「中核派としての生き方」
・現役の中核派として続ける道も無いわけではない。
ただ、ここでは「上からの指令待ち」は意味がない。あえて言いたいことを飲み込んで、内部からの変革を求める道も無いわけではない。大事なことは「存在が語る」。
・「ぶれない」のもいいが、「女の道は一本道」であれ、「ならぬことはならぬ」であれ、現実にほんろうされるのが運動であり、社会であり、世間だ。闘いに「清廉潔白」を求めるのは共産党だけでいい。
・「豊かで多様な心のポケット」を作り出し、いろんな場面で対応できる「体の隅々までの細胞の力」を蓄えよう。行く先々で千変万化できる適応力が、「いざその時」、役に立ち頼られるに足る自分を作る。いつまでも運動の「パシリ」でいられるわけがない。わずかばかりのサエで、重い課題を背負う時、最悪のダラ官の未来が迫る。
・かつての社会党の問題の一つは、「まともな人間は幹部にならない」、ということにもあった。実は中核派にもそんな側面はある。
・最後に、「やられたらやりかえせ」「倍返し」はいい。ただ、注意と配慮がいる。そのために多くを学びたい。
・「社会主義と何か」。素朴な疑問だけれど、「この社会を何とかしたい」心の現れだ。「外部注入」論もいい、「政治闘争の重視」もいい。けれど、社会に学び社会とともに歩むことを忘れた社会主義って何だ?もっと手間暇かけて「社会」、時には「世間」を学びたい。
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