革共同革マル派組織論批判No.0123 批判【Ⅲ/Ⅳ】

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 2013.01.28日 れんだいこ拝


 「革共同革マル派組織論批判No.0123 批判【Ⅲ/Ⅳ】」。()
6 革マル派の「組織建設」―
「党派闘争」―「のりこえの立場」の
  反プロレタリア性
 


 これまでの整理でもわかるように、革マル派は「組織建設」を革命運動上の唯一現実性としてみている宗派である。そういう点では革マル派の運動、組織上の混乱、矛盾はこの中に鋭くあらわれる。革マル派にとつては「組織建設」は「党派闘争」と不可分のものであり(特に革マル的な意味で)、それは「のりこえの立場」において「統一」されている。そしてまた、あらゆる運動、闘争上の矛盾もこの「のりこえの立場」において「解決」されたとしている。したがつて、最後にこの「のりこえの立場」なるものの反プロレタリア性を批判していこう。 
 この場合、次のような方法をとりたい。まずはじめに、主に学生運動を軸として、現実的な「闘い」の中で革マル派が直面してきている間題を整理する。つまり、革マル的に路線化されていく以前の「直接的な問題意識」をみるのである。しかも、その場合、革マル派がこの間題を比較的なまに出している学生運動の側面から接近する(労働運動面については5の中で必要なかぎりふれてみた)。その上にたつて、トロツキスト同盟以来の加入戦術の問題の組織論分野における革マル派の「発展」の歴史を整理してみよう(主に黒田寛一の著述をめぐって)。展開の都合上、学生運動のそれは70年以後のものを主とする。なぜならば、次にみるように、彼らの組織建設をめぐる矛盾が日韓闘争以後もっとも鋭く出てくるのがこの時期だからである。 

(1)革マル派の組織建設をめぐる矛盾と混乱
 ―70年以降を軸として―
 まずはじめに『共産主義者』No25―「マル学同組織建設のために」という田中三郎なる署名論文を素材としてとりあげてみよう。これは、これまでみてきた革マルのジクザクが組織建設においてどのように出ているかの典型だからである。これは、副題が「主体形成主義からの最後的決裂」となっていることからもわかるように、革マル派の一つの原点となつている「小ブル主体性論」が運動上矛盾をおこしており、それを革マル派は消し去ることを通して、「中味」らしきものをますます失い、空虚になつていく過程を表現している。 
 この論文の構造は次のようになっている。
「1、組織論―その固有の領域と方法」の中で次のようにいう。 
 梅本の主体性論の中に「ちりばめられている」すぐれた側面つまり「・・・かくて組織は、現在における唯一のありうべき真実の人間関係の場所となる」等々の把握は、「哲学主義」にとどまり、「組織論」の解明において破綻した。革マル派の中では、反スタ運動の独自性を、その哲学的前提(主体性論等)に還元しようとするような傾向があり、それが組織構成員としての自己の限界と結びつく時、主体形成主義が出てくる。これは「組織論的地平」からはなれた地平で、自分の限界を「一個の人間としてのプロレタリア的主体性(自覚)の未確立にある」とすることが正しいと思い込む形で出てくる。これは誤りであり、「主体性論(人間論)あるいは自覚の論理」と「組織論あるいはプロレタリアート組織化の論理」の区別がどうしても必要であるという。 
 そして次のように解答を出す。「即自的プロレタリア(としてのこのおのれ)が、いかに階級的自覚をかちとるかの主体的=唯物論的究明が主体性論であるのに対して、すでに自覚した革命的プロレタリアの組織的結集俸としてのコノ党組織が、即自的プロレタリア大衆との対決という実践的立場においていかに彼等を階級として組織化し、しかもこれを媒介として自らを拡大強化するか→ この革命的実践的追求が、組織論に外ならない」。 
 さらに、誤った路線は次のような特徴をもっているという。 
 第一、分断されたひとりひとりのプロレタリア個人が出発点にされ、主体性論が直接に組織論的に追求されるべき領域にもち込まれている(組織論と主休性論の二重うつし)。 
 第二、バラバラのプロレタリアートが全面的に階級形成するにいたる時間的過程では部分的=特殊的階級形成がなされ、それが党建設とされる(歴史主義あるいは過程的弁証法)。 
 第三、旧社会―大衆闘争から革命闘争への連続的発展=階級形成・党形成・主体形成→新社会というような<連続的発展観>があり、新社会を作り出す主体的力を旧社会の内部でいかに作り出すかの場所的論理が欠如して、新社会が目標化され絶対化される(大衆運動から革命闘争ヘの連続的発展観)。 
 第四、誰が、誰を、いかに組織化するのかという主体的、組織論的アプローチが出てこないで、ひとりひとりが戦略を主体化するという形での「階級形成―主体形成」に一切がねじまげられている(行為的現在における大衆運動=同盟組織作りの場所的論理の欠如)。 
 第五、ひとりひとりの党員の主体形成は、戦時の主体化というところでの思想性の高度化に求められる(主体形成主義的党建設路線)。 
 これらは要するに、①行為的現在において大衆運動=同盟組織作りを実現してゆくための場所的立場の喪失、②党組織の組織形態論的、組織実体論的追求の欠如、③<組織戦術の貫徹>という主体的立脚点の欠如、ということの結果に外ならないという。 
 ここでいっていることは、こういうことなのである。革マル派が自分の一つの原点としている主体性論は、どうにも非組織的な個人主義を生み出してしまい組織活動には役立たない。そのあらわれ方は、結局、消耗する時もまた元気でセクト的な「党派闘争」にハッスルしている時も個人主義でこまるということなのである。消耗の原因を個人的なプロレタリア的主体性の問題にしてしまい、個人的な「勉強」にとじこもつてしまう。ところが、消耗していない時にも、全く同じ形で個人個人がバラバラのまま「戦略の主体化」とか「新社会の夢想」とかいう形で「組織」の問題を欠如した形にしてしまう。これは、大衆が自覚していく過程での「主体性論」と、自覚したプロレタリアの組織的実践とを混同しているからだというのだ。 
 だが、これほどふざけた話もない。「即自的プロレタリア」が自覚していく過程では個人個人バラバラの論理が主体性論として通用して、いったん自覚すると組織的になるという。これは要するに小ブル個人主義が観念的に組織性を形成することに外ならない。自覚ということは、いわば現象から本質を認識していく過程に外ならぬ(下向)。その過程で個人主義者だつたものがどうして突然組織のことがわかるのだ。これは後でくわしくみるが、革マルの出発点が小ブル的自我(個人主義)で、そのいきつくところが観念的な普遍性であることをもっともよく示している。 
 百歩ゆずつて、主体性論が自覚に役立ち、自覚したプロレタリアは組織的になるとしても、一体この飛躍はどうして可能なのだ。実はここに革マル派自身の矛盾がある。黒田寛一の「プロレタリア的自覚」(『プロレタリア的人間の論理』をみよ)は、徹底的に小ブル的自我―個人主義にみたされており、階級的共同性など爪のアカほども出てこない。そもそも革マル主義の中味は、この「黒田的プロレタリア性」だったのだ。『プロレタリア的人間の論理』の中では、資本の制約をうけたプロレタリアが「生産と所有の機械的分離」を自覚することが「階級的、革命的自覚」だとされている。だが、「生産と所有の分離」ということのみでは没落した小ブルジョアでも感受できる(つまり個人主義者でも)ものなのだ。 
 ところがこういう小ブル主体性論の本質はくりかえし非組織性、実践的な主体形成主義(つまり運動と無縁な学習会主義)を生み出し、革マルを危機にたたせた。こうして彼らは自分の「中味」を批判して否定しなければならなくなった。ただし、「中味」を失った形式のみの「組織いじり」として―。第一~第五にわたってあげているものはそのまま革マル主義の本質を示しているのである。そして、この内容と形式の対立(革マル的主体性と運動をやる以上要求される組織性の対立)は、そのまま革マルの現在の矛盾のあり方を示している。 
 それでは今度は内容を失った形式の面の展開をみてみよう。 
「Ⅱ、組織現実論の展開」―ここにおいて次のようにいう。 

 ≪誰が、誰を、いかに組織化するかという主体的立場、あるいは組織論を組織創造論として追求するものこそ組織現実論である。それは大衆運動作りと組織作りとの対象的関係をふまえて大衆運動と組織建設をやりきるために、つまり大衆運動という特殊場面への<組織戦術>の貫徹の主体的構造の緻密化が問われた。 
 (1)組織戦術の貫徹は主体的=場所的立場と直接に統一されているのであって<組織戦術>の貫徹を対象化し客体化することはできない。 
 (2)既成の大衆運動ヘの対決を出発点とする大衆運動上の目的を実現するための構造が、大衆闘争である。こうした当面の大衆闘争は、背後における組織およびその成員に担われた<組織戦術の貫徹>に支えられねばならない。一方、当面の大衆闘争にむけての闘争=組織戦術の物質化を実質的に保証する組織およびその諸成員の組織実践を解明するのが運動=組織論である。大衆闘争論は裏面から理論的、組織的のりこえを問題にしていくのに対して、運動=組織論は組織的のりこえ(既成組織の解体)を目指して裏側から理論上、運動上ののりこえを問題にしていく。
 (3)既成の運動をいかにのりこえるかという形で問題をたてていかない時には、革マル的方針の自立化がおきてしまう。あくまでも〝そこに存在する既成の大衆運動に対決し、これを出発点としてその運動をいかにのりこえるか″という「主体的追求」が必要である。 
 (4)のりこえの論理の主体的構造は次のようになる。既成の運動(P1)へ、革マル(O―組織)が主体的に対決し(P1←O)、これを出発点としてP1を変革しのりこえる(P1→P2)。そのために既成の運動を支えている戦術を革マルがつかみとり、これにかわる戦術(E2)を提起し、それを物質化する(E2→P2)ために闘う。この時、組織的のりこえとは、既成の運動を変革していくための背後における組織、およびその諸成員の組織的実践の展開に外ならない。≫ 

 ここでは革マルのあり方がかなりハッキリ出ている。革マル派の主体が立っている「場所的立場」は、まず既成の大衆運動なのである。これは革マル派の歴史からいうとどういうことを意味しているのかというならば、次の点である。革マル派というイデオロギー集団が全学連をのっとり大衆運動をはじめ、その直後に中核派と分裂する。ここでの分裂の一つの中心的問題は、大衆運動と革命運動の関連であった。中核派は小ブル的大衆運動の直線的「発展」の中に革命をみていこうとした。これに対して革マル派はそれを否定して、「イギオロギー的革命性」を対置した。しかし、中核派と分裂してみるや、全く自分の小ブルイデオロギ―が現実と無関係なものということが暴露されてしまう。そして、革マル派は現実の闘いから全く無縁となりつつ、小ブルイデオロギーの「主体形成主義」=「学習会主義集団」へ再度転落しようとした。 
 ここで革マル派がおもいついたのは次のことである。つまり、現実の運動は自分たちはやらない。またやるとしても既成の運動と同じでいい。そして、その既成の運動に「寄生虫」としてはりつく。そして、それを推進している党派を解体して、それをのっとるという方針である。それを整理したのが今みた「のりこえの論理」である。 
 ここで重要なことは、革マル派が主発点としているのは「既成の運動との対決」であって、資本との対決ではないということである。革マル的主体はこうして現実の階級社会の矛盾の中に自らを基礎づけ、そこから出発せず、むしろそれは隠蔽してしまい(したがって自らの小ブル的本質はそのままにしたまま)、他党派解体を運動としていくことになる。ここで革マル派が批判している「主体形成主義」とは、「既成の運動」を前提としている革マルのイデオロギ―集団的本質を忘れ、既成の運動と並存させて自分の小ブル的本質を直接つき出してしまう「正直な革マル主義」への批判なのである。 
「Ⅲ主体形成主義的組織建設路線―その構造と問題点―」では次の様にいっている。 
 60年代の中期において革マル派がとっていた組織路線は、「むき出しの革マル主義」であった。『共産主義者』No10・11の「学生戦線における革マル派建設のために」の中で展開されているのは、大衆運動への参加および理論学習によるプロレタリア的人間の形成としての「組織への形成」であり、戦略の適用と組織的実践を通しての各成員の立脚点の獲得、深化としての「組織の形成」という形になっていた。こういう路線は次のような誤りをもっているという。 
 第1―自覚した共産主義者によって担われるべき組織そのものが出発点とはされていず〝新社会=戦略=目的″についてなお自覚せず改良的な要求をかかげている即自的な一個のプロレタリアが出発点とされている(主体性論の直接的もち込み)。共産主義者としての主体性の前提そのものを問うということは組織論からハミダシている。 
 第2―大衆運動ヘの実践を欠如している、または共同的実践が欠如している理論主義。ユ―トビア的〝新社会″とそれをめざす〝プロレタリア的個人″の要求になっている。そして〝新社会〟の現在的理論形態が戦時とされており、その戦略の主体化に一切を切りつめる(主体形成主義と理論主義)。 
 第3―行為的現在における大衆運動=同盟組織作りを進める組織から出発せず、戦略を自覚した個人を作り、それを基礎に闘争を未来へ向けて連続的に高める(組織と人間に関する主体主義的理解)。 
 第4―大衆運動は天下り的な戦略の適用、フラクションは戦略の実現体、組織作りは「戦略的ほり下げ」というようになっている(戦略の適用主義)。
 さらに次のことが重要であるという。 

「わが反スターリン主義の独自性は、別に哲学的主体性論にあるのではない。むしろ戦後主体性論の核心をうけつぐ哲学的苦闘と、これを前提としながらもかのハンガリア革命のうけとめを基礎として、<革命的マルクス主義の立場>を獲得し、反スターリン主義の革命運動をつくり出してゆく、この両者によこたわる断絶を明確につかみとらねばならない。・・・哲学的主体性論にとどまることなく政治経済を媒介にして革命的実践にふみ込むこと、これこそが問題なのである」 

 まさに馬脚をあらわしたとはこのことである。彼ら自身主体性論からの「断絶」をいわざるをえなくなっている。自らの「形成過程」は組織的実践とは切断されているというのである。即自的プロレタリアから個人的に革命化していくのが「主体性論的自覚の論理」であり、それが終ると今度はそれと断絶している革命的実践にとび込めという。 
 しかし、これほどの御都合主義はないのである。そもそも「場所的立場」は主体性論の「黒田的再編」によって生まれているのではないか。そして、すでに指摘したように、『プロレタリア的人間の論理』の中で、黒田はまさに小ブル的自我の「革命化」を説いている。それに忠実な部分が運動上破産すると、それは大衆が左翼になるとき役立つのみであるという。それでは「場所的立場」はどうするのだ。今革マル派が歩んでいるのは、主体性論の中味が破産したのでこれは切りすて、形態論的なものとして「場所的立場」を利用して、組織いじりに集中している訳である。 
 この間題はさらに『共産主義者』No28―「学生戦線における大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」の中で展開される。これは中央学生組織委負会名で書かれている。直接的には中核派に対する批判という形をとりつつ、革マル派はここで自分たちの「革命化」の構造にふれている。それは、要約すれば次のようになっている。 

≪(a)階級闘争の革命闘争への「主体的発展」は、それ以前の革マル派の組織論と不可分である。不断の階級闘争を通して、階級的組織化をなしとげ、これを実体的基鍵として一定の条件のもとでは闘争を反政府闘争ヘと高め、さらに反権力闘争に発展させる。そのためには、情勢分析を媒介として組織戦術にふまえつつ過渡的要求を提起し、実現を迫る。これは、ブンド式の大衆闘争から革命闘争への連続的発展観を否定し、大衆闘争から革命闘争への連続的発展を場所的現在における運動=組織作りによつて「切断」すると共に、たえざる組織作りを実体的基礎とした階級闘争の革命闘争への永続的発展へ「つなげ」ていく。 
 (b)一定の政治経済的危機の時には、組織化の度合に応じて階級闘争を反政府闘争にさらに反権力闘争に高める(<のりこえ>―<高め>―<めざす>)が、その時、情勢分析のうえにたって過渡的要求を直接または媒介的に提起していく。革命的危機に際しては直接に反権力の革命闘争に高める(<めざす>のではない)。 
 (c)これは、トロツキーの永続革命論の継承止揚である。トロツキーは、階級闘争と革命闘争を「過程化」―ひとつながりのもの―としてしまい、党組織がプロレタリアを階級として組織化し、それを基礎として革命を実現するという組織実体論的追求が欠けている。「革命闘争とたえざる階級闘争とを区別することによって、場所的現在における党づくりと階級闘争展開の論理が明確にされることになり、さらにこのようなたえざる階級闘争の組織化を通じての党づくりとプロレタリアの階級的組織化を実体的基礎として、プロレタリア革命を永続的に完遂して行くその実体的構造を明らかにしたのである」。(143~145頁)≫ 

 ここで革マル派は情勢の深化に対応して、革マル派も「おくれてはならぬ」と思い、何とか自分たちの方法から「革命」を問題にしようとしている。その意味では、69~70年闘争の総括ででてきた問題の「再強化」である。だが、これほどまでに反プロレタリア的、また反マルクス主義的な革命論があるだろうか→ 
 たしかに、大衆闘争(階級闘争)一般と革命闘争は区別されねばならない。だが、その区別性は、ブルジョアジーへの闘争としては成立せず、情勢が煮つまるまでは「組織作り」に収約されてしまうものなのだろうか→ いやそもそも階級的革命的闘争が一滴も存在しないで、どうして革命的情勢下において大衆闘争を革命闘争に転化できる「党組織」が建設できるのだろうか→ 革マル派がそうであるように、小市民的、民同的運動しか展開できない組織は、社民的または小ブル急進主義的組織ではないのか。大衆闘争と区別された革命闘争は、現在的に推進されていなくてはならない(ソヴィエト運動)。もちろんそれは、それが全面化した形での直接的な権力闘争とは異る。だが、現存する小市民的なまたは民同的な大衆運動と共に、それを不断に階級的、革命的に再編して権力ヘ向ってつき出している闘争が存在して、はじめて革命的党が生まれるのだ(現存する運動の中に自然発生的にふくまれているものを目的意識的に結合することを通して)。 
 闘争として存在しないものが、どうして組織として形成しうるのか→ ここで革マル派は、まさに彼らの組織が現実の階級性革命性と無縁な反プロレタリア的観念集団であることを暴露している(なお彼らの革命論の全面的批判―思想的根拠をふくむ―とわれわれのそれに対する方針は最後にまとめてのべる)。彼らはよく「実体」などということを言うが、実体として存在しないものをどうして組織化しうるのか。それとも、一滴も革命性のないものもたくさん集めて組織にためていけば「革命」へ転化するとでもいうのか→ゼロはいくら集めてもゼロなのである。中味のない現実に存在しないものに「過渡的要求」などくっつけても、どうしてそれが革命性へ転化できるのだろうか→ 
 革マル派は、中核派型の小ブル運動の単純急進化の延長線上にプロレタリア革命を願望する路線を批判しつつも、それとの区別性を現実的、本質的にたてられない結果、単に観念的に「組織性」をたてるにすぎなくなっている。しかし、そもそもこんな組織は成立するのだろうか→それがまた「成立する」のである。つまり、自分の中は空洞のくせに、また空洞だからこそ、他党派への敵対のみを唯一の党派性にする「党派」である。それを路線化したのが「のりこえの立場」である。これについてはすでに紹介してあり、また後で教祖黒田の展開を紹介するので、このNo28論文の中の「のりこえ」は紹介しない。 
 さて、以上のような展開の上にこのNo.28の中央学生組織委員会論文は、70年代にはいっても依然としてでてくる、革マルの本質からでてくる「ブレ」についていろいろグチをたれるのである。それは以下のようになっている。 

≪革マル派内部に二つの偏向がある。「左翼的」偏向は大衆闘争論的立場を空無化させ(のりこえの立場を空無化させ)、直接にマル学同の組織活動を自治会内に実現しようとするもの。右翼的偏向としては、運動のゆきづまりを打開するために大衆運動を政治技術主義的に、つまり党派性をうすめて展開するものである。この内「左翼的」偏向(→)が粉砕の対象とされねばならない。それには、次のような根拠が考えられる。第一に、小ブル急進主義者どものハミダシと連動、組織ヘの政治力学主義的対決。第二に、〝闘争委員会としての学生連動″の克服の一面性。第三に理論的にはのりこえの論理や大衆闘争論と運動=組織論の相互闘係の誤った理解。このうち第三のものがもっとも問題である。この第三の問題については次のようなことが原因となっている。 
 第一に、これは<のりこえの立場>あるいは<のりこえの論理>が全く見失われており、〝大衆運動への組織戦術の貫徹″の問題に一面化されている。〝大衆闘争論的立場なき組織戦術の貫徹主義″は、「運動上」「理論上」「組織上」の三つの「のりこえ」または大衆運動を組織化していくうえでの過程的な構造が破壊されている。それは自分たちの方針プラス組織戦術といつたような問題に一面化されている。第二に、P1(既成の運動)―E(理論闘争)→P2(新たなる運動)というサイクルを無視している。組織戦術の貫徹という観点を自立化させている時には、E2(既成の理論に対抗する革マルの理論)→P2(革マルが既成の運動をのりこえつつ「作った」運動)をE2→O→P2としてしまう。第三に、「同盟員としての組合員の独特な活動」(1)、「組合員としての同盟員の活動―フラクション活動」(2)、「同盟員としての同盟員の活動―革マル派の活動」(3)のうち(1)を技術としてきりつめ(2)~(3)のみを行ない、組織戦術の貫徹さえできない。第四に、情勢分析や闘争組織戦術から「闘争戦術に規定された組織戦術」だけを「裏がわ主義」的に自立させてしまう。(153~159頁)≫ 

 ここでいっていることは、客観情勢の深化に規定されてさすがの革マル派の活動家も「左翼化」してしまい小ブル急進派のマネを少しばかりしたがって革マル指導部を困らせているのを嘆いているのである。その場合「政治力学主義」や自治会大衆運動を忘れた「闘争委員会としての学生運動」があるが、もっとも革マル的なのは「既成大衆運動をいかにのりこえるか」を忘れて革マル派の「組織戦術の貫徹」のみを直接追求するものであるといっているのである。 
 革マル派の活動家は極めて混乱する。小市民的運動を右翼的にやれば自治会主義だと叱られる。「組織戦術の貫徹」のみをやれば「左翼的」だと叱られる。もともと革マル派にとつては、小市民右派的大衆運動(自治会主義)か「小ブル急進派」をまねた運動しかないのである。すでにみてきたように既成の運動に対決する中味がなく、なにがなんでもただ「既成の運動に対決すること」のみが問題なのであり、「それをこえる運動は現実にはありえず、現在の革命闘争は組織作りだ」などといっておいて、―そうである以上大衆闘争へのかかわりは「技術主義」か全くの「小市民右派の運動」以外ありえない―この双方のブレを批判しているのである。全くいい気なものである。迷惑なのは下部活動家である。 

(2)「のりこえの立場」の
反プロレタリア的構造
 まずはじめに、『日本の反スターリン主義運動 2』からの引用を行なう。 
「すなわちまず、既成指導部、とくに社共両党によって歪曲されている今日の労働運動、ソコ存在する既成の大衆運動(P1)を左翼的あるいは革命的にのりこえていく(P1→P2)という実践的=場所的立場(=『のりこえの立場』)において、それ(1<運動上ののりこえ>)を実現していくためには、まずもつて既成の運動(P1)をささえ規定している理論(他党派の戦術やイデロオギーとしてのE0)をわれわれがとらえ(E1―これはE0と媒介的に合致する)、かつそれヘの批判を通じてわれわれの独特な(あるいは独自な)闘争=組織戦術(E2)を提起し(P1・・・→E1→E2)、そしてこれ(2<理論上ののりこえ>)を物質化する(E2 P2)ために組織的にたたかう(E2・・・→O―・―・→P2)とともに、これらの闘いを通じて既成の大衆運動を実体的にささえている諸組織、直接的には社共両党(O0)を革命的に解体する(O0・・・→O)ための党派闘争(3<組織上ののりこえ>)をかちぬく。―こうした<のりこえの論理>、イデオロギー的および組織的闘いを基礎とした大衆運動の展開の構造を、理論的に明らかにするのが、大衆闘争論であること、そしてこれらの構成部分は、(1)われわれの情勢分析、(2)他党派の情勢分析および運動方針に対する批判に媒介された、われわれの闘争=組織戦術、および(3)かかる闘争=組織戦術を物質化するための実体的構造の解明(つまり運動=組織論的解明)の三つであること、などが明らかにされた。 
 ところで、他党派の戦術やイデオロギーを批判し(2<理論上ののりこえ>)、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(3<組織上ののりこえ>)ことを通じて、<運動上ののりこえ>(1)を実現するということは、他面からすれば、われわれの組織戦術を、たえず大衆運動の場面へ(O―・―・→M)、また直接に他党派にたいして(O・・・→O0)貫徹する闘いが成功裡になされていることをいみする。この<組織上ののりこえ>をめざしてたたかっているわが同盟組織(O)が、他党派の組織(O0)にたいして、またそれが展開している大衆運動(P1)やその戦術およびイデオロギー(EあるいはE1)にたいして決定的に対決している(O→→P1・E)がゆえに、<理論上ののりこえ>(E1→E2)を媒介として<運動上ののりこえ>(P1 P2)が現実的に可能となるのである。このようなわが同盟(員)の組織戦術の貫徹を基軸(4)としつつ、<理論上ののりこえ>(6)と<運動上ののりこえ>(7)とを実現していく闘い、その実体的構造〔これは他面では同時に他党派の解体として、<組織上ののりこえ>(5)として現象する〕を解明するのが、ほかならぬ運動=組織論なのである。 
 運動=組織論とは、大衆運動の左翼的あるいは革命的のりこえを、その裏側から、つまり<組織上ののりこえ>(3あるいは5)のがわから、その実体的構造を明らかにすることを、その課題とするといってよい。いいかえれば、われわれがうちだした闘争―組織戦術(これには、すでに解明された運動=組織論が現実的に適用されているのであるが)を物質化するための組織的闘い(E2・・・→O―・―・→P2=M)、その実体的構造そのもの(O―・―・→M)を、つまりわが同盟(員)が大衆運動を組織化し種々の組織形態(フラクションやわが同盟組織その他)を組織化するという構造を、われわれの戦術(E2)との関係において、解明するのが運動=組織論なのである。 
 ところで、われわれの組織戦術の貫徹による運動=組織づくり、その前提となり、かつそれを媒介として拡大・強化されるわが同盟組織そのもの(O)、これを形態的にも実体的にも確立していくための組織内闘争・組織建設(O→O´)の構造(Ⅹ面)を明らかにするのが同盟(党)建設論にほかならない。 
 要するに、大衆闘争論と運動圧迫織論とは、大衆連動・労働運動の前提となり、かつこれを媒介として強化・拡大される同盟(党)組織が、大衆運動づくりと種々の組織づくりを展開する場面(Y面)を、一方は<運動上ののりこえ>のがわから、他方は<組織上ののりこえ>のがわから、それぞれ理論的に明らかにすることをその課題とするのであり、そしてこの運動=組織づくり(Y面)を媒介とした同盟(党)組織の組織的確立(Ⅹ面)の問題を明らかにするのが同盟(党)建設論なのである。このようなものとして、これらの三つは組織現実論の核心的な構成部分をかたちづくる」(281~287頁)
 この革マル派の「のりこえの論理」を次のような順序でみていきたい。第一は、なぜ革マル派は「のりこえの論理」を生み出さざるをえなかったか→―第二は、「のりこえの論理」はどういう有効性を革マル派に与えたのか→第三に、この「のりこえの論理」の本質的反プロレタリア性である。 
 <第一に>なぜ革マル派が「のりこえの論理」を「生み」出さざるをえなかったのか→それは次の点にある。革共同全国委は、文字通りのイデオロギー集団として生まれていった。それは『プロレタリア的人間の論理』(黒田寛一著)を読めば明白なように、小ブルジョアジーがブルジョア社会においてブルジョアジ―に圧迫される危機感=「生産と所有の分離」を「根源的分割」としている。しかもその「生産と所有の分離」が分業(私的所有)の共同体論的把握からではなく、小ブル的な個人主義の次元でつかまれている。そして、その小ブルジョアジーが危機感をテコとしてこの「分離を自覚し、統一に向ってつき進む」ことが革命だとされている。生産と所有の統一というかぎりでは小所有者(農民・都市「旧」中間層等)もそうなのである。つまりプロレタリアの社会矛盾とそれヘの政治社会的闘争の中から生まれたものではない。 
 それは彼らの「反スタ」においても同じである。彼らの「反スタ」はプロレタリア的な反スターリン主義ではなく、スタ―リン主義がもっている個人に対する抑圧的側面に対抗して小ブル的な個人の主体性をたてていったのである。むしろこの「反スタ」の問題が革共同全国委の形成の原点になつている。 
 第四インター等の革共同との決定的な差異はここにある。第四インター等の革共同には、この「近代的小市民の自我」―「小ブル主体性」が欠落している。 
 こうして生まれていった革共同全国委は、60年安保闘争後のブントの崩壊に際してこれに介入し、ついでに全学連を宮廷革命によってのっとつた。ここではじめて革共同全国委は大衆運動に直面していく。だが、すでにみてきたように中核派と革マル派に分裂してしまい、革マル派は再びもとの学習会的イデオロギー集団ヘの転落の危機にたつ。ここから「のりこえの立場」が生まれてくる。つまり、組合運動にしろ学生運動にしろ現存する大衆運動とイデオロギー集団としての革マルの「スレチガイ」を何とか突破するために、彼らは「そこに存在する大衆運動にイデオロギー的にかかわる」という方針を確定していく。こうすれば現実の闘いと無関係になってしまうことはさけられるし、同時にまた革マル派的イデオロギー闘争も生かされていく。彼ら自身がいっているように、彼らの「大衆闘争諭」とは決して自治会活動や組合運動のことではない。「既成の運動に介入する」ことなのだ。しかも、彼らは現実の闘いを大衆闘争としても革命闘争としても展開する力などありはしないし、方針はもともともっていない。やれることは市民的、民同的大衆運動の「チミツ化」のみである。だから、くりかえし彼らの中から「大衆運動主義」や「政治技術主義」がでてくるのだ。そういう意味では、革マルは本質的にイデオロギー集団なのだ。運動論=組織論=闘争論は、その意味では単なるイデオロギー闘争の変形でしかない。 
 <第二に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」が、どういう有効性を革マル派に与えたのか。 
 ①現下の階級闘争が社共のヘゲモニー下にあり、したがって「革命派」は多かれ少なかれこの既成の運動との関連を整理しなくてはならない。②さらには、情勢が深化しているとはいえ革命派は極めて苦しい状況にあり、したがって闘争は苦しい敗北局面を多かれ少なかれくぐらねばならない。③既成の政治組織や大衆組織がますます右翼化しており、プロレタリア人民は孤独と絶望の中にたたき込まれており、したがってたとえ疎外された形であれ反社民反日共の「組織」の力を必要としていた。 
 これら三つの条件の中で革マル派の「のりこえの論理」は、①とにかく、どういう形ではあれ、既成組織にかかわるという方針であること、②権力との闘争から逃亡しても「理屈」をつけて居直ることができること、つまり「観念的革命性」の世界に生きていられること、③反スタ・スターリニストの組織として極限的に疎外されていようとも、反社民反日共の「組織性」を強調したこと、という形で一定の対応力をもっていつたことである。
 <第三に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」はどのような意味で本質的に反プロレタリア的なのか? 
 第一に、革マル派の路線としては、現下において既成の闘争と質的に異る闘争は「ハミダシ」であり誤りだとしている。彼らは大衆闘争―革命運動―革命闘争をわけて、現在の運動は「大衆闘争」であり、直接権力を問題にするのが「革命闘争」、そして現下の大衆闘争にかかわり「のりこえつつ」革マル派の組織を作ることが「革命運動」ということになつている。あえて彼らのこの用語にしたがっていえば、大衆闘争の中に革命闘争の中味が一滴もはいっていなくて、どうして革命運動になるのか。その組織作りは結局存在しない「革命性」の上に成立していることになる。ということは、彼らがかかわる闘争の「左翼性」ということは、結局既成の市民的、民同的運動の質を少しも変えずに、単にそれをつきあげているにすぎないことになる。そして「ハネ」る時には中核派と全く同じことを少し「みじめに」やれるだけである。ということは、観念界の「小ブル的革命性」を理由に市民的、民同的な闘争を固定化する役割を果しているということである。 
 第二に、彼らはプロレタリア人民の敗北を待ちうけている存在である。要するに、あらゆる突出する闘争の挫折を利用して伸長しようとするという点で、日共=民青と全く同じである。そして、それに「理屈」をつけることによってプロレタリア人民を現実的意味での「後退的」な感性へひきとめ、闘争の「足かせ」となっている。 
 第三に、第一~第二のことと関連して、「のりこえの論理」からすれば、他党派解体の党派闘争を行なうことが革マルの現在の革命運動ということになり、まさに闘争の破壊にのみ情熱をあげるという全く世界に前例のない疎外されきった存在となっている。これは党派のみならず、自分たちの闘争に支配しきれない集団、個人は皆そういう対象となり、闘争の圧殺、破壊の上に革マル派の支配を定立しようとすることになる。川口君虐殺は、そういう「のりこえの論理」の必然的結果なのだ。 
 こういう反プロレタリア性をもった「のりこえの論理」を少し具体的に要約してみよう。この特徴は、すでにみてきたように、対決しているのはこのブルジョア社会ではなく既成の運動であり、「運動」―「理論」―「組織」上の三つの「のりこえ」という形で定式化されている。したがって、「大衆闘争論」とはブルジョアジーに対していかに闘うかということではなくて、「既成の運動」にどのように介入し、寄生するかということなのである。これは革マル派が直接大衆運動を行なう場合も同じである。ということは、ブルジョアジーといかに闘うかということは後に退いており、そういう既成の運動の質を前提とし(いかにプロレタリア運動を推進するかではなく)、それとの関係でそれをいかに破壊するかという点から「理論」がたてられる。そして、その上にたって、他党派解体の「組織戦術」(スパイ、加入戦術等)がたてられる。こうして革マル派がまず全面的に対決しているのは、ブルジョアジーではなくて他潮流の「闘争―組織」なのである(反帝・反スタ戦略の根本的誤り)。 
 そういう意味で「のりこえの論理」は革マルが唯一現実にかかわれる方策なのである。 

(3)宗派革マルの「革命運動」
―他党派解体の党派闘争の
反プロレタリア性
 

 今までの引用や展開で明白になったように、革マル派にとっては他党派解体の党派闘争こそ「革命運動」なのである。もちろん、われわれも他党派の解体、止揚を目指して闘う。しかし革マルという党派は本質的に統一戦線(われわれのいう共同戦線)を組みえない宗派なのだ。それは日本プロレタリア運動にかかわっている総ての潮流がみとめている。それは単に革マルが党派闘争に熱中するということによるものではない。階級闘争は党派闘争を不可欠なものとしているし、しかも情勢が激化すればするほどそうである。そういう点ではわれわれも党派闘争を全力で闘いぬくことにやぶさかではない。問題は「解体―止揚」なのであって、単純な破壊ではない。
ところが革マル派の党派闘争は、自分の中に階級闘争を前に進める力の中で行なうのではなく、むしろその力を否定して行なうところに特徴がある。したがって、革マルがある運動に加わってきて他党派批判を行なう時、その闘争がかかえている困難局面をどう打開するかという方向性をもって行なうのではなく、まさに他党派解体のためにのみ行なうのだから、その闘争としては革マルが参加したことによってブラスになることなど一つもありはしないことになる。 
 こうして政治組織のみならず大衆全体が革マルに対する嫌悪と憎悪をもつていくのである。『革命的マルクス主義とは何か?』の中で、黒田寛一は「加入戦術と統一戦線」を強調しているが、革マル派と統一戦線を組もうなどという潮流は日本中どこをさがしてもありはしない。このこと自体、実は革マル派の「革命的プロレタリア派」としての致命的破産なのである。しかも、それは誰かがデマゴギーを流してそうしたのではない。革マル派自身が自分でそうしたのである。そして、その路線的確立こそ「のりこえの論理」に外ならない。 
 その「のりこえの論理」にもとづく「党派闘争」の方針を次に批判していこう。素材としては『共産主義者』No28―「大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」―中央学生組織委員会、『同』No29―「ベトナム反戦闘争の教訓と党派闘争の飛躍的強化のために」―中央学生組織委員会、この二つの論文を扱う。 

<1、党派闘争推進の本質的構造> 
「他党派―社会民主主義やスターリン主義、およびその変種を支柱とした一切の党派―を組織的に解体し、唯一の前衛党を創造するということは、あらゆる実践においてふまえられておかなければならない一般的本質的な目的である。この一般的本質的な目的を直接の目的とし、ある特定の党派に直接に対決する、これが党派闘争推進の出発点である。」(161頁) 
「いうまでもなく、反スタ運動の出発時においては、イデオロギー闘争を主要の形態にして(組織的たたかいとしては加入戦術)エセ『前衛党』の解体をめざしてきたのであった。さらに、第二段階としては、いうまでもなく拡大された組織的力量を基礎として大衆運動にとりくみ、その組織化と展開の過程と結果における党派的なイデオロギー的組織的たたかいによつて、つまりは大衆運動を通じて他党派の解体・止揚をめざしてきたのである。あくまでも当面の戦術的目的の実現を直接の目的とし、党派的なイデオロギー的組織的たたかいを通じて大衆運動を組織する、このことによって他党派解体の土壌をつくりだすとともに、さらにこの成果にのっとって独自的組織的なたたかいをくりひろげ、他党派の解体という組織的課題を完遂する、このようなたたかいにとりくんできたのである。」(162頁) 
「第一に、運動上ののりこえに従属した組織的のりこえ、第二に、運動上ののりこえと組織上ののりこえとの同時的実現、第三に、組織的のりこえとしての組織的のりこえのたたかい―党派闘争―。第一が、他党派の媒介的解体であるのに対し、第三は直接的解体といえる。あるいは前者が即自的な党派闘争としての意義をもつ党派的イデオロギー的組織的たたかいを基礎とした大衆運動の組織化であるのに対して、後者は向自的な党派闘争にほかならない。
  しかし、以上のような連関にもかかわらず、既成の運動への対決を出発点とするたえざる運動―組織づくりと党派闘争との間には明確な断絶がある。」(163頁) 
「このことは、理論の次元で、党派闘争論に関してもいえる。党派闘争論は〝のりこえの論理を裏がわから、組織的のりこえを基軸として分析したもの″ではないのである。<のりこえの論理>(大衆闘争論)では、<組織的のりこえ>は従属的な一契機・実体的契機として位置づけられ、これをそれ自体としてとりあげて理論化したのが運動=組織論である。しかし、これらはともに、既成の運動への対決(P1←O)という具体的な出発点に規定されているのである。ということは、運動=組織論が課題とするものが、直接的な他党派の解体・止揚論ではなく、あくまでも既成の運動に対決しこれを運動上のりこえていくことを通じてかつ媒介にしてその背後にある諸組織を解体していく、その実体的構造を明らかにするものであることを意味する。それは運動=組織論が、運動づくりと組織づくりの弁証法、その実体的構造の解明を課題とするものであることからしても明らかである。
  ところで、党派闘争論の場合には、既成の運動への対決とか、その運動上ののりこえとか、大衆運動の組織化とかは、さしあたり関係がないのである。党派闘争が<組織的のりこえとしての組織的のりこえ>であることからして、それは明らかである。党派闘争論は、他党派の組織に直接に対決し、この解体を直接目的としてこれをいかに実現するかの理論だからである。」(163~164頁) 

<2、党派闘争の二つのパターン> 
 「ある特定の党派の解体という目的を実現するための手段としては、二つの型が考えられる。第一には、右の目的に規定されたイデオロギー闘争を主要な手段としたもの。その場合、従属的にはその党派を解体するための特殊的な運動づくりを行ない、また解体すべき党派の内部や彼らがとり結んでいる他の諸党派との関係に特殊な組織戦術を貫徹していく(こうした型を、さしあたりαパターンと規定しよう)。第二には、その特定の党派を解体していくための、そうした目的に規定された特殊的な運動づくりの展開を主要な手段としていくもの。この場合にも、従属的には先のイデオロギー闘争および特殊的組織戦術が展開されていく(こうした型を、さしあたりβパターンと規定しよう)。」(164頁)

<3、党派闘争の大衆的実現について> 
 「まずもって、この特殊な運動づくりはあくまでも、ある特定の党派の解体を直接の目的として推進されていくものであり、当面の戦術的課題を実現するために、大衆闘争論的立場にのっとって大衆運動を組織化し、これを通じて一定の党派のおいつめを実現していくたたかいとは厳然と区別される。このことはすでにのべたように、たえざる大衆運動の組織化と党派闘争の推進とは前提的に措定さるべき実践的立場においてまったくことなること、したがってβパターンにおける運動の組織化は既成の運動の運動上ののりこえと区別される、ということから明らかである。
  闘争論的立場に立つた大衆運動の組織化(A)として次のような諸形態が考えられる。
a 原則的なイデオロギー的組織的たたかいを基礎とした連動の組織化。あるいは従属的に組織的のりこえのたたかいを展開し、既成の運動を現実的にのりこえていく。
b 特殊な党派関係のもとでは組織的のりこえのたたかいに重点をおきつつ、運動上ののりこえを実現する。
c さらに運動上ののりこえと組織上ののりこえとを同時的に推進する。
  それに対してβパタ―ンの特殊な運動づくり(B)も、二つの場合がある。
a 特殊な運動をそのものとして実現する。
b 党派闘争の大衆的実現。」(166頁) 
<補章、学生自治会運動論について> 
「最後に、自治会運動論の理論としての性格についてふれておきたい。
  自治会運動論は大衆闘争論および運動=組織論からの直接的な延長線上に創造されるものではない。大衆闘争論は、端的にいってその時々の階級闘争にむけての<党の戦術論>であり、他方、運動=組織論は階級闘争の組織化や他党派との組織的たたかいにおいて展開され、かつ党組織づくりを実現するための<党(員)の組織活動の諸形態諭>である。それに対して自治会運動論は、大衆組織およびその運動の問題にかかわるのである。
  すなわち、自治会運動論においては、まずもって大衆組織としての自治会―学生運動の直接の主体としてのそれ―が前提的に措定され、大衆的争論や運動=組織論において主体であった党(員)、方針を打ち出し組織活動をくりひろげる主体としての党員は、ここでは前提的に措定された自治会の主要な担い手としてまずもって対象的に位置づけられるのである。ここにおいてすでに、大衆闘争論および運動=組織論(一般に組織現実論)と自治会連動論との断絶があるのである。このような断絶の上で、われわれがおかれた場にみあった形での、自治会運動を推進するための方針および組織活動に関して、その解明に際して大衆闘争論や連動=組織論が適用されるのである。」(173頁) 

 このNo28における方針は、No29においてさらに具体化していく。直接には、革マル派はここで中核派との党派闘争の中でこの「党派闘争論」を展開している訳だが、疎外された宗派同士の争いの中に革マルの本質があらわれている。彼らの党派闘争論はすでに引用で示したように、「のりこえの立場」=大衆闘争論(=運動―組織論)とは<断絶>があるという。しかも最後の引用でもわかるように、その「のりこえの立場」=「大衆闘争論および運動=組織論」は、自治会運動や組合運動とは<断絶>しているのだという。思想的には主体性論と組織論とを<断絶>させたり、最近この党派はよく<断絶>するようである。 
 これによって明白なことは、大衆運動と革マル派の革命運動(のりこえ)は断絶しており、しかもその「革命運動」と党派闘争のもっとも深刻な事態(=党派闘争としての党派闘争)は断絶しているというのである。一体この「党派闘争」とは何なのか? 大衆運動とも革命運動とも<断絶>した「党派闘争」とは一体何なのか? 
 要するに、革共同両派の宗派戦争はプロレタリア革命運動と無線なものだと自ら告白しているのだ。一方は「反革命カクマルセンメツ」といい、他方は「大衆運動とも革命連動とも断絶した党派闘争としての党派闘争」をいう。中核派は結局戦略が「反帝・反スタ・反カクマル」になつており、革マル派は「革命運動とも大衆運動とも断絶した党派闘争」をやつている。 
 実はこれは「反帝・反スタ」という革共同全国委の戦略の根本的誤りに規定されているのだ。それは後に批判するとして、実は革マル派の党派闘争の究極の姿がここに示されている。しかも、それが革マルの本質なのだ。革マル派はすでにみてきたように「他党派解体の闘争」が革命運動だとしている組織である。しかも「反帝・反スタ」の戦略的誤り(それは今までみてきたように自分が戦略的に対決しているのが帝国主義ではなく既成の運動であるということを戦略的に表現している)の結果、他党派を解体―止揚できず(階級的本質―内容をもちえない結果)、直接自分が規定力をもちえない運動の破壊を革命運動だとしてきている。そのことが、同じ「反帝・反スタ」戦略をもつ中核派との党派闘争を規定しているのだ。 
 だから「党派闘争論的立場」なるものは、革マルの活動の部分的側面ではなく、革マルの本質がムキだしに出たものに外ならない。 
「一般的本質的目的を特殊な党派関係のもとで直接の目的としてこれを突破する」(No28、163頁)という意味はそれを示している。これは、もともと革マルの思想や「革命論」が、プロレタリアの大衆運動や革命運動と無縁な「小ブル絶対精神の自覚運動」=「プロレタリアに対する小ブルの支配、物理力化運動」だつたことを自己暴露しているものに外ならない。まさにこのような宗派は、プロレタリア大衆運動とその階級的革命的突撃の力で粉砕しつくしていかねばならないのである。 
 彼らは『革命的暴力とは何か』という全く没思想的な本の中で「中核がやつたから革マルもやったのだ」「革マルはキリストではないから政治的対応をする」とかいう意味のことをいっている。彼らは暴力それ自身の中味を問題にしえないので―なぜならば現在的には市民的、民同的運動しかないといっているのだから―<政治を止揚する革命的階級的政治>、または<ブルジョア的暴力、小ブルジョア的暴力を止揚する階級的革命的暴力>の意味もわからない。彼らにとって「暴力」は技術であり、自分の破産を隠蔽する手段になっているのだ(11・8川口君虐殺ヘの居直りをみよ!)。全く現実の破産の数々を隠蔽しとりつくろうためにのみ存在している革マル派の理論をみよ! その「理論」なるもののいいかげんさを証明するものこそ、都合がわるくなるとすぐ「断絶」していく便宜主義的「理論展開」なのだ。 
 大衆運動の<発展>としての革命運動であり、あくまでも両者に区別はあるにしても<断絶>などありはしない。そしてまた、党派闘争は大衆運動の階級的革命的発展のために闘われるのである。逆にいえば、大衆運動が階級性、革命性を明確にしていくや否や、小ブルジョアジーがそれにおそれをなし、プロレタリア人民の闘いを再び自分の物理力にせんとする活動が全面化する。したがってプロレタリア人民の闘争の階級化、革命化は必然的に小ブルジョア的宗派とプロレタリア的党派の党派闘争を激化させるのだ。したがってプロレタリアの革命運動は小ブル的宗派との党派闘争を必然のものとしてふくむ。それなくして革命は勝利しえない。それはプロレタリア革命ヘ向けてその小ブル党派の存立基礎を解体、止揚していくプロレタリアのソヴィエト運動の一環として闘われるのであり、小ブル運動が中味においても解体、止揚されていく中で、それを居直り逆に暴力的に敵対してくることに対して実力闘争が闘われるのだ。 
 革マルのように相手を止揚する中味をもたず、逆にもたないがゆえに闘争に寄生し、他党派解体のみを革命運動だとする宗派戦争とは全く異る。寄生虫の宗派的敵対を粉砕せよ! 
 いうまでもなく、一定の党派との闘争が極めて緊張したものとなった場合、その党派との「直接対決」もありうる。しかし、その党派の解体、止揚の方針が、プロレタリアの革命運動と無縁だなどということはありえない。むしろプロレタリア革命運動の貫徹として、その特定の党派の特定の「解体―止揚」方針がたてられるのだ。したがつて、革マル派がいっているような特定の党派を解体するための大衆闘争(階級運動とは異る)などというのはまさに疎外の極なのである。 
「すなわち、党派関係の変動という現実的諸条件の推移に規定されて、われわれのたたかいの構造もつぎの<①→②→③>というように移行していくといえるであろう(逆もいいうる)。
  ①運動上ののりこえに従属した組織的のりこえを追求する場合。
  ②運動上ののりこえと組織的のりこえを同時的に推進する場合。
  ③組織的のりこえとしての組織的のりこえを追求する場合。 
 ここでの①は即自的党派闘争といえるが、③はもちろん向自的党派闘争であり、②は前者から後者ヘの転換点をなす。ところで、こうした移行の過程は主体的にはわれわれの実践的立場の規定性のつぎのような転換に規定されている。一般的な党派関係のもとでは、われわれの実践的立場はソコ存在する運動と対決しそれをのりこえる(P←O)、つまりのりこえの立場=闘争論的立場というように規定されている。しかしながら、党派関係が異常に変動したというような場合、それに規定されてわれわれは、自己の実践的立場の規定性をば、のりこえの立場=闘争諭的立場(P1←O)から、一定の党派(O1)に直接的に対決してそれを解体する(O1←O)という党派闘争論的立場へと転換していくのである。いいかえるならば、われわれの実践的立場がのりこえの立場(P1←O)というように規定されている前者においては、あくまでも既成の運動をのりこえる(P1→P2)というこの直接的な目的に従属したものとして一定の党派(O0と規定される点に注意)を組織的にのりこえる(O0→O)という結果をもたらすことができる―したがってそのことはわれわれの媒介的な目的をなす―のである。この一定の党派を組織的にのりこえる(O0→O)という媒介的な目的を、党派関係の異常な変動のもとで、直接的な目的としていく、したがってわれわれの実践的立場の規定性も党派闘争論的立場(O1←O)というように規定されていく、これが後者の場合なのである。
  党派闘争の即自的形態と向自的形態との関係を、一面的にもっぱら前者を『本来的』なもの、後者を『特殊的』なものとしたり、また暴力的形態を伴うか否かということで両者を感覚的にふりわけることはできない。両者の関係はこうである。一般的な党派関係のもとでは、即自的な党派闘争が普遍的であり、向自的党派闘争は従属的・特殊的である。しかしいったん党派関係が異常なものヘと変動した場合には逆に、向自的な党派闘争が普遍的となり、即自的な党派闘争は従属的・特殊的なものとなるのである。この関係はつぎのような論理と同様である。
 『それ〔資本のもとヘの労働の形式的包摂〕はあらゆる資本主義的生産過程の一般的な形態である。だが同時に、それは発達した特殊的・資本主義的生産様式と並存する特殊な形態である。』(マルクス『諸結果』)」(No29,101~102頁) 
 これはNo28の中味のくりかえしなのであるが、最後にみる革マルの反マルクス主義―反プロレタリア的路線および理論を極めて端的に示しているので引用した。 
 すでに何度も批判してきたように革マルの「反帝・反スタ」という誤った戦略はブルジョア社会の全般的制約者を誤って規定している。反帝国主義が戦略であり、反帝国主義の闘争の発展という根本的構造が発展する過程で様々な小ブル諸党派との党派闘争も深まる。ところが革マルにとっては帝国主義も他潮流も並列にならんでしまう。 
 革マルの「のりこえの論理」の中に疎外された党派闘争はふくまれており、その結果なのであるが、一応「のりこえの論理」の中では「党派闘争としての党派闘争」ということは背後にある。つまり、「運動上ののりこえ」との関係で「組織上ののりこえ」がでている。ところが「党派闘争が異常になった段階では」「党派闘争としての党派闘争」が「普遍的な形態」となるという。 
 これをマルクス主義的にとらえかえせば、革マルの党派闘争は革命運動の発展と別にむしろそれを「抑圧した形で」または「断絶」して普遍的形態となるということなのだ。マルクス主義の弁証法にこんなデタラメはありはしない。根本矛盾(普遍的矛盾)―この社会ではブルジョアとプロレタリアの矛盾―との関連で総ての特殊的個別的矛盾が存在しているのであり、したがってプロレタリアの帝国主義打倒の革命運動(根本的闘い)と断絶した形で特殊的、個別的なものが発展するなどということはまさに「疎外」以外の何物でもない。マルクスにとって普遍―特殊―個別(または個別―特殊―普遍)の発展過程は弁証法的な区別(否定)を通して成立していくが、それぞれが「断絶」したりなどしないのである。 
 われわれが指摘してきた通り、革マル派は本質(論)なき形態論者または現象論者である(その根拠は最後にみる)。マルクスの引用も全く手前勝手な解釈をしているが、引用されている中味もそういうものなのである。革マル派の原点が資本主義の根本矛盾にふれえていないからこういうデタラメができる訳なのだ。そして「革命運動」=「のりこえの論理」に根本原因があることはすでにみてきた通りである。 
 こうして宗派革マルは、文字通り大衆全体を敵にまわし、大衆運動の階級化革命化に敵対し、暴力的破壊活動をくりかえすことによってしか自らその存命を陳てなくなってきている。「拠点」早大の革マルの位置をみよ。彼らの悪アガキは、彼ら自身を「アリ地獄」の中にたたき込んでいる。こうして革マル派の本質がますます明白になる中で、階級的党派闘争を深化させ、彼らの粉砕放逐を実現する闘争をやりぬくのだ。しかも注目すべき点は、権力と当局はこの革マルの本質を利用しつくし、人民の分断、支配を貫徹しつつある。革マルは文字通り権力の手の内におどらされているのである。 

(4)革マル派「組織論」の
反プロレタリア的構造
 

 革マル派の一つの重要な柱は、組織論であることはいうまでもない。これまでの整理の上にたつて、組織論それ自体としてどういう経過をたどっていて、どういうところへきているのか、そしてそれがどういう問題をかかえてきているのかについて、のべていこう。 
     ①革マル派の初期の組織論 
 現在の革マルは革命論、あるいは党派の根幹をなす思想性としても極めて重大な危機にたっている。それは、自分たちの出発点的な中味が現実の闘いに直面することによって破産し、それに対して様様な手直しをやっているにもかかわらず、内容については形骸化し、空洞化の一途をたどっている。こうしてむしろ初期の革マル理論に忠実な部分が批判されつつ、脱落していつているというのが実情である。それをもっとも思想的に示しているのが組織論をめぐる革マル派の歴史である。それについて、まず『革命的マルクス主義とは何か?』『組織論序説』によって初期の構造をみていこう。
 『革命的マルクス主義とは何か?』の中では、新たなる革命的プロレタリア党建設については直接「新しい共産党」を作ってこの周辺に活動家を結集していく「雪ダルマ式戦術」を否定し、イデオロギー闘争や政治闘争の司令部は外部におき、その司令部のうち出す方針を大衆運動に適用しつつスターリン主義や社会民主主義の内部にもち込んでいくことによりそれを全体として変質させる「ナダレ込み戦術」を肯定しつつ、同時にその不充分性を突破するものとして「加入戦術と統一戦線の結合」を提起している。 
 この方針は、結局様々な曲折をとりながら革マルの現在を規定している。加入戦術ということは、結局、スターリン主義や社会民主主義の運動をこえていく現実的闘争を展開しえず、スターリン主義や社民への批判が本質的には同一次元のものでしかない観念的批判にとどまつている結果失敗する。既成の「労働者党」の制約を突破せんとしていくプロレタリアの矛盾とその闘争の中味がわからず展開ができない結果、一方では<プロレタリア運動の外>にイデオロギー的な前衛集団を作り、大衆運動は社民、スターリニストの運動と同じものを技術的に(統一戦線等を通して)行なうという形になってしまう。これは、この前衛の思想が結局プロレタリアとは無縁なものでしかないことの証明なのである。それがいろいろの形をとりながら暴露されていくのである。 
 『組織論序説』においては次のような構造を提起している。 
  第一に、前衛党建設のために必要なことは、プロレタリア的主体性の確立、一切のブルジョア的汚物から訣別している共産主義的人間としての主体性の確立である(226頁)。そしてその共産主義的人間としての主体性の確立のためには『プロレタリア的人間の論理』(黒田著)をみよという。
  第二に必要なことは戦略戦術の正しさ、的確さ、政治指導の柔軟性と機動力にあるという。
  第三には統一戦線の成否。
  第四に、行動上の統一を破壊しない内部理論闘争の推進。
  第五に、革命上の実践の統一を決して破壊しない分派闘争をふくむ党内闘争の是認。
 これらの中味をもつ前衛組織は、「共産主義的人間への自己変革をなしとげたプロレタリア的人間を構成体とする強固な<共同体>(これは革命的人間への変革の場であると共に実現されるべき将来社会の萌芽形態であり共産主義的人間にとっては〝永遠の今″としての意義をもつ)」(136頁)とされる。 
 この共産主義的主体性の中味とされている『プロレタリア的人間の論理』はどういうことが書いてあるかというと、次のようになっている。 

「…これらは、そもそも生産と所有との根源的分割に歴史的根拠をもった、その必然的な帰結にほかならないことを、プロレタリアは自覚する。生産と所有との機械的分裂の資本制的形態が、生産諸手段の資本家的所有と労働の社会化との矛盾・作業場内分業の計画性と社会的生産の無政相性との矛盾・ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争・『物の人格化と生産諸関係の物化』という資本制社会の転倒性等々の本質であることが把握される。賃労働者の労働は、人間労働の根源的=本質的な形態との関係において、その資本制的に疎外された労働の現実形態として自覚される。使用価値としての労働生産物を結果するかぎりでの合目的的な生産的労働(労働の本質形態)と、『価値を創造する活動』としての生産的労働(労働の資本制的疎外形態)との矛盾を、したがって人間的本性と人間性の完全なる喪失=自己分割=奴隷化との矛盾を、だから根源的な『種族生活』とその資本制的自己疎外形態との矛盾を、賃労働者は自覚する。それは、社会的生産・人間労働―人間的本性をその資本制的形態ヘと疎外せしめている事態(すなわち資本制的現実)の本質の概念的把握にもとづく階級的自覚である。」(『プロレタリア的人間の論理』127~128頁) 

「こうしてプロレタリアは、いまや、自己に敵対的に対立した資本を暴力的に収奪し、自己否定的に迫ってくる資本家の私有財産をば社会の歴史的必然性における自己発展を物質的根拠としつつ積極的に止揚せんと決意する。それは、自己の非人間化された奴隷状態を克服し、失われている普遍的人間性と技術性を完全に全面的に回復せんとする主体的な決断である。『人間生活の永遠的な自然条件』を奪回せんとするプロレタリア的な価値判断の成立である。これは、生産と所有との根源的な分裂(階級的所有関係の成立にもとづく社会経済的な疎外の発生)を本質的な根拠とした社会的生産の歴史的発展がもたらした革命的自覚であって、かかる分裂そのものを根底から徹底的に変革せんとするプロレタリアの階級的自覚である。それは、社会的生産力の無限なる自己実現を、社会的生産過程の歴史的必然性における自己運動を、存在論的根拠とし、主体的原理としたプロレタリアの歴史的自覚である。いな、物質の宇宙的必然性における自己実現の主体的契機であることの物質的自覚の獲得である。」 

 まさに観念論者革マルにふさわしく非マルクス主義的用語がならんでいるので理解がめんどうに思えるが、要するにいつていることは、≪人間の活動は本来生産と所有が統一されていたのに対してそれが機械的に分離してしまい階級社会が生まれた。これを主体的に自覚して、統一を回復せんとする闘いヘ決起していく≫ことが主体性だといっているのだ。 
 人間の歴史の中での生産と所有の構造は、共同体の問題と不可分である。つまり「統一されていた」のは共同体に個人がとけ込んでいる原始共同体においてである。こういう問題を欠如して「分離」だの「回復」だのといっても、それは自己の描くユートピアでしかない。これは決してこの引用の箇所のみではなく黒田の著作全体の特徴なのであるが、黒田には歴史と社会の科学的解明が欠如している。プロレタリアがなぜ革命的なのかは、決して「生産と所有の分離」のみによって説明されるものではない。これはすでに労働運動諭の中でみてきたように、「合理化の把握―反合闘争論」についてもっとも鋭く出てくる。つまり現実的、本質的把握がなく、その上に「主体性」だの「共産主義」だの「革命」だのがつく。つまり、それは黒田のユートピア(小ブル的)をおしつけているにすぎない。 
 「共産主義者の共同体」などといっても、資本主義の本質的把握やプロレタリアの革命性の本質的把握が欠如していてどんな「共同体」を夢想しているのだろうか? 『組織論序説』の中でも『プロレタリア的人間の論理』の中でも、黒田の論理の中には共同体とか組織ということを必然化する内容は全くない。いわば「一人一人共産主義的自覚をもつて行く」という構造なのだ。その存在が共同体的存在であり、またその矛盾が共同体的構造をもっている(疎外された形であれ)そういう中ではじめて生み出されるべきものが「新たなる共同体」としての中味をもちうるのだ。ところが黒田には、こういうものが全く存在せず、「個人的自覚としての共産主義的自覚」が急に「共同体」的だとされている。それでも、このころは、精一杯こういう「ユートピア」―「主体性」を夢想しえていた。だが、この「主体性」が現実に直面するや否やまさに小ブルの「ユートピア」―「夢想」 でしかないことが暴露されてしまう。 
 その運動、闘争上の過程はすでにみてきた。そしてその中で「純粋革マル主義者」は、結局運動と無縁な個人主義者だとして批判されていく(主体形成主義者として)。これは、当然、政治技術主義、大衆運動主義と裏表の関係としてあることになる。なぜならば、運動の主体たる「大衆」の中には「共産主義」の中味は存在せず、それを「あやつる」革マル的人間の側にイデオロギーとしてある以上、運動それ自体は物理力または操作の対象となっていくのである。 
     ② 現下における革マル組織論の宗派的構造 
 さて、それでは現下の革マルの組織論の問題点を批判していこう。『日本の反スターリン主義運動 2』の「Ⅱ 組織建設路線にかんする問題点」を軸にしながらその反プロレタリア性を暴露していきたいが、ここでのべられている中味はほぼ今までの中でみてきたことなので紹介的なことはできるだけはぶいていきたいが、一応要綱的にのみ叙述をあげておく。 

1 分派闘争期における組織問題
 (1)大衆運動の組織化とわが同盟(およびマル学同)の諸組織の組織的強化との関係にかんする問題
  (ここでは主に中核派の大衆運動主義への批判)
 (2)地方産業別労働者委員会の強化とわが同盟組織の地区的確立にかんする問題
  (地方産業別労働者委員会を強調する革マル派と地区組織を強調する中核派の対立)
 (3)前衛組織建設における疎外とこれにたいする組織的闘いにかんする問題
  (「大衆運動主義」と「官僚的シメツケ」の中核派に対する「闘争組織戦術」・「理論闘争」を強調する革マル派の対立をめぐって―)
 (4)「マルクス主義青年労働者同盟」にかんする問題 

2 「主体形成主義的組織づくり」の発生とその克服
A 組織づくりにおける「主体形成主義」との闘い
B 「戦略論的ほりさげ」路線の発生根拠
C ケルン主義の克服のための闘い 

3 思想闘争主義的および政治技術主義的な組織づくり路線との訣別 
A 組織づくりにおける思想闘争主義の発生根拠
B 「運動の単位としての組織」観の誤謬
C 「運動に対応した組織づくり」との最後的決裂≫(142~210頁) 

革マル派の革命運動―「のりこえの論理」が、小ブルイデオロギー集団が階級闘争の現実の中にたたき込まれていった時とった「自己保身」であったように、革マル派の60年代中期から「展開」されていく組織論も小ブルイデオロギー(小市民的自我)が労働運動等に直面しつつ、それに「のっかって」生きのころうとした時に生まれていったものであった。くりかえし発生してくる一方における「主体性論」と他方における「技術主義―物理力主撃はその表現に外ならなかった。 
 それに対して黒田は次のように答えていった。 
 「共産主義的人間への形成、プロレタリア的自覚の論理は人間論ではあっても、組織論ではない。組織の前提あるいは組織化される以前の人間にかかわる諸問題やそれへのアプローチのしかたまでもが、直境的に組織論の領域にもちこまれるならば、組織論は主体性の問題に一面化されてしまう。」(312頁) 

 ≪政治的国家と市民社会との分裂―私人と全体的社会性ヘの分裂―にブルジョア社会はおち込んでいる。即自的プロレタリアも同じである。これを階級闘争を通して止揚しなくてはならない。労働組合は社民によってゆがんでいるにしても階級的全体性と個別性の即自的統一としてあり、個別と全体の止揚の問題を場所的に実現する―即自的にではあれ―というものをふくんでいる。これを不断に向自的に高めていくべき任務をもった前衛党が、社民的、スターリニスト的に変質しているところに現代の階級闘争の一切の問題がある。階級的全体性とプロレタリア的主体性=個人性の統一された革命的前衛組織として同盟をうちかためねばならぬ。≫(224~315頁) 
 これからもわかるように、黒田の初期の組織論や思想性に強く出ていた「小ブル的自我の自己確立」という側面は、労働組合運動等に直面しつつ一定の「手直し」を迫られていった。だが、またしてもそれは、単に形態上の技術的な「手直し」に終る。ブルジョア的な「私人」と「全体性」の分裂をプロレタリアが止揚可能な根拠は何なのか?そして、その「個別性」と「普遍性」の統一を実現しうるプロレタリアの本質がいかに展開していくのかが「一カケラ」も示されず、ただ「結論的にのみ」マルクスの「口真似」をして「統一」が語られるにすぎない。 
 こうしておきていくことは、たとえ誤っているにしても初期の革マル派のもっていた中味、内容が否定され、形式化、形骸化された「組織性」が外部から(指導部によって)下部活動家に「附与」され、下部活動家はそれを「体得」させられる(325頁)。 
 こうして、反スタ・スターリニストの本質が公然と姿をあらわしはじめる。 
 スターリニストのスターリニストたる理由は、個別的主体の内在的必然性の展開として全体をたてるのではなく(または全体性の展開が個別性を自由に発展させるのではなく)、個別主体の内在性を抑圧していくところに全体性がたつことにある。これはブルジョア社会では、「他者」はそれぞれの「個人」の限界であり「個人の自由」と「公共の福祉」は本質的に対立する構造になっているのと同じである。それこそ分業(私的所有)を突破できないものなのだ。 
 これに対して、プロレタリア階級の革命運動が生み出す組織がこれを止揚できるというならば、その<根拠>が明白に科学的に示され、そしてそれが展開されていくものとして組織方針がたてられねばならぬ。ところが革マル的主体にとってその「根拠」は、小ブル的なまま形の上でだけプロレタリアの組織性が語られる。これはまさにスターリニスト的な疎外された組織性に外ならない。こうして「人間論」と「組織論」の分離が語られるのだ。百歩ゆずってその相対的区別性がたてられたとしても、その「組織論」の中にプロレタリア的共同性の中味が展開されていなければ、そもそも「共産主義的主体性」などということを問題にする必要は全くないことになる。要するにプロレタリアの革命性、階級性の展開としての組織性ではなく、その中味を失った疎外としての組織性なのだ。プロレタリア革命運動の推進をなしうる組織性ではないことは明白である。 
 こうして、革マルイデオロギーは、大衆闘争論(のりこえの立場)の極において革命運動と無縁な、いやむしろ敵対する宗派戦争をひき出し、また、プロレタリア革命運動と無縁な、いやむしろそれを抑圧する形骸化した組織を生み出しているのだ。 
 こうして「加入戦術と統一戦線」としてたてられた初期の革マル派の基本方針は、プロレタリア運動に敵対する組織性とプロレタリア人民から徹底的にきらわれる孤立という破産状況を迎えている。 

(続く)
<闘争戦術上の諸問題> 
 これは、(イ)、(ロ)、(ハ)の三つに分けられている。(イ)の「『日韓の本質暴露』主義的闘争戦術の発生をめぐって」は、問題が六つに分けられている。 
 第一は、闘争戦術をうち出す前提となっている情勢分析が、基底体制還元主義となっていること。また、日帝の単純自立論的傾向をもっていたこと。 
 第二は、「他党派批判をもって情勢分析である」とする偏向、および「情勢分析の方針化」および「戦術的課題の戦略戦術的分析」という考えの問題。 
 第三は、革マル全学連の立場の革命論的日韓条約批准阻止の戦術的課題をいかに実現するかにかかわる内容に適用することに失敗している。つまり、「のりこえの立場」を戦術内容に表現することがなされていず、「階級性」を基準として他党派を断罪するという「原則対置主義的なイデオロギー闘争」に陥っていること。これは、「闘争論的立場=のりこえの立場」が確立されておらず、「有効性論議」の立場ないしは「のりこえの空語化」された立場であること。 
 第四は、方針提起において内容を捨てさって、提起の仕方、形式のみを論ずる「いわゆる提起主義」におちいっている。 
 第五に、運動、組織論において、既成党派のイデオロギーののりこえをなしとげた革マル全学連フラクの形成を実体的基礎に運動上ののりこえを実現していく問題が、その前提をなす「人間変革」や「プロレタリア的人間の形成」の次元に解消され、一種の「主体形成主義」「人間変革主義」になっている。 
 第六に、方針提起において「自治会主義」(大衆運動主義)におち込んでいる。 
 (ロ)の「『社共批判の自立化』的闘争戦術の発生をめぐって」では、次の四つに問題を分ける。
 第一は、社共の闘争戦術批判に、革マル派の戦略戦術が適用されずに、政治力学的な結果批判や「階級性」「実力闘争」などを基準とした原則対置主義的批判になっていること。 
 第二は、「のりこえの主体的構造」が戦術上貫かれていないで、「グリコのおまけ」のように「のりこえよ」という主張がくっついている。つまり、「のりこえの空語化」の問題。 
 第三は、原則対置主義におち込むのは「大衆にふまえる」ことを忘れてしまい「方針提起における理論主義」となっていること。 
 第四は、他党派をスローガン的にぶったたくという形式で出てくる「方針提起における政治力学主義」の問題。 
 (ハ)の「『実力闘争の単純対置』の偏向の発生をめぐって」については、次の三つに分けられている。 
 第一は、社共の議会主義、反米民族主義的戦術に対して、実力闘争を単純に対置するもの。
 第二は、「中間三派連合」の「単純行動主義」に対して、「思想性をもった実力闘争」を対置するもの。 
 第三は、革マル派の「実力闘争戦術」をデモやストなどの闘争形態として語り、社共、「三派」とその実現を競うこと。 
 これらを整理し、要約すれば次のようになる((イ)、(ロ)、(ハ)を通じて)。
 革マル全学連の立場の「革命論的日韓条約批准阻止の戦術的課題をいかに実現するか」に失敗し、「のりこえの空語化」がおきている。 
  ①の問題の一方の側面として「内容をすてさった提起の仕方のみを論ずる提起主義」「主体形成主義」「人間主義」が出てきている(現実のプロレタリア人民の階級闘争と無縁な小ブル主体性論的なブレ)。 
  ②の問題は、あえて運動上表現されるならば「他党派批判の自立化傾向」となり、「原則対置主義」「大衆運動を忘れた方針提起における理論主義」となってあらわれる。 
  ②~③となってあらわれる問題の裏がえしとして、今度はズブズブの自治会主義(大衆運動主義)が出てくる。 
  ③~④の関連の中で実力闘争を問題にしようとすると、「のりこえの立場」を忘れさった実力闘争の単純対置、他党派の実力闘争と闘争形態を争うという傾向におち込む。 
 革マル派が、現実の階級闘争の中に身をおくや否や「現実の階級闘争と無縁な小ブル自我の主体形成主義」、「主体形成主義と不可分な、マルクス主義と無縁な小ブル『理論主義』」、「その裏がえしの、または、その結果必然的に出てくる小ブル的大衆運動主義」、「実力闘争をやろうとすれば、小ブル急進派と同質なことをそれ以下にしかやれない」という問題のなかで七転八倒するのである。こういう問題の中で、革マル派は「のりこえの立場」の宗派的確立を行ないつつ、この混乱をのりきっていこうとする。それが66年以降の革マル派の「苦闘」である。 

3 70年安保―沖縄闘争をめぐる
   革マル派の混乱と破産 

 60代の中期において、大きな混乱と動揺の中に革マル派はたたき込まれていった。それは、中核派と分裂したその分裂の革マル派的本質(中核派には別の形であらわれている)にかかわるものであった。それが、日韓会談粉砕闘争における彼らの破産と総括をめぐる混乱に表現されていった。 
 革マル派は、日韓会談粉砕闘争におけるこうした破産と混乱を、63~64年段階における彼らの「のりこえの立場」の整理により、宗派的に確立することによってのりきろうとしていった。この「のりこえの立場」の中味がプロレタリア革命運動の中でより本質的に暴露されていったのが70年安保決戦、沖縄闘争、ベトナム反戦闘争においてであった。 
 彼らはこの60年代の後半に開始されていく闘争において、「革命主義批判」 「ソヴィエト運動批判」を自分たちの「党派性」としていくのである。 

(1)革マル派の
70年闘争の「総括」
 
 67年からはじまる学生運動、および反戦青年委の反安保闘争の高揚に、革マル派は例によって全くついていけなかった。革マルという党派は、階級闘争の高揚時にはいつも方針を失い、「ブツブツ」いいながら闘争の後からついてきて、闘争の困難局面になると「それみたことか」とケチをつけながら党派闘争をいどむ。闘争が高揚に向っていく時というのは全くなすすべもなく混乱していくのである。これは広い意味での70年安保決戦全体についていいうることであった。70年安保決戦は、60年代後半の反合理化闘争、教育闘争という根深い社会運動の波をくぐりながら、その基礎の上に高揚していった。教育闘争の高揚の最終局面と安保決戦とは重なる形になる。第一次早大闘争においてそうであったように東大闘争においても革マル派はなすすべを失い茫然としてすごし、その闘争の真最中に、早大反帝学評、解放派にテロ、リンチ攻撃を加え、さらには安田講堂攻防戦においては全く参加せず、自らの「拠点」であった文学部の防衛さえ行なわないというありさまであった。こうして革マルは、全日本プロレタリア人民の笑い物になっていくのである。同じことが67年からの反安保闘争の高揚の中でおきていく。 
 こういう状況で彼らの内部矛盾も様々な形で噴出するのであるが、結局それは「のりこえの立場」の現実的破産を内部からつき出す形となっていく。そこで彼らは「のりこえ」―「高め」―「めざす」なる「手直し」を図る訳であるが、この「高め」―「めざす」なるものが、結局「宗派づくり(組織づくり)」に収約されるというまことに革マルらしい「語るにおちた話」になるのである。 
 この間題を政治闘争における問題を通してみてみよう。先ほどのべたように、革マル派は反戦青年委運動を実質的に放棄しているので、政治闘争をめぐっては、学生運動の総括が彼らの実情をもっともよく示している。今、それを『共産主義者』No23・24―「学生戦線における70年闘争の総括と教訓」―中央学生組織委員会論文によってみてみよう。 

「それゆえ、大衆闘争を直接『革命闘争』として闘うというブンブクの革命主義を、60年ブント型の大衆闘争から革命闘争への『連続的発展』観との差異性においてわれわれは十分批判しつくせなかった。このことは他面同時にわれわれの70年闘争の基本構造の解明においては、大衆連動と革命運動との場所的構造の解明にとどまり、場所的な闘いを『安保破棄、自民党政府打倒』をめざして、いかに反政府、反権力闘争に高めてゆくかにかんする主体的構造の解明を十分措定しえないことになった。(この問題は、わが同盟のスローガンである『安保破棄』のスローガンの位置をめぐって発生した)
  しかしながらわれわれは『大衆運動と革命運動の区別と関連』の論理について若干存在していた悟性主義的理解の克服を前提として、大衆闘争に革命闘争を結果解釈主義的に附加する傾向、場所的な構造をおろそかにするトロッキー型の類推から大衆闘争の革命闘争への発展を論ずる傾向等々の過渡的な限界の否定にふまえ<のりこえ、高め、めざす>の基本構造を明らかにしたのだった」(71頁) 
「・・・だが、革命主義との対決の中でわれわれのなかでわれわれの内部にも70年間争論の直接的煩推から〝学園闘争を反権力闘争に直接高める〟というような傾向もエピソード的にみられた。・・・また、ブンブクの存在論主義的傾向に〝ポジティブ〟に対決するという意図のもとに『ソヴィエト、革命闘争』談議にふける傾向もあらわれた。これは、存在論的イデオロギー闘争主義的傾向である」(同頁) 
「・・・この当初の段階で日米共同声明の発表のもつ結節点的な意義を明確にとらえることができない傾向が若干あったことと結びついて、あるいは72年に漠然と結節点的なものを想定することによって〝サン条約三条のプロレタリア的破棄、沖縄人民解放をめざす″〝安保破棄、自民党政府打倒をめざす″というようなスローガン的戦術が一部で提起された。だが、かかる考え方は、日米共同声明の政治的意義(とりわけ法的=形式的破棄に先だって実質的に破棄を前提として事態は現実的に転回している)、白熱点的闘いに位置した69年10、11月闘争における日本階級闘争の本質的敗北等々について前提的に措定しえていないだけではない。闘争戦術を闘争論的立場ぬきにスローガン主義的に解明する偏りをもち、闘争戦術そのものとしては場所的な闘いの解明ぬきに直接に未来的展望に結びつける、直線的な『高め』主義的傾向をもっている」(同) 
「わが同盟の過渡的要求の一つたる『安保条約の破棄』を直接闘争スローガンに掲げて闘う70年闘争においてはただ大衆闘争と革命闘争との『区別』を原則的に確認するだけでは決定的に不十分とな るのである」(78頁) 
「・・・この場合の核心的問題は政府支配階級の『自動延長』という法的手続き、あるいは策動の内容にただ対決すべきことが強調されているだけで、支配階級の新なる政勢に規定されて展開される既成の階級闘争をのりこえるという闘争論的立場があいまいとなっていることである。しかも、そのような傾向は、当面する70年闘争を革命主義的にではなく、大衆闘争としてたたかっていこうとする意図に規定されている。すなわち支配階級の具体的な攻勢とたたかっていくことが当面の任務であり、それにとって高い目標をなす安保破棄は、革命主義者が夢想するように直接実現しうるものではなく、大衆闘争のなかでその課題を大衆に自覚させつつその実現を『めざし』ていく以外にはないというような考え方が背後にはある。『安保自動延長阻止、安保破棄をめざす』というように。しかしながら70年にかけた支配階級の攻撃は、条文をかえることなく安保条約を実質的に改正し、日米軍事同盟を再編強化することにある。それゆえわれわれは『安保破棄』それ自体を、したがって『自民党政府打倒』をめざして70年闘争を推進してゆかねばならないのである。いうまでもなく『安保破棄』『自民党政府打倒』は、わが同盟の過渡的要求にはかならないとはいえ、大衆闘争を直接、革命闘争化していくことが問題なのではない。場所的な大衆闘争の推進の構造を明らかにすることにとどまることなく、その闘いをいかに『安保破棄』『自民党政府打倒』をめざした反政府、反権力の闘いに高めてゆくのかが問われざるをえないのである」(同文) 
「しかし、この課題を『主体の創造なしには不可能』であるというように、党組織作りを客体化しそれを大衆闘争を革命闘争に高めてゆく〝媒介契機″のように位置づけるかぎりでは、70年闘争の主体的推進構造の解明とはなりえない。あるいはまた、それまでの70年闘争戦術の追求では『大衆闘争と革命闘争とは悟性主義的に切断されている』というような単純な反省を前提とし、『単なる大衆闘争にとどまらない特殊性を帯びた階級闘争』というような70年闘争の客体的性格規定にもとづき『大衆闘争と革命闘争の区別と関連』の論理には適用限界があることからして、大衆闘争を反政府、反権力の闘いに高める構造をもっばら過渡的に論ずるということでもない。・・・われわれは、現代革命の構造を客体化し、単に過程的にとらえるのではなく、結節点(戦略が直接に実現される時点)を明確にし、その段階における革命闘争とそれにいたる過程の階級闘争を区別した。このことにふまえ、われわれは、場所的現在における階級闘争の弁証法(『大衆運動と革命運動あるいは党組織作りの区別と関連』)を解明し、それにのっとってプロレタリアの階級的組織化と党組織の不断の強化を実現することを基礎に、一定の主客の諸条件の成熟を前提として階級闘争を反政府、さらには反権力の闘い、革命闘争に連続的に高めていくのである。われわれはこの論理を70年闘争の解明に適用し『安保破棄』したがって『自民党政府打倒』にむけて<のりこえ、高め、めざす>の構造として簡潔に表現してきたのである」(79頁) 
 「ところで先にみた70年闘争戦術の解明の過程であらわれたいわゆる『高め』主義的傾向が、沖縄闘争戦術の解明の過程においても部分的に存在した。こうした傾向は日本支配階級が『核基地つき沖縄返還』政策にふみきったことを一つの条件としてあらわれた。すなわち、この『核基地つき沖縄返還』政策を先にのべた『交叉点』的意義をとらえることなくただ単に『沖縄問題のブルジョア的解決』『サン三条のブルジョア的破棄』というように沖縄問題にひきよせてとらえた。このことによって「・・・『核基地つき沖縄返還』策動を粉砕せよ!」を結び目とした反戦、反安保の闘いと沖縄闘争との結合の構造は無視されることにもなり、・・・。しかも、これが核心的問題なのだがその場合闘争論的立場を欠落し、したがってスローガン主義的『高め』主義的に70年闘争戦術をとらえかつ沖縄闘争戦術の解明にその把握をもち込む―ブルジョアジ―の攻勢に直対応するかたちで『沖縄問題のプロレタリア的解決』『サン三条のプロレタリア的破棄』というように。
・・・だがわが同盟は、沖縄闘争をたしかに日本ブロレタリア革命を実現するための闘いにまで連続的に高め、プロレタリア自治=ソヴィエト権力をうちたてる、という戦略的展望〔メインⅡ=「サン三条破棄!行政命令、一切の布令、布告の撤廃!」等々・・・〕のもとにたたかっているが、革命主義的妄想とは無線である。われわれはメインⅡのスローガン(低いものから高いものへと掲げている)をメインⅠのスローガン(「社共の『返還要求』運動をのりこえサン三条の破棄を通じて沖縄人民の解放をめざしてたたかおう」)の中に過程的に(のりこえ、通じて、めざす)かつ媒介的に(個別的諸闘争をたたかいぬくなかでめざすものとして)掲げているのである。いいかえるならば、沖縄闘争の推進構造は、直接的には沖縄問題にかんする個別的諸課題を闘争論的立場にたって―すなわち社共の『返還要求』運動をのりこえ、沖縄の地で、『祖国復帰』運動に抗してたたかっている労働者、学生、人民と連帯し―たたかいぬき、この闘いを(主客の客観情勢の成熟を前提とするが)プロレタリアの階級的組織化と党組織の強化にふまえ日本革命の一環としての『沖縄人民解放』をめざして連続的に高めていくのである。またかかる戦略的展望を個別的大衆闘争のなかでも明らかにし、われわれは大衆の自覚を促していくのである」(82頁) 

(2)革マル派の総括の
小ブル宗派的構造
 
 少しながくなったが、革マル派の70年闘争の総括を引用してみた。これは一体何をめぐって動揺し、その動揺をどのような形で収約しのりきらんとしているのかといえば、次のようになるだろう。 
 彼ら自身がみとめているように、70年安保闘争については全くたちおくれてしまった。その中で出てきたのは、彼らの「大衆運動」が一体「安保破棄」という目標に対して何がなしえているのかという板本的疑問であり、しかも、その疑問が彼ら自身の路線そのものに迫る形で出されてきたのである。それは、二つの形で「ブレ」として出てきた。 
 第一のものは、当面は人を集めて「大衆運動」をやっていればいいのであり、「安保破棄」などというのは「めざす」ものではあっても、それを本気で闘う必要はない、それを闘うためにはまず当面「主体の創造」が必要であるというまさに革マル的中味である(78頁からの引用をみよ)。 
 第二のものは、その逆に、大衆運動の区別と連関という革マルの規定はあやまりであって「特殊性を帯びた階級闘争」、「反政府、反権力の闘い」を強調する傾向である(79頁からの引用)。あるいは「高め主義」(→)的に「沖縄問題のプロレタリア的解決」「サン条約のプロレタリア的破棄」というような傾向である(82頁からの引用)。 
 このようにまさに革マルであるがゆえに当然でてくる「ブレ」に対して、一体どのように「解決」したのであろうか→ この解決の仕方がまさに「革マル的」なのである。それは日韓闘争の総括をめぐっておきた混乱とその総括の問題を、一周してもとの位置にもどったような形になっている。もちろん、そこには革マル的な「整理」があるわけであるが、それはますます革マル派がプロレタリア革命運動とは無線な宗派運動へと転落していく形でなされている。今まで引用してきたものを要約すれば、次のような「解決」になっている。 
 ≪大衆闘争から革命闘争へ連続的に発展するということは、60年安保ブント型のあやまりである。これは「闘争論」をぬきにして闘争戦術をスローガン主義的に考えるものとつながるものであり、また、場所的な闘いの解明ぬきに直接未来的展望に結びつけるあやまりであり、現代革命の構造を客体化し、過程的にとらえる傾向としてもあらわれる。これは、スローガン主義、「高め」主義である。逆に、安保破棄等を単なる「めざす」ものとしておき、単なる大衆闘争を展開するのもあやまりである。それは、党組織作りを客体化し、党組織を大衆闘争を革命闘争に高めていく媒介契機のように位置づける傾向ともなる。双方をこえていく方針は、大衆闘争と革命闘争を明確に区別した上で、ブロレタリアの階級組織と党組織の不断の強化を実現することを基礎に、一定の主客の条件成熟の下で、階級闘争を反政府、反権力闘争に高めなくてはならない。それは、諸闘争を既成の階級闘争をのりこえるという「のりこえの立場」「闘争諭的立場」にたって闘いぬくことによって可能なのだ。それは「より高い」中味のスローガンを「より低い」スローガンの中に過程的・媒介的にかかげていく形としても進められる≫ 
 ここで彼らが言おうとしているのは、単なる大衆闘争をスローガンによってつって連続的に革命闘争へと発展させようとするのはあやまりである、大衆闘争が革命闘争へ転化するのには闘いの中味が既成の連動をのりこえたものとして形成されていなければならず、しかも一定の条件のもとでのみそれは可能なのだ、ということである。だが、この中味が極めて革マル的に疎外されたものなのだ。 
 彼らが解明せんとしていることは、大衆運動はそれ自体としては革命闘争になりえないのであり、そこには「転化」「飛躍」が必要なのだということである。これを彼らはどのように「解決」しているかというと、今みたように「既成の運動をのりこえる」=「のりこえの立場」=「闘争論的立場」という形で行なおうとしている。これは後でそれとして独自にとりだして批判するが、要するに、既成の運動にかかわって「運動上ののりこえ」―「イデオロギー上ののりこえ」―「組織上ののりこえ」を行なうということである。これは、その既成の運動を支えている「イデオロギー」「組織」の解体ということである。それによってその運動を支えている集団、組織を解体し、それにいれかわって革マルがその運動の上にのる「のっとり運動」である。これを彼らは「闘争論的立場」といい、それが現在的な革命運動だというのである。 > しかし、彼ら自身の中から出てくる批判にもみられるように、ここには決定的なあやまりがある。それは、「大衆闘争と革命闘争の区別と連関」という時、「連関」という面はどうなっているのかということである。弁証法的にいう「区別と連関」は決して二つのものが別々に、つまり区別があってそれとは別に連関があるのではない。「区別」そのものの中に「連関」があり、また「連関」それ自体が「区別」を生み出すのだ。そういう意味でいえば、現存する大衆運動の限界と共にその中に存在する階級性、革命性を全く否定しざるならば、そもそも区別自体もたたない。 
 小ブルによるプロレタリア運動の支配、または物理力化は、自然発生的に存在するプロレタリア運動をその一定の段階におしとどめるところにある。したがって、プロレタリア大衆運動それ自体の階級的革命的発展が定立されてはじめてそのブロレタリア運動を支配している既成の党派の解体の条件が生まれるのだ。したがって限界をもって存在する大衆運動をいかにして階級的革命的に発展させることができるのかという方針をもたずに「のりこえる」といってみたところで、結局その「のりこえ」は、本質的にはそれ以前と変らぬ市民的な、民同的な運動の若干の戦闘化以外には成立しようがない。ただ社民、スターリニストにかわって、反スタ・スターリニスト「革マル」派が、ブロレタリア運動への小ブル的支配をつづけるだけになる。
 これは彼ら内部の論争からいえば、「プロレタリア性」が全くでてこないことへの批判としてでてくる(「沖縄問題のブロレタリア的解決」等)。さらに学生運動では「主体形成主義」―「小ブル主体性諭」の強調となる。これは日韓闘争における大きな動揺のくり返しとその革マル的な、宗派的な「解決」の方法なのだ。この問題は、「のりこえの立場」の革マル的深化をめぐってさらに反プロレタリア的に展開されていく。 


4 ベトナム反戦闘争における
  革マル派の小市民的本質 

 日韓闘争において「生まれたばかりの」革マル派は根底からの動揺と混乱に直面し、その「のりきり」の中で、宗派的本質をさらに深めていった。日韓闘争において生み出された革マル派の本質にふれる構造は、不断に彼らを動揺と混乱におい込みながら、70年安保―沖縄闘争にいたる。そして、今みてきたように、70年安保―沖縄闘争の中で同じ混乱と動揺をうけながら、「のりこえ」―「高め」―「めざす」なる「路線」の中で反プロレタリア性を強める。この過程における組織方針上の問題を別にたてて解明することにより、問題はいっそう明確になるが、これは後に行なうこととして、ほぼ同じ問題がつき出され、その「解決」をめぐってある面で革マル派の本質が極めて明確にうきばりにされている「ベトナム反戦闘争論」を「検討」しておこう。革マル派『共産主義者』No29―「ベトナム反戦闘争の教訓と党派闘争の飛躍的強化のために」―中央学生組織委負会論文を対象として行なう。このうち「党派闘争」についての問題は「組織方針」のところで改めて解明するので、ここではこの論文のうち「ベトナム反戦闘争」の部分のみを批判する。まずはじめに彼らの引用を行なってみよう。 

「ベトナム反戦・反基地闘争の主体的推進構造・・・
 昨年4月6日、米帝は北爆を再開し、5月8日には、北ベトナム全港湾を機雷封鎖するにいたり、それ以来アメリカ帝国主義のベトナム侵略はこれまでになく激烈な形態をとりはじめた。・・・
1 こうした事態が否応なくわれわれに否定的に迫ってくる客体的現実である。 ―このことは、現実からわれわれに否定的にせまってくる客体的限定(S←O)ということができる。・・・このことは、否定的にせまる客体に対してそれに自己否定的に即し(主体は客体と自己矛盾的に同一化する)その変革を自らの課題にするという、客体に対するわれわれの主体的限定(S→O)ということが出来る。こうしてわれわれは主客の現実的矛盾(S→←O)を克服するという実践的立場(S→O)にたつのである。われわれは、実践的立場に立ち、自己に矛盾した客体に自己否定的に即することによってわれわれの意識の主観的恣意的な諸規定を止揚(=主観の客観化)しなければならない。しかし、直接的には客体を自己の内容として直観する意識、客観のその超越性における内在化を、つまり衝動的意志を獲得するにすぎない。いわば衝動としての目的の直接性にとどまると言える。したがって、こういう点に無自覚なままただちに実践に移るのであれば衝動としての実践あるいは恣意的な行動が避けがたいだろう。つぎのような場合でも、こうした即自的な段階の固定化(したがって実践的立場そのものも単に外なる対立物を排撃するものとして実貿的に形ガイ化することになるが―)による疎外形態ということも可能である。すなわち、それは『ベトナム(戦争)問題のプロレタリア的解決』を直接おいもとめるような傾向である。こうした傾向においてはすでにまえもってあるべき解決形態(米帝がベトナムからおい出されてベトナム戦争が『プロレタリア的』に解決される)が存在論主義的に想定されている。そしてそのような目標にむけていざたたかいへ、というような任務方針が導き出されてくることになる。かかる任務方針は当然のことながら(米帝に対する)打撃論的な、反権力主義的な、単純な内容におちいらざるをえない。・・・すなわちこの傾向においては、一方ではわれわれに否定的に迫る客観的現実、これはこの段階ではいまだ無規定的なものであるにもかかわらず、すでにそれが存在論主義的に説明されてしまっている。―つまり唯物論的な対象認識(次に述べる②)は、必然的に欠落する。・・・したがってわれわれは衝動、意欲としての目的の直接性にとどまることなく、それを認識活動に媒介された思惟活動を通じて、意識的目的、理性的目的へと高めていくのでなければならない」 

 これは一体何を言おうとしているのかというとベトナムに対する米帝の侵略という客体的現実があり、それが「われわれ」に否定的に迫ってくる。それに直接に対応する「主体」は、それ自体としては「衝動」にすぎないのであり、そのままでは「衝動としての実践」でありあやまりであるという。しかも、「ベトナム戦争のプロレタリア的解決」というような形の場合は、「衝動」であり、「無規定」であるはずのものに「プロレタリア的」などという「存在論主義的」な説明がついていてけしからんというのである。さてこのようなことの上にたって更に次のように言う。 

「②・・・すなわち、われわれが客観情勢を分析するということは、実践、認識主体としての客観情勢の一契機をなしているこのわれわれが、観念的に自己を二重化し(S=S)、われわれ・実践主体としての現実の自己をその一契機(観念的自己にとっては現実の自己は客体としての意義をもつ)とした客観情勢の総体(S→←O)を対象的に分析することを意味する。つまり、われわれは、自己に否定的にせまる客体に自己否定的に即し、もって主観を自己否定的に止揚、主観を客観化し(S→O)、こうして客観をその超越性において全的に内在化(S←O)・反映=認識しなければならないが、それは現実肯定的になされるのではない。・・・本質上認識は実践的活動、意志の立場に従属し、その媒介的契機をなすものであるからである。現実の自己=実践主体から観念的自己を自立化したり(客観化)、両者を直接二重化したり(主観主義)することによっては、階級情勢の正しい把握は、そもそも不可能なのだ。しかも、情勢分析の対象は、直接的生産過程によって措定された社会的直接性における階級的=実体的諸関係およびその運動であり、この対象をその物質的基礎たる政治経済構造との関係でとらえるとともに、それらの実体関係およびその動向を規定しているイデオロギー(国家や諸党派のそれ)との関係において革命論を適用して分析するのである。この場合、階級的=実体的諸関係、その政治力学をもっぱらそれ自体として自立化して分析する、つまり階級的諸実体の動向を規定している、イデオロギーとの関係において革命論を適用することなく分析する偏向を情勢分析における政治力学主義という。また階級的=実体的諸関係およびその動向をもっばらその物質的基礎たる政治経済構造の分析から説明する(したがって革命論の適用も欠如する)偏向を情勢分析における基底体制還元主義という」 
「③この運動論的情勢分析を通してわれわれは対決すべき対象―既成の反対運動(P1)を明確に措定する。こうしてわれわれは闘争論的立場(P1←O1)にたつ。この闘争論的立場は先にのべた実践的立場との関係においては、それを具体化したことを意味し、逆に実践的立場は闘争論的立場の即自性としてとらえかえすことができる。ここにおいては情勢分析の場合のように観念的に自己を二重化し現実の自己をも対象的にとらえるという方法とは異なり、われわれはあくまでも主体たる組織(O)に自らを位置づけ、既成の反対運動に対決して、それをのりこえていく(P1→P2)、そのための指針は→ というように問題を立てるのだ。すでにのべたように『ベトナム(戦争)問題のプロレタリア的解決』主義というような傾向の場合には『情勢分析』のようなものから直接に任務方針が演繹される。・・・いまや、われわれは、この間争論的立場=のりこえの立場を起点とした拠点として、現実から提起されている課題をいかに実現していくか、いいかえるならば既成の反対運動をのりこえる形で課題をまさに革命的に実現していく、そのための指針を解明していかなければならない。これがわれわれの戦術の闘争論的立場にほかならない。
  ところでわれわれが戦術の解明に適用している大衆闘争論、いわゆる<のりこえの論理>は、①②の過程を媒介にしてはじめて言いうることである。ところが、かかる媒介性を無視し<のりこえの論理>を直接実体化してしまう場合(P1は現実そのもの=W1にあてはめられる)には、のりこえの立場は『既成の反対運動ののりこえ』の空語的強調にすりかえられ、それ自体空語化してしまう。しかし、こうした限界はそれと同一の枠内でP1の背後にW1総体を想定するというような裏返しのヘーゲル主義的な解釈主義的な方法によっては打開しえない。ましてや、『ベトナム(戦争)問題のプロレタリア的解決』主義の場合のようにプロレタリア的に解決された未来的現実=(W)をあらかじめ存在論的に想定し、かかる必然性(W1→W2)に棹さしてたたかえ、というような指針からうち出されるにすぎないならば、逆にのりこえの立場は、完全に欠落するか、あるいは、それが(W1←W)の過程に客体化され、その全体的過程の部分に解消されることになる。しかも、この場合には大衆闘争論=<のりこえの論理>が指針の中に解消されていないことにより『プロレタリア的解決』をそれではだれがどのようにしとげるのかという核心的問題になんら応えられなくなるのである」 

 この②の中味は、①との関連において革マル派の本質を短めて鮮明に表現している。つまり①において「自己に否定的にある現実」に対して「衝動」として存在した中味は、②においては次のように要約されている。「実践=認識主体としてのわれわれ(革マル)」は、自分を二重化するという。つまりO(客体)に否定的にせまられているS(主体)がその「O→←S」の関係それ自体を対象的に分析するという。この時「O→←S」を対象的に分析している「S´」は、観念的自己だというのである。そしてこの「S´」は、実践的活動の中で成立するという。そして、この主体が対象を分析するという情勢分析は「階級的=実体的諸関係およびその連動」をその物質的基礎たる「政治経済構造」との関連でとらえると共に、それらの実体関係およびその動向を競走しているイデオロギーとの関係で革命論を適用して分析することによって成立するという。 
 ここでは、日韓闘争の総括の中で暴露されていた革マルの本質が「展開」をとげつつ、明確になっている姿がある。まず、客体(現実)によって「否定的にせまられる」主体(われわれ)が、自己を二重化する時、それは単に観念的にのみそうであるのか。しかも、それが単に「衝動的」にではなく「革命論」さえもっている主体なのである。意識は現実にあるものを「意識化」するものに外ならない。したがって「S→←O」の関係それ自体を対象化する「主体」は、単なる観念ではなく、「現実に否定的にせまられる」ことによって、新たな衝動、欲求を生み出しつつあるものに外ならない。ブルジョアジーの制約に対抗して決起していくプロレタリアートは、多かれ少なかれ階級的感性を相互に新たに生み出しているのであり、そういうものとしてそれを前提として階級意識を生み出すのだ。さもなければ、階級性などというのは全く非現実的、観念的なものとなってしまう。要するに小ブルジョアの「ユートピア」なのだ。そして、革マル派の「主体」なるものもまさにこれなのだ。 
 ①において革マル派は「現実によってせまられる」主体の衝動は、無規定的であるといった(無規定的というのは、自らの中味を明確化できていない、意識化できていないということ)。しかし無規定的であるということと、無内容であるということとは異なる。無規定的であるということは、無親定的であるにしろ階級性はその中に存在するということになるはずである。そして「対象化」「意識化」とは、無規定的である(われわれからいえば、自然発生的にある)ものを、規定的にする(目的意識的にする)という以外の何物でもないはずである。 
 ところが、革マル的主体にとってこの過程は「無規定的な衝動」それ自体の発展ではなく、無規定的な衝動それ自体は単なる「物理的な作用」であって、それを対象化する「主体」は「単なる観念」なのである(まさにこれは、ヘーゲル的観念論どころではなくカント的な観念論なのである。ヘーゲルの主体は絶対精神でありその上で観念的弁証法を展開するが、しかしその弁証法の構造の中での発展、例えばA→B→Cという弁証法的発展において、BはAの中味の発展なのである。つまりAとBが切断されているものではない。「否定」「矛盾」を通してAの中味はBへ発展する。この基本構造はマルクスも同じである。ところがカントにおいては、本質(物自体)は現実とは全く切断されたものなのである)。さらに重要なことは、この「S―O」の関係それ自体が単なる小ブル個人主義的なものに外ならないことである。したがって新たなる関係、団結を生み出すことは否定されている。生み出すものは、まさにイデオロギー的結びつきなのだ。 
 さて、それではこの革マル的主体は、どのように革命化するのであろうか→ それが③なのである。①~②をふまえて、つまり「現実からの否定」―「その対象的把握」の上にたって、「闘争論的立場」=「のりこえの立場」を展開する。つまり「既成の反対運動」にかかわって、それを解体し、革マル派が「のっとる」というのである。 
 その革マル的ベトナム反戦闘争方針をみてみよう。 

「わが同盟のベトナム反戦闘争方針の骨格・・・すでに情勢分析を通じて明らかになったように、米帝のベトナム侵略は日帝のこれに対する全面協力加担にたすけられ、在日米軍基地の機能をフルに発揮することをテコとして、推進されている。したがって、日本の地にべトナム戦争を阻止していく(普遍的任務)ために、われわれは日帝のベトナム侵略への全面的協力加担と対決し(特殊的任務)、またそれによって文字通り侵略拠点としてある在日米軍基地などに対するたたかい(個別的任務)を社共の議会主義的歪曲、『ベトナム人民支援』運動への歪曲をのりこえつつ労学両戦線において左翼的、革命的におし進める。また、かかる日帝のベトナム侵略への全面協力加担、侵略地点のフル回転が日米軍事同盟の実質的強化にもとづいていることをも、われわれは大衆的に暴きだし、反戦反基地のたたかいにたちあがった大衆に基地撤去、安保破棄についての革命的自覚をうながし彼等をわれわれの隊列に強固に組織化し基地撤去、安保破棄をめざしてたたかっていく。また、一定の主客諸条件の成熟のもとではわれわれはたたかいをつうじてうちかためてきた組織的拠点を基礎に、そのたたかいを基地撤去・安保粉砕、従ってまたまた自民党政府打倒のたたかいへと連続的に高めていくのでなければならない。さらに自衛隊の沖縄配備、四次防計画による自衛隊の飛躍的増強=帝国主義軍隊化にたいしても、これらが日米軍事同盟体制の一環をかたちづくるものとしてあることを明らかにし、自衛隊の沖縄配備阻止・自衛隊の帝国主義軍隊化阻止・四次防粉砕のたたかいを、反戦、反基地、反安保のたたかいと結合してたたかっていく。・・・
・・・われわれはさらに独自にべトナム解放闘争についても内容探化をかちとってきたのであるがここでは民族解放戦争の左翼的=革命的のりこえについて、簡潔に言及しておくことにとどめたい。 
 まず第一にわれわれは、のりこえの対象をなす現にある民族解放戦争を措定する。―いうまでもなくわれわれはここでは革命闘争論的立場を前提としている。第二に民族解放戦争の担い手=実体を明らかにする。それは民族解放戦争の直接的な遂行主体をなしている民族解放戦線であるが、それはスターリニストのヘゲモニーのもとにつぎの三つが「戦線」をかたちづくっているものである。すなわち、民族解放戦線の中核をなし民族解放民主革命路線にのっとって「ベトナム解放」をめざしているスターリニスト。民族自決権にもとづく「民族独立」の要求を明確にもった民族ブルジョアジー、都市小ブル・インテリゲンツィアなど。即自的な反米意識や民族感情のもとにたたかっている小農民・プロレタリア大衆、などがそうである。したがって第三に、民族解放戦争は、まさに反米帝反チュー闘争の民族主義的な疎外形態であることが明らかとなり、われわれののりこえの対象は具体的に明確になったといえよう。 
 われわれは革命闘争論的立場にたってこの民族解放闘争を左翼的=革命的にのりこえていかなくてはならない。これが第四の問題である。つまりそのためにわれわれは、民族解放戦線の内側においてイデオロギー的・縄織的たたかいを基礎としてその換骨奪胎(原文ママ)をはかり、スターリニスト党を解体していく。こうしたたたかいの過程において民族解放闘争はその質を転換し反米帝反スタのプロレタリア革命闘争となっていくのであるが、これが第五である。そして第六には反米帝反チュー闘争の成功的完遂にとどまることなく、密集したスターリニストの反撃をもうち砕き、ベトナム全土、さらにインドシナ半島の解放をもめざして永続的にたたかいを発展させていかなくてはならない。まさにこうしたたたかいを通じてわれわれは、(A)米帝からの解放を、(B)スターリニズムからの解放を、そして(C)労働者階級の自己解放を、かちとっていくのである」 

 さて、ここにおいて、革マル派の具体的中味が明らかになっている。彼らによれば、現下のベトナム戦争はアメリカによる侵略戦争であり、また、日帝の動向はベトナム侵略への全面協力加担の動きであるという。安保、沖縄等の同盟は「日米軍事同盟」なのであり、それらを大衆的にあばき出しつつ、反戦、反基地の闘いにたちあがった大衆に基地撤去、安保破棄についての革命的自覚を促すのだという。さらに一定の主客の条件の下では自民党政府打倒の闘いへと連続的に高めるという。 
 だが、革マル派の「理論」を「信用」して、真面目に読んできたわれわれはここで困惑することになる。「主体」に「否定的にせまる」現実は、「無規定的」ではなかったのか→ ところが無規定的なはずの現実が、「規定」されてしまっており、しかも「ベトナム侵略戦争」と規定されているのである。侵略戦争というのはいうまでもなく国家的な領土獲得戦争である。ベトナム戦争を侵略戦争と規定することは、当然「否定的にせまられる」主体の中味をも規定してくるのである。いうまでもなく「侵略反対」は、「民族自決―民族独立」闘争ヘつながる。しかもこれは、別の面で安保条約を「規定」している訳である。革マル派によれば、安保条約による米軍と自衛隊の同盟を日米軍事同盟といっている訳であるが、いうまでもなく彼らの中味からいえば、それは「当然にも」「侵略戦争」のための「日米軍事同盟」なはずである。これは、ベトナム解放闘争に対する「革マル的のりこえ」のカ針にも示されている。ベトナムにおける闘争は「民族解放闘争」なのだそうである。これは「無規定的」ではなく明確に規定されたものである。 
 ところがおかしなことに「民族解放闘争は反米帝反チュー闘争の民族主義的な疎外形態である」という。これは一体どういう意味なのだ。「民族解放闘争としてみられている闘争は、反米帝反チュー闘争の民族主義的疎外形態である」という意味であるならば、それで文脈は通ずるが、そうだとすれば、ベトナム解放闘争の本質は「民族解放闘争なのではない」のだ。それでは「反米帝反チュー闘争」とは一体何なのか→ それは「無規定的なのだ」などというのは答えになるまい。 
 反米帝反チュー闘争を闘っている構成要素を、革マル派は三つあげている。その中の「即目的な反米感情をもってたたかっているプロレタリア大衆」を革マル派は問題にしようとしていると「善意」に解釈してみよう。そうすると次のような問題か出てくる。つまり、ベトナム解放闘争は「本質的に」民族解放闘争なのか。そうであるならば、それは民族ブルジョアジー、小ブルジョアジー、地主等が軸となっているもので、プロレタリアはその物理力となっている。この場合はプロレタリア運動は、この民族解放闘争(その結果は単なる民族ブルジョアジーの国家が生まれるにすぎない)と共同闘争を組みつつも、この民族解放闘争それ自体を変革するなどという方針はたてられない。つまりこの運動は民族ブルジョアジーの運動だからである。ところが革マル派もこういう形ではいいきれない。だから「反米帝反チュー闘争の民族主義的な疎外形態」だという。ということは、この「民族解放闘争」の本質は、「民族ブルジョアジーの国家を形成するための戦争」ではないということになる。 
 それでは一体何なのか→ それは国際プロレタリアートと国際ブルジョアジーの闘争に大きく規定され、その衝撃をうけて成立している「反米帝反チュー闘争」なのである。しかも、それはベトナム階級闘争の歴史からいっても民族ブルジョアジーのヘゲモニーによる闘争ではない。農民、貧民(半プロレタリアート)、プロレタリアートが軸となった闘いなのである。つまり、国際的なプロレタリア革命運動の力をうけてベトナムプロレタリア人民がプロレタリア革命ヘ向けて決起しており、その間争が貧農主義的限界の中にとじ込められ、歪曲されているのである。それが「疎外」の構造なのだ。とすれば、ベトナム戦争を「米帝の領土侵略戦争」対「ベトナムブルジョアジーの民族独立闘争」と規定してしまい、「侵略戦争反対」などというのは決定的な誤りであることになる。革マル派は「誤った規定」を行なっていることになる。そして、自ら誤った小ブル的運動を日常的に推進しておいて、さて今度はそれを「反帝・反スタ」(?)のプロレタリア革命に「作りかえる」などというのは全くデタラメもいいことになる。 
 たしかに、自分たちにむかってくるものに対するプロレタリア人民の闘争は、最初は自然発生的である。だが、その中に階級性、革命性が全くないとするならば、そもそも「規定」されようがないではないか。そうではなく、プロレタリア人民の自然発生的な闘いの底にあるものを意識化してつき出し発展させていくことこそプロレタリア運動の階級的革命的発展に外ならない。 
 革マル派の反戦闘争は二つの点で明白に小ブル的である。第一には、反戦のエネルギーをはじめから小ブル的に「規定」してしまっており、その意味で自然発生的な闘いを小ブル的に固定化する誤りをおかしている(彼らの大衆運動におけるスローガンはベトナム侵略戦争反対である)。第二に、大衆の自然発生的な闘いが発展していく(革マル的にいえば規定していく)中味が、存在する階級性を目的意識的にひき出すのではなく、革マル派のいうところの「無目的な衝動」はそれとして中味を失った物理力としておいて、その外から観念的な中味を与えるという形になっている。こういう意味で二重に小ブル的である。 
 ベトナム階級闘争の中での彼らの誤りは、「帝国主義とスターリニズムに分割支配されている20世紀現代」(93頁)なる全く現象的な情勢把握に大きく規定されている。この彼らの「反帝反スタ論」の誤りについては別のところでのべるのでここでは詳しくふれない。しかし、彼らの把握の中では「スターリニスト」なるものが一向にハッキリしない。一種の「イデオロギー人間」なのである。 
 一体いかなる階級なのかが全く不明である。したがって今みてきたような形での混乱におち込む。つまり、一方で民族解放闘争といってみたり、他方では反米反チュー闘争の疎外形態だといってみたりするのである。彼らは自分の「反スタ」の中味を「―のりこえて」というところで出せるにすぎない。 
 こうして、彼らは不断に「沖縄のプロレタリア的解放」とか、「ベトナム問題のプロレタリア的解決」とかいう形での「階級性にこだわる部分」を生み出しつつ、一方では小ブル観念論としての「主体形成主義」を生み出して七転八倒しているのである。 

5 革マル型宗派「労働運動」の
反プロレタリア的構造 

 われわれは今まで主に政治闘争を軸として革マル派の批判を行なってきた。しかし、それは彼らの運動方針からいって学生運動を軸とする型であった。ここでは革マル派の「労働運動方針」を検討し、その宗派的反プロレタリア的本質を暴露していくことにする。 
 革マル派という組織は、黒田寛一の観念的なカテゴリー(コトバ)のもてあそびによる「理論体系」によって自分を他人より多くのことを知っているかのごとき「自己暗示」にかけ、それを理由に大衆をテロ・リンチにかける権利があるという錯覚におち込んでいる度し難い小ブル集団である。黒田寛一の「理論体系」なるものがどれだけ反プロレタリア的な小ブルの宗教的観念論であるかという点については最後にふれるとして、ここでは彼らの「反合間争論」をみてみよう。この彼らの反合闘争論も実は今みたような「羊頭狗肉」の最たるものなのである。何も内容がないくせに大げさな素振りでいろいろ言葉のもてあそびを行ない、最後には何も出てこないという構造になっている。 
 革マル派の活動家はラッキョウを与えられたサルのようなものである。何かあると思って一生懸命皮をむかされて最後には「空虚」しかのこらないということになっている。いや最近までは「主体性論」という軸があったように思わされていた。ところが最近は、「主体性論などというものは大衆が左翼になる時役立つものであり、いったん左翼になったらそんなものは役に立たない、断絶しろ」などと官僚に桐喝されて、「ホコリ」や「ホコリ」の下の「少ししめった泥」のあたりの下部活動家は消耗する一方なのである。 
 これは労働運動路線をめぐっても同じである。長々とした無内容な文章の後には、結局内容は出てきはしない。すでにみてきたような政治闘争面において出ていた「―のプロレタリア的解決」「高め主義」などの革マル内「ハミダシ派」は内部論争をめぐって粉砕され、森茂書記長はパージされてしまった。そして、革マル型―無内容一宗派的労働運動路線はしかれていく。 


(1)革マル派の合理化論 
 長々とした革マル派の文章の中から合理化の把握をひき出すのは大分苦労する。他党派のケチつけや批判はたくさんあるのだが、自分たちの中味はもともとありはしないのだからさがすのに苦労する訳である。 
 そのわずかばかりの革マル派の「合理化論」をみてみよう。それも今いったような理由から他党派批判の中からひろい出したりしないと出てこないのである。 
「企業の集中合併に伴う労組の右翼的再編統合、工場新設の際にしばしばおこなわれる御用組合育成、そしてなによりも右のごとき攻撃は、生産過程の客体的側面における合理化にみあった形態での主体的側面の合理化にともなつて進められる。―それはZD運動、QC運動などによる労働強度の増進をはかる攻勢から、後々の労働力配置の転換、一時帰休制の採用、労務管理機構の整備、強化確立、これを賃金面から支える職階、職務給や職務、職階給の導入―このような合理化攻撃は、直接には生産過程の外にある労働組合の破壊、あるいは丸がかえを有効的に進めることによってはじめて完遂されるのである」(『共産主義者』No23・24) 
 結局この程度の規定しかどこをさがしても出てこないのである。要するにいっていることは、合理化には「主体面」と「客体面」がある―機械体系等の生産手段面における合理化と、人間(労働者)にかけられてくる合理化がある―という全く無内容な合理化の形態上のふりわけ以外何もいっていないのである。仕方がないから他党派の批判をみることによって革マル派のいわんとしていることを「引き出して」みよう。 
 比較的いいたいことをいつていると思われる『共産主義者』No26の「最後の民同・協会(向坂)派の『反合闘争論』批判」を通して、彼らの合理化のつかみ方および反合闘争方針らしきものをさぐってみよう。 
 これによると革マル派の協会向坂派への批判は次のようになっている。 
 第一には、協会派の合理化のつかみ方はアイマイな「体制的」なることばを使つて資本の政治経済構造も国家権力もゴチャゴチャにした形で使つている。また、「合理化を搾取の方法」として規定しているが経済学的な把捉には完全に失敗している。そして、本質的な次元では生産力とか合理化とかいうものを資本主義的階級的被規定性ぬきに超歴史化している。 
 第二に、合理化絶対反対の姿勢を確認したうえで権利闘争、抵抗闘争を闘うといっているが、あらかじめ条件闘争を前提にしたうえで「階級意識」なるものの「成長」をかちとれば最後的には条件闘争にもち込むべきだとしている。 
 第三に、反合闘争と政治闘争の闘い方についてその双方の「結合」をいうが、反合闘争が直接に政治闘争とされている。 
 第四に、労働者の階級的組織化において、(A)自覚の物質的条件あるいは物質的基礎、(B)即自的労働者を自覚させること、(C)労働者(階級)を種々の形で階級的に組織化すること、を混同している。 
 これによれば革マル派は、①合理化の把握を、「生産力や合理化」についての本質的把握をもつており、②そのうえにたって反合理化闘争を単に条件闘争や「階級意識の形成」のためにではなく、合理化絶対反対の実力闘争として闘つており、③議会主義をこえた階級的、革命的闘争(政治闘争)を反合闘争のうえにたつて闘つている、というふうに「思われる」 のである。 
 ところが事実は全く逆なのだからあきれかえるのである。 
 まず第一の点についての合理化がどういう点で本質的にプロレタリア―トに対する隷属と搾取になつていくのかという点については、はじめにみたような全く無内容な主体面の合理化、客体面の合理化というようなこと以外何もいつていない。「主体面の合理化、客体面の合理化」という把握は、彼らが協会派に対して「合理化や生産力が資本主義的階級的被規定性ぬきに超歴史化している」という批判ができる理由になりはしない。なんら合理化絶対反対の「科学的理由」などつかめていないのだ。例によつて「そうしないと組織がもたない」という危機感からそうしているにすぎない。せいぜい「資本制生産様式のもとでの人間労働の資本主義的自己疎外、賃労働と資本の矛盾的自己同一、この自覚をバネとした己れの否定的存在としての自覚」(92頁)などという全く観念論丸出しの無内容きわまりないことをいっているにすぎない。「人間労働の資本主義的自己疎外」の中味が問題なのだ。こうして、そもそも合理化がプロレタリアートにとつて何であるのかが全くわかつていないので、結局のところいろいろいつても協会派と全くかわらぬ闘争方針になつていく。 

(2)革マル派の
「反合闘争―労働組合運動」方針
なるものの小ブル性
 革マル派の70年代中期の労働運動の路線の定式化ともいうべきものが『共産主義者』No29―「労働戦線の現段階的特質とわが同盟の闘いの教訓」―中央労働者組織委員会論文においてのべられているので、これを通して彼らの闘争、運動、組織方針をみてみよう。「第一部」においてこの論文は、若干の労組の再編成の歴史的過程について分析している。しかしここでの特徴は、日本資本主義の発達と合理化がどういう点で民同型労働運動を「育成」し、また破産させていったのかということについての解明は全くないことだ。

「要するに54年の総評からの全労の右翼的分裂は、米帝からの経済的援助、朝鮮特需などを契機に生産手段の技術化・固定資本の更新をダイナミックになしとげつつ、日本帝国主義のその経済的基礎における復活局面に突入したこの物的基礎に見合つた労働戦線の再編策動として、あるいはまた、日本帝国主義の物的基礎の速やかな復活のために労働者(組合)を生産性向上運動に組みこむべく、日本政府・支配階級の直接、間接のテコ入れのもとに、右翼的再編の歴史的第一歩が築かれたものとして、かの54年分裂をとらえかえすことが可能であろう」(32頁) 
「この段階では特に、民間重化学工業部門における技術革新が著しく進められ、かつまた欧米式の近代的労務管理方式も50年代後半から引きつづく形で導入されていつた。こうして民間重化学工業部門の各単産は生産過程の主客両側面の合理化と労働組合破壊攻撃にさらされ、いわゆる民間左派基盤はドラスティックに崩壊し始めたのであつた」(同頁) 

 これによれば「日帝の復活」とか「合理化の主客両側面における推進」ということが、どうして組合の右翼的再編になるのかサッパリわからない。いわば一種の「背景」と「結果」をくつつけているにすぎない。 

「60年代における鉄、電機、造船、化学、自動車等の重化学工業部門における各資本の合理化は、直接的生産過程の主客両側面においてドラスティックになされたのであるが、客体的側面の技術化にみあつた主体的側面におけるそれの具体的側面をなす労働配置の転換・労働強化のみならず、労働力の削減(首切り)という事態の進展、これら主体的側面の合理化を促進し支えるものとしての労務管理の強化とその機構的確立の攻撃が特に重きをなすものであつた(アメリカ式目標型労務管理方式は、主要民間産業では60年代前半から、公企体では電々公社が64年頃からとり入れ、郵政では68~9年に試行的に導入し、70年から本格的導入に入つている)。こうした近代的な(つまり帝国主義段階の技術化された生産過程を基礎とした)労務管理方式の導入には、それにみあつた賃金形態がとり入れられてきたのであり、職務給・職能給などがまさしくそれである。合理化の主体的側面にみあった形態の種々の賃金体系は、労働者の即自的団結や労働組合そのものを分断する仕組みで、そして本質的には労務管理の強化とその機構的確立のための手段として役立つものとして、あるいはそのように機能させられる形で、あらゆる基幹産業部門で導入され、さらに整備・拡大されているのである。そして多くの場合、労働組合組織の破壊(分裂・丸がかえ)攻撃はまず手始めに職務給あるいは職能給、さらにはそれらを種々組み合わせたものを導入することによつて開始されるのが普遍的である」(34頁)

 これも革マル派のいい加減さを示している。客体面の合理化と主体面の合理化という「ふりわけ」(客観主義的「ふりわけ」)で問題をスリカエている。その主体面の合理化の本質は何であり、また客体面の合理化の本質は何なのか→ それがわからなければ、それに対抗する労働者の「絶対反対」の闘争方針など出てくる訳がない。 
 それはわれわれがすでに提起してきたように、資本主義社会―分業(私的所有)の社会―における機械のもつプロレタリアートに対する支配力、また機械の発達と相互関係としておこる分業の発達のもつプロレタリアートに対する支配力(それは共に資本のプロレタリアートに対する支配力として出現する)として解明されねばならないのだ。 
 ところが革マル派は、このプロレタリア運動の「原点」にかかわる問題についていい加減にごまかし、または「賃労働と資本の矛盾的自己同一」というような形で観念的世界に逃亡する。この辺の問題は、『プロレタリア的人間の論理』の労働者の「自己分割」(6を参照)の現実的本質的解明となるはずなのに、それを行なおうともしない。いやそもそもプロレタリアの矛盾など眼中にないのだ。技術化、労働配置転換、労働強化、首切り、労務管理等の形態の本質が主体面客体面の合理化だというが、まさにその「主体面、客体面の合理化とは何か」ということが問題なのである。 
 こうして革マル派は合理化に対決するプロレタリアートの根源的な階級的、革命的エネルギーにかかわる点で退却していく。ということは、別のところに、つまり小ブル的な恐怖感にさいなまれて逃亡せず、正面からとりくんでいくならば、「分業をこえる階級的革命的団結―自らの共同の力による自らの労働の支配」をめぐる行動委運動―ソヴィエト運動にいきつかざるをえないのだ。逆にここで退却していくからこそ、次にみるような民同的組合主義に没入していく。 
 それは「第二部 労働組合運動の左翼的推進の基本構造について」でのべられている。それは「左翼組合主義」「革命的労働運動主義」「フラクションとしての労働運動」の「克服」という形で出されようとしている。 

<第1>―「左翼労働組合主義」の批判について
 革マル派がいうところの革マル派内部の「左翼労働組合主義」は次のようにいわれている。
 <革マル派という政治同盟建設、そのための運動への組織的かかわりが主体的に位置づけられず、「同盟員の同盟員としての活動―(1)」―「組合員としての同盟員の活動―(2)」―「同盟員としての組合員の活動―(3)」の内(1)~(2)が欠如して(3)のみの活動になることである。これは、現実の闘いにおいては「条件闘争の左翼的推進」―「合理化絶対反対をあたかも立場のように位置づけてしまうイデオロギー主義」という形になる。これは「既成の労働運動をのりこえて闘うという実践的立場=闘争論的立場の欠如」であり、また「既成の諸党派ならびにその基礎をいかに解体してゆくか、そのためにはどのような組織戦術を貫徹するかという実践的追求」の欠如による。これをこえてゆくにはどうしたらいいかというと、「革命的共産主義連動として、つまり一切の既成左翼の解体止揚を通じて、真実の前衛党組織の場所的建設として、それはかちとらねばならないのである。こうした組織建設をテコとしてのみ、右傾化を重ねる労働運動の左翼的転換もまた可能となるのである」(52頁)> 

<第2>―「革命的労働運動主義」の批判について
 <革命的労働運動主義とは、闘う主体が既成の労働運動のただ中にありながら、それと対決しそれをのりこえる立場をわすれ、既成の労働運動に革マルの労働運動を対置するという立場である。既成の労働運動を「のりこえて」ゆく過程構造を解明せず「のりこえた労働運動」を想定し、その想定した労働連動から既成の労働運動を批判するという結果解釈主義になつている。これは「同盟員としての組合員の活動―(3)」を欠如したものに外ならない。これを突破する方針も「のりこえの論理」に外ならない。つまり既成労働運動を実体的に支えている既成左翼の解体を実現することによつて既成の運動の内にありながらそれを本質的に突破する闘いが場所的に実現されるのだ。「したがつて、われわれが既成の労働運動に対決しつつ、それを戦闘的にのりこえて労働運動を左翼的に推進することは、既成の労働運動の内にありながらも同時に本質的には前衛党組織の場所的創造としていわばその外にあるのである」(57頁)> 

<第3>―「フラクションとしての労働運動の克服」について
 <「左翼労働組合主義」および「革命的労働運動主義」は、共に労組執行部をにぎつている場合生み出される偏向であるのに対して「フラクションとしての労働運動」は組合内左翼反対派として一定の組織力をもつている時に組織活動の技術主義、政治技術主義等の結果生まれる。これは革命的、戦闘的労働者による労働運動の左翼的展開が有効に展開しえていない場合、「ハミダシ諸グループ」の若干の「うごめき」を固定化することがある。この時、「ハミダシ諸グループ」の基盤とその組織を解体するための有効な組織戦術が展開しきれないと、フラクションとしての労働運動になる。これは「同盟員としての組合員の独自な活動―(3)」が欠如し、「組合員としての同盟員の諸活動―(2)」に解消されているのである。学生運動では恒常的闘争委のようなものとして種々のフラクションや学習会が機能している。同じことを労働運動でも主張する部分があるが、それは誤りであり、革マル派がもつ組織的力量と社共の力量の中では労働組合運動の左翼的展開と労働組合の戦闘的強化、およびそれを通した革マル派組織建設を基本にすべきであつて、フラクションの直接的現実的形態として性格づけられるもの「恒常的闘争委等」はつくらない。既成の労働組合運動を左翼的にのりこえて運動の左翼的推進を実現するが、ハミダシ諸派のハミダシ運動に対して直接これをのりこえることを、当面の運動上の目的とすべきではない。もしハミダシ運動を直接のりこえることを課題とするならばそれは革命的労働運動を創造し闘うことになるが、これは現時点では誤りである。> 

 以上革マル派の労働運動方針を<・・・>内に要約してきたが、これによって合理化に対する革マルの把握がいっそうハッキリしてくると共に、また彼らの労働運動が全く協会派以上のものではないこともハッキリしてくるのである。「左翼労働組合主義」―「革命的労働運動主義」1「フラクションとしての労働運動」批判の中で革マル派がいつているのは結局次のことである。 

 ≪合埋化絶対反対の闘争は、協会のように「立場」化されてはならない。しかし、合理化絶対反対の闘争を「ハミダシ運動」として現下の既成の労働運動をハミダス形で展開するのも誤りである。「のりこえの論理」にしたがって既成の組合運動にかかわり、イデオロギー闘争、組織戦術(党派解体の闘争)等により革マル派建設を行なつてゆくことが現下の闘いでなくてはならない。≫ 

 これは本質的には協会派の「反合闘争論」と全く変りはない。現下の労働組合は合理化粉砕闘争を現実的に展開するなどということは全くない。にもかかわらず、具体的現実的に合理化は一人ひとりの労働者にかかわってくるのである。こうして、この具体的現実的にかかつてくる一人ひとりの労働者への攻撃に対して闘いが闘始される。組合が闘わない以上、または抑圧している以上、それは様々な形をとつた「行動委」運動として推進される。もちろんこの時、いかに限界があろうとも、組合全体の階級的再編の闘いへとその闘争を不断にかえしていかなければ、その行動委の闘争は孤立し敗北する。そういう点で闘争は「組合の闘争の階級化」(これは青年部や大衆末端の職場委員会、あるいは戦闘的分会執行部等を通して行なわれる)という闘いと「行動委の闘争の組合ヘの波及」という双方から追求されねばならない。
 しかし、いずれにしても合理化絶対阻止の闘争を現実的に展開することをヌキにしていくことは、結局「合理化粉砕」についての小ブル観念論または民同的組合主義に外ならない。そして、こういう現実の闘争の中で、階級的革命的政治組織が生まれていくのだ。 
 ところが、反合理化闘争の現実的展開は放棄してしまい、それな一切「党派作り」に収約してしまうということは、その「党派」それ自体が全く小ブル的民同的なものに外ならないことを意味する。外観上いかに戦闘的にみえようとも、質的には民同そのものの運動はいくらでもある。民同的組合主義は現在的に闘争、運動として一歩一歩こえられねばならないのだ。 
 革マル派の労働運動は「イデオロギー的のりこえ」の「物質化」としての「組織作り」でしかないのだ。もちろん彼我の力関係の中で合理化粉砕闘争がどこまで現実的に実現しうるかについてはいろいろ段階がある。しかし、現実的な反合闘争を闘うことを「ハミダシ」だというのは全く民同以外の何物でもない。こういうことが可能なのは、そもそも合理化そのものの把握が反プロレタリア的、小ブル観念論的なものに外ならないからである。「絶対阻止を立場化させてはならない」といいつつも、現実に民同組合の闘争のワク内でしか「闘わない」ということは「絶対阻止」の「立場化」に外ならない。 
 こうした問題をめぐる革マル派内部の論争はかなり深刻なものとしてあり、これをめぐつて森茂書記長が解任され、かわって朝倉が書記長になつた。これについては『共産主義者』No25で、『新左翼の労働組合論』(亜紀書房刊)の中の森茂の発言への全面的批判という形で行なわれている。要するに森の発言はハミグシ路線にひきずられており、革マル派の路線ではないというのである。 

(3)差別分断を突破しえずむしろ
固定化する革マル型「労働運動」
 こうした革マル派の「労働運動」は決して階級的、革命的なものヘと成熟、発達しえないということをある面で最も鋭く示しているのがプロレタリア人民内部における階級的差別、分断に対して全く闘わず、そしてその意味においてそれを固定化する役割を果していることである。
 日本労働運動は、人間の自然的差異をも利用した歴史的、社会的差別ヘの闘争について極めて不充分な闘いしかやりえていない。部落解放闘争、沖縄人民の闘い、民族差別への闘い、女性解放闘争、「障害者」解放闘争等として闘われ、つき出されてきている課題ヘの闘いについて決定的に不充分でしかなく、矛盾の中で苦しむ人民の苦闘と連帯しえず、そのことにおいて自らの首をしめ、階級闘争に敗北するというあまりにも苦い歴史を、日本労働組合運動はもっている。 
 差別をめぐる階級支配の強化は本工内の分断のみならず、現役と予備役の分断を決定的なものとしている。さらに差別に対して階級的に闘いぬくことは、労働者運動が新たなる人間的共同体(ソヴィエト)を内包して、権力闘争へ発展しぅるか否かの決定的なポイントをなしている。われわれ自身もこの闘いの不充分性を自己批判的に総括しつつ、一歩一歩ではあるが差別、分断を階級的に突破する闘いを開始しつつある。しかも、これは70年代中期の労働組合運動、プロレタリア革命運動の最も重要な課題の一つである。こういうものとして日本プロレタリア人民は各戦線における先進的闘いを学びつつ、全体として一歩一歩進まんとしている。 
 ところが革マル派は、この階級性、革命性の中味にかかわる決定的な闘いについて見むきもせず、むしろそれを嘲り、平然と差別を拡大し助長することを行なつている。これは労働運動のみならず学生運動をふくめて革マル派総体の構造となっている。これは革マル派の団結の観念性、小ブル性をもっとも鋭く示している。つまり一人ひとりの生きた矛盾ヘの闘いを通して階級的闘いが貫徹されていくということが全く否定され、その現実的な一つひとつの矛盾を隠蔽した上でその上にイギオロギー的普遍性(つまり小ブルイデオロギー)をかぶせていく。まさにそれは現実の闘いの抑圧、隠蔽としてのみ成立する「小ブルイデオロギー」に外ならない(いうまでもなくもう一方の小ブル的な差別ヘの対応は、差別分断が階級支配として存在することを見ぬけず、それによつて逆に差別を固定化してしまう傾向である)。革マルの階級性なるものが全く反プロレタリア的なものであることがここに示される。しかもさらに許しがたいことは闘う人民からそれを指摘されても、むしろ公然とそれに居直りを行なうという点である。 
 これは革マルイギオロギーの根本にかえしていけば次のようになる。 
 黒田イデオロギーは西田哲学を「下敷」にしている(後述)―存在論がない―。こうしてプロレタリア階級の矛盾の根源について全く無自覚である。中味からいえば「分業」およびそれをめぐっての「共同体」 の解明が全くない。したがってそもそも「差別」それ自体を階級的につかんでいくことができない。こうして「本工主義」的な「階級性」の把握以外は「階級性」ではないと思い込むのである。これではそもそも「本工」の階級牲それ自体が全く一面的なものとなつてしまうのである。現実的な展開にまでいききれなくても、本工の反合理化闘争自体が本物の階級性をふくんでいるならば、つき出されてくる差別ヘの闘争の階級的うけとめは可能なのであるが、本工の反合理化闘争自体がまさに民同的なものでしかないので―工場における分業の問題についての把捉、闘争―それが全くできないのである。 
 プロレタリア革命運動は共産主義社会の実現を目指した闘いであり、真実の人間解放の闘いとして存在する。マルクスがプロレタリア革命運動の中に科学的につかみとつたのは、この点である。したがつてプロレタリアの階級性とはこの点を明確にふくんでいなくてはならない。いや、現実にふくんでいるのである。ところが革マル派は、まさに資本による差別、分断に嬉々としてのり、平然と被差別プロレタリア人民を軽蔑し、支配階級の手の内におどっている。そして、そのことにおいて、プロレタリア人民の闘いが階級的、革命的に発展していくことを阻害しているのだ。 
 労働運動をめぐる路線としてはこれは「悪しき産別主義」として現出している。いうまでもなく反合理化闘争はプロレタリ人民の産別的団結を背景として強化されはじめて階級的、革命的に発達していく力をもつ。そういう意味で反合理化闘争の産別的強化発展はますます強められねばならない。しかし、それがさらに地区的発達へひらかれているのでなければ、つまり産別的、本工主義的利害の固定化として存在するならば、今みたような決定的な不充分性をもってしまうのである。しかもこの構造は、本工内の反合闘争それ自体も分断、競争に屈服するものとしていくのだ。 
 学生運動においてはこの構造は倍加されている。革マル派が闘いえない部落解放闘争を闘いぬこうとしていた川口君をただ「革マル的でない」という理由で虐殺するというのは、こうした革マル派の路線の必然的結果であり、まさに許しがたいものなのだ。部落解放闘争における先進的糾弾闘争をはじめとする差別ヘの階級的闘争の放棄=差別の固定化は、革マル派の本質を明確につき出しているのだ。 

(続く)





(私論.私見)