ひらがな考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.10.14日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ひらがな、カタカナは、日本が世界に誇る文字であり、日本のみならず人類の一大発明に値すると思われる。その形成過程が分からないが、神代文字よりも随分洗練されている。本当に重要な事は分からない常なる神秘に包まれている。ここで、ひらがな、カタカナの漢字由来説を批判的に検証する。

 2009.4.11日 れんだいこ拝


【漢字の訓読み、音読み考】
 古代日本人は、万葉仮名の創始と共に、漢文の読み方にも工夫し、漢文を「反切」という方法によって和風に読めるようにした。ある漢字の音を比較的やさしい別の2文字に分解して示せるようにした。こうして日本人は、漢字から二つの読み方を引き出すことに成功する。ひとつは、漢字を中国の発音に近い日本的な読み方としての「音読」、もうひとつは漢字を日本語(ヤマト語)語式に読む「訓読」である。これにより、「音」はオンともネとも、オトとも読めるようになった。

 これらの営為は、朝廷文書、仏教典の読み書きに関係していた。空海と最澄の入唐による密教体系の輸入は同時に新たな漢字の読みと発音のしくみをもたらすことになった。空海は中天音(中央インド系の発音)、最澄は南天音(南インド系の発音)をもたらした。これを漢音、呉音にうまく適合させなければならないことになった。

 この新思潮が、梵字梵語研究を生みやがて「悉曇学」に結実し、他方で膨大な漢訳経典テキストを作って行くことになった。この流れから平仮名と片仮名が生まれることになる。

【日本語の仮名(平仮名、片仮名)50音の漢字崩し字論考】
 日本語の仮名(平仮名、片仮名)50音の由来につき、漢字の崩し字として創造された論が通説であり次のように記している。
 「『ひらがな』、『カタカナ』 が、西暦800-900年頃の平安時代に、それまでの画数(かくすう)の多い 『万葉がな』に代わる簡略表示させる目的で考案された。どちらも 漢字がベースになっていて、 『ひらがな』は漢字の字体を簡略化したもの、 『カタカナ』 は漢字の字体の一部をくずしたものが多い。そのため、カタカナは『片仮名』と書かれることが多い」。

 五十音(ごじゅうおん)は、日本語の仮名(平仮名、片仮名)文字を母音に基づき縦に五字、子音に基づき横に十字ずつ並べたもの。日本語では、文字としての仮名は日常使われる46文字に「ゐ」と「ゑ」を加えた48文字が使われる。一方発音上では、清音の他には濁音半濁音長音促音撥音拗音、などが加わる。その結果、発音の総数は100以上ある。

 <平仮名>の由来
あ段 い段 う段 え段 お段
あ行 Hiragana070716.jpg.jpg
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行
 
 <カタカナ>の由来
あ段 い段 う段 え段 お段

 阿の左側部分 伊の左側部分 宇の上の部分 江の右側部分 於の左側部分

加の左側部分 久の左側部分 己の上の部分

散の左上部分 須の右側部分 曽の上の部分

多の上の部分 止の右上部分

奈の左上部分 奴の右側部分 祢の左側部分 乃の左側部分

比の右側部分 不の左上部分 部の右側部分 保の右下部分

牟の上の部分 女の下の部分

由の右側部分

良の右上部分 利の右側部分 流の右下部分 礼の右側部分 呂の上の部分

和の右上部分
 
(私論.私見)
 上記の説明を仮に「漢字崩しとしての平仮名、カタカナ由来説」と命名する。一見、何の問題もないように見える。しかし、「カタカナ考」で確認したように「カタカナのカタカムナ文字由来説」もあり得る。同様に「平仮名のホツマ文字由来説」もあり得るのではなかろうか、と云う疑問の余地を残していることが知られねばならないと思う。権威ある学説であろうとも「疑問の余地ない論拠」はあり得ない。実際には、「カタカナのカタカムナ文字由来説」、「平仮名のホツマ文字由来説」、「漢字崩し由来説」、「和数字由来説」の総合アンサンブルとして生み出されたのではなかろうかとの推理を呼んでいると思う。

 2013.7.9日 れんだいこ拝

【ひらかなカタカナと神代文字考】
 ここで、ひらがなカタカナと各種の神代文字とを比較してみる。フォント化されているのが出雲文字、ホツマ文字、カタカムナ文字である。豊国文字、豊国古体象字とも比較してみたいが適わない。意図するのは、神代文字からひらがなカタカナが発生した可能性を探ることである。学説では、ひらがなカタカナは漢字の崩し文字から由来していると説かれているが、そういう面もあるかも知れない、但し神代文字からの転化の面も考慮に入れねばならないのではなかろうかと思う。論より証拠である。以下確認する。
あ(ア) い(イ) う(ウ) え(エ) お(オ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
か(カ) き(キ) く(ク) け(ケ) こ(コ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
さ(サ) し(シ) す(ス) せ(セ) そ(ソ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
た(タ) ち(チ) つ(ツ) (テ) と(ト)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
な(ナ) に(二) ぬ(ヌ) ね(ネ) の(ノ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
和数字
は(ハ) ひ(ヒ) ふ(フ) へ(へ) ほ(ホ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
ま(マ) み(ミ) む(ム) め(メ) も(モ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
和数字
(ヤ) い(ヰ) ゆ(ユ) よ(ヨ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
(ラ) り(リ) る(ル) れ(レ) ろ(ロ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
わ(ワ) ゐ(ヰ) ゑ(ヱ) を(ヲ)
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
出雲文字
ホツマ文字
カタカムナ文字
 思うに、
 か(カ)の平仮名は出雲文字のからの採録と思えなくもない(末尾は以下同文とする)。
 き(キ)のカタカナは出雲文字の、カタカムナ文字の

 こ(コ)は出雲文字の
、ホツマ文字の
 さ(サ)のカタカナは出雲文字の
、ホツマ文字の、カタカムナ文字の
 せ(セ)は出雲文字の

 ち(チ)のカタカナはカタカムナ文字の
 と(ト)のカタカナはカタカムナ文字の
 な(ナ)のカタカナはホツマ文字の

 に(二)のカタカナは和数字の二。
 の(ノ)のひらがなは出雲文字の
 は(ハ)のカタカナはホツマ文字の
 へ(へ)は出雲文字の、ホツマ文字の
 ほ(ホ)のカタカナはカタカムナ文字の

 み(ミ)のカタカナは和数字の三。
 も(モ)は出雲文字の
 り(リ)はカタカムナ文字の
 る(ル)のカタカナはカタカムナ文字の
 れ(レ)のカタカナはカタカムナ文字の
 ろ(ロ)のカタカナはホツマ文字の
 わ(ワ)のひらがなは出雲文字の

 これらが連想させるか、ズバリ、ピタリである。他の神代文字がフォント化すれば更に類似を増すように思われる。特に、豊国文字、豊国古体象字をフォント化すれば威力を増すのが分かっている。これらを踏まえれば、一つの推理として、ひらがなカタカナが漢字のみならず当時の神代文字をも俎上に乗せ、その芸術的なアンサンブルとして生み出されたのではないのかとの仮説を生む。これを実証したいと思う。これも、「れんだいこの気づき」の一つであろう。

 2013.12.28日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1201  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年12月28日
 ひらがなカタカナの神代文字由来説

 れんだいこの平田篤胤史学論その5で神代文字に言及した。以来、関心が続いており次の知見を得たので披瀝しておく。従来、ひらがなカタカナの由来を漢字の崩し文字に求めてきた。それによれば次のように説明されている。

 ひらがなの由来。安→あ、以→い、 宇→う、衣→え、於→お、 加→か、幾→き、久→く、計→け、己→こ、 左→さ、之→し、寸→す、世→せ、曽→そ、太→た、知→ち、川→つ、天→て、止→と、奈→な、仁→に、奴→ぬ、祢→ね、乃→の、波→は、比→ひ、不→ふ、部→へ、保→ほ、末→ま、美→み、武→む、女→め、毛→も、也→や、由→ゆ、与→よ、良→ら、利→り、留→る、礼→れ 、呂→ろ、和→わ、為→ゐ(い)、恵→ゑ(え)、遠→を、无→ん。

 カタカナの由来。阿→ア(阿の左側部分)、伊→イ(伊の左側部分)、宇→ウ(宇の上の部分)、江→エ(江の右側部分)、於→オ(於の左側部分)、加→カ(加の左側部分)、幾→キ、久→ク(久の左側部分)、介→ケ、己→ コ(己の上の部分)、散→サ(散の左上部分)、之→シ、須→ス(須の右側部分)、世→セ、曽→ソ(曽の上の部分)、多→タ(多の上の部分)、千→チ、川→ツ、天→テ、止→ト(止の右上部分)、奈→ナ(奈の左上部分)、二→ニ 、奴→ヌ(奴の右側部分)、祢→ネ(祢の左側部分)、乃→ノ(乃の左側部分)、八→ハ、比→ヒ(比の右側部分)、不→フ(不の左上部分)、部→ヘ(部の右側部分)、保→ホ(保の右下部分)、万→マ、三→ミ 、牟→ム(牟の上の部分)、女→メ(女の下の部分)、毛→モ、也→ヤ、由→ユ(由の右側部分)、与→ヨ 、良→ラ(良の右上部分)、利→リ(利の右側部分)、流→ル(流の右下部分)、礼→レ(礼の右側部分)、呂→ロ(呂の上の部分)、和→ワ(和の右上部分)、乎→ヲ、尓→ン。

 この説明はなるほどと思える。しかし事はそう簡単ではない、必ずしもそうではないのではなかろうか。漢字崩し由来もあろうが、神代文字崩し由来もあり得るのではなかろうか。これについてひらがな考で検証している。即ち、ひらがなカタカナの由来は漢字のみならず神代文字の線からも窺うべきではなかろうかと云うことになる。これも「れんだいこの気づき」の一つとして加えておく。

 これを実証する為には神代文字の同一規格に基づくフォント化により対照させてみる必要がある。今はこれができていないので前に進まない。技術的にこれを為し得る者にして、れんだいこのこの指摘に膝を叩いてくれる者にして、著作権など云わぬ者が、これを為して公開してくれることを願う。

 この問題が何ゆえ重要なのか。それは、古代はインド、中国文明の恵沢を、近現代は西欧文明の恵沢を受けているとして、それだけならまだしも、それ故にそれ以前の日本にはまともな知見なぞなかったかのように悪乗りして説く歴史観が学説化しているからである。そんなことはない、日本語の言語史を見れば明らかなように、我らの父母祖は、古代に於ける中国文明を受容するに当り、自生的な日本文明をもって摂取咀嚼している。

 これに比せば、近現代日本は、西欧文明受容に当り父母祖のような能力を発揮しないままに今日まで経過しているように思われる。それは、インド、中国文明に対しては親和できたが、西欧文明とは親和できにくいことを証している。これも精緻に見れば、西欧文明のうちの西欧各国の在地的なものとは親和でき、国際ユダ屋ワールド的なものとは親和できにくく、むしろ親和できないまま押し付けられ強制的に受容させられつつあることが分かる。

 そういう見立てなしに西欧文明を丸ごと是として、日本文明を排斥し、そういう態度をもって先進国文明国一等国云々する者を外国被れと云う。この外国被れがことさらに愛国愛民族ぶり、首相となるや靖国神社公式参詣を演出する。靖国神社に祀られている英霊は怒髪天であろうが、事務局側は時の権力と親和するのを常としており首相公式参拝を誉れにしているようである。これはお笑いであり、つまり首相の靖国神社公式参拝はお笑い仲間の合作行事と云うことになる。

 もとへ。ひらがなカタカナの神代文字由来説は、そういう外国被れ派の漢字崩し説との学問的な戦いである。真相は、漢字と神代文字との芸術的なアンサンブルとして生み出されたものであろうが、外国被れ派は漢字崩し説しか認めない、神代文字そのものを否定するのだから神代文字由来説などあり得る訳がないとする。そういう頑なな論を張る。何とならば何事も国際ユダ屋側に有利な方向にテキスト化されるからである。これが学問となり、鵜呑みできた成績の良い順に出世コースが敷かれている。しかして、その優等生が政財官学報司警軍の上層部を占める度合いに応じて日本が劣化させられる。目下の日本が丁度この状態にある。これを崩すためには根本的なところからの組み替えなしにはできまい。ひらがなカタカナの神代文字由来説はこういう風に話しが広がる。興味深いことである。

【五十音図といろは歌考】
 平仮名、カタカナの発明により、和歌と漢詩が隆盛し始めることになる。三十六歌仙や菅原道真や紀貫之や小野道風の時代は、まさに言葉と文字と発音(声)と書に関するすべての多様な事情を睨みつつ、新たな日本語の文字システムと発音システムを起爆させる必要があった時代だった。

 「
松岡正剛の千夜千冊 馬渕和夫『五十音図の話』」は次のように述べている。
 「五十音図は奈良平安の苦闘を通過した日本人がつくりあげた文字発音同時表示システムなのである。つまりは空海の声字システムのひとつの到着点なのだ。その道程には冒頭にあげた契沖をへて本居宣長にまで及ぶ国学の発生も含まれる。また、その後は大槻文彦や吉田東伍や山田孝雄の考究も含まれる。五十音図とは日本を考えるための歴史上最初のソフト・プログラムだったのである。ついでにもう一言言っておくが、このようなプログラムを日本人は五十音図以外にもうひとつ用意した。それが『いろは歌』というものである。『五十音図』と『いろは歌』、その奥に何重もの対比と相克と離別を繰り返した「真名」と「仮名」。このことを語らないで、どうして日本を問題にできるだろうか」。






(私論.私見)