中核派の党内闘争史考

 (最新見直し2007.10.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2007.10.20日 れんだいこ拝


 運動の進め方を労働戦線に集中して、部落解放闘争を労働戦線の付随とするような運動方針をめぐって、これまで共闘関係にあった部落解放同盟全国連合会(全国連)とも関係が悪化し、2008.2月、全国連から「広島差別事件」として糾弾を受ける立場になった。中核派はこの問題において、糾弾を受けた2月時点では沈黙していたが、4月になって全国連を「塩川一派」と規定して機関紙で公然と批判し始め、公式サイトから全国連サイトへのリンクを削除しているなど、その対立の溝は拡大し始めている。


 「参考資料: 関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」」。 関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」
2008327日 FACTA
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080327-01-1101.html

  共同中核派といえば1970年代から革マル派とともに殺人を含む3桁に及ぶ内ゲバを繰り返してきた新左翼。左翼退潮の中で鳴りを潜めてきたが、ここに来て異常事態が発生している。

 今年1月、新左翼系出版物を販売している東京・新宿の「模索舎」に「共同通信」なる機関紙が並んだ。122日付の創刊号では「安田派中央による変質粉砕し共同の再生を!」と叫んでいる。「安田派中央」とは、安田(千葉動力車労働組合の元委員長・中野洋氏の変名)と清水丈夫(60年安保闘争以来の職業革命家)が中核派を牛耳っていることを指す。発行元は前進社関西支社。中核派の拠点は前進社を名乗り、全国にいくつかの支社を置いている。革命的共産主義者同盟関西地方委員の事務所が前進社関西支社であり、その中心は京都大学出身の橋本利昭氏だ。「関西では部落解放運動にもぐりこんだと噂され、一部が反中央になった」と情報筋は明かす。「動労千葉労働運動への特化路線」なるものに、部落解放などの課題を重視する関西組織の反発が強かったようだ。

 この分派は、今時「プロレタリア暴力革命の復権」を叫んでいることからも、到底まともとは思えないが、注目すべきは中央の統制が利かなくなっていることだ。これまで中核派の離反者は、たとえ中央に不満があったとしても「完黙」を要求され、一切の政治活動の放棄を強制されてきた。「脱落」後も活動する者は「反革命」と断罪されるのが常だった。分派活動などありえなかったのである。「ところが、最近は統制が利かず公然と分派闘争に走っている」(先の情報筋)。中核派の組織的統制力が弱まった証拠である。中央の軍事的統制によって繋ぎとめられてきた下部メンバーが一斉に離反するかもしれない。


 2008年3月29日、関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」

 広島差別事件 2・24関西真相報告集会 詳報 1
(2008年02月24日)
http://www.zenkokuren.org/2008/02/_224.html
   ■主催者あいさつ 瀬川博委員長

 全国連として広島差別事件を徹底糾弾してたたかいぬく決意です。1981年、解同大阪府連から処分され、窓口も閉ざされ苦しい思いでたたかってきた。その時、革共同、学生を信頼していた。それだけに、いまの広島差別事件に憤りを感じます。勝利するまで、広島の青年を守りぬく決意です。

 ■広島支部が登壇

 Aさんのアピール
 悔しさを怒りに変え、糾弾の力に変えて、こんかいの差別にたいする徹底糾弾のたたかいに立ち上がります。わたしは一人ではない、わたしの周りには全国連の仲間がいる。マル学同の学生と、それを擁護する革共同を徹底糾弾し、必ず全面自己批判させます。 (全文は『狭山闘争ニュース』に掲載されています。ご参照ください)

 家族から
 娘は私が34才の時に、うれしくてうみました。この子が部落差別をうけるかもしれない。私も母親としてしっ かり生きていこうと思ったのがこの前のことのようです。太田川闘争からたたかってきた福島の人、在日が、こんな思いをさせるようなことを絶対に許せない。今日を新しい出発点にがんばっていきます。

 福島町に住む「障害者」から
 「障害者」解放の立場から、部落解放の立場からも、この差別糾弾を徹底してたたかう。

 婦人部
 (確認会の報告) 彼らは、「差別ではありません」「お前は黙れと」と私に怒鳴ってきました。Aさんにたいして、「人格を否定するから」とおどすような発言がありました。残念ですが、これが事実です。差別に怒る心のある人たちをふやしていくためにたたかっていきます。

 青年部
 福島町で学力促進学級をとりくんできた。広大の解放研が積極的に取り組んでくれた。差別事件をおこした人たちはぜんぜん関心がない。そういうなかで、差別事件が起こりました。青年が先頭で、糾弾闘争を取り組んでいきます。3月9日、支部青年部大会をおこないます。

 金平通雄・中執
 徹底糾弾をやりきります。次は広島で真相報告集会をやります。広島が差別糾弾闘争の発信基地になります。

 ※関西各支部の発言は省略します。ご了承願います。

 広島差別事件 2・24関西真相報告集会 詳報 4
(2008年02月24日)
http://www.zenkokuren.org/2008/02/_224_3.html
 
 全国連にたいする「引き回し」 解体策動を絶対に許さない!

 全国連からの提案 中田 潔  書記長

 革共同がなぜ、これほど悪質な差別事件を引き起こしてしまったのでしょうか。やはり、いまの改憲と侵略戦争の動きです。この困難な局面に直面し、革共同が「差別など問題にすると労働者が団結できない。労働者がたたかえない」と主張しはじめました。革共同は「水平社解消論」と同じ過ち、部落解放運動の解体を言い出したのです。 

 もう一つ。革共同は「私が書記長としてふさわしくない。新体制でやるべきだ」と、考えているようです。そして、その手先にAさんをオルグして全国連のなかに分裂と対立をつくりだして、革共同のいいなりになる全国連につくりかえようとしたことです。

 しかし、差別され、虐げられている部落大衆こそが部落解放運動の主人公です。この部落大衆が差別をやめろと声をあげ、拳を振り上げてたたたかうことが部落解放運動で一番大事にされなければなりません。特定の党派が好きなように引き回そうとすることは、部落解放運動を冒涜し、部落民の自主解放のたたかいを蹂躙し、抑圧するきわめて差別的な態度です。

 この糾弾闘争は絶対に負けることはできません。住宅闘争を「物取り主義」とさげすみ、私たちの運動を侮辱した革共同が、この差別をおおい隠すために「差別糾弾闘争よりも、住宅闘争が大事だ」と、部落大衆の住宅にたいする思いを逆手にとって、部落民同士を敵対させようとしています。こんな革共同を差別者集団といってなにが悪い!

 私たちは、次に広島で真相報告集会をひらきます。そして全国で開催します。憲法改悪、戦争に反対する労働者、民衆と共に手をつなぎ、革共同に謝罪をもとめる陣形をつくっていきます。

 最後に、17回大会から住宅闘争で新たな全国闘争をはじめます。この10年の住宅闘争を総括し一大決戦にたちあがります。全国連の住宅闘争に心からの支援をお願いします。差別のない世の中を、ともにつくりましょう。

 関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」

 2008年3月27日 FACTA
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080327-01-1101.html

 革共同中核派といえば1970年代から革マル派とともに殺人を含む3桁に及ぶ内ゲバを繰り返してきた新左翼。左翼退潮の中で鳴りを潜めてきたが、ここに来て異常事態が発生している。
 
 今年1月、新左翼系出版物を販売している東京・新宿の「模索舎」に「革共同通信」なる機関紙が並んだ。1月22日付の創刊号では「安田派中央による変質粉砕し革共同の再生を!」と叫んでいる。「安田派中央」とは、安田(千葉動力車労働組合の元委員長・中野洋氏の変名)と清水丈夫(60年安保闘争以来の職業革命家)が中核派を牛耳っていることを指す。発行元は前進社関西支社。中核派の拠点は前進社を名乗り、全国にいくつかの支社を置いている。革命的共産主義者同盟関西地方委員会の事務所が前進社関西支社であり、その中心は京都大学出身の橋本利昭氏だ。「関西では部落解放運動にもぐりこんだと噂され、一部が反中央になった」と情報筋は明かす。「動労千葉労働運動への特化路線」なるものに、部落解放などの課題を重視する関西組織の反発が強かったようだ。
 
 この分派は、今時「プロレタリア暴力革命の復権」を叫んでいることからも、到底まともとは思えないが、注目すべきは中央の統制が利かなくなっていることだ。これまで中核派の離反者は、たとえ中央に不満があったとしても「完黙」を要求され、一切の政治活動の放棄を強制されてきた。「脱落」後も活動する者は「反革命」と断罪されるのが常だった。分派活動などありえなかったのである。「ところが、最近は統制が利かず公然と分派闘争に走っている」(先の情報筋)。中核派の組織的統制力が弱まった証拠である。中央の軍事的統制によって繋ぎとめられてきた下部メンバーが一斉に離反するかもしれない。


【革命的共産主義者同盟関西地方委員会】
 「11・18革共同関西地方委員会党員総会において」を転載する。
 「関西WOB」の凍結および「11・6政治局決定」弾劾決議を採択

 革命的共産主義者同盟関西地方委員会


 1)革共同関西地方委員会は、11月18日大阪府下において革共同関西地方委員会党員総会を開催した。この総会には、大阪・京都・兵庫・奈良の各府県委員会、国鉄・全逓・教育労働者・自治体労働者・医療・民間・合同労組の各産別委員会、入管戦線・部落解放戦線・「障害者」解放戦線・女性解放戦線・在本土沖縄戦線・反軍戦線のすべての戦線および社細胞から関西地方委員会の過半数を超える党員が参加し、革共同の再生のための歴史的出発点を切り開く画期的な大成功を収めた。

 総会は革共同中央によるあらゆる妨害をはねのけ、国家権力および反革命に対する万全の防衛体制の下で集中した報告と討論がおこなわれ、「関西WOB」の凍結、07年7月テーゼの撤回要求などすべての議案・決議が採択された。

 
2)とりわけ今総会を開催する直接の契機となった、「関西WOB」問題については、関西地方委員会書記長から詳細な事実経過およびその問題点が報告された。この報告を受けて参加した同志たちの活発な討論が行われたが、その中で革共同中央による組織破壊行為の実態が暴露され、弾劾された。

 こうした討論に踏まえて「関西WOBの凍結を求める」議案が挙手によって採決された。採決の結果は、保留1名をのぞく全員の賛成によって「関西WOB」の凍結が決定された。関西地方委員会の多数意見を無視して「関西WOB」の強行してきた一部の地方委員による組織破壊行為についに断が下されたのだ。卑劣にも総会をボイコットした一部地方委員らは直ちに組織破壊行為を中止し、関西地方委員会の旗のもとに復帰するよう通告する。

 また中央WOBから関西WOB委員に指名された同志諸君に告ぐ。諸君らはこの党員総会の決定に従い、ただちに関西地方委員会のもとで関西労働者組織委員会を強化する闘いに合流するように呼びかける。


3)総会は党員総会実行委員長が開会宣言を行い、議長団、議事運営委員会、書記を選出した。最初に「11・6政治局決定」を弾劾する議案が、関西地方委員から提案された。その中で「11・6政治局決定」の中身は多くの事実誤認が存在すること、同盟規約に照らせば政治局には「関西地方委員会の執行停止処分」にする権限はないことが明らかにされた。そしてこの前代未聞の暴挙を行った政治局を弾劾するともに、ただちに「決定」の撤回を求めることが提案された。

討論のなかでは、政治局は「11・6政治局決定」を関西地方委員会に通知する前に、大阪府委員会に下ろして「党員総会のボイコット」を討議させていたことが明らかにされた。こうした政治局によるスターリン主義まがいの情報操作と陰謀政治に対して驚きと弾劾の声がまきおこり、圧倒的な拍手で「11・6政治局決定」を弾劾しその撤回を求める決議が採択された。

4)さらにこの間の党内差別事件の根源となっている「07年7月テーゼ」の撤回を求める決議、広島部落差別事件に対する革共同中央の自己批判を求める決議、改憲阻止闘争の爆発をかちとる決議、総会から逃亡した地方委員に対して11月25日に開催される関西地方委員会への出席を求める決議が提案された。これらの提案に対して部落青年戦闘同志会の同志はじめ、多数の同志から、広島差別事件を居直る革共同中央を弾劾する意見が次々と表明され、すべての決議案が圧倒的な拍手で採択された。

5)今総会の議事は二人の議長団によって民主的かつ公平に運営され、発言は、部落青年戦闘同志会、FS細胞、マルクス主義青年労働者同盟の諸同志からはじまり、大阪・京都・兵庫・奈良の各府県委員会、教育労働者・自治体労働者・「障害者」解放戦線・女性解放戦線、社細胞など総計20本の発言を受けた。全議案を採択したのち労働運動の最前線で闘う同志が閉会宜言・団結ガンバローを行い、4時間を超える歴史的な党員総会を締めくくった。

6)すべての同志の皆さん。11・6革共同関西地方委員会党員総会は革共同中央の07年7月テーゼおよび23全総を頂点とする綱領的路線的変質と「関西WOB」強行や「11・6政治局決定」に見られる規約無視のスターリン主義約組織運営を徹底的に弾劾し、真の革共同を再建する闘いを断固として開始した。現場の細胞活動を基礎とせず、中央への一致=中央追随のみを強要する中央指導は、「細胞と中央は同格である」という革共同の組織論とはまったく無縁である。

すべての同志の皆さん!そして革共同とともに歩んできたすべての友人の皆さん!革共同関西地方委員会は、すべての同志・友人の皆さんが反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命の旗のもとに固く結集し、革共同の革命的再生に向けてともに立ち上がることを心から訴えます。

 2007年11月19日


【革命的共産主義者同盟関西地方委員会総会決議】

  2008年7月31日 (木)

 7・27革共同政治集会(関西派・革共同再建協議会)前篇

 おことわり。文中「広島差別事件」の表記がカタカナでなされていた部分を漢字に改めました。カタカナで表現するのは8・6ヒロシマに関連するとの誤解を招くとの指摘を受けたためです。変換をする際に、第一候補として出てきた表記を安易に使用し、表現内容に付いての考察が抜けていたことを反省します。 

 文中安田派とあるのは関西派・革共同再建協議会からする革共同中央派の呼び名である。基本的にICレコーダーを起こしつつ書いた文章であるので関西派・革共同再建協議会の表現をそのまま使っている。今日は前半の基調報告までを記事に起こした。後半の特別報告および各戦線の報告並びに決意表明については一両日中に記事にしたいと思う。

 集会は学生戦線出身の女性革命家の司会で始まった。新たな革共同を作ろう。イラク反戦闘争と改憲阻止闘争の大衆的発展を築こう。世界各国で被抑圧人民の闘いが巻き起こっている。日本においても山口や岩国の選挙での自公の敗北に視られるように反撃の闘いが始まっている。問われているのは革命党の存在と闘い。大衆闘争破壊にのめり込み広島差別事件を居直る安田派との闘いが不可欠である。革命的共産主義運動から生まれたこの反動を放置することは出来ない。同時につい最近まで同じ党にいた者として痛苦な反省が必要である。

 G8洞爺湖サミット反対闘争の報告が派遣団長より行われた。帝国主義の利害の下に取引しようとすることを断じて許すことは出来なかった。「革共同通信」創刊号でG8サミット闘争を闘うことを表明していた。本格的な闘いは3月から始まった。ネグリ来日が阻止され、シベリア鉄道で来日しようとしたドイツの活動家が入国を拒否された。環境相会議が神戸、蔵相会議が大阪、外相会議は京都で行われ、これと闘った。先遣隊を始め多くの人々が北海道に結集した。本隊は札幌で行われた数千規模の集会に合流した。関西と違い広範な統一戦線でなされた。カクマルが徹底的に排除されていた。派遣団は排除されることなくビラ撒きなどを完徹した。発言の半分が外国人という国際色豊かな物であった。革共同旗と中核旗、クラッシュG8と書いた横断幕を持ってデモに参加した。一車線の規制に対して外国の人々はそんな物を無視してフランスデモを行った。サウンドデモのDJが不当逮捕された時は、世界各国のマスコミが殺到して写真を撮っていた。ドライバーが不当逮捕された処なども「革共同通信」に掲載されている。計4名が不当逮捕された。

 洞爺湖を囲む3カ所のキャンプ地の内、豊浦町に泊まった。約200名で半数は外国人。のっけから喧々囂々の討論がなされた。中心となっていたのは野宿者支援などを行っている人々やノンセクトであり、粘り強い権力との交渉がなされ、デモ申請などが行われた。20キロのデモについて色々な規制があったが、外国の人々はデモについて規制すること自体が間違っているという主張が多かった。意見が食い違いサミット前日は外国人を除いて7キロのデモを行った。基本部隊はこれで北海道を後にしたが、当日は24キロのデモを完徹した。G8に反対せずして世界革命などあり得ない。安田派もカクマルも洞爺湖現地には登場しようとしなかった。党派として洞爺湖で闘ったのは我々だけであった。

 各地方からのアピールとして先ず山口県委員会、続いて首都圏の発言があった。山口県委員会の代表は8月6日に広島で予定している反戦平和研究集会の案内を行った。この春の山口での春闘集会150名で開催した。連合の中にありながらも言えないことがある人々と実行委員会を作って行った。広島では初の反戦集会。学習会などを積み重ねる中で今年は広島でやろうと言うことになった。8・6ヒロシマへの思い。岩国での闘いがあるが、広島との県境にある。岩国を飛び立った米軍機は広島上空を飛んでいく。一つの政治党派の集会とは見て欲しくない。基調報告もない。被爆者の米澤鐵志さんの講演、今中哲二さん、立山紘毅さんの講演。今日の集会から日にちもないが、是非来て下さい。デモがしたいという人には申し訳ないが。

 首都圏の代表は、東京・関東の同志を代表して決意を表明した。革共同再建のために開かれた歴史的集会で決意表明を行います。世界は極めて深刻な危機を深めています。アメリカの住宅バブルは崩壊し、サブプライムローン破綻。カジノ資本主義の終わり。G8では帝国主義者どもはなすすべ無かった。このような時代にあって日帝は戦争に突き進むしかない。結節点は憲法改悪攻撃である。世界情勢は、ソ連崩壊後の歴史的大反動を乗り越えて新たな高揚期が始まっている。ロスト・ジェネレーションや漁民が立ち上がっている。

 この情勢で重要なのは世界革命によって帝国主義を転覆する革命の主体である。この株価の下落に小躍りして「世界は革命情勢だ」などというのは間違っている。革共同運動から生まれた反動としての安田派は、党の路線を破壊しようとしている。恐ろしく平版な純粋プロレタリア革命とでも言うような路線であり、部落民・在日外国人・女性・「障害者」、果ては農民にまでプロレタリア性を強要する有様である。安田路線とはその革命的厚化粧を一皮剥けばズブズブの経済主義である。こんな愚劣な路線が若者に通用するはずがありません。カクマルとの第二次分裂、75年の本多書記長虐殺に並ぶ党の危機である。困難の中でも大衆戦線・統一戦線を守り抜き、06年3・14決起の道を断固として突き進んでいこう。安田体制の根幹をなす東京・首都圏においても全国の同志とともに革共同奪還のためへに邁進していく。

 連帯の挨拶として淡路町空港反対同盟事務局長の安東さんが発言に立った。冒頭、全関西実行委員会代表永井さんのメッセージを代読した。「決戦のときを迎えた三里塚への総決起・総結集、とりわけ9・22関西集会と10・5三里塚全国総決起集会への参加を訴えます。

 決戦の攻防点である市東孝雄さんの農地を守り、暫定滑走路北延伸を阻止する闘いは、この秋の攻防によってすべてが決せられるような重要な局面を迎えます。本日も三里塚反対同盟がその闘いの第一弾として現地闘争が闘われています。」

 「率直に申し上げて反対同盟の決意と闘いに比して、私たち支援の闘いはまだまだ不十分だと言わざるをえません。反対同盟の闘いを支え、共に汗を流し血を流しても闘ってこられた革共同の皆さん、労農学共闘の皆さんの渾身の決起を改めて訴えます。反対同盟の旗の下に一致結束した壮大な闘いを共に実現しましょう!」

 安東さん自身の発言に移り、革共同集会では十数年ぶりの発言になる。革共同とのお付き合いは38年ほどになる。淡路空港絶対反対の闘いは勝利した。革共同の皆さんのおかげです。西山(当時京大教授)レポートで淡路島をズタズタに切り刻むという案を出してきた。これを私たちは一つ一つ潰してきた。これが40年前の7月のことだった。最初は黒ヘルやギザギザのヘルメットの人たちが来た。70年の4月に革共同のある人が来た。夜な夜な僕を誘って安東さん革命は近いと熱く語るんですね。男女ならロマンチックですが、公園のブランコで男同士で語り合うんです。何と純粋な人たちであんただろう。まだ革命は出来ていないけれど未だに変わらない。ホンマものやと思いました。戦前は治安維持方などで弾圧されて戦争に突入させられてしまったが、今は違う。反対同盟の旗と革共同の旗がある限りそうはならない。

 あと三年すると憲法「改正」が俎上に登る。国民投票。何としても阻止しなければならない。もっともっと僕らは色々なところで反戦平和の闘いを広げないといけない。一つ気をつけなければならないのが、西山有象没後の追悼文集。彼はこういっている。「全ての人がその社会的責任を自覚していなければ新しい社会は築けない。」と言っているが、住民を蹴散らしてでも帝国主義を助長しようとした張本人がそんなことを言うか。著者の早川さんには、彼は淡路島でこんな酷いことをしようとしたんですよ、と言うと早川さんは話しもしてくれない。隅谷三喜夫公開シンポをした。隅谷先生と言って持ち上げる。そうじゃないでしょう、ほんまモンはどうや。僕らは闘って知っている。革共同の人たちは淡路の闘いと関空の闘いを支え続けてくれた。ほんまモンやと思う。三里塚があったからこそ、徹底非妥協の闘いがあったからこそ淡路は勝利できた。関空は海上空港だが、元の海に戻す。神戸空港もそうだ。僕の目の黒いうちに実現しよう。ほんまモンの闘いを繰り広げて欲しい。

 基調報告は革共同関西地方委員会が行った。今、世界経済、帝国主義はとてつもない危機に陥っている。サブプライムローン、原油高騰、食糧危機。全世界の労働者人民の闘いと連帯して日本帝国主義の改憲攻撃と全面対決して、日本帝国主義打倒・プロレタリア革命勝利に向けて断固として突き進んでいこう。憲法「改正」攻撃の核心は9条改憲攻撃である。9条改憲攻撃を日帝打倒の止むことのない労働者の総叛乱に転嫁する。改憲阻止決戦は戦後最大の階級決戦である。9条2項の削除が問題だ。自衛軍の創設を目指している。戦後民主主義体制から天皇制国家体制へと全面転換を狙っている。闘いが本格化すれば天皇制攻撃・民間反革命との闘いが激化する。これを恐れることなく階級闘争の戦場に引きずり出し、これを粉砕する度合いに応じて発展していくのだ。日本帝国主義打倒プロレタリア革命勝利に向けて突き進んでいこう。

 安田・清水体制は改憲攻撃との闘いからの逃亡である。この事を彼らが表明したのが07年の1・18である。唯一の方針は労働組合の階級的団結だけである。これは階級闘争からの召喚である。政治闘争を労働運動に対置してはならないという。今日の政治決戦と言えば改憲阻止決戦である。これを労働運動に対置するな、並列にしてはいけないと言う。すなわち改憲決戦はしないと言うことだ。彼らは誰に向かって言っているのか。国家権力に向かって言っているのだ。転向声明その物である。我々はこの決戦に労働者階級の総決起を作り上げていかなければならない。安田派はこれに全面的に敵対しあらゆる闘争からの逃亡を開始している。国鉄闘争・三里塚闘争・沖縄闘争・部落解放闘争・女性解放闘争・「障害者」解放闘争・入管闘争。彼らはこれらについて敵対を深めている。これらの本質は闘いからの逃亡である。本質は脆弱である。体制内労働運動との決別と言いながら労働運動その物からの逃亡をしている。連合の中で闘うことは大変なことだが「決別」などと言って逃げ出すことは許せない。

 今日の改憲攻撃がどの様な段階にあるのか。9条改憲攻撃は最終段階にある。戦後の波は大きく二つある。50年代鳩山内閣による小選挙区制。50年代の改憲攻撃は60年安保闘争で完全に粉砕された。20年間登場させることが出来なかった。処が中曽根内閣の戦後政治の総決算攻撃で国鉄分割民営化・総評解散・社会党解体。湾岸戦争、ペルシャ湾への掃海艇派遣。これ以降毎年自衛隊は間断なく海外派兵をしている。92年陸上自衛隊のカンボジア派兵。その後96年の日米安保共同宣言、安保ガイドライン、国民保護法、この段階で日本の有事法制は完成する。現時点で集団的自衛権を決めれば侵略戦争が出来る状態になる。

 05年に自民党改憲草案。06年には教育基本法の改悪。内堀を埋めてしまった。我々は日帝支配階級の最後の、最大のハードルである9条改憲に踏み込んできている。これを重大な階級決戦として爆発させていかなければならない。自民党改憲草案では、現行の9条2項、戦力の不保持と行使の法規を明記している訳ですが、これの全面削除。そして交戦権と戦力保持を明示した後に自衛軍を創設という項目を入れる。この任務等が我が国の独立と自衛、国民の安全確保。もう一つ国際的協調つまり集団的自衛権の行使。公の秩序とは治安出動。日本語の場合「公」とは天皇と朝廷のことである。9条改悪に対して民主党は解釈改憲により自衛隊がドンドン大きくなったから、曖昧な解釈を許さないために国際貢献などを憲法に明示することで歯止めをかけると主張している。だがこれはとんでもないペテンである。憲法9条で軍隊を禁じている国で今日のように自衛隊が海外派兵されている。そこで海外派兵を認める改定を行ったら制約が無くなるのだ。

 80年代中曽根政権から始まった改憲攻撃は、戦後の帝国主義の危機と対応した物である。改憲の問題とは体制の問題と密接に関わっている。これは我々の側から言えば革命の問題である。中曽根の戦後政治の総決算攻撃が出てきた最大の背景は73年のオイルショックと74〜5年の世界恐慌であり、75年に米帝がベトナム戦争に敗北する。この事で戦後帝国主義の世界体制が体制的に破綻した。米帝の準戦時体制、朝鮮戦争・ベトナム戦争と大量生産大量消費で国家独占資本主義体制を取ってきた。これが終焉した。米帝の相対的地位の低下。この巻き返しとしてレーガノミックスが登場し対スタ対決帝間争闘戦完徹政策。ソ連に対する軍事重圧を徹底的に強める。ソ連の核軍事力を封じ込めるために軍拡競争を行う。もう一つレーガン時代に民族解放闘争を圧殺するために侵略戦争を中東や中米を中心として繰り広げた。このようにして戦後の帝国主義体制は国独資体制においても恒常的な戦争体制を取り続けた。国内では労働者階級の既得権を剥奪する。ブルジョアジーに対しては史上最大の減税。インフレ抑制のための高金利政策。国内で失業者がどれだけでようが構わないという体制。全米の工場から労働者がいなくなると言う事態。中南米はオイルショックでオイルマネーがアラブ諸国に入っていき、先進国の民間企業に進展し、中南米諸国に貸し付けられていく。高金利政策によって経済破綻していく。

 米帝の戦後的あり方が転換する。帝国主義間争闘戦に全面的に転換した。国際競争力を作って他帝国主義をけ落としていくという戦略になる。日本の戦後発展の基盤が無くなってしまう。中曽根政権はその様な情勢で登場した。その最初の決戦が国鉄分割民営化攻撃であった。対スタ対決でソ連が崩壊し今日的なグローバル市場が成立する。特に金融資本が世界規模で駆け回る。それを支えているのが米帝による軍事支配・軍事政策である。91年以降も大規模な戦争を続けている米帝。今日も戦争状態である。

 新自由主義について特徴を書いているが、共産主義思想とスターリン主義を徹底的に敵視し、労働者階級を弾圧することが核心である。新植民地体制の下での農業破壊をもたらしている。特に格差と貧困をもたらしている物として、新植民地体制諸国に対して追加融資の条件として10項目ほどの政策をその国に強制している。財政緊縮を強制し、その国の社会保障を破壊している。税制改革を通じてその国のブルジョアジーを助け庶民に対しては増税している。金利の自由化としてハゲタカファンドの欲しいままにしている。水の民営化。人間が生活していくのに絶対必要な水の民営化を押し付けている。「清潔な水を確保しなければいけない」と称して水の民営化をしている。タダ同然で供給されてきた水を有料にすることで水を買うことが出来なくなり汚染された水を飲むしか無くなり、疫病が蔓延している。帝国主義による典型的支配である。

 世界の1%が個人資産の4割を所有し、世界人口の半数を占める貧困層は世界の総資産の1%しか持っていない。世界の9割以上の貧困の上に成立している極限的に不平等な体制を維持するために米帝を始めとする帝国主義が侵略戦争を行っている。世界の農村と農業破壊は恐るべき進行をもたらしている。農民から土地を奪い住むところを奪っている。こういった新自由主義・グローバリゼーションに対して150年前にマルクスとエンゲルスが提唱したように「共産主義者は自分たちの目的が、これまでの一切の社会秩序の暴力的破壊によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に震え上がるがよい! プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」

 今こうした闘いが新自由主義・グローバリゼーションに対する闘いとして始まってている。最初の大きな闘いが99年にシアトルで行われたWTOに対する闘いである。こうした闘いが今年の北海道・洞爺湖サミットまで継続している。こういった闘いがインターナショナルを再建していくために続いている。国際的反帝闘争に位置しているのがイラク・アフガニスタンにおける闘いであり、南朝鮮・韓国の闘いである。60年の4・19を超えるような闘いに発展しつつある。重要なのは党の問題である。日帝がイラク侵略戦争に踏み込もうとしている。朝鮮侵略戦争に踏み込もうとしている。これを破綻に追い込んでいく改憲阻止決戦からプロレタリア世界革命への展望を切り開いていこう。

 改憲阻止決戦の帰趨はどこにかかっているのか。これはこの決戦に労働者階級がその主力部隊として登場し、闘争全体を戦闘的に牽引することが出来るかどうかにかかっている。その為に今の日本の労働運動の現状では、先ほどの北海道のG8反対闘争のように北海道の教組を先頭としてG8反対の闘いこれは素晴らしいものである。06年の教基法改悪反対闘争の取り組みの陣形が残っている。ここに自治労が加わっている。ではこうした労働者の隊列が洞爺湖の現地まで来て闘うまでには至っていない。この現状を我々は本当に乗り越えていかなければならない。先ほど申し上げたように日本の労働運をとの重要な転機になったのは80年代の国鉄分割民営化攻撃であり、戦後政治の総決算を掲げて登場した中曽根は総評を解体し・社会党を解体することを目的として国鉄分割民営化を強行した。国会内で3分の1を占めていた護憲勢力としての社会党を解体すること、曲がりなりにも階級的労働運動を掲げていた総評を破壊すること。90年代の後半から労働運動は大きな高揚期に入っていると言われています。処が連合のストをしない・闘わない労働運動。小泉「改革」の中でストを打たない労働運動の無力さは明らかである。漁師がゼネストをしている時に労働者がストを打たない。このようなことが通用するはずがない。連合の運動を打倒していく。

 連合が生み出されてきた国鉄分割民営化決戦の結果強行されてきた。この教訓として、これから先の労働運動をどうしていくかと言うことがある。連合内の労組には国家権力が攻撃してきたら勝てないという敗北主義がある。政府やマスコミが組合に対する反動キャンペーンをすると震え上がっている。つまり国労のようになるなと言うことです。このようなキャンペーンが今日も通用するかと言う時、日雇い派遣の問題や過労死の問題がある状況でマスコミなどの反動キャンペーンを踏み越えて闘って行かなくてはならない。80年代でもレーガンの軍拡路線・核軍拡に対して日本でも10万を超える闘いがあった。このような闘いを国鉄分割民営化反対の闘いと結合させることが出来ただろうか。国労や国鉄労働者が集中砲火を浴びている時にこれと連帯しようという呼びかけが出来たであろうか。我々の党細胞が存在する組合で・地域でそう言ったことがやりきれただろうか。この事を総括していかなければならない。

 「革共同通信」12号で提起しているが動労カクマルの裏切りによって初めて国鉄分割民営化が出来た。どうして彼らにあのようなことが出来たのか。彼らに向かって中々面と向かって批判することが出来なかった。彼らは白テロ党派である。これと対決できたのは誰か。我々以外になかった。我々の反ファッショ解放闘争として爆発させていくという路線であった。こここそカクマルを敢然打倒し一掃していくチャンスであった。何故それが出来なかったかと言うことが総括すべき問題である。文字通り労働者階級人民の決起によって粉砕する以外無かった。我々が80年代に取った戦略は革命軍戦略である。ここにはゲリラパルチザン戦闘によって中曽根反動と対決していくというものであるが、本当の意味で階級を組織していくことからの逃亡である。だからこそ、我々は改憲決戦に巨万の労働者を組織していく。革命軍戦略というのはある意味建党主義に陥っていた。勿論当時は大衆決起を組織するという観点を持ってはいたが不十分であった。第4インターに対する赤色テロルについても反省的に総括する必要がある。

 我々はこうした総括に踏まえて改憲阻止決戦をどの様にして発展させていくのか。改憲阻止決戦の大衆的発展と労働運動の戦闘的再生は一体の問題である。街頭か職場かという議論があるが、街頭も職場もと言うことだ。労働者の闘い、資本の攻撃は何時と言うことは職場の秩序維持を通して完徹されているので、職場の力関係を覆していくことから絶対に逃げてはいけない。ここが敵の階級支配の要であることはここに最大の困難が存在する。こうした階級支配を打ち破るためにありとあらゆる勢力を味方に付けていく。そして労働者の解放を築いていく。労働運動の高揚期と政治闘争の高揚期は金的に重なっている。これは何故かと言うことだ。基本的に労働者が職場から決起することはあり得るが、激動期にはありとあらゆる職場に赤旗が林立する。我々はその事をしっかりと見ていかなければならない。

 岩国や沖縄で始まった従来の政治的枠組みを超えた闘い、保守とか革新とか関係ない。新たな決起が始まっている。今日の改憲・新自由主義的攻撃は、自民党の支持者だからと言って容赦はない。等しく攻撃を仕掛けてくる。そう言う意味で労働者階級の新たな根底的な決起が始まっていく。改憲阻止決戦の下に糾合していく。極めて困難な闘いであるがどうしてそれをしていくのか。それは9条改憲阻止の一点でもって今日の階級的力関係を転換していこうというものである。05年5月に新たな100万人署名運動が9条改憲阻止の闘いとして打ち出していこうと言う時に出したコンセプトがそうである。我々はこうした観点に立って三里塚闘争・沖縄闘争・饗庭野(あいばの)この三つの闘いを結合した反基地闘争を闘っていく。そして反軍闘争を自衛隊解体の闘いを作っていかなければならない。我々は改めて反軍闘争を作っていかなければならない。階級闘争の進展は軍隊との激突を不可避とする。自衛隊を内部から解体する闘いを作っていかなければならない。

 部落解放闘争においては狭山再審闘争、安田派による広島差別事件糾弾闘争をやり抜きたい。「障害者」自立支援法反対闘争・女性解放闘争・入管闘争・8・6ヒロシマ闘争を断固として闘い抜きたい。それでは戦闘的労働運動その物の再生を組織化していく場合、独自の領域があると言うことを確認したい。改憲阻止闘争をそのまま職場に持ち込む事が戦闘的労働運動かというと、断じてそうではないと言うことである。それはレーニンも社会民主党綱領草案の中で書いているが、「労働者がストライキに立ち上がり、労働者が不可避的に国家の問題や政治の問題に突き当たったときに、労働者はそこではじめて『政治演説』に耳を傾ける」。

 すなわちこの事は今日においても真実である。政治思想や軍事思想を労働者に押し付ける形では決して成功しないのだ。特に強調しておきたい。改憲情勢の中で本当に粘り強い闘いを街頭でも職場でも闘うが、それが本当に労働者の闘いになるのかどうか。粘り強い闘いの中で資本と闘い、職場で闘い、そう言った中で本物になる。「展望」2号の中で日本の共産主義者が職場の中で労働者を組織していくという極めて困難な闘いについて論じている。我々は本当に戦前の先輩の闘いを学んで闘いを作っていく必要がある。

 非正規雇用労働者については我々の中でこの問題について取り組むのは時期尚早ではないかという意見もあるが、この問題について避けて通ることは出来ない。この問題は職場の中にある矛盾を外部に排除していくと言うことである。雇用形態が変わると労働者の中でも排除されていくという現実がある。連合の組合は雇用確保のために(正規社員の首を守るために)基本的に非正規雇用を受け入れていくべきだという立場である。その事によって非正規の雇用促進を認めてきた。この事の困難を突破するのは非正規の側から闘っていくしかない。今日労働者の4分の1は非正規である。この問題に力を入れずして闘いの前進はあり得ない。

 重要なことは国鉄闘争である。4社4団体による和解が本格的に始まる。これは国家的不当労働行為、つまり労働者の団結権を巡る闘い。これが重要な局面を迎えている。JR総連カクマルよる極めてどす黒い策謀が浮かび上がっている。詳しくは割愛するが最近松崎明(JR総連顧問・カクマル副議長)が「松崎秘録」なる本の中で、自分はカクマルではない、自分はヒューマニストだ、もう一つは動労千葉を取り込もうとしている。この本を読めば分かります。彼らによると1047名問題と動労千葉問題を解決すれば自分たちの力によってJR労働運動を再編し連合労働運動を再編することが出来ると考えている。先ほど述べたように連合労働運動は基本的に破産している。次の路線を求めている。その時にJR総連のニアリーイコール路線は新自由主義を労働運動の綱領にすると言う物である。断じて粉砕しなければならないし過小評価してはならない。

 安田派が行っていることはこういったJR総連の策動に棹さすものであると言わなければならない。郵政労働者の問題、教育労働者、自治体労働者、の問題などがあるが断固として取り組んでいきたい。最後に今秋決戦、100万人署名運動を断固として推進していく。そして10・5の3・30を上回る結集を断固として実現していきたい。本当に三里塚闘争の新たな発展を築いていく。反対同盟と固く結びついていく。9月22日の関実集会の成功を呼びかける。星野同志に再審棄却がなされたが断固として闘っていく。我々は少数であるがG8サミット決戦に登り詰めていくことが出来た。我々が改憲阻止建線のために全ての戦線の結集を呼びかけ断固として突き進んでいきたい。

 2008年8月 2日 (土)

 7・27革共同政治集会(関西派・革共同再建協議会)後編

 おことわり。文中「広島差別事件」の表記がカタカナでなされていた部分を漢字に改めました。カタカナで表現するのは8・6ヒロシマに関連するとの誤解を招くとの指摘を受けたためです。変換をする際に、第一候補として出てきた表記を安易に使用し、表現内容に付いての考察が抜けていたことを反省します。

 革共同再建協議会からは特別報告が行われた。

 最初に、先日全国から結集した同志によって革命的共産主義者同盟の再建をめざす全国協議会が結成された。1、2年をへて日本革命の責任党派として革共同を何としても再建する。現在革共同の名を掠め取っている安田派を打倒し、改憲阻止決戦の中で第一党派を目指す。そして正式の党大会を行い革共同を再建する。その為にこの1年、共に全力を尽くそう。

 安田派を打倒し革共同を奪還しよう。安田派中央は革命運動からの脱落・逃亡集団に転落しました。革命運動と階級闘争の妨害者になりはてている。もはやこの集団に革共同再生の芽はない。自らの内から安田派を生み出した痛苦な反省をテコに、革共同の全歴史を検証し、新たな革共同を再建しなければならない。あらゆる大衆闘争と統一戦線を破壊している安田派が、これ以上革共同の名を騙ることを許せば、反スターリン主義・革命的共産主義運動への絶望を生み出す。

 安田派がここまでの転落を深めたのは06年の3・14決起に打撃を受け、それに対する反動的敵対を強めたからだ。今日では反革命カクマル打倒を諦め、その闘いから脱落・逃亡している。自らをカクマルと一体化させ、それと同質の存在に純化することで延命を図っている。カクマルの本体である松崎・JR総連カクマルを批判できない。松崎が「松崎秘録」で動労千葉の中野洋顧問を4回も5回も名指しして一緒にやりたいと言っている。「そもそも彼は俺がオルグしたんだ」等と言っているのに松崎を正面の敵と断じて闘わない理由である。安田派が国鉄闘争、1047名闘争に絶望し、5・27臨大闘争弾圧裁判も分裂させたのも、カクマルに対する屈服、労働戦線の帝国主義的再編に対する反撃の闘いからの逃亡にある。

 スターリン主義、カクマル、安田派の3者は、共に革命運動の反動的妨害物。安田派はスターリン主義反革命のように物質的基盤としての支配国家・社会体制を持たない。カクマルと同様労働運動を基盤としている。前2者は民間運動形式を取る反革命として登場してきた。処が安田派は動労千葉を賛美し、防衛するだけだ。安田派が前2者と異なる点は、勝利した革命、或いは革命的闘いへの内部からの反動として登場してきたのではない。安田はには「粉砕」すべき「革命」が最初から存在しない。彼らが反革命的勢力を編成する力など持たない脆弱な存在であるのはこの事が根拠である。反革命に成りたくとも成れないのだ。

 安田派的変質は、01年の革共同第6回大会に始まった。今から考えると対カクマル戦争からの逃亡を宣言したのがこの大会だった。カクマル黒田の哲学を批判することでカクマルに勝利したという観念論しかない。対カクマル戦からの逃亡は、国鉄闘争での急速な展望喪失として現れた。この事がスパイ問題を階級・大衆の前に隠蔽したり、資本と権力の弾圧に対して「解雇は勝利」「弾圧有り難う」これは彼らの「共産主義者」に実際に書いてある。冗談で言っているのではない。敗北主義と闘争放棄につながる。三里塚闘争への敵対・破壊・分裂の策動、広島部落差別事件への開き直りは、もはや労働者の党とは言えないものに変質している。

 革共同再建の展望はどこにあるか。安田派は革命運動の反動的妨害集団であって、もはや変革、再生は不可能だ。革共同に人生をかけて、永年闘ってきた我々自身の総括と反省をかけて、切迫しつつある新たな世界革命、21世紀革命と2010年改憲阻止決戦の嵐のような戦闘的大衆運動と革命的大衆行動の爆発の中に安田派を引きずり込み、綱領的・政治的・イデオロギー的に追い詰め、解体していく。革共同に思いを寄せつつ安田派に留まっている同志達にも安田派からの決別を促し、我々全員がこの闘いの先頭に立つことが革共同を奪還する道だ。59年に僅か20人ほどで革共同第二次分裂を闘った故本多書記長を先頭とする革共同全国委員会の先輩達は60年安保闘争の先頭に立つことによって、わずか20人が1年半の闘いで西分派を圧倒し、60年安保ブントの全分派を、全ての革命的左翼を糾合し、階級闘争の首座に躍り出た。そう言う闘いを今から始めよう。

 21世紀革命の綱領を我々は準備していかないといけない。20世紀は1度の革命、2度の世界戦争、3度の革命情勢、2波の民族解放闘争の大高揚、1度の大恐慌と現在まで続く農業恐慌を経験した。90年代以降のスターリン主義の破産と帝国主義の危機の深化の中で、今21世紀野世界は労働者人民の困苦の増大、絶えざる叛乱・暴動、ストライキと街頭での衝突と言った革命的情勢の始まりを迎えている。21世紀の課題は、帝国主義の世界支配を根底から打倒し、プロレタリア世界革命を速やかに達成し、共産主義社会への人類史的移行を実現することだ。基本的生産関係において自らの労働力を商品として売らなければ生きていけない一個の階級、非人間的な搾取・抑圧を最も受けているが故に、全ての階級の解放の中にのみ自らの解放がある唯一の階級としてのプロレタリアートが、自己解放、普遍的人間解放の主体としてこの世界に立ち向かうことが勝利の展望を切り開く。

 我々の世界革命の綱領は反帝国主義反スターリン主義である。帝国主義段階・ロシア革命によって切り開かれた世界革命の過渡期・国際階級闘争のスターリン主義的変質と世界の「帝国主義とスターリン主義の世界化」帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制の全面的危機・戦争の危機の深まり、実際に恒常的に戦争が行われている。これが我々が変革すべき現代社会の目録であり、反帝国主義・反スターリン主義こそ世界革命の唯一の綱領的立場だ。

 現代帝国主義の70年代以降の新自由主義攻撃。74,5年恐慌で戦後帝国主義の過剰生産・過剰生産能力が全面的に露呈し、他方でベトナム革命と67年10・8羽田闘争が世界史的に切り開いた地平、勿論全世界的には68年のフランスの大激動・大激闘がある、と、民族解放=革命戦争の中期的高揚、ギニア・ビサウ・イラン革命やパレスチナ解放闘争などによって世界支配の危機に立った帝国主義は全面的巻き返しを、市場万能、規制緩和、労働者階級への階級支配の転換と金融資本の権力の復活と再興、新植民地主義体制諸国への略奪的収奪と再植民地化の攻撃として開始する。レーガン政権を中心とする80年代の帝国主義が、対スターリン主義対決=帝国主義間争闘戦として展開した。

 安田派は現代世界の対抗基軸を、帝国主義対スターリン主義、帝国主義対帝国主義の力学的対立としか見ていない。70年代以降の帝国主義の階級支配の転換、それによる帝国主義対労働者人民の対立の基軸性が抑えられていない。工場法以前の状態に世界史を200年も逆転させる様な労働者階級への階級支配の転換、資本の逆襲を先ず基軸的に捉える必要がある。ドル危機と帝間争闘戦の爆発にしか危機を見ない安田派の情勢認識は現代の戦争の性格も変容していることが捉えられない。恒常的或いは長期の対テロ戦争、国内治安と対外軍事問題の一体化。帝国主義本国にまで持ち込まれた民族解放・革命戦争、これが現代の戦争の基本問題。安田派のように「帝国主義は帝国主義である限り第3次世界大戦へと突き進むしかない」と客観主義的に構えていては話にならない。

 第6回大会の到達点と限界性。01年9月11日の米帝本国での民族解放・革命戦争の極限的爆発が起こり、第6回大会の情勢論、世界認識は破産した。篆刻主義本国での内乱、しかも民族解放=革命戦争の帝国主義本国での爆発、ムスリム人民の自己解放を求める武装闘争の全世界的爆発が、現代革命において決定的な位置を持つ。しかるに6回大会は、焦点としてのイラク・イラン・アフガニスタンについては全く一言も触れていない。また、01年には小泉と対決しない方針をとって都議選に敗北している。小泉の支持率が80%もあるから批判しないという間違った方針。現代帝国主義の新自由主義攻撃を全く見失っていたという点で両者は共通している。

 我々はサミット闘争を闘うことで世界革命の新しい息吹に触れ、日本の労働者階級に何が足りないかを学んだ。サミット闘争を通じて我々が掴んだ現代革命は、労働者階級こそ切り開くことが出来る。プロレタリアートこそ革命の主体、指導的階級であり、その団結が決定的に重要。人口の圧倒的多数を占め、基本的生産関係の担い手は、現代こそプロレタリアート。革命を実現して社会的生産を共産主義的に組織するのも革命のために党を作るのもプロレタリアート。安田派のように、プロレタリアートを自分の利益、自分の解放だけに追求する卑小な存在にしてしまうことはプロレタリアートの世界史的氏名を辱めるもの。我々は今こそ労働者階級の党を作り、賃労働・資本関係を通して労働者が働く職場の組織化、その叛乱と決起に、仲間を決して裏切らない関係の形成に。そして差別・抑圧と階級分断支配の問題、農民・農業問題などを闘うこと、そして何よりも労働運動と戦闘的労働組合の再建に全力を挙げなければならない。

 その為には青年の獲得に全力を挙げる必要がある。先日の釜ヶ先の暴動的決起では16歳、17歳の青年が立ち上がっていた。青年の決起論。レーニンの引用にあるが(レジュメではレーニンの引用が書かれていた)青年の組織化をメンシェビキに取られるような者は銃殺にしろと有る。そう言う気概を持って我々は闘うんだ。

 結論。2010年の改憲阻止決戦に向けて。2010年は日本の階級闘争と改憲阻止決戦にとって極めて重要な年となる。第1に、2010年は60年安保改定の50周年であり、半世紀を経て改憲阻止決戦が全人民的課題として大きく浮かび上がる。第2に、2010年は日帝による朝鮮併合100周年。1世紀を経て日本の革命的共産主義運動が被抑圧人民、朝鮮人民に信頼される革命運動であるかどうかが問われる。第3に、2010年の5月以降、何時でも改憲の発議が出来ると反動的国民投票法に定められている。敵階級の側からも労働者人民の側からも、この年が目標となることは確実である。第4にこの年にアジア太平洋経済協力会議が日本で開かれる。それまでに2009年中にも新安保共同宣言を発出すべきだという論議が日米政権内で持ち上がっている。因みに前回の日米共同宣言は1996年に出された。防衛大綱の見直しも予定されている。在日米軍経費の見直し。2010年を巡って、60年、70年を超え、戦後革命期を上回る革命的激動が始まろうとしている。我が再建協議会は、職場・地域・戦線で、この運動の先頭に立ち、改憲阻止の大統一戦線を築き上げよう。

 現代革命に勝利できる労働者階級の党を建設しよう。革共同を再生するために先ず、共産主義者、労働者共産主義者の存在、決意と団結の中に革命党の核心があることを確認したい。労働者細胞、特に工場細胞を重視したい。細胞というのは地域にも戦線にも、機関にも出来るが、工場細胞に根ざした党というのがレーニンが唱えた党であるし、我々が三全総で目指した党である。これを捨象して闘うことは出来ない。結論。今秋の福田政権打倒闘争を改憲決戦の一大突破口に。今秋闘争を展望する場合、9・11のようなことがこの日本で今日明日にも起こるような事がある。この中でこの秋の闘いを行う。二つの重要な闘争。8・6のヒロシマ反戦闘争。もう一つは10・5三里塚現地闘争。この二つは日本の反戦闘争、住民闘争の重要な節目である。我々が政治勢力として登場する最初の節目、関門だ。この秋の闘いにおいて、本日の集会に結集した人が新しい人を結集して断固としてこの二つの闘争を打ち抜きたい。

 カンパアピールでは自立した共産主義者の党の建設のために圧倒的なカンパが呼びかけられた。関西新空港闘争における安田派による発言妨害に対する怒り、新空港闘争などどうでも良くなっている安田派の腐敗を断罪した。更に戦闘的労働運動を標榜しながら国労臨大闘争においては事務局員が関西党員総会に参加したことをもって解任し、それに反対した弁護士も解任し、分離公判を要求するという闘争破壊をしてのけた。彼らにとっては運動や闘争はどうでも良いのである。自分たちの党派的利害しか眼中にないと徹底的に批判した。

 続いて各戦線の報告に移り、最初に国鉄戦線の労働者が発言に立った。08年前半の最大の闘いとしてサミット決戦があった。神戸・大阪・京都・洞爺湖と闘い抜いた。サミット決戦を闘い抜くことで今秋決戦の展望を切り開いた。闘う闘争団断固支持を貫いて闘ってきた。地域の街頭宣伝、、2月神戸、3月の新大阪駅でのハンスト支援を闘い抜いた。全動労判決で不当労働行為、慰謝料認めた。鉄道運輸公団訴訟では反動判決。鉄建公団訴訟では和解勧告。5・27臨大闘争弾圧は革共同だけでなく全国鉄労働者・全労働者の問題だ。安田派は分離公判を要求したために裁判闘争は危機にある。職場闘争安全闘争について、分会闘争を丁寧に積み上げている。JR西日本の安全管理責任を追及し、春闘では要求を突きつけて闘った。革共同の歴史的総括、国鉄闘争の総括をやり抜き共に闘っていこうと結んだ。

 郵政労働者戦線からは、サミット決戦を20名の派遣団の一員として闘い抜いた労働者が発言した。安田派は動労千葉特化路線も貫徹出来なかった。自立した共産主義者、一人の共産主義者として闘う。民営郵政との対決では、安田派は民営化反対を唱えながら神矢さんを(全逓四・二八闘争元原告。解雇撤回を勝ち取り職場復帰を果たした労働者)排除した。民営化前にしたことは一週間前に個人的な超勤拒否闘争だけであった。10月1日には大阪中郵前で民営化反対の闘争を組んだが、安田派はこれもネグレクトした。JP労組は闘争を弾圧する体制である。制裁条項が格段に強化された。「全逓」のハチマキをしていたら組合から処分された。組織統合で支部再編が行われ、厳しい状況にあるが、関トラ闘争を支持し、郵政労働運動、戦闘的労働運動を牽引していく。

 教育労働者戦線からは「日の丸」「君が代」強制攻撃と真っ向から対決し、職場労働者・生徒の決起を勝ち取った労働者が発言に立った。91年5月テーゼ以来、職場に入ろうと努力してきたが、党の官僚的あり方では齟齬が生まれていた。3・14以後にようやく職場に入っていくことが出来た。その結果、労働者も生徒も殆どが卒業式で座った。教育労働者は日々の教育の労働に全てをかけて生きている。ここにリンクして憲法決戦を闘いたい。安田派は誹謗中傷しようと躍起になっている。追放するために全力で闘っていく。

 民間・合同労組の闘いは関西合同労組からなされた。6月に安田派の妨害を払いのけて定期大会を開催した。20代30代の青年労働者の多くは非正規労働者で、生活が出来ない。大企業は空前の利益を上げている。このような状況の中で東京(秋葉原)のような悲惨な事件が起きたと思う。現実に闘わなければ生きていけないと自覚した青年労働者が闘いに立ち上がっている。隣の労働者を組織し憲法改悪阻止に立ち上がるようにしたい。関西合同労組の組織拡大に全力を挙げる。

 医療福祉労働戦線の労働者からは、病院細胞の労働者が発言に立った。与田による官僚的支配の下にあったために多くの労働者が3・14決起に参加した。安田中央体制の腐敗は許せない。今まで支えてきたことを反省し、革共同奪還のために闘う。帝国主義は破綻している。貧困と飢餓を強制している。ここ数年で世界の人民の激しい怒りの標的とG8はなった。搾取・収奪は局限化している。漁民への搾取、被差別人民への抑圧。後期高齢者医療制度への怒り。厚労省の医療破壊攻撃。たらい回しで患者が死亡する。20万床の削減がなされようとしている。病院労働者はギリギリの状況で働いている。月12回の当直という状況。募集しても応募がない。安田派は労働者の怒りを執行部に向けようとするファシズム運動を組織しようとしている。コッソリ置きビラをしていることに対して職場委員会に来て文句を言ったらというと絶句している。福田政権に対する怒りも組織できないでいる。私たちはプロレタリア革命のために武装し闘う革共同を奪還する。革命情勢を革命に転化するために闘い抜く。

 決意表明として、最初に青年労働者が発言に立った。今多くの労働者が不安定雇用の下に置かれ団結を分断され、生活できないような賃金水準。全労働者の4人に一人がワーキングプア。青年層では2人に1人。トヨタなどの大企業は史上空前の経常利益。労働者が倒れてもまた雇えばいいと言う対応。労働者を極限的に搾取し、未来に展望を持てない。東京の秋葉原の事件を起こした青年労働者も5年間非正規労働者として転々としていた。大企業は利益を独占する一方で青年の生活を破壊してきた。小泉「改革」による労働者派遣法改悪などがある。犯罪に走るのもこれらの性である。労働運動が弱いから。共に団結し闘う労働運動を組織していく。改憲阻止闘争も頑張る。職場の闘いを下に改憲阻止闘争を闘う。その軸に青年労働者が立つようにする。

 女性解放戦線。帝国主義の支配は差別や分断を不可欠の要素としている。差別抑圧との闘いは改憲阻止闘争の重要な要素だ。被差別・被抑圧人民の組織化を断固として闘う。女性の解放無くして労働者の解放はない。同時に労働者の解放無くして女性の解放はない。一方のみを取り上げるのはマルクス主義の偽造だ。安田派は女性が女性差別に怒ることは反階級的だとして女性差別を煽っている。女性の組織化は進んでいないが、女性が置かれている現状。男性は家事を分担することで女性が新聞を読む時間もない現状を無くして下さい。政府が言うワークバランスは女性を家事と労働で極限的に搾取することである。女性が自立して生きていける十分な賃金と年金を要求しよう。女性の組織化のためには地域の取り組みが大切である。隣近所の女性が誰でも参加できる学習会や集会を組織しよう。公明党や共産党が強い地域でもやり抜こう。本物の女性解放闘争を作っていくチャンスである。共に担って下さい。

 障害者解放戦線からは、満腔の怒りをもって安田派の変質を弾劾した。7月テーゼで諸戦線を地区党に移行させようとする事が決別のきっかけである。7・7路線を放棄することだ。それが行き着いたのが広島差別事件である。差別を開き直る安田派を弾劾する。全国連の博治津差別事件糾弾に断固として連帯していく。安田派は毎年行ってきた「障害者」解放戦線の全国会議を一方的に中止した。更に「障害者」解放戦線の同志を一方的に除名してきた。「障害者」にとって差別抑圧と闘うことは死活をかけた問題だ。7・7を巡って決別したのは差別抑圧の問題のみ成らずプロレタリア革命の綱領的問題であるからだ。労働者の解放無くして被差別被抑圧人民の解放無し。被差別被抑圧人民の解放無くして労働者の解放無し。それを前者のみに一面化しているのが安田派。後者を切り捨てることに核心がある。労働者の特殊的解放が全人民の解放であると捏造している。広島差別事件に行き着き、糾弾権を否定するに至った。同じ事が4月の入管集会でも行われた。労働者を糾弾することがあってはならないとしている。

 教育指導要領に独島を日本領として明記しようとしているこの時に、差別抑圧との闘いを労働者階級の自己形成の柱に据える革共同の7・7自己批判の路線は益々重要性を増している。帝国主義の差別排外主義への労働者階級動員攻撃との対決が重要であるときにこの問題を取り上げると労働者階級への絶望を組織しているとか「血債主義」「糾弾主義」だ等と言うが、本当に労働者を信じていないのは安田派の方である。我々は労働者の自己解放性を確信しているし、だからこそ「障害者」は革共同に結集して闘ってきた。被差別人民の糾弾は労働者階級への決起の呼びかけであり、自己変革出来る階級として労働者階級を信じているから行うのだ。プロレタリア革命の指導的階級として階級形成する能力を持っているからこそ糾弾するのだ。安田派こそ労働者の自己変革能力を信じていない。

 本多書記長は述べている。「プロレタリア自己解放の闘いは、同時に人間が人間として全て解放されるという世界的な、全地球的な状態を作り出すことなくしてはあり得ない」全くその通りだと思う。だから我々は再建協議会に結集して闘い抜く。06年3・14決起の道を受け継ぎ全力で闘う。日帝打倒まで闘うことを決意して決意表明とします。

 星野再審棄却を弾劾する特別決議採択にあたり、再審棄却を知った直後の星野さんのメッセージが代読された。「全く、事実・真実を見ない不当な決定です。許せません。真実は、我々の側にあります。我々が目指すものの大きさを権力が圧殺しようとするのは無理です。我々の目指すものの大きさと正しさ、その二つで再審実現を目指して闘います。勝てる力が我々にはあります。1回2回で通るような再審ではないと思います。一番大切なのは、腐らないことです。我々の正しさに確信を持ち、力を数倍、数十倍にして第2次再審で勝利しましょう。08年7月16日 星野文昭」(星野さんは71年の渋谷暴動闘争において機動隊員一名が死亡したことについて、不当なでっち上げ裁判が行われ、無実の罪で無期懲役刑を言い渡され33年間囚われの身となっている。日共スターリン主義の頭目であった宮本顕治の「獄中12年」を遙かに超える期間を非転向で闘い抜いている。)

 スローガンの採択が行われ、以下の6つのスローガンが採択された。「自衛隊海外派兵恒久法を粉砕しよう! 戦争国家化攻撃を粉砕し、改憲を阻止しよう!」「自衛隊のイラク・アフガニスタンからの即時撤兵を!」「貧困と格差社会をうちやぶる戦闘的労働運動をつくりだそう!」「後期高齢者医療制度、『障害者』自立支援法の撤廃を! 社会保障の解体反対!」「差別主義・排外主義に転落し、あらゆる大衆闘争と統一戦線を破壊する安田・清水体制を打倒しよう!」「革共同の歴史的総括をやりぬき、反帝国主義・反スターリン主義世界革命党を建設しよう!」

 集会の最後に団結頑張ろうとインターナショナル斉唱が行われた。そして集会の参加者は310名、カンパは116385円と報告された。

 日付が変わる前に掲載したかったが、間に合わなかった。集会に参加しての印象は、他党派の現役活動家・元活動家が多く参加していたと言うことだ。関西派・革共同再建協議会が統一戦線や共同闘争を重視している様子が如実にうかがえた。


 週刊『前進』(2360号3面2)(2008/09/22 )

 革命軍のアピール転向スパイ集団に転落した塩川一派を完全に打倒せよ

 革命軍は満腔(まんこう)の怒りをもって、塩川一派の国家権力への屈服と転向、スパイ行為を弾劾し、徹底的に粉砕することを宣言する。塩川一派は革共同から脱落して1年もたたないうちに史上最悪の転向スパイ集団に転落した。塩川一派発行の『展望』2号には「革共同史の総括」なる組織暴露が公表され、さらに『雲と火の柱―地下生活者の手記』なるタイトルで「革命軍の活動」を暴露する回顧本が出版された。彼らが日帝権力に対して革共同と革命軍破壊の意志を表明することで階級的裏切りを誓った記念碑的な代物である。塩川一派はつい先日まで革共同の内側にいながら、組織的に脱落した途端、共産主義者としての自己解体と腐敗を極め、反マルクス主義の最悪の転向スパイ分子になり果てた。階級的一掃、打倒、解体あるのみである。革命軍は、塩川一派を徹底的に粉砕・打倒する闘いに決起することを宣言する。

 革共同の「内部情報」を権力に売り渡す大罪

 『展望』2号には「飛田一二三」署名の「革共同史の総括深め、新たな革共同を創ろう」と題した、デマに貫かれた「組織暴露」記事が掲載されている。路線的な議論とは程遠いこの暴露文は、06年の「与田打倒」前後の党中央動向と、塩川が短期間、中央指導部の一員である間に得た情報を、塩川的なデマに基づきデッチあげた代物だ。塩川の脱落・逃亡を合理化する後付け文である。

 この暴露文は、実際にはその後、労働者党員の決起によって塩川らが打倒され脱落・逃亡したことで実践的に粉砕され、結果が出ているものではある。しかし筆者「飛田」=塩川はこれらをすべて塗り隠し、革共同破壊のための非難攻撃を策動しているのである。

 問題は、この文書が「批判」らしきものを装って当時の政治局員や会議、会話なるものを暴露し、「中央組織内情報」を権力に提供する行為を内側から全面的に行っていることである。この文書の真の狙いは党内論争や総括ではなく、塩川的デマに貫かれた「党内情報」の公表、「党中央内部情報」の権力への通報=ゲロなのである。

 かつて革共同の元同盟員で、これほど政治局員の名前を次々と暴露したり、組織会議とそこでの発言なるものを公にしたりした者はいなかった。塩川は中央批判を装いながら、実は権力に向かっての組織暴露を何の警戒心もためらいもなく行っているのだ。

 塩川は非公然活動において、最高指導部であることから大量の文書を集め、それを丸ごと権力に奪われる大敗北を3度も(86年長野、89年奈良、91年滋賀)も繰り返しながら、その階級的裏切りに気づかない人物だった。内戦期に権力との闘いで勝利できないまま浮上したのだ。そして今また塩川は、路線闘争に必要でない「内部情報」を権力に積極的に提供して恥じない。ここまで権力に対する武装が欠如してしまった者を指導部としている塩川一派とは一体何か。信じられないほどの脱落、転向ぶりであり、権力にとって最高のスパイ分子への転落である。62年の三全総で分裂脱落し、反革命に転落したカクマルと同じだ。脱落逃亡分子・白井朗以上の階級的裏切りだ。塩川は絶対に許されない反階級的大罪を犯した。

 また『雲と火の柱―地下生活者の手記』なる回顧本は、実に虚無的でみじめったらしい筆致と清算主義的文章でなりたっている。戦闘性がまったくないこんな本が、「雲と火の柱」という革命軍出版物の象徴的で歴史的な、輝かしいタイトルを使っていること自体がまったく許せない。

 階級闘争から脱落逃亡して「回顧本」発行

 「地下生活」を語って権力にその存在形態を明らかにした塩川一派は、ここでも階級的大裏切りを露呈した。非公然活動の内情や生活を、たとえ一部であれ手記にして出版したことなど、わが党は一度たりともない。革命党の組織情報を内側から暴露していいものは一つもないからだ(塩川一派の「完黙はケースバイケース」など論外だ)。

 塩川一派にとって、革命軍が現に今、非公然活動を闘いぬき、権力と日々対峙し勝利している闘いなど、完全に過去のものとなっているのだ。階級決戦の武装的発展を戦いぬける体制を堅持し、階級的要請があれば直ちに戦場におもむく決意で闘っているわが革命軍は、彼らにとってまともに見据えられないもの、あってはならないものなのだ。彼らは、現下に激しく闘われているプロレタリア階級闘争の烈火の戦場から逃亡し、すでに激突を過去のものとした者たちだ。彼らには革命や革共同を口にする資格などまったくない。

 プロレタリア革命の路線を進めるかぎり、本質的に非公然である革命党組織の存在形態を堅守し、敵権力と日々対峙して勝利しぬくことは、絶対に実践的に貫かなければならない闘いだ。革命軍が日帝権力による追及を粉砕し、自由な活動と存在の空間を確保し抜いていることは、帝国主義打倒にとって戦略的な意義をもつ闘いである。だが塩川一派にとっては、この闘いなど、もう過去の物語なのだ。だからこそ関西での当時の会議のもち方や場所、存在形態、活動原則などを、デマを連ねて平気で暴露できるのである。

 階級的労働運動路線は労働者階級の圧倒的な決起のもとでゼネスト―一斉武装蜂起としてのプロレタリア革命を実現する路線である。これに全面敵対する塩川一派は、言葉の上で「内乱・内戦―蜂起」などと口にしながら、実際にそれを準備する闘いとはとっくに無縁であり、権力との対決の緊張感もなくなっている。最悪の転向スパイ集団に転落したのだ。

 革命に絶望しマルクス主義捨て内的崩壊

 今訪れているプロレタリア革命の時代への躍動、そこに向かう労働運動の全面的展開――こうした闘いができる自由な時間・空間をもぎりとった戦いこそ二重対峙・対カクマル戦だった。この積極的な確信は、先の回顧本のどこにもない。

 「これまでの20年とはなんだったのか、そのようなことは考えなかった」と言いながら、この本は自らの過去の闘いへの疑念と後悔に満ちている。つまりこの本の特徴は、70年〜80年代をとおして全党・全軍が血を流して切り開いた二重対峙・対カクマル戦、先制的内戦戦略のP1、P2段階の勝利の階級的意義を積極的に確認できないことである。それは現在の闘いに積極的意義を見いだせない塩川一派の現実そのものなのだ。わが闘いの圧倒的成果が今こそ花開き、実を結ぼうとしているこの時にだ。

 革共同は、二重対峙・対カクマル戦に規定された特殊的闘い方から、91年「5月テーゼ」で労働者の階級的決起に依拠したオーソドックスな武装蜂起戦取の路線への全面的転換を決断した。そして01年の第6回全国大会で対カクマル戦の勝利を宣言し、それに続いて新指導路線―「党の革命」に突き進んでいった。

 しかし彼らは「5月テーゼ」転換の意味も、プロレタリア革命のマルクス主義的理解もできないまま、与田打倒の「06年3・14決起」を行った。それが労働者同志の自己解放的決起と飛躍、路線的勝利の一環であったことが、まったく理解できなかった。彼らは「3・14決起」を戦術主義と党内権力争いの狭い領域に押し込み、自らの官僚的私有財産のように切り縮め、囲い込んだ。それによって彼らは「3・14決起=党の革命」への労働者同志の圧倒的な結集と全国的決起、労働者党員の指導部への飛躍、本格的な労働者党建設の闘いから完全に脱落し、はじき飛ばされ、それを反動的に開き直っていったのだ。

 筆者「高井戸」がこれほどまで虚無的な雰囲気をふりまいている根拠は、塩川一派のプロレタリア革命路線への無展望(絶望)、マルクス主義からの転向、内的自己崩壊である。少しでもプロレタリア革命への執念、こだわりがあれば、このような階級的転向・裏切りへの転落は絶対にありえないことだ。

 塩川一派粉砕し11月1万人結集へ闘おう

 われわれは生死をかけた革命的内戦で革命党=革共同を守り、プロレタリア革命の拠点、動労千葉、法政大学生運動、三里塚闘争、部落解放闘争などを反革命から守り抜いて勝利してきた。とりわけ動労千葉の闘いは今、全国―世界へと全面的に広がり、プロレタリア日本革命―世界革命へと羽ばたいている。

 動労千葉が国鉄分割・民営化攻撃に断固ストライキで闘い、今日の勝利を切り開いている現実の中に、階級的に団結しマルクス主義を貫徹して闘ってきた実践的回答がある。「安田打倒」などと、動労千葉とその指導部への敵対を組織する塩川一派のもとでプロレタリア革命の勝利などあるはずがない。だから彼らは、国鉄1047名解雇撤回闘争を解体する4者・4団体路線をあろうことか「断固支持する」と表明しているのだ。

 今や塩川一派は、階級的労働運動路線、マルクス主義と7月テーゼに全面的に敵対し、「革共同憎し」「動労千葉憎し」を唯一最大の動機とする、路線なき革命党破壊集団、最悪の転向スパイ集団に転落した。塩川は、権力への投降者として歴史のくずかごに捨てられ、解体されるべき存在に転落した。

 塩川に追随している人たちに尋ねたい。史上最悪のスパイ行為をやっても恥じない塩川らのもとに、これからもずっと付き従うのか? これまで自分が人生をかけ、生死をかけて闘い抜いてきた反革命や権力との闘いを投げ捨てるのか? プロレタリア革命の道が塩川一派のもとにあると思うのか?

 動労千葉など闘う3労組が呼びかけ、世界金融大恐慌と福田打倒情勢の中で闘われる11・2労働者集会は、全世界の労働者階級の解放をかけた大集会だ。この闘いの中に差別と民族抑圧をも根底的に打ち砕く力がある。国際連帯の広がりがそれを示している。そして、1万人結集実現の中に革命の現実性があるのだ。

 革共同中央や革命軍の組織暴露を行った塩川一派を絶対に許さない。われわれは、塩川一派の粉砕・打倒のために総決起する。塩川一派の敵対を粉砕し、11・2労働者集会1万人結集を絶対に実現しよう! 日本革命をこの手に握りしめよう! ともに闘おう!

 週刊『前進』(2364号5面1)(2008/10/20 )

 マルクス主義解体の転向スパイ集団 アナクロ化した小ブル革命主義とズブズブの市民主義の雑炊物 塩川一派粉砕し11・2総結集へ

 動労千葉労働運動への敵対

 革共同から脱落・逃亡した塩川一派の腐敗は、党の中枢的・非公然的な「組織情報」を、塩川的なデマゴギーに基づいて権力に公然と売り渡して恥じないという決定的な新段階に入った。かつて類例のない転向スパイ集団への転落である。不当逮捕攻撃に対して完黙・非転向を貫く立場を否定・解体したことが、ついにここまで行き着いたのだ。

 このことは、塩川らと今も行動を共にしている人や塩川一派に追随している人たちにも、その政治的立場を真っ向から厳しく問うものである。この最悪の転向スパイ分子に転落した塩川らを今後も支持し、どこまでも彼らについて行くのかと!?

 それと同時に、塩川らの思想的路線的な本質こそは、プロレタリア自己解放の思想・理論としてのマルクス主義の否定・解体であり、プロレタリア革命への敵対である。その現実的な最大の表現が、階級的労働運動路線と7月テーゼに対する反対であり、そして実践的には動労千葉労働運動と11月労働者集会への憎悪と敵対だ。この意味では塩川一派は、プロレタリア革命に対する背教者であり、現代のカウツキー主義そのものだ。

 さらにマルクス主義と階級的労働運動路線への敵対は、今やアナクロニズムそのものと言える塩川一派の小ブル革命主義を全面開花させている。しかもそれが現実の運動ではズブズブの市民主義、体制内労働運動への埋没として現れる。解雇撤回を投げ捨てた4者・4団体路線への支持が、今日的なその象徴だ。塩川一派とは小ブル革命主義と市民運動主義の奇妙な雑炊物である。

 われわれは、このような塩川一派が革共同への敵意と破壊の意図をむき出しにして、動労千葉労働運動と11月労働者集会に敵対することを、これ以上、絶対に許さない。

 プロレタリア世界革命に向けて積極的主体的に開始された〈党の革命〉を貫徹し、革命的な労働者階級の党として革共同自身が生まれ変わるためにも、また当面する11・2労働者集会の1万人結集を実現するためにも、塩川一派との闘いは極めて重要であり、価値創造的な意義を持っている。

 時あたかも、29年大恐慌をもはるかに超える世界金融大恐慌が爆発している。最末期帝国主義の新自由主義とグローバリズムは見るも無残に破産し、資本主義・帝国主義はガラガラと崩れ落ちている。全世界で革命情勢が成熟している。今こそ労働者階級の団結と決起で資本主義を転覆し、労働者階級が社会の主人公となる時代が到来した。

 11・2労働者集会こそ世界金融大恐慌を迎え撃ち、戦争・改憲と労働者への階級戦争を狙う麻生政権を打倒し、プロレタリア世界革命を切り開く決定的な闘いだ。塩川一派や4者・4団体などの敵対を打ち砕き、11・2日比谷野音への1万人結集をかちとるためにあらゆる闘いをやり抜こう。

 91年「5月テーゼ」をも否定

 塩川一派は、6〜7月サミット決戦において、仮にも「政治党派」を名乗る集団としては見るも哀れな姿をさらした。北海道現地まで足を運んだものの、「統一戦線」と称して、ただ他人が企画した体制内的な行動の尻尾に、数人でくっついて歩いただけだった。

 逆に彼らは、動労千葉の呼びかけのもとに実現された6・29渋谷での青年労働者を先頭とする階級的戦闘的な実力デモの爆発と、北海道現地での闘いの高揚に圧倒され、完全に打ちのめされた。それゆえに塩川一派は、サミットに集まった帝国主義首脳らと同様、世界金融大恐慌の爆発と未曽有の革命的激動期の到来におびえ、労働者の団結と実力デモへの敵意を募らせたのだ。

 そしてこれを契機に、革共同と動労千葉を先頭とした階級的労働運動への塩川一派の新たな敵対が始まり、転向スパイ集団へと決定的に転落した。7月末の関西での彼らの「政治集会」 とそれに併せて発行された『展望2号』、および『雲と火の柱―地下生活者の手記』こそ、その反革命的な転換点だ。

 とりわけ『展望2号』の「飛田一二三」署名の塩川的デマで塗り固められた雑文こそは、「総括」や「路線論争」に名を借りて権力に革共同の組織暴露を行う、天人ともに許さざる最悪のスパイ行為だ。

 そこには革命運動や階級闘争を闘う者としての最低限の倫理も原則もない。ただただ革共同破壊の転向スパイ分子に転落した、塩川のどす黒い反革命的な姿があるだけだ。塩川的デマゴギーで革共同の歴史をねつ造し、革共同憎しの一点からついにここまで行き着いた塩川と塩川一派の策動を、怒りをこめて絶対に粉砕しよう。

 “対カクマルの軍事総蜂起を”

 塩川らは「革共同党史の深化」と称して、歴史のねつ造と党的敵対を全面化している。彼らは、革共同の91年五月テーゼを否定して、次のように言う。(以下の引用はすべて『展望2号』掲載の「飛田論文」と、その政治的部分をテーゼ的に整理した「7・27政治集会へ結集せよ」から)

 「革共同中央は……新自由主義とソ連スターリン主義崩壊後の現代世界に対する革命的時代認識を91年の5月テーゼ以降も形成確立することができず、時代と情勢に戦闘的革命的に対応しえなかった」「5月テーゼによる路線転換が根本的に問題性をはらんでいた」「(80年代に)革共同中央は、国鉄分割・民営化の階級的攻撃を、開始された新自由主義との最先端の階級的攻防としてとらえることができなかった」「根本的には、サッチャー・レーガン・中曽根の世界史的な大反動との階級決戦という認識を確立できなかった」「(したがって)80年代日本階級闘争は敗北した」「(だが)その総括がない」。

 ではこれに対して、塩川らはそもそも革共同はあの段階で(80年代後半)どうするべきだったと言っているのか。

 「『国鉄分割・民営化絶対阻止、日本帝国主義打倒』をかかげて、黒田・松崎=動労カクマル打倒をめざす全党・全軍・全人民のすべてをかけた総蜂起を組織すること……」「国鉄分割・民営化決戦は、70年代の二重対峙・対カクマル戦を全人民的な反ファッショ解放戦争として発展させていく、革共同の先制的内戦戦略の真価を発揮するチャンスであった。全産別、戦線、地域から巨万の決起を実現するため、そしてこの決戦の只中で反革命カクマルを完全打倒するために、全党・全軍が総蜂起するときだった」

 なんのことはない。「巨万の決起」などと言っているが、要するにJR総連カクマルに対し、革命軍を先頭とした軍事的総蜂起戦をやればよかったと言っているだけなのだ。

 しかも彼らのこんな言辞は、なんら責任ある真剣なものではない。そもそもマルクス主義的、プロレタリア革命的な観点がかけらもなく、80年代の世界史的な階級的現実もない。何よりも労働者階級の現実と闘い、動労千葉のスト決起のもつ歴史的意義がまったくない。いや労働運動を無視・抹殺している。

 これはただ口から出まかせの、アナクロ的でインチキな小ブル革命主義の極致だ。真に情勢に対応しぬくための、党と動労千葉を先頭とする労働者階級の血の出るような80年代の真剣な闘いと実践、その総括の中から、5月テーゼは生まれてきた。それを豊かに主体的に総括せずに、今になって「対カクマルの軍事的蜂起をやるべきだった」などと、空論的言辞を対置し意気がっているのは、彼らが反マルクス主義であり、労働者階級と労働運動の実践的立場を完全に投げ捨て、アナクロ化した小ブル革命主義にひたりきり、階級闘争から召還していることの証明だ。

 彼らの言辞が、空疎で観念的なものでしかない一番の証拠は、彼らの動労千葉に対する次のような言及に示されている。「国鉄分割・民営化と総評解散・連合結成についての深刻な総括をすりぬけて、動労千葉が生き残った……ことをもって、『国鉄分割・民営化攻撃に勝利した。よって80年代に勝利した』などとする安田派の総括は、根本的に間違っている」

 80年代の新自由主義攻撃、国鉄分割・民営化との闘いの世界史的意義などと言いながら、その実、動労千葉の決定的な存在と闘いをまったく否定・抹殺し、階級的労働運動路線を動労千葉による革共同の簒奪(さんだつ)だなどと悪罵するのが塩川一派なのだ。

 しかし動労千葉の2波のスト決起を先端とする国鉄分割・民営化との闘いこそ、JR総連カクマルとの死闘として、二重対峙・対カクマル戦の決定的な環として闘われたのだ。動労千葉は労働組合として、国労・総評指導部の総屈服をのりこえ、唯一、分割・民営化と原則的階級的に闘いぬくことで、対カクマル戦をもものすごいレベルでやり抜いた。だからこそ革共同は5月テーゼを打ち出せ、階級的労働運動路線も確立できたのだ。

 ここを主体的に総括できない塩川一派は、階級的労働運動路線とマルクス主義=プロレタリア革命の立場に反対して革共同から逃亡し、転向スパイ集団に転落したのだ。

 労働者階級への不信と絶望

 06年3・14の〈党の革命〉とは何だったのか。その本質はどこにあるのか。ついに全世界で成熟してきた革命情勢に対して、労働者階級の歴史的な決起、階級的労働運動の全面的発展をもって革命的に立ち向かおう、それを可能とする党を作り出そうということだったのではないのか。しかし、この闘いから逃亡した揚げ句に、革共同破壊の反党集団、転向脱落集団に成り果てたのが塩川一派だ。

 彼らには、〈労働者階級の革命的本質、革命的能力、その偉大な自己解放闘争の力への確信〉が致命的に欠落している。塩川一派は労働者階級への不信と絶望を基礎とした、本質的に無力な反革命的集団である。

 彼らは革共同の歴史と闘いの中から何とか自分らの武器となるものを探しだそうとしているが、革共同は塩川らが勝手に思い込んでいるような党ではない。革共同は、創成以来、三全総以来、また70年安保・沖縄決戦から先制的内戦戦略のフェーズT・フェーズUをとおして、基本的に労働者階級自己解放の原理を核心に据えて闘ってきた党だ。まさに塩川らに欠けているのは、〈プロレタリア革命とは労働者階級自身の自己解放闘争の荒々しい爆発だ〉という思想である。

(1)塩川一派は、動労千葉労働運動の世界革命をめざす階級的労働運動としての階級的=革命的本質を、まったくつかむことができない。動労千葉労働運動こそは、ついにかちとられた、マルクス主義を貫く階級的労働運動の具体的創造形態なのだ。それこそ〈賃労働と資本の非和解性〉を踏まえ、経済闘争を断固として闘うと同時に、マルクスの言う賃金鉄鎖の打破(=プロレタリア革命)に向かって階級的団結を打ち固めて闘いぬく労働運動としてあるのだ。つまりそれは職場・生産点の激闘から労働者階級自身が革命への道を切り開く闘いである。

 さらに、階級的労働運動として、職場・生産点に根づいた革命的共産主義運動の現実的形態としても自己を実現していく運動である。その組織的結実こそが、労働組合における階級的団結の強化と拡大であり、労働者細胞の形成・強化なのである。だからこそ、職場・生産点に根付きつつ、まさに労働者階級によって担われる政治闘争が、そこから同時に形成され発展していくのである。

 塩川一派は、このような動労千葉労働運動の階級的普遍性をとらえることができず、「闘う労働組合の一つにすぎない」などと言ってその革命性を否定しているのだ。

(2)また塩川一派は、党を労働者の党・労働者自己解放の党として作ることを否定する。つまり労働者的実体に圧倒的基盤をおいて党は前進していくのだという、マルクス主義の根幹が欠如している。そのため今や何と5月テーゼをも全面否定するにいたった。

 5月テーゼを打ち出した90年代冒頭は、フェーズT・フェーズUの勝利を踏まえ、労働戦線での革共同の党勢の現実を直視し、まさに労働者階級の職場・ 生産点での階級的組織化に全力をあげるべき時だった。それをさらに対カクマル総蜂起戦をやるべきだったなどと言うのは、革命を労働者階級の行為として考えない小ブル革命主義そのものだ。

(3)現実には彼らは、アナクロ化した小ブル革命主義と一体で、また動労千葉やマル青労同の闘い、その革命的スローガンに反発して、体制内労働運動の内部で体制内指導部の影に隠れてチョロチョロするエセ労働運動路線を打ち出している。だが今日、体制内ダラ幹支配との真っ向からの激突と分岐をつくり出すことなしに、労働組合の闘う再生や階級的団結の形成などありえない。

(4)塩川一派のあり方、政治的もくろみは、6・29サミット決戦の爆発を頂点とする08年の革共同の闘いによって完全に粉砕された。その迫力に打ちのめされた彼らは『革共同通信』などでも、これらの闘いに何も言及できない。それでいて「怒れる青年労働者が革命を求めることやストレートに革命をスローガンとして打ち出すことを、我々は支持する」などと言っている。しかし自分たちは「ストレートに革命を打ち出す」つもりなどまったくない。まったくマンガだ。

(5)さらに、〈7月テーゼ〉に基づく諸戦線での新たな闘争は、塩川一派との党派闘争としても著しく前進している。
 労働者階級の解放はまさに特殊階級的解放でありながら、同時にそれは普遍的解放にほかならない。だからこそプロレタリア革命による階級の廃絶をとおして、資本主義・帝国主義の一切の社会的差別・抑圧を廃絶していくことができるのだ。だからこそ労働者階級は、その自己解放の普遍性の内部に、諸差別からの解放を主体的に位置づけ、切り開いていくことができる。また被差別・被抑圧人民は労働者階級の決起と結合し一体化することによって、自己の解放の展望を開くのだ。
 ここに階級的労働運動路線における諸戦線の解放闘争の勝利の道がある。しかし塩川一派は、ここでも反マルクス主義を振り回して、路線的破産をさらけ出している。

 革命的情勢の到来への恐怖

 最後に。塩川一派には現在の情勢に立ち向かう革命的情勢論も、世界金融大恐慌論も存在しない。革共同に対し「恐慌待望論」などと言って批判しているつもりになっているが、笑止千万だ。まさに彼らには、今現に音を立てて進行している世界金融大恐慌と、そこから生み出されている革命情勢への恐怖、革命の現実性への恐怖と敵対しかないのだ。

 結局、塩川一派は、現代の背教者カウツキーとしてプロレタリア革命に背を向け、革命に敵対する集団だ。恥ずべき転向スパイ集団に転落した塩川一派を怒りを込めて粉砕し、完全打倒しよう! 塩川一派や4者・4団体の敵対を打ち砕き、11・2労働者集会の1万人大結集をかちとり、プロレタリア世界革命勝利への血路を切り開こう!




(私論.私見)