1924.11月、赤松は、雑誌「新人」に「科学的日本主義」なる論文で次のように述べている。
「資本主義より社会主義への進化の現実的過程は、各国の資本主義発達の相異に従ってそれぞれ経緯を異にするものでなければならぬ」。 |
「我々は社会進化の普遍的法則と共に、日本国家を知らなければならぬ。日本における真の科学的無産階級指導方針が案出されねばならぬ」。 |
「マルクスもレーニンも社会思想発達史の上における輝かしき功績者であるが、彼らの理論に絶対主義的価値を付与することは、厳正なる社会科学の立場を離れ、近代科学の批判的精神に背反するものでなければならぬ。全て絶対主義的思想なるものは御用思想である」。 |
1930年、社会民衆党書記長時代の赤松は、「「第三インターの対日本政策を評す」で次のように述べている。
「かの皇室中心主義者と自称する徒輩が、自らの無知なる時代逆行の旧観念及び旧行動を隠蔽し且つ価値づけるために自分らが特に皇室尊厳の念に優れて居るかの如く誇示するのを我々はしばしば見受けるが、かくの如き反動主義者は、健全なる政治思想発達の上から、最も排撃に値する存在でなければならぬ。皇室はあくまで政争の外に立つ民族的代表者の地位にあることが最も妥当でなければならぬ」。 |
「今日の有産階級と無産階級との闘争においても、やはり皇室を階級闘争の外に置くことが、我が国の特殊なる民族性に立脚したる方針であると信ずる」()、 |
1932.4月、「新建国運動の基調」で次のように述べている。
「我が民族的共同体は総合家族であり、天皇は総合家族の家長であり代表者である。この国体観念は建国以来久しき二わたる民族生活を通じて一貫して継承された民族精神の基礎である」。 |
「新国民運動の基調」の中で、「プロレタリアートに祖国はある。祖国は我々が生活と文化と運命を共にする基本的共同体である。社会主義は先ず我々の祖国に実を結ばねばならない」。
|
「社会主義的基礎に立たぬ愛国運動は、現状維持の反動運動に過ぎない」。 |
「マルクスは人類の一切の歴史は階級闘争の歴史なりと言ったが、我々は、人類の一切の歴史は階級闘争並びに民族闘争の歴史なりと信ずるものである」。 |
「国民的共同体が、祖国が、屹然として存在する以上、マルクス主義者の階級至上主義は、国民大衆の琴線に触れることが全く不可能である」。 |
「宗教家と社会運動」、「社会主義を肯定する点に一致すれば良いのであって、各人の世界観や人生観までも統一する必要は無い。各人の世界観は各人の精神的私事である。社会主義者が一箇の世界観として『永遠の生命を思慕し絶対帰依の感情を抱く』宗教的心理を把握することも各人の精神的私事である」。 |
1953年、「東洋への郷愁」で次のように述べている。
「天皇を最高の権力者として見るよりは、民族的共同体の首長として敬愛するのが国民感情である。例え、ある時代においてある階級が天皇制を悪用した歴史的事実があっても、それは悪用する者が悪いのであって、天皇制が悪いのではない。これが素直な国民感情である」。 |
「東洋への郷愁」で、概要「太平洋戦争は、日米いずれも帝国主義戦争であり、日本にとっては生存、自衛の戦争でありろ日本側のみの侵略戦争ではない。従って、戦争犯罪は成立せず。東京裁判はナンセンス」
|
「卑しい人間の支配する国家主義が、貪欲な帝国主義に発展するのは当然である。そして帝国主義ほど人間の個性を歪曲し、且つ人間の生命を粗末にするものはない」。
|
「彼ら(近代的知識人)は教養ある俗物である。彼らは時流に対してはすこぶる敏感な感覚を持っていて、巧みに時流に便乗することを心得ている。国家主義が優勢となれば、これに迎合し、共産主義が盛んになればまたこれに便乗して進歩的思想家をもって任ずる。そこには何らの主義も節操もない」。
|
|