党史2、

 更新日/2016.03.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、革マル派の党史2を確認しておく。

 2008.1.15日 れんだいこ拝


【ポストクロカン時代】

 指導者は2006年の黒田寛一死去後は、最高指導組織の政治組織局員のうち植田琢磨(現議長)・風森洸(ペンネームの可能性)の2名のみが公表されている。政治組織局員と推測される人物として西條武夫・朝倉文夫・前原茂雄・稲葉潤・高浜覚・柳葉真弘など。なおかつての副議長であった倉川篤(=松崎明・旧国鉄動力車労働組合委員長。元JR東労組会長、2010年死去)については、本人は一貫して組織を離脱していることを強調していたが、この点については偽装転向と疑う見解もある。ただしJR総連内部の革マル派組織と党組織としての革マル派との間の関係は必ずしも一体ではない。
 2006年の黒田寛一死去後は、かって「理論の革マル」と言われた影もすっかり失い、彼らの専属出版社であるあかね図書販売(後にKK書房に社名を変更)からは黒田寛一の遺稿以外殆ど新たな理論的開拓はされていない。これは後述する現革マル派中央官僚による革マル派内理論家達への思想的統制や弾圧が大きく関係しているものと思われる。そうした論客の減少は、彼らの機関紙であるところの「解放」にも反映され、2019年10月からは週刊8頁立て立ったものが6頁立てに変更された点にも如実に示されている[6]

2006年12月4日
神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら6人の被告人に対し、東京地方裁判所(大島隆明裁判長)が懲役5年~1年10か月の実刑判決を言い渡す。


 2007年6月21日、革マル派拠点・解放社を捜索~警視庁公安部 。警視庁公安部は21日朝、東京・新宿区にある過激派「革マル派」の拠点「解放社」へ家宅捜索に入った。21日の捜索は、17日に行われた革マル派のデモをめぐって全学連(=全日本学生自治会総連合)の元委員長ら2人が公務執行妨害の疑いで逮捕されたのを受けて行われているもので、警視庁公安部は、革マル派の活動実態の解明を進める方針。

革マル派活動家の宇田耕一郎が2007年9月24日偽名ホテルに宿泊していた疑いで、警視庁神奈川県警は、有印私文書偽造・同行使などの容疑で、千葉県八千代市八千代台団地の一室など、計4ヵ所の革マル派非公然アジトを家宅捜索。同派によって収集されていた警察関係者の人事異動記録や顔写真などを押収。同月18日には革マル派の拠点「解放社」の家宅捜索が行われ、22日に宇田を逮捕

居所と運転免許証記載の「住所」が相違する事を奇貨として、2006年10月24日に免状等不実記載で神奈川県警察公安第三課に逮捕された鎌倉市在住の活動家について、横浜地方裁判所(三代川俊一郎裁判長)は「情報収集を目的とした“為にする”逮捕であり違法不要であった」として国家賠償法に基づく賠償を神奈川県に命じる。

神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家幹部の竹内政行ら3人の被告人に対し、東京地方裁判所戸倉三郎裁判長)が懲役2年6か月の実刑判決を言い渡す。

4月28日
大阪経済大学の革マル派学生活動家退学処分について、大阪地方裁判所が処分を無効とする判決。


 2017.1.1日、革マル派の機関紙「解放」は、ソ連はスターリン主義により変質され必然的に崩壊し、資本主義は最末期だが「スターリン主義党の総転向」などで延命しており、日本帝国主義アメリカ帝国主義に対して反戦反安保闘争改憲攻撃粉砕、労働法制改悪・社会保障大削減の粉砕などを主張し、「<反帝・反スターリン主義>の深紅の旗のもとに結集せよ」と「プロレタリア世界革命」を掲げた。

 2017.9.25日、週刊『前進』04頁(2879号03面03)「反革命カクマルが大崩壊 植田議長脱落し指導部分裂 エセ「全学連大会」も開けず」。
 今や体をなさないカクマル「全学連」

 新自由主義反革命カクマルが、いま最後的な崩壊を開始している。学生戦線、労働戦線、中央指導機関のすべてが分裂し、議長・植田琢磨が失脚・脱落した。国鉄決戦がカクマルに強制した歴史的事態だ。まず学生戦線である。2015年にも戦争国会の真っ最中の7月と9月に予定されていたカクマル全学連大会と中央委員会が開催できない事態に陥ったが、今年の共謀罪阻止闘争の直後、例年7月に開催していた全学連大会が再び開催できなくなった。今回はかろうじて「7月期の政治階級情勢の大激動のために9月に延期した」と弁解して開催したが、この弁解をしたのが中央学生組織委員会(SOB)にとってかわった「マル学同革マル派」であった。カクマル学生戦線は、長らくSOBが指導し、階級闘争とはまったく無縁のところで行われてきた労学反戦デモもまた、SOBが指導論文を提起してきた。ところが09年を境にSOBから指導権が奪われ、今年に入ってからは年頭論文以降一度もSOB論文が出ない事態となっていた。起きている事態はSOBの崩壊である。実際、大会開催後の初の決定的闘争であった「9・18さようなら原発全国集会」に学生部隊が登場できないという惨状にたたき込まれたのだ。
 表面化した労働者組織委員会の分裂

 しかしこれは、ほんの一部にすぎない。労働戦線においては、労働戦線を指導する中央労働者組織委員会(WOB)の分裂が、この間表面化している。15年の戦争法制定後、日本共産党が自衛戦争推進、天皇制の率先擁護など全面的転向を開始した。「日共批判」を表看板とするカクマルはこれに完全に沈黙・容認し、全面賛同した。そして16年年頭のWOB論文をめぐり、WOBの分裂が表面化したのである。それでもこの時は「中央労働者組織委員会」名で「執筆過程での組織的論議が不十分なまま本論文を発表してしまったことを、すべての同志の前に自己批判する」ととりつくろった。ところが今年のWOB論文に対しては、「16年12月の政治集会の基調報告と時代認識が違う」として、労働者による組織的な批判運動が開始されたのである。これは、WOBと政治組織局が分裂していることを意味する。批判したカクマル労働者たちには、WOB論文はあたかも、①「革命情勢」、②「労働者は立ち上がる」こと、③「黒田思想ではなくマルクス・レーニン・トロツキーの思想」を強調している、というように見えたのだ。確かにカクマルからすれば、とんでもない「偏向」に見えて当然だ。

 さらにカクマルは5月以降、一転して祖国防衛主義に反対した「レーニン的精神」なるものを強調し始め、8月の反戦集会ではよりによって「『帝国主義戦争を内乱へ』と訴えたレーニンの革命家魂に学ぶべきである」とまで言い出した。カクマル全史においてレーニン主義を否定こそすれ、それを掲げたことなど一度としてない。カクマルは原点的に黒田寛一の「レーニン『国家と革命』への疑問」から出発した組織であり、「帝国主義戦争を内乱へ」の文言は中核派批判の時以外に口に出したためしがない。これは全面的な黒田の否定であり錯乱だ。
 動労総連合建設へ今こそ総決起を!

 こうした過程の真っ最中の今年1月、議長・植田の自宅など2カ所を警察が捜索し植田を保護しようとする事態が起きた。権力はこの「弾圧」の後、「植田琢磨の本名が新田寛だと判明した」と大々的に発表した。これに対してカクマルは「笑止千万の妄言」という声明を超異例にも直後に発表し、2月の春闘集会では「植田=新田」を否定せずに「新田は住民登録もちゃんとしている労働者だ」と党内で必死に弁解した。しかし後に権力は、〝植田アジトに「俺はもう(カクマル議長を)やめたい」との言葉がつづられた植田の文章があった〟とマスコミに流した(「週刊ポスト」6月30日付号)。

 カクマルは14年6月から『革マル派 50年の軌跡/全5巻』なるものを刊行してきた。そのうち「50年史」にあたる1〜3巻の刊行後、16年11月になって第4巻をあらためて「第二の50年史」というべきものとして発刊した。そもそもこの「50年史」は12年のカクマル第28回大会の決定によって準備されていたものであり、「植田体制」の確認と一体であった。このことが物語るのは、学生戦線、労働戦線、中央指導部という全組織的分裂の中で、20年にわたって最高指導部であった議長・植田が失脚し、組織から脱落したということだ。

 カルト集団と化したカクマルにとっては、そもそも「時代認識と路線」など「どうでもいいこと」なのであるが、最低限の「左翼」としての体裁をとらないと組織としては成立しない。かつては、どのような路線的混乱もカルト教祖・黒田の「鶴の一声」で収拾され、黒田亡き後は自ら「扇の要」と称した植田によってかろうじてまとまってきていた。いまその一切のタガがはずれ、組織的総崩壊に突入したということである。

 改憲を明示な目的として強行された国鉄分割・民営化攻撃、新自由主義攻撃の先兵となったカクマル。その頭目・松崎明に切り捨てられた残りカスである中央派カクマルが、いま最後的な破産をとげている。これは、第3の分割・民営化の先兵となることを宣言し、常磐線全線開通という被曝労働強制=帰還強制の先兵となっているJR総連カクマルの破産とまったく一体の事態である。今こそ動労総連合建設を推進して11月労働者集会の成功をかちとり、韓国革命と一体となって、朝鮮侵略戦争を始まる前に止めよう!

 2017年の警察庁推定では構成員は約5500人。機関紙週刊『解放』、隔月刊『新世紀』がある。東京・早稲田にビルを構える「解放社」本社および全国6道府県に設置されている同社の支社等が公然拠点だが、このほかに非合法な活動を行う非公然アジトが各地に存在する。かつては傘下の出版社としてこぶし書房を経営していたが、近年新たにあかね図書販売を傘下の出版社として設立した。

 2019年春、「現革マル派中央指導部は黒田寛一の思想を教義とする神官になり果てた」と現革マル派中央による思想統制や個別的な組織内処分を批判する形で、革共同革マル派(探究派)が革マル派内で多くの労働運動・経済学の著作を執筆してきた松代秀樹を中心として公然たる組織内分派闘争に突入した。

 これより以降は、「」で確認する。





(私論.私見)