中間派感想記

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元、栄和3)年.2.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、好感でもなく反感でもない中間色の「検証学生運動評」を確認しておく。

 2015.09.24日 れんだいこ拝


【今西一/氏のコメント】
 今西一/著「松下清雄を語る会について - 立命館大学」の「スパイ・リンチ査問事件の年次」の項で次のように記されている。
 「言い訳ではないが、この事件は、最近れんだいこ氏の『検証学生運動』の中でも、『1952年2月』としている。そこでれんだいこ氏は、52年2月20日の東大内での『劇団ポポロ座演劇発表会に警視庁本富士警察署の私服警官数名が潜入して』いたのを学生が見つけ、一部の学生が警官に暴力を加え、警察手帳を奪った、有名な『東大ポポロ事件』と同時期のものと考えて、なぜ『両事件の関わりが検証されていないのか不自然なことである』とまで書いている」。
(私論.私見)
 今西一/氏がれんだいこ著「検証学生運動」を読み、記述の正確さを検証して下さっているのは分かるが、そして論拠のある指摘をして下さっているのは分かるが、せっかく言及したのなら「検証学生運動」を寸評しておくのが礼儀ではないかと思う。何かこう、依拠した安東本の記述間違いによる、それを踏襲したれんだいこ記述の間違いのところのみ特出させて正しくはこうだよとしているところに閉口させられる。(今読み直してみると、今西一/氏も安東本の記述間違いをそのまま受けて論考「早稲田・1950年」に記述していたところ、法政大学名誉教授の岡田氏から指摘を受け精査し、「1052.2.10日」を「1051.2.10日」に訂正している経緯があるようである)

 私が最近気づきつつあるのは、左派戦線までもが次第に評論下手になりつつあると云うことである。ねだり過ぎのようにも思うが一応書いておく。今西一/氏のネット論文「松下清雄を語る会について - 立命館大学 」がわざわざにコピーできない措置を取っているのは姑息である。こういう論文は気に入った件をコピーし易くしておくのが学術的である。大学が今や仲間内だけの論文砦に篭りつつあるのはお笑いである。

 もとへ。今西論文「松下清雄を語る会について - 立命館大学 」は他の者が「れんだいこ著/検証学生運動」に不言及なところ、内容ではなく期日の誤表記事情を解析したに過ぎないのだけれども、そういう形であれ言及しているところに値打ちがある。これが「れんだいこ著/検証学生運動」に纏わる感想履歴として刻印されることとなった。問題は、その他大勢の不言及続投姿勢にある。れんだいこには左派戦線の無能の証左がここに垣間見えると思っている。平素ことさら難しく語り、読む者をして煙巻きする芸を得意としているようであるが作法が良くない。なるほど批評に値しない代物だから批評しないと云うのであれば、そういう弁は成り立つ。だがしかし、それは読んでからのことだろう。読みもしないで批評に値しないと嘯くのは、立場を替えれば無能丸出し弁となる。そういう訳で、是非にも読んでからの不言及にして貰いたい。これを思えば、今西論文は満足度10の1分ぐらいは誠実を示しているのではなかろうか。読んでなお批評に値しない代物だとするならば、どういうところがそうなのかツッコミして見るべきではなかろうか。それが批評というものではなかろうか。今のところ、ほぼこぞって無視してくださっており、それはお笑いの景観を呈している。 

 2015.9.24日、2020.10.23日更新 れんだいこ拝

【「中部大学附属三浦記念図書館」の「第12回(2015年度第1回)学生選書リスト」に登場】
 「中部大学附属三浦記念図書館」の「第12回(2015年度第1回)学生選書リスト」に「105 戦後史のなかの学生反乱れんだいこ社会批評社」、「106 学生運動の再生は可能か? れんだいこ社会批評社」が登場している。全部で319冊が選ばれており、ちょうど真ん中辺りになる。やや不満であるが光栄とすべしであろう。







(私論.私見)