著者のれんだいこ氏はインターネット上に「人生学院」というサイトを立ち上げて、様々な社会的政治的な事象や歴史・宗教等について活発な発言をしています。著書自身のプロフィールによれば、過去(日本共産党系の)民主青年同盟に所属したことがあるが、その後、党派からは離れ、現在は自営業を営みながら当時の社会的政治的な背景や著者自身の思想的遍歴も含めて、戦後左翼運動の検証に乗り出しているというところでしょうか。本書は、上記の「人生学院」に「戦後学生運動考」としてアップされた論文を元にしています。
昭和25年(1950年)生まれといいますから、団塊の世代の最後尾に位置しています。評者は昭和28年生まれですから、ほぼ同世代に生きてきたというべきです。しかし、この著書を読んで、この3年間の隔たりは意外に大きいのではないかとも感じました。当時の学生運動をめぐる状況も大きく流動していたということでしょう。
評者も、もう充分オジさんになっていますから、自分の子供達に当時の話をしてもさっぱり理解してもらえず、世代間のギャップというか断絶を感じているところです。たまに、いくつかの大学構内を歩くこともありますが、建物も本当にきれいになって、政治的スローガンを書きなぐったタテ看板などお目にかかることもありません。したがって現在、学生運動という実態があるのか、有効な政治的影響を与える運動が行われているのか、実は分かりません。
評者が高校に入学したのは昭和43年(1968年)で卒業したのが46年で、在学中は激しく学園紛争が闘われ、東京大学の入学試験が中止になりました。高校の学園祭には、後に赤軍派に所属し銃砲店襲撃を行ったヘルメット姿の過激派高校生一団が出現して驚いたものでした。国際的には、ベトナム紛争やプラハの春の時代でした。大いに揺れ動いた時代だった記憶があります。
1年遅れて入学した大学は、まことに静かなものでサークル運動が華やかでした。確かに「一部学生」には、政治的な運動を志向する勢力も残っていました。しかし、多くの学生は学問と就職、日常の学生生活をエンジョイする気分に満ちていました。評者は、その「一部学生」に当たり、日本社会の現実を本当に良く理解し、それまでの思想や考え方を改める(マルクスの呪縛からの解放、思想的転向)には、それから平成元年(1989年)12月のベルリンの壁崩壊までの時間が必要でした。その時に至ってやっと普通の考え方ができるようになったのです。
実は、本書の扱っている「学生運動」に、評者が大学に在籍した時代は含まれていません。著者によれば、それ以降は「これという新たな質が認められないから」であり、「次第に運動の低迷と四分五裂化を追って行くだけの非生産的な流れしか見当たらない」からだと述べています。
本書は、戦後学生運動の流れを概観し、「左派運動」低迷の原因と欠陥を乗り越える確信と展望を獲得したいとしています。左翼に「かぶれた」経験をもつ評者としては、本書の中で提言される様々な指摘について、同意・同感する点が多々あります。特に、四分五裂する党派間の違いを説明する「ある種の気質の差」というのは、経験的に案外的を得ているのではないかと思われます。また、「日本左派運動は、本当のところ自己満足的な革命ごっこ劇場を単に欲している」というのも頷けます。
しかし、本書の執筆動機と述べている政治状況が、「革命」を欲しているとは考えられず、また、本書の随所で見られるロスチャイルド派国際金融資本帝国主義の陰謀説・黒幕説は、評者は同意できませんが、それにしても唐突な印象です。もう少し、丁寧な説明と言及が必要だと思われます。それでも戦後学生運動全体を概観することができるので、左派思想を奉じる方々は学習しなければならない、ということなのでしょうか・・・。