6 革マル派の「組織建設」―
「党派闘争」―「のりこえの立場」の
反プロレタリア性
これまでの整理でもわかるように、革マル派は「組織建設」を革命運動上の唯一現実性としてみている宗派である。そういう点では革マル派の運動、組織上の混乱、矛盾はこの中に鋭くあらわれる。革マル派にとつては「組織建設」は「 党派闘争」と不可分のものであり(特に革マル的な意味で)、それは「のりこえの立場」において「統一」されている。そしてまた、あらゆる運動、闘争上の矛盾もこの「のりこえの立場」において「解決」されたとしている。したがつて、最後にこの「のりこえの立場」なるものの反プロレタリア性を批判していこう。
この場合、次のような方法をとりたい。まずはじめに、主に学生運動を軸として、現実的な「闘い」の中で革マル派が直面してきている間題を整理する。つまり、革マル的に路線化されていく以前の「直接的な問題意識」をみるのである。しかも、その場合、革マル派がこの間題を比較的なまに出している学生運動の側面から接近する(労働運動面については5の中で必要なかぎりふれてみた)。その上にたつて、トロツキスト同盟以来の加入戦術の問題の組織論分野における革マル派の「発展」の歴史を整理してみよう(主に黒田寛一の著述をめぐって)。展開の都合上、学生運動のそれは70年以後のものを主とする。なぜならば、次にみるように、彼らの組織建設をめぐる矛盾が日韓闘争以後もっとも鋭く出てくるのがこの時期だからである。
(1)革マル派の組織建設をめぐる矛盾と混乱 ―70年以降を軸として―
まずはじめに『共産主義者』No25―「マル学同組織建設のために」という田中三郎なる署名論文を素材としてとりあげてみよう。これは、これまでみてきた革マルのジクザクが組織建設においてどのように出ているかの典型だからである。これは、副題が「主体形成主義からの最後的決裂」となっていることからもわかるように、革マル派の一つの原点となつている「小ブル主体性論」が運動上矛盾をおこしており、それを革マル派は消し去ることを通して、「中味」らしきものをますます失い、空虚になつていく過程を表現している。
この論文の構造は次のようになっている。
「1、組織論―その固有の領域と方法」の中で次のようにいう。
梅本の主体性論の中に「ちりばめられている」すぐれた側面つまり「・・・かくて組織は、現在における唯一のありうべき真実の人間関係の場所となる」等々の把握は、「哲学主義」にとどまり、「組織論」の解明において破綻した。革マル派の中では、反スタ運動の独自性を、その哲学的前提(主体性論等)に還元しようとするような傾向があり、それが組織構成員としての自己の限界と結びつく時、主体形成主義が出てくる。これは「組織論的地平」からはなれた地平で、自分の限界を「一個の人間としてのプロレタリア的主体性(自覚)の未確立にある」とすることが正しいと思い込む形で出てくる。これは誤りであり、「主体性論(人間論)あるいは自覚の論理」と「組織論あるいはプロレタリアート組織化の論理」の区別がどうしても必要であるという。
そして次のように解答を出す。「即自的プロレタリア(としてのこのおのれ)が、いかに階級的自覚をかちとるかの主体的=唯物論的究明が主体性論であるのに対して、すでに自覚した革命的プロレタリアの組織的結集俸としてのコノ党組織が、即自的プロレタリア大衆との対決という実践的立場においていかに彼等を階級として組織化し、しかもこれを媒介として自らを拡大強化するか→ この革命的実践的追求が、組織論に外ならない」。
さらに、誤った路線は次のような特徴をもっているという。
第一、分断されたひとりひとりのプロレタリア個人が出発点にされ、主体性論が直接に組織論的に追求されるべき領域にもち込まれている(組織論と主休性論の二重うつし)。
第二、バラバラのプロレタリアートが全面的に階級形成するにいたる時間的過程では部分的=特殊的階級形成がなされ、それが党建設とされる(歴史主義あるいは過程的弁証法)。
第三、旧社会―大衆闘争から革命闘争への連続的発展=階級形成・党形成・主体形成→新社会というような<連続的発展観>があり、新社会を作り出す主体的力を旧社会の内部でいかに作り出すかの場所的論理が欠如して、新社会が目標化され絶対化される(大衆運動から革命闘争ヘの連続的発展観)。
第四、誰が、誰を、いかに組織化するのかという主体的、組織論的アプローチが出てこないで、ひとりひとりが戦略を主体化するという形での「階級形成―主体形成」に一切がねじまげられている(行為的現在における大衆運動=同盟組織作りの場所的論理の欠如)。
第五、ひとりひとりの党員の主体形成は、戦時の主体化というところでの思想性の高度化に求められる(主体形成主義的党建設路線)。
これらは要するに、①行為的現在において大衆運動=同盟組織作りを実現してゆくための場所的立場の喪失、②党組織の組織形態論的、組織実体論的追求の欠如、③<組織戦術の貫徹>という主体的立脚点の欠如、ということの結果に外ならないという。
ここでいっていることは、こういうことなのである。革マル派が自分の一つの原点としている主体性論は、どうにも非組織的な個人主義を生み出してしまい組織活動には役立たない。そのあらわれ方は、結局、消耗する時もまた元気でセクト的な「党派闘争」にハッスルしている時も個人主義でこまるということなのである。消耗の原因を個人的なプロレタリア的主体性の問題にしてしまい、個人的な「勉強」にとじこもつてしまう。ところが、消耗していない時にも、全く同じ形で個人個人がバラバラのまま「戦略の主体化」とか「新社会の夢想」とかいう形で「組織」の問題を欠如した形にしてしまう。これは、大衆が自覚していく過程での「主体性論」と、自覚したプロレタリアの組織的実践とを混同しているからだというのだ。
だが、これほどふざけた話もない。「即自的プロレタリア」が自覚していく過程では個人個人バラバラの論理が主体性論として通用して、いったん自覚すると組織的になるという。これは要するに小ブル個人主義が観念的に組織性を形成することに外ならない。自覚ということは、いわば現象から本質を認識していく過程に外ならぬ(下向)。その過程で個人主義者だつたものがどうして突然組織のことがわかるのだ。これは後でくわしくみるが、革マルの出発点が小ブル的自我(個人主義)で、そのいきつくところが観念的な普遍性であることをもっともよく示している。
百歩ゆずつて、主体性論が自覚に役立ち、自覚したプロレタリアは組織的になるとしても、一体この飛躍はどうして可能なのだ。実はここに革マル派自身の矛盾がある。黒田寛一の「プロレタリア的自覚」(『プロレタリア的人間の論理』をみよ)は、徹底的に小ブル的自我―個人主義にみたされており、階級的共同性など爪のアカほども出てこない。そもそも革マル主義の中味は、この「黒田的プロレタリア性」だったのだ。『プロレタリア的人間の論理』の中では、資本の制約をうけたプロレタリアが「生産と所有の機械的分離」を自覚することが「階級的、革命的自覚」だとされている。だが、「生産と所有の分離」ということのみでは没落した小ブルジョアでも感受できる(つまり個人主義者でも)ものなのだ。
ところがこういう小ブル主体性論の本質はくりかえし非組織性、実践的な主体形成主義(つまり運動と無縁な学習会主義)を生み出し、革マルを危機にたたせた。こうして彼らは自分の「中味」を批判して否定しなければならなくなった。ただし、「中味」を失った形式のみの「組織いじり」として―。第一~第五にわたってあげているものはそのまま革マル主義の本質を示しているのである。そして、この内容と形式の対立(革マル的主体性と運動をやる以上要求される組織性の対立)は、そのまま革マルの現在の矛盾のあり方を示している。
それでは今度は内容を失った形式の面の展開をみてみよう。
「Ⅱ、組織現実論の展開」―ここにおいて次のようにいう。
≪誰が、誰を、いかに組織化するかという主体的立場、あるいは組織論を組織創造論として追求するものこそ組織現実論である。それは大衆運動作りと組織作りとの対象的関係をふまえて大衆運動と組織建設をやりきるために、つまり大衆運動という特殊場面への<組織戦術>の貫徹の主体的構造の緻密化が問われた。 (1)組織戦術の貫徹は主体的=場所的立場と直接に統一されているのであって<組織戦術>の貫徹を対象化し客体化することはできない。
(2)既成の大衆運動ヘの対決を出発点とする大衆運動上の目的を実現するための構造が、大衆闘争である。こうした当面の大衆闘争は、背後における組織およびその成員に担われた<組織戦術の貫徹>に支えられねばならない。一方、当面の大衆闘争にむけての闘争=組織戦術の物質化を実質的に保証する組織およびその諸成員の組織実践を解明するのが運動=組織論である。大衆闘争論は裏面から理論的、組織的のりこえを問題にしていくのに対して、運動=組織論は組織的のりこえ(既成組織の解体)を目指して裏側から理論上、運動上ののりこえを問題にしていく。
(3)既成の運動をいかにのりこえるかという形で問題をたてていかない時には、革マル的方針の自立化がおきてしまう。あくまでも〝そこに存在する既成の大衆運動に対決し、これを出発点としてその運動をいかにのりこえるか″という「主体的追求」が必要である。
(4)のりこえの論理の主体的構造は次のようになる。既成の運動(P1)へ、革マル(O―組織)が主体的に対決し(P1←O)、これを出発点としてP1を変革しのりこえる(P1→P2)。そのために既成の運動を支えている戦術を革マルがつかみとり、これにかわる戦術(E2)を提起し、それを物質化する(E2→P2)ために闘う。この時、組織的のりこえとは、既成の運動を変革していくための背後における組織、およびその諸成員の組織的実践の展開に外ならない。≫
ここでは革マルのあり方がかなりハッキリ出ている。革マル派の主体が立っている「場所的立場」は、まず既成の大衆運動なのである。これは革マル派の歴史からいうとどういうことを意味しているのかというならば、次の点である。革マル派というイデオロギー集団が全学連をのっとり大衆運動をはじめ、その直後に中核派と分裂する。ここでの分裂の一つの中心的問題は、大衆運動と革命運動の関連であった。中核派は小ブル的大衆運動の直線的「発展」の中に革命をみていこうとした。これに対して革マル派はそれを否定して、「イギオロギー的革命性」を対置した。しかし、中核派と分裂してみるや、全く自分の小ブルイデオロギ―が現実と無関係なものということが暴露されてしまう。そして、革マル派は現実の闘いから全く無縁となりつつ、小ブルイデオロギーの「主体形成主義」=「学習会主義集団」へ再度転落しようとした。
ここで革マル派がおもいついたのは次のことである。つまり、現実の運動は自分たちはやらない。またやるとしても既成の運動と同じでいい。そして、その既成の運動に「寄生虫」としてはりつく。そして、それを推進している党派を解体して、それをのっとるという方針である。それを整理したのが今みた「のりこえの論理」である。
ここで重要なことは、革マル派が主発点としているのは「既成の運動との対決」であって、資本との対決ではないということである。革マル的主体はこうして現実の階級社会の矛盾の中に自らを基礎づけ、そこから出発せず、むしろそれは隠蔽してしまい(したがって自らの小ブル的本質はそのままにしたまま)、他党派解体を運動としていくことになる。ここで革マル派が批判している「主体形成主義」とは、「既成の運動」を前提としている革マルのイデオロギ―集団的本質を忘れ、既成の運動と並存させて自分の小ブル的本質を直接つき出してしまう「正直な革マル主義」への批判なのである。
「Ⅲ主体形成主義的組織建設路線―その構造と問題点―」では次の様にいっている。
60年代の中期において革マル派がとっていた組織路線は、「むき出しの革マル主義」であった。『共産主義者』No10・11の「学生戦線における革マル派建設のために」の中で展開されているのは、大衆運動への参加および理論学習によるプロレタリア的人間の形成としての「組織への形成」であり、戦略の適用と組織的実践を通しての各成員の立脚点の獲得、深化としての「組織の形成」という形になっていた。こういう路線は次のような誤りをもっているという。
第1―自覚した共産主義者によって担われるべき組織そのものが出発点とはされていず〝新社会=戦略=目的″についてなお自覚せず改良的な要求をかかげている即自的な一個のプロレタリアが出発点とされている(主体性論の直接的もち込み)。共産主義者としての主体性の前提そのものを問うということは組織論からハミダシている。
第2―大衆運動ヘの実践を欠如している、または共同的実践が欠如している理論主義。ユ―トビア的〝新社会″とそれをめざす〝プロレタリア的個人″の要求になっている。そして〝新社会〟の現在的理論形態が戦時とされており、その戦略の主体化に一切を切りつめる(主体形成主義と理論主義)。
第3―行為的現在における大衆運動=同盟組織作りを進める組織から出発せず、戦略を自覚した個人を作り、それを基礎に闘争を未来へ向けて連続的に高める(組織と人間に関する主体主義的理解)。
第4―大衆運動は天下り的な戦略の適用、フラクションは戦略の実現体、組織作りは「戦略的ほり下げ」というようになっている(戦略の適用主義)。
さらに次のことが重要であるという。
「わが反スターリン主義の独自性は、別に哲学的主体性論にあるのではない。むしろ戦後主体性論の核心をうけつぐ哲学的苦闘と、これを前提としながらもかのハンガリア革命のうけとめを基礎として、<革命的マルクス主義の立場>を獲得し、反スターリン主義の革命運動をつくり出してゆく、この両者によこたわる断絶を明確につかみとらねばならない。・・・哲学的主体性論にとどまることなく政治経済を媒介にして革命的実践にふみ込むこと、これこそが問題なのである」
まさに馬脚をあらわしたとはこのことである。彼ら自身主体性論からの「断絶」をいわざるをえなくなっている。自らの「形成過程」は組織的実践とは切断されているというのである。即自的プロレタリアから個人的に革命化していくのが「主体性論的自覚の論理」であり、それが終ると今度はそれと断絶している革命的実践にとび込めという。
しかし、これほどの御都合主義はないのである。そもそも「場所的立場」は主体性論の「黒田的再編」によって生まれているのではないか。そして、すでに指摘したように、『プロレタリア的人間の論理』の中で、黒田はまさに小ブル的自我の「革命化」を説いている。それに忠実な部分が運動上破産すると、それは大衆が左翼になるとき役立つのみであるという。それでは「場所的立場」はどうするのだ。今革マル派が歩んでいるのは、主体性論の中味が破産したのでこれは切りすて、形態論的なものとして「場所的立場」を利用して、組織いじりに集中している訳である。
この間題はさらに『共産主義者』No28―「学生戦線における大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」の中で展開される。これは中央学生組織委負会名で書かれている。直接的には中核派に対する批判という形をとりつつ、革マル派はここで自分たちの「革命化」の構造にふれている。それは、要約すれば次のようになっている。
≪(a)階級闘争の革命闘争への「主体的発展」は、それ以前の革マル派の組織論と不可分である。不断の階級闘争を通して、階級的組織化をなしとげ、これを実体的基鍵として一定の条件のもとでは闘争を反政府闘争ヘと高め、さらに反権力闘争に発展させる。そのためには、情勢分析を媒介として組織戦術にふまえつつ過渡的要求を提起し、実現を迫る。これは、ブンド式の大衆闘争から革命闘争への連続的発展観を否定し、大衆闘争から革命闘争への連続的発展を場所的現在における運動=組織作りによつて「切断」すると共に、たえざる組織作りを実体的基礎とした階級闘争の革命闘争への永続的発展へ「つなげ」ていく。
(b)一定の政治経済的危機の時には、組織化の度合に応じて階級闘争を反政府闘争にさらに反権力闘争に高める(<のりこえ>―<高め>―<めざす>)が、その時、情勢分析のうえにたって過渡的要求を直接または媒介的に提起していく。革命的危機に際しては直接に反権力の革命闘争に高める(<めざす>のではない)。
(c)これは、トロツキーの永続革命論の継承止揚である。トロツキーは、階級闘争と革命闘争を「過程化」―ひとつながりのもの―としてしまい、党組織がプロレタリアを階級として組織化し、それを基礎として革命を実現するという組織実体論的追求が欠けている。「革命闘争とたえざる階級闘争とを区別することによって、場所的現在における党づくりと階級闘争展開の論理が明確にされることになり、さらにこのようなたえざる階級闘争の組織化を通じての党づくりとプロレタリアの階級的組織化を実体的基礎として、プロレタリア革命を永続的に完遂して行くその実体的構造を明らかにしたのである」。(143~145頁)≫
ここで革マル派は情勢の深化に対応して、革マル派も「おくれてはならぬ」と思い、何とか自分たちの方法から「革命」を問題にしようとしている。その意味では、69~70年闘争の総括ででてきた問題の「再強化」である。だが、これほどまでに反プロレタリア的、また反マルクス主義的な革命論があるだろうか→
たしかに、大衆闘争(階級闘争)一般と革命闘争は区別されねばならない。だが、その区別性は、ブルジョアジーへの闘争としては成立せず、情勢が煮つまるまでは「組織作り」に収約されてしまうものなのだろうか→ いやそもそも階級的革命的闘争が一滴も存在しないで、どうして革命的情勢下において大衆闘争を革命闘争に転化できる「党組織」が建設できるのだろうか→ 革マル派がそうであるように、小市民的、民同的運動しか展開できない組織は、社民的または小ブル急進主義的組織ではないのか。大衆闘争と区別された革命闘争は、現在的に推進されていなくてはならない(ソヴィエト運動)。もちろんそれは、それが全面化した形での直接的な権力闘争とは異る。だが、現存する小市民的なまたは民同的な大衆運動と共に、それを不断に階級的、革命的に再編して権力ヘ向ってつき出している闘争が存在して、はじめて革命的党が生まれるのだ(現存する運動の中に自然発生的にふくまれているものを目的意識的に結合することを通して)。
闘争として存在しないものが、どうして組織として形成しうるのか→ ここで革マル派は、まさに彼らの組織が現実の階級性革命性と無縁な反プロレタリア的観念集団であることを暴露している(なお彼らの革命論の全面的批判―思想的根拠をふくむ―とわれわれのそれに対する方針は最後にまとめてのべる)。彼らはよく「実体」などということを言うが、実体として存在しないものをどうして組織化しうるのか。それとも、一滴も革命性のないものもたくさん集めて組織にためていけば「革命」へ転化するとでもいうのか→ゼロはいくら集めてもゼロなのである。中味のない現実に存在しないものに「過渡的要求」などくっつけても、どうしてそれが革命性へ転化できるのだろうか→
革マル派は、中核派型の小ブル運動の単純急進化の延長線上にプロレタリア革命を願望する路線を批判しつつも、それとの区別性を現実的、本質的にたてられない結果、単に観念的に「組織性」をたてるにすぎなくなっている。しかし、そもそもこんな組織は成立するのだろうか→それがまた「成立する」のである。つまり、自分の中は空洞のくせに、また空洞だからこそ、他党派への敵対のみを唯一の党派性にする「党派」である。それを路線化したのが「のりこえの立場」である。これについてはすでに紹介してあり、また後で教祖黒田の展開を紹介するので、このNo28論文の中の「のりこえ」は紹介しない。
さて、以上のような展開の上にこのNo.28の中央学生組織委員会論文は、70年代にはいっても依然としてでてくる、革マルの本質からでてくる「ブレ」についていろいろグチをたれるのである。それは以下のようになっている。
≪革マル派内部に二つの偏向がある。「左翼的」偏向は大衆闘争論的立場を空無化させ(のりこえの立場を空無化させ)、直接にマル学同の組織活動を自治会内に実現しようとするもの。右翼的偏向としては、運動のゆきづまりを打開するために大衆運動を政治技術主義的に、つまり党派性をうすめて展開するものである。この内「左翼的」偏向(→)が粉砕の対象とされねばならない。それには、次のような根拠が考えられる。第一に、小ブル急進主義者どものハミダシと連動、組織ヘの政治力学主義的対決。第二に、〝闘争委員会としての学生連動″の克服の一面性。第三に理論的にはのりこえの論理や大衆闘争論と運動=組織論の相互闘係の誤った理解。このうち第三のものがもっとも問題である。この第三の問題については次のようなことが原因となっている。
第一に、これは<のりこえの立場>あるいは<のりこえの論理>が全く見失われており、〝大衆運動への組織戦術の貫徹″の問題に一面化されている。〝大衆闘争論的立場なき組織戦術の貫徹主義″は、「運動上」「理論上」「組織上」の三つの「のりこえ」または大衆運動を組織化していくうえでの過程的な構造が破壊されている。それは自分たちの方針プラス組織戦術といつたような問題に一面化されている。第二に、P1(既成の運動)―E(理論闘争)→P2(新たなる運動)というサイクルを無視している。組織戦術の貫徹という観点を自立化させている時には、E2(既成の理論に対抗する革マルの理論)→P2(革マルが既成の運動をのりこえつつ「作った」運動)をE2→O→P2としてしまう。第三に、「同盟員としての組合員の独特な活動」(1)、「組合員としての同盟員の活動―フラクション活動」(2)、「同盟員としての同盟員の活動―革マル派の活動」(3)のうち(1)を技術としてきりつめ(2)~(3)のみを行ない、組織戦術の貫徹さえできない。第四に、情勢分析や闘争組織戦術から「闘争戦術に規定された組織戦術」だけを「裏がわ主義」的に自立させてしまう。(153~159頁)≫
ここでいっていることは、客観情勢の深化に規定されてさすがの革マル派の活動家も「左翼化」してしまい小ブル急進派のマネを少しばかりしたがって革マル指導部を困らせているのを嘆いているのである。その場合「政治力学主義」や自治会大衆運動を忘れた「闘争委員会としての学生運動」があるが、もっとも革マル的なのは「既成大衆運動をいかにのりこえるか」を忘れて革マル派の「組織戦術の貫徹」のみを直接追求するものであるといっているのである。
革マル派の活動家は極めて混乱する。小市民的運動を右翼的にやれば自治会主義だと叱られる。「組織戦術の貫徹」のみをやれば「左翼的」だと叱られる。もともと革マル派にとつては、小市民右派的大衆運動(自治会主義)か「小ブル急進派」をまねた運動しかないのである。すでにみてきたように既成の運動に対決する中味がなく、なにがなんでもただ「既成の運動に対決すること」のみが問題なのであり、「それをこえる運動は現実にはありえず、現在の革命闘争は組織作りだ」などといっておいて、―そうである以上大衆闘争へのかかわりは「技術主義」か全くの「小市民右派の運動」以外ありえない―この双方のブレを批判しているのである。全くいい気なものである。迷惑なのは下部活動家である。
(2)「のりこえの立場」の 反プロレタリア的構造
まずはじめに、『日本の反スターリン主義運動 2』からの引用を行なう。
「すなわちまず、既成指導部、とくに社共両党によって歪曲されている今日の労働運動、ソコ存在する既成の大衆運動(P1)を左翼的あるいは革命的にのりこえていく(P1→P2)という実践的=場所的立場(=『のりこえの立場』)において、それ(1<運動上ののりこえ>)を実現していくためには、まずもつて既成の運動(P1)をささえ規定している理論(他党派の戦術やイデロオギーとしてのE0)をわれわれがとらえ(E1―これはE0と媒介的に合致する)、かつそれヘの批判を通じてわれわれの独特な(あるいは独自な)闘争=組織戦術(E2)を提起し(P1・・・→E1→E2)、そしてこれ(2<理論上ののりこえ>)を物質化する(E2 P2)ために組織的にたたかう(E2・・・→O―・―・→P2)とともに、これらの闘いを通じて既成の大衆運動を実体的にささえている諸組織、直接的には社共両党(O0)を革命的に解体する(O0・・・→O)ための党派闘争(3<組織上ののりこえ>)をかちぬく。―こうした<のりこえの論理>、イデオロギー的および組織的闘いを基礎とした大衆運動の展開の構造を、理論的に明らかにするのが、大衆闘争論であること、そしてこれらの構成部分は、(1)われわれの情勢分析、(2)他党派の情勢分析および運動方針に対する批判に媒介された、われわれの闘争=組織戦術、および(3)かかる闘争=組織戦術を物質化するための実体的構造の解明(つまり運動=組織論的解明)の三つであること、などが明らかにされた。
ところで、他党派の戦術やイデオロギーを批判し(2<理論上ののりこえ>)、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(3<組織上ののりこえ>)ことを通じて、<運動上ののりこえ>(1)を実現するということは、他面からすれば、われわれの組織戦術を、たえず大衆運動の場面へ(O―・―・→M)、また直接に他党派にたいして(O・・・→O0)貫徹する闘いが成功裡になされていることをいみする。この<組織上ののりこえ>をめざしてたたかっているわが同盟組織(O)が、他党派の組織(O0)にたいして、またそれが展開している大衆運動(P1)やその戦術およびイデオロギー(EあるいはE1)にたいして決定的に対決している(O→→P1・E)がゆえに、<理論上ののりこえ>(E1→E2)を媒介として<運動上ののりこえ>(P1 P2)が現実的に可能となるのである。このようなわが同盟(員)の組織戦術の貫徹を基軸(4)としつつ、<理論上ののりこえ>(6)と<運動上ののりこえ>(7)とを実現していく闘い、その実体的構造〔これは他面では同時に他党派の解体として、<組織上ののりこえ>(5)として現象する〕を解明するのが、ほかならぬ運動=組織論なのである。
運動=組織論とは、大衆運動の左翼的あるいは革命的のりこえを、その裏側から、つまり<組織上ののりこえ>(3あるいは5)のがわから、その実体的構造を明らかにすることを、その課題とするといってよい。いいかえれば、われわれがうちだした闘争―組織戦術(これには、すでに解明された運動=組織論が現実的に適用されているのであるが)を物質化するための組織的闘い(E2・・・→O―・―・→P2=M)、その実体的構造そのもの(O―・―・→M)を、つまりわが同盟(員)が大衆運動を組織化し種々の組織形態(フラクションやわが同盟組織その他)を組織化するという構造を、われわれの戦術(E2)との関係において、解明するのが運動=組織論なのである。
ところで、われわれの組織戦術の貫徹による運動=組織づくり、その前提となり、かつそれを媒介として拡大・強化されるわが同盟組織そのもの(O)、これを形態的にも実体的にも確立していくための組織内闘争・組織建設(O→O´)の構造(Ⅹ面)を明らかにするのが同盟(党)建設論にほかならない。
要するに、大衆闘争論と運動圧迫織論とは、大衆連動・労働運動の前提となり、かつこれを媒介として強化・拡大される同盟(党)組織が、大衆運動づくりと種々の組織づくりを展開する場面(Y面)を、一方は<運動上ののりこえ>のがわから、他方は<組織上ののりこえ>のがわから、それぞれ理論的に明らかにすることをその課題とするのであり、そしてこの運動=組織づくり(Y面)を媒介とした同盟(党)組織の組織的確立(Ⅹ面)の問題を明らかにするのが同盟(党)建設論なのである。このようなものとして、これらの三つは組織現実論の核心的な構成部分をかたちづくる」(281~287頁)
この革マル派の「のりこえの論理」を次のような順序でみていきたい。第一は、なぜ革マル派は「のりこえの論理」を生み出さざるをえなかったか→―第二は、「のりこえの論理」はどういう有効性を革マル派に与えたのか→第三に、この「のりこえの論理」の本質的反プロレタリア性である。
<第一に>なぜ革マル派が「のりこえの論理」を「生み」出さざるをえなかったのか→それは次の点にある。革共同全国委は、文字通りのイデオロギー集団として生まれていった。それは『プロレタリア的人間の論理』(黒田寛一著)を読めば明白なように、小ブルジョアジーがブルジョア社会においてブルジョアジ―に圧迫される危機感=「生産と所有の分離」を「根源的分割」としている。しかもその「生産と所有の分離」が分業(私的所有)の共同体論的把握からではなく、小ブル的な個人主義の次元でつかまれている。そして、その小ブルジョアジーが危機感をテコとしてこの「分離を自覚し、統一に向ってつき進む」ことが革命だとされている。生産と所有の統一というかぎりでは小所有者(農民・都市「旧」中間層等)もそうなのである。つまりプロレタリアの社会矛盾とそれヘの政治社会的闘争の中から生まれたものではない。
それは彼らの「反スタ」においても同じである。彼らの「反スタ」はプロレタリア的な反スターリン主義ではなく、スタ―リン主義がもっている個人に対する抑圧的側面に対抗して小ブル的な個人の主体性をたてていったのである。むしろこの「反スタ」の問題が革共同全国委の形成の原点になつている。
第四インター等の革共同との決定的な差異はここにある。第四インター等の革共同には、この「近代的小市民の自我」―「小ブル主体性」が欠落している。
こうして生まれていった革共同全国委は、60年安保闘争後のブントの崩壊に際してこれに介入し、ついでに全学連を宮廷革命によってのっとつた。ここではじめて革共同全国委は大衆運動に直面していく。だが、すでにみてきたように中核派と革マル派に分裂してしまい、革マル派は再びもとの学習会的イデオロギー集団ヘの転落の危機にたつ。ここから「のりこえの立場」が生まれてくる。つまり、組合運動にしろ学生運動にしろ現存する大衆運動とイデオロギー集団としての革マルの「スレチガイ」を何とか突破するために、彼らは「そこに存在する大衆運動にイデオロギー的にかかわる」という方針を確定していく。こうすれば現実の闘いと無関係になってしまうことはさけられるし、同時にまた革マル派的イデオロギー闘争も生かされていく。彼ら自身がいっているように、彼らの「大衆闘争諭」とは決して自治会活動や組合運動のことではない。「既成の運動に介入する」ことなのだ。しかも、彼らは現実の闘いを大衆闘争としても革命闘争としても展開する力などありはしないし、方針はもともともっていない。やれることは市民的、民同的大衆運動の「チミツ化」のみである。だから、くりかえし彼らの中から「大衆運動主義」や「政治技術主義」がでてくるのだ。そういう意味では、革マルは本質的にイデオロギー集団なのだ。運動論=組織論=闘争論は、その意味では単なるイデオロギー闘争の変形でしかない。
<第二に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」が、どういう有効性を革マル派に与えたのか。
①現下の階級闘争が社共のヘゲモニー下にあり、したがって「革命派」は多かれ少なかれこの既成の運動との関連を整理しなくてはならない。②さらには、情勢が深化しているとはいえ革命派は極めて苦しい状況にあり、したがって闘争は苦しい敗北局面を多かれ少なかれくぐらねばならない。③既成の政治組織や大衆組織がますます右翼化しており、プロレタリア人民は孤独と絶望の中にたたき込まれており、したがってたとえ疎外された形であれ反社民反日共の「組織」の力を必要としていた。
これら三つの条件の中で革マル派の「のりこえの論理」は、①とにかく、どういう形ではあれ、既成組織にかかわるという方針であること、②権力との闘争から逃亡しても「理屈」をつけて居直ることができること、つまり「観念的革命性」の世界に生きていられること、③反スタ・スターリニストの組織として極限的に疎外されていようとも、反社民反日共の「組織性」を強調したこと、という形で一定の対応力をもっていつたことである。
<第三に>それでは、革マル派の「のりこえの論理」はどのような意味で本質的に反プロレタリア的なのか?
第一に、革マル派の路線としては、現下において既成の闘争と質的に異る闘争は「ハミダシ」であり誤りだとしている。彼らは大衆闘争―革命運動―革命闘争をわけて、現在の運動は「大衆闘争」であり、直接権力を問題にするのが「革命闘争」、そして現下の大衆闘争にかかわり「のりこえつつ」革マル派の組織を作ることが「革命運動」ということになつている。あえて彼らのこの用語にしたがっていえば、大衆闘争の中に革命闘争の中味が一滴もはいっていなくて、どうして革命運動になるのか。その組織作りは結局存在しない「革命性」の上に成立していることになる。ということは、彼らがかかわる闘争の「左翼性」ということは、結局既成の市民的、民同的運動の質を少しも変えずに、単にそれをつきあげているにすぎないことになる。そして「ハネ」る時には中核派と全く同じことを少し「みじめに」やれるだけである。ということは、観念界の「小ブル的革命性」を理由に市民的、民同的な闘争を固定化する役割を果しているということである。
第二に、彼らはプロレタリア人民の敗北を待ちうけている存在である。要するに、あらゆる突出する闘争の挫折を利用して伸長しようとするという点で、日共=民青と全く同じである。そして、それに「理屈」をつけることによってプロレタリア人民を現実的意味での「後退的」な感性へひきとめ、闘争の「足かせ」となっている。
第三に、第一~第二のことと関連して、「のりこえの論理」からすれば、他党派解体の党派闘争を行なうことが革マルの現在の革命運動ということになり、まさに闘争の破壊にのみ情熱をあげるという全く世界に前例のない疎外されきった存在となっている。これは党派のみならず、自分たちの闘争に支配しきれない集団、個人は皆そういう対象となり、闘争の圧殺、破壊の上に革マル派の支配を定立しようとすることになる。川口君虐殺は、そういう「のりこえの論理」の必然的結果なのだ。
こういう反プロレタリア性をもった「のりこえの論理」を少し具体的に要約してみよう。この特徴は、すでにみてきたように、対決しているのはこのブルジョア社会ではなく既成の運動であり、「運動」―「理論」―「組織」上の三つの「のりこえ」という形で定式化されている。したがって、「大衆闘争論」とはブルジョアジーに対していかに闘うかということではなくて、「既成の運動」にどのように介入し、寄生するかということなのである。これは革マル派が直接大衆運動を行なう場合も同じである。ということは、ブルジョアジーといかに闘うかということは後に退いており、そういう既成の運動の質を前提とし(いかにプロレタリア運動を推進するかではなく)、それとの関係でそれをいかに破壊するかという点から「理論」がたてられる。そして、その上にたって、他党派解体の「組織戦術」(スパイ、加入戦術等)がたてられる。こうして革マル派がまず全面的に対決しているのは、ブルジョアジーではなくて他潮流の「闘争―組織」なのである(反帝・反スタ戦略の根本的誤り)。
そういう意味で「のりこえの論理」は革マルが唯一現実にかかわれる方策なのである。
(3)宗派革マルの「革命運動」
―他党派解体の党派闘争の 反プロレタリア性 今までの引用や展開で明白になったように、革マル派にとっては他党派解体の党派闘争こそ「革命運動」なのである。もちろん、われわれも他党派の解体、止揚を目指して闘う。しかし革マルという党派は本質的に統一戦線(われわれのいう共同戦線)を組みえない宗派なのだ。それは日本プロレタリア運動にかかわっている総ての潮流がみとめている。それは単に革マルが党派闘争に熱中するということによるものではない。階級闘争は党派闘争を不可欠なものとしているし、しかも情勢が激化すればするほどそうである。そういう点ではわれわれも党派闘争を全力で闘いぬくことにやぶさかではない。問題は「解体―止揚」なのであって、単純な破壊ではない。
ところが革マル派の党派闘争は、自分の中に階級闘争を前に進める力の中で行なうのではなく、むしろその力を否定して行なうところに特徴がある。したがって、革マルがある運動に加わってきて他党派批判を行なう時、その闘争がかかえている困難局面をどう打開するかという方向性をもって行なうのではなく、まさに他党派解体のためにのみ行なうのだから、その闘争としては革マルが参加したことによってブラスになることなど一つもありはしないことになる。
こうして政治組織のみならず大衆全体が革マルに対する嫌悪と憎悪をもつていくのである。『革命的マルクス主義とは何か?』の中で、黒田寛一は「加入戦術と統一戦線」を強調しているが、革マル派と統一戦線を組もうなどという潮流は日本中どこをさがしてもありはしない。このこと自体、実は革マル派の「革命的プロレタリア派」としての致命的破産なのである。しかも、それは誰かがデマゴギーを流してそうしたのではない。革マル派自身が自分でそうしたのである。そして、その路線的確立こそ「のりこえの論理」に外ならない。
その「のりこえの論理」にもとづく「党派闘争」の方針を次に批判していこう。素材としては『共産主義者』No28―「大衆運動=同盟組織づくりの前進と党派闘争の勝利のために」―中央学生組織委員会、『同』No29―「ベトナム反戦闘争の教訓と党派闘争の飛躍的強化のために」―中央学生組織委員会、この二つの論文を扱う。
<1、党派闘争推進の本質的構造>
「他党派―社会民主主義やスターリン主義、およびその変種を支柱とした一切の党派―を組織的に解体し、唯一の前衛党を創造するということは、あらゆる実践においてふまえられておかなければならない一般的本質的な目的である。この一般的本質的な目的を直接の目的とし、ある特定の党派に直接に対決する、これが党派闘争推進の出発点である。」(161頁)
「いうまでもなく、反スタ運動の出発時においては、イデオロギー闘争を主要の形態にして(組織的たたかいとしては加入戦術)エセ『前衛党』の解体をめざしてきたのであった。さらに、第二段階としては、いうまでもなく拡大された組織的力量を基礎として大衆運動にとりくみ、その組織化と展開の過程と結果における党派的なイデオロギー的組織的たたかいによつて、つまりは大衆運動を通じて他党派の解体・止揚をめざしてきたのである。あくまでも当面の戦術的目的の実現を直接の目的とし、党派的なイデオロギー的組織的たたかいを通じて大衆運動を組織する、このことによって他党派解体の土壌をつくりだすとともに、さらにこの成果にのっとって独自的組織的なたたかいをくりひろげ、他党派の解体という組織的課題を完遂する、このようなたたかいにとりくんできたのである。」(162頁)
「第一に、運動上ののりこえに従属した組織的のりこえ、第二に、運動上ののりこえと組織上ののりこえとの同時的実現、第三に、組織的のりこえとしての組織的のりこえのたたかい―党派闘争―。第一が、他党派の媒介的解体であるのに対し、第三は直接的解体といえる。あるいは前者が即自的な党派闘争としての意義をもつ党派的イデオロギー的組織的たたかいを基礎とした大衆運動の組織化であるのに対して、後者は向自的な党派闘争にほかならない。
しかし、以上のような連関にもかかわらず、既成の運動への対決を出発点とするたえざる運動―組織づくりと党派闘争との間には明確な断絶がある。」(163頁)
「このことは、理論の次元で、党派闘争論に関してもいえる。党派闘争論は〝のりこえの論理を裏がわから、組織的のりこえを基軸として分析したもの″ではないのである。<のりこえの論理>(大衆闘争論)では、<組織的のりこえ>は従属的な一契機・実体的契機として位置づけられ、これをそれ自体としてとりあげて理論化したのが運動=組織論である。しかし、これらはともに、既成の運動への対決(P1←O)という具体的な出発点に規定されているのである。ということは、運動=組織論が課題とするものが、直接的な他党派の解体・止揚論ではなく、あくまでも既成の運動に対決しこれを運動上のりこえていくことを通じてかつ媒介にしてその背後にある諸組織を解体していく、その実体的構造を明らかにするものであることを意味する。それは運動=組織論が、運動づくりと組織づくりの弁証法、その実体的構造の解明を課題とするものであることからしても明らかである。
ところで、党派闘争論の場合には、既成の運動への対決とか、その運動上ののりこえとか、大衆運動の組織化とかは、さしあたり関係がないのである。党派闘争が<組織的のりこえとしての組織的のりこえ>であることからして、それは明らかである。党派闘争論は、他党派の組織に直接に対決し、この解体を直接目的としてこれをいかに実現するかの理論だからである。」(163~164頁)
<2、党派闘争の二つのパターン>
「ある特定の党派の解体という目的を実現するための手段としては、二つの型が考えられる。第一には、右の目的に規定されたイデオロギー闘争を主要な手段としたもの。その場合、従属的にはその党派を解体するための特殊的な運動づくりを行ない、また解体すべき党派の内部や彼らがとり結んでいる他の諸党派との関係に特殊な組織戦術を貫徹していく(こうした型を、さしあたりαパターンと規定しよう)。第二には、その特定の党派を解体していくための、そうした目的に規定された特殊的な運動づくりの展開を主要な手段としていくもの。この場合にも、従属的には先のイデオロギー闘争および特殊的組織戦術が展開されていく(こうした型を、さしあたりβパターンと規定しよう)。」(164頁)
<3、党派闘争の大衆的実現について>
「まずもって、この特殊な運動づくりはあくまでも、ある特定の党派の解体を直接の目的として推進されていくものであり、当面の戦術的課題を実現するために、大衆闘争論的立場にのっとって大衆運動を組織化し、これを通じて一定の党派のおいつめを実現していくたたかいとは厳然と区別される。このことはすでにのべたように、たえざる大衆運動の組織化と党派闘争の推進とは前提的に措定さるべき実践的立場においてまったくことなること、したがってβパターンにおける運動の組織化は既成の運動の運動上ののりこえと区別される、ということから明らかである。
闘争論的立場に立つた大衆運動の組織化(A)として次のような諸形態が考えられる。
a 原則的なイデオロギー的組織的たたかいを基礎とした連動の組織化。あるいは従属的に組織的のりこえのたたかいを展開し、既成の運動を現実的にのりこえていく。
b 特殊な党派関係のもとでは組織的のりこえのたたかいに重点をおきつつ、運動上ののりこえを実現する。
c さらに運動上ののりこえと組織上ののりこえとを同時的に推進する。
それに対してβパタ―ンの特殊な運動づくり(B)も、二つの場合がある。
a 特殊な運動をそのものとして実現する。
b 党派闘争の大衆的実現。」(166頁)
<補章、学生自治会運動論について>
「最後に、自治会運動論の理論としての性格についてふれておきたい。
自治会運動論は大衆闘争論および運動=組織論からの直接的な延長線上に創造されるものではない。大衆闘争論は、端的にいってその時々の階級闘争にむけての<党の戦術論>であり、他方、運動=組織論は階級闘争の組織化や他党派との組織的たたかいにおいて展開され、かつ党組織づくりを実現するための<党(員)の組織活動の諸形態諭>である。それに対して自治会運動論は、大衆組織およびその運動の問題にかかわるのである。
すなわち、自治会運動論においては、まずもって大衆組織としての自治会―学生運動の直接の主体としてのそれ―が前提的に措定され、大衆的争論や運動=組織論において主体であった党(員)、方針を打ち出し組織活動をくりひろげる主体としての党員は、ここでは前提的に措定された自治会の主要な担い手としてまずもって対象的に位置づけられるのである。ここにおいてすでに、大衆闘争論および運動=組織論(一般に組織現実論)と自治会連動論との断絶があるのである。このような断絶の上で、われわれがおかれた場にみあった形での、自治会運動を推進するための方針および組織活動に関して、その解明に際して大衆闘争論や連動=組織論が適用されるのである。」(173頁)
このNo28における方針は、No29においてさらに具体化していく。直接には、革マル派はここで中核派との党派闘争の中でこの「党派闘争論」を展開している訳だが、疎外された宗派同士の争いの中に革マルの本質があらわれている。彼らの党派闘争論はすでに引用で示したように、「のりこえの立場」=大衆闘争論(=運動―組織論)とは<断絶>があるという。しかも最後の引用でもわかるように、その「のりこえの立場」=「大衆闘争論および運動=組織論」は、自治会運動や組合運動とは<断絶>しているのだという。思想的には主体性論と組織論とを<断絶>させたり、最近この党派はよく<断絶>するようである。
これによって明白なことは、大衆運動と革マル派の革命運動(のりこえ)は断絶しており、しかもその「革命運動」と党派闘争のもっとも深刻な事態(=党派闘争としての党派闘争)は断絶しているというのである。一体この「党派闘争」とは何なのか? 大衆運動とも革命運動とも<断絶>した「党派闘争」とは一体何なのか?
要するに、革共同両派の宗派戦争はプロレタリア革命運動と無線なものだと自ら告白しているのだ。一方は「反革命カクマルセンメツ」といい、他方は「大衆運動とも革命連動とも断絶した党派闘争としての党派闘争」をいう。中核派は結局戦略が「反帝・反スタ・反カクマル」になつており、革マル派は「革命運動とも大衆運動とも断絶した党派闘争」をやつている。
実はこれは「反帝・反スタ」という革共同全国委の戦略の根本的誤りに規定されているのだ。それは後に批判するとして、実は革マル派の党派闘争の究極の姿がここに示されている。しかも、それが革マルの本質なのだ。革マル派はすでにみてきたように「他党派解体の闘争」が革命運動だとしている組織である。しかも「反帝・反スタ」の戦略的誤り(それは今までみてきたように自分が戦略的に対決しているのが帝国主義ではなく既成の運動であるということを戦略的に表現している)の結果、他党派を解体―止揚できず(階級的本質―内容をもちえない結果)、直接自分が規定力をもちえない運動の破壊を革命運動だとしてきている。そのことが、同じ「反帝・反スタ」戦略をもつ中核派との党派闘争を規定しているのだ。
だから「党派闘争論的立場」なるものは、革マルの活動の部分的側面ではなく、革マルの本質がムキだしに出たものに外ならない。
「一般的本質的目的を特殊な党派関係のもとで直接の目的としてこれを突破する」(No28、163頁)という意味はそれを示している。これは、もともと革マルの思想や「革命論」が、プロレタリアの大衆運動や革命運動と無縁な「小ブル絶対精神の自覚運動」=「プロレタリアに対する小ブルの支配、物理力化運動」だつたことを自己暴露しているものに外ならない。まさにこのような宗派は、プロレタリア大衆運動とその階級的革命的突撃の力で粉砕しつくしていかねばならないのである。
彼らは『革命的暴力とは何か』という全く没思想的な本の中で「中核がやつたから革マルもやったのだ」「革マルはキリストではないから政治的対応をする」とかいう意味のことをいっている。彼らは暴力それ自身の中味を問題にしえないので―なぜならば現在的には市民的、民同的運動しかないといっているのだから―<政治を止揚する革命的階級的政治>、または<ブルジョア的暴力、小ブルジョア的暴力を止揚する階級的革命的暴力>の意味もわからない。彼らにとって「暴力」は技術であり、自分の破産を隠蔽する手段になっているのだ(11・8川口君虐殺ヘの居直りをみよ!)。全く現実の破産の数々を隠蔽しとりつくろうためにのみ存在している革マル派の理論をみよ! その「理論」なるもののいいかげんさを証明するものこそ、都合がわるくなるとすぐ「断絶」していく便宜主義的「理論展開」なのだ。
大衆運動の<発展>としての革命運動であり、あくまでも両者に区別はあるにしても<断絶>などありはしない。そしてまた、党派闘争は大衆運動の階級的革命的発展のために闘われるのである。逆にいえば、大衆運動が階級性、革命性を明確にしていくや否や、小ブルジョアジーがそれにおそれをなし、プロレタリア人民の闘いを再び自分の物理力にせんとする活動が全面化する。したがってプロレタリア人民の闘争の階級化、革命化は必然的に小ブルジョア的宗派とプロレタリア的党派の党派闘争を激化させるのだ。したがってプロレタリアの革命運動は小ブル的宗派との党派闘争を必然のものとしてふくむ。それなくして革命は勝利しえない。それはプロレタリア革命ヘ向けてその小ブル党派の存立基礎を解体、止揚していくプロレタリアのソヴィエト運動の一環として闘われるのであり、小ブル運動が中味においても解体、止揚されていく中で、それを居直り逆に暴力的に敵対してくることに対して実力闘争が闘われるのだ。
革マルのように相手を止揚する中味をもたず、逆にもたないがゆえに闘争に寄生し、他党派解体のみを革命運動だとする宗派戦争とは全く異る。寄生虫の宗派的敵対を粉砕せよ!
いうまでもなく、一定の党派との闘争が極めて緊張したものとなった場合、その党派との「直接対決」もありうる。しかし、その党派の解体、止揚の方針が、プロレタリアの革命運動と無縁だなどということはありえない。むしろプロレタリア革命運動の貫徹として、その特定の党派の特定の「解体―止揚」方針がたてられるのだ。したがつて、革マル派がいっているような特定の党派を解体するための大衆闘争(階級運動とは異る)などというのはまさに疎外の極なのである。
「すなわち、党派関係の変動という現実的諸条件の推移に規定されて、われわれのたたかいの構造もつぎの<①→②→③>というように移行していくといえるであろう(逆もいいうる)。
①運動上ののりこえに従属した組織的のりこえを追求する場合。
②運動上ののりこえと組織的のりこえを同時的に推進する場合。
③組織的のりこえとしての組織的のりこえを追求する場合。
ここでの①は即自的党派闘争といえるが、③はもちろん向自的党派闘争であり、②は前者から後者ヘの転換点をなす。ところで、こうした移行の過程は主体的にはわれわれの実践的立場の規定性のつぎのような転換に規定されている。一般的な党派関係のもとでは、われわれの実践的立場はソコ存在する運動と対決しそれをのりこえる(P←O)、つまりのりこえの立場=闘争論的立場というように規定されている。しかしながら、党派関係が異常に変動したというような場合、それに規定されてわれわれは、自己の実践的立場の規定性をば、のりこえの立場=闘争諭的立場(P1←O)から、一定の党派(O1)に直接的に対決してそれを解体する(O1←O)という党派闘争論的立場へと転換していくのである。いいかえるならば、われわれの実践的立場がのりこえの立場(P1←O)というように規定されている前者においては、あくまでも既成の運動をのりこえる(P1→P2)というこの直接的な目的に従属したものとして一定の党派(O0と規定される点に注意)を組織的にのりこえる(O0→O)という結果をもたらすことができる―したがってそのことはわれわれの媒介的な目的をなす―のである。この一定の党派を組織的にのりこえる(O0→O)という媒介的な目的を、党派関係の異常な変動のもとで、直接的な目的としていく、したがってわれわれの実践的立場の規定性も党派闘争論的立場(O1←O)というように規定されていく、これが後者の場合なのである。
党派闘争の即自的形態と向自的形態との関係を、一面的にもっぱら前者を『本来的』なもの、後者を『特殊的』なものとしたり、また暴力的形態を伴うか否かということで両者を感覚的にふりわけることはできない。両者の関係はこうである。一般的な党派関係のもとでは、即自的な党派闘争が普遍的であり、向自的党派闘争は従属的・特殊的である。しかしいったん党派関係が異常なものヘと変動した場合には逆に、向自的な党派闘争が普遍的となり、即自的な党派闘争は従属的・特殊的なものとなるのである。この関係はつぎのような論理と同様である。
『それ〔資本のもとヘの労働の形式的包摂〕はあらゆる資本主義的生産過程の一般的な形態である。だが同時に、それは発達した特殊的・資本主義的生産様式と並存する特殊な形態である。』(マルクス『諸結果』)」(No29,101~102頁)
これはNo28の中味のくりかえしなのであるが、最後にみる革マルの反マルクス主義―反プロレタリア的路線および理論を極めて端的に示しているので引用した。
すでに何度も批判してきたように革マルの「反帝・反スタ」という誤った戦略はブルジョア社会の全般的制約者を誤って規定している。反帝国主義が戦略であり、反帝国主義の闘争の発展という根本的構造が発展する過程で様々な小ブル諸党派との党派闘争も深まる。ところが革マルにとっては帝国主義も他潮流も並列にならんでしまう。
革マルの「のりこえの論理」の中に疎外された党派闘争はふくまれており、その結果なのであるが、一応「のりこえの論理」の中では「党派闘争としての党派闘争」ということは背後にある。つまり、「運動上ののりこえ」との関係で「組織上ののりこえ」がでている。ところが「党派闘争が異常になった段階では」「党派闘争としての党派闘争」が「普遍的な形態」となるという。
これをマルクス主義的にとらえかえせば、革マルの党派闘争は革命運動の発展と別にむしろそれを「抑圧した形で」または「断絶」して普遍的形態となるということなのだ。マルクス主義の弁証法にこんなデタラメはありはしない。根本矛盾(普遍的矛盾)―この社会ではブルジョアとプロレタリアの矛盾―との関連で総ての特殊的個別的矛盾が存在しているのであり、したがってプロレタリアの帝国主義打倒の革命運動(根本的闘い)と断絶した形で特殊的、個別的なものが発展するなどということはまさに「疎外」以外の何物でもない。マルクスにとって普遍―特殊―個別(または個別―特殊―普遍)の発展過程は弁証法的な区別(否定)を通して成立していくが、それぞれが「断絶」したりなどしないのである。
われわれが指摘してきた通り、革マル派は本質(論)なき形態論者または現象論者である(その根拠は最後にみる)。マルクスの引用も全く手前勝手な解釈をしているが、引用されている中味もそういうものなのである。革マル派の原点が資本主義の根本矛盾にふれえていないからこういうデタラメができる訳なのだ。そして「革命運動」=「のりこえの論理」に根本原因があることはすでにみてきた通りである。
こうして宗派革マルは、文字通り大衆全体を敵にまわし、大衆運動の階級化革命化に敵対し、暴力的破壊活動をくりかえすことによってしか自らその存命を陳てなくなってきている。「拠点」早大の革マルの位置をみよ。彼らの悪アガキは、彼ら自身を「アリ地獄」の中にたたき込んでいる。こうして革マル派の本質がますます明白になる中で、階級的党派闘争を深化させ、彼らの粉砕放逐を実現する闘争をやりぬくのだ。しかも注目すべき点は、権力と当局はこの革マルの本質を利用しつくし、人民の分断、支配を貫徹しつつある。革マルは文字通り権力の手の内におどらされているのである。
(4)革マル派「組織論」の 反プロレタリア的構造 革マル派の一つの重要な柱は、組織論であることはいうまでもない。これまでの整理の上にたつて、組織論それ自体としてどういう経過をたどっていて、どういうところへきているのか、そしてそれがどういう問題をかかえてきているのかについて、のべていこう。
①革マル派の初期の組織論
現在の革マルは革命論、あるいは党派の根幹をなす思想性としても極めて重大な危機にたっている。それは、自分たちの出発点的な中味が現実の闘いに直面することによって破産し、それに対して様様な手直しをやっているにもかかわらず、内容については形骸化し、空洞化の一途をたどっている。こうしてむしろ初期の革マル理論に忠実な部分が批判されつつ、脱落していつているというのが実情である。それをもっとも思想的に示しているのが組織論をめぐる革マル派の歴史である。それについて、まず『革命的マルクス主義とは何か?』『組織論序説』によって初期の構造をみていこう。
『革命的マルクス主義とは何か?』の中では、新たなる革命的プロレタリア党建設については直接「新しい共産党」を作ってこの周辺に活動家を結集していく「雪ダルマ式戦術」を否定し、イデオロギー闘争や政治闘争の司令部は外部におき、その司令部のうち出す方針を大衆運動に適用しつつスターリン主義や社会民主主義の内部にもち込んでいくことによりそれを全体として変質させる「ナダレ込み戦術」を肯定しつつ、同時にその不充分性を突破するものとして「加入戦術と統一戦線の結合」を提起している。
この方針は、結局様々な曲折をとりながら革マルの現在を規定している。加入戦術ということは、結局、スターリン主義や社会民主主義の運動をこえていく現実的闘争を展開しえず、スターリン主義や社民への批判が本質的には同一次元のものでしかない観念的批判にとどまつている結果失敗する。既成の「労働者党」の制約を突破せんとしていくプロレタリアの矛盾とその闘争の中味がわからず展開ができない結果、一方では<プロレタリア運動の外>にイデオロギー的な前衛集団を作り、大衆運動は社民、スターリニストの運動と同じものを技術的に(統一戦線等を通して)行なうという形になってしまう。これは、この前衛の思想が結局プロレタリアとは無縁なものでしかないことの証明なのである。それがいろいろの形をとりながら暴露されていくのである。
『組織論序説』においては次のような構造を提起している。
第一に、前衛党建設のために必要なことは、プロレタリア的主体性の確立、一切のブルジョア的汚物から訣別している共産主義的人間としての主体性の確立である(226頁)。そしてその共産主義的人間としての主体性の確立のためには『プロレタリア的人間の論理』(黒田著)をみよという。
第二に必要なことは戦略戦術の正しさ、的確さ、政治指導の柔軟性と機動力にあるという。
第三には統一戦線の成否。
第四に、行動上の統一を破壊しない内部理論闘争の推進。
第五に、革命上の実践の統一を決して破壊しない分派闘争をふくむ党内闘争の是認。
これらの中味をもつ前衛組織は、「共産主義的人間への自己変革をなしとげたプロレタリア的人間を構成体とする強固な<共同体>(これは革命的人間への変革の場であると共に実現されるべき将来社会の萌芽形態であり共産主義的人間にとっては〝永遠の今″としての意義をもつ)」(136頁)とされる。
この共産主義的主体性の中味とされている『プロレタリア的人間の論理』はどういうことが書いてあるかというと、次のようになっている。
「…これらは、そもそも生産と所有との根源的分割に歴史的根拠をもった、その必然的な帰結にほかならないことを、プロレタリアは自覚する。生産と所有との機械的分裂の資本制的形態が、生産諸手段の資本家的所有と労働の社会化との矛盾・作業場内分業の計画性と社会的生産の無政相性との矛盾・ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争・『物の人格化と生産諸関係の物化』という資本制社会の転倒性等々の本質であることが把握される。賃労働者の労働は、人間労働の根源的=本質的な形態との関係において、その資本制的に疎外された労働の現実形態として自覚される。使用価値としての労働生産物を結果するかぎりでの合目的的な生産的労働(労働の本質形態)と、『価値を創造する活動』としての生産的労働(労働の資本制的疎外形態)との矛盾を、したがって人間的本性と人間性の完全なる喪失=自己分割=奴隷化との矛盾を、だから根源的な『種族生活』とその資本制的自己疎外形態との矛盾を、賃労働者は自覚する。それは、社会的生産・人間労働―人間的本性をその資本制的形態ヘと疎外せしめている事態(すなわち資本制的現実)の本質の概念的把握にもとづく階級的自覚である。」(『プロレタリア的人間の論理』127~128頁)
「こうしてプロレタリアは、いまや、自己に敵対的に対立した資本を暴力的に収奪し、自己否定的に迫ってくる資本家の私有財産をば社会の歴史的必然性における自己発展を物質的根拠としつつ積極的に止揚せんと決意する。それは、自己の非人間化された奴隷状態を克服し、失われている普遍的人間性と技術性を完全に全面的に回復せんとする主体的な決断である。『人間生活の永遠的な自然条件』を奪回せんとするプロレタリア的な価値判断の成立である。これは、生産と所有との根源的な分裂(階級的所有関係の成立にもとづく社会経済的な疎外の発生)を本質的な根拠とした社会的生産の歴史的発展がもたらした革命的自覚であって、かかる分裂そのものを根底から徹底的に変革せんとするプロレタリアの階級的自覚である。それは、社会的生産力の無限なる自己実現を、社会的生産過程の歴史的必然性における自己運動を、存在論的根拠とし、主体的原理としたプロレタリアの歴史的自覚である。いな、物質の宇宙的必然性における自己実現の主体的契機であることの物質的自覚の獲得である。」
まさに観念論者革マルにふさわしく非マルクス主義的用語がならんでいるので理解がめんどうに思えるが、要するにいつていることは、≪人間の活動は本来生産と所有が統一されていたのに対してそれが機械的に分離してしまい階級社会が生まれた。これを主体的に自覚して、統一を回復せんとする闘いヘ決起していく≫ことが主体性だといっているのだ。
人間の歴史の中での生産と所有の構造は、共同体の問題と不可分である。つまり「統一されていた」のは共同体に個人がとけ込んでいる原始共同体においてである。こういう問題を欠如して「分離」だの「回復」だのといっても、それは自己の描くユートピアでしかない。これは決してこの引用の箇所のみではなく黒田の著作全体の特徴なのであるが、黒田には歴史と社会の科学的解明が欠如している。プロレタリアがなぜ革命的なのかは、決して「生産と所有の分離」のみによって説明されるものではない。これはすでに労働運動諭の中でみてきたように、「合理化の把握―反合闘争論」についてもっとも鋭く出てくる。つまり現実的、本質的把握がなく、その上に「主体性」だの「共産主義」だの「革命」だのがつく。つまり、それは黒田のユートピア(小ブル的)をおしつけているにすぎない。
「共産主義者の共同体」などといっても、資本主義の本質的把握やプロレタリアの革命性の本質的把握が欠如していてどんな「共同体」を夢想しているのだろうか? 『組織論序説』の中でも『プロレタリア的人間の論理』の中でも、黒田の論理の中には共同体とか組織ということを必然化する内容は全くない。いわば「一人一人共産主義的自覚をもつて行く」という構造なのだ。その存在が共同体的存在であり、またその矛盾が共同体的構造をもっている(疎外された形であれ)そういう中ではじめて生み出されるべきものが「新たなる共同体」としての中味をもちうるのだ。ところが黒田には、こういうものが全く存在せず、「個人的自覚としての共産主義的自覚」が急に「共同体」的だとされている。それでも、このころは、精一杯こういう「ユートピア」―「主体性」を夢想しえていた。だが、この「主体性」が現実に直面するや否やまさに小ブルの「ユートピア」―「夢想」 でしかないことが暴露されてしまう。
その運動、闘争上の過程はすでにみてきた。そしてその中で「純粋革マル主義者」は、結局運動と無縁な個人主義者だとして批判されていく(主体形成主義者として)。これは、当然、政治技術主義、大衆運動主義と裏表の関係としてあることになる。なぜならば、運動の主体たる「大衆」の中には「共産主義」の中味は存在せず、それを「あやつる」革マル的人間の側にイデオロギーとしてある以上、運動それ自体は物理力または操作の対象となっていくのである。
② 現下における革マル組織論の宗派的構造
さて、それでは現下の革マルの組織論の問題点を批判していこう。『日本の反スターリン主義運動 2』の「Ⅱ 組織建設路線にかんする問題点」を軸にしながらその反プロレタリア性を暴露していきたいが、ここでのべられている中味はほぼ今までの中でみてきたことなので紹介的なことはできるだけはぶいていきたいが、一応要綱的にのみ叙述をあげておく。
1 分派闘争期における組織問題
(1)大衆運動の組織化とわが同盟(およびマル学同)の諸組織の組織的強化との関係にかんする問題
(ここでは主に中核派の大衆運動主義への批判)
(2)地方産業別労働者委員会の強化とわが同盟組織の地区的確立にかんする問題
(地方産業別労働者委員会を強調する革マル派と地区組織を強調する中核派の対立)
(3)前衛組織建設における疎外とこれにたいする組織的闘いにかんする問題
(「大衆運動主義」と「官僚的シメツケ」の中核派に対する「闘争組織戦術」・「理論闘争」を強調する革マル派の対立をめぐって―) (4)「マルクス主義青年労働者同盟」にかんする問題
2 「主体形成主義的組織づくり」の発生とその克服
A 組織づくりにおける「主体形成主義」との闘い
B 「戦略論的ほりさげ」路線の発生根拠
C ケルン主義の克服のための闘い
3 思想闘争主義的および政治技術主義的な組織づくり路線との訣別
A 組織づくりにおける思想闘争主義の発生根拠
B 「運動の単位としての組織」観の誤謬
C 「運動に対応した組織づくり」との最後的決裂≫(142~210頁)
革マル派の革命運動―「のりこえの論理」が、小ブルイデオロギー集団が階級闘争の現実の中にたたき込まれていった時とった「自己保身」であったように、革マル派の60年代中期から「展開」されていく組織論も小ブルイデオロギー(小市民的自我)が労働運動等に直面しつつ、それに「のっかって」生きのころうとした時に生まれていったものであった。くりかえし発生してくる一方における「主体性論」と他方における「技術主義―物理力主撃はその表現に外ならなかった。
それに対して黒田は次のように答えていった。
「共産主義的人間への形成、プロレタリア的自覚の論理は人間論ではあっても、組織論ではない。組織の前提あるいは組織化される以前の人間にかかわる諸問題やそれへのアプローチのしかたまでもが、直境的に組織論の領域にもちこまれるならば、組織論は主体性の問題に一面化されてしまう。」(312頁)
≪政治的国家と市民社会との分裂―私人と全体的社会性ヘの分裂―にブルジョア社会はおち込んでいる。即自的プロレタリアも同じである。これを階級闘争を通して止揚しなくてはならない。労働組合は社民によってゆがんでいるにしても階級的全体性と個別性の即自的統一としてあり、個別と全体の止揚の問題を場所的に実現する―即自的にではあれ―というものをふくんでいる。これを不断に向自的に高めていくべき任務をもった前衛党が、社民的、スターリニスト的に変質しているところに現代の階級闘争の一切の問題がある。階級的全体性とプロレタリア的主体性=個人性の統一された革命的前衛組織として同盟をうちかためねばならぬ。≫(224~315頁)
これからもわかるように、黒田の初期の組織論や思想性に強く出ていた「小ブル的自我の自己確立」という側面は、労働組合運動等に直面しつつ一定の「手直し」を迫られていった。だが、またしてもそれは、単に形態上の技術的な「手直し」に終る。ブルジョア的な「私人」と「全体性」の分裂をプロレタリアが止揚可能な根拠は何なのか?そして、その「個別性」と「普遍性」の統一を実現しうるプロレタリアの本質がいかに展開していくのかが「一カケラ」も示されず、ただ「結論的にのみ」マルクスの「口真似」をして「統一」が語られるにすぎない。
こうしておきていくことは、たとえ誤っているにしても初期の革マル派のもっていた中味、内容が否定され、形式化、形骸化された「組織性」が外部から(指導部によって)下部活動家に「附与」され、下部活動家はそれを「体得」させられる(325頁)。
こうして、反スタ・スターリニストの本質が公然と姿をあらわしはじめる。
スターリニストのスターリニストたる理由は、個別的主体の内在的必然性の展開として全体をたてるのではなく(または全体性の展開が個別性を自由に発展させるのではなく)、個別主体の内在性を抑圧していくところに全体性がたつことにある。これはブルジョア社会では、「他者」はそれぞれの「個人」の限界であり「個人の自由」と「公共の福祉」は本質的に対立する構造になっているのと同じである。それこそ分業(私的所有)を突破できないものなのだ。
これに対して、プロレタリア階級の革命運動が生み出す組織がこれを止揚できるというならば、その<根拠>が明白に科学的に示され、そしてそれが展開されていくものとして組織方針がたてられねばならぬ。ところが革マル的主体にとってその「根拠」は、小ブル的なまま形の上でだけプロレタリアの組織性が語られる。これはまさにスターリニスト的な疎外された組織性に外ならない。こうして「人間論」と「組織論」の分離が語られるのだ。百歩ゆずってその相対的区別性がたてられたとしても、その「組織論」の中にプロレタリア的共同性の中味が展開されていなければ、そもそも「共産主義的主体性」などということを問題にする必要は全くないことになる。要するにプロレタリアの革命性、階級性の展開としての組織性ではなく、その中味を失った疎外としての組織性なのだ。プロレタリア革命運動の推進をなしうる組織性ではないことは明白である。
こうして、革マルイデオロギーは、大衆闘争論(のりこえの立場)の極において革命運動と無縁な、いやむしろ敵対する宗派戦争をひき出し、また、プロレタリア革命運動と無縁な、いやむしろそれを抑圧する形骸化した組織を生み出しているのだ。
こうして「加入戦術と統一戦線」としてたてられた初期の革マル派の基本方針は、プロレタリア運動に敵対する組織性とプロレタリア人民から徹底的にきらわれる孤立という破産状況を迎えている。
(続く)
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