斎藤政明証言斎藤政明証言

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.5.1日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2008.2.1日、2013.01.29日再編集 れんだいこ拝


【斎藤政明証言】
 2021年01月16日、「壱岐の市長選の報告 斎藤政明さん」転載。
 【ブログ注】
 コロナ下で昨年も終えました。「地方の疲弊と地方の時代」は進行中。各地の話も伝わってきます。今年は「選挙の歳」でもありそうです。だいぶ時間が経ちましたが、斎藤政明さんの壱岐の島での選挙を載せてみました。年始あけ、ゆったりした中でお読みください。この時点で斎藤さんは壱岐に移って10年とか。古くからの地元の住民と、島の外からやってきた「若い候補者」という組み合わせも意表を衝いて面白い。「ムラの選挙」ですがそんなところでこそ「何が常識か」じっくりと考えてもみたいところです。「コロナ下で浮き彫りになったこと」「コロナ下で緊急に求められているもの」「コロナ後の暫定的な社会像」もしっかり考えたいときですね。『ピスカトール』にも載りましたがもっと詳しい… 。昨年の作です。アップまでにだいぶ遅れまして申し訳ありません。
【以下転載】……… ……… ………
 壱岐の市長選に挑む
 6月7日に森俊介さんを応援した老若男女の手で「壱岐市長選慰労会」が催されます。島民にとってはこの上なく喜ばしいことに、森さんはこれからも壱岐に住み、事業を立ち上げ生活基盤を整え、4年後の市長選に挑む気持ちを固めました。この日の会で、森さんはその意思表明をします。今回の市長選の感想と4年後に向けた取り組みへの私見(メモ)です。老若男女との話し合いのたたき台になればと、彼ら彼女らに配布しているものです。ご紹介致します。斎藤政明拝
 2020年4月12日 壱岐市市長選(投票率、約67%)
 私たちが推した 森   俊介  7042
 4選を目指した  白川 博一  7371
 現職・白川(無所属、自公推薦)が森俊介さんに329票差で4選
 市長選を終えての感想とこれからの行動への私見(メモ)
 白川市政がこれからさらに4年も続くことになりました。何とも無念で、やるせない気持ちです。が、ここで立ち止まっているわけにはいきません。この場に集う私たちの手で4年後には必ず森市長、森市政を実現しましょう。その話し合いの糸口になればと、本メモを作成しました。 先ずは、今回の森さん、それに4年前の武原さんの選挙戦で露わになったことをそれぞれ一つ取り上げる。
(A)―(1)は、森VS白川の白川の陣形について
(A)―(2)は、4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について
 (A)(1)森VS白川の白川の陣形について
 白川後援会(白友会)が新聞折り込みと各戸ポステイングしたチラシ「白友会だより」(A3表裏)は、これまでの、これからの、白川の、市政への立ち位置と取り組みのありよう、白川陣営の構造、それらの全てをあからさまにしていた。チラシの裏面には3月7日の白川の事務所開きでの発言者の氏名(写真入り)、肩書、各発言の要旨が紹介されている。発言者は、自民党壱岐支部長、公明党壱岐支部長、自民党県議、壱岐市議会議長、壱岐医師会会長、壱岐市老人クラブ連合会会長、国境離島民間会議会長、壱岐市漁業協同組合組合長会会長、長崎県建設業協会壱岐支部長の9名。白川の陣形を形作る政党と団体の長がこぞって登場する異様な有様に、今の壱岐の閉塞の状況の構造を、そしてこれからもこの息苦しい状況が続くと見た島民は多い。ちなみに、農協壱岐の会長は国境離島民間会議会長として発言しているので、ここに登場しない壱岐の主要な団体の長は商工会の会長のみといったところである。壱岐に新しい風をと市長選に挑んだ森俊介さんは否姶なく、3期に渡って続くこの白川陣形に挑み、立ち向かうこととなった。

 <余談>このチラシの表の面には、白川がこれから取り組む、論じるほどのこともない諸政策に、「青い海!澄んだ空!未来に残そう 子や孫に」のキャッチコピーが添えられている。社会的地位にある者を並べれば住民は平伏すとの思惑が溢れる紙面に、小学生が作るような(といえば小学生に失礼か)決まり文句を羅列したスローガン。チラシを見るたびに、寒々とした気持ちになる。
 (A)(2)4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について
 4年前の市長選へ挑戦した武原ゆり子さんは、白川陣営の壁に加えて、さらに壱岐に宿る根深い心情とも闘わねばならなかった。「壱岐日々新聞」に載った(武原さんの立候補を快く思わない同新聞社が作文したとも考えられる)「郷の浦在住の女性の投書」がそれである。大要は「壱岐の女性は日々、農業をし、子を育て、老親の世話をし、また地域の婦人部会員として敬老会の出し物の踊りの練習や地域の祭りの準備をしてきた。この苦労やそこにある楽しみを知らない島外からやって来た女性に壱岐の市政は任せられない」というものである。壱岐への移住は大歓迎するが、市政に口をはさむような活躍までは望まないという心狭い心情に依拠し、(投書の形で)島内の女性を島外出身の女性と闘わせる最悪の手法を用いて、「壱岐日日新聞」は武原さんの挑戦をおとしめる論を展開した。武原ゆり子さんの市政への挑戦は、白川との闘いのみならず、壱岐に横たわるこの根深い心情との闘いでもあった。 次に、(B)(1)~(5)で、上記(A)の状況に森俊介さんが挑戦した、今次市長選の渦中で見えたこと、感じたことをあげておく。
 (B)(序)見えたこと、感じたことの全般的感想
 今次市長選の感想を一言で言えば、森俊介さんは島の人々の心をしっかりとらえた。これに尽きる。35歳の森俊介さんはあるがままの自分を、それが今の壱岐市政に求められる核心であることを、キッパリと前面に打ち出した。森さんは、よそ者、若さ、会社の起業経験と経営の実績の三点を臆せずに大胆に掲げた。島民はその姿に、国からの種々の補助金を含めた市の年間予算(併せて約250億円を超える)を繰る市長・白川と彼の背後に控える陣形をベースにしたこれまでの市政とは全く異なる、しがらみにない新しい市政を感じ取った。森さんはさらに、白川の壱岐の市政は否定するも、壱岐の良さについては大いに評価し、その資源を生かす構想を高く掲げた。白川の壱岐市政はNOだが、壱岐はYES、これを鮮明に打ち出した。そこに彼の人間的魅力と発信力が加わり、これらの総和が、停滞から後退へとあえぐ壱岐の島民の心を短期間で捉えた。森さんはさらに、森市長、森市政が実現されればこうなるという姿を、島民との「意見交換会」という形で具体的に先取りして示した。2月の後半から島内各所で開いたこの島民の意見を聞く試みは、白川市政にはそもそもないものであった。森さんは、市政のよって立つ基盤は、白川が依拠するような陣形にあるのではなく、住民一人一人にあることを目に見える形で島民に示した。10人から40人の小さな規模で開催した島内4町各所での「意見交換会」を経るに応じて、「森って誰、何者?」から「森、いいじゃやないか」という声が上がり、やがてこの会の出席者を中心に、森さんを応援する行動が生れていった。以下で、その広がりを見ていく。
 (B)世代による多様で活発な動き
 (1)40代の「若者」が動いた
 今次市長選の住民の動きの中で際立つものは、40代の40人ほどの(壱岐では)「若者」が誘い合って森支援に馳せ参じたことである。彼らは「ここで自分たちが森と動かなかったら壱岐に未来はない」とこもごも語り、集まってきた。彼等と打ち解けた間柄になって聞き知ったことであるが、昨年の12月半ばに森さんに市長選出馬を打診、口説いたのは、何と彼等だった。1月半ばに森さんから「出る」と聞いた一人は「10年に一度あるかないかの感動で体が震えた」と、その時の心情を語った。

 話はそれるが、4年前の市長選の際、40代の面識のある「若者」から「自分には希望なんていうものはない。市長が変わっても壱岐は何も変わらない。投票してもしなくても同じ」という言葉を聞いた。彼は農家を継ぎ、さらには現金収入を得るために、時には工事現場に出て働く、壱岐の根っこを支えている典型的な「若者」である。そんな彼の言葉に、これまでの市政は、彼に何の光も感じさせるものがなかったのだと、寂しい思いを抱いたものである。恐らくこの「若者」の気持ちは彼の世代に共通したものであったのであろう。4年前の市長選では彼の世代が選挙の前線に絡む姿を目にすることはなかった。もっと言えば、壱岐が2004年に市になってからの市長選挙で、今回のような「若者」の動きは皆無であったのではなかろうか。

 話を戻すと、それが今次市長選では、件の彼の世代が「森と共にここで自分たちが動かねば壱岐の将来はない」と誘い合って立ち上がった。彼らの登場は、何よりも壱岐に宿る未来を感じさせてくれた。 彼らは皆、仕事をもっている。自営者もいれば勤務している者もいるので、事務所に勢ぞろいできるのは平日では夜の9時。その場で彼らは、森後援会のポスター張りから同チラシの全島各戸のポステイングに取り組む、相方、地域分担、それぞれに実施可能の日時を決め、ポスター、チラシを持ち帰り、行動に入った。公示日の公設掲示板160余ケ所に森のポスターを張る作業は彼らが一手に引き受けた。40代の活動に加え、20代、30代の男女数人も仕事の合間をぬって駆けつけ、後援会の宣伝カーの運転や事務所内での作業に加わっていたことも印象に残る一事であった。土日の事務所には終日、彼ら「若者」の楽しげな笑い声が満ち溢れていた。
 (2) 女性が動いた
 森さんの市長選出馬の名乗りに敏感に反応したのが60歳~70歳世代の女性たちであった。彼女たちの数人は武原ゆり子さんの選挙時の集会で見かけてはいたが、今回のように、女性たちが選挙事務所に大挙して日参し、連日に渡って集団で作業する姿を目にするのは初めてのことであった。都合40人ほどであろうか。この女性たちからも「ここで壱岐を変えなければ壱岐はもう終わり」という言葉を何度となく聞いた。全戸にポステイングするチラシを折り、全戸に郵送する12000通のチラシを封書型にし、公選ハガキ8000枚の住所を書く、これらの作業の8割方は彼女たちの手になるものであった。彼女たちはまた、公示前から投票までの10数日間は、島内の固定電話宅に、森さんの立候補の紹介、森さんへの投票依頼の電話かけをもこなした。選挙にかかわるこの女性集団のパワーの源は、森市政実現を通して壱岐の未来を切り拓こうとする希望にあった。彼女たちの奮闘ぶりを見るにつけ、武原ゆり子さんが先んじてなした挑戦が今ここに確実に受け継がれている、まいた種は見事な花を咲かせたと、感慨ひとしおであった。
 (3) 70代の男性の奮闘 
 選挙の要をなしたのは、ほぼ70歳前後の男性たち。彼らは、初登場の40代の「若者」たちの島内を駆け巡る行動、初登場の女性たちの献身的な実務作業とは一味違った分野で大いに力を発揮した。彼らは森さんを同道して、自分が住む地域の全戸の家庭を訪問し、森さんを住民と引き合わせた。地域の人びとから信頼される彼らが森さんを紹介し推薦したことは、地域住民の間に森さん立候補の話題を生み、次には森支持の会話が住民間で交わされる突破口となった。森さんの応援に集まった「若者」たちと女性陣をまとめ、その力を解き放ち、また各地の住民を森支持に向けていったのは、吉野誠治さんを始めとした70歳前後の老世代の男性たちであった。彼らは最も奥深いところで森さんの挑戦を支えた。
 (4) 野誠治さん、武原ゆり子さんが切り開いた道を今や「若者」が進む。 
 以上のB(1)(2)(3)に見る森さんの応援に動いた老若男女は総じて、8年前の市長選では2期目を狙う白川に挑戦した野誠治さん、4年前の市長選では3期目を狙う白川に挑戦した武原ゆり子さんを支持した、とみて間違いない。前2氏の挑戦時に比べ、壱岐の人口は年年に漸減を続けており、今日では前2氏を応援した人たちの世代交代が加速しながら進行している。森さんの白川への挑戦は、この2氏の挑戦の流れをくむと言えるが、最大の違いは進行する世代交代下の挑戦であったことである。4年後にはこの世代交代はより加速して進む。こうした動きの中で今回、前2氏の挑戦時にはなかった、「若者」層が雪崩を打って森支援の行動に出てきたことの意味は計り知れない。森さんは前2氏が切り開いた道を進みながらも、この「若者」たちとさらに新しい道を切り開き、前へ進み、過去を越えたもう一つの世界を作り出した。ここに、これからの壱岐の希望を見出したい。森さんにはこの「若者」たちがいる。前2氏を応援した老世代男女は、今はこの「若者」に連なる位置に来た。
 (5) 補足 コロナ下の選挙
 今回の市長選はコロナ情勢下で闘わざるを得なかった。島内では3月14に最初のコロナ陽性者、4月5日には6人目の陽性者が明らかとなった。これで予定されていた、森さんの「意見交換会」は全て中止せざるをえなくなり、さらに以後は同会の設定そのものが不可能となった。また、3月後半に集中する各地域の公民館で開催される公民館総会、また各地の老人会総会が軒並み中止となったことで、森さんの挨拶の場がなくなった。私の属する老人会、公民館の各総会でも森さんの挨拶を組んでいたが、総会中止となり、それができなかった森さんは、「意見交換会」や各種総会の出席にかける時間とエネルギーを、公示前の戸別訪問に回せたと言えなくもないが、「意見交換会」や各種総会出席での交流が生み出すグループダイナミズムは生み出せなくなった。これは新人候補には痛手であった。 

 白川はこの事態を逆手に取った。公示前も後も、島内放送で毎日3回「コロナ対策本部長の市長・白川です」で始まるコロナ対策報告を流した。電波ジャックで白川はコロナと闘う姿を島内全域に流し売り込みを図った。彼我ともに制約された選挙活動を余儀なくされた点では同じであろうが、新人候補には特段に重い制約下の選挙であった。投票率は前2回の市長選約80%を10%強下回った。事前であれ当日であれ、投票所に足を運ばなかった多くは高齢者なのであろうが、この10%強の差がどちらの候補を利したのか。これは読めない。
 (C) 2024年には住民の手で森市長、森市政の誕生を
 (1)「森俊介さんを壱岐市長に 市民1000人委員会」を立ちあげよう。
 会の目的と内実はこの名称通りだが、ネーミングは考慮。例えば「森俊介さんと歩む 市民1000人の会」のようなものがいいのか。もっと泥臭い方がいいのか。名称はどうあれ、要は4年がかりで1000人の森支援者を作り、森さんを市長に押し上げる、恒常的な運動を開始しようということである。

 *会の立ちあげの準備事項
  呼びかけ文(略)
  会員の年会費の確定(略)
  呼びかけ文に添える連絡先(および気付け者の氏名)の確定 
  この夏から一斉に署名取りの行動が開始できるペースで。会員名簿の日常的集約と作成、会費の出入り管理(新規通帳)、それらの各担当者をおって確定などなど
 (2)老若男女による三層四層の日常的な運動へ、途中に市議選あり
 会の基本活動は会員の署名取りであるが、(略)
 *なお、1年余り後の2021年の夏には市議選がある。(略)
 どの道を通るにせよ、全てのカギは、1000人の署名による森応援団の形成、実現である。
(3) 4年間で1000万円の基金を(略)
(4) いくつもの多様な森さんを囲む会を作ろう(略)
なお、これらの活動は、コロナの収まり状況のいかんにかかわる。状況に応じた活動が必要になる。
 (5) 白川による次期市長の座の禅譲との対決 
 白川には5期目(72歳になる)はない、白川は指名で市長の座を禅譲する、と見て間違いなかろう。巷間では山本県議に市長の座を譲るとされ、山本の後釜にはX市議ないしはZ市議を充てると噂されている。私たちにとっては誰が市長選の相手になるかが問題ではない。4年後には、日本全体の劣化、白川市政の下、壱岐の閉塞、劣化はさらに進む。 問われているのは、相手が誰かではなく、深まる閉塞、疲弊する壱岐を変えられるのは森さんであり、森さんしかいないという声を、住民の共通の声にすることである。白川から市長選への出馬を指名された者が「出馬しても森には勝てない」という気持ちになる情勢を生み出しておくことである。(略) これは必ずできる。森さんには7042票=7042人の人びとから支持が寄せられている。
 補足…
(1)(略)
(2)この集まりでは、市長選に際し、森さん、白川がそれぞれ発表した、市政の課題と政策に関しては触れなかったので、両者の政策の違いの核心をここで挙げておく。森さんは、壱岐の厳しい現況、壱岐の有する資源(可能性)を見つめたところから壱岐市政に求められる政策を提起している。対する白川は、国(官僚)が作った一般的な地域振興策のいくつかを援用して壱岐市政の政策にしている。両者の視点は全く異なっている。
 その他の補足
 コロナ情勢他(メールからコピペなど)先日の本多集会は、「帰島したらPCR検査を受ける」ことを条件に、老人会から上京を許されました。さいわい、「陰性」。壱岐島内のコロナ感染者として公表された人数は昨春8名。これでストップしていたが、年明けから7日までに一挙に52名の感染を発表。、半数が市職員とその家族で、彼らの忘年会で広まったのだそうだ。 (市民からは,り患した市職員に対して「だらしない」「高給取り」とささやかれているが、そうではない。市長と市の幹部が12月18日に忘年会を開催。これを見て市職員が忘年会を開催、感染につながっている。組織は頭から腐るものである。)





(私論.私見)