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中核派に入ったきっかけは何ですか。 |
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2015年に東大入学後、すぐに駒場の自治会活動をはじめます。そのころから学生運動を再 建しなければならない、運動をもっと盛り上げていこうと思っていました。翌年、中核派・全学連メンバーから話を聞くようになり、中核派のこれまでのバカ正直な闘い方に魅力を感じるようになりました。彼らが運営する「前進チャンネル」や駒場で撒かれたビラのクオリティーの向上をみて、中核派が「本気でやっている」と感じたことが大きい。わたし自身、革命をめざしており、党派として原理原則を貫く中核派の姿は正しいと思ったからです。自分にとって中核派の活動がしっくりきました。 |
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東大ではどのような活動を起こしていたのですか。 |
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たとえば、16年、駒場キャンパスでスポーツ先端科学研究拠点をつくることになり、これは大学のオリンピック協力につながるとして反対し、自分1人でビラを撒き、ポスターを作るなどの運動をしていました。政府による大学支配、大学自治解体の反対を訴えるためです。大学は学問の自由を守るべきであり、産学連携を進めるべきではないという立場です。教養学部自治会でやりたかったのですが、それはできなかった。文部科学省と闘うためには、自分1人の活動ではむずかしい、そんなとき、中核派と出会い、昨年、全学連に結集したわけです。 |
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暴力革命、武装闘争を否定しない中核派に反発する声が多くあります。 |
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国家権力は暴力である。わたしは、中核派に入る前から、カール・シュミット、マックス・ウェーバーなどを読んで、国家権力のあり方を考えてきました。国家権力に対抗するためには暴力しかない、ということです。その上で、中核派が大学や街頭で火炎ビンを投げたような闘争を、いますべきかといえば、そんな時期ではない。このような武装蜂起は、幅広い労働者階級の支援がなければやれるものではない。広範に支持されない闘争はすべきではない。一方、国会での議論はペテンである。そこで、わたしたちはゼネストを打って革命をめざす。そういう理解のされ方でいいと思います。ただ、いまの安倍政権を見て、むかし中核派がやっていたヤバイことをしなければ体制は変えられない、という声も出ている。それは一理あるでしょうね。 |
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中核派を語る上で、革マル派との内ゲバについて避けて通れません。 |
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わたしが生まれる前のことなので、その当時のことはわかりません。「カクマルとの戦争はやるべきだった、そうでないと日本の革命運動は壊滅してしまうところだった」。これは中核派を離れた人、中核派でなかった人からも聞く話です。わたしもそれに賛同します。だからといって、いまはカクマルと戦争にはならないでしょう。東大生としては、1969年1月の安田講堂攻防戦でカクマルが法文2号館から逃亡したという事実は許せませんけど。 |
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政治、社会運動にはいつごろから関心を持っていたのですか。 |
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小学校時代から政治に関心を持っており、子どもながら政党をつくって遊んでいた。小泉純一郎政権時代、民営化とか、新自由主義とかで地方の特定郵便局がなくなってしまいかわいそうだと考えたり、郵便局が金儲けの機関になることに疑問を感じたり。そして、貧困と格差はおかしいと思っていました。
2011年、東日本大震災が起こった後、首相官邸前のデモを見に行っています。中学3年でした。高校時代、マルクス主義の本を読んでいたし、ソ連の文化が好きだった。国内の新左翼党派の存在も知っていました。15年、国会前で安保関連法案反対の運動が盛り上がりますが、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)には違和感がありました。デモでは何も変えられない、ストライキを行ったほうが効果的ではないかと思ったからです。 |
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全学連委員長になって何をめざしますか。 |
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学生運動を再建したい。そのために多くの大学でさまざまな活動家と一緒に運動を進めていきたい。大学で自治会をつくるのは厳しい状況にあるけど、政治とキャンパスを切り離せないので、地道に拠点づくりをしたい。 |
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高原さん自身の将来についてどう考えていますか。 |
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東大に入ったとき、将来、人のために役立つ仕事をしたいということは頭になかった。官僚や会社員になる気も全然ありませんでした。漠然と学者かなあ、と思ったことはあります。東大に入ったのは、ここでこれからのことをじっくり考えることができると思ったからです。将来はまともな職に就くのはむずかしいので、職業革命家、あるいは、弁護士でしょうか。 |