更新日/2020(平成31→5.1栄和改元、栄和2)年.3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、白井朗著「マルクス主義と民族問題 」と対話したくなったためこれを転載し、適宜にコメントをつけることにする。

 2008.2.1日 れんだいこ拝


 関連サイト
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 「『狂おしく悩ましく』」の2009年4月20日 社会主義の挫折と再生
 イスラームに対する欧米世界の偏見。ロシアによるチェチェン民族の弾圧。中国のチベット、ウイグル、モンゴルへの抑圧。深い歴史的起原をもつ現代世界の民族問題をどうとらえるか。新たな世界史観から民族理論を再検討する。
 【目次】
まえがき 
序 章 世界の焦点・中東イスラーム世界の民族問題
[1]イスラーム世界と日本人 16
[2]日本帝国主義とアジア諸民族 19
[3]アメリカのイスラーム敵視 21
[4]石油帝国主義と産軍複合体 24
[5]ムスリム諸民族抑圧は最大の民族問題 27
[6]イラク戦争の不正義 30
[7]スンニ派とシーア派との対立 33
[8]アメリカの戦略的敗北 37
第一篇 民族をいかに捉えるか
第一章 日本人の場合 二、三の知識人の言説について
第二章 マルクス・エンゲルスの視点
第一節 「歴史なき民族」なるもの
[1]「労働者は祖国を持たない」の意味 51
[2]民族と国民との関係 56
[3]英語・フランス語・ドイツ語の三言語の統一を予想 58
[4]民族は人間存在に必須不可欠 62
[5]資本の本源的蓄積の認識の未成熟 64
[6]西欧文明の東欧への普及 72
[7]「歴史なき民族」 78
第二節 マルクス、アイルランド論へ
[1]「マンチェスターの受難」の衝撃 89
[2]フィニアンのたたかいの歴史的意義 95
[3]アイルランド民族独立がイギリス革命を促進 100
第三節 経済学者の民族問題アプローチ・渡辺寛批判
[1]農業問題と民族問題は資本主義の外部的矛盾 104
[2]アジアの民族の歴史への無知 109
第三章 バウアー・カウツキー論争の意義
第一節 バウアーの民族文化共同体説 114
第二節 バウアー、「歴史なき民族」を批判 121
第三節 カウツキーの言語共同体説 126
第四節 同じ歴史を歩んだ民族は一つもない 133
第五節 論争止揚の視点 137
第六節 エンゲルス「言語と共感」 145
第七節 カウツキーの民族解消論批判 149
第八節 世界諸民族の言語系統 156
第九節 人は母語の中に住む 160
むすび 民族の平等 163
第四章 レーニン・スターリンの民族観
第一節 スターリン民族論文の再検討 165
第二節 「資本主義が民族問題を解決」 175
第三節 帝国主義論による深化とその後の逆転 178
第四節 民族消滅論は言語帝国主義 184
第五章 アジア史の先進性──唯物史観と民族
第一節 民族形成の嚆矢は漢民族
[1]漢字の創成とと紙の発明 189
[2]近世・宋代における漢民族意識の成熟 194
第二節 唯物史観と民族 200
第二篇 大ロシア民族主義者・スターリン
第六章 スルタンガリエフの虐殺──ムスリム諸民族の抑圧
第一節 民族の崇高な権原 216
第二節 バスマチ運動弾圧の深刻性 223
第三節 イスラーム文化とチュルク諸民族 228
第四節 中央アジアのムスリム共産主義者 234
第五節 自己解放を否認するレーニン 241
第六節 一九一七年革命の真実の担い手 251
第七節 「グルジアのスターリン批判」 260
第八節 スターリンのムスリム諸民族抑圧 266
第九節 山内昌之批判 270
第七章 第二次大戦後の東欧諸民族の抑圧
第一節 ポーランド 
[1]ポーランド共産党の悲劇 279
[2]スターリン、ヒトラーと握手 281
[3]スターリンのポーランド民族解体 284
[4]戦後ポーランドの発足 289
第二節 ユーゴースラヴィア 292
[1]ユーゴ解放全国委員会の勝利 293
[2]スターリンのユーゴー革命圧殺の失敗 296
第三節 ハンガリー 301
むすび 
付論・ 日本人の民族性について
[1]イスラーム認識の欠如 309
[2]明治の開国いらいすぐに侵略と戦争へ 313
[3]他民族の文明受容の積極性 315
[4]新憲法の意義と五〇年朝鮮戦争 319
[5]自民族の歴史を学び豊かな歴史的意識を持つこと 326
付論・ チベットに自由と平和を。中国は虐殺を止めよ
参考文献 335
あとがき 341
 20世紀の革命史への照射
 世界革命をめざすレーニンの眼はなぜヨーロッパにしか向けられなかったのか!

 ムスリム民族運動を抑圧した革命ロシア
 スルタンガリエフはボリシェビキ幹部として最初の粛清の対象となり、1923年の第12回大会の直後に逮捕され処刑された。この粛清こそスターリン主義の起源にほかならない。この偉大なムスリム出身の革命家の抹殺は、中東イスラム世界における世界革命の抹殺であり、ソ連圏内のムスリム諸民族への、ツァーリズム以上の過酷な民族抑圧の復活的な継続を意味するものであった。

 2009年6月10日、「佐野 鷹男」。
 マルクス主義は進歩主義が時代を覆っていたときの申し子である。『共産党宣言』が言うように、若いマルクスは世界市場が形成され、民族的差異が溶解=均一化する過程を是とし、歴史を作ることの出来る進歩的な民族が、そうでない民族を死滅・絶滅する過程を是とした。マルクス個人はアイルランド問題に衝撃を受け、そんなのっぺりとした世界観を放棄したが、多忙と早すぎる死により深めることは出来なかった。一方、エンゲルスをはじめとするマルクス主義者は上のスキームを保持し、少数民族への理解と共感を究極的には持ち得なかったことを本書は明らかにし、「民族自決権」で知られるレーニンでさえも例外ではないことを告発する。むしろ、レーニンの実践こそがスターリンの民族政策を誘発し、ひいては現在共産中国が行っている民族差別政策に繋がっていることを明らかにする。評者は著者の行う指摘を是とするも、しかし、民主主義、自由、人権というまさに西洋由来の価値観もまた人類普遍であるべきと考える立場から、筆者が直面する困難についても考え込まざるを得ない。
 2009年11月01日、「白井朗『マルクス主義と民族理論』を読んで 」参照。
 概要「社会主義運動の根本的再生のために経済学の盛況と進歩に比して100年の後れをとっている…マルクス主義民族理論の究明・確立のために書かれたものであり、レーニンとスターリンによってソ連邦に包摂されたイスラム系の諸民族がいかに抑圧・弾圧されてきたかを示し、その根拠を彼らが大ロシア民族主義にとらわれていたからだと明らかにして、多民族・多言語・多文化・多宗教の共存が世界平和であることを明らかにし得たと自負する。ここにロシア・マルクス主義を批判する核心があると思う」。
 民族の定義として バウアーの「運命共同体によって形成される民族文化共同体」説とカウツキーの「言語共同体」説がある。両者はこれまでどちらが正しいかと対立的に捉えられてきたが、両方の規定性を併せて考えるべきだ。

 マルクスは 『経済学批判』の序言で唯物史観を定式化して、「大雑把に言って経済的社会構成が進歩していく段階としてアジア的、古代的[奴隷制]、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる」と述べているが、「マルクスのインドについて植民地官吏のイデオロギー的な資料に無批判的に依拠したアジア的生産様式論」には無理がある。スターリンは、アジア的生産様式をギリシャ・ローマの古代奴隷制のアジア版と見なしていた。この点でもスターリンはマルクスの説を歪曲していた。アジア的と古代奴隷制とでは所有権の有無と生産階級が異なる。
 「この名文は… 『資本論』の前段的作業である『経済学批判』の序言として執筆されたがゆえに、当然にもマルクスの問題意識としては経済学にひきつけて全問題が説かれている。だから『資本論』の到達地平にたって捉え返したとき、経済学の領域自体でこの定式が正しかったのか、さらに全面的に世界史を考察する上でどうであったのか、もう一度この文言を判断しなおさねばならない」。
 「民族は古代いらい一貫して世界史の基本単位をなしてきた存在である」。
 「民族は古代いらい世界史の基本単位でありつづけてきた。現在においても世界政治・経済の基本単位であり、人類はいかなる場合にもいずれかの民族に所属して生きているのである」。
 概要「マルクスは、1848年『宣言』発表の当時、民族については深く考えていなかった。民族についての歴史的認識は未成熟であり、首尾一貫性ある具体的内容、歴史的検証に耐える考え方をまだもたない。後に1867年のアイルランド問題で革命的転回をなし『民族のそのものの存在の意義を認識した』。イギリスの労働者が、自国の資本家がアイルランドを植民地にして膨大な利潤をあげ、その分配に群がることで革命を忘れてしまっている現実を目の当たりにしたマルクスは、『他民族を抑圧する民族は自由ではありえない』、『アイルランド人の利害をイングランドの労働者は自らの利害としなければならない』」と提起している。但し、理論的に民族そのものの規定を展開していない」。
 概要「レーニンは、16年の『帝国主義論』で…抑圧民族と被抑圧民族の区別が明快になされ… 『民族自決権を徹底的に進めるならば、被抑圧民族は社会主義国家に反対する革命・戦争も起こりうる』と衝撃的な文言を記するにいたる。革命以降の対応は、ロシア人以外の民族・特にイスラム系の民族に対しては自ら大ロシア民族主義に染まっていたから弾圧・抑圧し続けた」。
 レーニンは、イギリスやドイツの革命の後にロシアでも革命が起こると見ていたが、現実にはロシアが革命の先頭に立った。革命ロシアのとるべき道は、ヨーロッパ特にドイツの革命を待つという以外にはなかった。この我慢して待つ間の方針の基本が過渡期論になる。それは、生産現場で納得の上で生産協同組合化を組織していくことだった。レーニンが「抑圧民族と被抑圧民族の区別性」を唱えたことは画期的である。つまり、被抑圧民族が侵略・抑圧に抗する論理として自らを民族として押し出すことは正しい。但し、抑圧・被抑圧抜きに民族を一般論的に語ることはできない。
 本書の最後に 「付論 日本人の民族性について」で白井は、「アイヌ民族と沖縄県民にたいする明治維新いらいの差別と抑圧の歴史をしっかりと学び、彼らが日本人としての民族的共感をいまだ持ち得ていない現状を真摯に改革しなければならない」。「日本民族が自民族の歴史をしっかりと学び、近現代史の正負を認識し、誇りと自信を回復すべきことが歴史的に大切であることを強く訴えたい」。
 2009.11.1日、「白井朗『マルクス主義と民族理論』を読んで」。
 本書は、筆者の言によれば、「社会主義運動の根本的再生」のために「経済学の盛況と進歩に比して100年の後れをとっている…マルクス主義民族理論」の究明・確立のために書かれたものであり、レーニンとスターリンによってソ連邦に包摂されたイスラム系の諸民族がいかに抑圧・弾圧されてきたかを示し、その根拠を彼らが大ロシア民族主義にとらわれていたからだと明らかにして、「多民族・多言語・多文化・多宗教の共存が世界平和であることを明らかにし得たと自負する。ここにロシア・マルクス主義を批判する核心があると思う」と結論づけています。

 不勉強な私にとっては 提示された事例について知らなかったものが多く、その意味で勉強になりましたが、分析視点はマルクス主義・唯物論(唯物史観)に基礎を置いているとは到底思えませんでした。つまり、第二インターやスターリン主義から脱却しきれていないマルクス主義者の民族にたいする見方・考え方への批判としては正しいが、「マルクス主義民族理論の確立」と評価することは出来ません。この点について意見を述べたいと思います。

 
 民族の定義として バウアーの「運命共同体によって形成される民族文化共同体」説とカウツキーの「言語共同体」説をあげ、両者はこれまでどちらが正しいかと対立的に捉えられてきたが両方の規定性を併せて考えるべきだと白井は述べています。しかし問題は、民族あるいは文化共同体や言語共同体は下部構造の範躊なのかそれとも上部構造の範躊なのか、また文化共同体や言語共同体と言われる共同体は階級対立のない真の共同体なのかです。言い換えれば、階級対立が生じた後民族が成立したのか、民族が成立している中で階級対立が生じたのか、そのどちらかという根本問題があると思います。私は前者だと見ていますが、白井は明示していませんが後者の立場だと思いました。

 最近の遺伝子DNAの研究から判明したことは 現在人の祖先は15万年前にアフリカに登場し、中東を経て4万5千年前から1万5千年前にかけて食料の動物を求めて全世界に広がって行きました。つまり狩猟民(年代を経て遊牧民に進化)です。さらに1万年前に中東で農耕民が生まれ、温暖地帯を中心に世界に広がって行きました。現在人はこれら狩猟民(遊牧民)と農耕民の混血の子孫です。だから現在、ある集団が一つの民族と呼ばれていても遺伝学的には何ら規定できないのです。人類が文明を持ち始めたのは 5千年前の四大文明からですが(正しくは黄河文明に先だって長江=揚子江文明があったから4.5文明です) それは、地球の寒冷化にともない食料である家畜の飼料が少なくなって遊牧民化した狩猟民が農耕民を侵略・征服することで食料のための労働を農耕民におしつけ自らは支配のための「労働」と精神労働に特化することで生じたのです。四大文明そのものが階級対立(他人種による征服・支配)によって発生したのです。マルクスが『共産党宣言』で述べている「これまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」は まったく正しいのです。

 マルクスは 『経済学批判』の序言で唯物史観を定式化して 「大雑把に言って経済的社会構成が進歩していく段階としてアジア的、古代的[奴隷制]、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる。」と述べていますが、白井は、「マルクスのインドについて植民地官吏のイデオロギー的な資料に無批判的に依拠したアジア的生産様式論」とアジア的生産様式の存在そのものを否定しています。だが、先にみた遊牧民(狩猟民)が農耕民を征服し文明を発生させた最初の階級社会が実はアジア的生産様式なのです。社会構成は専制君主を長とする支配家族と農耕生産を担っている「平民」家族から成り立っています(プラス支配家族に奉仕するわずかな奴隷が存在します)。遺跡ではピラミットなどの大古墳がその存在を示しています。

 なおスターリンは アジア的生産様式をギリシャ・ローマの古代奴隷制のアジア版と見なしていました。この点でもスターリンはマルクスの説を歪曲していたのです。アジア的と古代奴隷制とでは所有権の有無と生産階級が異なります。

 また白井は、「この名文は… 『資本論』の前段的作業である『経済学批判』の序言として執筆されたがゆえに 当然にもマルクスの問題意識としては経済学にひきつけて全問題が説かれている。だから『資本論』の到達地平にたって捉え返したとき 経済学の領域自体でこの定式が正しかったのか さらに全面的に世界史を考察する上でどうであったのか もう一度この文言を判断しなおさねばならない。」と述べています。つまり 暗にマルクスと唯物史観を否定しているのです。だから 文明の発生以来現在まで階級対立を内に含んで成立してきた人類の歴史・社会を、白井は「民族は古代いらい一貫して世界史の基本単位をなしてきた存在であり」とか「民族は古代いらい世界史の基本単位でありつづけてきた。現在においても世界政治・経済の基本単位であり、人類はいかなる場合にもいずれかの民族に所属して生きているのである。」と、歴史性を無視して民族を一様にとらえて階級対立を否定しているのです。これではマルクス主義・唯物論とは言えません。
 
 民族を規定するとされる言語について言えば 白井は 英語や中国語と日本語との文法の違いを指摘していますが その違いは実に決定的なのですが、それがどうして異なるのかの説明はしていません。過去に存在した階級対立を否定しているから(資本主義での階級対立は認めていますが) その違いを説明できないのだと思います。英語や中国語は 主語・述語・目的語とならんでいます。他方日本語は 主語・目的語・述語の順です。もともとは主語・目的語・述語であったものが、ある時主語・述語・目的語に転換したと言われています。この違いは 主語を消せば一目瞭然です。英語において主語を書かない場合は命令文です。書かれてない主語は「あなた」になります。他方日本語は命令文ではなく単なる省略です。省略された主語は当然「私」または「私たち」です。つまり英語や中国語と日本語の違いは 階級対立発生の中で成立したのか、階級対立が生じる前に成立したつまり階級対立の発生がずっと遅れたとの違いだということです。

 望月清文の研究によれば 感性・感覚を表現した単語と五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)とは当然対応していますが 一つの単語が二つ以上の五感を表しているとき共通感覚と呼び その共通感覚の主の方は現在の社会での表現だが 従の方は祖先の感覚だということです。例えば「美しい」は ある人には視覚(目)と聴覚(耳)に関係するが、別の人は臭覚(鼻)とも関係していると 視覚(美しい景色)は今の関係での表現だが 聴覚(美しい音)や臭覚(美しい臭い)の違いは祖先の違いに根拠があるということです。民族の言語自身一見一様にみえますが その内に人種(亜種)の違いを今も持ち続けていて 言語は現在と過去の二重構造になっているのです。言語そのものが 時代時代で社会・階級関係とともに変化しているということです。だから今の言語で(主の方だけで)括ったら現体制是認になってしまいます。
 さきに述べたDNAの研究によれば 人類は35の群にわかれ ヨーロッパにはそのうちの7群があり 日本には9群があるそうです。日本人の祖先の人種(亜種)は ヨーロッパ全体よりも多いのです。
 
 だから問題は 民族という概念がいつ生まれ 皆が納得するようになったのかです。歴史事実としては知りませんが 論理的に言えば 資本主義の発生期に生まれたのだと思います。古代的・奴隷制では 鎖につながれた奴隷が 奴隷主(自由民)と同じ家族・部族とは絶対に思わなかったと思います。逆に奴隷主も奴隷と同じだとは思わなかったでしょう。また封建制では 領主と農奴の階級対立があり 領主ごとに領地は分離・独立していて 領主が異なる幾つかが一つの集団・民族としてまとまる必要性はなかったと思います。領主にとって農奴は自分だけに屈服すればよいのですから。なお 領主の支配権を追認したのが ヨーロッパではローマ法王であり日本では天皇です。封建制の中から発生した資本主義が (商品)流通を拡大しようとしたとき 桎梏となる領界(関所)をなくすために 「同一民族だ」が押し出されたのだと思います。つまり封建制を食い破り(分散を統一し)民衆を動員するイデオロギーとして 資本が押しだしたのが民族概念だと思います。だから民族は 上部構造の観念的表現なのです。
 白井は マルクスについて「1848年『宣言』発表の当時 民族については深く考えていなかった。民族についての歴史的認識は未成熟であり 首尾一貫性ある具体的内容、歴史的検証に耐える考え方をまだもたない…」が 1867年のアイルランド問題で革命的転回をなし 「民族のそのものの存在の意義を認識」したと述べています。
 私は マルクスが「深く考えていなかった」のは いま述べたように民族概念がブルジョアイデオロギーだったからだと思います。しかし資本主義の発展は 先進資本主義が自らを民族と押しだし、国家を形成し 後進地域を征服・略奪(植民地化)するようになりました。先進資本主義国の侵略に抵抗する後進地域の人々も 抵抗する団結のイデオロギーとして自らを民族と表現するようになったのだと思います。その現実を前にして マルクスは転換したのだと思います。特にイギリスの労働者が 自国の資本家がアイルランドを植民地にして膨大な利潤をあげ その分配に群がることで、革命を忘れてしまっている現実を目の当たりにして 転換したのだと思います。だからマルクスは ブルジョア的権利である民族自決権(国家を創る権利と自己決定権/形式的平等)を一歩進めて 「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」「アイルランド人の利害を イングランドの労働者は自らの利害としなければならない」と実に鮮明に提起しながらも 理論的に民族そのものの規定を展開していないのだと思います。(念のために言えば マルクスのアイルランド問題は 民族問題と帝国主義国の労働者階級の階級形成論として両視点で理解することが重要です。)

 レーニンについての白井の評価は 「16年の『帝国主義論』で… 抑圧民族と被抑圧民族の区別が明快になされ… 『民族自決権を徹底的に進めるならば 被抑圧民族は社会主義国家に反対する革命・戦争も起こりうる』と衝撃的な文言を記するにいたる。」とまったく正しく展開しながらも 革命以降の対応は ロシア人以外の民族・特にイスラム系の民族に対しては自ら大ロシア民族主義に染まっていたから弾圧・抑圧し続けた と述べています。
 私のレーニンに対する評価は 第二インターと決別した1913年頃から17年の革命実現までの間のレーニンは全く正しいが 決別以前は第二インターとの違いが曖昧であり(晩期マルクス主義に立っていなかった) 革命後は革命権力を絶対維持・防衛するという観点が強すぎて、革命政権を少しでも批判するものは許さないという誤りが生じたと見ています。だから白井が 晩期マルクスではなくバウアーやカウツキーに依拠すること自身が 第二インターから決別しきれていないあるいは第二インター化しつつある問題としてしか私にはみれません。
 レーニンの革命権力を絶対維持するという気概はまったく正しいと思います。問題は未来社会論・過渡期論にあるのです。もともとレーニンは イギリスやドイツの革命の後にロシアでも革命が起こると見ていたのですが 現実にはロシアが革命の先頭に立ってしまいました。しかし当時のロシアは 世界的に見たときその位置故に帝国主義と見なされますが 国内的には産業資本主義段階にやっと到達した水準です。共産主義は資本主義の生産水準の先にあるのですから 革命ロシアが単独で(孤立して)共産主義に向かうことは不可能です(一国社会主義論の誤り)。だから革命ロシアのとるべき道は レーニン自身が考えていたように ヨーロッパ特にドイツの革命を待つという以外にはありませんでした。この我慢して待つ間の方針の基本は 客体で過渡期を進める(生産で資本主義の先頭に追いつく)ことができないのですから 主体の側で進める以外にないのです。つまり 他人の労働を搾取する人は革命によっていなくなったのですから すべての働いている人に共産主義の正しさを実感してもらうということが基軸になります。それは 生産現場で納得の上で生産協同組合化を組織していくことだと思います。すべての民衆が自らが社会の主人公であることを日々確認できるようにすることです。
 つまり未来社会論・過渡期論において レーニンはいまだ第二インターから完全には決別しきれていなかったのだと思います。過渡期を主体ではなく客体的に・生産力主義的に考えていたのだと思います。政治・革命論では完全に決別していたのですから残念です。民衆が社会の主人公だと自覚したとき 何人も彼らを支配することはできません。
 だから白井のように 革命後のレーニンの誤りを大ロシア民族主義にとらわれていたからだとするのは結果論・現象論であって それではこれから革命を実現しようとしている人々の教訓にはならないと思います。
 
 白井が言うように レーニンが「抑圧民族と被抑圧民族の区別性」を唱えたことは画期的です。つまり 被抑圧民族が侵略・抑圧に抗する論理として自らを民族として押し出すことは正しいが 抑圧民族が自らを民族として押し出すことは 他民族を侵略・抑圧することであって間違っているのです。当然資本主義・帝国主義のもとで 抑圧・被抑圧抜きに民族を一般論的に語ることは誤りなのです。
 本書の最後に 「付論 日本人の民族性について」で白井は 「アイヌ民族と沖縄県民にたいする明治維新いらいの差別と抑圧の歴史をしっかりと学び 彼らが日本人としての民族的共感をいまだ持ち得ていない現状を真摯に改革しなければならない」と述べていますが 前半の「差別と抑圧の歴史をしっかりと学び」はその通りですが 後半は間違っていると思います。アイヌにとって必要なことは 日本人に対して「民族的共感」をもつことではなく まず自らを一つの民族として成立・登場させることだと思います。民族が異なるのに「民族的共感」とは何なのですか。しかも 「日本人としての民族的共感」となると アイヌを捨てて日本人に同化せよと言っているのに等しいと思います。アイヌ民族に対して日本人がすべきことは 北海道の一定の地域をアイヌ民族が日本人に規制されることなく自由に使えるようにすること(独立または自治区)だと思います。つまりアイヌ民族の民族自決権を認めることが絶対的だと思います。
 また白井は 「日本民族が自民族の歴史をしっかりと学び 近現代史の正負を認識し 誇りと自信を回復すべきことが歴史的に大切であることを強く訴えたい。」と述べていますが 「日本民族の誇りと自信」とは何なのですか。日本人にとって近現代の正しい歴史観は右翼が言うところの「自虐史観」であって 侵略主義者を打倒することで初めて、日本が侵略・抑圧してきた人々と「対等」と言えるのです。現実に抑圧・被抑圧の関係の中に存在しているのに 侵略・抑圧している方が「共生」を掲げることは偽瞞だと思います。

 れんだいこは、
 残念ながら、





(私論.私見)