テロル考 |
「テロリズムとは何か」(佐渡龍二)参照意訳
(最新見直し2005.10.11日)
テロリズムを特殊なものとして考えるのは史実的にはおかしいのではなかろうか。それを良し悪しで判断すれば、おおかたの者は忌み嫌うであろうが、かといってテロリズムの歴史はそれを口先で批判すれば消えるというようなものではない。近年のテロリズムの特徴は、それがもたらす被害がかってなく大きくなりつつあり、いわゆる第三者の巻き添えを為しつつ平然と行われているところにある。それ故に、市民論理としてテロリズム排斥世論が巻き起こりつつあり、故無しとはしない。 が、問題は、これを強権的に封殺していっても、新たなテロリズムの発生の抑止まで為しえるかどうかというとほぼ不可能なところにあるように思われる。つまり、テロリズムの発生する社会的原因を分析し、可能な限り根治しない限り、いつでも新たなテロリズムが発生するということであろう。テロリズムを考える場合にこの視点が欲しい。この視点抜きのテロリズム批判は、ほぼ権力者の御用イデオロギーに唯々諾々した上での尻馬乗り理論でしかなかろう。れんだいこのテロリズム考は、ここの峻別を要求するところから始まる。 |
「terrorism」の意味を広辞苑、「現代政治学小辞典」(1978年、有斐閣)その他の解釈で意訳すれば、次のようになる。「テロル(terror)」とは、「恐怖」の意で、あらゆる暴力手段に訴えて敵対者を威嚇することを云う。単にテロとも表記される。そのイズムが「テロリズム(terrorism)」と云うということになる。 |
市民論理では、テロリズムを犯罪というレベルで捉え、これを処罰ないしは征伐しようとする。しかし、実際には、テロリズムはA・国家戦争−B・民間抵抗運動−C・抵抗運動組織間の党派闘争の範疇で捉えるべきではなかろうか。
A・国家戦争は、まずはAa・兵器−肉弾戦とAb・知能戦に大別される。Aa・兵器−肉弾戦は、@・正規戦、A・ゲリラ戦、B・テロリズムから成り立つ。Ab・知能戦は、C・情報戦、D・経済戦、E・心理・文化戦から成り立つ。それぞれは性質に応じて更に分岐される、ということになる。 以上、「テロ」の形態には、3種類有ることになる。こうした区分によると、テロリズムは、戦争と抵抗運動の両範疇にまたがる広義な形態であるということが分かる。以上は形態的考察であるが、これを内容的な態様別に見ると次のような違いがある。テロリズムと暗殺・謀殺との区別は容易ではないが、暗殺・謀殺は狭義のテロリズムであるということになるかと思われる。すると、実際のテロリズムには、@・暗殺・謀殺、A・負傷、B・施設の破壊まで含められることになる。つまり、テロリズムは非常に広義な内容まで含まれているということになる。 テロリズムが戦争における正規戦、ゲリラ戦、抵抗運動における政治運動、一揆運動、ゼネストとの違いは、往々にして戦況に有利でない側が捨身で為す弱者の戦法として採用され、打倒対象の為に自身の生命を投げ打つことを辞さない独特の生死観に基づいて生還不問で自爆をも引き受けるというところに特徴がある。 |
史上の抵抗運動側からのテロリズム例を見ておく。 ロシア革命時における「人民の意思」派のテロリズム例もある。「人民の意思」派は、フランス革命から学び、以降のテロリズムに大きな影響を与えていったという点で注目される。「人民の意思」派は、1870年代に皇帝を倒す為の陰謀的闘争組織として結成され、実際に1880.2.5日冬宮の食堂を爆破し多数の死傷者を出し、1881年3月アレクサンドル2世を暗殺している。「人民の意思」派は、こうした手法によって人民を目覚めさせ、叛乱を誘発させるための起爆剤とならんとしていた。 1917年「二月革命」以前のロシアにおいて、ナロードニキ、アナキスト、エスエルが、皇帝暗殺、政府高官暗殺という「反国家テロ」を実行した。「十月革命」後のソ連では、「国家テロ」としての「赤色テロル」と、「反ボリシェヴィキ指導者テロ」としての「白色テロル」が発生した。テロには、こういう「赤色テロル」と「白色テロル」との峻別問題も有る。 |
史上の革命権力側からのテロリズム例を見ておく。 |
史上の旧体制権力側からのテロリズム例を見ておく。 少数民族を弾圧、民族弾圧、思想弾圧。 |
赤色テロと白色テロの応酬例を見ておく。 |
テロ非難の論理を見ておく。 「いかなる形であれ、いかなる状況であれ、一般市民に対するテロの行使を非難する」、「罪のない人びと」の犠牲問題、「テロの恐怖」、「戦闘員なら殺されても仕方がないが、非戦闘員を殺すという行為は野蛮である」という、正論に基づくテロ非難の大合唱。 本来のテロ=国家権力による恐怖政治との関係、システム=制度の独裁との関係、「反テロ国家連合」の動き |
田中
良太氏の「同時多発テロ」についての私見
同時多発テロは世界貿易センタービルを標的とすることによって、現代世界の司令センターを正確に撃ったのである。だからこそ米国の株価もドルも大暴落したのである。 現代社会の構図は、システム=制度の独裁なのである。権力は、メディア操縦を中心とした「柔構造の権力」であり、特定の独裁者がいるわけではない。軍や警察など暴力装置が権力の核心だという構図は、過去の遺物でしかない。 世界貿易センタービルで働いていた人たちは、現在の世界を動かす権力者たちであった。また世界経済の構造を歪め、もの造りに励む人たちを窮地に陥れる元凶でもあった。彼らが「罪のない人びと」だというのは、幻影ないし虚飾にすぎない。 ヒゲ-戸田「同時多発テロ」についての私見 一般に力が拮抗している者同士の闘争は、ルールが守られる。しかし力に大きな差がある場合、劣っている者は、ルールを無視しても勝とうとすることがある。力の不均衡のモデルは、兄弟喧嘩など、年齢差のある子どものけんかであろう。チビの方が噛みついたりするケースが起こりがちだ。力の均衡のモデルは米ソ冷戦であろう。それぞれ巨大な核戦力を持ち「恐怖の均衡」といわれながら、じっさいの核戦争には至らなかった。 ●弱者の狂気 カミカゼ特攻隊の例。 ●十字軍のミレニアム 一〇九五年のクレルモン公会議で、ときのローマ法王・ウルバヌス二世が提唱したのが十字軍である。聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することが目的とされ、欧州各国の封建領主たちが呼び掛けに応じ、自ら戦った。翌年を第一回とし,遠征は数回にわたった。 十字軍のために構築された武力が、封建領主間の戦争に費やされ、英仏百年戦争(一三三七〜一四五三年)などに結びついた。大航海時代には、その武力が植民地拡大に費やされた。市民革命によって構築された国民国家もまた、ナポレオンやビスマルクに象徴される「戦争屋」の国々となった。 戦争が常態化した欧州の論理が、全世界を覆ったのが二〇世紀である。二〇世紀の二つの世界大戦もまた、植民地分割をめぐっての争いであったことを、私たちは忘れるべきではない。十字軍は西欧社会にアラビアに蓄積されていた「東」の世界の科学技術をもたらした。アラビア数字、インドの数学、中国の火薬と紙などである。この東の科学技術が中世の停滞を打破し、西欧文明の開化をもたらした。ルネッサンスは、西欧文明の源流が東洋にあるのではなく、ギリシャ・ローマにあると偽装するための、巨大な粉飾作業だったのである。 十字軍に動員された封建領主たちは、遠征費・戦費を供給されたわけではない。彼らはその必要経費を、ユダヤ人を襲撃することによってを調達した。ユダヤ人襲撃は、「異教徒との闘い」の前哨戦でもあった。八世紀ごろから一〇世紀にかけての西欧では、キリスト教徒とユダヤ人の「平和共存」が実現していたが、十字軍によって、それが崩れる。そして一二一五年、ラテラノ宗教会議で、ユダヤ人排斥が決定された。ユダヤ人は、職業組合ギルドから排除され、店舗を構えて商売を営むこと、職工となることも禁じられた。金貸しをする以外に生きる道がなくなったのである。 以上のように、十字軍が切り開いた「戦争の千年紀」が、西暦紀元第二ミレニアム(一一世紀から二〇世紀まで)だといえよう。世界は、西欧の「戦争ルール」によって支配されたのである。 ●求められる国際世論の構造転換 、テロリストグループを弾圧するだけの「北風」政策はとるべきでない。テロが生じる原因そのものを除去していくための社会的努力に全力をあげるべきだろう。 ユダヤ人迫害。西欧はその恥部を、イスラエル建国によってとり繕おうとした。イスラエルの土地は、パレスチナ人から奪った。西欧人は何の犠牲も払わずに、ユダヤ人に謝罪し、自らの負い目も解消しようとしたのである。こうした恥ずべき行動をとった西欧文明を、イスラム原理主義者が撃つのは当然だともいえる。しかし「文明の衝突」に基づくテロという視点をとるなら、「太陽」政策の余地はなくなる 。 「文明の衝突」を厳しいものにしているのは、巨大な貧富の格差であろう。すさまじい貧困が残っている南に対して、北の豊かさは、浪費と大量廃棄の経済社会を生みだしている。 このアメリカエゴの延長線上に、テロがあり、さらに報復のための反テロ国家連合もあると位置づけることができる。 |
(私論.私見)
テロという用語使用の意味の逆転現象に関するフランスの哲学者の告発
拙訳、電網無料公開中。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-27.html
『偽イスラエル政治神話』(その27)
3章:諸神話の政治的利用(その4)
2節:フランスのイスラエル=シオニスト・ロビー(その1)
《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている》(ドゥ・ゴール将軍)
フランスでは、ただ一人、ドゥ・ゴール将軍だけが、あえて、こう明言した。《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている。こう断言すると、何時でも、悪評を立てられる。しかし、この断言には、実際に、常に重要な真実の一部が含まれている》(「偏ったイスラエル支持」『パリジャン・リベレ』88・2・29掲載記事)
以後、フランス共和国の大統領候補者の誰一人として、所属政党の如何を問わず、ミシェル・ロカールからジャック・シラクに至るまで、ミッテランは言うに及ばず、メディアによる封土授与を得るためのイスラエル参勤交替を怠らなかった。
中心的な指導者たちが“LICLA”(人種主義と反ユダヤ主義に反対する国際同盟)で構成されているメディアのロビーの影響力は、非常に強く、世論を思うがままに操っている。フランスのユダヤ人の人口は、フランスの全人口の約2%でしかないが、シオニストは、メディアの政治的な決定権を握るメンバーの多数派を支配している。テレヴィからラディオ、活字メディアの日刊紙であろうと週刊誌であろうと、映画に至っては特にハリウッドからの侵略までが加わっているし、出版を手中に収めて編集会議での拒否権を握り、“メディア”の財政的な摂政役の広告にまで、その支配が及んでいる。
[イスラエル支持報道による事件の意味の逆転現象]
何よりの証拠は、メディアのほぼ全体に及ぶ横並び現象であり、イスラエルを支持する立場から、事件の意味が逆転して報道されている。典型例を挙げれば、メディアは、弱者の暴力を“テロリズム”と報道し、強者の暴力を“テロリズムに対抗する戦い”と報道するのである。
虚弱なユダヤ人が、PLOの背教者の手で“アキレ・ラウロ”号の船外に投げ出されると、これは確実にテロリズムであり、その報道には誰も異議を唱えられない。ところが、その報復として、イスラエルがチュニスを爆撃して五〇人を殺し、その中には何人かの子供までいても、これは“テロリズムに対抗する戦いであり、法と秩序の防衛である”と報道されるのである。
あたかも、幕の陰に隠れたオーケストラの指揮者が振り回す細い指揮棒に従っているかのように、およそすべての“メディア”から、コペルニク通りのユダヤ教会堂への襲撃であろうと、カルパントラ墓地での不敬行為[後出]であろうと、レバノンへの侵略であろうと、イラクの破壊であろうと、常に、まったく同じ音楽が流れ出てくる。
[後略]