 「日本語を文字化する」ということの中心(センター)に漢字があった。そして後に述べるように、漢文訓読が日本語の「かきことば」の発生に深くかかわっていた。 そうであるならば、漢字は日本語を文字化するための文字であることを超えて、日本語に深くかかわりをもった存在であったことになる。 そう考えると、仮名がうまれたからといって漢字を捨てなかったことは、むしろ当然といってよい。 8世紀の時点ですでに漢字は日本語とともにあり、その頃から漢字とともに日本語の歴史が動き出したといえるだろう。

【さとうみつろう氏の日本語論】
 2024.6.9日、さとうみつろう「日本が平和なのは言語のお蔭」。
 札幌の大学を卒業後、エネルギー系の大手企業(東証一部上場企業)に入社。サラリーマンとしての経験を通して社会が抱える多くの矛盾を目の当たりにし、社会が抱える多くの矛盾点に思い悩み、「世界を変えるためには、1人ひとりの意識の革新が必要」だと痛感し、SNSで独自の考え方やエッセイ、詩や楽曲の発信を開始する。口コミで「クスっと笑えて、分かりやすい文章」が評判となり、さとうみつろう公式ブログが各種人気ランキングで1位を記録。2014年、読者や周囲の声に応える形で長年勤めた会社から独立。同年9月に出版した「神さまとのおしゃべり」は20万部を突破するベストセラーとなり、アマゾンランキング「本」総合部門で1位となる。また、2015年からは「さとうみつろうトークショー」の中に「純正律ピアノ」を用いたカノン瞑想を取り入れ、チケットが買えないほどの人気を博す。(純正律カノン瞑想)さらに、中学生の頃から続けているバンド活動にも力を入れており、2016年にsun of a rockにてメジャーレーベルからCD「グラビトン」を発売し、初登場オリコン27位をマーク。独自の思想をメロディに乗せる事で、さらに多くの人へ届け続けている。

 現在、音楽ライブや講演会などで全国を飛び回る傍ら、本の執筆やイベントの企画等も自身で手掛けるマルチなクリエイターとして活躍する。那覇市在住で、自宅に戻ると3児のパパに早変わりする子煩悩な3児のパパでもある。
 さとうみつろう

 1980年石垣島生まれ。3才の時に初めて「私とは何か?」を考えはじめる。5才の時に初めて「宇宙の外側には何があるの?」と保育園で質問する。小学1年の時に初めて、小学生になる。小さい頃から同級生を笑わせるために「おかしな物語り」の本を作っていたそうだよ。本人は忘れてるらしいけど。

 中学校は親元を離れ男子校で寮生活。ラグビー部でしごかれ、「今俺たちが絶対に世界中で一番キツイ思いをしてるよな」と部員たちと語り合ったそうだ。中学2年生の頃にドラムを叩いている同級生に出会い、見よう見まねでドラムを覚え始め、学園祭で初めてバンド発表。修学旅行ではオーストラリアに2週間ホームスティし、英語が話せないでも生き抜く方法を身に付ける。中学3年生の頃には、中学校を卒業する。

 那覇の高校へ進学し、バンドGFBのドラムを担当。この頃からギターで作詞作曲を始め、当時は珍しかったCD制作をインディーズで実現したんだ。高校の修学旅行で訪れた北海道で「雪の白さ」に感動し、札幌の大学へ進学。

 大学在学中にクラブイベントMuzik Nightを主催したり、カフェをプロデュースしたりする。大学3年生の頃に修学旅行で訪れたバンクーバーでは、40日間ものホームスティをするも、ほぼ日本語だけで過ごすという異色の経歴と、「お前、何回修学旅行に行ってんのよ!」「なんでプロフィール欄がほとんど修学旅行の話しなんよ!」と、あなたにツッコまれる経験を持つ。

 大学生を卒業するころには、不思議と社会人になり始め、10年間サラリーマンの経験を積む。会社で働いていた当時は辛かったことが、今に思えば全て素敵な財産に変わっているから不思議であるのと同時に、「社会の抱える矛盾に思い悩む」という著者プロフィールを、いったいどのタイミングで変えれば良いのか思い悩む。やわらかいプロフィール、笑えたかな? 笑っている時より幸せな人なんて居ない訳で、これからも、あなたにワラエルomoiを届け続けたいな。
 「お互いが正しい日本語を使えば、ケンカにならない」。

 秦氏一族トップの統理に教えてもらった話し。そもそも「ケンカ(争議)」になる理由は、「お前、こう言っていたじゃないか」、「あんた、言ってることが違うじゃないか」、「なんで、伝わらないの?」、「最終手段だ、暴力に打って出る!」。相手と自分との「相誤認識」がズレているから。言いたいことが「ビシ」っと相手に伝わらない。

 日本語じゃない言語だと、言語が幼稚だからケンカになるのだ。

 一方の日本語。ひすいさんのYOUTUBEから。花が落ちる様子さえも、桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、牡丹は崩れる、椿は落ちる。色の種類も豊富。日本語なら、自分が「言いたいこと」がビシっと伝わる。逆に、外国が可哀そうである。言いたいんだよ。気持ちは、心の中に浮かんでいるんだよ。でも、道具が用意されていない。

 この淡い感情を、何と表現すればいいか。

 さぁ、日本が平和な理由が分かって来たと思います。それは、先人たちが諦めなかったから。数万年続く世界最古の文明・文化で、僕らの祖先が何度も何度も試行錯誤して、孫やひ孫のために「使いやすい道具」として日本語を開発してくれた。だから、「かゆい所に手が届く」し、どんな「心象風景」でも相手に的確に伝えることができる。また、日本語は口元をわずかに動かすだけで意思疎通が可能、「表情筋」を使わない言語として有名。韓国語や、中国語と比べても、圧倒的に「表情筋」を使わないそうです。たしかに・・・、外国人と話すと、めっちゃ顔の表情豊かに話している。感情的で、身振り手振りをして。顔の筋肉の何パーセントを使用して言語を話すか? 日本語が使う顔の筋肉は20%で、ドイツ語は80%、アメリカ語は60%。「Rアール」とか、ベロの筋肉めっちゃ使ってるよね。日本人以外は、相手の「口元を見る」そうです。一方日本人は、口元を動かさないでも話せるので、相手の目を見る。「目は口ほどに物を言う」。これは、先祖のお蔭だったのか。

 ちなみに、生後7か月の赤ちゃんの頃から既に、日本人は、お母さんの「目を見る」。外国人は、お母さんの「口元を観る」そうです。遺伝子に組み込まれたのか、7か月間「必死に」お母さんのおっぱいを得るために獲得した能力なのかはナゾ。僕たちが「平和な国」なのは、日本語のお蔭。そしてその「日本語」は、先祖が、先人たちが、ずーっと長い年月かけて、1つずつ心象外の風景に、コトバを当てはめて行った結果。ただただ、感謝なのです。

↓ブログを11年くらい書かせてもらっています。日本語で。毎朝、毎朝、366日。ラーメン屋さんが、死ぬほど「上手に」メンマを切るように。看護婦が、簡単に脈数を出すように。長くやってたら、誰でもプロになる。僕も「日本語」という言語を、死ぬほど書かせてもらっている。ラーメン屋にとっての「ずん胴なべ」が、看護師にとっての「聴診器」が、僕にとっての「日本語」なのです。これで、毎日「はたらく(ハタをらくに)」という行為をしている。そんな日本語が、どの言語よりも表情を動かさずに使えるように進化していて、そんでもって「数万種類」の組み合わせで、心象風景を確実に相手に伝える。僕が住んでる、「おもろまち」の「オモロ」は、「心の中の言いたいことを発音する」という長い動詞です。オモロ草紙は、そんな「オモロ」の数々を綴った作品。去年亡くなった僕の叔父さん(母の兄)が県議で、米軍から取り戻す活動を続けた「おもろまち」。沖縄で一番新しい地名に「おもろ」を付けたのは有り難い。数十年ぶりに会った時、「そうか、君が今、おもろまちに住んでいるのか」と感慨深く言っていたなぁ。五七七ではなく、琉歌は「ウタ」と言われ、サンパチロク(八八八六)で歌う。日本語よりも表情筋を使わないってんだから、わったーうやふぁーふじは凄いもんである。↓今日は下の2つのボタンを押す祭、「平和なのは言語のお蔭」って言いながら↓ポチ↓ポチ




(私論.私見)