(1997.1.14日.)陶山健一追悼考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.2.2日

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 2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.2.2日 れんだいこ拝


中核派最高幹部の一人/陶山健一逝去追悼】
 1997(平成9).1.14日、中核派最高幹部の一人である陶山 健一(すやま けんいち)氏が、内臓疾患で病死した(享年61歳)。革マル派の幹部森茂(鈴木啓一)は陶山の実兄である。東京大学農学部入学後の1955年、日本共産党に入党。1958年に党を除名された後は社会主義学生同盟委員長として名を馳せた。卒業後は、農林水産省の食糧庁に入庁するものの、60年安保闘争に飛び込み、過激な左翼運動を理由に懲戒免職されている。以後、中核派の専従活動家となる。1974年、革マル派との内ゲバ事件で重傷を負って入院後、病院を脱走して消息不明となる。1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し逮捕された。その後は岸本健一の筆名で執筆活動を行っていた。陶山の葬儀に森茂(鈴木啓一)の姿はなかった。

<学習講座>陶山健一(すやま けんいち)略年譜<学習講座>※文中敬称略。
 <学習講座>(1936年11月 - 1997年1月14日)
 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)最高幹部。革マル派の幹部森茂は陶山の実兄である。
 1936年11月、**に生まれる。
 1955年、東京大学農学部入学後、日本共産党に入党。
 1958年、日本共産党を除名される。その後、社会主義学生同盟委員長として名を馳せる。
 ****年、卒業後、農林水産省の食糧庁に入庁する。
 ****年、60年安保闘争に飛び込むなど、過激な左翼運動を理由に懲戒免職される。以後、中核派の専従活動家となる。
 1974年、革マル派に襲撃され重傷を負う。その後、病院を脱走して消息不明となる。
 1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し逮捕される。
 その後は岸本健一の筆名で執筆活動を行っていた。
 1997.1.14日、内臓疾患で死去(享年61歳)。

 文献
1963 職場における戦闘的労働者の闘いについて : 討議資料 岸本健一
1965 全世界を獲得するために : 共産主義者同盟文献集 戦後思想叢書編集委員会
1969 反戦派労働運動 亜紀書房
2007.10 反戦派労働運動 前進社復刻版刊行委員会 編
2008.3 反戦派労働運動 前進社復刻版刊行委員会 編
反戦派労働運動(上)陶山健一重要著作集1 
2016.7.27 反戦派労働運動(下)陶山健一重要著作集2
 主な著作は、亜紀書房から上梓された「反戦派労働運動」である。同書は品切れのため長らく入手困難な状態にあったが、前進社が陶山健一重要著作集として復刊した。ただし、前進社版では亜紀書房版における「差別語」などについては改変をした状態で発刊している。




(私論.私見)