好感派感想記

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元、栄和3)年.6.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこ処女作「検証学生運動 戦後史の中の学生反乱」の好感感想記をサイトアップしておく。

 2009.10.21日 れんだいこ拝


【周さんのコメント】
 2009..4.13日付けの「周の掲示板の」の管理人周さんからのレスです。
 「周の掲示板にれんだいこさんからの書込み」へのコメント

 この本がここに画像をあげたものです。私は昨日アマゾンで注文しました。明日あたり着くんじゃないかな? それで、以下読みますと、以下のように書いてあります。

 あの日不思議なことに次のような思い出があります。れんだいこは高校三年生でしたがたまたま遅刻し、教員室へ遅刻届を提出しに行ったところ、授業開始ブザーが鳴っていたにも拘らず数名の教師が釘付けでテレビを食い入るように見ておりました。物分かりが良いというか、れんだいこを見て、「おおっ**君、君もどうぞ」と誘ってくれ、暫くの間一緒に見続けた記憶があります。それほど先生方にも関心の強かった事件であったと云うことと、今日では信じられない情味のある教師たちが居たと云うエピソードと共に蘇って参ります。

 れんだいこさんは、私より2歳年下なのですね。私はちょうど大学2年で、このときのテレビの画面の安田講堂のほうにいたわけです。私がいましたのが、ここにれんだいこさんの本の画像を載せましたが、ちょうど赤の矢印の先のあたりにいつもいました。この画像は69年1月18日ですね。19日は、もう放水ばかりで、こんな景色にはならなかったのではないかな。あとヘリコプターは、18日にはけっこうやってきて、催涙液をふんだんに撒きました。あの液は怖かったですね。ただ18日には、そのヘリコプター目がけて盛んにパチンコを打ちましたから、もう19日には来なくなりましたね。たぶん、ヘリコプターには、けっこう当たったのではなかな。

 しかし、思えば、この東大安田講堂のことは、いつまでも記憶されますね。私は、この安田講堂での逮捕起訴勾留のあと、保釈になって、また69年末にも別な件で逮捕起訴勾留されたのですが、そこでもこの安田講堂のことはいつも話題になりました。いえ、その後就職しても、何にしても話になりましてたね。私が自分の思想を語ると、また不思儀なものを目にするような話になったものでした。またれんだいこさんの、この本を読みましたら、私の思いを書いてみます。


 2009..4.14日付けの「周の掲示板の」の管理人周さんからのレスです。

 私の「周の掲示板にれんだいこさんからの書込み」に、そのれんだいこさんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by れんだいこ    2009年04月13日 19:44
 周さん、早速のレス有難う。そういえば、周さんがあの時中に居たというブログを読んだことがあるような。軽い気持ちで言ってはいけないのだろうけど、いい体験ですね。れんだいこが当時の渦にいたら、同じように志願したのではないでせうか。その後レッテルが付いて周り大変であったとしても。

 それはともかく、皆様方の批評を肥やしに続編のエネルギーにしたいと思います。文章をスッキリさせる為に推敲中です。ぜひ忌憚のないご意見聞かせてください。

 ありがとうございます。そうですね。私があのとき東大闘争の安田講堂にいたということは、もう私の生涯において、いわば仕方のない必然だったようなことですが、もうあれから40年が過ぎているのですね。(と書いているうちに、このれんだいこさんの本がアマゾンから届きました)。でも今ではこうして、本に限らずいろいろなものをインターネットで注文し、届けてもらうようになりましたね。もう私は随分前から、パソコン関連もそうですが、今では、日常の食品等々もそうなりましたね。もうこれのほうが確実で面倒がないのです。


【戸田さんのコメント】
 2009.4.18日付けの戸田元門真市会議員の戸田さんからのレスです。
 注目!れんだいこ氏の「検証 学生運動−戦後史の中の学生反乱」が発刊された
 戸田の敬愛する「れんだいこ」さんが凄い本を発刊したので、れんさんの宣伝文書を紹介します。(以下、略)
 人生学院2
 (jinsei/

 学生運動論
 (hgakuseiundo/

 「検証 学生運動 戦後史のなかの学生反乱 」
 (http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-916117-81-6.html
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 れんさんの事は、何となく60年安保世代で共産党に入っていたが離党した人、という感じに思ってましたが、70年入学の「遅れてきた世代」だったとは驚きました。それもカクマル支配の早稲田で。れんさんの本は非常に注目してますし、今後の出版にも期待してます。また、ネットでの「著作権」問題についての見識は秀逸ですね。こちらもぜひ広まって欲しいものです。

 2009.4.18日付けの戸田元門真市会議員の戸田さんからのレスです。
 ◆4/20にこの本を入手し昨日読了しました。問題提起として画期的な本ですね!
 近所の書店で4/20(月)にこの本を入手し、昨日一気に読了しました。今時間がないので短くしかかけませんが、れんだいこ氏ならではの、余人には書けない分析と問題提起が溢れてますね。

 日帝敗戦の1945年から1980年手前頃までの30数年間の左翼運動を学生運動を切り口に、山ほどある論争や課題・問題をテキパキと腑分け展示し、考察すべき問題をそれぞれ手短に記述した本で、各テーマごとに個人で或いは集団で考察を深める、論議を重ねるのに最適なテキストだと思います。ひとつだけ挙げるなら、60年安保ブント全学連の唐牛健太郎と右翼田中清玄との関係(資金援助問題)について、日共からの攻撃にはこう切り返せばよかったのだ、というタンカが面白かった。
 
 れんさんHPである程度は読みましたが、「反日共」左翼も戦後の「徳球の共産党」の事や宮本顕治(ミヤケン)の怪しさについての知識・興味関心がなさすぎる事は、たしかにその通りだと思います。れんさんは今後著作を増やしていくとのことですが、ぜひミヤケン問題もその中に含んでもらいたいと期待してます。「左翼運動破壊者としての宮本顕治」を分析して取り上げた本は未だ無く、れんさんに書いてもらうしかありません。

 2009.4.23日、れんだいこは、次のようにレスさせていただいた。
 Re:戸田さんの的確な批評に敬服します。
 戸田さんちわぁ。読了有難う御座います。「論議を重ねるのに最適なテキストだと思います」との評、これを云っていただけたら著者として冥利に尽きます。

> ひとつだけ挙げるなら、60年安保ブント全学連の唐牛健太郎と右翼田中清玄との関係(資金援助問題)について、日共からの攻撃にはこう切り返せばよかったのだ、というタンカが面白かった。

 有難う御座います。こういう感想をブントの皆様から貰いたいふふふ。
 
> れんさんは今後著作を増やしていくとのことですが、ぜひミヤケン問題もその中に含んでもらいたいと期待してます。「左翼運動破壊者としての宮本顕治」を分析して取り上げた本は未だ無く、れんさんに書いてもらうしかありません。

 確かにそうです。できれば、宮顕在世中にやりたかったです。今となっては、必要なんだけど、少し色褪せます。れんだいこ本の肝は、ネオシオニズム問題、宮顕・黒寛問題を正面に据えているところにあります。誰かが言わなければならないのに今までにないので、れんだいこがはっきり書きました。長生きの作法からすると危険ですが、ええいままよという気持ちで書きました。それにしても、世間の左派を自認する側からのコメントが出ません。この現象こそがオカルトです。このオカルト時代を生きていかねばならないのが辛いです。屈せず腐らず生あるうち太鼓叩きながら進みたいと思います。

 2009.4.23日 れんだいこ拝
 2011.8.13日、れんだいこ「刊行のお知らせ 」。
 2011.08.18日、戸田「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か? 買います!ネットデビュー同期」。
 れんだいこさん、お久しぶりです。掲示板へのアドレス登録ありがとうございます。今後もぜひ投稿して下さい。新刊著作は、本日近所の書店に行って注文してきます。れんさんが書いてくれた活動歴を見て気が付きましたが、

>れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったばかりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」で「いまおもうこと」と題して投稿したところから始まります

 戸田とネットデビューの時期が同じなんですね!改めて親しみを覚えます。
 (戸田は1999年3月にHPを開設して4月市議選で当選し、HP本格稼働) 

 下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析するとのことで、1974年阪大入学〜黒ヘルノンセクトで寮闘争主軸にやってきた戸田としては、上巻よりもグンと興味深い話です。学生運動については、戸田は1982年の反核運動の段階で、市民・労組等に較べてあまりに少数の学生しか動かない状況を見て、
 ・今の日本の学生は、「社会の中で最も意識が遅れた階層」に成り下がってしまい、それは今後も変わらない。
   (70年代前半までは最も先鋭な意識を持った階層だったが)
 ・大学生総体の愚民化・知的レベルと正義感の劣化の進行が著しい。
   (日帝体制の打倒・革命がない限り、その進行は逆転出来ない)
 ・もはや「層としての学生運動」は成立しない。
 ・社会運動の層としては、「行動する若者グループの一員としての学生個人やグループ」が存在し得るのみ。
 ・従って「学生自治会の再建とその戦闘化」を基礎とした学生運動を求めても無駄。

という判断を下しました。その判断は今も、(残念ながら)全く正しいと思っています。

 ここらへんは、れんさんの
  ・・何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこに誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが違い過ぎるからです。我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感でも有り得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

という感覚も同じだろうと思います。れんさんのますますのご活躍に期待します。
 2011.8.18日、れんだいこ「Re:お互いに頑張りませう」。
 戸田さんちわぁ。下巻読了前のコメント有難う。ぜひ読了後のコメントもお聞かせください。「戸田とネットデビューの時期が同じなんですね!改めて親しみを覚えます」とのこと互いに慶祝しませう。

 上巻で国際金融資本帝国主義論を記したところ不評の評をいただきました。下巻では上巻以上に踏み込みました。これが吉と出るか凶と出るかは分かりません。今は評を待つばかりです。特に目新しい記事がないとの評もいただいております。しかしそれはないものねだりで、目新しい記事があったとしても重要でないものまで書けません。評していただきたいのは、れんだいこの切り口と見立てです。これのデキが良いのかデタラメと評されるのか、こういうところに興味を持っております。

 学生運動セクト評としては日共民青ダメ、革マルダメ、中核やや良し但しなお苦闘を要す、ブントやや良し但し欠点あり、結論として頼るべき党派なし、全学連再建良しという観点から論を構築しております。これが吉と出るか凶と出るかは分かりません。

 こたびの下巻の特徴は、連合赤軍事件、党派ゲバルト等々よほど重要と思われる個別事案を解析していることです。ロッキード事件考も無理やり入れました。れんだいこの見立てに賛同してくださる方、反論される方があると思います。この辺りは出たとこ勝負です。批評がないのが一番さみしいやね。今はこれを待つ身です。

 2011.8.18日 れんだいこ拝
 2011.09.5日、戸田「◎戸田の感想意見1:(時間不足で少ししか書けませんでしたが)」。
 8/22頃に入手し、帰宅途上の居酒屋で一服するついでに「まずはちょっとだけ読んでおこう」と読んだのですが、非常に面白くて居酒屋で全部読んでしまいました。(興味の順として「日本赤軍考概略」、「よど号赤軍考概略」、「連合赤軍考」、「党派間ゲバルト考」、「三里塚闘争概略」、「新日和見主義考」・・・ほか全体と進みました)

 フーム、とうなる所多々あり。感想を投稿しようと思いつつ、例の如くだいぶ遅れてしまいましたが、思いつくままに感想を書いていきます。(ただしポツポツとしか書けませんので、気長におつきあい下さい)
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1:「連合赤軍考」で:
 ・「陰惨なリンチ粛正殺人を生み出した根幹は、異様な独裁主義の規約にあり」という指摘は、たしかに誰もしなかった、れんさん独自の指摘であり目が開かれた思いだ。
 ・連合赤軍の党規約条文の異様さを具体的に知ったのは、戸田は今回が初めて。
 ・「こんな酷い規約文を誰が作成し、どこで決めたのか」、「これがどこから持ち込まれたのか(思想的経路)」の検証がなされていない事のダメさの指摘にも賛同。

 ・連赤問題考察での「規約問題の軽視」は2つの面があると思う。左翼党派の人間は、「武装闘争実行の党規約なら指導部絶対制の規約は大同小異」との認識だし、非党派の人々は自由人連合的な自分らの運動体験から「規約の重大性」を認識しない。

2:全体を通して:
 「1970年早稲田入学の戦闘的民青活動家」で、卒業後左翼運動から離れたが「左翼の赤心捨て難く」、種々の人生体験を経て「今度は日本社会主義革命に勝利できる左翼運動の出直し的再構築の理論先導者たらん」とするれんさんだからこその、他の左翼体験者にはない鋭さがある。

 1)新左翼潮流と共産党を等しく「日本の左翼」と捉えた経過記述と分析をしている。(ただし、共産党については宮顕→不破路線を意識的反革命と指弾) 全共闘運動時代頃からは、共産党以外の全ての左派・リベラル派と共産党とは、お互いに「別世界の生き物」という感じになり、それぞれにとって相手方の動きは「左翼陣営内の出来事」とは捉えず、関心すらを持たない姿勢が年々固まっていった。

 だから新左翼・全共闘派にとって1972年の「新日和見主義事件」(=共産党の戦闘的部分の大量処分)など含めて共産党圏内の動向は全く関心対象にならなかった。(せいぜい「日共がますます右傾化した」という一般論的評論程度)

 (この項、時間がないので後ほどまた、)

3:「党派間ゲバルト考」で:
 ・1972年の早稲田大学でのカクマル派に対する大衆的糾弾闘争に関して、当時2年生で早稲田の民青活動家だったれんさんの体験による描写と分析が圧巻!
 ・「解放派部隊の早稲田帰還」を熱狂的に歓迎した学生大衆の様子が目に浮かぶし、その心情が戸田には理解できる。
 
 ★そういう現場体験を踏まえたれんさんの第4インターの「内ゲバ反対論」への批判に、戸田は深く賛同する。(大和郡山市に行く時間になったので、今日はここまで)
 2011.9.6日、れんだいこ「Re:◎戸田の感想意見謝謝」。
 戸田さんちわぁ。下巻評有難う。戸田さんのこの論評が第一号なのではないかな。左派圏が失語症に陥っていることを如実に示していると思います。下巻にも書きましたが、左派理論が既に時代を斬れなくなっております。前衛ではなく後衛に廻っており、そのなかでイチャモン運動、スキャンダル暴露運動に転じています。この時代を何とかせんとなぁと苦吟しているのは事実です。

 「連合赤軍考」での「陰惨なリンチ粛正殺人を生み出した根幹は、異様な独裁主義の規約にあり」という指摘は、れんさん独自の指摘であり目が開かれた思いだとの評、有難う。「1970年早稲田入学の戦闘的民青活動家で、卒業後左翼運動から離れたが左翼の赤心捨て難く、種々の人生体験を経て今度は日本社会主義革命に勝利できる左翼運動の出直し的再構築の理論先導者たらんとするれんさん」との評、有難う。「他の左翼体験者にはない鋭さがある」との評、有難う。「党派間ゲバルト考」で、「1972年の早稲田大学でのカクマル派に対する大衆的糾弾闘争に関して、当時2年生で早稲田の民青活動家だったれんさんの体験による描写と分析が圧巻!。解放派部隊の早稲田帰還を熱狂的に歓迎した学生大衆の様子が目に浮かぶし、その心情が戸田には理解できる。そういう現場体験を踏まえたれんさんの第4インターの「内ゲバ反対論」への批判に、戸田は深く賛同する」との評、有難う。何か有難うずくめになりましたが、戸田さんの評もさすがに的確だと思います。

 他にも縷々私説、私見を述べており、日本左派運動が本書を叩き台に議論してくれれば本望なんだけど、買おうか買うまいかなど的論評レベルでは情けない限りです。れんだいこは還暦を超えて今や居直っております。これまで難しい理論や思想、長たらしい何を云っているのか分からない論文に付き合わされて参りましたが全てウソです。真実は分かり易く説けてこそ一人前と確信するようになりました。この確信を元手にまだまだ突っ走るつもりです。続評どんどん頼みます。批判、反論でも何でも構いません。ロムの皆さまも宜しくね。

【海野さんのコメント】
 「今週の本棚」の海野隆・氏の2009/04/24日付け投稿 「『検証 学生運動(上巻) 戦後史のなかの学生反乱』を読んで」を転載します。
 『検証 学生運動(上巻) 戦後史のなかの学生反乱』を読んで
 海野隆2009/04/24

 昭和25年生まれの著者は、戦後学生運動の流れを概観し、「左派運動」低迷の原因と欠陥を乗り越える確信と展望を獲得したいとしています。昭和28年生まれで、左翼に「かぶれた」経験をもつ評者としては、本書の中の提言について同意・同感する点が多々あります。

 著者のれんだいこ氏はインターネット上に「人生学院」というサイトを立ち上げて、様々な社会的政治的な事象や歴史・宗教等について活発な発言をしています。著書自身のプロフィールによれば、過去(日本共産党系の)民主青年同盟に所属したことがあるが、その後、党派からは離れ、現在は自営業を営みながら当時の社会的政治的な背景や著者自身の思想的遍歴も含めて、戦後左翼運動の検証に乗り出しているというところでしょうか。本書は、上記の「人生学院」に「戦後学生運動考」としてアップされた論文を元にしています。

 昭和25年(1950年)生まれといいますから、団塊の世代の最後尾に位置しています。評者は昭和28年生まれですから、ほぼ同世代に生きてきたというべきです。しかし、この著書を読んで、この3年間の隔たりは意外に大きいのではないかとも感じました。当時の学生運動をめぐる状況も大きく流動していたということでしょう。

 評者も、もう充分オジさんになっていますから、自分の子供達に当時の話をしてもさっぱり理解してもらえず、世代間のギャップというか断絶を感じているところです。たまに、いくつかの大学構内を歩くこともありますが、建物も本当にきれいになって、政治的スローガンを書きなぐったタテ看板などお目にかかることもありません。したがって現在、学生運動という実態があるのか、有効な政治的影響を与える運動が行われているのか、実は分かりません。

 評者が高校に入学したのは昭和43年(1968年)で卒業したのが46年で、在学中は激しく学園紛争が闘われ、東京大学の入学試験が中止になりました。高校の学園祭には、後に赤軍派に所属し銃砲店襲撃を行ったヘルメット姿の過激派高校生一団が出現して驚いたものでした。国際的には、ベトナム紛争やプラハの春の時代でした。大いに揺れ動いた時代だった記憶があります。

 1年遅れて入学した大学は、まことに静かなものでサークル運動が華やかでした。確かに「一部学生」には、政治的な運動を志向する勢力も残っていました。しかし、多くの学生は学問と就職、日常の学生生活をエンジョイする気分に満ちていました。評者は、その「一部学生」に当たり、日本社会の現実を本当に良く理解し、それまでの思想や考え方を改める(マルクスの呪縛からの解放、思想的転向)には、それから平成元年(1989年)12月のベルリンの壁崩壊までの時間が必要でした。その時に至ってやっと普通の考え方ができるようになったのです。

 実は、本書の扱っている「学生運動」に、評者が大学に在籍した時代は含まれていません。著者によれば、それ以降は「これという新たな質が認められないから」であり、「次第に運動の低迷と四分五裂化を追って行くだけの非生産的な流れしか見当たらない」からだと述べています。

 本書は、戦後学生運動の流れを概観し、「左派運動」低迷の原因と欠陥を乗り越える確信と展望を獲得したいとしています。左翼に「かぶれた」経験をもつ評者としては、本書の中で提言される様々な指摘について、同意・同感する点が多々あります。特に、四分五裂する党派間の違いを説明する「ある種の気質の差」というのは、経験的に案外的を得ているのではないかと思われます。また、「日本左派運動は、本当のところ自己満足的な革命ごっこ劇場を単に欲している」というのも頷けます。

 しかし、本書の執筆動機と述べている政治状況が、「革命」を欲しているとは考えられず、また、本書の随所で見られるロスチャイルド派国際金融資本帝国主義の陰謀説・黒幕説は、評者は同意できませんが、それにしても唐突な印象です。もう少し、丁寧な説明と言及が必要だと思われます。それでも戦後学生運動全体を概観することができるので、左派思想を奉じる方々は学習しなければならない、ということなのでしょうか・・・。

【かわふくG)さんのコメント】
 「2015年03月22日/」。

 「検証学生運動」評について 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 2月25日(土)22時29分19秒

 nelu(かわふくG)さんちわぁです。れんだいこの学生運動論につき書評が少ないところ、nelu(かわふくG)さんがそれなりにしてくださっていることに謝辞します。特に、引用されているところの「資本主義ははたして歴史法則なりや」と云うれんだいこの問いかけの部分を採り上げ、興味を抱いて下さることに関して、よくぞ採り上げくれたと感慨しております。この問いかけは本質的に重要で、このように問うた例を知りません。その例のないところの問いかけに反応して下さったところがうれしいです。この問いかけは、れんだいこの中で今も続いております。皆さまと共に熟考したいと考えております。

 れんだいこの学生運動論は、その他その他いろんなところで従来の観点と違う見方を披歴しております。このことが書評を少なくさせている原因ではなかろうかと考えております。こういう場合、どなたかが、れんだいこ立論の是非評を発表して下さることが議論の始発になるのではないかと思います。れんだいこは既にボールを投げているのですから、どなたかが受け止め賛意するなり批判するなりの論の提起が待たれている訳です。

 nelu(かわふくG)さんの書評は本格的なものとして値打ちがあります。願わくば、竹田誠氏がどうだとか話を脇へ振らないでほしいと思います。れんだいこ文に則して御意、批判、反論を繰り広げてくださった方が有り難いです。巷間、れんだいこのオリジナル的発想が無視され、研究用材料にしてストックしておいたものを採り上げコピペ野郎だとか著作権泥棒だとか何だとかの批判がされております。

 障らぬ神にタタリなしで無視しておりますが、この手合いに、れんだいこが如何につたない知識のままながらも真剣に思想的営為をしているのか、その結果が耳目を引くに足る所論を提起しているかを伝えてくだされば有り難いです。いくら提起しても糠釘が一番さみしいです。そう云う意味で、nelu(かわふくG)さんの書評は本格的なものとして初のものだというところに値打があります。宜しければ何の忌憚もなく続行してください。れんだいこの励みにもなります。遅くなりましたが感想を述べさせていただきました。

 2012.2.25日 れんだいこ拝


【『OpenBD』さんのコメント】
 ネット検索で「(『OpenBD』より)」に出くわした。的確を射た評論である。感心致しました有難う。
 あらすじ・抄録等

 戦後学生運動の崩壊を検証する本は全くない。これはその検証の最初の試み。上巻に続き内ゲバや連合赤軍事件など解明。学生運動の崩壊・終えんは語られるが、その原因を検証・総括する本は、意外にまったくない。この理由はわからないが、戦後あれほど時代を揺るがした学生運動の崩壊とその原因を解明することなしに、日本社会のあり方は分からなくなるだろう。 そういう意味で、この本はその検証の最初の試みである。上巻に続いて1970年以降、なぜ学生運動は後退したのか、崩壊したのかー内ゲバや連合赤軍事件などその一つ一つを検証・解明していく。

【その他短いコメント】
 「アマゾン・コムのカスタマーレビューのコメント」を転載しておきます。

 ZYXさんのコメント
 著者はいろいろな史料をよんでいて、それなりに読ませる内容となっている。だが著者は木村愛二・西岡昌紀のホロコースト否定論や、偽書『シオンの賢者の議定書』の真作説などをとなえている。太田龍にも肯定的である。つまり、極右的傾向と左翼的傾向を同時に持った人物である。その点警戒が必要である。

 なな
(東京都杉並区)さんのコメント 
 奇しくも今年は、あの東大闘争から40周年目を迎える。新年の初めにはいくつかこの東大闘争の特集番組もあった。問題は、こういう特集番組の中でも、今現在、学生運動がどうなっているのか、ということについては、メディアはまったくふれないということだ。こういうなかでの本書の発行は、グッドタイミングかもしれない。学生運動とはまったく縁がなくなってしまった現役の学生たちに、ようやく考えるきっかけの本が出たからだ。時代は「大学はでたけれどもーー」という情況になっている。こういう時代の中で、再び学生運動が起きなかったとするならば、日本の青年たちは終わりになるだろう。しかし、こういう運動は必ず甦るものである。ところが、運動が再興したとき、再び間違った方向に行かないためには、この学生運動の検証が必要だろう。二度と誤りを繰り返さないために。
 「お笑い日本共産党掲示板」での、KM生 さんのコメント
 2年半ぶりの待望の下巻だったが、正直言って上巻ほどの感銘は受けなかった。むろんこれは著者の責任ではなく、扱った時代が学生運動の衰退期のためであろう。しいて言えば、著者自身が早大出身のせいか、「早稲田のカクマル追放経過」が面白かったくらいである。最早「学生がインテリ階層で、インテリが民衆を指導する」という宮顕的キューバ型革命論は、高度大衆社会の成立した現代日本(に限らず先進国化した韓国などでも)該当しないということであろう。ましてや、学生運動を「党勢拡大の草刈り場」としかみない日共などは噴飯ものである!!

【「マル共連BBS再建協議委員会(準)」での「検証学生運動」を廻るやりとり考】
 「マル共連BBS再建協議委員会(準)」の無名氏の2008.2.8日付けの評を転載しておく。
 「上巻、私も曽て読みました。「れんだいこの人生学院」をもとに編集したようです。率直に言いますと、ネット上ではなかなかのものに思えた各項目が、本になってみると、文章量が少なくコクに欠けるという印象を持ちました。こまぎれでつっこみの浅さを感じてしまいます。それに、各項目もだいたい既知の事実を整理したもので、著者が独自に掘り起こした新事実はあまりないように思いました。ネット上で二千字の文章を読まされるとうんざりしますが、本の場合はこれでも短いほうでしょう。ネットと本の性格の違いを踏まえて、書き直す必要があったのでは、と思います。上巻を読んだとき、この印象を著者にメールしようかと思いましたが、傷つけるだけになりそうでやめました。下巻が出るとのことなので、書いておきます。まあ、私は基本的には活字人間なのでこのような印象をもつのかもしれません。若い世代は、別かもしれません。ともかく、出版ご苦労様でした。下巻も買って読みます」。

 無名氏の評は、「出版ご苦労様でした。下巻も買って読みます」と述べており心情的には悪意はないようである。他所で「読むに値せず」的悪意の評も為されていることに比べればマシかもしれない。但し、評の内容は悪意に満ち満ちている。即ち、「ネット上ではなかなかのものに思えた各項目が、本になってみると、文章量が少なくコクに欠けるという印象を持ちました。こまぎれでつっこみの浅さを感じてしまいます」が酷い。ネット分に比して文章量が少ないのは事実だが、それが為に「コクに欠け」たり、「こまぎれでつっこみの浅さを感じてしまいます」の評をいただくようなものではない。むしろ、長文化して要点がぼける非を排斥し簡潔的確に素描しており、にも拘わらず突っ込みも的確無比にしているはずである。無名氏が斜め読みしない限り、こういう評は生まれない。

 「各項目もだいたい既知の事実を整理したもので、著者が独自に掘り起こした新事実はあまりないように思いました」も酷い。実際は、既知の事実をれんだいこ史観で精査し系統的に整理しており、「著者が独自に掘り起こした新事実はあまりない」と評するのは余りにも凡庸で、実際には学生運動史解析の新たな視座が与えられたことを僥倖と評価すべきであろう。そもそも戦後学生運動史を質の差から10期に区分した手法からして斬新である。マルクス主義用語に於けるドイツ語の「アウへーベン」の訳を従来の「止揚」、「揚棄」を改め「出藍」と新訳している点も評価されるに値しよう。こういうことを言い出したらキリがないほど豊かな視点に満ち溢れていると云う評こそが相応しい。読者がこれを言わずに著者に言わせるから可笑しい訳である。

 当人は、「私は基本的には活字人間なのでこのような印象をもつのかもしれません」と上から目線で物言いしているが、滑稽且つ失礼な評でしかない。要するに、そのようにしか評価し得ない己の感性、能力の貧相さを晒しているに過ぎない。しかしそれは、れんだいこの責任ではなく、読み手の責任であるからして、れんだいにはどうしようもできない。故に世話を焼くつもりもない。例えて云えば、囲碁で、六段の者と初級の者が囲碁論を交わしても話しが通じにくいのと似ている。無名氏を囲碁初級の者とは思わないが三段を超える手合いの者ではない。仮に当人が俺は五、六段級の高段者と吹聴しようとも、いざ手合わせして打ってみたら手応えで分かる。囲碁の場合には勝負の決着がつくが、論評の場合には勝敗も客観値的な採点もつかない。それを良いことに格好つけて評しているに過ぎない。こういう場合、実際にれんだいこの「検証学生運動」を読み、上記の無名氏の評を呼んだ者の個々の評の判定を集積させて判断するしかない。

 この点で、すえいどん氏が、「れんだいこ氏の資料収集には感謝しております。私も活字人間ですが、これはこれで労作と思いました。結論に異論があるとしても、この作業には敬意を表すべきではないかと・・・・」と評しているが、これが素直な評であろう。これに対して、無名氏が「敬意を表することと、率直に印象を語ることは別だと愚考いたします。これ以上は水掛け論ですね」とレスしている。まさに水掛け論なのだが、同じ水掛け論でも中身が問題で、「率直に印象を語る」のは良いとしても、その素直な印象の質が問われており、素直であれば良いと云うものではなく切磋琢磨する自己責任的能力が問われていることを弁えるべきだろう。これは、れんだいこ著作のみならず何にでも通用する評する際の作法の問題である。とはいえ、評なきよりもマシと云うことは言えよう。以上、遅くなったが評しておく。

 2013.11.20日 れんだいこ拝

【「自由のための「不定期便」」氏の共感書評】
 「自由のための「不定期便」」氏の2008/11/25日付けブログ「昭和の抵抗権行使運動(55):60年安保闘争の評価(1)」。
 60年安保闘争を主導したブントと主流派(ブント系)全学連の闘いは、その後、どのように評価されているのか。既成左翼からの「トロツキスト」とは「プチブル急進主義」とかの皮相なレッテル貼りには関心はない。闘争の渦中にあった人たちの思想的な総括をこそ知りたいのだが、島さん・唐牛さんをはじめ中心的な役割を果たした人たちは多くを語ることなく、政治の世界から身を引いていったようだ。私の貧しい知識では、真摯な総括としては三上治さんの『独立左翼論』しか知らない。それを読んでいこうと思う。と思いつつ、ネットサーフィンをしていたら、 「人生学院」 というブログに出会った。管理人は「れんだいこ」と名乗っている。以下「れんだいこさん」と呼ぶことにする。

 れんだいこさんのブログは、全体の量が厖大で、かつ論題も多岐にわたっている。私にはまだ全体像がつかめていない。また、今まで目を通した範囲では、その論文はおおかた共感できるもので、質もなかなかのものだ。資料集としても充実している。これから大いに利用させてもらうことにする。論評部分を引用するときはその旨を断り書きするが、資料部分については断りなく利用させてもらおう。さっそく、れんだいこさんの60年安保闘争評価の弁を引用しておこう。
 60年安保闘争は日本政治史上のエポックとなっており、社会党、総評、日共は手柄話の如く語っている。しかし、末端組織での動員レベルでそう語るのは問題無しとして、宮顕系日共党中央が「あたかも闘いを指導した」かの如く誇るのは史実に反する。事実は、ブント系全学連こそが「60年安保闘争」の情況をこじ開け、檜舞台に踊り出、全人民大衆的闘争に盛り上げたのではなかったのか。れんだいこの検証に拠ると、宮顕系日共党中央は意図的に懸命になって闘争圧殺に狂奔している。案外と知られていないが、これが史実である。

 その闘いぶりは世界中に「ゼンガクレン」として知られることになった。この渦中で、民青同系は遂にブント系全学連と袂を分かつことになった。こうして学生運動は革共同運動のそれも含め三分裂化傾向がこの時より始まることになった。6・15の国会突入でブントの有能女性闘士樺美智子が死亡し、大きな衝撃が走った。この闘争の指導方針をめぐって全学連指導部と日共が対立を更に深めていくことになった。

 結局、日米安保条約が自然成立した。しかし、アイゼンハワー米大統領の訪日は実現できなかった。岸内閣は倒閣された。岸のタカ派的軍事防衛政策はその後20年間閉居を余儀なくされることになった。「60年安保闘争」の総括をめぐってブント内に大混乱が発生することになった。ブントは自らの偉業を確信できず、宮顕日共のトロツキズム批判と革共同の駄弁に足元を掬われていった。

 しかし考えてみよ。60年安保闘争を渾身の力で闘い抜いたブント系全学連のエネルギーこそは、日本左派運動史上に現出した「金の卵」ではなかったか。社会背景が違うとはいえ、70年安保闘争は足元にも及ばない国会包囲戦と国会突入を勝ち取り、岸内閣が目論もうとしたタカ派路線のあれこれの出鼻を悉く挫いたのではなかったか。全国に澎湃と政治主義的人間を創出せしめた。これらは明らかにブント的政治戦の勝利ではなかったか。
 また、れんだいこさんは「戦後学生運動の高揚と凋落」の真の要因を保守ハト派と保守タカ派の抗争に求めてている。そして、「戦後学生運動の高揚と凋落」を、1960年代から現在までの政治状況とからめて、次のように俯瞰している。とてもユニークで説得力のある観点だと思う。
 そうした「戦後学生運動の1960年代昂揚」の凋落原因を愚考してみたい。

 れんだいこは、
1・民青同の右翼的敵対
2・連合赤軍による同志リンチ殺害事件
3・中核対革マル派を基軸とする党派間テロ
の3要因を挙げることができる。しかし、それらは真因ではなくて、もっと大きな要因があるとして次のように考えている。

 戦後学生運動は、ある意味で社会的に尊重され、それを背景として多少の無理が通っていたのではなかろうか。それを許容していたのは何と、戦後学生運動がことごとく批判して止まなかった政府自民党であった。ところが、その「政府自民党の変質」によって次第に許容されなくなり、学生運動にはそれを跳ね返す力が無く、ズルズルと封殺され今日に至っているのではなかろうか。凡そ背理のような答えになるが、今だから見えてくることである。

 思えば、「戦後学生運動の1960年代昂揚」は、60年安保闘争で、戦後タカ派の頭脳足りえていた岸政権が打倒され、以来タカ派政権は雌伏を余儀なくされ、代わりに台頭した戦後ハト派の主流化の時代に照応している。このことは示唆的である。

 60年代学生運動は、諸党派の競合により自力発展したかのように錯覚されているが、事実はさに有らず。彼らが批判して止まなかった政府自民党の実は戦後ハト派が、自らのハト派政権が60年安保闘争の成果である岸政権打倒により棚からボタモチしてきたことを知るが故に、学生運動を取り締まる裏腹で「大御心で」跳ね上がりを許容する政策を採ったことにより、昂揚が可能になったのではなかろうか。

 これが学生運動昂揚の客観的背景事情であり、れんだいこは、「戦後学生運動の1960年代昂揚」はこの基盤上に花開いただけのことではなかろうか、という仮説を提供したい。この仮説に立つならば、1960年代学生運動時代の指導者は、己の能力を過信しない方が良い。もっと大きな社会的「大御心」に目を向けるべきではなかろうか。

 今日、かの時代の戦後ハト派は消滅しているので懐旧するしかできないが、戦後ハト派は、その政策基準を「戦後憲法的秩序の擁護、軽武装たがはめ、経済成長優先、日米同盟下での国際協調」に求めていた。その際、「左バネ」の存在は、彼らの政策遂行上有効なカードとして機能していた。彼らは、社共ないし新左翼の「左バネ」を上手くあやしながらタカ派掣肘に利用し、政権足固めに利用し、現代世界を牛耳る国際金融資本財閥帝国との駆け引きにも活用していたのではなかろうか。それはかなり高度な政治能力であった。

 れんだいこは、論をもう一歩進めて、戦後ハト派政権を在地型プレ社会主義権力と見立てている。戦後ハト派の政治は、
1・戦後憲法秩序下で
2・日米同盟体制下で
3・在地型プレ社会主義政治を行い
4・国際協調平和 を手助けしていた。してみれば、戦後ハト派の政治は、国際情勢を英明に見極めつつ、政治史上稀有な善政を敷いていたことになる。実際には、政府自民党はハト派タカ派の混交政治で在り続けたので純粋化はできないが、政治のヘゲモニーを誰が握っていたのかという意味で、ハト派主流の時代は在地型プレ社会主義政治であったと見立てることができると思っている。

 ちなみに、次のようなエピソードが伝えられている。

 「焦土と化した日本の国土と、敗戦による荒廃した人心をいかに立て直すか、これが当時有為の人間の、言葉に出さない共通命題だった。『学生は未来の社会の宝だ。出来ることなら逮捕を避けろ』といった公安幹部が、当時、少なからずいたという」(東原吉伸)

 「1970の安保闘争の頃、フランスのル・モンドの極東総局長だったロベール・ギラン記者が幹事長室の角栄を訪ねて聞いた。全学連の学生達が党本部前の街路を埋めてジグザグデモを繰り広げていた。ギラン『あの学生達をどう思うか』。角栄『日本の将来を背負う若者達だ。経験が浅くて、視野は狭いが、まじめに祖国の先行きを考え、心配している。若者は、あれでいい。マージャンに耽り、女の尻を追い掛け回す連中よりも信頼できる。彼等彼女たちは、間もなく社会に出て働き、結婚して所帯を持ち、人生が一筋縄でいかないことを経験的に知れば、物事を判断する重心が低くなる。私は心配していない』。私を指差して話を続けた。角栄『彼も青年時代、連中の旗頭でした。今は私の仕事を手伝ってくれている』。ギランが『ウィ・ムッシュウ』と微笑み、私は仕方なく苦笑した」(早坂著「オヤジの知恵」)

 今は逆で、タカ派主流の時代である。そのタカ派政治は、戦後ハト派政権が扶植した在地型プレ社会主義の諸制度解体に狂奔している。小泉政権5年有余の政治と現在の安倍政権は、間違いなくこのシナリオの請負人である。この観点に立たない限り、小泉―安倍政治の批判は的を射ないだろう。この観点が無いから有象無象の政治評論が場当たり的に成り下がっているのではなかろうか。

 そういう意味で、世にも稀なる善政を敷いた戦後ハト派の撲滅指令人と請負人を確認することが必要であろう。れんだいこは、指令塔をキッシンジャー権力であったと見立てている。キッシンジャーを動かした者は誰かまでは、ここでは考察しない。このキッシンジャー権力に呼応した政・官・財・学・報の五者機関の請負人を暴き立てれば、日本左派運動が真に闘うべき敵が見えてくると思っている。

 このリトマス試験紙で判定すれば、世に左派であるものが左派であるという訳ではなく、世に体制派と云われる者が右派という訳ではないということが見えてくる。むしろ、左右が逆転している捩れを見ることができる。世に左派として自称しているいわゆるサヨ者が、現代世界を牛耳る国際金融資本財閥帝国イデオロギーの代弁者でしかかないという姿が見えてくる。この問題については、ここではこれ以上言及しないことにする。

 1976年のロッキード事件は、戦後日本政治史上画期的な意味を持つ。このことが認識されていない。れんだいこ史観によれば、ロッキード事件は、戦後日本の世にも稀なハト派政治の全盛時代を創出した田中―大平同盟に対する鉄槌であった。ロッキード事件はここに大きな意味がある。ここでは戦後学生運動について述べているのでこれにのみ言及するが、「戦後学生運動の1960年代昂揚」にとって、ロッキード事件は陰のスポンサーの失脚を意味した。この事件を契機に、与党政治はハト派主流派からタカ派主流派へと転じ、それと共に戦後学生運動は逆風下に置かれることになった。

 その結果、1980年代の中曽根政権の登場から始まる本格的なタカ派政権の登場、そのタカ派と捩れハト派の混交による政争を経て、2001年の小泉政権、そして現在の安倍政権によってタカ派全盛時代を迎えるに至った。彼らは、現代世界を牛耳る国際金融資本財閥帝国の御用聞き政治から始まり、今では言いなり政治、更に丸投げ政治を敷いている。現下の政治の貧困はここに真因があると見立てるべきであろう。

 ここでは戦後学生運動について述べているのでこれにのみ言及するが、彼らにあっては、戦後学生運動は無用のものである。故に、断固鎮圧するに如かずとして、もし飛び跳ねるなら即座に逮捕策を講じている。今ではビラ配りさえ規制を受けつつある。この強権政治により、うって変わって要らん子扱いされ始めた学生運動は封殺させられ、現にある如くある。

 れんだいこ史観では、「戦後学生運動の1960年代昂揚の衰退」はもとより、社会党及び日共宮顕―不破系の協力あっての賜物であった。彼らは、その党派の指導部を掌握し、口先ではあれこれ云うものの本質は「左バネ潰し」を任務としてきた。こう見立てない者は、口先のあれこれ言辞に騙される政治的おぼこ者でしかない。これらの政策が殊のほか成功しているのが今日の日本の政治事情なのではなかろうか。成功し過ぎて気味が悪いほどである。

 このように考えるならば、戦後左派運動は、その理論を根底から練り直さねばならないだろう。結論的に申せば、宮顕―不破―志位系日共理論は特に有害教説であり、彼らは思想的には左派内極限右翼であり、「左からの左潰し屋」である。一体全体、野坂、宮顕、不破の指導で、日本左派運動に有益なものがあったというのならその例を挙げてみればよい。れんだいこはことごとくそれを否定してみよう。しかし、一つも事例が無いなどということが有り得て良いことだろうか。

 それに比べ、新左翼は心情的にはよく闘ってきた。しかし、闘う対象を焦点化できずにのべつくまなく体制批判とその先鋭化に終始し過ぎてきた。政府自民党批判の水準に於いては日共のそれとさして代わらない代物でしかなく、それは無能を証している。為に、その戦闘性が悪利用された面もあるのではなかろうか。あるいは消耗戦を強いてきただけのことなのではなかろうか。

【アムアム・プーさんの感想書評】
 「検証 学生運動 戦後史のなかの学生反乱の感想・レビュー・書評」の2024年4月9日「アムアム・プーさんの感想」。
 なかなか難しい1冊でありました。特に言葉。学生運動独特の言い回し、専門的な団体の名前、思想、流派の違いに戸惑いながらも、上下巻読みきりました。子供の頃、耳で聞いていた言葉、ゲバルト、中核派、革マル派、反共等の言葉がこの歳にして、ようやくその意味がわかりました。そして、今、学生運動について興味を持って学習しようと思っても、それを扱った書物があまり多くないことにも驚きました。正に、日本の黒歴史と言ってもよい。でも、そんなに昔の出来事ではない。同時に、日本の現在の政治が、どうしてこんなに自民党一党独裁になってしまったのかも、非常によくわかりました。結局は、共産党や左翼は勝手に分裂し、思想をぶつけることでは飽き足らず、リンチやテロ、殺人等の暴力行為でしか満足出来なくなってしまった。これが、非常にもったいない。我々の先祖がこんなんであったことは、誠にもって残念でならない。それが、よく理解できる本である。




(私論.私見)